ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

循環

巨大台風による大停電、局地的豪雨による大水害、暴風雨による竜巻や突風、
多くの異常気象がニュースで流れる。
気候の大変動の予兆としか考えられない、

先日の9月20日「グローバル気候マーチ」が全世界で行われ、多くの人が参加したという。そしてこれを企画した16歳の少女グレタ・トゥーンベリーさんは国連で「経済発展が、いつまでも続くというおとぎ話」というスピーチをした。
確か似たような話をした覚えが…

探してみたら2000年(20年も前の話だが…)世界の環境問題を提起しているワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンを岩手県に招いたときに青年会議所が開いたシンポジウムの同時通訳をしていた枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)のブログが出てきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これまで通訳として、数百のシンポジウムに参加しています。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン氏を招いてのシンポジウムだけでも、数十回を数え ます。基調講演はともかくとして、本当によいパネルディスカションに出会う機会は、実はそれほど多くありません(それだけに出会えれば感動します)。
 パネルに参加することで、レスターが新しい知見や見方が得られたか?これまで本にも講演にも出てきていない、レスターの新しい知見や見方を引き出せたか?これらがイエスだと私は「良いパネルだったなぁ」と思います。

5月25日の「エコ・フェスタ2000 in 盛岡:環境フォーラム」は、私の「レスター史」に残る、とてもよい会でした。うかがうところによると、岩手県と盛岡市がお金は出しているが、口は一切出さずに、まったく実行委員会に任せてくれているとか。こういう、行政がお金を出しているときにありがちな「県や市の代表者の挨拶」も一切ナシ。
 司会者が「本日は増田知事も聴いていらっしゃいます」と告げただけ。実行委員長の飾り気のないご挨拶だけで、開会して5分後には、
get down to business:本論に入ったので、通訳ブースでも「やるねぇ」との声。事前の打ち合わせも、形式的な打ち合わせではなく、実行委員の方々がどういう思いで、何を目的に、この会を開催されているかがレスターによく伝わったので、レスターは用意してきた講演内容を半分ほど入れ替えて、要望に応えようとしました。これも良かったと思います。

パネラーは、小岩井農政の野澤常務、宮沢賢治研究家で福祉バンク事務局長を勤める牧野さん、それから「小さな野菜畑の大きな百姓」こと小島さんでした。

小島さんはユニークなご経歴の持ち主で、拡大経済社会の先兵として20年近く営業マンと勤めたあと、農業に入られた方です。農業でも「効率生産、付加価値 販売」で利益が上がると思っていたのに、悪戦苦闘の連続で、その中で、農家直売所を立ち上げ、身土不二という会を作られました。「身土不二」は、仏教では「しんどふに」、東洋の食哲学では「しんどふじ」と読むそうです。その心は文字通り、「身と土、二つにあらず」。
仏教では「地域の風土と共に人間の存在はあるのだ」ということ、食哲学では「地域のものを食べることが体にいいのだよ」と説いている言葉だそうです。

私は小島さんのお話に大変感動したので、かいつまんでご紹介したいと思います。(あの大きなお体から醸し出される、何ともいえない優しい温かい雰囲気はお伝えできないのが残念ですが)小島さんは「環境問題は、拡大経済社会の産物である」とおっしゃています。多くの人が「大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が環境問題を起こしたから、これからは循環型社会を」と説いている。が、循環型社会がどういう社会なのか、理解できていない人が多いのではないか。
小島さんは、内山節という哲学者に価値観を変えられた、とおっしゃっていますが、この哲学者は、「循環型社会とは、生産力が増大しない社会」とおっしゃっているそうです。
でも、生産が増大しない社会を皆さんは想像できるでしょうか?と小島さんは問いかけられました。売上も利益も給与も、税収も増えていかない社会ですから、今の企業や行政のシステムの全否定に繋がる、と。
企業は銀行から借金をして投資をして、利益の増大を図るという手法、行政は公共事業という投資で民間の活性化を行い、税収を増やすという手法はすべて否定されるのだ、と。
これまで拡大経済社会に生まれ育ってきた私たちが、そこから抜け出るには大きな価値観の変換が必要となります。
ところが、循環型の産業がひとつあります。それが農業です、と小島さん。単位面積当たりの収量は年を経ても増大しないし、20才の人間が作っても40年農業をやってきた人がつくっても、大した差はないという産業だ、と。
コメは理論的には10aあたり最高24俵取れるというそうですが、そうすると、翌年には地力の収奪のため収穫が皆無になるとか。つまり農業にとっては、安 定して一定した量を収穫できることが最高の技術なのです。まさに循環型社会を象徴する産業ではないでしょうか、と結ばれたのでした。

