ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

たぶん

「たぶん」都市部に住んでいる多くの人が、道路が陥没して不通になる影響を想像出来ないだろうと思う
現代人は、そういう意味で便利さに慣れてアタリマエのことと思っていることが当たり前にならないのが自然災害です。
下記は、以前岩泉町有芸に住んでいた元ハム屋のレポートです

 

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岩泉町内では大水害から3日目の夜を迎えようとしていますが、未だに孤立している集落が多くあります。

有芸地区の一番奥にある水堀集落も道路が寸断され、徒歩でしか行き来出来ない状況です。養豚や酪農家を中心に6軒が住んでいますが、当然電気も止まったままです。水道はもともと山奥過ぎるので、上水道は無く各家ごとに井戸があります。但し井戸の水を汲み上げるポンプは当然電気で動きます。

岩泉の養豚農家や酪農家などは大震災などの経験もあり、ほとんどの家で発電機を持っています。電気が無いと仕事にならないだけではなく、最悪の場合牛や豚が死んでしまうので。

ところがその発電機も燃料となる軽油が無いと、動かないわけです。停電から3日目を迎え、そろそろ燃料も底が見え始め、農家さんの悲鳴が聞こえ始めていました。

そこに今日、軽油400Lが宮古市から 井田 裕基 (Yuki Ida)くんの手配と運転で、櫛桁 一則 (Kazunori Kushigeta)さん 古舘 裕三 (Youzoh Furudate)さんのご協力を頂き、運ばれてきました。本当にありがたいです。

有芸地区は岩泉町ですから、いつもであれば20分ほどで岩泉の街中へ降りていくのですが、そちらの県道は何か所も大規模に崩落していて通行できません。し かしお隣の宮古市に抜ける県道が幸いにも通れる状態になったので、宮古市には1時間以上かかりますが山を超えていく事が出来ます。

そのため宮古市からわざわざ有芸地区まで、燃料を運んできてくれました。有芸地区で地元の人に引き継ぎ、徒歩でみんなで運び、無事水堀集落の農家に軽油が渡りました。これで数日間はしのげると思います。その間に何とか道路が開通してくれればいいのですが。

ちなみに水堀の一番奥にある龍泉洞黒豚ファームで、大学の後輩が1名研修中でしたが、軽油を運んできた車に同乗して無事岩泉を離れることが出来ました。本 当はこちらがメインだったのですが、ついでに「少しでいいから軽油を」と言ったら井田君の手配であれよあれよと大きな話になり、400Lなんて話になりま した。

井田君を始め、ご協力頂いたみなさん、本当にありがとうございました!

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美味しい肉が食べられるのは、ライフラインが不安定な地方で生産している農業のたまものです。国内で作られる意味、地方で生産される意味を、もっともっと都会の人は考えてほしい。

準備万端

週の初め、月曜日。
27度の予報が急に真夏日の31度に変わった。

蒸し暑く外はカラカラに晴れている

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朝定食の客が一人。いつもの納豆定食である。

それから無音。

12時が過ぎた。
12時半も過ぎた。

えっ!今日はノーゲストか…?

そこに生産者が一人。
子どもであろうか…学生のような男の子が3人。
一人は外人である。

若者はボリュウムの生姜焼き定食を…
生産者は、長芋とろろ定食を…玄米で…

生姜焼きを焼いていると
ポツリと二人連れ
それからポツリと一人
それから親子が…

あっという間にテーブルが埋まった。
まるで不意打ちの嵐のようである
魔子様は準備万全、次から次へと注文をこなす

 

昔と言っても、小学生の頃か…
しょっちゅう不意の停電は有った。
しかし、台風には相当な準備をしていた。
家のガラス戸や雨戸には板を貼り付けて、ガラス戸にはテープを張り。家の道具は高いところに上げ、
そして”嵐だから”と言って、枕元に着替えと学校の道具だろうか…
一式を置いて寝た。
夜中に着替えランドセルを背負って行く事態は無かった。
しかし、当時は準備万端整えて対応した
いつからだろう、そんな対策をしなくなったのは…

