ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

いとパンⅡ

常連さんは、ブログを書いても書いてもコメントが無いと、
「どうしたのだろう?」「あの人は今?」という形になるが…
初めてコメントをくれる人には、びっくりすることが度々有る。

数年前に「トラ子とドラ子の同居人」という名前でコメントがあった。
トラ子は”入道の独り言”を丹念に読んでいるらしく
「前に、こんな事が書いてあった」と指摘される
「覚えがない」と返事をすると
「何月何日に、こんなテーマで…」
脱帽である。帽子だけでなく頭ごと脱毛した。
どうやら夫婦で読み込み、書き込んでいるようだ。
ある時から、ふとコメントが途絶えた。
風のうわさで、トラ子がで亡くなり、看病していた同居人も
張り合いが亡くなったのだろう。書き込みも消えた。
(「風のうわさ」も大きな出会いが会った)
しかし、その噂で”トラ子”は、小生の高校の同級生だったということが判明し、
50年ぶりのブログでの出会いに、驚愕し、驚き!恐れおののいた。(?)
ブログには様々な出会いがある!


今回のブログの出会いは、三年前に書いたブログ
いとパンである
これは、伊藤誠逸さんという若き癌で亡くなった高校の友人を偲んで
親友が作った追悼集をもらった時のブログである。
東京に住んでいる彼は、高校の仲間と会う機会が無い。
また広い東京で同郷の人や、関係性の有りそうな人という付き合いも無い。
「これを、ちいさな野菜畑に、置いてくれ」
「興味がある人がいたら、上げてくれ」
と言って東京へ帰っていった。
多分、顔の広い、態度のでかい、太っ腹で、大胆に失敗する入道なら
”誰か配る人がいるだろう”と想ったのだろう。
ブログを読んで、ポチポチと取りに来た人がいる。
ブログを読んでいなくても、
小さな縁(同窓生・同じクラブ等)を見つけては、配って押し付けた。
そんなことを、すっかり忘れていたが…
突然、問い合わせが来た

お問い合わせ内容:
突然のメール失礼致します
『入道の独り言』2016年1月1日記載のいとパンを読ませていただきました。
懐かしい”かたくりの花の写真”を見て、びっくりしました。
記載の文にある『いとパン』こと故伊藤正逸は、父の親戚なのですが、
貴殿の優しい文章に厄年で早世した名前を見つけ、
本当に驚き涙にむせびました。追悼文集が発行されていたことを知り、
なんとか連絡をいただけないかとこちらの方に書かせていただきます。
亡き正逸は歳の離れた兄弟のような関係で、
父は今でもかたくりの花の写真を大事にしております。
そんな父も今、癌と闘病中です。
それで、不躾なお願いなのですが…
お手元にまだ『伊藤正逸追悼文集』をお持ちでしたら
是非お譲りいただけませんでしょうか?
突然のお願いのメールで大変恐縮しておりますが、
どちらで買い求めたらよいかもわからず、
発行元も全くわからないので貴方様を頼りにメールさせていただきました。
お忙しい中申し訳ありませんが御返事頂けたら幸いです。

驚きである。
昔のブログからこんな縁が広がるのだ。
これがネットではなく、個人の書き綴った日記なら、こんな広がりは持てない。
読まれることの恥ずかしさと、突然の未知の人との出会い、
それがネットの良さなのか…
一生懸命に書かなければ…と、
書き込みをサボっている入道の反省しきりの早朝であった。

誇り1

たぶん子どもの頃、このあたりを駆けずり回って遊んだだろうと思う
岩手山が優しく見下ろす盛岡の鬼門と言われる北側の一角である。
お寺からは、にぎやかな音楽と喧騒が流れてくるが、
町中にあるのに、何軒ものお寺の共同の墓がある閑静な場所である。
そんな場所に、まんじゅうを伏せたような墓石の墓がある。
こんなところに眠っていたのだ。先代の住職は…
隣には「朴」という(韓国の女性だろうか…男性だろうか…)
墓と並んで立っていた。
倶会一処という墓を作り、生前の会費制で、誰でも入れる会を作ったという
そして身元不明の人など役所の要請で誰でも受け入れるという
アメリカ原住民を泊めて一騒動おこした住職らしい場所である。

