ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

紅木蓮忌

5月4日は紅木蓮忌である。
「こうさん」の命日である。
あれから3年経った。
朝、電話があった。こうさんの弟さんからだった。
「兄貴がなくなった」
電話の声は嗚咽が漏れていた。
たしか前日こうさんは「病院に見舞いに行く」と言っていたが…

あわてて、こうさんの家に行った。
呼び鈴を押しても、誰も出てこない。
庭にまわり裏に回り、病院に行こうかと思ったが
すれ違うと…と思い庭で待った。

いい天気だった
岩手山がくっきりと見えた。
今日みたいな岩手山だった。

庭の紅木蓮が咲いていた。

いつも奥さんと喧嘩をして店にきた。
奥さんとの諍いではない。
テレビのニュースを見て怒っているのだ。
それを咎められて、店にやってくる。

あれから三年。
当時よりも、どんどん右傾化してきた。
こうさんは動脈瘤破裂だった。
もし今なら、脳の血管が破裂するだろう

あの西郷さんのような風貌が懐かしく
まわらない口で口角泡を飛ばしながら…

この流れを止めるのは…
厳しいジャーナリストの目を持つ「こうさん」のちからが欲しい

うすっぺら

寿司を食べに行った。
寿司は好物である。

最近、外食をしていない。
そうなのだ。一人前が食べられないので誰かと一緒にいかないともったいない。

大きな男が独りで入ってきて「子供用のカレー!」とか、「お子様ランチ」を頼むのは気が引ける。
たまたまテレビで野菜料理のバイキングが有った。
なるほど、そこなら高いが魔子様と一緒なら残り物は片付けてくれる。
そしてどんな野菜料理がでてくるのか…参考になるか?

と思って出かけたのである。
ところが店はしまっていた。定休日なのである。
週初めは、土日営業の飲食店は休みのところが多い。

そこでそのそばにある「カレーの有る回る寿司屋(?)」に行ってみたのである。
入店するなり店員は「初めてですか?」と聞く
どうやら二人の格好は、いつも利用しているようには見え無いらしい

そういえば回る寿司屋は、子供が小さい頃に2〜3回行ったことが有る。2〜30年前だろうか…
そのころと大分様子が変わっていた。
なんと言ったって皿にドームがついているのだ
その皿を取り出すのにテクニック(?)が要るのだ。
何回も取りはぐれた(泣)
そして注文は、画面をタッチするのだ。
それがわからない魔子様は回っているものしか食べることができない
一生懸命周りを見渡すが、みんな簡単に食べている!
これでいいのか?

 

初めて寿司というものを食べたのは、子供の頃だ。
酔っ払って帰ってきた父が「寿司折り」を持って帰ったきた。
朝目覚めて、冷たい寿司を食べた。
それでも「美味しかった」
美味しくてもっと食べたいと思ったが
何を食べたのだろう?

高校を卒業し、家を出ると言うときに寿司屋に連れてもらった。
カウンターに座った。
何を注文していいのかわからなかった。
何を食べたのか?記憶にない。

大学のときはOBに連れて行ってもらった。
貧乏学生は「寿司屋」なんかに入れなかったが…
「ホルモン屋や養老乃瀧、こ汚い小料理屋」といろいろと連れて行った貰ったが、「寿司屋」に連れていってもらえるのが、一番の楽しみだった。
しかし、一年に一度か二度である
何を食べたか忘れた。

 

会社に勤めるようになって「回転寿司」ができた。
たまたま通勤路にできた。
勇気を出して独りで入った。
何を食べたか忘れた。

 

家族ができて、何回か回転寿司にいった。
子どもたちは回っている寿司よりも、デザート類をとった。
「ちがうのを取りなさい」としかった

家の近くに「寿司屋」できた
たまたま同級生の妹がやっているという
そこで初めて寿司屋の常連になった。
そこで初めて職人の技というものを知った。

寿司屋は、寿司職人の技を見るものである。
廻る寿司は、形を作っているだけである。
ふと「職人の技」というものが「効率」という科学技術で、ないがしろにされているのだろうか?
それも社会の進歩だとしたら、
「進歩することが良いことなのか?」と言う検証が必要だ。