今日は東北に上陸する台風は観測史上初めてであると言う
観測史上と言われるが、たった60年である

いまは、それほど台風対策はしていない。
行政の自然災害対策が功を奏しているのか
それとも安心しているのか…
家が頑丈になったのか?
ふとテレビで見ている災害が、
なんとなく劇場で起きていることと勘違いしているように思える
さて今日はきちんと対策をして…
と言うが対策の仕方を本を読まないと…(泣)

へいがい

もうあちこちの病院を転々として
認知症もすすみ、食べられなくなって一ヶ月
排泄もできなくなって…
大勢の医者と看護婦が付き添って自宅に戻し
家族が介護して訪問の医者が言う
「もうそろそろだ。あと三日持たないだろう」

店の弁当の仕事を断って、90を過ぎた寝たきりの母と介護している姉夫婦が住む東京の実家に戻って三日目。
魔子様から「落ち着いてきた」とメールに有った

 

そんな時に実母のケアマネージャーが電話で言う
「一ヶ月に一回、母と息子さんとお会いすることになっているので…」
「危篤で実家に戻ったので人手が足りなくて、店を空けられる状況にない。」
「お約束ですから…日を決めてもらわないと…」
まるで義母が死ぬのを待っているような…

 

これで介護の仕事に携わっているのか…
単なる仕事をしているのか…
これが今の介護の実態なのか…
個人の資質なら替えてもらえば…
しかし。また別の担当になるのだろう

介護を行政のシステムとして、おこなう弊害なのだろう

哲学の森Ⅱ

内山節の話を聞いている。
今現在、聞いているという進行形だ。
岩手大学、演習林の”哲学の森”に出た
今日もやっているはずだが、残念ながら出席できない。
いや驚いた、
あの教室が目いっぱいになったのだ。
後ろの方は、机がな若者たちでいっぱいだ。

内山さんも最初の言葉は
「オリンピックだから、参加者は2〜3人だろう!と思ったが…」
と驚きの言葉で始まった。

岩手に内山哲学を浸透させたという想いが
ようやく、ここまで来たような気がする

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初日は

第一講 今世界で何が起こっているのか?
第二講 生きる世界の再創造
と言うテーマである。
彼は言う

今の社会は、いい成績を採り、いい学校に入り、いい役職につくという。いいポジションにつくためのシステムだという
だからいいポジションについた人は現状が変わることを恐れている
それは資本主義は普遍を求めており、普遍主義の限界に来ている
現状の世界は普遍主義を追い求めてきた先進国の富の独占のもとで作られたシステムであるが中国やブラジルなどの新興国の台頭によって、近代的世界が崩壊しつつ有る。
それを守ろうとする先進国のファシズムとのせめぎあいだ
それは日本だけでなく欧米も一緒である。
それに対して、大衆の間でさまざまな動きが出てきている。
反グローバルの運動が…
世界は多様である。ローカリズムの多様な動きの多層な動きが起きつつ有る

 

母の時代

「考える人」という新潮社の季刊誌が有る。
特集で昨年夏号は「ごはんが大事」と言う特集である。
どうもこの手の…というか季刊誌・月刊誌・週刊誌で農業や食糧の特集を組まれると、買わないといけない。と言う気持ちにさせられる。
「すぐ消えて無くなる」という気持ちになるからである。
と言って、そんなに大層なことが書いてあることはない

そのままトイレに”積読”が関の山である。
しかし、ついつい見てしまう。
隅々まで見るわけでないが、やはりその時々で目につく記事や広告が違ってくる。

こびる食堂の悩みは、「旬」である。
「旬」のメニューを美味しい御飯と味噌汁とともに提供をする。というのがテーマである。
それがなんだか「卵」「納豆」「とろろ」に凝縮されて旬の小鉢が、ないがしろにされているような気がする。
と言って自分が調理するわけではない。魔子さまである。
そんなことを考えているから、この新書版の広告が目についたのだろう。

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新潮文庫「小林カツ代と栗原はるみ」料理研究家とその時代。である

