ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

セーフティーネット

娘が家を出た。
一番心配をした娘だった。
生まれてすぐ病気になり、乳幼児のカプセルに長いこと入っていた
しっかりと抱きしめてやることもなく、

思い出す。
ちょうど大阪のホテルで研修をしていた時に電話がかかってきた
「これから手術をするが、親の同意が必要だというが、どうしたら良いか?」と…
たしか、生まれてすぐの2週間前に産院に見に行ったのだが…
”前の子と比べて細い子だなぁ〜”と思った

数日前から吐いたりして食べ物も飲み物も受け付けなくなって…
産院から大学病院に回されたという
研修を中途にして、すぐ伊丹に向かい、飛行機に乗った

大学病院につくとガラス戸越しにみえる集中治療室では、数人の医者が乳児を見て
レントゲンだろうか?当時、最新鋭のCTスキャンの画像だろうか、談笑をしていた

「なんだ?大丈夫なのか?」と胸をなでおろした
と言うよりも、そう思い込もうとした。
後から担当の小児科医の女医の言葉に愕然とした
「正常な発達は望めない」

 

そんなことがあり、大阪から東京へ転勤して看病をしながら長い入院生活を送った娘だった。
岩手に転職するときも、地元の病院に紹介状を書いてもらった。
しかし、1〜2年だろうか、通院しただけで「もう大丈夫」と言う診断を受けた
奇跡的に回復した

生まれた時からハラハラ・ドキドキさせた子供だったが、
その成長の過程でも一番心配をした子供だった
この厳しい社会を生き抜いていくことができるのか?


今の社会は、弱者が生きにくい社会である
単に金銭で生活を成り立たせれば良いと言う政治と…
営みを大切にする人間の関係性と…
2つのバランスが崩れているような気がする

そんな人達が大勢いる
そのために最後のセーフティーネットが必要だ
そこに行けば、食べ物と働くことと、温かい人達がいると言うセーフティーネットが

ついに、スタートの時と一緒、二人きりになってしまった朝を迎えた。

お金は食べられない

「やませ」である。若年性助平症の「おませ」とは違う
豪腕性乱暴症の「ぶちかませ」と凄むのとも違う

「やませ」である
たぶん「山背」という字を当てるのだと思うが…
6月末から7月初めにかけて、盛岡は寒かった。
「寒い」というのは、素肌に半袖でいられない程度だ
”じゃ〜その上に、ウィンドブレーカーを羽織れば…”というが
それでも朝は寒かった
しかたがないので朝市は、革ジャンをきていた

そのぉ〜よく知らないが、沿岸の方では海の方から濃霧のような雲が流れて覆い尽くされるという
盛岡は、海が遠いから街なかまでは、こないが…時折、山が霧で覆われる

夏は涼しくていいじゃん

と言う人がいる。暑さに弱い人だ。(小生もデブの頃は多感な時代だった。多汗の間違い)
滝のような汗をかき、満員電車で隣の若い女性に汗だらけの腕をおしつけてものだ。
今、ほとんど汗をかかない。かくのは、「恥」ばかりである
常にさらっとして、気持ちがいいのだが…なんとなく、したたる汗をかいてみたい
そういう意味では、汗が出ない体質というのは気持ちが悪い
まぁ〜顔を見て「気持ちが悪い」といわれるより、いっか?

そんな話ではないが
やませは、北上山地特有の現象である
なんだか海から攻めてくる
夏でもストーブを焚かないといけないような寒さがくる
 稲は亜熱帯性植物である
ある程度、暖かくないと栽培できない
それで「やませ」が来ると冷害になる
冷害とは、例外と間違える人がいるが、そんな人は例外である。
稲作は「苗半作」という。
「いい苗さえできれば、半分できたようなものである」
と言う言い伝えだ

じゃぁ〜その後の半分はなんだ?
と当然思うだろうが、北上山地は冷害対策だろう

以前は「早生(わせ)」「中手(なかて)」「晩生(おくて)」と三種類の米を植えていた
ほんの20年前だ
そして、いつ冷害が来ても、「どれかの品種が助かる」と言う冷害対策をしていた
今は「あきたこまち」や「ひとめぼれ」などのブランド米一色である
冷害がきて全滅すると、保険がおりる
だから、全滅に近い被害になるとカネになる
半分でも助かると保険金は非常に少ない
そうすると農家は、損をする

昔は、新米は農家は食べなかった
自家飯米でも、翌年採れる見込みがついたとき(7月末頃?)に初めて新米に手をつけた

そんな、さまざまな冷害対策の工夫も、貨幣経済はぶち壊した
お金は、物があれば買うことができるが…
お金を、食べることはできない。単なる交換価値である。

わすれもの

最近、もの忘れがひどい
どのようにひどいか?と言うと

置いたペンが、どこへ置いたか?何時も探す
必要な書類が、どこに重ねたか?何時も探す
ハンカチを、どこのポケットに入れたか?
お気に入りの縞柄のパンツは履いたか?
読んでいた本は、どこまで読んだか?
いや読み始めたのか?読み終わったのか?

