ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

麗しき婦人

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わかめをもらった。
磯野家のワカメちゃんをお嫁にもらったわけではない
重茂のわかめだ
重茂と言うのは「おもえ」と読む

三陸海岸の本州最東端の重茂半島のわかめだ
半島で栽培しているわけではない

重茂半島の外洋で養殖しているという
養殖ワカメである

しかし、早採りわかめであると言う
なぜ早採りなのか…
旬はいつなのか?

野菜の旬はわかっても海のものの旬がわからない
聞くところによると、わかめは3月4月の早春が旬だという
つまり旬のために、間引きしたわかめを早採りと言うらしい
野菜でも収穫するひと月前ぐらいに間引き菜として売るようなものだ

ところがこのわかめ、早採りだから茎までやわらかい
だからしゃぶしゃぶで食べるのが一番美味しいと言う

茶色のわかめがあっという間にミドリに変わるさまは、まるで幼い女学生が麗しい婦人になるよう感じだ

 

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重茂の冬の海は、波が高い
前後の船が見えないくらい高いという
ここの船酔いに慣れるには10年かかるという

しかし、このわかめの旨さに酔うには、そんなに時間はかからない
ポン酢で…生姜醤油で…
あっという間に変わる麗しき婦人を食することになる

旬は1月2月だという
今が旬である

 

 

 

 

頭に血が上る

血糖値を図っている
いや、連続して図る計器を身体に貼り付けているのだが…
それは、それとして、
その他に食事の前に一日4回(就寝前も…)”手動で測れ”という
体に貼り付けた測定器と連動して調べるという
面白そうだ

やってみよう

と思って病院で試してみた
ボールペンのようなもので、鍼が飛び出して指先を刺すのである
そこに血が滲んで、それを吸い上げると数字が出てくる
病院では一発でできた
血は余りあるほど多い!いやそれは血の気か?
それよりも血液サラサラの薬の影響で、止血が出来ないのでは…と不安を感じた

 

砂糖分は朝だけ、珈琲と一緒に甘いモノを食べるのだが、後は殆ど甘いモノを取らない
運転中に飴玉をしゃぶるぐらいか…

だから大丈夫だろうと想っていた
あとはコメだ…
それも玄米だから…

と想っていた

血糖の測定キットを持って帰って、早速店でやってみた
血が出ない
血も涙もない男なのか…

血が塊にならない
滲んで広がるだけで測定器に吸い上げるような塊ができない

最初は失敗。
二回目も焦って鍼を早く抜きすぎたのだろうか
三回目は刺さったようだが、血が出てこない
4回めは絞り出したが、「血液の量が足りません」
5回めも焦って血液の量が足りない
だんだん指が鍼の痕跡で痛くなってきた

6回目にようやく滲みでた血液を拾い集めて、ようやく数字が出てきた

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翌朝も何回も何回も刺しては、血が塊にならない、
そして固まると「血液の量がたりない」と言う表示。
もういいかげんにしろ

という感じだ

病院に行き、担当の看護婦に大声で文句を言った

指まで血が回らない
頭に血が上った

ようするに寒い時は末梢の血管まで血が回っていない
大病院のような暖かいところならいいが
いくら暖かいと言っても、店とか家ではやり方が違うという話だ

手を熱めの湯に手のひらを浸すと”一回で出来る”とわかったのは、翌々日の朝の事だった。

 

便利になって失ったもの

昔は、出血をすると大変だった
まずは傷口に塩を摺りこんで血を止め、それでも止まらない時は焼きごてをあてて火傷をさせて血を止め
それから手ぬぐいをきつく巻いて…(たぶん江戸時代の止血方法か?)

