ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

笛吹き男

ポケモンGOが流行っているという
ふとハーメルンの笛吹き男を思い出した。

0-81
確か、ネズミの疫病で困った町が若い男に依頼した所
若い男は笛を吹いて街中を練り歩き、大量のネズミを集めて川へ引き寄せて溺死させた
しかし、何らかの報酬(?)を約束した街の人は、若者の約束を反故にした。
それに怒った若者が、今度は、笛を吹いて街中を練り歩き。街の子どもたちをすべて連れ去って消えた
そんな童話だった。
母親が読んでくれたのか?
自分で読んだのか?
記憶に無い

スマートフォンを片手に街中を歩いている人たち
その仕掛けを作っている人たち。

しかし、これは今の世相を反映している
と言うか、これが世の中というものだろう

流行に流される人々
裏で流行を作り出す人
その流行で貨幣が動く政策を作る人。
政策という利益でしか動かない人。

その結果は、誰も予測できないが…
ひょっとしてそんなことを予測して、狙っている人がいるのかもしれない

スクリーンショット 2016-07-31 5.45.22

塩気と酸味

糠漬けがうまくいかない

というか…

やはり細かな温度管理と時間管理と、十分な下ごしらえが必要だということがよくわかった
それを、仕事中にさまざまな事を抱えてやるのは至難の業だ

IMGP3841

胡瓜一本漬けるのにも
早く漬かるよりもじっくり漬けたほうが…
そのためには、両端を切り落とさないようにすべきか?
塩をどの程度付けるべきか?
塩を付けないで、糠に塩を強めにしたほうが良いのではないか?
どの程度だ?
温度は低温で、長いほうが良いのかも…
いや早めに引き上げたほうが…
日中だと時間に追われるから、夜の冷蔵庫に入れて…
時間が長すぎるか…
温度が低すぎるか…
色が緑色に綺麗に出るには…
塩か時間か?
浸かり過ぎたら…

しかし、うまく漬けられたとしても
糠漬けの酸味が美味しいという感覚は岩手県人に有るのだろうか…
そもそも「糠」は「米ぬか」である。
玄米から白米にする過程でとれた糠である。
米は収穫後、玄米で集められ江戸へ出荷した。
多くの米問屋が集まる江戸では、白米を精米したために米ぬかが豊富に余った。
(江戸時代「えどわずらい」という病気が有ったという。
白米だけ食べたのでビタミンB1不足の脚気のことをいう)
ところが産地である南部は、玄米出荷なので米ぬかは残らない
そんな中で糠漬けが食文化として根付いていたのだろうか…
酸味は、古漬けの漬物というイメージである
つまり古い!腐っている!という酸味なのである

糠漬けの「塩気と酸味」、そのバランスはもともと南部には根付いていないのかもしれない
そんなことを考えながら、売れるものではなく、食べさせたい食文化をつくるのが仕事だ

と思う今日このごろ!

 

電話考

電話が嫌いである
と言って電話をマナーモードにしているわけではない
ところがいつも”マナーモード”である
かけている人は、イライラして何回もかけてくる
いつのまにか「何回も電話したのに…」と逆ギレ(?)する

0-30

大学生の頃まで電話は呼び出しであった。
呼び出しとは
「オタクに、電話がかかってきましたよ!」と隣のおばさんが、呼びに来たのである
「すいませんね〜いつも、いつも」と言って隣の家の夕食を囲んでいるところに電話をもらい(そう言っていた?)に行った。
おかずは、煮魚にほうれん草のおひたしだった。

社会人になって初めて机の上に電話があった。
一つの課、6人で3台の電話機だった。
課長専用と、古参の頻繁にかける人と、その他に一台だった。
その他の人が営業に出かけると、事務の女の人と新入社員と二人だけになって、困った
女性の手前、良いカッコをしたいが、受話器が取れないのである
なんせ仕事の電話だから、早口で聞き取れない、それに専門用語の羅列、そして関西弁である。
ヘレン・ケラーの三重苦である
毎日、電話が鳴らないように祈る日々の新入社員時代だった。
ところが会社は、「電話が三回なるまでに受話器を取れ」と指示された
ようやく電話になれた頃、今度は一日電話の応対をするポジションになった。
ラグビーで耳が潰れてちょうどよかった。受話器を押し付けた耳が、ぺちゃんこで痛かった。

そのころ教えられたのは
「相手に電話をさせろ」ということだった
昼休みで誰も居ない時に部長と二人になった。
「後から電話させます」と言ったら
湯気を立てて怒られた
「自分の家から電話してみろ。いくら掛かると思っているのだ」