先代の住職の墓石には、掘った名前が消えているのだろうか…
もともと名前なんか掘っていないのだろうか…
墓石を隅々までみても。それらしいものが無い。
しかし、その変わった形を見れば。それが専立寺代々のお墓とすぐわかる。
そろそろ1周忌がちかい。木枯らしが吹く11月だったから
盆明けの8月も末は、秋風が吹き始めるころなのだが…
まだまだビールの美味しい暑い夏の最後
「大菩薩マーケット」と言うお寺の行事にしては
にぎやか過ぎた行事だが、これが最後のマーケットだという音楽が
墓場に響いていた。
おもえば先代の住職も、変わっていた。
昔は、人が集まるところがお寺だった、と言っていた。
「寺は部落の…村の集会所だ」と
変わったお寺だったが、変わった住職だった
それに魅せられたのかもしれない。

熱力学と経済(?)

猛暑日になるという。
魔子様は、日課のウォーキングから戻ったら
「外は暑いね」と汗を拭った。
庭の木立を抜ける風は爽やかである。
木々をわけて室内に流れてくる空気は、葉から冷気を取ってくるのだろうか
家の中に入り込む風は、冷たい。

そんなとき、ふと考える。
外の暑さと部屋の爽やかさと…
その温度差が、どこから出てくるのか?

ある科学者が言っていた。
世の中に絶対に正しい法則(?)は一つだけ
「熱力学第二の法則だけだ」と聞いたことがある。
熱力学第二法則というのは、熱は高温から低温に移る(?)というものらしい。
そういえば低温から高温には移動しないし、温度も自然には上がらない。
当たり前だ!と思うのだが…
どうやら、そういうことをきちんと、言葉や文字で証明するのが科学らしい。
 話が飛んだが、外出からもどって家に入ると太陽から遮断され
太陽の熱(輻射熱)を浴びたものから、熱を放射され体が熱く感じるのに、
家の中は太陽から遮断された空間のために、ひんやりと感じる。
それだけではなく、家の中を通り抜ける対流熱は、体から熱を奪う
なるほどだから、熱力学第二の法則絶対的真理なのか…

そんなことをふと考えると
時の政府は経済第一というが、経済という仕組みは不思議だ。
経済とは、明治のときに経世済民から福沢諭吉がとったという話がある。
経世済民とは「世をおさめ、民をすくう」ことから来ている
それがいつの間にか、金の流れを円滑化することや、金を使うことに矮小化されてしまった。
本来、ものの流れを速やかにして民の暮らしを助けるべき仕組みの補助が、
貨幣であるのに…
貨幣を集めて大量に動かすことが、主眼になってしまった。
兌換紙幣である貨幣の価値を高めることが大きな意味を持つことになった。
そこにあるのは変わらない価値をもつ貨幣への愛である。

熱が高温から低温に移るように…
経済とは、民をすくうために、物の移動やサービスをすみやかにするべきものだ
そのために有るところから無いところへ速やかな移動のための貨幣だったのだ。
それが人々の移動を拒む貨幣愛に、経済の問題はあるのかもしれない。



最後のお願い

最近聞き慣れない外来語ばかりになってきてしまう
聞き慣れないだけなら良いが、覚えられない、それが問題だ。
老化と言いたくないが、時代についていけない
外来語を、いちいち検索しないと理解できないが、
検索してもリノベーションとイノベーションの違いがわからない
というか「日本語で言えよ!」という感覚だ。
だんだんと、”あちら”と一緒で機能不全に陥ってしまう。

以前に誰からか聞いた。
「盛岡でパフィーをやるんだってよ」
「なんだパフィーて、歌でも歌うのか?」
昔はビーナッツとか、スリーグレイセスとか、女性のグループと想像ができたが
最近は名前から想像できない、これは創造力の欠如か?
なんでも市民公募のコンパだという、
皆で呑むのか?と思ったらコンペだという
コンパとコンペは何が違うのだ。
わかるように言え!と思う今日このごろ。