小さな頃は、脱脂綿とガーゼと包帯が欠かせなかった
傷口を綺麗に洗って、それから脱脂綿をあて、ガーゼで押さえて、包帯を巻いた
包帯を結ぶのが大変だった。不器用だから、いつも結び目がほどけた
まして、手を切った時は、片手が使えないのでますます大変だった

 

いつのころだろう日本に入ってきたのは戦後だという
それにしても目にしたのは昭和40年代の高校時代ではなかったか…
手軽に貼れるバンドエイドが出てきた
大学に入った時に、他の地域から来た人が違う名前を使っていた
バンドエイド。カットバン。サビオ、など。いろいろと名前があった。

その地方の方言かと思った

しかし、殆どは基本的スタイルで、殺菌されたガーゼが貼り付けられていた
しかし、最近はすごい
細いのから太いのから、こんな指先に巻くタイプまで発売されている

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これは便利だ
一番巻きにくいところへ独りで巻くことが可能だ。

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しかし、独りで出来ることで便利になった。
これで幼い子供は母親に巻いてもらうことができなくなった
恋人同士は、お互いに巻きあうことが出来なくなった
夫婦は、助け合うことができなくなった

いつも魔子様に言う「お〜いバンドエイドは?」
「その辺に有るわよ」とさり気なく魔子様は言う
なんでも独りでできることが良いことではない(泣)

便利になったことで失うものがある

 

しかし、これはスライサーで切った傷である

多くの人が「これはスライサーで…」というと
大きな声で「きゃぁ〜、わたしも…}
「いやぁ〜それは僕も…」
「痛いですよね…」
と、それぞれに思い出して、顔をしかめる

最近スライサーに補助の押さえが付いているが…
救急絆創膏を沢山付けたほうが、うれるんじゃない?

あみズロース

玄米をメニュー化した
玄米ご飯を1杯100円である
白米のように、おかわりはできない
できたら「すこし多めで…」などと言ってほしい
しかし、「おかわりできますか?」と聞いてきた人が
おかわりできなかった。
よく噛んで食べれば、すぐおなかが一杯になるのである

この玄米ごはんが、すこぶる評判がいい
なんと言ったって、武田哲の無農薬米きらほである。
低アミロース米だから網のようなズロースをはいているのか?と思う人もいるだろう!
ちがうのだ

お米のデンプンは、アミロースとアミロペクチンでできている
バクっというと、通常のお米(うるち米)はアミロースが20%でアミロペクチンが80%である
アミロペクチンが多いと、もちもちとした食感が味わえる
アミロペクチン100%が餅米である
餅米を毎日食べると飽きる
だからと言うわけではないが、アミロースが20%入っているうるち米が、通常の主食とされる米である
売れ筋ともてはやされるコシヒカリやササニシキは、若干アミロペクチンが多く(アミロペクチン83%アミロース17%)、あのモチモチとした食感になる

インディカ米などの長粒種は、逆にもちもちのアミロペクチンの割合が少なくて(アミロペクチン75%アミロース25%)ぐらいである。

そのアミロースが少ない、冷めても美味しいお米というのが岩手県農業試験場が開発した低アミロース米きらほ(旧名岩手91号)なのです
(なぜ高アミロペクチン米と言わないのか?不思議だ?
「低」よりも「高」のほうがインパクトが強いと思うのだが…)

ようやく昨年から県内の4農家から栽培を始め、二年目となりました
今まで当店では、”玄米おにぎり”として販売してきましたが…

時折「玄米ご飯は?」というお客様がいらっしゃいます。
昨年の二回目に参加したランチパスポートに
「もちもち玄米と野菜カレーに、旬の野菜サラダに雑穀ドレッシング」で参戦しました。
そのときの玄米が忘れられなかったようです

正月明けから「無農薬玄米ご飯きらほ」ご飯茶碗一杯(80g)」100円で提供しております。
定食を注文される方、玄米ご飯に替えることができます
ただし、おかわりは出来ません(おかわりも100円いただきます)
定食の白米は、おかわり自由です。

 

また冷凍おにぎりも販売しております。
こちらはレンジでチンすると、ほっかほっかのモチモチの玄米おにぎりが食べられます
小腹の空いた時に食べるのは最高です。

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そしてその冷凍おにぎりを冷凍庫に常備しておくと

朝ストーブの上に乗っけておくだけで(もちろん小鍋に必要量の水入れる)玄米粥が出来上がります
下記の写真は
山芋とろろに卵をかきまぜ、海苔のふりかけをまぶし。天然塩をふった玄米朝食粥
これからメニューに加えたい粥シリーズの大本命である

