ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

科学は技を超えない

こびる食堂のメインの白米の米が変わった。
ひとめぼれの今摺り米なのだが…。
生産者が替わったのでコメの味も変わった。(だろうと思う)

今まで、毎月300kgの米を契約している。
梅雨頃から味が落ちるので、低温倉庫(15度以下)に保存する条件だ。
それが「倉庫に行ったら米がなかった」と一方的に言われた
こちらの言い分は、いっぱいあるが、農家にはよくあることだ。
「消える」のである。
契約は口頭でも文書でも一緒のことである
無いものは無いのだ

仕方がない。持っている人を探すことになる。
幸い農家の若い友人が探してくれた。
沢内の米である。沢内は米どころである
沢内甚句に「沢内3000石おこめのでどこ」と唄う

しかし、コメの味は一番は品種に寄る
二番目は栽培土壌である。
三番目は気象かな?

品種は大雑把に分けて
餅系が好きな人と、さっぱり系が好きな人で品種の良さは別れる

餅系の代表はこしひかり・ひとめぼれだ
さっぱり系は、ささにしきなど昔のタイプだ
餅系は洋食に向き、さっぱり系は和食に向くと言われる

次に土壌だ
やはりリン酸が効く沖積土壌が一番いい
アルミにリン酸が吸着される火山灰土は今ひとつである

気象は米粒の大きさに影響を与える
天気が良ければ十分に実が太り充実した米ができる

であるから栽培場所や年によって味が違う
それを昔の米屋は混米技術で「年間一律の味」にする“わざ”を持っていた。
今の量販店やドラックストアの安いコメは「やすくする混米」の”ワザ”である。

そんなわけで、こびる食堂のご飯の味が替わってしまうのだが…
それを補う”技”として「炊飯」がある。
水の量、火の加減、蒸らしの時間。それができるのガスという直火の羽釜焚きである。

電気炊飯器は「羽釜炊きの美味しさ」と宣伝するが、加減の微調整はできない。
科学は技を超えない!

 

食のブーム

「24年目に入ります」と人に言っていた。

たしかそうだったと思うのだが…
鶴亀算だったか…植木算だったか…
暗算は得意だが…
和算が苦手で、しっかりと覚えた記憶がない

だから平成7年7月7日に開店しようと思ったら、何かの理由で翌日

平成7年7月8日がちいさな野菜畑の開店記念日
だから今年は平成29年7月8日は、開店してから丸22年で23年目に入る。(これでいいのか?)
とりあえず長くやっている。

盛岡正食普及会が、昨日で休業をした。
戦後から(?)盛岡の食のリーダーとして長きに渡って続けてきたが、ついに休業である
長きに渡って続けてきたことがさまざまな垢が溜まってきたのだろう

長く続ければいいというものではない
時代に合わせて変化を遂げるという考え方と
古くて良いものを残していくという考え方と
問題はバランスなのだろうか…

戦後の食生活を考える上において
「外食産業」の与えた影響は大きい
昭和45年までに物心ついた子ども時代を終えた人たちは
懐かしくも貧しく質素な昭和の家庭料理を覚えている
人それぞれ、地域によってもだが、昭和45年頃から外食産業が入ってきて
華やかな甘いグルメの料理がもてはやされている。
それを作ったのが小麦の粉食文化であろう
それを岩手では盛岡正食普及会が、地元の麦で…地元の粉で…と、学校給食などの下地を作り担ってきた。
現在も、固い歯の丈夫な人しか食べることのできないロシアビスケットなど、古き良きものを続けながら…
グルメパンなどの対応ができずに、売上が低迷していったのか…

いずれにせよ盛岡正食普及会が岩手の食に残した功績は大きい

食のブームが、次から次へと変わっていく。
人間の体は水分とタンパク質でできている。
タンパク質は人間自身で作り出すことができない。
食べることでしか補給できないのである

食べるということを、ブームにしていけないと思うのは、

23年目の早朝の「想い」である。

 

と言ってブームの「蕎麦の実」「もち麦」置いてあります!
ぜひお買い求めを!