仕事はそれで慣れたのだが…
女性に電話番号を聞くのは、なかなか出来なかった。
聞き出す技を、いろいろと教わったものだが、どれも成功しない
そのころ公衆電話で長電話して長い行列をする景色がよく見られた
たぶん彼氏に…彼女に…愛の語らいか…別れ話のもつれか…長い電話だったのだろう
どの電話ボックスが先に終わるか、10円玉を一杯抱えた若い男がウロウロしていた。
今、赤い公衆電話はもちろん、緑の電話があるボックスもみない
そういえば…と言うところに時折見かける

0-37

農業の世界に入って畑や田圃で用事を思い出して携帯電話で連絡をする
そうだ
これだ!と20年前に思った。
農家は誰も携帯を持っていなかった
「街の人は公衆電話がいたるところにある、田舎の農家こそ必要」と言いふらしたが…
だれも必要性を感じなかった。
あるとき農家の女性が
「携帯番号を教えてあげる」といわれ驚いた
農家が持っていることではなくて…
女性の電話番号を簡単に聞き出すことが出来たことに対してである

それから急速に携帯が増えてさまざまな事情も変わった。
そんなときに以前教えてもらったことを思い出した

「電話は失礼である。相手が何をしている最中でも呼び出す」
以前は「三回なるまでに出ろ」という言葉も、40年で変わってしまった

今、スマートフォンというらしい
なんでも指先で画面が動くらしい
鉄の塊が空をとぶような感じだ。信じられない。

便利らしいが…不便が、ちょうどだ
生きるのに不自由がなくて、やるべきことがいっぱいある、

0-35

哲学の森

2016第11回哲学の森案内

いつものように「哲学の森」が開催される。
内山節の講演である。

今回は、申し込みが順調だ
ある施設から、大量に参加申し込みがあった。
と、山本先生は言う

去年から、参加者が増えてきた
岩手大学の公開講座に。なったせいだ
今までは10数人のアットホームな雰囲気だったが…

もともとは、別のところでやっていたのだが…
主催者が重荷のように感じていたので、山本先生に頼んだのだ
もうひとつ訳があった。
その街に哲学好きの男がいた。「哲学は俺に任しておけ」というような人だった。
彼は面と向かって内山氏に
「おまえの言っていることなんか哲学と、認めない」とわめきたてた
内山さんは、困惑した顔をした。

内山さんの話す言葉、書く文章は、わかりやすい言葉だった。
哲学の難しい言葉は使わなかった。
例えも、わかりやすい例えを使った。
多くの人が理解できる話だった。
それが彼には癪に障ったのだろう
哲学とは難解な学問である。哲学に興味を持っている人しか理解できない。
それを、わかりやすく言われては…立つ瀬がない
そばで見ていると、そんな雰囲気だった。

中学生の頃、難しい本を読んでいる奴がいた。
難しい言葉で感想を言った。羨ましく思った。
あんな言葉が理解できて、使いこなせて主張できるなんて…
そんな風になりたいと…
先日、還暦祝いで会った。
世の中の見方や生き方が、彼らしくなかった。
当たり前の…昔からの…をひきづっているように感じた。

内山さんは、歴史から経済から技術から、昔の事から、最新のことがらや、考え方や生き方をわかりやすく話す
ある人は「哲学者よりも民俗学者と名乗ったら…」と言い
「経済人が、話を聞きに来る」と
「官僚が、おおく集まってくる」という
そして農民たちが、多く集まって勉強している。
難しいことを、わかり易い言葉で語るのが、一番難しいのである
ある人が言っていた
「内山節は天才である」

8月20日21日岩大演習林にて

ゆうき

IMGP3494こんな商品があった。
達筆の筆字のパッケージ(?)だが…
崩して書いてある文字は、どうやら「豪州」「有機」らしい
裏を見たらIMGP3496
オーストラリア産の有機小麦粉という表示だ。

 

有機認証制度ができるときに、議論されていたことを思い出した
有機認証制度とは無農薬・無化学肥料の有機農産物を、公的機関が認証するという制度である)
そのときに有機農産物とは何か?という議論がなされた。
単なる「農薬を使わない。化学肥料を施肥しない。」のが有機農産物なのか?
「それなら中国で作った無農薬・無化学肥料の農産物は有機農産物なのか?」
と言う議論がなされた

これは中国ではないが、オーストラリア産の有機小麦粉である。
現実、中国産や豪州産と言っても、日本の基準で日本人が指導し、収穫後、日本の方式で管理している商品が最近では多くなった。
グローバル社会では、どんな国で作られようと、日本の基準を満たしていれば「日本産」と同等の商品となるのだろう
ただ”人件費”や”地代”が安いので価格的には、「安い」
「いいものを安く」という発想の中からは、海外の輸入物の認定を受けた農産物も、国産有機と商品的には一緒である。

それで、いいのか?