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我慢

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仙台から客が来た。友人たちを連れて…
時々、岩手にきたときに寄ってくれる客である。
と言っても年に1〜2回だろうか…
岩手の生産者に会いに来て、ついでに寄ってくれるのである
彼は、仙台で予約の取れないレストランのオーナーシェフである
40代前半だろうか…
聞いた話だが、テレビや雑誌で紹介され、有名人も数多く出入りしていると言う

そんな彼は、そのレストランをやめて、ぶどうを作りたいという
納得の行くワインを作るために…
そして昨年9月に店を閉めた

「どうしているのか?」と聞いたら
「芸術と融合した料理の世界を追求したい」という

あまりにも高度な説明なので納得したふりをしながら、舌を巻いた
今の若い人は偉い
今の若者は…とけなす人が数多くいるが、そうでもないのだ

小生らが若い頃は、大企業に勤めて出世することや
生産現場を務め上げて熟練した管理職になったり
せいぜい、自営で好き勝手なことをして過ごしたい

というような今になった思えば、ちゃちな夢だったが…

 

岩手は生産時期でもないのに、「なぜ来たの?」と聞くと
「いや、みんなをこの店に連れて来たくて…」
と嬉しいことを言ってくれ、言葉を続けて
「こんな意識の高い店が仙台にもあればね…
ほとんどが、売れればいいだけの店だから…」と彼は言う
「意識が高いほど、売上は低いです(苦笑)」
「しかし。こんな店も無ければ…」

我慢である。我慢。

おせち

正月、餅を食べなかった。
魔子様が、実家に戻って実家の認知症の実母に会いに行ったのである
婚家でも義母は認知症、実家の実母も認知症である。
間違いなく魔子様の将来は見えている(?)

せっかくの正月休みにいなくても不便だろう
と言う人は、何も出来ない人である
小生なんか
魔子様がいないから、さまざまなことが出来ると大喜びである
なんだか、ありきたりのおせち料理をよして、さまざまな野菜料理をベースに朝から昼から夜まで一杯やった

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圧巻は、生大根である

有るところで売っていた「シャキシャキした甘いナシのような大根」という
それを拍子切りにして

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練り梅とマヨネーズ、ハラペーニョ味噌とマヨネーズと二種類
この大根は甘くはないが水分がたっぷり入っていて、シャキシャキなのである

そして巨大だ!IMG_1059

これはいける。どうやって作ったのだろう。
たぶん凍らしてあるのだろうが…
それだけで持続するものだろうか…

そんなことを考えながら正月は過ぎた
冷蔵庫に、刺し身や肉魚が入っていたのに気づいたのは、魔子様が帰ってくる前日だった。

そして1月4日は、恒例の「天抜きそば」で一杯である。
池波正太郎の文庫本を片手に東京を食べ歩いていた時にきまって蕎麦屋でいっぱいが出てくる
焼き海苔であったり、出汁巻きであったり、板かまであったり…
その中に「天抜き」があった。
多くのものを知らない人は「天ぷらそばの、天麩羅抜き」と思うだろう。
それは「かけそば」だ。
昔一杯のかけそばと言う話があった。
年末になると母子家庭がかけそばを一杯食べる話だ。
話がそれた
そのサラリーマンが仕事始めに出勤している時に蕎麦屋で一杯やるのである
今年は定年になった友人と一緒に行った。
天ぬきをやっている店は、盛岡で一軒しかしらない。
そこで勢い良く「天ぬき!」と頼むと「今日は出来ない」と言う
えっ!なんで?
「天抜き」とは、天ぷらそばのそば抜きである。
要するに、そばつゆに天麩羅が浮かんでいるのである
浮かんだ天麩羅を箸でちぎりながら、酒を飲み、そして汁をすするのである
酒のツマミとしては汁気をとるから最高である
当たり前にあるそばつゆと、蕎麦屋の定番の天麩羅の組み合わせである
それが「今日はない」の一言で切り捨てられて良いのだろ言うか?
と言って注文とっている中居に文句を言っても詮無いことである
店をよく知っている友人は「正月忙しかったから人手が足りないのだろう」とかばってくれたが…