小島さんのグループ「身土不二いわて」は、食の安全や農業の将来を思い、地域自給や環境を考えて、市民と農家が交流する会だそうです。
これまでのプロジェクト、名前を聞くだけでもとても面白そうです。「賢治の米を作ろうという陸羽132号の稲作体験」「手前味噌のダイズを作ろうというダ イズ栽培から味噌造りまで」「林檎の花見」などなど。その他講演会など、農家と市民がいっしょに学び遊ぶ場を作ろうと一生懸命やっています、とのこと。

パネルディスカションの中で、小島さんに「が〜ん」と目を開かされた気持ちになった言葉がありました。「有機農業は、消費者に安全な食物を届けるためではなくて、土地をどう持続可能にするか、ということなのです。ですから、輸入有機農産物は、日本のためにはなりません」。
「循環型社会」といったときに、資源やエネルギーの循環のみならず、「栄養素」の循環も非常に重要な側面であることは認識していましたが、さらに教えていただいた思いです。

岩手県には、町内あげて栄養素の循環に取り組んでいる(人や家畜の廃棄物を堆肥にして、土に戻し、その肥やしで育てた作物を、その町で食べるようにする)取り組みがいくつかあるそうです。
栄養の循環を考えると、各地で小さな循環を数多く作った方が、輸送などのエネルギーを考えても、望ましいのです。レスターもこのパネルで「顔の見える農業」という言葉を使いました(瞬時にそうだ!と思って訳したので、英語でなんて言ったのか覚えていませんが。
身土不二。良い言葉を教えていただきました。
^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここまで引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ラグビーの精神

ワールドカップのラグビーを見て、違和感を感じる人がいる。

日本というチームなのに、なぜ外国人が異常に多いの?
単なる助っ人?
それとも、何人までと決まっているの?という違和感だ。
小生も以前は、そういう違和感があった

これは、スポーツの歴史と文化の違いの為せる技である。
中世のイギリスで、手も足も使っていい原始フットボールというゲームが生まれ、
1800年頃は、ハイスクールが各校で独自ルールをつくって行われていた。
ラグビー高では、エリス少年が1823年にボールを抱えて走り出したのがラグビーの始まりと言われている。
1863年、イギリスで共通ルールを作ろうという動きがあり。
手を使っていけないサッカーという競技と、
ボールを抱えて走っても良いというラグビーの競技が別れた。

ちなみに「万延元年のフットボール」という大江健三郎の代表作と呼ばれる小説が有るが、
多分、サッカーとラグビーが別れた経緯を書いた小説だろうと思って
高校生の頃を買いもとめ、本棚の隅に積ん読して未だ読んでいないのは小生だ。
万延元年は1860年。

サッカーとラグビーが別れた1863年ごろ、日本は江戸幕府から明治に変わろうとしていたころだ。
そしてイギリスは、領土を増やすために庶民地をどんどん増やしていった。
その植民地対抗で、ラグビーの競技が盛んになっていった。
国ではなく、その地域で、その人達が楽しむスポーツとして…
だから地域のクラブスポーツという意味合いを持っていた
今の強豪国は、英国自身も4つの地域に分かれ(イングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランド)
そして植民地(ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ)
そして隣国のフランスが、8強と呼ばれているが…

よく言われるがラグビーの精神は
試合が終わればノーサイド(敵も。味方もない)
一人が皆のために、皆が一人のために…(one for all all for one)
植民地政策から品格有る撤退を成し遂げたイギリスの精神