 

150坪

家庭菜園があった
店から車で7〜8分のところだ
家庭菜園と言うには、大きすぎるか…。
一区画20坪ぐらいある感じだ

平日の昼間に二人の初老の人が作業していた、

多分定年退職して家にいたたまれず、出てきた人だろうか…
農作業が好きで一日、ここで過ごしている人だろうか…

様々な野菜を植えてある
トマト・ナス・胡瓜・葱・水菜・ブロッコリー…
みんな少しづつである

 

昔、水沢の古老に話を聞いたことがある
彼は専業農家だが…
息子に譲って、自分は自給用の野菜を作っていた

彼は独特の笑みを満面に浮かべて語った。
「一反歩の畑で、朝から晩まで一日働いても、夏場でも体が疲れない」と…
そのコツは、「15分おきに作業を変えることだ」と言う

種まき、畝お越し、定植、葉摘み、土寄せ、農薬散布、収穫、片付け、
一つの作物に成長に従って作業が有り、それが多種類の作物が重なり合い、
雨の作業はできなくて…天気の段取りもいろいろある。
そんなことを思うと、やるべきことがちいさな面積でも一杯ある
それを15分毎に変えるのである
立ったり、座ったり、体全体を使ったり、手先を使ったり
頭の中は
次の作業を考えたり、目の前の作業の判断をしたり、天気の状況を考えて次の作業の段取り
あっという間に一日が過ぎる

 

これが広い面積だと
一つの作業時間が長い。
同じ姿勢を続けないといけない
身体がもたない。機械化する。機械でできないことも有る、人を頼む、重労働をする人がいない、外国人を使う
大規模面積は、効率よく土地を利用すると言う名のもと、人間を酷使し原価を高くするのである

小面積は身体を使いながら、取れた野菜でエネルギーを補給する。循環する。
原価は発生しない(?)身体は健康になる

人間が一年間の食糧を得るには5畝で十分だという
5畝は150坪である。

ゆたかさとは

「生が良いですか?」「火入れが良いですか?」と突然、若い彼は聞いてきた。

大酒飲みだが、実のところ微細なうまさの違いを知らない。
日本酒は冷なら純米酒、熱燗なら醸造用アルコールが入っていても良い。

そんな感覚だが…

若い頃、酒なら何でも良かったが…
コジャレた酒が出回る頃には、辛口が…
齢を重ねるにしたがって甘口でも…まぁまあぁ〜と、なり

今は肴に合わせて…
天気に合わせて…
酒なら要するに、なんでも良いのだ!

「生か?」「火入れか?」と言う選択を尋ねられたのは初めてだろう
彼の作ったコメで仕込んだ酒である。「与右衛門」というブランドなのだが…


彼は「亀の尾」という米を作っており、それを酒米として納め杜氏としても働いている

数年前だろうか…
彼が店に来て「夏はコメを作り、冬は杜氏としてはたらく、そんな生き方をしたい」と言ってきた。
それ以前に、彼の奥さんが店には出入りしていたのだが…
二人揃って会ったことは、記憶にない

真面目で、ひ弱そうな感じで…大丈夫か…と思ったが…
着実に有機農家で研修し、ようやく一人で田んぼをやるようになって見に行った。
ひどい田んぼだった。雑草が…
「これを物にするには3年ですまないだろう…」と思うような田んぼだった。
普通は、集落で良い田んぼは、すぐ近くの人が借りてしまう。
新規就農者には、悪い田んぼしか回ってこないのである。

しかし、彼は辛抱強く田んぼをモノにした。
そして思った通りに造り酒屋に持ち込んで酒にした。
それも昔の品種「亀の尾」である。

稲は品種改良が、どんどん進んで、食味がよく、量産できて、作りやすい品種開発が進んでいる
そのなかで「作りやすい」と言うのは、草丈が短いのも一つの特徴である
「垂れるほど こうべをたれる稲穂かな」という言葉は、実のたっぷりはいった稲穂の表現であるが、入りすぎると倒れるである。
倒伏は、モミが発芽して、米にならない
だから試験場は、草丈の短い米を開発しているのだが…
それにともなって草丈の長い昔の米を作りこなす技を持つ人が少なくなった
作りこなそうという気概を持った農家も少なくなった。

彼は草だらけの田んぼで「亀の尾」を作りこなした。
その「酔右衛門」である。

生でも火入れでも良いのだ…

暑い定休日、締め切った精米室の掃除をして汗をかき
シャワーを浴びてグラスで一献

あの雑草だらけの田んぼを思い、
数年前のひ弱な彼が、たくましい身体になって作った酒を味わった

「豊かさ」とはこんな事を言うのであろう

定休日の夕方の幸せである

売れ残ったら食べて!