本屋の棚に有ったのでつい手にとってパラパラとめくった。
なんというか近現代の女性史である。
ついつい歴史ものは買い求めてしまう。
現代が作られた原因は、その歴史にある。
その歴史は権力者ではなく大衆に有るのではないか…
そんなことを想いながら、テレビやラジオが出てきてから大きく替わった女性の生き方をリードした料理研究家という職業の変遷を書いた本である。と言って著者は小生が高校三年の時に生また昭和43年の生まれである。
やはり研究者といえ自分の生まれ育った時代のことが詳しいがそれより一昔ふた昔の時代は、それなりである。
しかし、料理の世界も、テレビ・ラジオが家庭に入ってから急激な変化を遂げた。マスコミの影響は激しく大きい。

やはり料理よりも家の変化なのだろうと思う
おさない頃、台所は北側の薄暗い場所にあった。
井戸も家の外に有った。
そのうちに井戸は家の中に入ってきてカメに水を汲み置き、風呂も便所も外に有ったのが中へ入ってきた。
女性が家事をする場所が、北側の寒々しい薄暗い場所だった。
昭和ヒトケタの母などはその時代に調理をしていた。
戦後世代ではないだろうか
家の南向きの場所に台所を!という声が上がったのは

その母の時代に流れた番組が「きょうの料理」である
今でも流れているがあの

チャンチキチャンチャンチャンタッッタ〜

あのテーマ音楽は耳から離れない
そして、あのまん丸の江上トミである
我々の時代は、料理といえば「きょうの料理」と「給食」と「ライスカレー」だった。
東京の下町育ちの魔子さまは「ライスカレー」は子供の頃食卓に上らなかった。と言う
我々の母の時代は粗食の中で、家事と高度成長期の労働力としてフルに働いていた時代だった。
そんな時代に生きた人たちが、終わろうとしている今である。

借金漬け

青南蛮を糠漬けにした
辛味が抜けたような気がするが

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やはり少しは辛い。
糠漬けのナンバンをかじりながら酒を呑むのはどうだ!
多分、旨いだろう
岩手の人は、ナンバンを焼きながら酒を呑むという
だからナンバンを買うときに「これは辛いか?どれぐらい辛いか?」と問う。
しかし問われても、「こすっからい」とは言い難い
そこまで辛いもの好きではないが、糠漬けのナンバンはちょうどいい辛味かもしれない

酒がすすむ!と思うのだが名前どおりにいかない。(?)
なんせ空腹に呑むようなものだから、すぐ利く。

 

こちらはグロテスクだが、茄子の糠漬けである。
茄子は茄子でも、白ナスである。
紫の茄子以外は、みんな白ナスというらしい。
本来は緑の茄子である。
これが緑が茶色に変わるのである
高校の時に”みどり”と言う女の子がいた、
卒業して茶髪になったようなものである(?)

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味は茄子だ!(当たり前だ)
これがだんだん色が変わって真っ茶色になってしまう
やはりミョウバンを振りかけないと…
と言って掛けて漬けたが一緒である。
最初は斑でも、いつのまにか真っ茶色になってしまう。
見た目が食べられたものではない。気色が悪い

 

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これはセットにした
胡瓜と大根と人参、そして南瓜である
坊っちゃん南瓜である
坊っちゃん南瓜があるぐらいだから、おやじ南瓜もあるのか(?)
湯がいて糠漬けにしてみた。
これはこれで美味しい
甘味と塩味が微妙なバランスである。
これはいけると思うが、毎日食べたいというほどではない

 

そしてセロリである
セロリは嫌いだが、このセロリは酒の肴としてはいける
セロリ臭さがなんというか…

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馬鹿くさいというか…
アホくさいというか…

 

乾燥大豆も、漬けてみた
切干大根も、漬けてみた
さまざまな物を漬けてみた
二度漬けも、してみた
なかなか商品化できない
本当の糠漬けは、究極の生鮮食品だ。
だんだん借金漬けになってきた。

