ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

仕事の報酬

今、「働き方改革」などと言われている
電通の女子社員の問題など一緒にされて、労働時間の長さが問題となっている
違うのではないか?と思う
先日も若者が「家族との時間を犠牲にして働いている!」と言う

 

労働には二つ有る
「稼ぎ」と「仕事」である

稼ぎは、経済活動として金を稼ぐ労働である
仕事は、家事労働や地域の活動や、経済を伴わない労働である・

今、問題となっているのは
「稼ぎ」の部分であるが
これも二つ有る。「作業」と「仕事」である。

一般期には「作業」は人から指図されたことを身体を動かして成し遂げることである
「仕事」は、やることを決断したり、内容を検討したり、作業をするための段取りである。

作業は、効率的に動かないといけない
仕事は、多角的に検討し、英断しなければならない

通常は作業と仕事は交互に複層的に行われる。
自動車工場などの流れ作業も昔は効率的な作業オンリーだった。(フォードシステム)
しかし、それもかえって重労働で非効率だと言うことで考える工程を入れている。
ただ、効率的にやらされる作業には違いがない
そこには効率的に時間を使うと言う感覚である。

仕事は、やる仕事である。
さまざまな条件や先行きを判断し、決断することである。
そのための作業や確認や打ち合わせが絶え間なく続く。
正確な判断をするために…
そこには時間という感覚がない。

 

「働く」という意味は二つ有る。
多分、働き方改革というのは、やらされる作業のことだろう
それは長時間はつらい

仕事は、やっても、やっても終わることはない

「仕事の報酬は、仕事だ!」と教わった

そして
普通の人は。仕事を与えられる
優秀な人は、仕事が見えてくる

幸せとは朝起きてやるべき仕事があることだ。
朝起きたら机の上で寝ていたことも有る。(?

 

 

 

稲作考

宮沢賢治は唄う

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシヅカニワラツテイル

一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 

一日に玄米四合は、多すぎる。
と言う話もある。

しかし、四合は=600gだから365日食べると220kg/年近くになる
江戸時代の侍の扶持米は、一人あたり5合(750g)=270kg/年と言う
明治の軍隊は、「一日6合の白米を食べさせる」と言って、330kg/年の食べもので釣った。

今現代人は、米の年間の消費量は60kgをも割った。
戦前は、ほとんど米でカロリーを摂取していたから、このような量を食べることが可能だったのだろう
また以前の農家の重労働をこなすには、玄米4合では少なすぎる。
ただ玄米であるから、完全食品である
白米だとビタミンや食物繊維をはじめ、不足するものが、玄米には多く含まれる。

米だけ食べていればいいということではないが、
「食料安保」という言葉がある
小麦が入ってこなかったら…
石油が入ってこなかったら…
中国やインドが、徐々に食糧輸入国になりつつ有る
牛肉が買い負けていると言う

我々が目指すのは、美味しさだけでなく「安定」ということが一番ではないか?
そんなことを、10年以上前に語ったことが有る。
今頃、再び、思っていたことに気付かされる。
それをBlogに書かれた人がいる

引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

これまで通訳として、数百のシンポジウムに参加しています。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン氏を招いてのシンポジウムだけでも、数十回を数え ます。基調講演はともかくとして、本当によいパネルディスカションに出会う機会は、実はそれほど多くありません(それだけに出会えれば感動します)。

パネルに参加することで、レスターが新しい知見や見方が得られたか?これまで本にも講演にも出てきていない、レスターの新しい知見や見方を引き出せたか?これらがイエスだと私は「良いパネルだったなぁ」と思います。

5月25日の「エコ・フェスタ2000 in 盛岡:環境フォーラム」は、私の「レスター史」に残る、とてもよい会でした。

うかがうところによると、岩手県と盛岡市がお金は出しているが、口は一切出さずに、まったく実行委員会に任せてくれているとか。こういう、行政がお金を出しているときにありがちな「県や市の代表者の挨拶」も一切ナシ。