あちこちで「採算」というか…
「原価計算」というか…
「それで合いますか?」というような言葉を聞く。

「売値と原価」があるから、それは合わせなければならない
合わせるというのは、原価+経費=最低売値である
本来は原価+経費+利潤=適正売値が望ましいが…

 

ところが新聞報道で、ビールが上がると言う情報を聞いた
なんと酒販業界では原価+経費>売値という計算が有るのだという

その酒販業界の売値計算は
原価+経費=売値+メーカー補助金
と言う仕組みらしい

ところが農業界も
原価+経費=売値+農林省補助金で成り立っていると言っても過言でない
しかしそれは大手農家(販売農家という=農産物を販売を主とする農家)だけである。

 

殆どは中小の兼業農家であるし、補助金と言っても微々たるものでしか無い
なぜ!それをやっているのだ?と問うと「なりわいだから」と言う

以前、その中小規模の農家は「三ちゃん農業」といわれた。
ようするに、父ちゃんは外へ金を稼ぎにいき
のこされた「爺ちゃん」「婆ちゃん」「母ちゃん」の三人が狭い農地をこまめに耕して自給しながら、兄弟親戚へ米や野菜を配っていた。

そこには現金を必要としなかった。
つまり原価計算を必要としない世界があった
父ちゃんの現金で自分たちで作ることのできないものだけを購入していた

 

ひょっとしたら、それがこれからの地方の中小企業のあり方かもしれない
つまり家族経営である。「家業」であり「なりわい」である
単純に金銭を必要としない生き方をしないと、地方での生活は厳しくなる

なぜなら今の時代、十分な収入をもたらす仕組みは大企業にしか無い
大企業が地方に、新しくできるはずがない。
(大企業が進出し、社員を地方都市で雇うのだが…少ない。後は給料に格差をつけられた現地採用社員という仕組みである)
某大手の○○○ショッピングモールは、社員は少なく、ほとんどがパートである。
ショッピングモールは、地方から都市への巨大な集金マシンと言っても過言ではない
あとは「安定」と言う名の(過酷な?)公共事業団体か役所である。

 

そうすると農業(自給食料生産)をベースに、ある程度の金銭収入を得ると言う生き方が面白い。
つまり自給自足をしながら、少額の現金を稼ぐ。
または、さまざまな仕事を組み合わせて一人前の収入にする。
(江戸時代、農山村は、不作に対応して自由な発想でさまざまな稼ぎの道を作り出したと言う)

都会では、すべて金で解決する。
金さえあれば安泰である。きちんと収入が安定していれば…
田舎では、農地さえあれば安泰である。身体さえ丈夫であれば…
地方では、人間関係さえできていれば、安泰である。周りの自然にも助けられる。

今、岩手は、山菜のシーズンである。
山に入れば、いくらでも食べものが生えている。
そして、こういう商売をしていると
「売れ残ったら食べて!」と言う、温かい生産者が多い。
だが、食べきれないのだ…(泣)

 

失敗

最近、若者と出会うことが、よくある
出会うことなら、人が大勢集まるところへ行けばいい
出会って、じっくりと話をすることである
いろいろと考えさせられることが多いが、
自分の若い時代、こんなにしっかりとした考え方を持っていただろうか…

とおもわせられる

 

物覚えついたときは、貧しい時代だった。
まわりが、みんな貧しかったらから引け目は感じない
それ以上に、貧しい子がいっぱいいた。

パンツを履いてこなかった子がいた
身体測定のときに素っ裸で体重計に載せられていた
弁当を持ってこれない子もいた
もちろんテレビもない。
小学生になって近所のテレビを持っている子の家にみんなで見に行った。
服はお下がりが当たり前、男兄弟がいない小生はいつも新しかった。
それが逆に気恥ずかしかった。
中学生の頃オリンピックが有って、テレビが家庭に入ってきた。
そのころから高度経済成長だったのかもしれない