で、ようするに岩手公園の中に芝生を削って土産物屋を作るという話だ。
なんでもファッション業界のブランド・メーカーという。
そんな現代のメーカーは知らない。
昔、服飾メーカーといえば
レナウンとか、小杉とか、樫山とか…
婦人物では東京ブラウスとか、ニコルとか、ファイブフォックスとか
丸高衣料とか、サトウニットとか、東京スタートとか…
要するに昔、若いときに付き合っていたアパレルメーカーだが…

と言ってもこれは若者の選択である。
目先の売上の話は、年寄りでいいが…
町のあり方を変えるというのは若者である。
そして20代30代の若者が、自分の子供達にどんな盛岡を残していくのか…
新しくものを作って変えるというよりも
変化の激しい時代、先の読めない時代
子どもたちのために孫たちのために何を残すべきなのだ?
そんなことを考えないと、ただ目先のことだけで
後悔をのこすことになる
そんな思いを持ちながら、
スピーカーを鳴らして走る街宣車の「最後のお願い」を聞いた。

しかし、大胆だね。岩手県民だったらあそこに建てるという発想はできない。
いやあそこで、ものを売るという発想はできないだろう。
最近、何でもありの時代であるから仕方がないのか…
ただ、若者はどう想っているのか?
以前、ショッピングモール設置の意見交換会で
ある若者が「反対すると盛岡は遅れてしまう」という意見があった
まさに今、遅れないで皆と一緒、一斉に同じ町並みになってしまった。
岩手公園の芝生でそんな展開をすることが、岩手らしさにつながるのだろうか
同じ失敗をしてはいけない

護美箱

母屋がある。
母が暮らしていたところだ。
いま母は施設でタンスが一個とベッドだけでシンプルに暮らしている
暮らしていた母屋の片付けが大変である。
何十年前のものが、積み重なってある。
母親に聞いても無駄である。
何を言ってもニコッと笑うだけである。

仕方がないので魔子様と一緒に片付けている。
片付けないと、後が入らない。
片付けると言いながら、ゴミ処理に出すのだが、
ゴミ処理が細分化されて、まごまごする。
「ほら”プラ”と書いてあるでしょう」と言いながら
「それは汚れているから、生ゴミよ」と指示される
全く最近のゴミ出しは、難しくてわからん。
人間のゴミは、簡単に見分けられるのだが…?

魔子様の東京の下町の実家などは、間違ったゴミを入れると、
ゴミ袋を開けて犯人を特定して追求するという。
そこまでは行かないが「あそこのうちは、だらしない」と言われるのがつらい。
と言いながら「これぐらい良いか…」とちょっと舌を出す。
しかし、新興住宅地などは町内会などに若い人が顔を出さないという。
そして町内会のゴミ当番もやらないという。
それでは、コミュニティはできるのか?
街の中が汚いと言って、行政にすべてやらせるのもコストが高くなるだけだ。
と言いながら自分も最近になって町内会長が誰か、見分けられるのようになった

しかし、紙と木と食べ物だけがゴミだった時代が懐かしい
その頃は「護美箱」だったのだろう
江戸末期や明治初期にきた外国人は、驚嘆したという
あまりにも、整然とした田舎や町を見て

「日本人は質素だが清潔であった」

軽くて安価なプラスチックなど素晴らしいモノを生み出しながら
その簡便さと大量生産で、我々は、川を森を海を汚してしまった。

暇な一日

行くところが無くなって暇な日が続く。
いや本当は暇ではないのだ。やるべきことが山とある。
しかし、切羽詰まっていない。それが問題だ。
切羽詰まってやろうとすると、時間がないと言い訳する。
切羽詰まらないと、やる気が起きないと自分を納得させる。
そんな日々が嫌になって、何か始めようとする。
とりあえず洋服ダンスの中を片付けた。
だいたいがウエストが79から94までのパンツがあるのだ
やせたら79は無理やり入る。
ちょっとお腹がくちくなって、少し動こうとすると94のゆっくりしたパンツを履こうとする。
だから洋服ダンスは、ほとんど履かないものだらけでいっぱいだ(?)


