ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

逝く春

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ワシの一本桜も葉桜になった

そして最後の八重も満開である

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いよいよ、夏が始まったような気がする

 

葉桜になると、春も終わったというのは自分だけの感覚だろうか…
桜が咲くまでの待ち遠しい時間、それが春待つ時間なのだが…
桜が咲き、花びらが散ると同時に、春は逝ってしまう

空も、夏の空の様相を帯びてきた。

賢い独裁者

政治の役割は富の再分配である
資本主義経済は拡大するという性質を持っている
貨幣経済は、富の蓄積をもたらした

昔、学生時代(高校生の頃か?)「政治経済」という科目が有った。
最近になってなぜ「政治経済」なのかわかったような気がする

政治と経済は密接な関係というか…
お互いに牽制しながら助け合う関係(?)があるのでは無いか?

原始時代、人々は家族や一族でまとまって過ごし狩猟や採取生活をしていたから一族の長は分配の権限を持っていたのであろう
その後、食糧を栽培するようになって、栽培の労働や収穫物の分配など、ますます一族の長の権威が高まった
ぞの安定した食糧に従って一族の人口が増え、食糧増産が必要となり隣地への争いへ発展し、拡大していった
その進撃の拡大は、兵站といって食糧を確保することが前提だった。
そして降伏したところを治めるには、食糧の安定が必要だった。
そこで一族の長は、負けた相手方にも公平な分配をして治めなければならなかった。
ひと山ちがえば違う価値観(食文化)の時代、同じ価値観で分け合う貨幣を必要とした
その貨幣は、食糧と違って腐らないので一族の長(治世者)によって都合がよく、それが広まった
ところが腐らないので貯めこむのもが多くなり、流通しなくなった。
そこから貧富の差が生まれてきた
それの差を公平にするのが治世者の大切な役目である政治であった。

 

大体歴史の中で政治経済の関係性はこんなもんだろう

現代の政治経済に当てはめれば
貨幣の力が大きくなりすぎて、政治も経済の言いなり(「経済優先」を叫ぶ某首相)
市場経済優先の事なかれ主義
一緒くたにする平等と言う名の悪平等
民主政治というなの多数決主義
そして選挙というお祭り

一体全体、大きくなりすぎてこんな形になったのであろう

ひょっとしたら民主主義はちいさな単位でしか存在しないのかも知れない

大きな形は
賢い独裁者を必要とするのかも知れない

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地方そうせい!

ようやく連休が終わった。
売上に期待していたが、そうでもなかった。
売上が増えるという考えが間違っているのではないか…
とつくづく思うようになってきた。
つまり、小売業の売上が増えるというのは、
日本全体で考えると下記のようなことが考えられる。

全体の人口が増えて需要が増す
若年消費者が増えて新規の需要が生まれる
給与が増えて買い換え品としてワンランク上の商品を買う
生活消耗品の単価が上がる

 

日本全体の中でも大手企業は好調、輸出関連は堅調とつたえられる
某政権与党は、従来の大企業から従業員へ、そして下請けへという金の流れを目論んでいるのだろうが
現状は従業員は、別の給与体系の派遣社員にとって替わられ、下請け工場は海外に行った。
法人税軽減など大企業重視の政策は、金が隅々まで行き渡らないのはわかっていると思うのだが…
それともパナマの預金のためやっているのか?

まして団塊の世代の大量の定年退職で購買力が減り、
若年世代は昨今でこそ就職口が有るとはいえ適材適所を求めるような就職は数少ない
また、会社も育てる余裕が無いから即戦力と扱い、その厳しさに即辞める
だから金よりも好きな仕事を選択する購買力のない若者が増えている。

大人口を抱える団塊の世代は、十分にものを持っている。
欲しいものは、将来も続くだろうという十分な年金だ。それが不安だから、カネを使わない
100円ショップや安物のスーパーで、必要な物を必要な物だけ買う
まして時折贅沢をしようと孫子を連れて外食をするだけであるが
安直に起業できる外食産業も、人手の効率化と食材の合理化で、売上が伸びるということは、
どこかが落ち込んでいるということである。
食産業は人口の数の胃袋に入る量だけしか売れないのである

何でも売れた高度成長期は、団塊の世代の成長と物不足とが重なって異常な状況にあったのである
たぶんこれから海外へ進出していく輸出企業は売上が上る可能性を秘めているが、激烈な競争の渦に巻き込まれるだろう
そして国内相手の小売業は、悪いことをしないと売上が伸びると言うことは考えられないのだろう
上層部がもめている某ブラック企業のコンビニみたいに…

売上は伸びない、経費が稼げればいいと腹をくくるしか無いのが
某政権与党の「地方はそうせい社会」なのだろう。

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得した

ランチは難しい。
いや、作るメニューではない

今日は雨だから「客は少ない」と読むか
今日は雨だから、遠くに出かけないから「客が入る」と読むか
人によってぜんぜん違う予想なのである。

これは場所によっても違う
ビジネス街なら、雨で出前を頼むとか
雨だから地下の食堂街で食べるとか…
晴れたら公園で弁当を広げるか…とか
少し腹を空かせるために遠出をしようか…とか
いろいろと食べる客は考える