司会者が「本日は増田知事も聴いていらっしゃいます」と告げただけ。実行委員長の飾り気のないご挨拶だけで、開会して5分後には、get down to business:本論に入ったので、通訳ブースでも「やるねぇ」との声。

事前の打ち合わせも、形式的な打ち合わせではなく、実行委員の方々がどういう思いで、何を目的に、この会を開催されているかがレスターによく伝わったので、レスターは用意してきた講演内容を半分ほど入れ替えて、要望に応えようとしました。これも良かったと思います。

パネラーは、小岩井農政の野澤常務、宮沢賢治研究家で福祉バンク事務局長を勤める牧野さん、それから「小さな野菜畑の大きな百姓」こと小島さんでした。

小島さんはユニークなご経歴の持ち主で、拡大経済社会の先兵として20年近く営業マンと勤めたあと、農業に入られた方です。農業でも「効率生産、付加価値 販売」で利益が上がると思っていたのに、悪戦苦闘の連続で、その中で、農家直売所を立ち上げ、身土不二という会を作られました。

「身土不二」は、仏教では「しんどふに」、東洋の食哲学では「しんどふじ」と読むそうです。その心は文字通り、「身と土、二つにあらず」。

仏教では「地域の風土と共に人間の存在はあるのだ」ということ、食哲学では「地域のものを食べることが体にいいのだよ」と説いている言葉だそうです。

私は小島さんのお話に大変感動したので、かいつまんでご紹介したいと思います。(あの大きなお体から醸し出される、何ともいえない優しい温かい雰囲気はお伝えできないのが残念ですが)

小島さんは「環境問題は、拡大経済社会の産物である」とおっしゃています。多くの人が「大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が環境問題を起こしたから、これからは循環型社会を」と説いている。が、循環型社会がどういう社会なのか、理解できていない人が多いのではないか。

小島さんは、内山節という哲学者に価値観を変えられた、とおっしゃっていますが、この哲学者は、「循環型社会とは、生産力が増大しない社会」とおっしゃっているそうです。

でも、生産が増大しない社会を皆さんは想像できるでしょうか?と小島さんは問いかけられました。売上も利益も給与も、税収も増えていかない社会ですから、今の企業や行政のシステムの全否定に繋がる、と。

企業は銀行から借金をして投資をして、利益の増大を図るという手法、行政は公共事業という投資で民間の活性化を行い、税収を増やすという手法はすべて否定されるのだ、と。

これまで拡大経済社会に生まれ育ってきた私たちが、そこから抜け出るには大きな価値観の変換が必要となります。

ところが、循環型の産業がひとつあります。それが農業です、と小島さん。単位面積当たりの収量は年を経ても増大しないし、20才の人間が作っても40年農業をやってきた人がつくっても、大した差はないという産業だ、と。

コメは理論的には10aあたり最高24俵取れるというそうですが、そうすると、翌年には地力の収奪のため収穫が皆無になるとか。つまり農業にとっては、安 定して一定した量を収穫できることが最高の技術なのです。まさに循環型社会を象徴する産業ではないでしょうか、と結ばれたのでした。

小島さんのグループ「身土不二いわて」は、食の安全や農業の将来を思い、地域自給や環境を考えて、市民と農家が交流する会だそうです。

これまでのプロジェクト、名前を聞くだけでもとても面白そうです。「賢治の米を作ろうという陸羽132号の稲作体験」「手前味噌のダイズを作ろうというダ イズ栽培から味噌造りまで」「林檎の花見」などなど。その他講演会など、農家と市民がいっしょに学び遊ぶ場を作ろうと一生懸命やっています、とのこと。

パネルディスカションの中で、小島さんに「が〜ん」と目を開かされた気持ちになった言葉がありました。

「有機農業は、消費者に安全な食物を届けるためではなくて、土地をどう持続可能にするか、ということなのです。ですから、輸入有機農産物は、日本のためにはなりません」。

「循環型社会」といったときに、資源やエネルギーの循環のみならず、「栄養素」の循環も非常に重要な側面であることは認識していましたが、さらに教えていただいた思いです。