国民の代表である野党やマスコミ、そして被災地と真摯に向き合い、
周囲の国と仲良くしながら、大国に媚びず、単なる勝ち負けにこだわらず、
そんなラグビーの精神を見習う日本の政治に期待するだけである。

飲水思源

やるべきことが沢山ある。
しかし、とっつきにくいと言うか、取りかかれない。
こういうときに、すぐ他人のせいにする悪い癖の入道である。
今回はワールドカップのせいである。
9月20日に始まって、まだ5日も立たない、最終が11月3日だというのに…
面白すぎるのである。
いつもいうが、サッカーは動きがなくて、トイレに立った時、点が入る
ラグビーは、トイレに立つヒマがない。
利尿剤を呑んている初老の男は、ハーフタイムまで我慢するしか無い。
トイレに立つ瞬間に試合が動くのである。
油断も隙もない。

昭和40年代は、戦後のスポーツは体力増強と団体規範のような運動だった。
中学校・高校と全員授業後の部活に入るシステムになっていた。
県立高校に入った小生は、当時中学校の授業でならった、サッカーをやろうとおもった。
中学のサッカー部の連中に誘われたからである。
ところが岩手県の高校には、あまりサッカー部がなかった。(あったかな?)
外で大きなボールを投げたり蹴ったりするのは。ラグビーだけだった。
しかたなくラグビー部に入ったのが、最初の出会いである。
当時、ラグビーをやるのは工業高校だった。商業高校は野球だった。
どちらかと言うと就職に有利ということで職業高校が運動部が盛んだった。
だから試合をすると、普通高校はいつもボロ負けだった。

大学も、入学式に先輩に見つかり仕方なく、ラグビー部に入った。
4年間アルバイトと、ラグビーに泥まみれに毎日だった。
その頃であろうか、大学ラグビーが人気になってきた。
大学が名前を高めるために運動部推薦の枠を設け優秀な高校生をきぞって入れた。
そして野球は早慶戦。ラグビーは早明戦がもてはやされた。
そこへ彗星のように現れたのが早稲田の宿澤弘朗であった。
埼玉出身の彼はラグビ−選手とは思えないほど身体が小さかった。
しかしそれ以上に体力任せの推薦入試のラグビー部の中で、
難関の早稲田の政経学部に一般入試で入った秀才だった。
当時日本選手権は、大学と社会人の優勝者で争われ、彼が2年と3年のときは日本一に輝いた。(4年時は学生選手権で明治に負けた)
その彼が大学卒業して銀行に勤め、ラグビーから足を洗ったが、
その解説や分析力を請われ。日本代表監督となった。
その緻密な情報収集力とチームに自信を与える言葉は未だに色褪せない。
そして1989年5月28日秩父宮で、初めて8強のひとつスコットランドに勝った。

彼は銀行で専務まで上り詰め、亡くなった
彼とは、同じ世代である。
「水を飲む時井戸を掘った人を忘れず」という。
ここ数年の日本代表の活躍は彼から始まった

彼の座右の銘
「努力は運を支配する」「勝つ事のみ善である」

穴場

木伏緑地「きっぷしりょくち」

「木伏緑地」へ、行ってきた。
こんな”緑地”聞いたことがない。
どこに有るのだ?
木と言う名がついているから山か?
と思ったら、川のそばだった!
この前、新聞で話題になっていたが…
PFIという市民公募型の施設で
「トイレを作ると言いながら、飲食店ができている」
と言って…商店街から、横槍が入った!
と問題になった施設の公園だ。

一回通ってみると「なるほど、これは面白い。」
ひょとして、企画書に説明は有ったが、気が付かないというか
問題にするほどでもないと、たかをくくったのか…
しかし、”良くできている”「これでは、客が流れる」と慌てたのか…
この発想は、昔の人というか…常識人と言うか…公務員とか…
商売人というか…経営者にはない発想だ。
 まず土地が細長い、車が入れない、入りにくい。
 川が近い。ダムの放流 増水。反乱するとどうなる?
 店が狭い(コンテナハウスのため)
 ウッドデッキは、借景として河川敷の芝生があるが…
 雪の冬場や、雨のとき、カンカン照りの夏も使用できない
色々と考えると、従来の飲食業の立地条件としてはマイナス要因ばかりである。