と言う問題が、認証制度が創設されるときに議論されたのである
そもそも「有機農産物」は最近の話である
戦前は、すべて有機農産物だった。(誇張があるが…一部は化学肥料を使っていた)
だから、わざわざ認証する必要も有機農産物と呼ぶ必要もなかった。
それが戦後の食糧不足で増産運動が盛んになり、昭和30年台後半にようやく米が自給できるようになった。
その増産運動が過ぎて昭和40年代後半に減反制度が出来たのである。
そのとき有吉佐和子の「複合汚染」が出版され”環境問題”という存在が明らかにされた
と同時に食べ物も、戦後の農薬・化学肥料多投の栽培方法に疑問を持つ人が言った言葉が「有機」という言葉である
有機農産物というのは、たかだか40年の言葉である。(これはバクッと言っている。(笑)

その時は「有機」というのは”環境問題”が内包され、そしてその環境問題は”地域”というのが当然の事ながら入っていた
なぜなら自然環境は、地域によって違うから…
そして「拡大」を続ける社会に警告を与えながら「循環」の社会の提案でもあった。
その循環は資源の循環ではなく、社会循環であった。

 

数年前、ある農家から相談を受けたことが有った。
「こんど出来た直売所で、”トレサビリティ”という法律が出来て、農薬から肥料からすべて書かないといけない。どうしたらいいだろう」という相談だった。
「並べた農産物のそばに自宅の地図を張りなよ。そして”いつでもどうぞ”という言葉を添えて…」
「循環型の生活をしていますよ1いつでも見に来てください」と言う意思表示である。
合成洗剤や化学調味料や、化学肥料・農薬は使っておりません。と言う自身の生き方の意思表示であり
そして枯渇する化石燃料を、大量に使用した生活は望んでいませんという…

有機というのは単なる付加価値ではない
有機は、奥深い言葉である。

 

お約束どうり

先週に続いてテストマッチ(国対抗の真剣勝負)第2銭をじっくりみた。

IMGP3418 IMGP3420

おかげで35缶を二本も空けてしまった
先週と同様、僅差で負けたが…

強くなった。
素晴らしく強くなった。
たぶん勝利は、後からついてくるだろう

ふと思い出して本棚の奥を探した
こういう試合を見ると、youtubeのラグビーシリーズを見たくなるが
昔、買ったビデオである。
一番最初にテストマッチでスコットランドに勝ったのを思い出した。
平成元年5月28日、まだ東京にいた時分である。

IMGP3432

見ようと思ったら、ビデオデッキがない
考えたら魔子様が二階に持って行っていた。
記録しても再生機械が無いと宝の持ち腐れである
中学生の頃だろうか、初めてテーブレコーダーを買ってもらって
父が酔っ払って帰ってきて喋った言葉を録音して、翌日家族のみんなで笑った。
その時の父の気恥ずかしい顔が、思い出される。
家庭の日常が、後から再生できるのというのは、画像としてのカメラと、音声としてのテープレコーダーが初めてだった
しかし、そのテープレコーダーはカセット式ではない。
何と言うのだろう長いテープだ!
そのテープが有ってもたぶん家庭では再生できないだろうし他に移すことも出来ない
それからカセットテープになり、CDになり、MDもあった、そしてDVDとなって、今はなんというのだ?
カセットテープが山となり、CDが積み重ねられ、MDも隙間にはいり、
まだ録画してない購入した新しいDVDが本棚の片隅に並んでいる。
科学技術の進化は、家庭にごみの山を築く。

 

平成元年の日本VSスコットランドの試合は
監督宿澤広朗が「この試合は勝てる」と予言をし
試合後「お約束どうり…」と得意満面の笑みが、脳裏に刻まれている。
これはいつでも、どこでも再生できる
その宿澤も、もういない。

われわれの老後

ここ数日、何人かの若者がきて話をしていった。
若者と言っても、30代中頃から後半にかけてだが…

ある若者は「生活の安定を失いたくない」と言い
ある若者は「ボランティをして相手に喜ばれ、役立つ喜びに目覚めた」という
ある若者は「就活して跳ね飛ばされ、仕方なく派遣だが、そろそろ将来を…」と言う
ある若者は「ようやく職を得たが、故郷に戻りたい」と言う

以前は、中卒なら中卒なりの、職業高校ならその専門分野、大学でればホワイトカラーと決まっていてそれに準じた職業があった。
そして大勢の若者が都会を目指した。
それが崩れてきた
いや崩れて、良くなったのか?悪くなったのか?