岩手県には、町内あげて栄養素の循環に取り組んでいる(人や家畜の廃棄物を堆肥にして、土に戻し、その肥やしで育てた作物を、その町で食べるようにする)取り組みがいくつかあるそうです。

栄養の循環を考えると、各地で小さな循環を数多く作った方が、輸送などのエネルギーを考えても、望ましいのです。レスターもこのパネルで「顔の見える農業」という言葉を使いました(瞬時にそうだ!と思って訳したので、英語でなんて言ったのか覚えていませんが。

身土不二。良い言葉を教えていただきました。

 

 

 

豊かさとは…

ようやく結審した。

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なんと長い裁判だった!
裁判が長くかかるというのを、身をもって実証した。
そして、それは”不毛の時間だった”と言うことも…

振り返ってみると
昨年のゴールディング前からであるから、
33000円の損害賠償請求事件が10ヶ月かかったということである。
金額の多寡ではないが、月に一度の何らかの動きが
自分の心に重くのしかかってきたことは事実である。

心の動きとしては
最初に調停の呼び出しを受けたときには、「丁寧に」と説明責任を果たそうと思った。
ところが相手は、嘘と無理を重ねた言いがかりで、こちらを罵倒した。
それに乗ったのではないが、強い口調の合理的反論で裁判所を味方につけた。
調停は、不成立に終わった。
このへんまでは、理性が勝っていた。
ところが、それが気に食わないということで簡易裁判所に持ち込み、和解も蹴って
判決を求めるという暴挙に出た。
呆れた。当然判決は、こちら側よりの2:8だった。
それで決まったかと思ったら、
被告から裁判所が騙されたと言う地方裁判所への控訴である。
呆れ果てた。いつまで時間を費やせば納得するのか…
この辺で疲れてきた。多分裁判所は、もっと疲れていただろう
”早く終わらせたい”と言う気持ちが、少し弱気にさせたのかもしれない。

なんというか先方は蛇のような狡猾かつ執拗、偏屈で剛腹な吝嗇の輩である
しかし、ふと振り返って落ち着いて考えると「無知」だったのかもしれ無い。
無知だから、なせることなのか…

「その人!ほんとうの農家じゃないのでは…」という人がいた
「農家=善」と言うイメージがあるが…
「農家で無知」と言うのは、愛嬌になる場合と、
呆れ果てて、憎たらしくなる場合がある。

自然とともに暮らしていると、どうしても社会よりも自然が優先である。
それは仕方がないことであるが…
社会のさまざまな関係や知識を謙虚に受け入れるということが望まれるが…
そこに介在する貨幣経済は、お金が優先だという農家もいる。

以前農家と話をしていて
「お返しや御礼は、農産物で良いから現金はあまり出ないでしょう」
「いや農家ほど様々なやりとりは、現金でしかない」と言う
多くの現金を必要とする農家は、豊かさとは違う生き方ではないか?

いろいろと考えさせられることだった。

辞めたら…

先日、若い子にあった。
若い子と言っても、自分の子供ぐらいだから20代後半か?
言い争いになった。
「仕事が進まない。」と言う愚痴だった。
そして「本来、望まなかった仕事だった。」と言う

「辞めたら…」とアドバイスした。
逆説的なアドバイスだ。
辞めたら、次のところへ行っても、また同じことだ。
そこで自分の存在意義を見出さなかったら、どこでも見出すことはできないだろう

 

30代中頃、誘われて転職した。
3社目、2回目の転職だ。
「営業が足りない。能力の有るやつがいない」と言う
ベンチャー企業だった。
”削れる”セラミックスのメーカーだった。
セラミックスとは陶器のことだ。陶器だから、電気を通さない!熱を通さない!
しかし、陶器だから精密部品には適さない。
成型したとおりに、精密には焼き上がらないからである。
それを削れるようにして精密な加工ができるセラミックスを開発した。
世界的な特許だ。
「営業が足りない」と言われていたが、
部材としての対応技術や生産力に問題が有り。特許権の闘いがあって、思ったよりも当初の営業規模は小さかった。
そこで切削技術や部材の知識のないのは、他の部門に回された。