 

待ち受ける店のほうは、それを読みながらも
準備万端用意をするが、それが肩透かしにあったり、大慌てになったり
日々毎日、てんやわんやである。

そんなこびる食堂も、
「今日はこんなに、いい天気なのに…」
客が、朝定食が三組
ランチが、1時までに二組しかこない
いつもは12時半頃にランチは終わってしまうのだが…
”今日はこれまでか…”と、アキラメていたら

1時過ぎた昼過ぎに、ポツリと一人の客が…
それから、あっという間にテーブルが埋まった。

「いったい、どないなっとんじゃ!」

と店主は汗を流しながら得意の皿洗い

ようやく最後の客だ!
「生卵定食!」の声

割った江刺のうたがき優命園の自然卵は

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これまた予想外の二黄卵であった。
卵を割って20年、初めての二黄卵である。

そういえば「大規模養鶏場対応の品質改良のため鶏を入れ替えた」と聞いたような気がする
「大規模養鶏場対応はいらない」とも…

(卵の双子(二黄卵)は若い鶏が産む。大型養鶏場は検査でハジクので出回ることは少ない
昔は、よく有った。二黄卵は楽しみだった、なにか得したような気分になる)

 

学習したの?

定休日の朝、認知症の母をディーサービスに送り出して、店に出かける
まずは水やりである。

定休日だろうが、雨が降ろうが、槍が降ろうが、ハウスの中の苗は水をやらないといけない。
地面に植えてあるものなら、根を伸ばして水分をつかむのだが…
売り場のハウスでは、そうもいかない。
水やりをやって失敗する人が多い。
それは毎日毎日、「大きくなれ!おおきくなれ!」と大量に水をやるからである
いつも水分がそばにあると、根は安心して伸びない。つまり養分を吸う根圏が狭くなって、栄養が行き渡らないのである。
ズボラでやらないのも問題だが、過保護で期待はずれでは、親にとっては打撃が大きい。

植物を育てるのは、飴と鞭が必要な子供の教育と一緒である。

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また葉が広がっているベコニアや、ペチュニアなどは
いくら水をやっても葉に覆われて、土まで届かない
植物に水をやるのではなく、土に水分をやるのである。
基本を教えないで、応用ばかり教える物理や数学と一緒である(?)

そこで底面潅水である。
大体が苗が植えてあるポットの底には穴が開いている。
水をたっぷりとやると、不必要な分は抜ける穴である
ところが抜けるだけでなく、土が乾燥すると毛細管現象で水を吸い上げるのである。
これをやっておけば楽ちん。後は水を足すだけでいい。
ところが、これは水分過剰で根腐れを起こす。
やはり水の管理が大切であり、気が抜けない。
人間の食教育と一緒だ(!)

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こう考えていくと植物を育てる農業というのは、教育と一緒である

まして三歳までの可愛さで子どもは、親へのすべての責任を果たすという。
苗も楽しさは最初だけで、後はただただ背だけ大きく徒長したり、体重が増えて茎だけ太くなったり、ろくなことを考えない大人のように実がならなかったり、結局、次の世代に期待をかけるだけである。
人間は、何を学習しているのか?

 

 

 

予約です

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都庁した苗を整理している

その〜あの〜出張費が異常に高い都庁ではない

だいたいが一泊20万とかいうホテルに、庶民の税金で宿泊する意味がわからん
自分の金だったら、そんなところへ泊まらんだろう

そういえばむかし、と言っても40年近く前だろうか…
このまえ取り壊した、出来立ての赤プリに泊まった。
一泊25000円だった。
フロントで記帳するときは手が震えた
廊下はふかふかで部屋は広かった。
遅く着いて早くでたので、ただ泊まっただけだった(泣)
今なら20万ぐらいの部屋だろう
なんでそんなところに泊まったのか?意味がわからん

 

それで都庁だが…
失礼「徒長」である。
ハウスには遮蔽のシートが掛けてあるので日光が届かない
それで苗は、日光を求めてただただ背伸びするのである
高いホテルに泊まって権威をひけらかす能なし知事みたいなものだ。

首を長くさせる日光というのは偉い。
日光には東照宮と言って権現様が祀られている
権現様は、幸村の大敵、家康である、
なんだか話がそれた

そんな苗の世話を無心にしていると、急に
「苗はあるのか?」と大きな声がした。
驚いた、びっくりした。驚愕した。
心臓が止まるかと思った。
心臓が止まったら保険がいくら降りるか、瞬時に計算した。
ゼロだった。掛けていなかった。

