ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

替らないと換えれない

世の中、選挙である。
どうやら選挙一色と言う表現があたっているのだろう

選挙となると店の売上も落ちる。
それを言い訳にしても、上司に報告をする立場ならそれでも良いが
銀行に報告するには、言い訳にならない。

ずっと選挙で投票してきた。
選挙に直接関わったのは学生のときのアルバイトだった。
戸別訪問だった。玄関の戸を開けてチラシを渡すだけだったが…
ある家で「こんなことをしていいの?」と言われて答えられなかった。

それ以来、選挙に直接関わったことはない。
関わらないようにしてきた。
ただ新聞を読み、テレビのニュースを聞き、最近ではネットの情報を聞いて自分で判断し投票してきた。
そして、そのとおりに選挙結果がなったことが少ない。
どうやら世間大勢の人の思いと、自分の思いが違うのだろうと思う。

組織にいる人、利害関係がある人、そんな関係性で判断する人が多いのか…
それ以上にマスコミのイメージ戦略で動く人が多いのか…
現状に慣れて変化を求めない人が多いのか…

とある人が言う
「今回は誰にも頼まれないから…誰に入れたらいい?」と言う
そんな人も一票なのである。

 

地方の中小企業は
毎日の作業は、変わらない効率化を求めるが
毎日の仕事は、換わる決断の日々である

変わることに慣れないと換えられない

 

入院

緊急入院である
どうしようも、なくなった
身体が言うことを効かなくなった
思うとおりに動かない
筋肉が硬化しているのか
骨がずれているのか…
そういえば最近外からウイルスのようなものが飛び込んでくる
それだけでない
動かないのだ…

肝心のものが…

いや何、パソコンの話だ

ブログソフトが動かない。
それだけではない。
ウィルスのような変なメールが飛び込んでくる
レンボーカーソルがいつも回っている「遅い!」

 

そういうわけで救急センターと言うDr.りょう君へ、一泊で入院した。
夕方持参して、朝届けるという早業である
「飛脚」よりも早い、「クロネコ宅急便」よりも確かだ。

しかし、思えば30年前だ。キーボードに触ったのは…
それからのパソコンの進歩は、目に見えないぐらい早い
そして小生の頭は、手におえないぐらい遅い。
このミスマッチが覚える気を無くすのである。
いまだに独学で ブラインドタッチはあちこちを間違って打ち続ける。

だからバージョンアップと言うのは、もう恐怖である。
今まで慣れ親しんできた作業が、初めてのキャバクラに行くように右往左往してしまうのである。
(尚、昔キャバレーハワイは行ったことが有るが、キャバクラと言うのは行ったことがない
本当だ!。「嘘」と「専立寺の副住職の頭」は、ユッたことがない!)

だから、できるだけ昔のままでいいのだ!昔のままで…
そんなに昔でなくてもいい。「三四郎」とか…「ロータス123」とか…そんな昔でなくても
そういえば「一太郎」というソフトも有った…
野菜畑には「豆太郎」と言う「秘伝豆大豆」も有る(関係ないが…)

Dr.りょうは、「治った。使ってみてください」と言う
デスクを替えたといって。メモが書いてあった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
High Sierraのタイミングで…
SSDにかえた
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

意味がわからん
とりあえず「A」ボタンを押すと、素早く「あ」に変換する
デジカメからカードを取り出して挿入すると、画面にすぐ出てくる

以前は…
その間にコーヒーを淹れたり、トイレに行ったり、認知症の母の食事も作れたたが…
もうそんな隙「ひま」がない
そんなに急いでどこへ行く日本!

 

とりあえずパソコンライフはまだまだ続く。
のんびりと草を喰む短角牛のように生きたいと思う今日このごろ

 

 

 

 

 

 

でん六豆

店に戻ると、机の上に大きな箱のでん六豆が置いてあった
「山形の田中さんがきて、おみやげ!
コーヒーを飲んでいった。」と魔子様が言う

懐かしい、でん六豆だ。

デン デン でん六豆〜うまい豆〜

小さな頃よく流れていたコマーシャルだった
あ〜そうか…あれは山形のお菓子だったのか?