それが「遠赤外線」だった。
今でこそ調理家電メーカーや暖房家電メーカーから、遠赤外線の商品が色々と出ている。
30年前当時は、魔法の遠赤外線プレートだった。
なんでも遠赤外線で解決した。
魔法のプレートを入れれば甘く美味しくなり、早く調理ができ、問題がすべて解決するというスグレモノだった。
しかし、基本的に数値に現れない再現性のないものを、あまり信用しない小生は、商品担当ながら否定的だった。
「新しい削れるセラミックスを営業するために来たのに、こんな商品を売らされて…」
当然、営業が力が入らない。売上は上がらなかった。
そこへ、ベンチャー企業を吸収する大メーカーが現れた。
社員の多くは有名国立大・私立大と言う大企業だった。
そこから出向してきた優秀と言われる社員は、遠赤外線のプレートを売り始めた。
冷ややかに眺めていたが、それでは元からいる請われてきた営業としては申し訳ない。
遠赤外線の量産型の家庭用ストーブ、遠赤外線の自動車補修用の業務用塗装乾燥機を得意先のメーカーと一緒に開発した。
本社の技術部門は、営業が主体的に動く商品開発に否定的で非協力だったが、営業としては何しろものが無いと売上につながらない。
それ以上に、相手から反応が聴けない。
否定にしても肯定にしても、こちらの思い込みで生産はできない。
たたき台を作って、さまざまな意見を集約して次の商品開発に勧めなければ…
そんな思いだったが、社内では孤軍奮闘だった。

しかし、それを動いている間に、精密メーカーの基盤の遠赤外線乾燥機を受注した。
クリーンルームでの基盤への樹脂塗装の最先端の遠赤外線の輻射熱を利用した連続乾燥炉だった。

本社の技術部門の応援をうけられないために、下請けを利用して取り組んだ
技術部門から、さまざまな反発をされた。それを意に介さず、勧めた。
半年ぐらいの納期で、なんとか納めた。
相手の担当者から「次も…」という話があったが
技術部門から孤立したままの状態で続けるのは、問題が有った。
というか「農業」から誘いがあったので、移った。

心ならずも、「削れるセラミックス」から「遠赤外線」へと望まなかった仕事をさせられる羽目になったが、基本的には「営業」なのである。
「技術」と「営業」と「管理」と言う部門があれば、営業はどんな仕事でもこなせなければならない。好きとか嫌いとかいうまえに
その仕事の本質を理解しないと続くのは難しいだろう。
しかし、今の組織は営業社員に本質を教える前に、「単なる短期的売上」を求めているのではないだろうか…
組織に入るということは、組織の一員として自分を犠牲にするのが求められる。
ただ上司に、人を活かすとか、育てる意識があれば…救われるが…

一口メモ
遠赤外線は輻射熱である。
多くの遠赤外線効果と言っているのは、殆どが嘘である。
熱源と対象物の間に空気の層が無かったら、それは対流熱や伝導熱であり輻射熱ではない。

遠赤外線は寒い冬に締め切った窓辺で、太陽から感じる暖かい熱である。
電磁波による分子の共振現象で、離れていても熱を感じるのである。

 

 

流通不全

値上げを言ってきた。
仕入先からである。
「こんどから値上げをするので見積書を持参する」
もう一軒な
「家族経営的なものから、企業経営に大きく変更するのでこれを機会に採算を見直したい」
そんな話だ

「値段を上げる」というのは、なかなか難しい。
積み上げて値段が合わないから値段を上げる
というのでは、積み上げたものが妥当なのか…という問題が有る
それ以上に、なぜ上がるのか?という説明が必要である。
そして、徹底して無駄を省いた合理化を実行しているのか?