しかし、考えようによっては、イケるかもしれない。
まず雰囲気がいい。ビルの谷間にあった、川の流れが見える場所である
盛岡は、世界で一番という友人がいる
それは親水性である。川と親しい。通常川に落ちないように柵が設けてある
ところが中心部で合流する北上川・雫石川・中津川と三本の川は、川辺に降りられるようになっていて、できるだけ柵を作らない工夫をしている。
まして中津川は、海から200kmも鮭が上ってくる川で
秋になると、橋の上から覗き込んで見るのが名物だ。

近頃は、こだわった飲み物・食い物が、ちまたに山ほどある
雰囲気も和風・洋風から、なんでもあるといっても良い。
ところが風景は、ここにしか無いという唯一無二の場所である。
こんなところで
静かにぬか漬けで、モッキリを傾けたい、
安いビールで焼き鳥を…
川を見ながら、上司の文句を忘れ
家に戻って、聞きたくない嫁さんのグチを聞く準備をして
いっぱい呑んで帰りたい
サラリーマン時代のころ、よく行った穴場を思い出した。

グローバル気候マーチ

一人の女の子が、初めたという。スエーデンの女の子だという。
高校生のグレタ・トゥーンベリさんは、昨年8月から毎週金曜日に、
学校を休み、国会前で一人、気候変動対策を求める抗議を初めたという。
そのスクール・ストライキに参加し、フライディ−・フォ・フューチャー運動の参加者が、世界で数百万人になったという
今年の9月23日に国連気候サミットに、その声を届けようとSNSで拡散し、
9月20日、グローバル気候マーチを開催する動きが、世界中に広がった。
それを見た金ケ崎の女の子が、フェイスブックで呼びかけた。

行ってきた。
集まっているのは20人ぐらい。ほとんどが20〜30代
見かけた顔が二人。
取材のOさんと、三陸の海を守る会のNさんである。
そういえば、再稼働反対の会も女性がスタートだという
20代30代の若い女性の行動力には脱帽だ。(ついでに脱毛?)
再稼働反対の会は、警察も厳しい対応をしたが、今回はフレンドリーだ。
デモは道の真ん中を歩かせてくれる。
警官が5人もついて信号や車の対応をしてくれる。
言葉遣いも丁寧で、にこやかである。
なんだこの違いは…

途中、横断歩道で停められた若い女性は
「横断歩道で立ち往生させられて…」とブツブツ言っているのが聞こえた
20〜30人の紙製のプラカードを掲げて踊り
ビートルズの「all you need is love」を流しながら歩く集団は
奇異に移ったようだ。何が通っているのか…、不思議なものを見るような…
最後は、開運橋のたもとの河川敷から、
橋を渡る人たちや、土手を歩く人達に、下から呼びかけて終わった。

グローバル気候マーチ?開運橋編
階段が降りれないので上から目線

この気候危機への緊急対策をもとめるグローバル気候マーチにしても、原発の再稼働をにしても、若い人たちが、様々なデジタルな手法で、スピーディに流してくる。それを受け止めて地域のスローな受け皿をつくるのがアナログの年寄りの役目か…と思う今日このごろ。
足のむくみが、ひどくなった(泣)
膝の靭帯が…(大泣)

おくりもの

紅伊豆?サニールージュ?

ぶどうをもらった。御礼だとおもう。
”本を贈ってやった”だけなのだが…
それも自費出版の非売品を預かったものだから、かかった費用は運送料だけだ。
まぁ、いただきものは、ありがたく感謝していただくことにしている。
以前は良かったが、二人暮らしになり、店もしめて人付き合いが少なくなると
大量にもらうと、こまる。
子どもの頃は、そんなに貰い物というのも無かったが…
 最近は貰い物が多い。それどころか農家と付き合うと大変なのである。
食べきれないほど、大量にもらう。
彼らにとっては、野菜は商品なのだが、規格外も大変多くでてくる。
つまり規格外は、農協に出荷できない、
出荷できる産直は、みんな同じ品種で値段のたたきあいになって残る。
出荷の日の朝の産直は、前日の残り物交換会の様子を呈する。
農家でない人が来ると「それもっていけ。これでもかあ〜」
もらった街場の人には、大きくなった子どもたちもいない、
人付き合いも年をとってくるとあまりいない。
仕方がないから隣近所へと言っても、周りは老人世帯ばかりだ。