ふと魔子様に聞いてみた

「小さな頃、デンロクマメ!よく食べたよね〜」
「知らない」とにべもなく…

ひょっとして東北だけの地域限定商品だったのか…

 

山形の田中さんは、東北農家の2月セミナーの仲間である。
いや仲間だった。
田中さんはとっくに…小生は昨年、卒業した。
もう2月セミナーは何年続いているのだろう…
最初に出かけたのは平成6年の11月か…12月の八戸だった。
当時「二月セミナー」と言う名前ではなく、
農山漁村文化協会(略して農文協)主催の「中期講習」という名前だったような気がする。
それが予算不足で農文協が主催を降り、参加していた人たちが
「会費を出し合って自主的に続けよう」「毎年2月に…」
「講師の内山さんには、謝礼は少ないが…集まった会費で…」と言うと
「私も学ぶことが多いので参加費を出します」と哲学者の内山節さんは言う
招いた講師も参加費を出すという珍しい勉強会が、毎年2月に二泊三日で仙台で行われている

当初、農文協が主催だったので農家がほとんどだったが…
その中で農家になろうという田中さんや…農家の意識に近づこうという小生や…
農家以外の人も数少ないが入っていた
田中さんとは、長い付き合いである

そんな彼が昨年の岩泉の災害でボランティアにきたときに
「ちいさな野菜畑」という看板を見て「もしや…」と入ってきたのが数ヶ月前である
彼は、山形の有る町の社会福祉協議会に所属していた。
そんな劇的な再会をして、今回は留守をしている間に通り過ぎてしまった。

色々な出会いがあるものである。
また会えるだろう。

 

そういえば2月セミナーの仲間だろうか…
中期講習の仲間だろうか…
俵型のモナカである
通常、仙台のお土産だったら三色の白松がモナカだが…
たぶん宮城の南の方から持ってきたからだろう

 

 

有名な人

サイコパスと言う本を読んだ。
アメリカのトランプ大統領は、サイコパスだと本の帯に書いてあった。
トランプがサイコパスなら、ビジネスマンはすべてサイコパスではないか?
そんな思いをもって、本を買った。

昔、と言ってもそんな大昔ではない
「羊たちの沈黙」という映画をテレビで見た。
その時の博士(?)というべき主人公がサイコパスだと言う。
相反する性格が一人の人間に現れる…
その程度の知識なのだが…

 

読み進めながら、ふと今まで人生の中で、
「あの人はサイコパスだ!」と断定できることに気がついた。
30代に出会った人で、40代までつきあったが…
50代60代は、小生の思考に大きな比重を占めていた。

最初に会ったのは面接だった。
30代前半、東京から盛岡に帰ってきて面接を受けた。地方では大きな会社の廃棄物処理業の子会社だった。
彼は現場の長という立場だったが…
その仕事の内容や進め方、将来の方向性など、彼しかわからなかった
しかし、彼の上司は、彼の言うことを受けれなくて悶々としていた
そこへ飛んで火に入る夏の虫のように小生が入社したのである。
彼は辞めようとしてところに、若く生きのいいが部下に入ってきたので息を吹き返した。
かれは壮大な夢を語りだした。

当時、岩手には大きな家電メーカーの工場が進出していたが、廃棄物の処理の問題が起きていた。
大手の廃棄物を、きちんと処理をする廃棄物処理業者が岩手には無かったのである。
それを”処理しますよ”と声をかけて営業し、運搬し、中間処理をし、最終処分をする仕事だった。
彼は、熱分解溶融炉を導入し、溶融したものから金属を取り出すことを考えていた。
要するに処分費用をもらって、貴金属を回収し販売することで二重の利益をするというはずだった。
ところが処分費用は大手は納得すれば出すが、中小は出せるところが少なく、処分費用はランニングコストもでず
回収するにも、貴金属の含有率が低く到底採算に合わなかった。
(回収して採算に合うようなものだったら排出事業所がとっくにやっている)
結局その仕事は頓挫し、遅々として処理業者としての経営も上手くいかず、小生は友人の依頼で再び上京し転職した。