生産者が直接に消費者に販売しているのなら、双方が駄目ならやめる、了解なら上げる。
ということで良いのだろう
しかし、仲介の労を取る者(野菜畑)にとっては、双方(仕入先とお客)の納得を得なければ子供の使いである

仕入先が、”そんなのめんどくさい、嫌ならやめたら”というのも一つの方法である
大きなメーカーや流通は、そのように彼らのシステムを押し付けてきた。
ちいさなメーカーや流通は、その間隙をついて商売を広げてきた。

「産直」もそうである
ちいさなときは、それぞれのお客にきちんと対応してきた。
値段は感覚である。(相対のおまけがあった)
大きくなると、大量の商品を並べてお客が選ぶという対応になった。
値段も、あくまでも相場である。(一方的な値付けである)
当店のような”中途半端な流通”は、値上げに対して対応を間違えると、その存在価値が疑われる。

農家のために…生産者のために…
ということで始まった産直も、これだけ地方経済が悪化していると
農家ほど…生産者ほど…安定しているものも、ないのではないか
何と言っても働く場所があり、食べ物があるのだから…

 

朝、店に通う道で、乳母車にゴミの袋を積んでゴミ出しをしている一人暮らしだろう老婆がいる。
だれも面倒を見てくれないのか…
弁当屋からいつも二食の弁当をかかえて変える老人がいる、朝昼兼用と夜の分だろうか…
市場からでる残り物を販売している店に、群がる客がいる。
標準年収以下といわれる貧困率が16%だという。
ひょっとして、それ以上にいるかもしれないと言う。

農家は、長い付き合いだから、その暮らしぶりは、ある程度予測がつく
しかし都会の人は、壁一枚隔てて隣は何をする人ぞ?だれも知らない。

政府や日銀は2%の物価上昇というが、それが貧困の解消にどんな意味を持つのか…
一つ一つの値上げに何故?という強い疑問を持たないと、野放しになってしまうのではないか…
農家の生活と…お客の生活と…お互いの理解がないと…
それを取り持つ(?)のが流通なのか…

流通不全

と言いながら、消費税アップの納豆の値上げがなかなかできない。
毎日食べるものだから…(泣)

 

VEND

浅田次郎のエッセイを読んでいる。
なんでも日本航空の機内誌に連載したものだとう。
浅田次郎は、「壬生義士伝」が映画化されたときから、読み始めた。
壬生義士伝は盛岡を題材とした映画だから!と勧められて見に行った。
久しぶりの映画館で、その小ささに驚いた。
それまでは高倉健の「鉄道員(ぽっぽや)」をテレビで見たような気がする

 

読み始めたと言っても熱心に読んでいるわけではない
目についたものを、ちょと読む程度である。
このエッセイは、たまたま時間が有ったので上盛岡のさわや(本屋)で手に取った
ハマってしまった。
この中で浅田次郎の娘が「岩手医大」だと書かれ、そのために盛岡に何度も行く機会があり
「盛岡をテーマにした小説を…」ということで”壬生義士伝”が生まれたと言う逸話が書かれていた

浅田次郎は、ちょうど一年下である。同世代の作家である。
だからエッセイの中で書かれている昔のことがよく分かる

やはり小生と一緒で英語には苦労したらしく、JALの機内誌らしく海外旅行のことがよく書いてあるが
通訳といつも一緒だ。
ペンクラブ会長も務める大作家だから、編集者も一緒の大旅行のようだ…

そのエッセイの中で「EVER VENDING STORY」というテーマが有った。
この意味が、わからない。
高校のときに買い求めた古いエッセンシャルの辞書を引いた。
「辞書を引く」という言葉は死語になったのか?
今、辞書などという本(?)は使わないのか?
パソコンで入力すると、すぐ翻訳されるのでは無いだろうか?
そんなことを思いながら、時代遅れのおっさんは、辞書を引いた。
なんとVENDは「売る」という意味だった。
売るという英語は「SELL」しか知らない。
なんと貧困な英語力なのだ(泣)