哲学者の内山節から聞いた話。
「昔は、自家用の畑が見えるところにあって、ちょっとした御礼には
できが良くないトマトが成っていれば、熟した赤いトマトを持っていってやり、
お返しに、まだ大根が小さければ、大きくなった大根をお返しにもっていって、
きゅうりが病気になっていれば、良いきゅうりを持っていき、
漬物が上手ならば蕪を…白菜を…と」
村人は畑を見渡して7〜8回お返しを繰り返すと
部落の人が、だいたい行き渡って過不足が解消された」
贈り物は、そういう意味で過不足を平準化するための文化と言う一面もあった。

最近、お返しは金銭になり、
それも、ほとんど単価がわかるような…
結婚式や葬式も、本が贈られて、それから選ぶようになっている
合理的といえば、合理的だが…
なんとなく、温かい心が感じられない気がするのは、古い人間なのだろうか…
旬のときに旬のものを、少しだけもらうと、なんとなく嬉しくなる。

心配することが多すぎる

県立中央病院駐車場
屋上

いつも障害者のスペースに停める。
健康そうな、こんな大男が障害者のスペースに止めるのは、
心苦しいのだが…
なんと言っても長い距離を歩けない。
階段の段差が、足が上がらない。
仕方がないので、エレベーターの近く、
そして外来病棟から近いところへ車を停める。
そして、いそいそと、障害者駐車票を掲げる。

ところが今日は、満車である。どんどん空きスペースを探していたら屋上に来た
初めてである。それも三階屋上のもう一段上の三階半だ?
なにか、おかしいことが有る日なのだろうか…
ちょっとした変化で、不安と期待が交雑する小心者だ。

いつものことながら、新しいシステムになれるのは時間がかかる。
歳のせいか…
今までは診察カードの番号で呼ばれていたが…
今度は毎回番号が違う。なぜ、こんなシステムにしたのだ。
今までは「903番さ〜ん」と呼ばれれば本を読んでいてもすぐわかったが…
今度は、毎回呼ばれる番号が違う。
「今日は1953番だ。」「昨日は2865番だ」
毎回番号を覚えていないといけない。覚えるために本などよんでいられない。
よその人の番号まで気にしないといけない。
何回も番号で呼ばれて、そのうちに
「お名前でお呼びしまぁ〜す。桜リカちゃぁ〜ん」
なんて呼ばれた人が、腰の曲がったおばぁちゃんでは…
番号は、ちゃんと覚えておけよ!と言いたい。

以前、不法建築か何かでテレビで騒がれた同姓同名の容疑者名で呼ばれた、
待合室から一斉に白い目を浴び
どんな男が出てくるのかと皆に興味津々で見つめられた
”最初から、もっと大きな声で番号を呼べよ”
と寝ぼけまなこで、思ったものだ。
だから待合室でも気が抜けない。
おちおちと寝ていられない。これでは、どこで寝るのだ。
病院の待合室は、読書と睡眠補充の時間なのに…

そういえば以前「なぜ番号で呼ぶんだ!」とクレームを付けて新聞沙汰になり
自殺した県会議員がいた。
今回、県会議員に当選した友人がいる。
やつは番号を呼ばれても、周りの人のことお考えるタイプだから心配だ。
周りの人のことばかり考えて、自分のことは後回し、政治家のタイプではない。
大丈夫か?
心配することが多すぎる(泣)

しゃらくせー

中の橋のシンボル
発酵研究会

開店準備の次の展開が見えてきそうだが…
なかなかスムーズに行かない。
そんなときに気分転換でもないが、真面目な研究会に出てみる。
赤レンガ館のそばである。
暇だから早めに行ったが、一番最初だった。

