ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

川の流れ

あちこちで大雨の被害が続く
大雨が降るのは、アタリマエのことと思う
今までの歴史上、最大の大雨などという記述は無い
たかが100年ぐらいの気象観測では、何千年前の実態を予想するのも難しい

なぜ被害が大きくなるのか…
素人が考えてみた

まず被害と言うのは、人間が作ったものや利用したものが破壊されること(使えなくなること)である
そもそも大昔は、人間が作ったものなど殆どなかった。
自然のまえに畏怖するだけで、被害に合わなかった、
そして被害に合わないだろうと思わるところに人工の建造物(?)を作った。
多分高台に…

食糧を採取時代、人間は、もともと高い尾根を移動して歩いたと言う
栽培という農耕を知った人間は
安易に食糧を得よう(悪知恵が働いて…)と栽培を初めて、水辺に移り住んできた
度々、洪水や津波にあって徐々に高台に戻されてきた。
しかし、忘れる動物である人間は、再び水辺に戻ってきた。
しかし、山から水を利用して木材を運び、建造物を作ってきた人間は、
山を、とことん利用してきた。
暖房(薪・炭)・エネルギー(製塩。製鉄)・建設資材・枕木
それが石油や科学技術の発展に伴い利用価値が少なくなってきた。

 

その山が荒れている
朽ちた木・台風の倒木が禿山から滑り落ちるように川に流れ込む。
手がかけられない捨て間伐材…
それだけでないだろう、河川にすてるゴミなどが流れてくる

山をとことん利用しているうちは良いのだが…
山の価値がなくなった(木材の下落)とたん、朽ちた木や捨て間伐、が溜まってきた。
東日本大震災のあと、山菜採りに行った人が言う
「倒れている木を乗り越えて、山菜を取りに行く体力がない」
倒木だらけで山が荒れていたと言う。それを、出したという形跡もない。
登山道は整備しただろうが、山の中は倒れた木が折り重なっている

それに河畔林が、殆ど消えた。
むかしは、土手の代わりに河畔林がある風景があった。
河原に木が、生えているのである。
そこへ、流木が引っかかった。
その河畔林は、水を流すの邪魔だと法律で伐採するようになったと言う

水が直線的に流れていく。
河川工学では、水底もコンクリで固め。直線で一気に海に流すと言う近代的水の流れが主流だという
戦国時代の河川管理は、曲線の流れや、石であちこちに流れをぶつけ、流れる速度遅くしたと言う

また橋は丈夫なコンクリで固めて作られた橋である。
昔は土橋や木橋で、流れてきたものを絡んで一緒に流れたという
そこには自然には逆らえないと言う思想があった。

近代科学は自然を克服しようという思想が見え隠れする。

 

台風10号の被害にあった人は言う
「橋に木が引っかかって、両側から水が溢れ、あっという間に水浸しになった」

追伸

岩手大学演習林の山本准教授によると

「今回の流木被害は、流木に根がついていることから根こそぎ土砂崩れの状態で流れて行った。杉だから、広葉樹だから、根が浅い、深いと言うのは関係がない。」と森林総合研究所が発表した。。

文中に憶測で書いた部分がありますので訂正します。

予算は余っている

驚いた。こんな記事を読んだ

AKB沖縄総選挙に「国費2800万円」
河野太郎議員がブログで問題視
「戦略、目的などを詳しくチェックする」

「一発勝負でAKBの総選挙をやって、8000人を呼び込んで、それが次にどうつながるか、はっきりした見通しもない」など厳しく批判しました。

 6月17日に開催を予定していたものの、悪天候により中止になった「AKB48 49thシングル選抜総選挙」。同イベントの開催にあたり、国から多額の交付金が使われていたとして、自民党の河野太郎議員は7月6日、自身のブログで「問題は大きい」と言及しました