そしてVENDING MACHINEは、自動販売機だという
エッセイは日本に自動販売機が多い。海外ではほとんど見当たらない。ということを書いてある
そしてコミュニケーションを取らないで買い物ができることの疑問を投げかけていた
なるほど!そうだ!そうだ!と思いながら自分の英語力なさを嘆き、

それだけではない。
冷たく、熱いものが出てくる自動販売機が、どれだけ電力を食うか?
日本に自動販売機が、なかりせば原発は必要ないと言う人もいる

便利な自動販売機が、どれだけのデメリットをもたらしているのか…
考えさせられる

当店は街道沿いに有るために、さまざまな自動販売機の業者がやってくる
すべて断っている。
売上だけで考えて良いはずはないのだ!

と言いながら、赤字に悩む毎日である

最短距離

本棚の整理をした。といえば、かっこいい。
整理整頓を信条としている小生としては、一番の難関が本棚の整理だ。

何と言っても、未読の積読が山から転げ落ちてくる。
それを見始めていると(読み始めではない、見始めるのだ)止まらないのである。

そしてジャンル別に分けていくが、ジャンルが多岐にわたる。
農業でも農法・新規就農・農業法人・農村問題、農業の歴史。世界の農業…

食は世界の食・そばうどん・調味料・料理法・季節の料理・テレビテキスト・食の歴史・日本酒・

経済は…
哲学は…
経営は…
福祉は…
小説は…池波正太郎・向田邦子・浅田次郎・重松清・藤沢周平・司馬遼太郎。新田次郎・
政治や原発、池上彰・宇沢弘文・中野剛志・堤未果・時事問題・etc

そして農業と経済がくっついたり
福祉と宗教がくっついたり
原発と歴史がくっついたり

さまざまに、くっついて離れるのだ
だからジャンル別整理はできない

つまりどこかの大学のセンセイが
「研究室は、きちんと整理整頓されている。時系列に…」と言っているように

時系列で積み上げるのである。つまり順番に上に乗っけていく
しかし、探しものをして、下のものを引っ張り出したりして、途端にドォっと崩れ落ちる
その時点で、再度、「時系列」に積み上げるのである。
「時系列」という言葉は、便利だ!
しかし、時系列に積み上げる”努力”も大変なのである。(汗)

そして見つけてしまった。

やはり二冊だった。
良かった!三冊でなくて…

喜びと後悔と入り混じった感情の中で、呆然と立ちすくむのである。
なんだか、読んだような気がしたんだよな…(泣)

 

しかし、ここで元を取らなければ…気を取り直す

「思考の整理学」は「時代を超えたバイブル」と帯にうたっている
裏を見ると昨年の2月、30年かかって107刷りの200万部発行している
最初に買った本は、”2007年の36刷”であるから、20年かかって36刷である。
ということは、20年かかって熟成し、後の10年で倍のスピードで駆け上がった
と言う感じである

勢いがつくとすごいものだ。

この36刷りの帯の裏には

何かを生み出すことに近道はありませんが、最短距離を行く指針となり得る本です。

 

と書いてある。
新しく本を、かいている人がいる。
最短距離の20年後が、楽しみである。
そんな長い時間で熟成しないと、いいものは広がらないのかもしれない

もう〜とうに〜、小生は、いないが…

45年後の結論

友人から貰い物だ
最近、貧乏になってきたせいか…
貰い物が多くなった

「ほんの気持ち」が嬉しい
「酒の…」と言っていたので「酒か?」と思って開けたら
手づくりのパンと、鶏が入っていた

手づくりのパンは、魔子様が早速切り分けて口に放り込んだ。
「うまい」というより、作り慣れた人のパンだ。上手だ!旨い!