しかたない「オカメの抜きは?」
オカメのような中居は
「わたしだったら抜かないでください」といったかどうか知らないが
「無い」
そうだ「鴨南蛮の抜きを!」「それだったら有ります」

出てきたのは「鴨南蛮ざるの抜き」だった
ざるのタレだとすこし濃いのである。
まぁ脂が浮いているから、まだマシだったが…

結局正月三日間、餅を食べずに終わった。

 

なっとうもち

正月が明けて、こびる食堂では、お汁粉を振る舞った
いや年末に売れ残った餅を振る舞っただけだが

しかし、固くなった餅を、どうやってやわらかくするか
困った

魔子様は今まで、さまざま試してみたが…「難しい」
と言う

よし小生の知恵と力でとネットで検索した(その程度の智慧である(泣)
魔子様は
「ビニール袋にもちを入れて霧吹きで水を吹きかける」と言う
試してみたが、なかなか水の加減とレンジの時間がわからない

その内に買い物に行ったら
売っていた「硬い餅をレンジで柔らかくする容器」という
ようするにプラスチックの網カゴである
餅とともに水をかぶるくらい入れてレンジで1分と言う

これは一発で成功した
これだ!
と思ったが一回に一個しかできない
それも店のレンジは固定式なので場所によっては、柔らかくならない
これでは2〜3人きたら対応ができない
試行錯誤・思考作後しながらお汁粉を振る舞った
(硬い餅に出会ったお客様、ごめんなさい)
試行錯誤のおかげで大量に出来た中途半端な餅をどうするか
正月休みに食べられなかった
納豆餅を!

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それも贅沢なたいこばんの納豆餅だ!

しかし、納豆餅というのは、どこの文化だ?
とネットで調べたら、さまざまな納豆餅の作り方が書いてあった
どうやら小生の餅を柔らかくして納豆をかけるというのは邪道らしい

幼いころ仙台では、お雑煮の鍋の中の芹や大根がついた餅を、取り出して納豆を掛けて食べさせられたが…
食文化は、狭い範囲の食習慣であることを確認した

クックパッド

yafoo知恵袋

まんべんなく

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暖冬である
なぜ暖冬なのか?よくわからない
しかし、雪かきをしない暖冬は良い
雪かきをしないといけない暖冬は。あまり嬉しくない

つまり雪かきが、嫌いなのだ
そういえば、亡くなったコウさんが言っていた

若い時は団地で競って早起きして雪かきをしたものだが
今は、除雪車がこないと、役所に文句を言うようになった。

そうなのだ、小生も若い時は体全身に汗をかき、シャワーを浴びてでかけたものだが…
今は、痩せこけた身体で、汗がでる暇もなく外に出た途端、凍えて死んでいる
しかし、大丈夫だ、今は力仕事の魔子様がいる(?)

今週から盛岡は氷点下4〜5度が最低気温だという
そこへ雪が降ると溶けないで氷る
年末の日陰の雪がようやく溶けかかって土が見えたのに…

小岩井の雪まつりは、大丈夫か?
安比は?網張は?スキー場は…?
そして春の農業用水は大丈夫か…
水需要の90%は農業用水だという
日本は水田というすこいシステムを持っている
上流に降った雪や雨が、川や水田をつたって下流までまんべんなく行き渡る

政治は富の再分配だという
水田を満たす水システムのように、まんべんなく、行き渡ってほしいと思う
暖冬だから水不足だといって増税することの無いように…

 

乾いたモリオカである
しかし、春になればドカ雪はふる(と思う)

 