河野議員によれば、今回のイベント開催に使われた“国費”は合計2800万円。うち2400万円が総選挙の会場設営費などに、400万円が総選挙 前に行われたミニライブ・トークショーなどに使われたとのことです。いずれも政府が割り当てていた「沖縄振興交付金」からの支出となっており、「閑散期に おけるAKB総選挙の沖縄開催が、沖縄観光の発展に資する」という理由で、「県外からの観光客数8000人」を成果指標に交付されていました。 しかし、これうした使われ方について「一事が万事こういう使われ方をされているならば問題は大きい」と河野議員。AKBの誘致が目的であれば、来 年度以降のAKBの沖縄公演の日数や回数を成果指標とすべきであり、「補助金をもらってイベントをやるだけならば、持続的ではない」「一発勝負でAKBの 総選挙をやって、8000人を呼び込んで、それが次にどうつながるか、はっきりした見通しもない。そもそも今日までにこの8000人が達成されたどうかも わからない」と、交付金の使途について厳しく指摘しました。また今後は「自民党の行政改革推進本部として、このソフト交付金の使われ方、その戦略、目的な どを詳しくチェックすることにした」と、詳しく追求していく姿勢も見せています。

〜〜〜〜〜〜〜ここまで引用
そもそもAKBとは何かもわからない?
総選挙というのは何を選ぶのか?もわからないオジンだが…
要するにイベントに多額(小生の感覚)の国費を使っている。
それが沖縄の観光振興目的であると言う
税金の使い方は、これでいいのか?
小生が22〜3年前に産直を始めるときに
「新しい産直施設には補助金が出る」と言われて行政にのこのこと出かけていった。
門前払いだった。
「あんたのように何箇所の市町村の生産者を集めて開く直売所は対象にならない。
市町村の単位で上がってきた案件なら、1億でも出すが…」と偉そうに担当という人に言われた。
なるほどそんなものか…
それ以前に役場とかかわることは殆どなかった。
せいぜい婚姻届と、引っ越しのときに住民票を取りに行く程度だったのである。
その後「合鴨フォーラム全国大会」を岩手で開催したときにも
「予算がない。年度の途中だから、来年度の話ならいいが…」ということで金銭的な補助はほとんどなかった。
そんなもんだろう。と思っていた。
まぁ補助金をもらうと「後で提出する報告書が大変だ」と聞くので、補助金とは縁のないところで生きてきた
いちど「これは補助金をもらえる」という企画ができて、今までの考え方を直して…と提出したら、ものの見事に落ちた。
行政と思考の回路がちがうのかもしれない。

疑問があるのは
多額の予算を使用して大きなイベントを企画すれば、大きな効果があるのか?
そもそも、イベントは、今も効果があるのか?
店を開店当時、さまざまなイベントをやった。「コーンフェステバル」「アップルフェアー」農家の訪問等々
そのたびにマスコミが取り上げてくれ、人がきた。”単純にものを安くして買いやすくするだけだが…”

今は、毎週のように…いや毎日のように…
どこかで…誰かが、
大きな…ちいさな…イベントをやっている
イベント自体に人が、集まらなくなってきている
それなのに予算がつく。予算を消化しないといけないのが目的だろう
予算は余っているのだ

哲学の森

第12回「哲学の森」開催のお知らせ

もう12回も重ねた。
重ねればいい、というものではないが…

誰かが内山さんに聞いた?
「内山さんの話は、哲学というよりも、社会学では…」

内山さんは言う

「社会学よりも、幅広い分野で語ることができるから…」

優しい言葉で諭す哲学であり
深い言葉で探る社会学であり
広い言葉で語る民俗学であり

わかりやすい歴史学でもある。

一度聞いてみませんか?
(注!)岩手大学の公開講座になったために、大変な人気で早めに定員に達する傾向にあるようです。

 