彼は、その後も東京にいる小生にコンタクトしてきた。
そして4年後、勤めていた会社で内紛が起き、嫌気が差したところへ彼はやってきた。
「是非、岩手に帰ってこい。面白い仕事がある」と…
彼が考えていたのは、有機農業と廃棄物を組み合わせた仕事だった。
彼は一見、学者みたいな雰囲気を備えている
落ち着いた語り口、眼鏡の奥から鋭い細い目でにらみつけるさまは、黙っていれば学者然としている
その彼の語りだす言葉は情熱にくるまれて熱い。

工場から廃プラスチックを処理費用をもらって高温で焼却しその熱を利用して椎茸ハウスを運営する
その椎茸ハウスのホダ木を堆肥に製造し、農家に販売し、自家でも野菜や米を生産し、消費者に販売する
そして処理できないような廃棄物は、溶出しないように固めて地中に埋め、
その安定した地盤に水耕栽培をし当時流行っていた水耕栽培のハイポニカ農法でトマト栽培をする
その野菜くずは、すべて養鶏のエサにし、米の籾殻や稲わらは、敷きワラに…そしてその敷料は堆肥に…
堆肥には食品工場からでてくる食品残渣や、解体した中小家畜をも混ぜ込む。
ありとあらゆるものが循環し、当時の有機農業の最高技術を集めた仕組みだった。

ころっと騙された。
いや騙す気はなかったのだろう
彼は夢を語ったのだ。
それに乗ってしまった。

農業生産法人をつくり、合鴨農法を岩手で最初に実践し、有機農業を滋賀県にいって勉強し、椎茸施設園芸を学びに島根まで行き、熊本には油槽タンクの洗浄を習いに…、焼却炉の導入で香川に…、全国各地に勉強と実習で駆けずり回ったのが40代前半だった。

ふと気がつくと、施設や仕事は、どんどん進んでいるが…
資金が続いていかなかった。
それ以上に、一つ一つの採算が合っていなかった…
結局、農業の常として単価を高くしても、自然のものだから生産量が安定しない。
生産量が増えても、客は急に増えない。
それ以上に投資金額が多くて原価がかかって、それが値段に反映できない
そして一番の問題は「いいものは、売れる」という彼の意識だった。
販売力が決定的に欠けていた。

資金を担当していた彼に経営内容を聞くと…
彼は嫌な顔をした。
それ以来徐々に離れていった。
決定的だったのは「直売所をやりたい」「毒喰らわば皿まで…経営内容を教えてくれ」といった事だった。
彼は、湯気を立てて怒った。
何故怒ったのか?わからなかった。

 

辞めたあと、彼を被告として訴訟をおこした。
裁判所の受付に行くと訴状を見るなり
「あ〜彼ね!彼は取れませんよ」と受付の事務の人が言った。
裁判所では名前だけでわかる有名な人だったのだ。

 

しかし、誰だって相反する二面性はある。
その葛藤に悩むの人間なのだが…
だんだん自分も、サイコパスのような気がしてきた。

種子

農業は産業ではない。
ということを一貫して主張している。

わかりやすく言えば「農」と言うのは資本主義社会による、「仕事」ではない
では何か?「なりわい」である。

生きていく上で、一番必要なものであり大切なものである。
それが資本主義社会の中で、他の業種と一緒に考えられるわけがない

車がなくても生きていける
電気がなくても生きていける
家がなくても…着るものがなくても…
つまり衣食住のなかで、とりあえず「食」べないと生きていけない。

生きていくと、寒さに耐える「衣」が必要で…
夜露をしのぐ「住」が必要で…
それら必要なものを作り出す「技」が必要で…
技を持たない人が交換する道具として便利な「貨幣」が必要なのである。

