ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ありがとう!ありがとう!

おばぁちゃんが、這いながら買い物をしている。
「ありがとう!ありがとう!」と言いながら…
そして買ったものを並べ、
「いくら?」と聞く
「970円」と言うと
「あぁ良かった」と言って握りしめたクチャクチャの1000円札を出す。
30円のお釣りをもらいながら、脇の下に手を差し伸べられて、ようやく立った。
すっかり筋肉が弱っている。
「やはり食べものよね…食べものさえあれば…」
「ありがとう!ありがとう!」
を繰り返しながら、ヘルパーに支えられて部屋に帰っていった。

皺くちゃながら、以前よく店に来ていた客である。
あっという間に時が経ち、老けた。

食べものが豊富にあり、選んで買える。
という幸せに気がつくのは
歩けなくなってからのことだろう

老人ホームへの出張販売は、さまざまな気づきがある

強者で回っている社会の影に、弱者がいる
社会とは、助け合って生きる弱者のために有るのではないだろうか…

いかされて

友人から、プレゼントを貰った。
「山椒七味とかんずり、自家製の一升漬だ」と言う

味噌汁に入れて、山椒七味を味わった。
ピリッとした辛さと、ゆずの風味が香ばしい。

かんずりは、新潟の土産だ。
以前、もらったことが有る。
辛い唐辛子の発酵味噌だという。
そういえば、ここしばらくは味わったことがない。
早速、田楽茶屋の岩豆腐のステーキに添えて、いただこう!
バターで肉厚の固い岩豆腐を、じっくり焼き上げてかんずりを添えたら最高だろう

 

一升漬は、多分多くの人は知らないだろう。
寒さの厳しい東北の食べものだと想うのだが…
地域によって三升漬けともいう
「青南蛮」と「米麹」そして「醤油」が原材料で、それを各一升づつ配合して寝かす
併せて三升だから、三升漬けともいう。

なぜか「一升漬」という商品はあまり見たことがない
多分、みんな自分で作ってしまうからだろう
安代の”もとみや”は、味噌屋だが麹製品を数多く商品化している

友人は、誕生日のプレゼントとだという
自家製と言うが…何が入っているのだろう
気をつけなければ… ヤツのことだから、自毛製かもしれない。
ひょっとして怪しげな縮れたものが一本混じっているかもしれない

 

小生の誕生日は石原裕次郎と北原三枝の結婚記念日だ。(もう若い人は知らないだろう)
そう言い続けて67年。
長く生きてきた。あとどれだけ生きられるのか…

生きるという西洋的発想ではなく
生かされていると言う、こうべをさげた東洋的生き方をしたいものだ

れんこん

蓮根を持ってきた。
「横浜出身だ」という東和町の佐々木君だ。
蓮根を手堀りで掘っているという。
指先まで土で汚れて、洗っても取れないと言う
都会出身のIターンの彼は、なんでそんな作物を選んだのだろう

 

「レンコン」
その言葉の響きは、郷愁をさそう
その素朴な黒い肌が、あの沼に咲くキリッとした姿の蓮の花と結びつかない
田舎道を走っていると、時折、沼地に咲いている蓮の花を見かける
そのきれいな花の下に、レンコンがあることを想像する人は少ないだろう

桜の木の下に死体が…と言う話があるが…
蓮の花の下にレンコンが…あるのだ

レンコンは、その酸化した黒い肌を脱色するために漂白すると聞いた
今は、酸素の供給を断つために緑の青々とした葉を切除するという

彼は、葉が枯れたときに収穫して、黒いままの完熟レンコンで売りたいと言う

 

とりあえず放射能検査を…

老い

店の陳列棚を整理していた。
ふと見上げると、オバァちゃんが一人
スクッと立って、こちらを見ていた。

 

あれぇ〜何処かで見たことが…
とりあえず「あっ!どうも…」

こういうときの「どうも」という言葉はありがたい
とりあえず時間を稼いで…
誰か思い出そうとするが…

笑っているオバァちゃんは、黙っている

沈黙に耐えきれなくなって
「久しぶりですね。どこでお会いしました?
お名前は…」と言うと
「〇〇です」
頭の中が走馬灯のように回転する

「〇〇」は昔いた。日本一大きなバスケットの選手だった。
しかし、眼の前の「〇〇」は小さい。年齢もいっている。。
違う!
「〇〇」は西日本の県名だ。
違う!

そうだ!思い出した
刻まれたシワの奥底に、あのオバアちゃんの顔が見えた。
土手の上の道路を信号無視して、大きな道路を渡って歩いてくるオバアちゃんだ。
そして時折、肥料を配達して、隣の空き家の庭を耕していた「〇〇さん」だった。

そう言えば…
このところ5年ぐらいになるだろうか…
来ない。

「久しぶりだね〜。どうしていたの?」
「一人暮らし」
「畑は…」
「もうとっくにやってないよ」
「バスカードを使って生協に買い物に行っている」
「それは良かった。今日は?」
「バスカードを買いに来たの…」
「幾つになるの」
「もう90の坂を超えた」
「じゃ〜昭和2年!うちの母と一緒だ」
「もう、すっかり足が弱って…」
「しっかりしているよ」
「頭もボケて…」