ハウスの入口にサングラスを掛けた初老のというか
定年になったばかりのというか
野球帽を被った背の高い男がいた

「驚いた!
本日は定休日で…野菜苗は予約です。
4月の後半に苗を並べると、定植適期には、貴方みたいに老化苗を植えることになります。
ロスばかり多いので、早出し競争はしません。もしよかったらDIYの店が早く並べておりますから、そちらでお求めください。」
「背の高いサングラスの男は「それはそうだな…」と言って黙って立ち去った

そしてその後すぐまた定年になったばかりのような背の高い白髪の男がやってきた。
「苗が並んでいるかと思って…」
そして説明すると
「そうだな5月の中旬か…」と言って消えた。

「当店は、早く植えて世話をしたいと言う消費者ニーズではなく、
健康な苗を育てて収穫するという本当の消費者ニーズに対応しております
今年の野菜苗は、予約です」

 

 

春の味

今の季節
弁当のご飯は、羽釜炊きのひとめぼれに、”ホロホロ”である

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”ホロホロ”とはなんだ?と言う若い人が多い。
しかし、古い人でも何だ?という人が少なくない。

「うこぎ」と言う隣との境目に植える五枚の葉をつける庭木が有る。
なんでも棘がある低木だから侵入防止の意味もあるらしい。
その若葉を「うこぎ飯」と言ってご飯に混ぜて食べる風習が各地にある。
しかし、盛岡近辺だろうか…
五加を湯がいて、味噌大根のみじん切り混ぜ、胡桃を散らすふりかけを
”ほろほろ”と呼ぶ

うこぎの若葉の季節の食べ物である。
ウコギの苦味と味噌大根の塩味と食感、胡桃の甘みが加わって春の味になる。
そんな弁当を作った。

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満開

あちこちの桜が満開になった
盛岡の南では散り始めだというところもある
しかし、盛岡北部は、まだ花びらがしっかりと風に耐えて枝にまとわりついている

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岩手山のテッペンの鷲が羽を広げたような雪が溶けた形が
岩手山の別名”岩鷲山”のいわれだという
その鷲の形のしっぽのところにあるから「鷲の尾」という酒造メーカーがある
陸羽一三二号の酒を作ってもらっているところだ。

ワシの一本桜も満開である
そばの車道に車が止めてあるところを見ると
車を降りて写真を撮っているのだろう

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店の桜も満開

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ふと気づいた。
店の桜が咲く頃、ワシの一本桜も咲くのだ
ひょっとすると店の遅咲きの八重桜は、米内浄水場の枝垂れ桜と連動しているのか…

あと10日ほどであろうか…
八重桜が満開になるのは…

米内の枝垂れ桜がいつ咲くか…

懐かしい焼きおにぎり

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焼きおにぎりが、今のところ好調である。
ある人から
「三陸復興の工事業者が前を通るのだからおにぎりを販売したら…」
という話があった。

以前からおにぎりを販売している。
それは、前日の余ったご飯を握って翌朝、味噌をつけて炙ったものである。
それはそれなりに売れたが…
続かない。
朝の忙しい時間帯に、味噌を塗って炙るというのは時間が取れない
そういうわけで止めてしまったらしい

しかし、こびる食堂を利用できない(通りすがりの人)にはおにぎりは必需品である
また小腹を空いた時に、甘いお菓子はいらないが…
と言って、口寂しさを和ませるしょっぱいお菓子も今ひとつ。
そこで小腹塞ぎの小さめのおにぎりを…

そんな想いで作ったのが
玄米味噌焼きおにぎりであり、玄米醬油焼きおにぎりである。
焼きおにぎり三兄弟で玄米の塩焼きおにぎりも、検討はしているが…
何か塗ったというテリが良いのだろう。塩焼きではテリが出ない

玄米に使用するのは、武田哲君の合鴨除草の無農薬米「きらほ」である
その「きらほ」を圧力釜でモチモチに仕上げ、握る
それに秘伝豆の青大豆丸大豆オリジナル醤油「醤次郎」を塗りたくり
オーブンでカリッと焼き上げた「無農薬玄米醤油焼きおにぎり」
秘伝豆のオリジナル豆味噌「豆蔵」をみりんで伸ばして
オーブンで味噌を炙った「無農薬玄米味噌焼きおにぎり」

昔、母にせびって作ってもらった焼きおにぎり
懐かしい味の二種類。好評発売中

コンビニで様々なおにぎりが販売されている
コンビニに出来ないオニギリを模索中
アイデア募集中

凡庸

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チュウリップが急に咲いた

突然、現れた!
忽然と!

そうなのである

突然ではない。きちんと前段階が有って、ある日、緑の服を脱いで赤い蕾が開いたのである。
その蕾を見てはいるが、それが花に移り変わる瞬間が、見えていないのである

 

人間も一緒である。
ある日突然、人が変わったように見える
変わる前の内面の変化に、気づかないだけである。

単に自身が凡庸なだけである(泣)