ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

物資

「ものが隅々まで届かない」とラジオ・テレビが流している
必要な物が必要なところへ届けるというのは、いくら訓練していてもその時の状況に寄る
まして熊本地震のような、ほとんど予想してない場所の場合は、難しいだろう

東日本大震災の時もあった。
うまくいった例として「遠野」が三陸への物資の供給基地やボランティアの基地として活躍した例をあげられる
しかし、多くは熊本と似たような状況だっただろう

東日本大震災から数年たって岩手の沿岸に行き「現場の所長」という行政の担当者に話を聞く機会があった。
大手の宅配業者から「ものが届かないので配達する仕事が無い。避難物資を配布するお手伝いしたい」という申出でが有ったという
「それを断った。」と偉そうに言う所長がいた
あきれた
当時、盛岡の避難物資の集積場には大量に物が溢れ、人手もあまっていたが、ものが流れない
と言う状況がマスコミからいつも伝えられていた。
当然だろう
一年に一度ではなく数十年に一度のことである
いくら訓練しても、状況と違う設定が次から次へとおこる
震災になれた人などいない、まして年に一度の訓練で熟練するわけがない

物流になれた人を責任者に据えるべきである
行政ではなく、民間の物流業者を指名するべきである
それが行政の驕りで、多くの善意や好意が無にされてはたまらん
どんな時でも、或るところから無いところへものが流れることが大事である

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そしてコンビニである。
コンビニに一日三回配送していると言う
その道路が渋滞して一回しか配達できないと言う
経営的に効率的なコンビニは、万が一の時には非効率のコンビニになった
以前の零細小売店は、在庫を抱えて商売していた
それは何か有った時に、地域の緊急物資に変わった。
そんな零細小売店を潰して、コンビニが増える
当然の帰結だろうが

日常を考えるか…
いざという時を考えるか…

両方考えないと…

 

まんがいち

すごい強風だった。

グオ〜グォ〜ギュォ〜という音が
屋根を叩く雨とともに
日曜日の午後、店中に鳴り響いた。

久しぶりに自然の脅威を聞いた日だった。
自然は素直に怖い。
自然とともに有るというが、この恐怖感には、共にあるというよりも
ただ恐れ、崇め、ひたすらに祈ると言うことだけだろう

三十年前、目の前で九十坪のビニールハウスが根こそぎ横倒しになったのを見た。
ハウスの中には収穫を待つ菠薐草が緑の絨毯を作っていた
収穫前の雨よけ菠薐草のハウスだった。
何をしたらいいかわからず、ただただボーッと風に持ち上げられ、たたきつけられるのを唖然として見ていただけである。
生まれてからその時まで、大きな自然災害というのを見たことがなかった。
目の前で自然の猛威と向き合ったのは、その時が初めてだろう
その時の風の強さが風速三十メートルと後から聞いた。
だから今、テレビで風速30メートルとか35メートルとか言うとあのすごいやつか?と実感する。

 

東日本大震災の時は、衝撃的な揺れは感じたが「津波」はテレビである。
入院していた病院のテレビは直後に自家用電源に切り替わりリアルに状況がわかった。
そのテレビの映像は、「すごい」としか言いようが無い
ただただ、自分のできることは何か?と考えたが…
自分で実感することは無かった。

 

テレビで視ることと、実際に見ることは違う
科学技術の粋を集めたテレビや映像は、他人事の劇場型体験である
そこには、「自分がそんな目にあったら?」と言う創造力が必要とされる

熊本大地震は、震源地の延長上に川内原発と伊方原発がある
地震に影響なく「順調に動いている」と報道しているが

「万が一」という創造力が働かないのであろうか…
この国は…
権力者にとっては福島原発事故も、権力のための劇場型事故だったのだろう

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木を植える

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自分の机が置いてある部屋を、書斎と呼ぶのだろうか?
しかし、そこにベッドも…洋服ダンスのようなものも…
そして多量の読みかけの本を、積み上げてあるのだが
要するに書斎兼寝室兼籠城部屋である。