寝ているあいだに、昨日のことはすべて忘れる
寝ていなくても、昨日のことは忘れているが…

人間忘れる動物だというが…
以前は、客の電話番号からフルネーム、
誕生日、愛人関係、干支、性別、先祖の係累、出生地、
はたまた、どこの幼稚園出身か?、どこにホクロがあるか、すべて覚えていたのだが
今は、顔は知っているが名前がでてこない、ということが度々である

これは客商売で致命的な欠陥である
相手から”にこり”と笑いかけられて、こちらも笑顔で返すが…
誰だったか?思い出さない
 

先日、盛金デモの終わった後、みかんやはしまっていた。
しかたがないので古本屋に行こうと思ったが
その前に隣の店で”チョイ呑みを”と思ったら悪三人組につかまった
そこで呑んだ酒が「ひと夏の恋」と言う酒だった
そういえば昔あった
ひと夏の恋が…もう忘れた遠〜い思い出だ
しかし、相手が誰だったのか?忘れた!

感動

感動モノの文章を見つけた
あるメーリスで回っていたものだが…


「ILCは未来の子どもたちのために…」

と言っているが…
それは本当のことなのか?
単なる子供をダシにした予算獲得、新たな利権構造の創造にしか思えない
その子どもたちが大きくなり「親の世代は、厄介なものを残してくれた」ということになりはしないか?

今の団塊の世代と原発のように…


我々は、新しきものを考えるときにどのようなスパンで検討しないといけないか?考えないといけない
今の子どもたちのことを考えれば30年だろう
しかし、子どもたちもその頃、結婚して新しき世代が生まれている
その世代に、我々の子どもたちは問題の解決が示唆できるのであろうか?
30年後のさまざまな問題
「それは新しき科学技術で…」というのなら原発と一緒だ

我々は長いスパンで考える場合は、新しきものを作るのではなく、何を残していくのか?を考えるのが責任ではないのか?
そんなことを考えさせられた文章であった

 国際リニアコライダー(ILC)計画を、日本に誘致(設置)しないことを求める全国署名

趣旨

 岩手の北上山地と、福岡・佐賀をまたぐ脊振山地に誘致がすすめられている「国際リニアコライダー計画」に対して、私たちは大きな不安と疑問を感じています。

 ILCは、全長30〜50㎞もの地下トンネルを掘るとされていますが、世界に誇れる日本の美しい自然、青々と連なる山々、わき出づる水、織りなす四季が育む豊かな植物や多様な生き物の営み、それらに手をかけることは、単に自然の形を壊すだけではなく、自然とつながる様々な命を脅かし、私たちの精神文化の基盤をも壊しかねないことです。

 ILC研究の意義を否定するつもりはありませんが、それは、永い歳月をかけて、先祖代々と受け継がれてきた日本の自然の価値と引き換えにすべきものではありません。そもそも、これだけ狭い国土で地震も頻発する日本は、建設地としてそぐわないのではないでしょうか?

 また、ILC建設には、約8000億円(運営費、土地取得費などの経費は別)という莫大な経費が掛かります。私たちは、それだけの予算を費やして、豊かな自然を壊してまで、ILCを日本に建設する意義を感じることができません。3.11の「復興」がまだ済んでいないこの国として、取り組むべき優先課題は他にも山ほどあるはずです。

 3.11以降、多くの国民は「水・空気・大地」なくして生きていけないことを自覚しました。真の豊かさとは、借り物の大型施設や多くの犠牲なくては実現しない大規模事業ではなく、「水・空気・大地」そのものです。そして、見事な循環と再生のバランスを備えた日本の自然と共生する術を、私たちの先祖は、文化として伝えてくれています。その綿々と続いてきたいのちの営みと文化を尊び、「自然とつながるいのちが最優先される社会」を希求して、以下のことを要請します。

要請事項

1.国際リニアコライダー(ILC)計画を、日本に誘致(建設)しないことを求めます。

 