二日目の日曜日の朝、山本信次先生と歩く、岩手大学演習林の散策が秀逸です。
気が付かないことを、見せてくれます。

食のブーム

「24年目に入ります」と人に言っていた。

たしかそうだったと思うのだが…
鶴亀算だったか…植木算だったか…
暗算は得意だが…
和算が苦手で、しっかりと覚えた記憶がない

だから平成7年7月7日に開店しようと思ったら、何かの理由で翌日

平成7年7月8日がちいさな野菜畑の開店記念日
だから今年は平成29年7月8日は、開店してから丸22年で23年目に入る。(これでいいのか?)
とりあえず長くやっている。

盛岡正食普及会が、昨日で休業をした。
戦後から(?)盛岡の食のリーダーとして長きに渡って続けてきたが、ついに休業である
長きに渡って続けてきたことがさまざまな垢が溜まってきたのだろう

長く続ければいいというものではない
時代に合わせて変化を遂げるという考え方と
古くて良いものを残していくという考え方と
問題はバランスなのだろうか…

戦後の食生活を考える上において
「外食産業」の与えた影響は大きい
昭和45年までに物心ついた子ども時代を終えた人たちは
懐かしくも貧しく質素な昭和の家庭料理を覚えている
人それぞれ、地域によってもだが、昭和45年頃から外食産業が入ってきて
華やかな甘いグルメの料理がもてはやされている。
それを作ったのが小麦の粉食文化であろう
それを岩手では盛岡正食普及会が、地元の麦で…地元の粉で…と、学校給食などの下地を作り担ってきた。
現在も、固い歯の丈夫な人しか食べることのできないロシアビスケットなど、古き良きものを続けながら…
グルメパンなどの対応ができずに、売上が低迷していったのか…

いずれにせよ盛岡正食普及会が岩手の食に残した功績は大きい

食のブームが、次から次へと変わっていく。
人間の体は水分とタンパク質でできている。
タンパク質は人間自身で作り出すことができない。
食べることでしか補給できないのである

食べるということを、ブームにしていけないと思うのは、

23年目の早朝の「想い」である。

 

と言ってブームの「蕎麦の実」「もち麦」置いてあります!
ぜひお買い求めを!

 

150坪

家庭菜園があった
店から車で7〜8分のところだ
家庭菜園と言うには、大きすぎるか…。
一区画20坪ぐらいある感じだ

平日の昼間に二人の初老の人が作業していた、

多分定年退職して家にいたたまれず、出てきた人だろうか…
農作業が好きで一日、ここで過ごしている人だろうか…

様々な野菜を植えてある
トマト・ナス・胡瓜・葱・水菜・ブロッコリー…
みんな少しづつである

 

昔、水沢の古老に話を聞いたことがある
彼は専業農家だが…
息子に譲って、自分は自給用の野菜を作っていた

彼は独特の笑みを満面に浮かべて語った。
「一反歩の畑で、朝から晩まで一日働いても、夏場でも体が疲れない」と…
そのコツは、「15分おきに作業を変えることだ」と言う

種まき、畝お越し、定植、葉摘み、土寄せ、農薬散布、収穫、片付け、
一つの作物に成長に従って作業が有り、それが多種類の作物が重なり合い、
雨の作業はできなくて…天気の段取りもいろいろある。
そんなことを思うと、やるべきことがちいさな面積でも一杯ある
それを15分毎に変えるのである
立ったり、座ったり、体全体を使ったり、手先を使ったり
頭の中は
次の作業を考えたり、目の前の作業の判断をしたり、天気の状況を考えて次の作業の段取り
あっという間に一日が過ぎる

 

これが広い面積だと
一つの作業時間が長い。
同じ姿勢を続けないといけない
身体がもたない。機械化する。機械でできないことも有る、人を頼む、重労働をする人がいない、外国人を使う
大規模面積は、効率よく土地を利用すると言う名のもと、人間を酷使し原価を高くするのである