その書斎兼寝室兼籠城部屋の前の南高梅が、雨に濡れて満開である。
昨年、庭の手入れをした。
植木職人と呼ばれる人たちだろうか…
三人できて、これでもか?これでもか?
と虐めるように切り刻んでいった。
とうぶん剪定をしなくても良いようだ(泣)
認知症の母親は
「さっぱりしたね。あんたがやったの?」と褒めてくれた。
南高梅は開花から、一週間になろうとするのだろうか…
おもえば小学校低学年のころ住んでいた仙台の家にはイチジクの木があった。
登ってイチジクを頬張った記憶がある。
仙台の家は、母方の祖父から借金をした父が買った(建てた)と、後から聞いた
それから北上へ引っ越したが、目立った庭の木は覚えていない
というか写真を見ても、木は植えていない
北上は社宅だった。
仮の住まいという認識だったのだろう
盛岡に移って庭の手入れを母は始めた。
ハクモクレン。紅木蓮・サルスベリ・松・ヒバと、さまざまな木を植えた
その認知症の母は、最近「仙台に帰る」と言い出している
母の仙台の実家はもう取り壊されているようだが…
以前は庭木が一杯植えてあった。祖父が好きだったようだ。

庭に木を植える
それは、そこへ定住しよう!故郷を作ろう!と言う心の現れだろうと最近思った。

書斎の前には梅の木、
そしてその横には取りきれない実をつける柿の木が…
小生が何の気なしに植えたものだが…

塗りたくる

玄米の味噌おにぎりを、研究している
玄米握りを食べようというのは大人だ
(すべて断定するのが癖だ)
だから辛口のおにぎりにしようと思う
(大人は辛口を好むと断定する)
大人は酒飲みだ!と思っている
(自分をすべて肯定している)
酒が飲めない奴は、大人ではない
(甘党の否定だ!)
しかし、そんな中、心の片隅では甘口もいるかな?と思ったりする

そこで秘伝豆の豆味噌「豆蔵」にみりんで溶かし甘口の塗りたくり味噌を作った。
そこへ薬研堀の大辛唐辛子だ。
薬研堀と言うのはよく聞く。
なんでも店の前の堀が、薬を研ぐ(すり鉢であたる?)カタチに似ていたことから薬研堀というらしい
なんだか唐辛子には、よく合う名前だ。

その大辛の唐辛子と、沖縄の島トウガラシと、粉山椒と三種類の味噌を作って塗った。
これは粘度が大切で、せっかく塗っても浸透したり流れ落ちたりする。
女性の化粧と一緒だ

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そんな塗りたくった…
大盛りに載せた

のをオーブンに入れた

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出来た

厚塗りの化粧だが…

 

旨い

醬油せんべい

貧乏性である
なんと言ったって食べ物を余すこと無く食べる性である
おかげで若いころは、三桁の体重を誇った。
BMWも…
いやBWHも常に三桁を守っていた。
裸になったら、パンツからあふれる肉が垂れ下がった。

そんな肉体を改造した!されたのが、食道がんである。
食道を除去し、食べ物が通らなくなって…
正確に言うと食べ物が詰まって落ちていかなくなって
”おなかがいっぱい”という感覚はなく、”胸がいっぱい”という感覚である
ご飯茶碗を軽く一杯食べると、もう胸がいっぱいである
よく「少食で…」と言う人は「少々食うで〜」という隠語だと思っていた
こんなので体が持つか?と思ったものだが
自分がそうなってみると、身体は持たないが
食べられないという現実を強く認識した(?)