 

その食べものを作り出す根幹は、種である。
その種が資本主義社会の「仕事」という位置づけに置かれ、我々から取り上げられようとしている
本来は我々の「なりわい」だったのに…
種子法の廃止である

主要農作物の種子法という法律が日本に有る
主要農作物とは「稲・小麦・大麦・裸麦・大豆」である。
その種子は、各自治体に品種の育種開発が義務付けられていました。
それが廃止になる。
民間に移すことに寄って民間の活力が促され、経費が削減されるという目的のために…
民間の活力と言うが、民間の資本力と言い換えたほうが…
そして資本力は、グローバル経済のでは海外の大手化学種苗メーカーも含まれるのである
「(資本主義社会の)経済の活性化」である。

経済というのは「世をおさめ、民を済う」経世済民と言う言葉からきている
たぶんこの国の政治家は間違っているのではないかと思う
資本主義社会は狭義の貨幣経済と言うように取っている
「経済最優先」は本来の意味に戻らないといけない

民を済うなら根幹の種を守らないと…

種を守ろうという運動が有る。
種子法廃止に反対する運動である。

そして地野菜の種採りをしながら南部の野菜をつなごうとする若者がいる
そんな若者を応援したい。

 

 

体風10号

三連休の中日、それは突然起きた。

当然のこととして目覚めて朝、トイレに行く。
利尿剤を飲んでいるので頻尿なのである。
というよりも飲んでいる意識がない。
何と言っても三つの科から出されているクスリが10種類もあるのだ。
だから、その中の一つが利尿剤なのである。

睡眠時無呼吸症候群でシーパップを付けて寝るので、寝るのはあっという間だ。
しかし、起きるのもあっという間だ。
早く生活時永久無呼吸症候群にならないのか?と思う、今日このごろである。

そんな話を書こうと思っているわけではない
トイレから帰る途中、脱衣所を通り洗面所、クローゼット。玄関、温水製造装置部屋、居間、食堂、キッチンを通って、朝の珈琲を淹れようと湯を沸かし始めたときである。
(ウサギ小屋の自宅は、トイレとキッチンの距離は、3メートル前後である。要するにすべてが凝縮している家である)
ついでに母のみそ汁用に「瀬戸内海のいりこ」を、昨晩からいれてある行平にも火を入れた。

なんだか右足が生暖かい。
ふと足元を見ると、なんと血の海ではないか?
見渡した。
歩いてきた道のりの途中から、血がポタポタ落ち始めている。
何だこれは?

ふと左足のくるぶしから、蛇口からでる水道の水のように勢い良く血が吹き出して右足にかかっている。
「ウォー!これは血だ(当たり前だ)」

水流が…(いや血流か…)10センチぐらいまっすぐ飛ぶ。
散水のとき、ホースの先をつぶして遠くへ飛ばすような感じだ
笑ってしまう。

またか?
一年前、運転している最中に起きた。
飛び込んだ鍼灸院は「うちでは対応ができない。」と言って
「かかりつけの病院へいけ」と指示された。

今回は落ち着いて処置できた。
とりあえず近くにあったタオルを蛇口のところにあてがって…
それを抑えて歩く。
これはアクロバットのような歩き方である。
左足首を右手で押さえながら、三メートル歩け!ということである
人には見せられない…
第一こんな格好では歩けない。
ようするに這いずり回ってる感じだ。
とりあえずバンソウコ。タオルを巻き付けて止めないと…
バンソウコを置いてあるクスリ部屋の扉を開け、バンソウコでぐるぐる巻きにする。
あっという間にタオルが血だらけになり、こんどはガーゼとバンソウコで止め、その上からタオルを…
そんなことをやって部屋中、血だらけにしてる間に、魔子様が起きてきた。