「技というのは人が神に近づく努力のたまもの」ではないか?
そんなことを考えた

 

鮪ばかり食べ終わった後、魔子様は
「なんだか、薄いね」と言う

薄ぺらな世の中になった。

 

 

 

 

売るためには売らない

「売る」ということをずーっと考えている。
「どうしたら売れるか…」

しかし、それが自分の仕事だった。
社会人になってから…ずーっと
そして結論は、「売るためには、売らない」ということだった。

多分売るという手法は、ほとんど出尽くしているだろう
買うという行為を掘り起こすための商品の見せ方や単価の提案、言葉つかいなどの接客方法。
そんな手法を書いてある本が山ほどある。
それを実践すれば、そこそこのスキルは上がる
しかし、それはみえみえである。

人口が増えていくモノのない時代、ちょっとしたアイディアですぐ売上は上がった。
売る方は、売る気満々。買う方も買う気満々の時代だった。
いま、人口減少社会、物余り時代、先行き不透明の時代、
そんな時代は初めてである。
「売れない」それが当たり前である。
売れるのは、余分なものばかりである。

まして食糧。岩手なら130万個の胃袋の容量しか売れない。
食べものは、安いから買っておこうと言うものでもない
おのずと限界がある。
そしてまず今現在充足している。
ジャー!都会へ売ろうとしても、
そこには他の46県からそう考えている人の熾烈な競争がある。
ジャー!海外へ…と国が考えても
日本以上の価格をつけるところは数少ない。
そこにも他国との熾烈な競争が展開する。
”新自由主義”なら、激烈な競争に打ち勝って栄冠を…
「努力すれば報われる」と、もてはやされるのだろうが…
しかし、その栄華は続くのだろうか…
どこかで壁にぶち当たり、落ちるか…変更を余儀なくされるのではなかろうか…
そこまで行きたいが…
競争という舞台は、最後は資本力の勝負である。
小賢しい智慧など、ふっ飛ばしてしまう。

 

「売る」というのは、競争に持ち込まれないのが望ましい。
(資本力が有るなら価格競争にもちこめば良いが…)
ところが野菜だけでなく目に見える価格は、必然的に競争に持ち込まれる
あちらが10円安いとか…30円高いとか…
価格競争で叶わないとなったら、品質や…サービスで…
つまり競争に打ち勝たないと物は売れない
競争に打ち勝つということは、競争に負ける人を作るということである。
他国や遠方の競争なら、負ける人は目に見えないが…
(目に見えないから良いということではない)
地域内流通
「売るためには、売らない」ということが必要であり、
足りない部分を補給する、知らない部分を教える、そんな程度のことである。

売上が、三寒四温である。
ようするに、良かったり、寒かったり…(?)

当たり前である。
「産直」と言うのは。端境期が有る。
岩手で言えば、岩手は夏野菜の産地である。
この位置づけは。都会から来た。
ようするに都市周辺で採れない時期に出荷できる野菜の品種が回ってくるのである。
暖かければ、なんでも栽培できると想っている人が多い。
「暖かければ…」が、「暑すぎれば…」と、度を越してしまう。
植物も人間と一緒で暑すぎるのは、閉口するのだ。
だから真夏日が何日も続く都市周辺は、夏用の野菜栽培に適していいない。
北関東や愛知周辺、西日本は、夏が農閑期なのである。
つまり、その野菜の栽培の順番が、「やませ(夏の寒い北東の風)」が吹く寒い岩手に回ってくるのである。
ところが栽培は「売れる野菜の品種」しか回ってこない。
つまり、農協が取りまとめだから、市場が欲しがる商品だけ栽培をしていた。。
「ほうれんそう」「ピーマン」「とまと」「なす」「きゃべつ」「だいこん」等々
20年前に当店が始まった当初、農家が品種を選定することはなかった。
ある程度決まった夏野菜の栽培のハジキ(規格から弾かれたB品)が、店に並んだ。