 

そこで雪花菜だ!
唐突に意味不明の言葉が出てきたが
「雪花菜」は「おから」だ
要するに豆腐の粕だ
有機物に粕はありえない
すべて分解して循環するからである(主張)

有機物である糞尿も、昔は循環の役割の一部だった
田んぼに肥タゴがあって、よく落ちた。
人糞尿は、田んぼのそばの地中の温度を利用して熟成させているのである。
熟成すると匂いは消え、雪が降ると、どこに肥タゴがあるかわからなくなってしまう。
だから学校へ近道を…という小学生が落ちるのである。

今、糞尿は海洋投棄が多いと聞く。
海洋で捨てられた人糞尿を小魚(いわし)が食べて中魚(さば)が食べ、大魚(おおとろ)の餌になり、人間が食べる
すべて循環しているのである

雪花菜「おから)も多くは飼料である。鶏や牛豚の飼料となり、その肉を人間が食べる
その雪花菜を横取りして食べようと考えているのである
いやそれは、豆乳をつくる時に大量に出てくるのである
じゃ〜豆乳を作らなけれは良いではないか?
という問題ではない
作らなければいけない必然性が有るのだ

その時に雪花菜が出てくる
300グラムの乾燥大豆を水に浸漬し、豆乳を絞ったたら雪花菜が750gできる
つまり450gも水を含んで絞り切れないのである
この450gを絞り出すには、道具か機械を使わないと絞りだすことは不可能である
しかたがなく小麦粉を混ぜて含水率を少なくして焼く

クッキーとビスケットの違いはよくわからないが
これはクラッカーである。
ところが上に醤油を塗ったので、醬油煎餅になってしまった。
難しいものだ。
これにチリを入れ…胡椒を振って…唐辛子を散らして…

ポリポリ食べる酒のあてにしたいと切実に思っているのである。
作るのは楽しい。

美味しいおから煎餅ができるか…

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出来たのは醤油せんべいだった(泣)

もったいない

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庭に名前の分からない樹木が有る
途中から金色に光って伸びている樹木だ(奥の黄色の花びらはレンギョウだ)
ひょっとして金のなる木か?
と楽しみにしているが…
そういえば以前からうわさっている(盛岡弁)
(植えてあるということの他人形?「自分で植えたわけではない!だれかが植えたのだ!」)

母は、昔から植物が好きだったわけではないと思う
というよりも子育てに忙しくて、庭の面倒など見ていられなかっただろう
いつの頃だろうか…
多分、小生が大学のため北上の家を離れたあと、仙台の土地を売って盛岡に自宅を買った。
子どもたちも育って、何もすることが無くなったころから、植木や草花、お茶、習字などを習い始めた
50の手習いである。

いまでこそ認知症で、先ほど食べた食事も思い出せないが、このころは樹木や草花の名前を諳んじていた。
多分、今聞いても「さぁ〜、なんていうのだろうね」と片付けられるだろう

その金色の枝の木だが、魔子様がみつけてきた
母親が自分で植えた庭の樹木や草花を書き記した紙を…
色が黄ばんで、しわくちゃで、鉛筆の文字も薄くにじんでいたが、読める
しかし、肝心の金色の枝の木がどの名前か…わからない
本人が見ないと一致しないだろう
と言っても、本人も「さぁ〜」の状態だろう

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その紙の裏側をみたら、「建築士会」の通知だろうか議事録だろうか…
保険の案内が「青焼き」で書いてあった
父親宛の書類であった。

「青焼き」多分今の人は知らないだろう
当初のコピーは、原紙とコピー用紙を二枚入れてコピーするものだった。
そこには文字が青く印刷されていた。だから「青焼き」と言っていた。
コピーは「焼く」と言っていた。
笑い話のような実話だが
「これ焼いてくれ」と上司から指示されて、マッチで火を点けた奴がいる
「この伝票を回してくれ」と言われて指先でいつまでも回していた奴も…
「領収証を切ってくれ」と言った途端、ハサミを持ちだした奴とか…
小生ではない(念の為に)

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その頃は紙は貴重であった。
新聞紙で弁当を包み、新聞広告の裏をメモ帳や書道の練習用紙にし、その後も使った紙は焚付に取っておいた。
そうそうトイレの紙は新聞紙を揉んで使っていたが、トイレ用の柔らかい紙に変わった頃だった。
「ワラバンシ」という本当に藁で作ったと思われるような紙にテストが印刷してあった。