小面積は身体を使いながら、取れた野菜でエネルギーを補給する。循環する。
原価は発生しない(?)身体は健康になる

人間が一年間の食糧を得るには5畝で十分だという
5畝は150坪である。

失敗

最近、若者と出会うことが、よくある
出会うことなら、人が大勢集まるところへ行けばいい
出会って、じっくりと話をすることである
いろいろと考えさせられることが多いが、
自分の若い時代、こんなにしっかりとした考え方を持っていただろうか…

とおもわせられる

 

物覚えついたときは、貧しい時代だった。
まわりが、みんな貧しかったらから引け目は感じない
それ以上に、貧しい子がいっぱいいた。

パンツを履いてこなかった子がいた
身体測定のときに素っ裸で体重計に載せられていた
弁当を持ってこれない子もいた
もちろんテレビもない。
小学生になって近所のテレビを持っている子の家にみんなで見に行った。
服はお下がりが当たり前、男兄弟がいない小生はいつも新しかった。
それが逆に気恥ずかしかった。
中学生の頃オリンピックが有って、テレビが家庭に入ってきた。
そのころから高度経済成長だったのかもしれない

中学生になって通学に変速自転車を、かってもらった。
ラジオの代わりにステレオが入ってきた。
オヤジがオートバイから、車に変わった。

新しいものできて、どんどん手に届くような値段になり
ものが豊富に行き渡るようになって

ものを買うために競争をして
いい学校に入って良い会社に入って、出世をする
競争に破れた人たちも、それなりの受け皿があった。
そして、それなりの敗者復活戦があった。
という高度成長の価値観の中で育った。
農業も食料自給の収量競争から、機械化の効率競争に入った。

 

今の社会は、単なる競争である。
勝っても安泰にはならない
いつ追い落とされるかわからない
落ちたら復活戦はない。

そんな社会で最初から競争に入るのではなく
地道に農業に根ざすという事を目指す若者が増えているのではないか…
農業は自然との共存である。農業は付加価値競争ではない。
そんな若者に自分ができることは何か…

失敗を話しすることでしかない。
成功は、つかの間の夢である。

作るのは楽しいが、売るのは難しい

友人一家が来た。
県南で有機農業を営む一家である。
その仲間のことを一生懸命心配していた

「稲作農家は米が売れない。さまざまな努力をしても米が売れない」
当たり前である。
そうそう簡単に売れたら、販売をしている当店でも楽に儲かって仕方がない

いつも言うのである
「作るのは楽しいが、売るのは難しい」
なんでもそうであるが、
人間関係でも…
モノでも…
自然の中で栽培するものでも

ある程度期待感を持って作る。
それが進行しているかどうか…
期待どおりになるかどうか…
さまざまな思いとともに、辛い作業も有る
基本的には、できようが、できまいが、その作り上げる期待感は楽しいのである

ところが売るというのは、相手が有るのである。
すんなり期待通りに相手が受け入れるというのは、まず無い。
こちらの思いとは、ちがう相手に媚びないといけない(?)
売る方の主張は一方的で、相手には迷惑な主張なのである。
相手は、必要なときに必要なものを必要なだけもってこい!と主張しているのである
それを譲歩させるのは、相手との理解である。

時間がかかる。

営業の基本に「毎日、通え」という言葉がある
毎日、そばによって来たら犬でも可愛くなる。
と言っても、ただ毎日行けば良いのか?と言うと
何も持ってこない相手には時間の無駄、迷惑である。
商品説明など、みんな一緒だ。
そして世間話は潤滑油にはなっても、プラスにはならない

毎日通いながら相手の思い(悩み)を聞く、聞けるような関係を築く

ということが基本なのである
販売は上手に話すことではなく、聞き上手になることである
それがすぐできる人と、時間かけてできる人とで違いができるが…

ところが、そんな関係ができても、商品が切れると関係も切れる
米も年間を通して安定して供給できればいいが、梅雨越しの米は味が落ちると言う
農家も冷蔵庫まで持って管理したくない
そこで商品が切れて関係も切れて、消費者は別の関係をつくることになる。
その関係を、秋になって新米だと言って、もとへ戻すことは大変な努力を必要とする

