ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

最後のお願い

最近聞き慣れない外来語ばかりになってきてしまう
聞き慣れないだけなら良いが、覚えられない、それが問題だ。
老化と言いたくないが、時代についていけない
外来語を、いちいち検索しないと理解できないが、
検索してもリノベーションとイノベーションの違いがわからない
というか「日本語で言えよ!」という感覚だ。
だんだんと、”あちら”と一緒で機能不全に陥ってしまう。

以前に誰からか聞いた。
「盛岡でパフィーをやるんだってよ」
「なんだパフィーて、歌でも歌うのか?」
昔はビーナッツとか、スリーグレイセスとか、女性のグループと想像ができたが
最近は名前から想像できない、これは創造力の欠如か?
なんでも市民公募のコンパだという、
皆で呑むのか?と思ったらコンペだという
コンパとコンペは何が違うのだ。
わかるように言え!と思う今日このごろ。

で、ようするに岩手公園の中に芝生を削って土産物屋を作るという話だ。
なんでもファッション業界のブランド・メーカーという。
そんな現代のメーカーは知らない。
昔、服飾メーカーといえば
レナウンとか、小杉とか、樫山とか…
婦人物では東京ブラウスとか、ニコルとか、ファイブフォックスとか
丸高衣料とか、サトウニットとか、東京スタートとか…
要するに昔、若いときに付き合っていたアパレルメーカーだが…

と言ってもこれは若者の選択である。
目先の売上の話は、年寄りでいいが…
町のあり方を変えるというのは若者である。
そして20代30代の若者が、自分の子供達にどんな盛岡を残していくのか…
新しくものを作って変えるというよりも
変化の激しい時代、先の読めない時代
子どもたちのために孫たちのために何を残すべきなのだ?
そんなことを考えないと、ただ目先のことだけで
後悔をのこすことになる
そんな思いを持ちながら、
スピーカーを鳴らして走る街宣車の「最後のお願い」を聞いた。

しかし、大胆だね。岩手県民だったらあそこに建てるという発想はできない。
いやあそこで、ものを売るという発想はできないだろう。
最近、何でもありの時代であるから仕方がないのか…
ただ、若者はどう想っているのか?
以前、ショッピングモール設置の意見交換会で
ある若者が「反対すると盛岡は遅れてしまう」という意見があった
まさに今、遅れないで皆と一緒、一斉に同じ町並みになってしまった。
岩手公園の芝生でそんな展開をすることが、岩手らしさにつながるのだろうか
同じ失敗をしてはいけない

百日紅

庭の百日紅

「庭の百日紅が満開である。」
と言う
「どこが…」「どれが…」
庭の木々を見て皆が問う

百日紅は、昔、と言ってもそんなに昔ではない。
戦争が終わって40年も経った頃だ。
戦争と言っても日露とか日清ではない、先の大戦だ。
つまり昭和の末期ごろ鎌倉の極楽寺に行って、
初めて百日紅という木の名前と、その由来を知った。

百日紅は「さるすべり」と呼ぶ。
木肌が滑るように木の皮が剥げてつるつるのように見えるのである。
まるで猿が滑り落ちるような木肌である。
そして真夏の盛りに真っ赤な紅色の花を長い間咲く。
百日も咲くかのように…
極楽寺の百日紅は、低木のこんもりとした百日紅だった。
そんな木になるだろうと庭の片隅に植えていたが、
いつの間にか、ヒョロヒョロと仰ぎ見るような木になってしまった。
植物というのは、太陽を求めて背が伸びるらしい。
十分に陽光が当たる環境にあると、まんべんなく成長するが
陽光が少ないと、太陽を求めて高く高く伸びていくらしい。
そんなわけで、狭い庭で木々に囲まれた百日紅は、上へ上へと、伸びた。

今年の紅は、鮮やかである。
青空によく映える。

護美箱

母屋がある。
母が暮らしていたところだ。
いま母は施設でタンスが一個とベッドだけでシンプルに暮らしている
暮らしていた母屋の片付けが大変である。
何十年前のものが、積み重なってある。
母親に聞いても無駄である。
何を言ってもニコッと笑うだけである。

仕方がないので魔子様と一緒に片付けている。
片付けないと、後が入らない。
片付けると言いながら、ゴミ処理に出すのだが、
ゴミ処理が細分化されて、まごまごする。
「ほら”プラ”と書いてあるでしょう」と言いながら
「それは汚れているから、生ゴミよ」と指示される
全く最近のゴミ出しは、難しくてわからん。
人間のゴミは、簡単に見分けられるのだが…?