笑い話がある。
農家の集まりで役場の職員が「この小冊子をみれば、ほとんどの野菜が作れます」と言う言葉に
参加した農家がシーンとする中、ある農家が「補助金は、でねのすか?」と言うと
役場の職員が「ジャー補助金を出しましょう!」というと全員が手を上げたと言う
600円の小冊子に…
つまり百姓といいながら。百の物を作るのでなく、
農協の指導のもとに(農薬散布・肥料・定植の時期。収穫も…)ただ作業をしていたのである。
それは規格がきちんと決まっていたから、”指導のもとに栽培しないとできない”と思っていたのである。
だから農家の畑の片隅に規格外の野菜が野積みされ、腐らせて次作の堆肥になっていた。

 

それに風穴を開けたのが産直である。
直接売ることによって、さまざまなものが作れ、自分の畑で、独自の作業体系を作ることができた。
働くということは、自分で決めることができるということが一番の喜びである。
サラリーマンと違って、農業の喜びは、ここにあるのだ。
だから20年前から「これから農業だ!農業だ!農業が見直される」と小生は言い続けていたが
殆どの現行農家は、「朝早くから土日もない重労働と、僅かな収入」しかない仕事だと想っている。

ところがそんな中に新規就農者が、ポチポチ入ってきて、無人産直が有人産直になり、
リンゴや葡萄の贈答用産直が、日常の野菜を販売するように変わってきた。
それが規格外商品だったのが、売れるとわかって競って産直を設立し、道の駅、農協、行政とさまざまな経営形態が乱立してきた
その争いは商品の見栄えになって規格商品までならび、市場出荷と商品が変わらなくなってきた。

そして「旬」である
当然、地元の生産者がつくるものだから「旬」ものである。
同じ商品が並ぶ。当たり前である。
隣の家と違うものが並んでいたら、
「ハウス物か…」
「保存していたものか…」
「買ってきたものか…」

岩手の野菜の旬は、大雑把に言えば「夏」である。
細かく言えば果菜類は「夏」根菜類は「秋」である。
春は、種まきのシーズンで、収穫するものは何もない。
せいぜい春暖かくなったら収穫できる葉物をハウスに植えておく
また春一番に出る芽を食べるアスパラ。
そして雪解けとともに芽吹き出す山菜である。

これらは自然のままに栽培されるから規格が合わない
大きな流通ルートにのらない
今までは農家の自家用だったのが、産直ができたおかげで、貨幣と交換できるものとなってきた
そんなものしかない
あとは大きな産直が暖地の農協から仕入れる商品である

だから3月4月5月は売上が低迷する。
端境期である。

 

客も期待しない。
「産直だから…」と言って並んでいるものを確認しに来る。

そんなときに役場から弁当の注文があった。
「盛岡の野菜を使った美味しい弁当をお願いします」
知るべき人が、岩手の旬を知らない

またひとつ

さわや書店が、閉店すると言う
「honyaクラブ」のメールで回ってきた。
そういえば近頃、足が遠のいている。
いや、いけば何冊か抱えて出てくるのだが…
読みきれないので、いかないようにしているというのが現状だ。
これ以上、トイレに籠る時間がない。(泣)

 

閉店するのは、上盛岡店だという
一番利用する店舗だ。
なんと言ったって、病院の直ぐそばである。
待ち時間が、ちょっとあると寄る。
待ち時間がなくても、時間を作って寄る。
そのたびに読みたい本が、どんどん積み上がる。
部屋の中は崩れかかった新刊の本と、読みかけの本が雑多である。

これ以上は、死ぬまで読みきれるか…と言う状況である。
そういえば中学の時に購入した本もある。高校のときも…
「本を買う」といえば、小遣いをくれた母親だった。
もういちど読み直したいと思っている本が、山ほど…