稲作農家が単品の米を年間供給して安定した関係を築くのは、難しい

当店が産直を始めた当時(20年以上前)
米を直接販売しようという農家が出始めだった。
それまでは品種で選んでいたが、それから個人の名前が特定できるようになった。
今は、品種が多く、栽培方法も色々とあり、個人名が飛び交っている。
そして産直には、山のようにお米が…
量販店にも、さまざまなお米が…
ドラッグストアまで、格安のお米が…

多すぎるのである、そして食べる量が少なすぎるのである。
核戦争の中に竹槍で突っ込むようなものである。
その竹槍も、毎年作り直して辛抱強く突っつけばいいが…
小さな穴ぐらいは空く。
それが突破口に!と言う思いを持続するのは大変である。

作るのは楽しいが、売るのは難しい。

紅木蓮忌

5月4日は紅木蓮忌である。
「こうさん」の命日である。
あれから3年経った。
朝、電話があった。こうさんの弟さんからだった。
「兄貴がなくなった」
電話の声は嗚咽が漏れていた。
たしか前日こうさんは「病院に見舞いに行く」と言っていたが…

あわてて、こうさんの家に行った。
呼び鈴を押しても、誰も出てこない。
庭にまわり裏に回り、病院に行こうかと思ったが
すれ違うと…と思い庭で待った。

いい天気だった
岩手山がくっきりと見えた。
今日みたいな岩手山だった。

庭の紅木蓮が咲いていた。

いつも奥さんと喧嘩をして店にきた。
奥さんとの諍いではない。
テレビのニュースを見て怒っているのだ。
それを咎められて、店にやってくる。

あれから三年。
当時よりも、どんどん右傾化してきた。
こうさんは動脈瘤破裂だった。
もし今なら、脳の血管が破裂するだろう

あの西郷さんのような風貌が懐かしく
まわらない口で口角泡を飛ばしながら…

この流れを止めるのは…
厳しいジャーナリストの目を持つ「こうさん」のちからが欲しい

うすっぺら

寿司を食べに行った。
寿司は好物である。

最近、外食をしていない。
そうなのだ。一人前が食べられないので誰かと一緒にいかないともったいない。

大きな男が独りで入ってきて「子供用のカレー!」とか、「お子様ランチ」を頼むのは気が引ける。
たまたまテレビで野菜料理のバイキングが有った。
なるほど、そこなら高いが魔子様と一緒なら残り物は片付けてくれる。
そしてどんな野菜料理がでてくるのか…参考になるか?

と思って出かけたのである。
ところが店はしまっていた。定休日なのである。
週初めは、土日営業の飲食店は休みのところが多い。

そこでそのそばにある「カレーの有る回る寿司屋(?)」に行ってみたのである。
入店するなり店員は「初めてですか?」と聞く
どうやら二人の格好は、いつも利用しているようには見え無いらしい

そういえば回る寿司屋は、子供が小さい頃に2〜3回行ったことが有る。2〜30年前だろうか…
そのころと大分様子が変わっていた。
なんと言ったって皿にドームがついているのだ
その皿を取り出すのにテクニック(?)が要るのだ。
何回も取りはぐれた(泣)
そして注文は、画面をタッチするのだ。
それがわからない魔子様は回っているものしか食べることができない
一生懸命周りを見渡すが、みんな簡単に食べている!
これでいいのか?

 

初めて寿司というものを食べたのは、子供の頃だ。
酔っ払って帰ってきた父が「寿司折り」を持って帰ったきた。
朝目覚めて、冷たい寿司を食べた。
それでも「美味しかった」
美味しくてもっと食べたいと思ったが
何を食べたのだろう?