発酵研究会の会長は、鷲の尾の若社長である。
「客が少ないので中央付近に…」と言う
なるほど、いっぱいになったら300は入るところに、20人だと言う
人集めは、いつも大変である。
有名人を呼ぶとか、ビジネスにすぐ役立つというなら、人も集まるだろうが…

今日のテーマは「ナトカリ食品」である。
発酵研究会でナトカリ食品?
要するに保存や漬物の発酵食品に塩で保存するのを
”減ナトリウム・増カリウムの塩”を利用しようと言う運動の団体の発表である。
ナトリウム摂取をへらすと血圧が下がり
カリウムの摂取を増やすと血圧が上がりにくくなる
だから結論として
塩分を1日10グラム以下にして(減ナトリウム)
野菜を300グラム以上食べることにしよう(増カリウム)
というのが今の状況にある
こんなのは絵に描いた餅だ!と言う主張である(すばらしい
塩を減らすと美味しくなくなる
野菜や果物を毎日300g以上などというのは(兎になれということか?)
豚にみたいに太った奴ばかりで、兎のようなすばしっこい奴は見当たらない

つまり塩味を残してナトリウムを減らし、
カリウムを増やす調味料(ヘルシオライト(塩)を使おうと言うことらしい




これは良いかもしれない。味にこだわっている。
減塩とはいえ、塩味が無い食品なんか食べられたものではない。
塩味を残しながら、カリウムのエグい味を出しゃばらないようにする。

塩というのは重要である。塩味のしない料理など、
菅義偉のいない安倍内閣のようなものである(?)

そんな話を聞いて第二部は、
岩手大学生が日本酒を作るというサークルの発表会である。
こちらのほうが興味があったが、「岩手大学」と言う酒を売っていた。と言う
その在庫が無くなりかけているので、作ろうという話らしい
若い人たちの日本酒離れは、顕著らしい
その原因を、はっきり掴んでいないという
自分たちのことだから、そのへんをきちんと把握して取り組まないと…
と思うのだが…
 小生が学生時代のころは、二級酒しかなかった。
九州の奴は焼酎を呑んでいたが、焼酎は労働者が呑むものだ。と言って嫌った。
そうなのだ!学生には日本酒、それも二級酒しかなかったが、
コンパで、バーテンのアルバイトをしていたおかげで、洋酒はたらふく呑んだ。
と言っても、トリスやハイニッカ、サントリーレッドなど安物ばかりだったが。
当時は、みな貧乏だった。
バイト代が入ったときだけ、行きつけのスナックで、
ハンバーグにオールドの水割りを呑んだのが至福の夜だった。
今の学生は、ワインやカクテルだという。
しゃらくせー!
と言えるのも年寄りのなせる技だろうか…

蕎麦刈り

魔子様の天ざる
入道のすじこそば

久しぶりの外食である。
食道癌で食道を切除、その縫い合わせた所が狭まり、胃に落ちていかない。
つまり食道に、ちいさな関所ができたようなものだ。
その関所に食べ物が滞留し喉まで詰まって、食べられないという状況に陥る。
それだけならいいが、食い意地が汚いから、目だけは食べたい。
つい一口、二口と食べ物をつまみ、押し込んでしまう。それが悲劇。
落ちていかないだけなら良いが、戻ってくる。
七転八倒しながらもどす、という羽目になる。
だから、ほとんど外食しない。宴会も不参加。それでえ〜んかい?(ダジャレ)
昔は、付き合いだけは、いい男だったが、今は付き合いも悪い男だ。
そのほかに、悪いところは根性や。顔。スタイルと、多々ある、(泣)

母の見舞いという名の散歩に行って、顔を見てくる
特養ホームのユニットと呼ばれる食堂でみんなでテレビを見ている母は
小生に面と向かって言う
「息子が見えない。どこへ行ったのかね」
以前は「息子だよ!」とか
「ここにいるよ!」とか言っていたが、最近は諦めた
「どこかに、出かけているんだよ。仕事で忙しいから…」といなす。
昔の話でもすれば良いのだが、それも、ほとんど覚えていない。
仕方がないので、要件だけ済ませて帰る
今回は、ご飯茶碗が欠けたという。