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七草粥

本日のこびる食堂の振る舞いは七草粥です

 

七草粥は正月行事として定着していますが、本来は1月7日の「人日(じんじつ)」の日に行われる「人日の節句」の行事で、五節句のひとつです。

人日とは文字通り “人の日”という意味で、中国の前漢の時代に、元日は鶏、2日は狗(犬)、3日は猪、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人の日としてそれぞれの占いをたて、8日に穀を占って新年の運勢をみていたことに由来します。さらに唐の時代には、人日の日に「七種菜羹(ななしゅさいのかん)」という7種類の若菜を入れた汁物を食べて、無病息災を願うようになりました。羹はあつもの、汁という意味です。また、官吏昇進を1月7日に決めたことから、その日の朝に七種菜羹を食べ、立身出世を願ったといいます。

若菜を食べて、自然界から新しい生命力をいただきます。

この風習が奈良時代に日本へ伝わると、年のはじめに若菜を摘んで食べ生命力をいただく「若草摘み」という風習や、7種類の穀物でお粥を作る「七種粥」の風習などと結びつき、「七草粥」に変化していきました。

そして、江戸時代に「人日の節句」(七草の節句)として五節句のひとつに定められると、人々の間に定着していきました。

また、7日といえば松の内(一般的には1月1日~1月7日)の最後の日にあたります。七草粥が定着した背景には、お正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、 青菜の不足しがちな冬場の栄養補給をする効用もあり、この日に七草粥を食べることで、新年の無病息災を願うようになりました。

 

コピペです

松の内はいつだ?

0-03年賀状を、まだ書いていない。
もう、そろそろ間引いて少なくしようか?
ただ印刷だけの人は、やめようか…

などと、毎年いろんなことを考えているが
松の内に出せば、まだセーフだ。
というので貰った年賀状の住所をチェックしている

松の内が、いつかなのか、わかっていないから大丈夫だ(?)
今の若い人は「松の内」という言葉を知っているのだろうか?という疑問がふつふつと湧いてきた。

と言っても自分も知らない(汗)
いつだろうと調べてみたら
12月13日から関東は1月7日まで関西は1月15日までとある
それは門松を飾る期間だという。

なぜ始まりが、12月13日なのだろうか?
なぜ、関西と関東は違うのだろうか?
門松とは、どんな意味を持っているのだろうか?

次から次へと湧いてくる疑問
こんな疑問を調べている間に時間は過ぎ、あっという間に出勤時間になってしまう

だから今年は、後で調べるということをテーマにしたい(?)
しかし「後で…」と言うのは調べないことに等しい(泣)

ということは年賀飾りを13日から売出し、いやその前から店頭には並んでいないといけないのか…
(勉強になった。来年は実行しよう(鬼笑)

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そうだ年賀状の話だ
認知症の母親は、以前自慢していた
「書道の段を持っている人は多い。ところがその段は民間認定だ。
だからいくらでも段を乱発できる。
文部省認定は最高が1級である。
毛筆とペン字の1級を両方持っている人は数少ない」」
母親は両方持っていた
しかし、その自慢の鼻をおるのは息子である
なんせ、自分で書いた字が読めないのである。
だからワープロが出来るまでは、人にノートは見せられなかった
一時「東大生のノート」と言ってキレイなノートが流行ったが、
小生は「小学生の帳面」という感じだった(泣)

 

結婚してよかったのは、すべて年賀状を魔子様に書いてもらったのが最大の喜びである(おおげさな…)、何年続いただろうか…
ひょっとして10年以上続いたかもしれない。
その後カシオ計算機の納入業者への押し付け販売で買わされた一行書きのワープロで、必死にタイピングを自己流で覚えた。
それから年賀状を小生の仕事になった。
面白い年賀状を…といつも考えては書いてきたが
そろそろ手が回らなくなってきた
仕事が好調なときは、私事も好調に片付くのだが
不調の時は。、全てに不調である。(大泣)

そんなトキは開き直って、いつかだ!いつか?

松の内はいつか?わからない

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