そんななかさわや上盛岡店が閉店するという。
もう近くには、三割東山堂しかない。
あそこは、レコードと漫画と週刊誌しかない。
読みたい本が、あまりない。
と言って、「駅前さわや」まで行くと駐車場代がかかる。
1000円の本を買うのに400円駐車場代にかかって、どうすんだ
ついつい元を取ろうとして5〜6冊まとめ買いをしてしまう
それならアマゾンのほうが…合理的だ。
しかし本という文化を、合理的経済発想で決めていいのか…
小心者は悩む。

 

そんなわけで上盛岡さわやに行った。
また一つ、ちいさな文化が消えるのを確かめに…

ふと財布を見ると1400円しか無い
これでは何も買えない!と思いながら、二冊読みたい本を見つけた。
ぎりぎりだ
と思って札束(?)をだして、サワヤのカードと一緒に出した。
カードはポイントが溜まっていた。
「59円です」と店員が笑いながら言った。

まだ買える(嬉々)

あの人は…

最近、来ない人がいる。
あの人は今?と言うわけではないが
毎日のように来ていた人が来ないと、何故か気になる。
魔子様はあっけらかんとして
「来ないね…」と言うと、「すぐ来る」と言う
そういう時もある。

先日、「転勤なるかもしれない」
と挨拶をされた。
全国区の移動だから、当然店に時々来る訳にはいかない。
ひょっとして永遠の別れかもしれない
挨拶されるのはいい。
盛岡で、そういう関係を作れたと言うことである。
よく来て、何を食べるかもわかって、いつの間にか来なくなる人は
「そういう関係が、つくれなかった」と言う反省をしなければならない。

 

そんなことを考えると、街というのは変動が激しい。
いつの間にか…変わっている
周囲の団地もサラリーマンが多かった時代から定年夫婦になり、それが独りになり、子どもたちもあっという間に都会に出ていった。
そうこうしている間に、まわりに都会育ちの若者が多くなってきた。
なぜ?と思ったら両親が故郷に帰ったきたので一緒に…と言う。
若者のIターンは少ないが、中途でUターンで帰って来ている人が結構いるのかもしれない。
小生も一度帰ってきて、再度都会へ出て、再々度帰ったきた。人はWターンと言う。
「田舎は仕事がない」と言いながら「仕事は作るものだ」という発想になれば、働く場所は作れるものだ。

そう考えれば、地方の時代である。
若い人たちの卒業式のシーズンである。
アナウンサーはいつも言う。「残らないのですか?」
一様に「働く場所がないので…」
希望を持って都会に出ていくのだろうが…
都会とのつながりを持ちながら、田舎に帰って来ればいい
いざとなったら、半分都会で稼げばいい。出稼ぎのように…
旧来の出稼ぎでなくて、新しい発想の出稼ぎを…
自分の都合のいい金を、もらえるような働き場所は、都会でも無いのだ。

あの人混みの中で暮らすことを考えれば…
人間が人間らしく暮らしていくことができる場所は、都会には無い。

帰るタイミングを逃すと、高齢になってデパートの踊り場にたむろする老人集団になってしまう。

6年前

『手術中は、動けないからね」と手術の説明をした医師は、言った
「咳をしたかったら、手を挙げて…トイレに行きたかったら手を挙げて…眼球に注射針を刺したままストップをしますから…」
と恐ろしげなことを言って…白内障の手術は
「3月11日午後3時から」と決まった。

昨年秋から、変な黒い蚊のようなものが飛ぶ。
本を読むと老眼鏡が曇っているのか、字がかすむというか、曇りガラスを通して字が見える
パソコンも、モニターが一分かすんで読めない。
呑みに行ったみかんやでmicannに「白内障だね」と言われて安心した
これが緑内障だったら偉いことだ
白内障は、簡単な手術で治ると聞いていた。