「どこかで昼食を…」と魔子様に言うと
「蕎麦」と、いつも言う
蕎麦しか知らないのか?
そして挙句の果てに「天ぷらそば」を注文する
暑ければ「天ざる」を…
冒険はしない。一途といえば、かっこいいが、それしか知らない。
こちとらは、蕎麦屋に入ったらモッキリを頼みたい
そしてアテは…と一生懸命に考える
魔子様は「蕎麦屋のメニューを眺めながら…
「はなまきって何?」「おかめは?」
「ちいさいころは、たぬき蕎麦しか食べたことがない」と言う
小生だって一緒だ。
近くの八百屋みたいな、なんでも屋で「玉うどん」を湯がき、自家製の汁だった
湯がいた蕎麦もあったが、好きではないから、ウドンだった。
そういえば中華そばも、始めた食べたのは中学生の頃だった。
近くにホルモン屋ができ、家族で初めて行って食べたのが中華そばだった。

久しぶりの蕎麦屋に魔子様はいつもの
「天ざる!」といい
小生は、探しに探して、今まで注文してない「「すじこ蕎麦!もっきり!」
着物姿の女給は「もっきりって?蕎麦前ですか?常温で…」と言った。

閉めたちいさな野菜畑では、手打ちそばをメニューにしていた。
そば粉は、山間部の蕎麦が香りが良いと言う
平場の蕎麦は、山間部の蕎麦にはかなわないと…
それが選べるのが岩手の蕎麦の良いところだったが…

そろそろ蕎麦刈の時期だ。香りのいい新蕎麦は、いつ頃になるのか…


オール電化の豊かな暮らし

5年前だろうか…
ある大手新聞の地域版のコラムを担当していたことが有る。
今頃だろうか…トランス故障で店が停電になったことが有る
そのときに書いた「コラム」が”没”になった。
多分、大手広告スポンサーである電力会社への忖度であろう。
下記は、そのときの原稿である。
関東でも、まだ自然が残っている千葉の房総
被災した施設の担当者や、若い人たちが「オール電化でどうしようもない」
と言っているのを聞いて思い出した。
自然は、想定外である。想定外にどう立ち向かうか?
エネルギーの多様性しかないと思うのだが、
原発再稼働が取り沙汰されるのでは…

DSCF0960
東日本大震災のときも大活躍した薪ストーブ。薪は間伐材である。

以下原稿〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

店が停電になった。
「トランスの故障で交換が必要」と言うことで、回復まで夕暮れ時の4時間、電気が通じない状況が続いた。冷蔵庫・冷凍庫はもちろん、照明もつかない。
唯一暖房だけは、薪ストーブによってようやく暖を取ることが出来た。
数日前にも近所で停電になった。
その家では、暖房も全て止まり、「寒くて困った。」と嘆いていた。
電力会社の対応も拙い点があったが、
修理に来た車には「HOT&GOODオール電化で豊かな暮らし」と書いてあった。
電気が止まるとほとんど生活が出来ない暮らしは、本当に豊かなのだろうか。
やはり生活防衛としてエネルギー源は、多様な方が良いようだ。

農家を回っていると納屋には大きな冷凍庫が大体おいてある。
ある農家の嫁は
「冷凍庫が二台もあり、祖母たちが何年前のイカも保存しているが、
 食べられる代物か?電気代がいくらかかるか…」
別の農家は
「孫が遊んで電源を落として、冷凍庫のものがすべてだめになってしまった」
という
冷凍保存が、万能のように思っているが、
タンパク質はマイナス70℃以下でないと変成してしまうと言う。
岩手は、厳しい寒さの冬が長い。
電気が無い時代は、多様な保存法があった。
塩蔵・乾燥・発酵・むろ等々、そして、その一つ一つに塩加減や、乾燥度合い、発酵菌の種類など、様々な智慧が活かされていた。
先人の技を見直し、化石燃料に頼らない、
地域資源のエネルギーによる暮らしが、いざというとき一番強いように思う。