中学生になって通学に変速自転車を、かってもらった。
ラジオの代わりにステレオが入ってきた。
オヤジがオートバイから、車に変わった。

新しいものできて、どんどん手に届くような値段になり
ものが豊富に行き渡るようになって

ものを買うために競争をして
いい学校に入って良い会社に入って、出世をする
競争に破れた人たちも、それなりの受け皿があった。
そして、それなりの敗者復活戦があった。
という高度成長の価値観の中で育った。
農業も食料自給の収量競争から、機械化の効率競争に入った。

 

今の社会は、単なる競争である。
勝っても安泰にはならない
いつ追い落とされるかわからない
落ちたら復活戦はない。

そんな社会で最初から競争に入るのではなく
地道に農業に根ざすという事を目指す若者が増えているのではないか…
農業は自然との共存である。農業は付加価値競争ではない。
そんな若者に自分ができることは何か…

失敗を話しすることでしかない。
成功は、つかの間の夢である。

テープレコーダー

今日は母の誕生日だ。7月4日、干支はうさぎである。
アメリカの独立記念日である。
もう満で90歳になる。
認知症であるが、見た目はそんなふうでもない

しかし、テープレコーダーである。
同じことを、1分おきに繰り返す。ちがうことを喋ったとしてもいつのまにかもとへ戻る。
しかし、テープレコーダーも、今の時代、誰も知らないのか…
中学生の頃である。テープレコーダーを家で買った。
パソコンのプリンターぐらいの大きさ(?)と言っても年々小さくなるから、大きさを伝えるのは難しい。

有るグループで「ダウンサイジング」という言葉が飛び交っていた。
多分小さくすることを意味しているのだろうと思うが、モノを小さくするということが、大きな金儲けにつながるのだろう
小さくすることで数多くモノを置けるので一杯買えるということだろうか
そういえば八百屋では、雨の日に大きな野菜(キャベツ・白菜など)の値段を高く設定すると言われた
雨の日は傘を持つから大きなものを買うと数を買わない。一人あたりの単価が低くなる、と言う

それと一緒か?

話が、どんどんそれた

 

それで母の誕生日だ。
親兄弟の誕生日は、全て知っている。
そういえば干支も知っている。
自分の子供も…

祖父母は知らない。姉妹の伴侶も知らない
孫も怪しい。

やはり一緒に暮らして誕生祝いをして
それが質素な料理でも、貧しいプレゼントでも一緒に暮らしたアカシなのだろう

それが家族の誕生日も…
親の干支も知らないという人が増えた。

家族のつながりの問題なのか
あまりにも増えた祝祭日の影響なのか…

楽しいことが多いことが豊かなことではない
貧しさや、惨めさや、苦しさに耐えることや、乗り越えることも人生を豊かにすることではないか…

もう今は90歳の母と、じっくりと想い出を話すこともない。
たぶん書道と出会った60代70代が一番幸せだったのかもしれない
そのことだけをテープレコーダーのように繰り返す。

 

作るのは楽しいが、売るのは難しい

友人一家が来た。
県南で有機農業を営む一家である。
その仲間のことを一生懸命心配していた

「稲作農家は米が売れない。さまざまな努力をしても米が売れない」
当たり前である。
そうそう簡単に売れたら、販売をしている当店でも楽に儲かって仕方がない

いつも言うのである
「作るのは楽しいが、売るのは難しい」
なんでもそうであるが、
人間関係でも…
モノでも…
自然の中で栽培するものでも

ある程度期待感を持って作る。
それが進行しているかどうか…
期待どおりになるかどうか…
さまざまな思いとともに、辛い作業も有る
基本的には、できようが、できまいが、その作り上げる期待感は楽しいのである

ところが売るというのは、相手が有るのである。
すんなり期待通りに相手が受け入れるというのは、まず無い。
こちらの思いとは、ちがう相手に媚びないといけない(?)
売る方の主張は一方的で、相手には迷惑な主張なのである。
相手は、必要なときに必要なものを必要なだけもってこい!と主張しているのである
それを譲歩させるのは、相手との理解である。

時間がかかる。

営業の基本に「毎日、通え」という言葉がある
毎日、そばによって来たら犬でも可愛くなる。
と言っても、ただ毎日行けば良いのか?と言うと
何も持ってこない相手には時間の無駄、迷惑である。
商品説明など、みんな一緒だ。
そして世間話は潤滑油にはなっても、プラスにはならない