 

そして鶏である。
これを内臓の部分に何か入っているに違いない
解体するには…
やはり解体学校に入って勉強しないと…(と昔は思った)
今はネットで調べられる
もも・手羽・胸・乳・尻と切り開いて行くが、包丁が問題だ
(あこがれの乳はない、哺乳動物ではない)
この手の肉は、洋包丁で良いはずなのだが…
その包丁が切れない洋包丁なのだ
毎日、きっちりと研いでいない
仕事と一緒で、行き当たりばったりである。
バサバサの、ばらばらの肉塊が出来た。
しかし、口に入れると香ばしくて塩気が強くて旨い
なるほど「酒のあて」である。

 

彼と「売る」ということを話した。
もともと農業は原始時代から自給自足だった。
それが物々交換になり、貨幣経済になった。
しかし、日本の隅々まで貨幣経済が行き渡ったのは、つい最近昭和50年代である
山形の知人は、少年の頃、軽トラで売りに来る人と「米と魚を交換した」と言っていた
1930年の恐慌は、岩手の山奥では、だれもそんなことを知らなかったと言う
貨幣経済は、浸透していなかったのである。

ところが貨幣は、その手軽さから、そして保存性から可及的速やかに広がって行ったのである。
何と言っても、持っていて腐らない

食べ物は、どんどん腐る。
腐るから、本来はいる分しか作らなかった
それが武士が生まれ、都市と農村に分離してから、武士や都市のぶんまで作らないといけなくなった。
徴税や貨幣目当てに…
以前は不足していたから、ほとんど作ったものは供給された
昭和30年台に米が完全自給された。
その後、農産物も余剰ができ「売る」ということが重要視された
卸売市場法は、昭和30年代だった。

そして飽食の時代は、輸入農産物と大量生産技術によって余剰のものを「売る」ということが技となり。力となった。
小生22歳のときの、「卒論」と言う丸写しのレポートは「流通業に卸売は必要か?」で商社に入社した。
そして45年後の結論は

「作るのは楽しい。売るのは難しい」
「良いものはい売れるではなく、売れたものが良いものである」

 

少し端折って書いた

詳しく書きたいが…今は時間がない。後からじっくりと書こう!

 

 

一日一本

昨年Blogを186本書いた。
2日に1本である。
その前年は261本書いた
3日に2本である。

本来の目標は一日一本なのだが、朝の時間がなくて、ついつい疎かになる。
早く起きているのだが、ネットサーフィンで時間を取られる
別にネットを、あちこち見ているわけでなく、捜し物をしているのだ

つまり前日に疑問に思ったことを調べていると、次から次へと疑問が湧いてくる
そのそばにあるコラムを、ついつい読んでしまい、それからまた新たな疑問が湧き調べ物が続くのである。
ようするに検索技術の向上で時間を減らせるのかと思うのだが…
そんなことを勉強している暇があったら、ネットサーフィンをしたほうが良いのか…

そもそもパソコンの勉強などしたことがない
というか自己流である。だから基本的なことも余り知らない
文章を書く、簡単な表計算をする、ネット検索、そんなものである。

しかし、携帯にせよ、パソコンにせよ、その機能の10%も使いこなしていないだろう
携帯は、必要なときに電話をかけるだけ、後はマナーモードだ。
携帯メールは、太い人差し指であちこち間違えながら一本指で打つので絶対に必要なときにしか打たない
先日、古いガラケー携帯でも「Suicaカード」が使えることを初めて聞いた。しかし、やるつもりはない。
その携帯は、20年近くAuで、替えたことがない。
昔の人は、一つのものをとことん使い込んで自家薬籠中の物としていた。
今の人は、新しい物が出るとすぐ乗り換えてしまう。経済のためにはそのほうが良いのだろうが…
”モノを大切にする”という心は、どうなるのだろう

どんどん科学技術が発達し、すべてのもののスピードが早くなる
しかし、そのスピードに「マナー」や「こころ」が追いついていくのだろうか…

先日、携帯に電話があった。
見知らぬ電話番号だった。出なかった。
後で取引先の若い女の子から「電話かけても出なかった」と言って責められた。
以前は、電話を掛けるのは失礼なことだった。
用事があるなら出向いてお話をしなさい。と教わった。
そして電話よりも、わざわざ出向いて来てくれた人を優先しなさいと