魔子様の東京の下町の実家などは、間違ったゴミを入れると、
ゴミ袋を開けて犯人を特定して追求するという。
そこまでは行かないが「あそこのうちは、だらしない」と言われるのがつらい。
と言いながら「これぐらい良いか…」とちょっと舌を出す。
しかし、新興住宅地などは町内会などに若い人が顔を出さないという。
そして町内会のゴミ当番もやらないという。
それでは、コミュニティはできるのか?
街の中が汚いと言って、行政にすべてやらせるのもコストが高くなるだけだ。
と言いながら自分も最近になって町内会長が誰か、見分けられるのようになった

しかし、紙と木と食べ物だけがゴミだった時代が懐かしい
その頃は「護美箱」だったのだろう
江戸末期や明治初期にきた外国人は、驚嘆したという
あまりにも、整然とした田舎や町を見て

「日本人は質素だが清潔であった」

軽くて安価なプラスチックなど素晴らしいモノを生み出しながら
その簡便さと大量生産で、我々は、川を森を海を汚してしまった。

長寿食

昔の話だ。

最初に盛岡に連れてこられたのは、小学校4〜5年ごろだった。
北上に住んで、盛岡で働いていた父を訪ねた。
そのころは、あくまでも自分の意志ではなく、連れてこられたのだ。
そして大学の夏休みを利用して、初めて自分で盛岡に降り立ったのが20歳ごろ
盛岡で”食事をしよう”と自主的に考えたのは…
その頃か…そして周りを見渡した。
「焼肉 冷麺」という看板をあちこちで目にした。
”ふ〜ん、年中冷やし中華をやっているのだ”と、不思議な気持ちで見過ごした。
初めて冷麺という言葉を認識した思い出である。


群馬県高崎の学生時代はカネがない。
いつも焼き肉を食べに行っても、学生向けのホルモン食堂ばかりであった。
網の上に山と積まれたホルモンを、生焼けで争うように食べた
そして腹にたまる大盛りライスで腹を満たした。
 だから冷麺を食べたのは30代はじめ
商社を辞めて盛岡に帰って来た頃だ。そのころ「平壌冷麺」と言っていた。
酒を、しこたま呑んだあと、仕上げに食べるものだった。
冷たい牛のスープ。牛骨はスープにならない、と聞いたことがある
唯一、冷麺のスープにはなると…
その透き通った冷たいスープは、まさに冷製コンソメスープで美味しかった。
そして麺は、ゴム紐のように噛み切れない長い長いものだった。
デンプンだといい、片栗粉だといい、噛み切れなくても消化に良いと言われ
飲み込むように流し込んだものだった。

農業の世界に入った40代、韓国に行った。
韓国自然農法研究会のチョウハンギュさんと同行して
韓国の農家を回りながら、田舎をバスで周るという1週間だっった。
泊まるのはケバケバしたラブホテルのような田舎宿
そして食事は田舎の食堂や、ドライブイン。
焼き肉を期待して行ったのだが、出てくるのは野菜料理ばかりだった。
それも途中で道端に生えているような、
立ち小便のときに、めがけた草がいっぱい出てくるのである。
韓国人は、肉よりも野菜をよく食う。
そして冷麺は、ぜんぜん出てこない。
研修の最後の頃に行ったドライブインで、ようやく出てきたのは
真っ黒い汁の少な冷麺だった。
本来の韓国冷麺は、蕎麦冷麺なのであった。

盛岡冷麺を作った友人が「これ食べてみて」と言われてだしたのは
桑の葉を練り込んだ桑の葉冷麺だった。
韓国で食べた蕎麦冷麺を思い出す、細めの硬めの冷麺だが
スープと澄んだ麺は、彼一流のこだわりが感じられた。


桑の葉は血糖値を抑制するという岩手大学の鈴木幸一教授の研究もある
しかし、食間に飲めという
つまりお茶などで飲むよりも、そのまま食べたほうが良いということらしい
当店も桑を練り込んだひっつみや、中華麺などを開発している。