先日も佐藤政行の社長が「いやぁ白内障を手術すると感動するよ。わたしゃ15年ぐらい前で…。片目だけ、本当は両目をしないと行けないのだが…」
みんなが言う。白内障の手術は、社会が明るくなる。何でこんなのを早くしなかったのだ。社会はこんなに明るかったのだ。
その感動の白内障の手術を中央病院の4階眼科病棟で、3月11日午後3時に待っていた
「今日は、早く進行しているようだから、15分ぐらい早くなるかも…」
と言いながら看護婦は、ホウレン草に味の素をふるように何回も点眼薬を差していった。
「これは殺菌の…」「これは麻酔が入ってます…」

「そろそろ手術室から、お呼びが掛かるかもね」
「もうすこしで…」
「そろそろ…」

と言いながら、それは来た。
6人部屋の二人のベッドの携帯が鳴った
ピーピーピー「緊急地震速報」である

そして

ごお〜

横揺れの大きな揺れ
通りの方に大きく傾く建物。
そして、反対側に反動で大きく揺れる

長い。なが〜い。揺れ、ベッドにしがみつくモノ
看護婦が、病室に入ってこようとして、逆方向に持って行かれる

しばらく、それが続いただろうか?
揺れが少し落ち着き
一斉に、ベッドの脇のテレビをつけた
「震度6強」が見えた
震源地がなかなか表示されなくて、余震が続く

そのたびに看護婦達の叫び声と
眼科は小児科と一緒の病棟なので、子ども達の叫び声が混じる
以前入院していた時にも、地震があった。
看護婦は「震度7まで耐えられるように設計していますから…」と言い放った。
もう中央病院は、小生の庭である。なんでも知っている。

そのうちに「一部屋にテレビは一台にしてください。自家発電に切り替わりましたので…」
しかたなく、長老らしき人だろうか…隣は宮古の人だろうか…、
そのテレビを遠くから眺めていると…
なんだか川のようなものを家か船か…登ってくる。
「えっ〜なんだ、あの絵は…」
宮古から来ていると言う年寄りは、ぼつりと
「宮古だ」と言う

次から次へと衝撃的な映像を見たような気がするが…
とりあえず動転して、
”これは普通ではない、とりあえず病院を出ないと…”

そこへ眼科の医者が
「こういう状況では、手がぶれて手術ができませんので中止します」と
「外出していいですか?」「外出許可を出します。必ず戻って…」

人を受刑者みたいに…言う

とりあえず病院を出た地震から1時間も経っていただろうか?
病院の前の通りは薄暗く、街路灯も信号も、消えている

バイパスは信号がないので交差点は混雑。
工事中に落盤事故を起こしたという北山バイパスを、おそるおそるくぐって

ろくに飯を食っていない、と言うよりも飯が食えない身には、歩くのがふらふらでつらい
身体に力が入らない、足があがらない、前に行かない。

ようやく通じた電話で店から迎えに来て貰った。
真っ暗な店に着いたのは5時半だった。

6年前3月11日のブログをコピペした。
風化させないために…
自分にとっては、1.17の神戸の大震災は妹が、神戸に住んでいた。
3.11は、内陸であったが当事者であった。
この二つの自然災害は、風化しない。自身の問題として体験したことだから…

自身の問題となっていないとこに、風化はある。
原発の再稼働のように…
政治家は、自分の問題として想像することが求められる
多くの政治屋は、想像力が欠如している。

てらこや

「哲学寺子屋」が終わった。
そろそろか…と思っていたから
大げさに言えば、その時が来たという感じだ。

平成11年だろうか…スタートしたのは…
足掛け18年、長い期間だった。
ヒトが大勢集まったときは20人近くになった。
最近では2〜3人ということが多くなった。

哲学者内山節の著書の読書会で始まったものだが…
もう三冊目を終わろうとしている
三冊目「「清浄なる精神」は、まだ読みかけであるが…

「哲学とは何か?」と言う問いかけに、答えられない体育会系の営業畑の入道である。
日々、売上を上げることに没頭していた20代30代、
農業という仕事に出会って、その生産性の低さ、それに生かされているという驚きの40代。
哲学者内山節と出会った40代後半。
そんなことから立ち上げた哲学寺子屋であるが…。
哲学は、人間の本質を明らかにするものであると言う。