経済が上向き、だれもが高校へ入れるようになり、大学も増え、
高専などという選択肢もあり、専門学校などが増えて学校教育が多様化していった。
教育機関が多様化するということは、就職する人材を求める企業がポジションが専門化して多様化しているからだろう

いつの頃だろうか…
銀行で「理科系の人材を求めている、進歩する技術に対する融資対応のため」と言う話をきいた
小生が就職するころ「リクルート」という会社ができた。人材募集の会社だという。そんな会社も社員募集をしていた。
企業へ就職すると「そこでしか生きられない。そのルールで対応する」というようなことが刷り込まれる
だからいい会社へ就社して、一生を安定してすごすみたいなことが金科玉条のように言われてきた
その仕事の内容はなんでも構わない。”営業だろうが…” ”技術だろうが”…” 事務だろうが…”

だから働くということは会社に入ることだった
その意識が変わってきたのがこの頃だろうか?
圧倒的に、まだまだ企業志向や、公務員志向が多いが、
なんだか小生の周りは、本来の働き方を求める若者が増えてきたような気がする。

たぶんそれは、不安定な要素が多いからではなかろうか
国内政治・世界経済・グローバルな家電生産メーカーや大規模自然災害などの不安定がどんどん流れてくる
そんな中で安定した人生で、年金の老後などという虚像が消えたのかもしれない
われわれは若者に学ぶべき老後なのかも知れない。

この子が成人する頃には、どんな社会になっているだろうか?

IMGP3351

昭和が消えた

マルカンデパートが営業を止めたというニュースが大々的に流れていた。
岩手は花巻の老舗デパートであるという
大食堂で箸で食べる、高くて大きなソフトクリームが有名だという
スクリーンショット 2016-06-23 3.01.13

魔子様がテレビを見ながら…
「ソフトクリームが原価割れしてるのじゃないの?」と茶々を入れた
ソフトクリームは原材料が「ラクトアイス」から「アイスミルク」「アイスクリーム」と乳脂肪率から三種類あり
当店のソフトクリムは最高級の「アイスクリーム」を使用している。
それに自然放牧の山地酪農の牛乳をまぜているので原価率は相当に高い
たぶん当店の経営を圧迫しているのはこのせいだろう(?)

マルカンデパートのソフトは「山が高い」「箸で食べる」「量が多くて食べきれない」ということだけが流布されているが
「美味しい」という言葉は聞いたことがない。
ソフトクリームは、持ち帰りが出来ないから、
それだけでも希少価値(?)だったので、単なる客集めの食材でしかない。

そのマルカンデパートが「43年営業して閉店した」と言う
そして「昭和がまた一つ消えた」と…
ふと「昭和」と言うのは何時の時代を言うのだろうと思った

43年前と言うと…1973年
小生が22〜3歳だからまだ学生の頃だ。岩手にいない頃だ
どうりで記憶に遠いわけである

テレビでは40代後半とおもわれる男が泣いていた
そうかマルカンデパートが開業当時5〜6歳だから、記憶はマルカンとともに有ったのか?
しかし、だからといって「昭和」と言うイメージがマルカンデパートと、一致しないのは小生だけだろうか?

 

朝起きてトイレに行き、パソコンのスイッチを入れてグーグルのニュースを見る。
いつものルーティングワークである。
それに飛び込んできたのは「ダークダックの佐々木行が85歳で亡くなった」と言う
え!85歳!

調べるとダークダックスの4人のうち三人が亡くなっている
まだ存命なのは「ぞうさん」だけであるという

スクリーンショット 2016-06-23 2.50.13

子供の頃、掘り炬燵に足を突っ込んで、ラジオから流れる澄んだメロディーを聞いた
そのときに軽快な…、そして物悲しげなロシア民謡というのを初めて聴いた。
テレビを初めて購入して、白黒の画面からダークスーツに蝶ネクタイと言うイメージが、かっこよかった
1951年グループ結成と言う。まさに戦後の昭和を駆け抜けたグルーブだった

昭和というのは「戦前の昭和」「戦後の高度成長期の昭和」と2つ有るのと思う
その後の高度成長期後の昭和(昭和50〜60年ごろ)は、「狂乱の平成前夜」という感じだ。

あのつつましやかな生活から、一気に駆け抜けた「高度成長期の昭和」をきっちり反省しないと、
平成の時代を生きる若者たちに申し訳ないと感じる。
また一つ消えた昭和である。