雑草とともに

隣の畑がよく見える
実際に良いのだが…

レタスを植えてあったのが、いつの間にか葱の定植をしている
ここを指導している若者は、決断を実行の若者である
レタスがダメだと、さっさと切り替えたらしい

作業者自身が障害者のように見えないが…
てきぱきと作業をしている
これは農業と障害者のコラボのいい例かもしれない
作業は、健常者が主導権を取ってやり
障害者ができるところは、障害者にやってもらう

なるほど今の障害者雇用は、このようになっているのか?
しかし、これで農産物が金になればいいが
たぶん、売れないだろう
売れるなら、ほとんど農家もやっているから…
 

自分たちで
「とりあえず食べ物がある」と言う状況のセーフティーネットをつくるのならいいだろう
それには作業効率も、熟練の健常者もいらない
種を蒔けば、雑草と共に芽が出てくるのだから

 

ご先祖様

松園は、昭和40年代後半に作られた街である
最初は大きな構想があって、
一つの市にしよう!とか
高校が一つできるようにしよう!とか

当時の拡大路線が浮かび上がってくる
しかし、街はできても人が働く場所がなければ暮らしていけない

 

これは今の被災地でも一緒だ。
震災前は、若者が離れる衰退する水産業の街だった。
それを復興だ復旧だと言っているが、どこへ戻るのか?
水産業の盛んな時代に戻すのか?
震災前の高齢化する衰退する水産業の街に戻すのか?
はたして三陸の水産業は成り立つのか?

水産業は設備産業である
大きな船舶で遠洋へと…
そして大きな冷蔵庫で市場価格を睨みながら出荷する
おまけに水産物の放射能の風評被害
大型冷蔵倉庫の設備投資しても流通経路は長い
働く若者もいない

そんな三陸の水産業は成り立つのか?

 

松園も一緒だ
松林を切り開いて大きな団地を造成し、拡大路線を突っ走ったが、
結局、人口2万人の盛岡のベッドタウンで終わり高齢化する街になった
当時の都市計画では盛岡35万人構想があったらしいが、数十年たった現在、隣村の玉山村との平成の大合併で、ようやく30万人である

今の近代社会の多くの産業は、効率化と合理化の極地で成り立っている
人件費、地代、など経費を考えれば、当然海外へシフトしていくのは当たり前であろう
だから地方都市はますます疲弊していく

名古屋の某自動車工場の周囲は交通渋滞で大変だという
それは時間指定で納品をするために、納入部品を積んで工場の周囲をトラックが回っていると言う
だから部品工場も近くに作って流通コストの削減を図るという
地方にそのような工場はこない

また大型ショッピングセンターができるようになって、どんどん中小の商店が潰れていく
中小の商店は、昔からの従業員がいた。
ショッピングセンターの従業員は、ほとんどがパートである
中に入っているテナントに雇われているが、それが採算が合わないと撤退する
簡単に首が切れる状況になった

そんな働く場所がどんどんなくなっていく地方都市に人が増えるわけがない
日本の人口が少なくなったと最近報じられているが、地方都市はもう以前からそのような状態である
人が生活するには、生活費が必要だ。
だから人が増えると消費する生活必需品を購入するとい経済活動が活発化する
人が減少すると経済活動が停滞する。自明の理である


衰退する松園に人が増えつつあるという
被災者が内陸に移り住んできたという
三陸が復旧したら、その人達は戻るのだろうか?
その人達は戻ったら、また人口が減少していく街ができる

 

そんな松園ニュータウンの片隅に墓地があった
松林をもっていた一族の墓地のようだ
ご先祖は、松園の発展を願って土地を売ったのだろうが…

こんな状態になって、ご先祖は、
なんとか発展を!と、願っているのだろうか?
それとも変わらない無事!を願っているのだろうか?

さば水煮

昔、そうポケットに10円玉しか入っていないころだ
よく食べた「さばの水煮」だ

 

缶詰を開けて、そのまま醤油をかけまわし口に放り込む
ちょっとぱさついた食感を、二級酒で一緒に洗い流した
貧乏学生にとっては最高の贅沢だ
当時、出始めたスープと麺がわかれているインスタントラーメンと並んで…
(その前は、麺にスープがからみついて、お湯を注げは良いというインスタントラーメンだった)

そんなさばの水煮が食べたくなったので行ったわけではないが
古本屋は、うすやきをやっていなかった。
「親父が手術で…」と店主が申し訳なさそうに言い訳をしていた
うすやきは粉を溶けばいい、というものではないらしい、熟成が必要なのである

そしてカウンターにおいてある缶詰でお湯割りを呑むことにした
懐かしい水煮に醤油をたらして…
お湯割りでぱさついた食感の水煮を流しこんで

盛金デモの楽しみである
みかんやと古本屋

そんな盛金デモも、7月19日の金曜日で50回を迎えるという
一年だ
よく毎週、街に出歩いて呑んだものだ。
自分で自分を褒めてやりたい
そんな問題ではないが…

「49回目」「50回目」と実行委員は、なにか胡散臭いことを考えているらしい
そんな盛金デモも楽しみである

 

下手な考え

盛金デモの宵
桜山の屋台のような串カツ屋
「串かつはいらない。ビールを一杯くれ」
亀ヶ池を眺めながら、生ビールを呑んで考えた
なぜ亀ヶ池の浄化はすすまないのか?