人間とは何か…
本質とは何か…

そんな疑問もすべて放り出して読書会を進めてきた。
それで良いと想っている
哲学が、そばにあることが大切なのである。
人間の生き方を問い、本質を探る哲学が、遠くに有っては意味がない

農業と一緒である。
”食べないと生きていけない”という人間にとって一番必要な農業が、近代化という波におされ、遠くに行き過ぎた。
そして「農業は難しい」「農業はつらい」「農業は効率が悪い産業」
と様々に言われ、衰退して行った。(後継者難や農地の荒廃)
しかし、最近のメディア取り上げ方の影響で「農業は近くにやってきた」
そして今、見直しの機運が起きている。
農業は簡単である。光合成で、みな生かされているだけである。
しかし光合成は、いかに効率よくしても、単位面積あたりの無料の日射量が限られているから生産量は増えていかない
農家の仕事は、光合成を最大効率化するだけの管理が求められるが、それも限界がある。
しかし、豊作だから腹いっぱい食べて、飢饉だから食べなくても良いと言うことに人間はならない
後は、八百萬の神々に祈るだけである。
つまり高度成長期の「効率化作業と拡大生産で販売路線を広げる」という人為的産業化路線が間違っていたのである。
(今も続いているが…)
だから他産業の経済成長路線とは、別の発想やスパンで取り組まないといけないのである。

それで、もう一つの人間の本質だが…
」である。
生理的欲から、精神的欲、社会的欲、さまざまな欲が絡んで人間がある。
欲がなかりせば…良いのだが
欲がなかったら人間ではないと思う(欲がないのは神様か?仏様だ!)
欲との戦いの経過人生なのか…
人間のあるべき姿を「少欲知足」とは、よく言ったりである。
しかし、それを常に言い続けていかないと、忘れるのも人間である。
「人間は忘れる動物である」

 

農業も、人間の生き方も、このように単純化してから考える
複雑化して考えると、 脳みそが硬直して筋肉化している小生には考えられない

人間が生きていくためには必要な食べものの農業と、生きていくための思考の元となる哲学も近くになくてはならない
それを近くに持ってきたのが、内山節である。
彼の言う言葉は、わかりやすい。
たぶん、もっと深いところでは、深遠な言葉で語るのだろうが…
頭脳が明晰な分だけ、わかり易い言葉で書き、しゃべる
今まで40歳迄のサラリーマン生活で、考えたことのないこと(学生時代に言葉だけは習った)を思い出して、
新しく気が付かされ、目覚めたことが多々有った。
そして内山節のことばは、今も続き、これからも学ぶのである。

 

そんなものである。
「遠くの親戚よりも近くの他人」とは、よく言ったものだ。
近くに農業も…哲学も…気軽に話ができるところがなければ…
そんな気軽な専立寺の哲学寺子屋が、18年の歴史を閉じた。

さて次は車座である。

日陰の福寿草が、木々の間から差し込む無料の日射量と、氷点下が続くなかのわずかな温度で花を咲かせた。

仕事の報酬

今、「働き方改革」などと言われている
電通の女子社員の問題など一緒にされて、労働時間の長さが問題となっている
違うのではないか?と思う
先日も若者が「家族との時間を犠牲にして働いている!」と言う

 

労働には二つ有る
「稼ぎ」と「仕事」である

稼ぎは、経済活動として金を稼ぐ労働である
仕事は、家事労働や地域の活動や、経済を伴わない労働である・

今、問題となっているのは
「稼ぎ」の部分であるが
これも二つ有る。「作業」と「仕事」である。

一般期には「作業」は人から指図されたことを身体を動かして成し遂げることである
「仕事」は、やることを決断したり、内容を検討したり、作業をするための段取りである。

作業は、効率的に動かないといけない
仕事は、多角的に検討し、英断しなければならない

通常は作業と仕事は交互に複層的に行われる。
自動車工場などの流れ作業も昔は効率的な作業オンリーだった。(フォードシステム)
しかし、それもかえって重労働で非効率だと言うことで考える工程を入れている。
ただ、効率的にやらされる作業には違いがない
そこには効率的に時間を使うと言う感覚である。