三者面談

久しぶりに、ぬか漬けを漬けた。
人参と、大根と、もう一つは…内緒だ。
店をやめて、毎日のように片付けばかりしていると、糠の手入れが怠ってしまう。
塩で蓋をしたぬか床に、最初はキャベツを漬けて、捨て漬けをする。
それを取り出して、ついでに厚削りの鰹節と、だし昆布を切り刻んだものを取り出して、新しい糠をいれ、二晩、冷暗所におき、取り出す。

ぬか漬けは、堆肥づくりと一緒ではないか?と考えている
堆肥は、牛糞や豚糞・鶏糞など動物の糞尿をベースにして作る。
そこに、木くずや稲わら、米ぬか、籾殻、など粗いものを混ぜる。
様々なものを発酵させるには、嫌気性菌と好気性菌をバランス良く活躍させないといけない。つまり切り返しという、かき混ぜる行為は、嫌気の状態から好気の状態に変えてやって、バランスをよくする作業なのである。
切り返しをしないと、どちらかの状態が長く続き偏った微生物だけが増える。
バランス良く増えることが、良い堆肥を作ることだ。と教わった。

ぬか漬けも、同じことではないか?
あまり水分が多いと、水分を取れという
乾いた状態だと、野菜を入れろという
理屈をキチンを教えていないのは、そんな発酵の技をわかっていないからである
毎日かき回せ!というのも嘘ではないか?
上から押し付けて、というのも胡散臭い。
ぬか漬けは、嫌気性発酵の酸味と、好気性発酵の香味がバランス良くできているのだから、入れるものと、かき混ぜて寝かせる時間と、ぬか床との三者の対話である。、

そういうわけで、冷蔵庫に入れておいた糠をだし、残り物の野菜を漬けて三者面談を始めた(?)
だいたいが、そんなに漬けても食べ切れないのである。
だから大根なら、せいぜい5分の一本、人参なら端切れ、コリンキーは4分の一だ。(言ってしまった。内緒なのに…)
一つ一つ塩をして、塩梅を整えるよりも、多めの塩の糠に、塩を振らないで漬けたほうが…
と想って、そのまま材料を突っ込んだ、
丸一日、台所の冷暗所に放置しておいた、

これがうまい!

ちいさな発見

いつも珈琲豆を、ミルにかけ、そのままフィルターに落としていた、


よく考えてみれば、わかるのだが…
米も小米を選別して、粒度を整える。
ある程度、整った粒度で炊飯することが、熱が均一に対流するから美味しく炊けるのである。
やすいお米は、様々なものを混ぜ合わせているために粒度がまちまちで、選別などの手間ひまをかけていないために、米と米の間に隙間ができなくて熱が抜けていかない。均一な対流が、おきないのである。美味しく炊けるわけがない。

珈琲の豆も、ミルで粉々になったと思ってフィルターに開けていた、
よく考えてみたら、そんなに均一な精度の高いミルでもない。
一度、篩ってみた。

やはり…
粒の大きなものが混じっている。
これでは抽出するときに、味が均一にならない。
う〜ん。ひとつひとつ確認を取らないと…
丁寧な仕事しなければ…

今回は…

久しぶりにラグビーを見た。
客商売をしていると、みたい試合の時に客が来る。

どうでもいいときは客が来ない。

だからついつい見逃したりどうでもいいゲームを見る羽目になるのだが…

今回は日本とフィジーだ。
フィジーの体格と顔をみたら、誰もがすくむ。
ニュージーランドのオールブラックスや、
南アのスプリングボックスなど屁でもない。
2メートル近くの150kgの黒人が砂塵を巻き上げて
牙をむき出して走ってきたら、誰もが避ける。
タックルなど入っている暇はない(?)
それがどんな戦いを挑むのだろう。興味津々である。

今年のワールドカップの盛り上がりがもう一つである。
前回の南アをやぶった番狂わせで相当盛り上がったが、
今回は…どんな調子だ?と思って
仕事がない毎日が日曜日、らっきょの塩漬けとビールを片手にテレビの前に座った。
サッカーはトイレ休憩のときに点が入る。
ラグビーは、トイレ休憩に行く暇がない。
しかし、前回のワールドカップとメンバーがガラリと変わった。
五郎丸が解説をしている。畠山もいない、ウィングの山田はどこへ行った。
目新しい外人が、次から次へとでてくる。
やはり一度、オールジャパンでメンバーを組んでそれから入れ替えしようよ!
そうでないと覚えられない。(泣)

