ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

人口減少化社会

久しぶりに「講演会」なるものに行った
題名は「シンポジウム」だったが、基調講演だけ聞いてきたので小生にとっては「講演会」である
 

名前は、「人口減少社会における”豊かさ”を考えるシンポジウム」である
以前から気になっていた「藻谷浩介」が基調講演である
 「デフレの正体」はとうに買ってある。まだ積読状態である。
 内山節さんは、”ふと気がつくと近くに居た。”と言う
 友人は「里山資本主義」を読んだ。「知っている内容だが…」と言って勧められた

題名から内容は想像がつくが、
「人口減少社会」と「経済成長の可否」と「価値観の変換」をどのように論理だてて説明するのか?興味があった。
 

 結論から言うと

 都市部ほど生産人口からリタイヤする人が増え高齢化し住みにくくなる
 地方は、それに歯止めをかけられる経済簿外資産(自然)が多々ある
 それを利用したマネー資本主義とは違う里山資本主義による林業の再生が大きな鍵である
 そして子どもを産み育てたいという豊かな地域社会を作っていかなければならない

 

さすがに年間400回も講演しているから、話は聞かせる。
眠くはならない。(ちょと眠った)
数字の羅列も繰り返して見させることによって、感じがつかめた
しゃべり口調の緩急や、大小、強弱によって、インパクトの有る話し方である

内容的に驚いたのは、都市部ほど若い人が集まった結果、高齢化しているという現状である


 

そういえば都会のマンションは、ほとんどが高齢化マンションとなりつつ有る
そうだろう、中古マンションなんか若い人が買うはずがない
いやぁ〜地方に住んでいて良かった。
地方にも松園のような高齢化団地があるが、まだまだ再生ができる
藻谷いわく「家庭菜園つき戸建住宅」として…


そして
50年後は、二人で一人の老人の面倒を見る社会
昭和49年生まれが死滅した(?)ころから安定した社会が現れるという

50年後は、息子は80歳、孫が50歳、小生は110歳を超えている(生きているつもり)
そんなころに安定と言われても…

日本を取り戻す

反原発釣り竿

こんな映像がFBで流れていた
日本人は、やはり想像力が不足しているのだろう

単なる福島や東北の問題ではなく、その影響は自然界に広くあまねく広がっているのだ
それを、一フクシマの問題に…
たんなる食べ物の問題にすり替えている
自然には国境は、無い。

 

そういえば「美しい日本」という言葉が
最近のポスターには「日本を取り戻す」と書いてあった

「美しい日本を取り戻す」と言う言葉は、変更したのか?
「日本を取り戻す」という言葉の形容詞は、何?

いつの日本を取り戻すのだ。
縄文か?江戸か?
ひょっとしたら「強い…」とか「戦前の…」とか「帝国主義の…」とか。
前に付いているのではないだろうか…(シンゾーの頭のなかには…)

「強い」唱えた大統領が、あちこちで戦争を仕掛けている

あたりまえ

こんなニュースが流れていた

阪神阪急ホテルで違う食材

こういうニュースを聞いて、「食と農」の業界にいる人は当たり前だと思う。


ところが「食」だけに携わっている人、「農」だけに携わっている人は、気が付かない

例えば
〇〇さんのほうれん草とか
☓☓さんのリンゴとか

作った総量がわからないから本当にそうなのかわからない
いつの間にか作った量の倍以上が流通している
(魚沼のコシヒカリなど)

また葉物などは、収穫時期が何時も遅れたり早まったりする
だから時期をきめて販売するなどというのは至難の業である
「11月末より寒じめほうれん草予約受付」などなど

また食の現場でも、業務用は多くは冷凍加工食品である
「業務用スーパー」が、最近どうどうとあちこちに展開している
だから調理師専門学校を卒業してホテルに就職しても
「枝豆と隠元の区別がつかない」