仕事は、やる仕事である。
さまざまな条件や先行きを判断し、決断することである。
そのための作業や確認や打ち合わせが絶え間なく続く。
正確な判断をするために…
そこには時間という感覚がない。

 

「働く」という意味は二つ有る。
多分、働き方改革というのは、やらされる作業のことだろう
それは長時間はつらい

仕事は、やっても、やっても終わることはない

「仕事の報酬は、仕事だ!」と教わった

そして
普通の人は。仕事を与えられる
優秀な人は、仕事が見えてくる

幸せとは朝起きてやるべき仕事があることだ。
朝起きたら机の上で寝ていたことも有る。(?

 

 

 

稲作考

宮沢賢治は唄う

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラツテイル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 

一日に玄米四合は、多すぎる。
と言う話もある。

しかし、四合は=600gだから365日食べると220kg/年近くになる
江戸時代の侍の扶持米は、一人あたり5合(750g)=270kg/年と言う
明治の軍隊は、「一日6合の白米を食べさせる」と言って、330kg/年の食べもので釣った。

今現代人は、米の年間の消費量は60kgをも割った。
戦前は、ほとんど米でカロリーを摂取していたから、このような量を食べることが可能だったのだろう
また以前の農家の重労働をこなすには、玄米4合では少なすぎる。
ただ玄米であるから、完全食品である
白米だとビタミンや食物繊維をはじめ、不足するものが、玄米には多く含まれる。

米だけ食べていればいいということではないが、
「食料安保」という言葉がある
小麦が入ってこなかったら…
石油が入ってこなかったら…
中国やインドが、徐々に食糧輸入国になりつつ有る
牛肉が買い負けていると言う

我々が目指すのは、美味しさだけでなく「安定」ということが一番ではないか?
そんなことを、10年以上前に語ったことが有る。
今頃、再び、思っていたことに気付かされる。
それをBlogに書かれた人がいる

引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

これまで通訳として、数百のシンポジウムに参加しています。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン氏を招いてのシンポジウムだけでも、数十回を数え ます。基調講演はともかくとして、本当によいパネルディスカションに出会う機会は、実はそれほど多くありません(それだけに出会えれば感動します)。

パネルに参加することで、レスターが新しい知見や見方が得られたか?これまで本にも講演にも出てきていない、レスターの新しい知見や見方を引き出せたか?これらがイエスだと私は「良いパネルだったなぁ」と思います。

5月25日の「エコ・フェスタ2000 in 盛岡:環境フォーラム」は、私の「レスター史」に残る、とてもよい会でした。

うかがうところによると、岩手県と盛岡市がお金は出しているが、口は一切出さずに、まったく実行委員会に任せてくれているとか。こういう、行政がお金を出しているときにありがちな「県や市の代表者の挨拶」も一切ナシ。

司会者が「本日は増田知事も聴いていらっしゃいます」と告げただけ。実行委員長の飾り気のないご挨拶だけで、開会して5分後には、get down to business:本論に入ったので、通訳ブースでも「やるねぇ」との声。

事前の打ち合わせも、形式的な打ち合わせではなく、実行委員の方々がどういう思いで、何を目的に、この会を開催されているかがレスターによく伝わったので、レスターは用意してきた講演内容を半分ほど入れ替えて、要望に応えようとしました。これも良かったと思います。