そんな日々の毎日に、様々なことが頭をよぎる。
少し頭を整理しようとした。

岩手山と姫神山(並んでのツーショット)

「はたらく」という言葉は「はたを楽にする」と、日本人の働き方を表していた。
つまり働くことによって、周りとの人間関係を良くするというような意味かと思う。
日本人は江戸時代以前より、働くことによって自分の技をたかめ、自身が向上し周囲に貢献をするという精神の習慣を持っていた。それが欧米の産業革命後、日本も影響をうけて、働くことによって賃金を得て、生活を成り立たせるという働き方に変わっていった。
つまり今のグローバル社会は、賃金を得るために、自分の時間を売るのが労働になってしまった。
そこには時間あたりの効率的な働き方が求められ、働くことが単なる効率化競争になってしまい
労働の楽しさを得ることが難しくなった。
本来、島国の日本人は、働くことよって周囲から喜ばれ、自分が地域社会から認められることを喜びとする人ではなかったのか?
そんな疑問を持ちながら、今の人口減少の地方都市の中小企業のあり方を考えてみると、
これからの生き方が見えてくるような気がする

つまり、物を売るのではなく、物を作った自分の技で相手との関係性を作るという生き方である。

そこには、自分の技の向上が求められ、それを認める地域の人々がいて、ものが流れるという
本来の、顔だけでなく、人が見える関係の世界が広がる。

そこは「見える範囲」という、広がっていかない循環の世界である。まさに、これからの人口減少社会の地方のあり方ではないだろうか?
自然豊かな地方都市は、これから減少スピードが増し、あっという間に限界集落になってしまう。そこには人が少なくなっていくことで自然によりそった、人と人が助け合う地域ができる。
そんな地域の核となる小規模複合融和施設を作りたいと思うその店は、その狭い地域にとって必要な業態の店であり、みんなが関わり合って新しい関係性をつくることを目的とした店である。

まだ死なない

家庭菜園のすすめ
土壌微生物が免疫力を高めるという

数年前に、乳がんにかかってこれから手術だという戦友がいた。
大変なことだ。一生懸命に励ましていた
つい先日、連絡があった。
まだ生きている。

昨年、ステージ4だという知人がいた。
「治療を何もしなかったら余命は8ヶ月」という
そろそろ、やばいか?と思っていたが、
何もしないでも、進行していない。余命8ヶ月のままである。
聞くのを忘れた「いつから余命8ヶ月なのですか?」

若い友人がいる。
彼は抗がん剤の影響か頭を丸めている。
抗がん剤を4クールしている(?)という。
彼いわく「知っているおばさんは13クールして病院から表彰された」という
彼は言う「年をとって体力が落ちてから治療ができないかも…」

癌は早期発見・早期治療だという。
どうやら違うようだ。
そんな疑問も出ているようだ。
朝日新聞 論座引用
がん 早期発見・早期治療が善であるとは限らない

結局。人間が千差万別だから、様々な症例が現れるということらしい
知人夫婦は乳がんと胃がんの夫婦だったが、胃がんの旦那は心不全で急逝した。
親友の夫婦も両方共癌だったが、奥さんがなくなったあと、がん治療の退院後、独りで脳溢血でなくなった。

癌が発生しても他の原因で亡くなることが当たり前だ。
ひょっとしたら交通事故で一杯亡くなっているかもしれない。

そんなことよりも、自分らしく生きる。
死に至るまで成長(?)し続けるということが大事だ。
そして明日も無事な世界が広がることが…

ゆっくり温泉でも行って…
と思う人は羨ましい。
温泉に行くと血管が膨張して破裂して出血し止まらないのだ。
そんな人もいる。
無事な世界も、人それぞれ違うのだ。
無事な世界=いい言葉だ。

小生の感覚

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_2488-1024x768.jpg です
魔子様の花旅

魔子様の誕生日だ。
何日だ?とか…
何歳?だとか…
干支は何だ?とか…
機嫌は、いいか?…
体調は、どうだ?とか
他の人に、あまり細かいことを言うと、
魔子様の機嫌が悪くなるので黙っているが…
親友の奥さんの命日と一緒だ
師匠の奥さんの命日と一緒だ
長いこと生きていると、記念日が様々な人の記念日と重なるものだ

花束を送るなどというのは、人生で初めてである。
いや、昔あったな?
酔っ払って銀座の道端で花束を買って、いつの間にかバーの女に取られてしまった。(誰にも言っていないが…)
照れくさいのである。
花束を持って、歩くというのが…
しかし、この年になって花束を持って似合うシニアになりたい
と思うようになった。
心境の変化というか…
今、抱えている仕事のせいだ