また大手のショッピングモールのキッチンでは
料理好きの主婦がパートで入っても
中央から送られてきた食材の袋を温めるだけの、だれでも出来る仕事である

 

多分これは「食」と「農」が、「地方」と「都市」のように分離しているからだろう
だからこそ「食農一体」が求められるが、その信頼関係はちいさなものの積み重ねでしか無い
大きなところや拡大志向では、不可能である

 

ハングル文字

韓国語の名刺をもらった
だいたいが、こんな名刺をどう管理したらいいのだ

全然読み方も知らないし、意味もわからん

名刺を整理するにの韓国人だから「か」に分類するのか
いやひょっとして「朝鮮人」だから「ち」に分類するのか
ハングル文字だから「は」に分類するのか…
なにがなんだかわからんから「わ」に分類しよう
これはOCRの名刺読み取りでは読めるのであろうか?(素朴な疑問)

いや実は、某大学の先生が「韓国でも農家の活性化というか…次期展開というか…農協の市場のような直売ではなく、農家の産直を考えている。産直先進国日本の状況を調査に来た」と言って農水省の日韓同時通訳の韓国の人と三人で来店したのだ。
日本国内を何カ所も回って最後に岩手に来たらしい

ここぞとばかりに力が入った
要するに戦後日本の復興がたどってきた歴史を東南アジアが急スピードで追いかけてきた
その結果、さまざまな問題(公害。貧富の格差。労働力の移動、教育の荒廃。拡大経済の行く末…等々)が起きてきた。本来、日本は、「このような拡大成長を遂げてはいけない」ということを東南アジアに伝えるべきだった
今頃になって「昭和三十年代が懐かしい」とか「懐かしき未来」とか日本は反省している

産直もそうである
産直など考えれば分かりそうなものである
人間の胃袋が入る容量しか食糧は売れないのに、地域経済はどんどん拡大を続けている
(もっとも、動物は獲物がいても満腹だったら襲わないが…
人間じゃ、満腹でも口に入れる、卑しい動物であるが…)

昭和30年代に、街の中に八百屋・魚屋・肉屋がありコミュニティができていた
昭和40年代に、量販店ができはじめ、街の中小の小売業を飲み込んでいった
昭和50年代に、量販店同士の統廃合で国内隅々まで量販店網ができあがり
平成に入って、巨大モールの進出で街の小売業は壊滅した
そして生鮮野菜は、車で買い物に行かないといけない産直とショッピングモールだけになり
買い物難民がどんどん生まれてきた
(ドイツでは、歩いていけるところにしか生鮮品の店は開店できないと言う法律があるという)

韓国はどのような状況にあるのかわからないが…
このような日本の状況を勉強して、暮らしやすい地域社会はどうあるべきなのか
考えてもらわないと…

セーフティーネット

収穫祭である

あちこちで収穫祭が行われている
収穫祭は酒が飲めると、多くの人がおもうだろう
フードファームは、酒なしである
当たり前だ!昼間の収穫祭である
「昼間から呑んでもいいじゃないか〜」と思う人が周りにいっぱいいる
周りのせいにしているが、中心に一人いる。それは私です

 

被災者と…訳ありの若者と…障害者の究極のセーフティーネット
フードファームの収穫祭である

芋と芋と芋の収穫祭である
要するに甘藷を焼き、馬鈴薯を焼いてバターで、里芋を煮て

食すのである

芋に酒は合わない。
いや芋酒というのがあると聞いた
そういえば昔、実践した「芋酒」
これは長芋を酒を加えながらすりおろすのである
味はどうか…思い出せない
もう一度試してみよう

そんな話ではないが、芋が大量に収穫できた

姿形はよくない。見た目も良くない。
そんじょそこらにいる、おばさんと一緒だ。

しかし、食べることは可能だ
おばさんも稼ぐのは稼ぐ

 