そこへ
「あら、もうガソリン入れてんの?」と知人が、前を通った
「うん」と頷きながら
”ガソリンじゃねーよ!デモ前のかる〜っく一杯の軽油だ!”

 

盛金デモの後
桜山のみかんやに…
亀吉を呑みながら、考えた


おかしな名前だ。
そういえば”つるかめ七頭舞”というのは聞いたことがあるが
そうそう!フィリッピンでポン引きをやっていた学生時代
「鶴八」と言う小料理屋に入り浸りだった
おふくろに似た眼鏡をかけた知的なママが、いつも「1000円」でいいよと言われて
いつも徳利を何本も倒していた。
鶴と亀とは一心同体ではないだろうが…
なぜ鶴と亀は一対なのだ

そういえば亀吉は、どうしているだろう?

 

盛金デモの後の後
古本屋で考えた。
なぜこんなに異常に安いのだ。

デフレ脱却のアベノミクスに反抗しているのか?
それとも東南アジア勢力に対抗しているのか?
徹夜でやると勤め人でもないのに時間給が高いのか?

最近、考えすぎて脳みその回転が追いつかない

批判

最近英文メールが時々来る
別にいやらしいサイトを見たせいでもないが…
と言っても迷惑メールでも無さそうだが_

昔は、辞書を引いて読もうとした
つい先日までは和訳ソフトを駆使して理解しようとした
最近は、見た途端ゴミ箱行きである


しかし、これは何を言わんとしているのだ

英語を習って10年
第二外国語はフランス語、
社会人になって中国語

一番長いのは関西弁だ!
しかし盛岡弁が話せない
盛岡の言葉が話せなくて英語など喋られるか!

(日本語を満足に喋られないのに英語教育とは!小学生の英語教育批判)

ひととき

某全国紙のA新聞のコラムにこんな記事が載った(クリックすると拡大します)

地域に根付いて愛された家族経営の20年続いた八百屋が突然閉めたという
「諸般の事情により閉店の運命となりました」と張り紙あったという
これもめまぐるしい日本経済の変化のためか?と80歳の老人が嘆いていた

しかし、このコラムは人ごとではない
これは東京の世田谷の話しであるが…
世田谷だったら、まだ店の選択の可能性はまだいっぱいある
コンビニ・量販店・個人商店など近くにはいくらでもあるだろう。
また辞めた八百屋の家族は、選ばなければ職はあるだろう

しかし、地方都市が問題である
盛岡は約30万の人口である
日々の30万個の胃袋を満たす食糧があれば、なんとか食糧流通はなる
ところが、そこへ大手ショッピングモールがどんどんでき、
地元・他県量販店が出店競争をし、
生協までも拡大店を増設し、そこへ行政や農協の産直がどんどん新設している
食糧があふれている
なんといっても食料供給基地である
いままで市場出荷をしていたのが、地域の向けられるとあっという間に飽和状態になる
それだけけではない
規格外が、どんどん出荷されると価格が総崩れになる

消費者にとっては、新鮮で安いものが豊富に手に入っていいだろう
しかし、良い事の裏には悪い面がかならずある
それは冬場の流通である
夏の価格戦争で負ける八百屋がどんどん店を閉めていくと
冬場の凍結した道路を長いこと歩いて…
車を持っている老人は、おそるおそる運転して…
量販店までいかなければならない
量販店が近くにあればいいが…それも閉めてしまう可能性がある
そして卸売市場の赤字である。これは止まらない。
市場外流通が常態化することによって税金の補填は多くなる

ヨーロッパのある国では、生鮮食料品は歩いていけるところにしか新設は認めないという
ガソリンが高騰し、オイルピークが問題視されている今
やはり、ある程度の規制が必要だろう
自由な競争社会ではなく、ある程度のルールのもとで競争でないと地方の地域社会はますます衰退していくだろう
首都圏の町と地方都市は、わけて考えて行かなければ…

数年前に破産して八百屋を閉めた友人がいる
家族共に職を転々としている

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