ある花屋が言った。
ドイツでは週末、店を開けてはいけない。という法律があるそうだ。
しかし、パン屋と花屋は良い、というのだ。
なるほどパン屋はわかる、できたてのホカホカのパンは、家族団らんには必要だろう。
しかし、花屋も西洋では、それだけ大切にされ日常化されているのだ
日本では、せいぜい正月の花か?冠婚葬祭の花、
お盆とお彼岸と…(産直の…小生の感覚だが…)
お見舞いは…花より団子だろう(小生の感覚)
いただいても腹も膨れない(小生の感覚)
すぐ悪くなるのだから造花で…(小生の感覚)

ふとそんな事考えているときにアメリカ在住の日本女性がきた
「アメリカは、どうなの?」
「そう、なにかあったら、行きつけの花屋で花を買っていくわ」という
「う〜ん」

そんな訳で、花屋をベースにした店を作ろうと思っているのだ。
難しいのだ。だいたいがセンスがない。知識もない。
ただ若い友人たちがいる。それが頼りだ。

野菜畑をもう一度

”たくさん”から、一枚の絵をもらった。
「そうだ!この絵をサンビルに飾っておこう」と思っていたら、見えなくなった。
片付けの最中に、荷物に紛れ込んでしまったようだ。
仕方がない。そのうち出てくるだろう。
だいたいが紛失物は、ほとんど出てくるのである。
というか、書類に紛れ込んでいるので整理整頓すれば出てくるのだが…

5月末締切の障害者軽自動車税の減免申請期限の書類が、机の上の書類の山から5月31日にみつかり、6月1日に郵送した。
”これぐらい良いだろう!”と思ったが、翌日、市役所から電話がかかってきた。
「届きましたが…締切が過ぎていました〜」
「書類の山に埋もれていたのだっ!」と言い訳にならない言い訳を、してしまった。
当然、相手にされなかった。
普通は怒鳴り散らして粘るのだが、優しそうな女の子なので(声だけ)
黙って引き下がった。こんなことをは珍しい。(泣)

サンビルにある店のものを、自宅に運んでると本の間から出てきたようだ。
魔子様が「間に挟まってたよ」
「何の本だ?」
「たしか発酵の本だったと思うよ」という
今となって、でてきたから良いが、「発酵して熟成したら、どうすんじゃ!」

産直は高い

産直はもう、おしまいだろう。
もう十分に産直の良さも難しさもわかって、成熟期を通り過ぎたような気がする。
もう当初から、野菜畑は主張していた。
岩手の産直は、7月から10月の4ヶ月しかものをふんだんに無い。
だから4ヶ月で、あるだけ売れればいいという発想で経営的になりたつのか?
また直接市民に売ることで、街の八百屋にどういう影響を与えるのか?
結局、街の八百屋が消滅し、農林省が自治体に運営を任せている市場機能も八百屋が消えて赤字である。
そして街なかには「八百屋・肉屋・魚屋・〜屋」というものが消えていった。

残されたのは買い物難民と呼ばれる、車を持たない人々や、高齢化した世帯など弱者の世帯だけが、声なき怨嗟の声を上げ始めている。
ちいさな野菜畑は、最初から市場流通を入れて足りないものを補完しながら相場と農家の間を取り持っていた。

今、多くの人は言う「産直は安くないよ!」と…
日々の相場がわからない農家は「なんでも100円」だったのが、100円が安いと気がついて値段を上げ始めた。
しかし、買う八百屋のいない売れない市場は、どんどん値段を下げ始めた。
だから街なかには、値段が逆転しているものが多々見られる。
産直は高いのである。
良いものが高いならわかるが、良いものを見る目を消費者は持っただろうか?
いや生産者自身が、わかっているのだろうか?
生産者にとって良いものというのは、農協規格や量販店規格に対応しているのが簡単に金になる良いものなのである。
お客と農家は、良いものが違うのである。


野菜畑が取り組んできた「説明して、わかってもらえる良いもの」などは面倒くさいもので、だいたいが多くの人はわかりやすく説明できないのである。

説明して納得して買うものが、日々の糧になるべきなのである。

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