ラグビーは国対抗だが、クラブチームの性格を残している。
それは植民地宋国のイギリスから発祥しているからである。
イギリスは、イングランド・アイルランド・ウエールズ・スコットランドと4チームが出ている。そして植民地だった国のチームもでている。
国別対抗と言いながら、クラブ対抗の要素を残した歴史あるワールドカップなのである。だから国籍は問わない。伝統に基づいた不思議なルールだ。

テレビを見ていると不思議に体があちこちと動く。
ボールを落とすと拾うふりをする。
キックをすると足が動く。ひとりでに…
そんな80分間が終わると汗びっしょりだ(?)
いつの間にか終わっていた。

勝った!
相手を走らせないで止め、二人がかりでタックルし
素早いパス回しで相手を翻弄した。
性格なキックと、力強いスクラム。
高さのあるラインアウト、すべてが勝っていた。

今回もイケるか?

あるバリスタの悩み

朝から晩まで時間があると珈琲を淹れている。
とりあえず目覚めて一杯。
食事の後は、濃いめの一杯。
10時になったら、ゆっくりと一杯
昼飯を食べたら、まったりと一杯。
3時になったらお菓子をつまみながら一杯
夕方になったらビールを一杯

そんな珈琲の毎日を淹れている。
それぞれ淹れ方と煎れる珈琲豆が違う
仙台の焚火焙煎の浅煎りと深煎り
東チモールの豆を長沢で焙煎したもの
雫石の風光舎ブレンドの中浅煎りと深煎り

そして淹れ方も違う
メリタの一穴
カリタの三穴
ハリオの60Vと…

それに細引きと荒引きと
低温抽出と高温抽出

組み合わせが幾通りもできて、一つの豆から様々な味が抽出される。
深い、深い珈琲の世界だ。

失敗したな?
少し絞ればよかった。

暇な一日

行くところが無くなって暇な日が続く。
いや本当は暇ではないのだ。やるべきことが山とある。
しかし、切羽詰まっていない。それが問題だ。
切羽詰まってやろうとすると、時間がないと言い訳する。
切羽詰まらないと、やる気が起きないと自分を納得させる。
そんな日々が嫌になって、何か始めようとする。
とりあえず洋服ダンスの中を片付けた。
だいたいがウエストが79から94までのパンツがあるのだ
やせたら79は無理やり入る。
ちょっとお腹がくちくなって、少し動こうとすると94のゆっくりしたパンツを履こうとする。
だから洋服ダンスは、ほとんど履かないものだらけでいっぱいだ(?)


そんな日々の毎日に、様々なことが頭をよぎる。
少し頭を整理しようとした。

岩手山と姫神山(並んでのツーショット)

「はたらく」という言葉は「はたを楽にする」と、日本人の働き方を表していた。
つまり働くことによって、周りとの人間関係を良くするというような意味かと思う。
日本人は江戸時代以前より、働くことによって自分の技をたかめ、自身が向上し周囲に貢献をするという精神の習慣を持っていた。それが欧米の産業革命後、日本も影響をうけて、働くことによって賃金を得て、生活を成り立たせるという働き方に変わっていった。
つまり今のグローバル社会は、賃金を得るために、自分の時間を売るのが労働になってしまった。
そこには時間あたりの効率的な働き方が求められ、働くことが単なる効率化競争になってしまい
労働の楽しさを得ることが難しくなった。
本来、島国の日本人は、働くことよって周囲から喜ばれ、自分が地域社会から認められることを喜びとする人ではなかったのか?
そんな疑問を持ちながら、今の人口減少の地方都市の中小企業のあり方を考えてみると、
これからの生き方が見えてくるような気がする

つまり、物を売るのではなく、物を作った自分の技で相手との関係性を作るという生き方である。

そこには、自分の技の向上が求められ、それを認める地域の人々がいて、ものが流れるという
本来の、顔だけでなく、人が見える関係の世界が広がる。

そこは「見える範囲」という、広がっていかない循環の世界である。まさに、これからの人口減少社会の地方のあり方ではないだろうか?
自然豊かな地方都市は、これから減少スピードが増し、あっという間に限界集落になってしまう。そこには人が少なくなっていくことで自然によりそった、人と人が助け合う地域ができる。
そんな地域の核となる小規模複合融和施設を作りたいと思うその店は、その狭い地域にとって必要な業態の店であり、みんなが関わり合って新しい関係性をつくることを目的とした店である。