「農業は難しい」とよく言う
そして「農業はもうからない」と…

天気に左右される
管理をしないと草だらけになる
肥料をやるタイミングがわからない
虫や病気がついて対処がわからない
3K(汚い。きつい。きけん)のさいたるものである

しかし、一番の問題点は農産物を「売れる商品」にすることなのである
ようするに

100収穫して1本商品になれば、初心者
100収穫して30本商品になれば家庭菜園の王者
100収穫して60本商品になれば農家というプロ

要するに「売れる商品」として規格通りかどうかを選別するテマヒマなのである
あるJAの幹部が言っていた
「農家に支払っているのは商品代金ではない、選別の手間賃だ」と言う

野菜を規格どおりに作ろうというのは、人間の傲慢さである
規格に合わせて選別をするというのが、正しい農業である


採れたものを見目形が悪くても、美味しくいただき
売れる商品をつくるのでなく「食べる商品」をつくるのが究極のセーフティネットである

結婚して、何十年経って見目形が悪くなっても、諦めて一緒にいるのが夫婦のセーフティネットである
小生のところではない!断じて…

安心感

盛金デモに追いついた

遅れて行ったのだが…
遅れた理由は内緒だ。

早く着きすぎて串カツ屋で一杯やったのが原因ではない

絶対にない

なんとか追いついたが、いやに行列が長くて人が多い
おかしい

いや人数が多いに越したことはないが…
でも平均年齢が高いような気がする
誰かが動員したのだろうか?
いつも5〜60人なのに、なんで日本で今冬最初に氷点下を記録した盛岡で90人近くも集まるのだ?

まぁいっか!
最後の列に並んで出ない声を張り上げていると
前に抱っこされた男の子だろうか…
こちらを不安そうにじっと見ている
”別に悪さしないよ”と顔をくちゃくちゃにすると…
余計に不安そうだ(泣)

しっかりとお母さんを抱きしめ、お母さんのぬくもりが安心なのだろうな…

そういえば店に来た親子も6月に生まれたと言う
副住職のところは7月だ
遠くから店に8月生まれの赤ん坊を連れてきた家族もいる
3月に生まれるという児もいる

なんだか周りは、赤ん坊ラッシュだ
この赤ん坊たちが社会にでるときには、どんな社会になっているのだろうか…
お母さんの安心感のようなものが生まれているのだろうか

ふと盛岡サポートステーションの話を聞いて、不安におもう

さぽすて

「さぼすて」と言う団体か…グループか…言う名前の組織がある

”サボった奴は、捨てる”と言う現代のスパルタ教育の実践団体か?と思ったら違うらしい

正式には「サポートステーション」という語句の略らしい
国が法律で作った若者の自立支援の組織らしい。

「それはいいことだ!」と多くの人が思うだろうが…
そんな単純な話ではないらしい

そのサポステの人がきた
「盛岡ぐらいの都市だと3000人ぐらいいると文科省はいう
そのうちサポステに登録している人は500人
そのうち月に一度でもサポステに来る人は50人
毎日10人ぐらいは、来所して勉強したりしている」

と言う

岩手山ではないが、見えている部分は少しなのだが…裾野は大きいのだ

30万都市で3000人と言うのは、1%である
岩手で3000人以上の企業は市役所と県庁ぐらいである
それも働き盛りの15歳から39歳までの人数という

そんな話を魔子様としていると
「あ〜あ、いるいる、あの子も…この子も…」
と子どもの同級生の名前が、どんどん出てくる

これって大問題じゃないかい?
オリンピックなんて浮かれているばかりじゃないだろう

結局、学校は出たけれど、働く場所がない
その働くにしても、マニュアルどおりの仕事だから
「交換可能」な人しか使わないシステムになっている
働いても使い捨てだから、そのまま引きこもる

企業は効率化と合理化で人件費の削減で海外に行ってしまう
ようするに俺等が中学生の頃、集団就職で都会へ出て行った仕事とか
実業高校を卒業した人たちとかの仕事が無くなって
大学を卒業したやつらがその仕事をやっている
もっとも大学自体が義務教育の延長みたいなものだが