「どうしたのあんた!」と優しい言葉かと思ったら、厳しい叱責の口調。
居間・食堂・キッチンと血の海を見つめて「どうすんのよ」と言いながら拭いて回る。
手際の良い魔子様は、あっという間に拭き終わる。
”居間食堂キッチン”も凝縮してある部屋なのだ。

「とりあえず病院に送っていけ」と魔子様に命令する。
よく考えてみたら、店に行って自分で運転して救急センターへいけばいいか…
タオルを巻き付けてその上からレジ袋かぶせ、裸足で車を運転する。
店に行き病院セット(保険証。お薬手帳・診察券・予約票・検査データー等々)のバックをもって救急へ行った。
三連休の中日の日曜日の早朝6時30分、客は二組、守衛が一人、事務は二人。空いていた。

対応した看護婦は、どんな状況か聞きに来た。
「止血だ止血。止まらない。水道の蛇口のように飛び出す」と口頭で説明する
わかったような顔して戻っていった。
そして待たせること15分。
若い研修医の部屋に招かれた。
「とりあえず傷口を見ましょう。見ないと話にならない」
「血が飛び出しますよ」
「見ないと…」
恐る恐るタオルを剥がし、ガーゼを徐々に広げると…
止まっていた。
「あっ!止まっている」といった途端

ビューと血が吹き出した

研修医と看護婦は「本当だ!」と言って飛び退いた。
「冗談だと思ったら本当だった」二人で口をそろえて言う。
「こんなの初めてみた」

そして「これは…」と言いながら「要相談ですね」と言いながら奥へ消えた。
しばらく待たせて先輩の研修医が現れた。
溜まった血が、なくなってきたのか…
水流(血流?)は細くなり、ダラダラと濃い血が流れて止まった。
先輩の研修医は「静脈の血ですね、糖尿で皮膚が再生できず、かさぶたが治らないのが原因です」と言う

左足の踝(くるぶし)のところの瘡蓋(かさぶた)が一向に治らないのである。
そこへせき止めていたのが体液が、瘡蓋が破れ一気に崩れ落ちたようなものである
台風10号の岩泉のようなものである。

破れた後は、すっかり体液が抜けてきれいな色の足になった。
それまでは、むくんだドドメ色の象の足だった。

めでたしめでたし

店では魔子様が、客に言い訳をしていた。
「すいません今日の朝定食は、店主が病院に行っているので、玄米が炊けません。昼には出来ますので…」
「朝定食の玄米を食べにきたのに…」と言って帰った客もいるという…

福島のもも

福島の桃が入った。
と言うか…

市場の入荷明細に福島の”川中島白桃“が載っていたのである。

それも大玉である。それも格安である

コレだけ悪天候の中、色づいた桃が一個200円前後で市販されている。
風評被害か…

「福島のもも」というブランドがコレだけ安いという仕組みを知りたいのだが…

EPSON MFP image

当店の放射能測定室で測定したデーターは、放射能は検出されていない。

「大丈夫だ」
「味も遜色ない」

翌日のチラシには、市内スーバーの殆どで安売りの目玉になっていた。
当店でも、今日売る分が、あとわずかしか無い。

福島の農家が、かわいそうだが…
それにとばっちりを受けた地元の桃生産農家は…

 

いつまで続くのか…
この震災事故の原発の影響は…

米どころ福島では、今年も米の全量全袋検査を実施するという
費用が60億円も、かかるという。
米の出荷額が500億〜600億だから全体の10%がコストだという
それは東電が持っていると言うが…
国の支援を受けた東電であるから国の税金だ
すべて国民の負担である。
測定下限値未満が、ほぼ100%だという

食べものの基準値が100ベクレル
それに対応して測定下限値を25ベクレルで測定している

その基準値が正しいのか…?
は、わからない

それでは、その数値で納得するのか…
国民すべてが、納得するのは難しい

 