契約違反

裁判を抱えている
今まで訴えたことは、二回ほど有る
今回は、訴えられた方である

放射能の検査を当店で行っている
店とは別に「いわて食と農の情報室」という名前で…
2011年の3月の東日本大震災で福島原発が爆発し、関東地方や東北に多くの放射能が飛散した。
岩手は県南部が、結構濃度が高かった。
岩手の食の安心安全を言う当店としては、これにきちんと向き合わないと…
金はなかった。当初はウクライナ製とか中国製とかややこしいものが出回った。
秋ごろになってようやく日本製の信頼のできるものが完成したという
注文をした。330万である。
きちんとして部屋を作って冷暖房完備で400万かかって翌年の5月に納品になった。
友人たちから、金をかき集めた。
店に出てくる野菜や米を全部測ろうと思った。
生産者は嫌がった。しかし測った。
それでも当店の客は、岩手のものを選ばなかった。
他店で西日本のものを売っているのに、わざわざ岩手のものを買う必要はなかった。
また当時は農協もスクリーニング検査をしていた。
それで事足りた。とした。

放射能検査装置が遊んだ。
そこで多くの人に測定しながら放射能を正しく怖がってもらうことを目指した。
検査機関に頼むと10000円前後費用がかかる。
それを1000円測定とした。そして会員になれば500円でいい。
会員は勉強会の案内や他の人が取ったデーターを見ることができることとした。
チラシを作った。

情報室チラシ

市民を対象にしたチラシだった。
これをみた農家が測定を申し込んできた。
農家と知らずに受けて検査をした。
データーを取りに来た。

困った。
「農家の人は正規の料金を支払ってほしい」とお願いした
彼は
「1000円だせば生データーを受け取れると書いてある。契約違反だ。裁判をする」と言って帰った

そして調停が行われた。
「この1000円測定(会員500円)は、市民の不安を解消しようと呼びかけたもので農家の商用利用は対象にしていない。
たしかに「営業用の検査は不可」と書いていないが、チラシを作った当時農家を対象にしたさまざまな検査機関があって、市民を対象にして気軽にそして確かに検査できる機関がなかった。まして生データーを提出して了解する販売施設があるとは思えないから被害が被るとは考えにくい」と主張した。
先方は「契約違反だ。昨年の売上分の補償をしろ」と言う主張で調停不成立になった。

そして先方は本訴した。損害賠償33000円を…

もったいない

夜半から雨が降るという予報だ。
夜半だ!もう12時を過ぎた。
雨音がする。そろそろ窓を閉めるか…

ぽつりぽつりが…
ジャボジャボになって…
ピシャピシャという音に変わり…
土砂降りぶりに(?)なる前に…

久しぶりの深夜の雨音である。
定休日の夕方の楽しみは早めのビールである。
しかし、それを二つやっつけると、もう7時には眠くなる。
そういえは今日は昼寝もした。
昼寝の後、孫も遊びに来た。
この孫はYouTubeの「はたらくくるま」が大好きだ。
パソコンを占領されるので仕事にならない
しかたなくビールを呑みながら孫とあそぶ。
孫が帰ったらもう眠くなった。

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起きたら11時だ。
「えっ!いつの11時だ?」と寝ぼけ眼で携帯の時計をみた
頭がすっきりしているので、寝たりた11時だ。

 

仕方がない仕事をしようか…

ふと仕事とは何か?と考えた。
20代初めの会社勤めを始めた時は、週休二日ではなかった。
土曜日は半ドン、そしてすぐ交代制で土曜日休みになり、
そして土日の連休になった。
若い時は土曜日の半ドンは、なんだか中途半端な時間だった。
しかし、その週の整理をして、午後は仲間と会社付近の遊びまわった。
責任ある立場になった時は、土日連休だった。
仕事は間に合わなかった。というよりも
”仕事は見つけるものだ”と教わった。
”言われて、やるものではない。”
そうなると、どんどん見つかる。
仕事は、土日出てこないと、こなせないようになった。
結局、休むということは、仕事をしながら休むことだった(?)