今のような真っ白いつるつるした紙は、皆無に近かった。
しかし、それは他国の森林を皆伐して作られた白い紙だったとは…

昔の人は「もったいない」「もったいない」と言って、すべてのものを大事にしてきた。
こんなに資源を浪費していると
もうすぐそんな時代が来るのかもしれない。

舞う

「雪が降った」と魔子様はよく言う

それは「雪が舞った」というのだろう
そんな降り方でも
「雪が降った」と言う。そして
「早めにタイヤ交換しなくてよかった」
この程度の雪では道路で雪は溶ける
溶けて濡れた路面では。スタッドレスだろうが、夏タイヤだろうが…
関係はない
やはり北国生まれとは感覚が違うのだろう

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7分咲きの梅は、舞った雪のあとに広がった青空に映えた

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一本桜と…

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小生の一本桜はまだまだの感じだ
ちょっとしたスキマから見える借景だったので、
誰も気が付かない一人だけの一本桜だったが…

徐々に徐々に気がついてきたのか、
昨年は何人か眺めている人
近づいていく人
カメラを構えている人が多くなってきた

一人だけの一本桜が、多くの人の一本桜になってきた
これを個人の所有ではなく、「総有」というのだろう
多くの人が、その風景や自然財産を地域のものとして見守ることを…
たぶん持ち主もそれを狙って一本だけ残した(植えた?)のだろうか…

 

その一本桜を過ぎて、豆腐料理の田楽茶屋に豆腐の集荷に行った。
豆腐の消費量日本一の盛岡の豆腐屋でも、ちいさなところはどんどん店を閉めている
堅実にお得意様を大切にしてきた店も、お得意様の高齢化と、若年層の味の変化と、
大量生産の豆腐の価格競争と、垂れ流しのコマーシャルに耐え切れないのだろう
個人の努力では、どうしようもない世の中になってきた。

そんな田楽茶屋も、最近は惣菜料理に力を入れ始めた
パートが増えて、早朝からてんてこ舞いである。

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ふと思い立って「にんにく味噌」を購入した。
舌にのこる大蒜の味が美味い
しかし、魔子様は「臭いが…」と言って食べようともしない

自宅で湯豆腐を、にんにく味噌で食べたら、美味しかった
そうだ!こんな食べ方も有るのだ…

大量生産・消費に負けない
そんなあり方のヒントを得たような気がする

 

シンプルイズベスト

いや驚いた
「保険屋さんから、入道さんを紹介してほしい」と言う
”こうさん”の子息だ。
「なんでも豆を作っている人だ」と言う

なかなかスケジュールが合わずに、のびのびになっていた。
午前中は朝定食と弁当とランチの準備で、慌ただしく時間が過ぎていく
ようやく午後になると、来客や鍼、集荷等があり、
ホッと休むと昼飯が胃袋に入り込んで眠くなる
空いた午後の時間が、なかなか作れないのである

やってきたのは背広姿の坊主男である
「”秘伝”を無農薬で造っている」
と言う

「なぜ秘伝なのか?」というと
「美味しいから」と言う

美味しいだけで、一反歩も蒔いて
「9月に枝豆として11月には青大豆として収穫して食べている」
と言う。そのレシピは…

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なんと、自分で作ったレシピを貼り付けて持ってきた。
こんなに秘伝に惚れこんでいる奴がいる
素人である。
学生時代は経済を勉強したという
経済から程遠い、豆を作りを趣味としている
いや趣味なのか…
将来のなりわいなのだろうか…
最近から、だろうか…
以前からなのだろうか…
ひょとして土をいじるというのは、人間のさがなのだろうか…
美味しいものを作って食べようとするのは…
疑問がどんどん湧いてくるなか、話が弾んだ。

経済は、世界を均一にする
そのなかで拡大が衝突し、較差が生じ、争いごとを生む
美味しい食文化は笑顔を生む
さまざまな風土の違いが様々な食文化を産み、食べて違いを認識する
三人で、ひとしきりグローバル経済と現状の政治経済の話をしたあと
一杯やりながら話をしようと言うことになった

 

彼が作った秘伝を貰った
その乾燥秘伝を家に持ち帰り
一晩水につけ、レシピどおりに熱湯で二分ゆで、塩を振って酒のツマミに…

美味い
やはり秘伝は美味い

”シンプルイズベスト”だ!