毎日通いながら相手の思い(悩み)を聞く、聞けるような関係を築く

ということが基本なのである
販売は上手に話すことではなく、聞き上手になることである
それがすぐできる人と、時間かけてできる人とで違いができるが…

ところが、そんな関係ができても、商品が切れると関係も切れる
米も年間を通して安定して供給できればいいが、梅雨越しの米は味が落ちると言う
農家も冷蔵庫まで持って管理したくない
そこで商品が切れて関係も切れて、消費者は別の関係をつくることになる。
その関係を、秋になって新米だと言って、もとへ戻すことは大変な努力を必要とする

稲作農家が単品の米を年間供給して安定した関係を築くのは、難しい

当店が産直を始めた当時(20年以上前)
米を直接販売しようという農家が出始めだった。
それまでは品種で選んでいたが、それから個人の名前が特定できるようになった。
今は、品種が多く、栽培方法も色々とあり、個人名が飛び交っている。
そして産直には、山のようにお米が…
量販店にも、さまざまなお米が…
ドラッグストアまで、格安のお米が…

多すぎるのである、そして食べる量が少なすぎるのである。
核戦争の中に竹槍で突っ込むようなものである。
その竹槍も、毎年作り直して辛抱強く突っつけばいいが…
小さな穴ぐらいは空く。
それが突破口に!と言う思いを持続するのは大変である。

作るのは楽しいが、売るのは難しい。

滲み地味

ガオガオの鬼嫁と、ひょうたんなまずの夫婦はいつも、朝早く朝定食を食べに来た

なんで声をかけたのだろう?
確かウッドデッキで二人で、朝定食を食べ終わったころだっただろうか?
試作の豆乳を、持っていったような気がする

それも、たまたまである

よく考えてみると、寺の末娘に言われたような気がする
「店主が、きちんとお客と向き合わないと…」
そんな苦言を、この当たり障りのない夫婦に試してみたような気がする

ガオガオ様の鬼嫁は、試作の豆乳に的確な評価をした
そばにいたひょうたんなまずの旦那は、むにゃむにゃとした記憶がある

それ以来、いつも週末の朝一番に顔を見せた
いや、それ以前から来ていたのかもしれない

あるとき、絵を見せられた。
面白い絵と、言葉が書かれていた。
ひょうたんなまずの夫が書いたという、
あいだみつおの漫画版だった。
「この絵、店に飾ったら…」と付き合い程度に言った。
あっという間に、さっそく持ってきた。葉書が束になった絵葉書集と一緒に
店の中に「しみじみ画廊」のコーナーができた。

そのころ某お寺でもガオガオの鬼嫁と、ひょううたんなまずの夫が持ってきた絵をみて、
末娘の母親は
「面白いね〜、お金が余っているから檀家に配ろう」と言って
この絵をカレンダーにした。
「余っているなら、檀家の維持費を安くしろ」と総代は言ったようだ。
真偽は知らない。

それが回り回って急流堂という時代の早い流れに流されない、きよらかな水の出版社の眼に止まった。

いつの間にか本になった。
あいかわらず、ガオガオ様の鬼嫁は意気揚々と先頭を歩き、
後から肩を落として、ぴょこたんぴょこたんとついていくひょうたんなまずの夫は、朝定食を食べに来る。

寺の坊主は言う「あの男は深い」

五月中旬さわや書店で販売開始。全国で展開します。
当店にも並びます。

ほろほろ

春である。
なんと言ったって、春である。
待ち焦がれていた春である

あっという間に桜は散り、
あっと言う間に水仙もチューリップも花びらがくすんだ。

そして時とともに気温が上がってくる
そして庭の垣根も新緑の若葉をつけはじめた
五加である。
五加と書いて「うこぎ」と読む
垣根の樹だと聞いた。

その若葉を熱湯で湯がいて、刻んだ味噌大根とくるみで和える
「ほろほろ」である

「ほろほろ」と言う”ふりかけ”になるのである。

岩手の春の味である。

ほろほろとは、南部藩の武士が食べようとしたら、箸からほろほろとこぼれ落ち、それをみて「ほろほろ」と呼んだという。

ホロホロ鳥とはちがうのだ。
ホロホロをふりかけた春の弁当である