 

農業の世界に入ったらもっと顕著である。
植物に…動物に…合わせて、仕事を…生活を…組み立てないといけない
そして天気である。
「産直奴隷」という言葉が昔はあった。いまはどうか知らない。
「雨が降ったら、畑仕事はやすみ」というのが農業のきまりである
なぜならフカフカに作った土を、足あとで踏み固めてしまうからである。
土は三相構造になっており、固相(土)・気相(空気)・水相(水分)と3分の1のバランスが一番いい。
それが身体の重量で、空気の部分を踏み固めてしまうのである。
ところが産直をやっていると売り場を埋めないといけないから、収穫をしないといけない。
雨だろうが日曜日だろうが、人間の都合で畑に入らないといけないのである。
産直という目先の利益のために土を壊し、身体を壊すのである。
農業(食糧生産)というのは、植物や動物に合わせた生活をしろということなのだ
採れなかった時に食べないということではなく
採れた時に先のことを考えて保存し、
採れなかった時に保存食料や山の恵、海の恵みを食べるという謙虚な生き方しろと言うことなのだ。
食糧を自由に流通するグローバル社会などという幻想は、有るはずがない。
(自国の民を見捨てて他国に食糧を供給することは絶対に無いのだ)

以前、農家は今年の新米を、来年取れるという見込みが立った時(つまり翌年の8月)に食べるという。
そんな農家は、もういないだろう
まして消費者も賞味期限が来たら捨てると言う
「もったいない」と思うのは団塊の世代までだろうか…

沈黙は金

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”一物が腫れる”というナンバンの種を播いた。
芽が出ない。

高温作物で25度以上にならないと発芽しないとあるが…
日々25度以上の温度を記録している
確かに夜間は20度を割る日もあるが…
この温度というのは最低気温と最高気温の平均温度を指す。
だから高温作物のナンバンにとっては、発芽は最適のはずである

それが芽が出ない
なんだか小生の人生のようである
ご幼少のみぎりは、隠れた存在だった。
人見知りが激しく、母親の影に隠れて歩いていた。
中高生の頃は、女の子と気軽に話ができなかった。
大学生や社会人では、人前で話すことが苦手だった。
そんな小生だったから大衆という土の中にどっぷりと埋まって目が出なかった。

ようやく開花したのが50ぐらいだろうか、それも短い
あっという間に大病でベッドに縛り付けられた。
そして目も、声も出ない。
これは二回めの開胸手術、胸部大動脈瘤のときの後遺症である。
まだ30代後半の病院の中を肩で風を切って歩いていた心臓外科医の主治医は
「肋骨を切り取って肺を持ち上げて、動脈を引っ張りだして人工心臓とつなぎ、慌てて人工血管と差替えする手術だ」と言い。
「声を使う?」と驚いたことを聞いてきた。
「声は生命線です。このバリトンで女をたらしこみ、客を騙して儲けたおして生きてきたのです。これからも、そのように生きて行きたい!」と懇願をした。
心臓の真裏の大動脈に声帯の神経が乗っているらしい。
それを傷つけないか心配しているらしい。
12時間の大手術後、ICUで眼を覚ましたときは声が出た。
主治医は安堵したような声で
「将来は保険会社から指名されるような医者になりたい」ということをICUのベッドで語った。
国民皆保険がアメリカ型保険社会になるような報道がされていた時だった。
それが、だんだん日が経つに連れて、声がかすれてきた。
「かせい」と言う症状らしい。口偏に夏と書く。「嗄声」である。
(たぶん夏の蝉の声のイメージではないか?と想像する。)
どうやら声帯の片方が、傷ついたらしい。
それが治るのか?治らないのか…
とんとわからないまま10年が過ぎた。結果治らないようだ。
道路を隔てて愛人に声をかけても届かない。
パチンコ屋で話しかけられても返事ができない。
トイレで「入ってます」と言ってもドアを開けられてしまう。
つんぼの魔子さまと会話が成立しない。(もともと会話がない)

というわけでオリンピックがあったら芽が出ない種目の沈黙は金メダルだ(意味不明)