本が届きました。

”本を買った”と言うか…。取り寄せた
以前は、本を買うのは本屋
取り寄せるのは、新聞の書評とかで見て、「読んでみたい」と思ったものは、本屋で取り寄せていた。

いつの頃からだろうか
Amazonで取り寄せるようになったのは…

以前に「アマゾネス」というアマゾン川の周辺に住む女賊の話という映画の題名があった
(と思っているが見ていないから憶測で言うのだ。内容は女の裸族が男を襲う話しか?と思う)
いやそれ以前には、南米で最長の最大流域の川の名前だとは知っていた

だから、Amazonがパソコンの(インターネットの…)本屋だと認識したのは、ここ数年前である。
便利である。
あっという間に読みたい本が着く
躊躇するヒマもない。間違ってクリックすると取り消すのが大変である。
送料が無料だという
中古本まで売っている
こんな本を読みたくありませんか?と聞いてくる
それがズバリとハマっている。

おかげで本が増えた。
しかし、今は亡き”こうさん”と話をしたことがある。
「便利だけど失うものは、街の文化だ」と…
”こうさん”も奥さんに怒られながら、Amazonから取り寄せていた。
ちいさな本屋が消え、地元の本屋も売れる本を中心に品揃えしている
「売れないが読ませたい本」と言う主張が無くなった。

 

そんななか地元の書店で取り寄せてみた
この本は、地元の書店で取り寄せるべき本であると思った。
店員は「届いた本の連絡はいかがしますか?」
「留守電になっていたら。届いたことを連絡してよろしいですか?」
と丁寧に聞いてきた。
翌日には着かなかったが、
数日後の夜、見慣れない着信番号と留守電が入っていた。
「取りよせの本が届きました」

IMGP3291

手に取るのが楽しみである。
いつも思うが、地元の文化に関わる本は、丁寧に読みたいと思う。

小農学会

IMG_2157

佐賀の農民作家山下惣一さんから「小農学会」という冊子が送られてきた。
昨年、11月に設立した農民と学者の学会(?)だ。

小生にも案内が来たが、設立総会は九州は福岡でやるという
行けないが、学会の趣旨に賛同して会員として参加を表明しようとしたら
いきなりの腸閉塞を発症して病院へ飛び込んだ。
そんな入院騒ぎで、参加の表明をせずにいたら、どうやら業を煮やしたのが設立総会の内容の冊子を送ってきた。

IMG_2158

仕方なく(?)、喜んで会費を振り込んだ。
設立趣旨は

20世紀は二つの世界大戦や内紛など、繰り返される戦争と、一方では人による地球環境を破壊していく世紀であった。21世紀こそ平穏でありたいと、 多くの人々は願ったはずであるが、21世紀を迎えても対テロ戦争など新たな戦争が繰り返され、人の心も乱れ、地球環境も益々悪化し、世界は混迷の一途をた どっている。我が国もまた戦争の出来る国へと変容した。

戦後のわが国は豊かな生活を求めて、経済大国として復興したが、一次産業(農林水産業)から二次(工業)・三次産業(サービス業)へ、農村から都市へと人は大移動し、過疎の村と過密の都市という地域に二極分解した。

古来より光注ぐ太陽のお蔭で、人は大地を耕し、生き物の命を育み、その命をいただいて生きてきた。今や大型スーパーに並ぶ豊富な食材を、多くの都市生活者は第二次、三次産業で得たお金で買い、生き物の命を育み命をいただく意識は薄れている。

既成の情報や知識が役立たなくなっている今日、このような状況を打開するには、何を価値の基準とし、何を頼りとして現在を生きるのか。その答えを 出していかなければならない。これまでの価値観から抜け出し、斬新な発想に立って、自らの生き方と、わが国の進路、とりわけ農業・農村社会の方向性を探求 していく必要がある。それには既成の組織やマスメディアの情報のみに依存せず、自らの意志と頭で学習を積み重ね、研鑽する努力が今求められている。

貨幣経済が発達し、人は都市に集中し、村の小学校が廃校となり、集落が消滅し農村が寂れていく。にもかかわらず相変わらず農政の流れは、営農種目 の単純化・大規模化・企業化の道を推し進めようとする。それに抗してもう一つの農業の道、複合化・小規模・家族経営・兼業・農的暮らしなど、小農の道が厳 然としてある。なお小農とは既存の農家のみならず、農に関わる都市生活者も含まれた新しい概念と考えたい。このいずれが農村社会の崩壊を押しとどめること ができるのであろうか。これを明確にしなければならない。

このため、小農の道をめざす勢力がもっと結集し、研鑽し、社会的発言力を高める必要性が有るのではないか。

 

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い