やはり表示なのだろう
①国の基準は通った。

②国の基準は通ったが、また個別に測っている。

③測定機関の測定装置から…測定精度から…測定値が正しいという証明が第三者機関になされている

このような三段階で流通させるべきだろう
あとは買う人(消費者)の判断だ
業務用の大量品は、「福島産」という表示を隠して流通していると言う噂もある。

表示で納得できないと言う人は、個人を特定して買うべきだ。

そして、やはり50歳以上の高齢者の肉体は
以前からの放射能や食品添加物にとっくに汚染されている
これ以上ガンが進行しても問題ない。後は楽に死ぬだけだ(?)
なんと言ったて、原発推進を黙って許してきた責任が有るのだから…
「積極的に食べるべきだ!」という主張は、小生だけだろうか…

豆蔵

得意先は、聞いた?
「どういう関係で知り合ったのですか?」

長年付き合っているが、なぜ関係ができたのか?
それが恋愛関係なのか?
愛人関係なのか?
そういう問題ではない

大黒味噌醤油との取引関係ができたキッカケである。

軽米町の大黒味噌醤油との関係は、思い出そうとして思い出せないほど深くて長い関係だ(?)
たしか…

”タイマグラばあちゃん“の映画監督の澄川さんから、
「バァちゃんが亡くなったので家に残っていた味噌を処分したい」と電話があった。
当時、野菜畑を開店して数年経ったときだった。
当時は、その映画も知らず、
タイマグラという地名も、どこにあるのか?
どこから行くのか?も知らないまま、現地に行ってみた。
そこは早池峰の北山麓だが、森奥深い丘の上の家だった。
数人の男がいた。そこに住み着いた人たちだった。
桶に味噌が入っていた。
なんだか黒ずんでいる味噌である。
「なんとかして欲しい」と請われたが…
臭いといい、見た目といい、売れる代物ではなかった。
「袋詰め、してくれれば…」と言葉を濁しながら、周辺にあった人参や馬鈴薯をもらってきた。
そのときに、岩手の豆味噌を初めて知った。
というよりも味噌には米味噌・麦味噌・豆味噌と三種類あり、岩手の県北部や山岳地帯は豆味噌の文化だと知った。
味噌玉という大豆を煮て玉にしたものを天井に吊るすのである。
そこに麹菌が着いたものを天井から降ろして塩と一緒に漬け込むのである。
いろいろな人から聞くと、豆味噌は岩手県と愛知県の八丁味噌ぐらいしか無いと言う
そして残念ながら味噌玉を天井に吊るすのは、不特定多数の人に販売する生産方法として認められていない。と言う

当時タイマグラの民宿フィールドノートでは、ばぁちゃんから教わった味噌玉をつくりながらお客と一緒に味噌を仕込んで分け合っていた。
フィールドノートの味噌仕込み

フィールドノートのように個人として仕込むのは構わないが、
野菜畑のように不特定多数の人に販売するのは駄目だという
そこで入道は悩んだ。
なんとか豆味噌の文化を残さなければ…

そんなときに軽米町の古里斉が「おらほの味噌屋は、豆味噌を作っている」と言う
それなら、それを扱おうか…と思って大黒味噌醤油の豆味噌を販売を始めたのである。
しかし、その豆味噌は、もう一つ売れなかった。
味がしょっぱいのである。それと豆味噌特有の香が気になった。
とりあえず並べてはいたが…

そんなときに10年前になろうか…
秘伝シリーズの商品開発が始まった。
とりあえず味噌のラインナップは、
「米蔵」米味噌、
「およね」20割米麹味噌(秋田で言う高級味噌)
「豆蔵」豆味噌
の三種類を作った。

こびるコーナーだった、食堂部門は「こびる食堂」に格上げして
味噌汁は豆蔵に一本化した。
なぜなら豆味噌特有の香が出汁と相まって何とも言えない豆の香となって生き返ったのである
そして塩っぱさも、量を調整することで解決をした。
かえって使用量が少なくて済むという節約効果をもたらしたのである。
それでも自信を持って販売しているのは、ここ三年ぐらい前からである。