パネラーは、小岩井農政の野澤常務、宮沢賢治研究家で福祉バンク事務局長を勤める牧野さん、それから「小さな野菜畑の大きな百姓」こと小島さんでした。

小島さんはユニークなご経歴の持ち主で、拡大経済社会の先兵として20年近く営業マンと勤めたあと、農業に入られた方です。農業でも「効率生産、付加価値 販売」で利益が上がると思っていたのに、悪戦苦闘の連続で、その中で、農家直売所を立ち上げ、身土不二という会を作られました。

「身土不二」は、仏教では「しんどふに」、東洋の食哲学では「しんどふじ」と読むそうです。その心は文字通り、「身と土、二つにあらず」。

仏教では「地域の風土と共に人間の存在はあるのだ」ということ、食哲学では「地域のものを食べることが体にいいのだよ」と説いている言葉だそうです。

私は小島さんのお話に大変感動したので、かいつまんでご紹介したいと思います。(あの大きなお体から醸し出される、何ともいえない優しい温かい雰囲気はお伝えできないのが残念ですが)

小島さんは「環境問題は、拡大経済社会の産物である」とおっしゃています。多くの人が「大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が環境問題を起こしたから、これからは循環型社会を」と説いている。が、循環型社会がどういう社会なのか、理解できていない人が多いのではないか。

小島さんは、内山節という哲学者に価値観を変えられた、とおっしゃっていますが、この哲学者は、「循環型社会とは、生産力が増大しない社会」とおっしゃっているそうです。

でも、生産が増大しない社会を皆さんは想像できるでしょうか?と小島さんは問いかけられました。売上も利益も給与も、税収も増えていかない社会ですから、今の企業や行政のシステムの全否定に繋がる、と。

企業は銀行から借金をして投資をして、利益の増大を図るという手法、行政は公共事業という投資で民間の活性化を行い、税収を増やすという手法はすべて否定されるのだ、と。

これまで拡大経済社会に生まれ育ってきた私たちが、そこから抜け出るには大きな価値観の変換が必要となります。

ところが、循環型の産業がひとつあります。それが農業です、と小島さん。単位面積当たりの収量は年を経ても増大しないし、20才の人間が作っても40年農業をやってきた人がつくっても、大した差はないという産業だ、と。

コメは理論的には10aあたり最高24俵取れるというそうですが、そうすると、翌年には地力の収奪のため収穫が皆無になるとか。つまり農業にとっては、安 定して一定した量を収穫できることが最高の技術なのです。まさに循環型社会を象徴する産業ではないでしょうか、と結ばれたのでした。

小島さんのグループ「身土不二いわて」は、食の安全や農業の将来を思い、地域自給や環境を考えて、市民と農家が交流する会だそうです。

これまでのプロジェクト、名前を聞くだけでもとても面白そうです。「賢治の米を作ろうという陸羽132号の稲作体験」「手前味噌のダイズを作ろうというダ イズ栽培から味噌造りまで」「林檎の花見」などなど。その他講演会など、農家と市民がいっしょに学び遊ぶ場を作ろうと一生懸命やっています、とのこと。

パネルディスカションの中で、小島さんに「が〜ん」と目を開かされた気持ちになった言葉がありました。

「有機農業は、消費者に安全な食物を届けるためではなくて、土地をどう持続可能にするか、ということなのです。ですから、輸入有機農産物は、日本のためにはなりません」。

「循環型社会」といったときに、資源やエネルギーの循環のみならず、「栄養素」の循環も非常に重要な側面であることは認識していましたが、さらに教えていただいた思いです。

岩手県には、町内あげて栄養素の循環に取り組んでいる(人や家畜の廃棄物を堆肥にして、土に戻し、その肥やしで育てた作物を、その町で食べるようにする)取り組みがいくつかあるそうです。

栄養の循環を考えると、各地で小さな循環を数多く作った方が、輸送などのエネルギーを考えても、望ましいのです。レスターもこのパネルで「顔の見える農業」という言葉を使いました(瞬時にそうだ!と思って訳したので、英語でなんて言ったのか覚えていませんが。

身土不二。良い言葉を教えていただきました。

 

 

 

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