新しいBlogという情報発信も私信ではないから、マナーに欠ける部分もあるだろう
気に障る部分も色々とあるが、何とか「一日一本」を目標に地道に続けたいものだ

効率的老化

先日テレビで見た。外山滋比古である。
30年を掛けて200万部売れた!という文庫本のニュースである

100万部売れたらミリオンセラー(大ヒット)だと言うのに、
その2倍200万部を30年もかかったと言う。
しかし、30年でも売れればいい。売れないで消えていく本がいかに多いか…

この本は、確か買ってある。と思って手を出さなかった。
多分、買ってある。
今までに買っていないと思って家に持ち帰ると有った。
それが、二回や三回どころではない
同じ本を、三冊買ったことも有る。(魔子様には内緒だ!シッ)
三冊目を本棚を整理して見つけたときには、あまりにも記憶力の悪さに泣けた。

この本は、絶対に買ってある。
だから30年間買わなかった。買わない訳がない。
そして読まなかった。読まない訳がない。
しかし、気になっていた。
なんと言ったて、「さわや書店の松本大介」

もっと若いときに読んでいれば…

と言う言葉が帯に書いてある。

覚悟した。
多分、本棚を整理すれば2~3冊出てくるかもしれない。
しかし、読まなければならない。
なんとしても今、読まなければ…

本を開くのが恐ろしかったが…
最初のページで引き込まれた

 

グライダーの話だ。
機械工学でも、流体力学でもない
教育の話である。学びの本質である。
飛行機は自力で飛ぶことができる
グライダーは自力で飛ぶことが出来ない
つまり、日本の教育は(学びは…)
学校と言う人間養成所でグライダーと言う、
自分で考える力を持たない人間を量産している
自分で考える飛行機型人間を、作ることができない
人間は本来、両面の機能を持っているのに…
これからグライダー型人間にエンジンを搭載して飛行機型人間を作るにはどうしたらいいのか…
グライダー人間では、コンピュターに取って代わられる。

と第一章から手厳しい。
しかし、これは30年前の文章であるが、
30年経って今のコンピューターは将棋界・囲碁界の名人をなぎ倒し、飛行機型に近づいてきている。恐ろしいことである。

 

そして今朝は、第三章「朝飯前」を読んだ。
ようするに「朝飯前」と言う言葉は、「簡単だ」という意味に取られるが

朝のほうが頭脳が明晰であり事柄がよくはかどる。
と言う意味だという。
それは作者も体験して実感していると言う
だから朝飯前の時間を長く取ることが有意義な時間活用方法であると説く。

早朝に起きて一区切り着いたら朝飯を食って寝る、
目が覚めたら、本を開いてまた朝めしを食う
ようするに二度朝飯を食っている間に時間は夜になるという
朝飯前の時間を、いかに取るかが工夫のしどころである。

なんだか自分の生活と一緒だ
朝2~3時に起きる。
ネットサーフィンや、本を読んだりしていると、
いつの間にか腹が空き4〜5時ごろ朝めしを食う
食べると必然的に眠くなる。軽く睡眠をして6時に起きて店に行く。
店で怒涛のような午前中の時間を過ごし、午後になると眠くなる。
ちょっと一休みすると、もう閉店時間である。
それから翌日の段取りをすると、もう夕食の時間である。
気がついたら、テレビの前で盃を抱えて、ニュースを見ていた。
それが終わると朝飯前の熟睡に入る

これが、ここ5年ぐらいのスタイルである、
それ以前は、朝型であるが、ここまで徹底しなかった。
しかし、このスタイルは時間が早く過ぎる
あっという間に60代も後半に突入である。

効率的に時間を過ごすことが効率的に老化すると言う実践的体感である。
しかし、もう一冊本棚の片隅に有るだろうという想いは消えない

 

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