それまでは豆味噌は岩手の文化だと言いながら、
「時代の流れか…」と味噌汁を飲まない若者や、ご飯を食べない家庭、
和食を遅れているというような洋食珍重文化などで強い気持ちを失いかけていたのである

やはり地方は豊かな自然に恵まれた必然性の食文化を掲げないと…
米の取れない岩手は、豆味噌であった。

軽米町の大黒味噌醤油では。今は夏はオフシーズンである。
冬に作った味噌の発酵を促進し
夏を越した味噌を袋詰にしている作業の真っ最中であった

100年以上使用している木桶
もうタガを締める人はいないという
納豆を食べた人は入れない麹室
29年2月に仕込んだ豆蔵出来上がりは夏超えした10月頃か…

カーレース

出張である。
先日は、西へと西和賀にいった。
今回は北へ。軽米である。

正式には、九戸郡軽米町円子である。
いたるところに”九戸政実の生誕地”という看板がかかっている九戸村の先である。
円子というと、静岡の丸子が江戸時代から、とろろで有名であるが。
こちらは円子(まるこ)同じ呼び名だが…(?)

盛岡から北へ100kmある。車で1時間半から2時間の予定だ。
高速に乗れば早いが、それでも20分ぐらいの短縮にしかならない。
まぁ空いている田舎道だから高速のようなものだ。ネズミ捕りや白バイに見つからなければ…
100kmといえば東京から箱根付近まで、大阪でいえば梅田から姫路ぐらい間の距離である。
都会では長距離だが、田舎では曲がりくねっているが…大したことはない。
久しぶりの出張だから、事前の準備を万全にして出かけた。

“完璧だ”
余裕のある出発時間、心は浮き立った。
20kmほど走って、頭の中でシュミレーションをした。
あのコンビニで、添加物だらけのおにぎりを買って…
麦茶は持ってきているから…
ふと財布の中を想像した
そういえば、昨日の定休日に病院に行き薬局で「2700円!」と言われ
3000円を出した。300円の釣り銭をもらったが…

えっ?財布の中には300円しか入っていない?
そんなばかな?
高速を一部使う予定で、出かけたが…

信号で停まった時に、財布を調べた。
どうみても300円しか無い。これでは高速に乗れない
高速に乗れないなら時間がない。
余裕が、すばやく焦りに変わった。
昼飯も食っている暇ない。というよりも300円は使えない。
ナビの到着予定時間は、待ち合わせ時間の2分前を指している。
アクセル全開、ブレーキが見当たらない。

前の白い軽トラを車間を縮めて追う、軽トラは横に避けて前が空いた
軽の乗用車が前を塞ぐ、どんどん追い込んで後ろから煽る。
枯葉マークのセダンがのんびりと走る。警笛を鳴らしながら追いかける
どんどん抜かして、車をすすめる。
後ろから、追いかけてくるのがいる。
ふりむかないで、アクセル全開
いつの間にか振り切った。

なんとか待ち合わせ時間に着いた。(ホッ)
心臓に悪い!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

帰りは余裕である。と思ったら、保育園の迎えの時間が迫っていた。
こんどは1時間半で、帰宅時間で混雑している街中を戻らないといけない

ここで大胆な判断をした。
オスプレイで行くことにした。
垂直離着陸である。
そんなバカな事はしない!出来ない

遠回りをすることにした。
混雑している街中を信号待ちして通るよりも、空いている田舎道を飛ばしたほうが早く着く。
もち時間は1時間。街中をいけば70km。回り道をすれば85km。さて、どちらがはやいか…