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たねとり

久しぶりに外へ出た
というか、いつもの配達や集荷ではなく、他者との関係性の集まりだ(?)
食文化研究会である。
今日は種採り農家の田村和大さんの圃場見学である。

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彼は大震災の時に東京から戻ってきて農業を始めたと言う
そして種の大切さを知り、自家採種に取り組んでいる。

以前、遠野で加藤宏泰さんという農業高校の先生が中途退職して始めた農園が有った。
その農園で見た野菜は、なんの野菜かわからないものばかりだった。
それが種取り用に作っていた野菜たちであった。
大根も…牛蒡も…人参も…蕪も…
根菜はすべて根に栄養を蓄え、十分に肥大した後、茎を伸ばして花を咲かせ、種をつける
だから普通の大根は花を咲かせる前のみずみずしい大根足(?)のようなものである
花が咲いたあとに、種をつける姿は、多くの人が見たことがない

関係ないが昔「だいこんの花」という番組があった。
”大根の花は白い”というイメージしか残っていないが、確か向田邦子のドラマだったような気がする。
そのせいで白い花と言うのは覚えているが、見たことがない

蕎麦の花が白いのは当たり前にこの付近ではよく見る
しかし、森のそば屋の高家さんいわく
「あの白い花が、蕎麦の花です」と言ったら
女子大生が
「うどんの花は、どれですか?」と聞いたという
いかに農業と食が離れていったかの笑い話のような実話だ

 

それで種取りである。
今の時代、売られている種はほとんどがF1(えふわん)である
F1というと、フォーミュラーカーレースのように思う人が大部分だが、違う
F1は、中学生の時にメンデルの法則を習った人は知っているだろう
一代交配種である
つまり、F1はその殆どが自家採種して蒔いても、同じものが収穫できない
という一代限りの種である
これは種屋が儲かるために作ったのではない
どんどん育種して美味しいもの、多収穫のもの、病気に強いものなどなど改良を重ねた結果、作られた種である
結果としてその性格を受け継がれた二代目は蒔いてもその性質は受け継がれなかった
優れた親には、駄目な息子というではないか…(?)
トンビが鷹を生んだとか…

結果として毎年種を買わなくてはいけないことになり、種屋が儲かり、農家が経費がかかる構造になってきた
ただ、それだけではない
種を自家採種する技が継承されなくなってきた
それ以上に
遺伝子組換え作物などの種は特徴を継承されるので自家採種が禁じられる方向に向いてきた

今まで農業は経費がかからない仕事だった。
種は自家採種、肥料は人糞尿や草木灰。エネルギーは牛馬や人力で、熱源は天日乾燥。
それがF1の種を購入し、窒素・リン酸・カリの化学肥料を買い、トラクターを石油で動かし、ハーベスターで刈り取り石油で乾燥させる
すべて金が無いと生産できない構造になってきた
そして人々が必ず必要な食糧だから、安く単価は叩かれ、差額を補助金で補うという構造ができた

その一番の素が「種」なのである。
それが世界の大企業が特許や実用新案で自分のものにすることに寄って、
食糧が農業が人々のものではなく、企業の利益の道具にされてきているのである。

そういうことに果敢にチャレンジしたのか知らないが(苦笑)
自家採種で野菜を30種類近く栽培していると言う

彼とはここ数年の付き合いだが…
よく考えて見れば彼の父親との付き合いが古い。
同じ異業種交流会のメンバーだった。
そんな父親との付き合いで、彼が東京から帰ってきた時に、挨拶に来てくれた

しかし、もう帰ってきて5年、実家の圃場を自然栽培で、種取りや野菜栽培で立派なカタチが出来たものだ。
若いということは素晴らしい力を秘めている
ただただ感動と感心の一日であった。

苦味が全く無い、芽が出てきた春うらら

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小岩井蕪という名の原種

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