働くとはなんだろう
時間いっぱいマニュアルどおりに体を動かして、自分の時間を売っているだけなのだろうか?
働く喜びとはなんだろう
賃金という形で貨幣をもらい自分の好きなものを買うことだろうか

働くとは技を取得して、自身の技の向上と、周囲の人への役に立つことを喜びとすることではないだろうか

今、被災地支援や経済の活性化でものを作ることではない
それは政治でできることでは、ないような気がする
そんなことを感じている

雲間

雲がたなびく山なみをみながら、フードファームに向かった
いつもいつも直前になると雨が上がるフードファームの日である

今朝も、小雨が降っていたが…
雨は…上がった。

フードファームでは

「空いた畑に播く大根の種が欲しい」
「いや、もう大根はお終いだ、岩手は、せいぜい9月中頃までだが…」
「形だけでも大根の加工をしたいのだが…」
「じゃ〜ちょっと探してくる」

そんな会話をしながら、佐藤政行種苗に向かった
佐藤政行種苗では、そろそろ秋用の種を片付けようか…というところだった
「とりあえず形になればいいから、形になれば…」といいながら二種類ほど大根の種をピックアップして
「会計!」といったところに社長が出てきた

「いやぁ〜この前、あるシンポジウムに出たら…
70億かけて機内食のシステムを。高齢者の宅配弁当に使うという話を聞いた。
温かいままに食事を届けるという。

また一回に1トンの米で1200人前のご飯を提供するシステムを作っているような話を聞いた
その提供先は、ショッピングモールのイ○ンだという

なんでも巨大化して効率と合理化で食と農は、大丈夫なのか?」


雲間から首を出し耳をすませて聞いていた岩手山は、

「馬鹿だな〜人間どもは…経済だけで成り立っていると思うのだろうが、
食と農は自然と密接につながっている、自然は見えていない部分が大きいのだ。」

といっているような気がする

あこぎな宣伝

子どもが某ブラック企業のワッペンをはったシャツを着ている
聞いたら

「協会が主催して大会を開催し、スポンサーになっている」と言う
子どもの大会に、ユニフォームを支給して、しっかりと宣伝している

恐ろしい

子どもの頃から、しっかりと刷り込もうと言う遠大な下心か…
大きな企業は長期的に、ものごとを考えられるが…

今、大企業が世界に羽ばたき、どんどん大きくなることではなく
地方が、ちいさな雇用を生み出すことが必要なのだが
逆に、どんどん縮小していかないと続かない

 

ちいさなところは、その日その日が精一杯である

トキョ

「フードファーム」は、農を自分たちにとりもどす運動である
我々が生きるための命の糧をつくる「農」が、いつの間にか「農業」になってしまった
生きていくための食べることが「食産業」に取って替わられてように

国という大きな組織ができると、それを円滑に動かすために貨幣ができ貨幣が価値を持ち始めた
たぶんそれまでは、人々は一日中、食べ物を探して採って、獲って、取っていたのだろう
家族は、お父さんが獲って、お母さんが採って、子どもたちも取ってきたものを分けあって食べていた
そのうちに集落ができてリーダーが生まれ、ちいさな国ができて権力が生まれ、大きな国ができて貨幣が生まれた

それでも大多数の人は農に軸足をおかない食べていけなかった
その軸足の農が崩れてきたのは、ここ100年の話ではないか
化石燃料をふんだんに使うことに寄って、我々は効率的な大量生産と大規模な消費と大きな無駄を生んだ
以前からそんな雰囲気が漂っていたが、東日本大震災と原発事故は、それを決定的に気が付かせてくれた。

100年前、人口のほとんどが農となんらかの関わりをもっていた
そこへ戻れなくても、原点に立ち返ることが今、必要なのだ
「おもてなし」の「トキョ」ではない

 

 

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い