後は、アクセルが好調かどうか…
と思ったら前に、大きな車がいた。
長ボディーの4トントラックが、スピードは出しているのだが70km/Hぐらいだ
こちとら100km/Hは出したいのだ。
蛇行している先が見えない道は、追い越せない
ときおり対向車線に車が、ひょいとあらわれる
ようやく抜け出して…
と思ったら、後ろから黒のレクサスが追いかけてくる
「なんだあれは?覆面パトカーか…」と思いながら、後ろをチラチラ
ようやく早坂トンネルに入る

トンネルを抜けるとそこは高原であった
寒かった

高原の道なりの蛇行道路を…
車の底が抜けるほど、アクセルを踏み込む

レクサスは遅れをとる
「ざまぁ〜みろ!こちとらNボックス+だ!」
斜面が濡れている!すべる〜!
急カーブの連続だ!右に左に車輪が浮く!
体重で押さえつけるが、残念ながら体重が軽い
あの以前の100kgを超える体重が欲しい
と思いながら早坂高原を下った。

ふと後ろを振り返るとレクサスはいなかった。

店について魔子様は言う
「すぐ行くわよ。保育園の延長料金が取られるから…」

どちらを帰ってきても。同じ時間だった。
愛車のNボックス+は、湯気が立っていた…

ひげき

西和賀に行った。久しぶりである。

「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」

という小説の始まりは、西和賀の山伏トンネルにこそ、ふさわしい

無駄な公共工事には厳しい入道であるが、この山伏トンネルと、岩泉に向かう早坂トンネルは、
「なぜ?もっと早くに出来なかったのか?」と問いたい

このトンネルのできる前は、しかたなくつづら折りの坂道を上り下りした。
仕方なくである
できれば、上り下りしたくなかった
急坂のつづら折りだった。
崖の端に、道路がへばりついているような道だった。
雪の凍結した道ならば、ブレーキを踏んでも、ずるずると車が下がっていく
ハンドルがきかない、つづら折りだった。
たぶん大勢の人が、崖から落ちて亡くなったことだろう。

 

それでも、冬の間に何往復もした。
行く用事が、たくさんあった。
最近、行かない

用事が、なくなった

というよりも、用事を作らないようにした。
出歩かないで済むようにした
おかげで売上が減った。

出歩くと、売上が上がるが、経費もかかる。
用事も増え、仕事なのか?ボランティアなのか?
と深く考え悩む日々となる

 

それでも西和賀というか沢内は、好きなところだ。

沢内の代表的な風景だ
道なりの直線道路、奥羽山脈の頂上付近を走っているので低い山並みに見えるが標高は高い、
片側には防雪の柵、道路から離れた家、道路のそばにある作業小屋
秋田との境の豪雪地帯で、自然とできた風景なのだろう

最初に来たのは、小学生か中学生の冬休みの記憶がある。
オヤジは、建築現場の現場監督をしていた。
中学校の現場事務所に、大雪の中、二階から出入りしていた
道路には、垂直に雪の壁が立っていた。

いまでも名残りに二階の出入り口のようなものが家に、はりついている
そして除雪のためのスペースが、家と道路の間に広く設けられている。

昔は、陸の孤島と言われていた。
今、「除雪は西和賀を見習え!」と言われるほど、冬道はスムーズである
おまけに山伏トンネルも、あっというまに通り抜けることができる

 

無駄な公共事業が多いと言うが、必要な公共事業もあることは確かである
「最初に予算有りき」の公共事業に反対の声が出ると
元県職員は言う
「コレをやらないと、死人が出ますよ」と言うと
首長や議員は、「反対できない」と言う

沢内の歴史は
子どもが病気で背負って豪雪をかき分け麓の病院に着き背中から下ろしたところ、凍死していた
という悲劇を聞いた
「活雪(カッセツ)など雪をいかに利用するか…」で工夫をこらした故佐々木覓(元西和賀農協組合長)は言った
「条件不利益地帯と言う言葉は無い」という深い言葉を噛み締めたい

 

こんどは人口減少と高齢化する過疎地の山村という悲劇に、どう向き合うのか…
大きな発想の転換が求められるが…

3 / 22512345...102030...最後 »