これからのはやり

雨降りのとき高速道路を軽自動車では、弱高齢者は危険が危ない。
と言って長距離バスでも、道路が混んで時間が読めない。
手甲脚絆で歩くのも江戸時代ではあるまいし、とんでもハップン。
足も痛いし、荷物も持ちたくない。

そんな訳で、自宅から歩いて5分の山岸駅から電車に乗って、仙台へ向かおうと家を出た。
自宅がある山岸は、駅がある。バスの駅ではない。と言っても道の駅でもない。
国鉄の駅でもない。三陸鉄道の駅だと思う。
盛岡駅から二番目、最初が上盛岡駅、そして山岸である。近い。
スムーズに乗り換えができると、わずか3時間以内で東京駅に降り立てる
東京都内にいるよりも早い。
エレベーターが動かない新宿の高層ビルの最上階から歩いて来るよりも早い。

だから新幹線と思ったが、いつものこと魔子様は、肝心のものを忘れる。
あるき始めて5分。
「まだ時間ある?」「ん?」
「携帯を忘れた」と言って、慌てて山岸駅を目前にして戻った。

仙台の目的は「饂飩」である。
読めない人のために、カナをフルが「うどん」である。
生まれて、はじめての食べ物の思い出というのは「うどん」であった。
小学校4年のときに、仙台から岩手県の北上に引っ越してきた。
まだ寒い3月だっただろうか、4月はじめだっただろうか…
家は建てたばっかりだったと思うが、同じ作りの家が何軒も並んでいて
たまたま一軒空いていた。当然である
隣が製材所だったのである。あとから気がついたが
毎日毎日、ゴオ〜っという大きな丸鋸で丸太を切っていた。
音がうるさい。
建売の住宅だったが、そこだけ売れなかったのである。
建てた建築会社が、社宅として用意したのも当然
そこへに移ってきた社員の家族が、僕らの一家だった。
明日から、うるさい毎日が始まると知らずに
静かな夜に、初めてだろうと思うが出前なるものを頼んだ。
こたつ布団が無いまま、こたつに足をツッコミ、すすったのがうどんだった。
真っ黒な汁に、奇妙にしろくて長いものが横たわっていた。
塩辛かった

それ以来だから、うどんとの付き合いは、60年になる。
魔子様よりも長いのである。
しかし、うどんの歴史は、小生の人生よりも長いようだ。



焼却炉を買いに行った出張先の高松で讃岐うどんを始めた食べたときの感動。
年末のデパートの配達のアルバイトをしていたときに先輩が作ってくれた
おっきりこみという名の煮込みうどん。
秋田の稲庭うどんを、銀座で食べたときのおどろき。
ラグビー部の先輩が、婚約者の群馬のばぁちゃんが、
あっという間にむしろを引いて庭先で打ってくれた水沢うどんの衝撃。
新入社員のときに、近くにあった「おっぴぴ」と言う名の
まだ讃岐という名は知れ渡っていなかったころ新橋のうどんや。
 
「たぬきうどん」と言って、みんなに笑われた大阪国際ビルの地下のうどんや
(大阪では たぬき=揚げがのったそば きつね=揚げがのったうどん
 はいから(天かす=東京で言うたぬきうどん)

御堂筋で食べた、豪華な美々卯のうどんすき。
名古屋へ行ったらかならず天ぷらきしめん
出張帰りは、いつも東京駅の地下の博多うどんの「ごぼ天うどん」
ミナミとキタを往復しながら呑んで、〆に屋台で食べた「三塁打うどん」
その隣で食べたデザイナーの女が注文した「ホームランうどんの麺抜き」
山梨に行ったらかぼちゃのほうとう。
博多へいったときの「かろのうろんや」
そして子供の頃、毎日のように食べた「たまうどん」
うどんの思い出は、体が重いで…というほどあるが…

 蕎麦を食べるようになったのは「池波正太郎」を読む30代からである。
そんな人生の大決算を「うどん」でしようと思う次第です(大げさ)

仙台の佐藤さんから二軒の店を紹介された。
流行っている店と、流行っていないない店紹介するから…
「行ってみな?」
二軒とも腰があって汁も美味しかったが…
自分の想っているうどんと、ちっと違う。
確かに今のはやりと、前のはやりではあるが
これからのはやりではない。
それを探しに行ったのだが…
ひょっとしたら確かめに行ったのかもしれない。