高校を卒業し、家を出ると言うときに寿司屋に連れてもらった。
カウンターに座った。
何を注文していいのかわからなかった。
何を食べたのか?記憶にない。

大学のときはOBに連れて行ってもらった。
貧乏学生は「寿司屋」なんかに入れなかったが…
「ホルモン屋や養老乃瀧、こ汚い小料理屋」といろいろと連れて行った貰ったが、「寿司屋」に連れていってもらえるのが、一番の楽しみだった。
しかし、一年に一度か二度である
何を食べたか忘れた。

 

会社に勤めるようになって「回転寿司」ができた。
たまたま通勤路にできた。
勇気を出して独りで入った。
何を食べたか忘れた。

 

家族ができて、何回か回転寿司にいった。
子どもたちは回っている寿司よりも、デザート類をとった。
「ちがうのを取りなさい」としかった

家の近くに「寿司屋」できた
たまたま同級生の妹がやっているという
そこで初めて寿司屋の常連になった。
そこで初めて職人の技というものを知った。

寿司屋は、寿司職人の技を見るものである。
廻る寿司は、形を作っているだけである。
ふと「職人の技」というものが「効率」という科学技術で、ないがしろにされているのだろうか?
それも社会の進歩だとしたら、
「進歩することが良いことなのか?」と言う検証が必要だ。

「技というのは人が神に近づく努力のたまもの」ではないか?
そんなことを考えた

 

鮪ばかり食べ終わった後、魔子様は
「なんだか、薄いね」と言う

薄ぺらな世の中になった。

 

 

 

 

売るためには売らない

「売る」ということをずーっと考えている。
「どうしたら売れるか…」

しかし、それが自分の仕事だった。
社会人になってから…ずーっと
そして結論は、「売るためには、売らない」ということだった。

多分売るという手法は、ほとんど出尽くしているだろう
買うという行為を掘り起こすための商品の見せ方や単価の提案、言葉つかいなどの接客方法。
そんな手法を書いてある本が山ほどある。
それを実践すれば、そこそこのスキルは上がる
しかし、それはみえみえである。

人口が増えていくモノのない時代、ちょっとしたアイディアですぐ売上は上がった。
売る方は、売る気満々。買う方も買う気満々の時代だった。
いま、人口減少社会、物余り時代、先行き不透明の時代、
そんな時代は初めてである。
「売れない」それが当たり前である。
売れるのは、余分なものばかりである。

まして食糧。岩手なら130万個の胃袋の容量しか売れない。
食べものは、安いから買っておこうと言うものでもない
おのずと限界がある。
そしてまず今現在充足している。
ジャー!都会へ売ろうとしても、
そこには他の46県からそう考えている人の熾烈な競争がある。
ジャー!海外へ…と国が考えても
日本以上の価格をつけるところは数少ない。
そこにも他国との熾烈な競争が展開する。
”新自由主義”なら、激烈な競争に打ち勝って栄冠を…
「努力すれば報われる」と、もてはやされるのだろうが…
しかし、その栄華は続くのだろうか…
どこかで壁にぶち当たり、落ちるか…変更を余儀なくされるのではなかろうか…
そこまで行きたいが…
競争という舞台は、最後は資本力の勝負である。
小賢しい智慧など、ふっ飛ばしてしまう。

 

「売る」というのは、競争に持ち込まれないのが望ましい。
(資本力が有るなら価格競争にもちこめば良いが…)
ところが野菜だけでなく目に見える価格は、必然的に競争に持ち込まれる
あちらが10円安いとか…30円高いとか…
価格競争で叶わないとなったら、品質や…サービスで…
つまり競争に打ち勝たないと物は売れない
競争に打ち勝つということは、競争に負ける人を作るということである。
他国や遠方の競争なら、負ける人は目に見えないが…
(目に見えないから良いということではない)
地域内流通
「売るためには、売らない」ということが必要であり、
足りない部分を補給する、知らない部分を教える、そんな程度のことである。

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