と言いながら手すりにすがって歩いて登っていった。

歳を重ねて、老いは平等にくる。

しかし、そのボケ方は大きな違いがでてくる
それはいったい、どういう生き方で差がつくのだろう

母はいつも言っていた
「書道は指先を動かすから、ボケないのだよ…」
しかし、ボケた。ひどく…

知らない道

弁当の配達である。
だんだんこの頃は、固定化して新しい得意先は、あまり出てこない
だから、ギリギリまで仕事をしてから出かけることが多い。

新しい得意先は、昨今出来た「〇〇弁当」に注文が流れているのだろう
「有名店のシェフの作る500円弁当を一個でも配達する」と言う
だんだん安値競争になって、ほか弁みたいになってきた。

まぁどちらが辞めるかの時間の問題である
ひょっとしら当店が先かもしれない(泣)

弁当は配達時間が限られている
時間を、どう配分して効率化するかなのだが…
さて今回は

そういえば…あのへんに有ったな?と言う認識で
その前に集荷を済ませなければ…
と田楽茶屋で豆腐の集荷を済ませ、そして慌てて出発した。

しかし、念のためにナビをセットした。
ところが思っていた場所と違う行き先を示した
やばい

時間が迫っている

思っていたところの近くへ行ったが、ナビは、そのような場所を示さない。

もっと先へ行け!

と言う

おかしい、と思って暫く走ると、看板を掲げた建物が見えてきた

ここだ!
ところがナビは

もっと先へ行け!

と言う

おかしい、と思いながら飛び込んでみた。
担当者が出てきて

「有難うございます」と言いながら
「最近、引っ越して来たのです。以前は向にありました。」と言う

そういえば、ナビの道案内も途中で行き止まりだったりして
古い地図をベースにして案内だった。

ふと先日、一周忌で東京に行ったときに
「〇〇寺」というと詳細な画面が出てきた。
「すごいね。今のナビは…」と運転手に語りかけると

「いやぁ〜飲み屋でも新しい店ができると、次の日には表示されます」

と言う

知らない街を歩く、知らない道を歩く、探しながら歩く。
そんな楽しみは、古典的になったのだろうか…

だんだん人間は便利になって、馬鹿になっていくような気がする。

なこうど

喪中欠礼のはがきが来る。
最初に来たのは…

仲人の奥さんだ。
仲人は昨年亡くなった。

後を追うように逝った。

魔子様は「仲がいいと後を追うというから…」と言う
小生は早く逝きそうだが
魔子様は長生きするだろう

 

「仲人」という“職業?”も無くなってきた。
そういえば娘のときも、息子のときも「仲人は立てなかった」

小生の時代は、「誰を仲人に立てるか?」が大きな問題だった。
社内結婚だったが転勤直後だったので、
前の上司か?新しい上司か?
の選択が求められた。

選んだ仲人は、オイルショックの在庫過多で多くの社員を希望退職の陣頭指揮をとり責任を取って会社を移っていった。

 

奇しくも先日、不意に戻ってきた孫は嫁が選んだ「ムージョンジョン」の服を着ていた
仲人が移っていった会社は「ムージョンジョン」と言うブランドを持った子ども服メーカーだった。

報恩講

報恩講の案内を掲示するのを忘れた。

EPSON MFP image

基本的には「政治」と「宗教」と「おかしな営業」は、店内の掲示板、ブログに載せないことにしている。
が…

これは別だ。

以前、怪しげな集まりの案内を持ってきた人に
掲示を断ると
「宗教と哲学と何が違うのだ?」と文句を言われたことが有る。

また「経皮毒」を説明すると言って「シャンプーを売りつける案内も来た。
どうやら新興宗教くさかった。

間際らしいパンフレットが時々紛れ込んでくる
が…

これは別だ

 

「内山節」は小生の師匠である。
もう付き合いは長い。
師匠と言いながら、不肖の弟子である。

思っていることの何分の一も出来ないものだ。
思っていることと理解していると違う。
ということを実感している。

どんな話をするのか、多くの人に聞いてみて欲しい。

零余子

氷点下の曇り空の朝
今日はどうなるだろうと思っていたら空が明るくなってきた
なんとかなりそうだ

ひきうり三回目ともなると準備がすぐできる。
すぐできると思うと油断する
やはり商品を忘れた
というよりも、間に合わなかった。

朝、パワフルに動いて商品づくりをしないと間に合わない
それには慎重な段取りと、軽快な動きが必要だ
ちょっとした戸惑いが、時間をロスする

今週のテーマは「零余子」だ。
意味がわからない人はチラシを…

そして零余子を忘れた(泣)

裸足と靴

二人の人間に会った。

一人は問屋の老セールスマンである。
一人は福祉施設の若き代表である。

老セールスマンは、嘆いた。
「流通業界は壊滅です」
「地方の小売店は、どんどん廃業に追い込まれている」
「大手の需要先は、本社で決めてくるので地方まで回ってこない」
「仲間の問屋も、人が辞めていく」
「運賃も人件費も、どんどん上がる」

福祉施設の代表は
「施設に子どもや老人を呼び込むことをやっている」
「地域の人に、施設を利用してもらいたいと画策している」
「様々なことをしてきた、福祉タクシーや福祉弁当、
上手く行かなかったが、やり方ではなかったか…」
「地域に根ざすと、さまざまな小さな需要が見えてくる」

 

そういえば、昔、読んだコラムがある
「裸足と靴」というショートストーリーだった。
商社マン二人がアフリカに靴を販売するという特命を受けた
一人は、アフリカの現地人を見て言った
「これはダメだ。みんな靴を必要としていない裸足だ」
もう一人は
「これはいける。みんな裸足だ。いくらでも靴を必要とする」

 

たぶん大きな目で業界を見ると見えてこないものが
目先の地域の個々の訴えを塊にすることで解決することが有るのかもしれない。

ふと積雪7センチの朝、想う。