ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

56年ぶり?

「56年ぶり」という言葉が踊っている
「お父さん!56年ぶりって言ってるけど…わたしは小学生の時だから…おかしいんじゃない?」
と魔子様が言う
”そうだ!56年ぶりなら、ワシも中学生だから、今70歳になっているはずだが…?”

東京オリンピック開催が、前回から56年ぶりで、
東京オリンピック開催が決まったのは49年目だったのである
計算機を使って初めてわかった(泣)

 

東京オリンピックは、自宅でテレビで見た
カラーだったか白黒だったか、思い出せない
テレビが普及し初めたのは、正田美智子さんの結婚式で、
東京オリンピックでまんべんなく広がったような気がするが

どこのうちでもテレビの画面にカーテンが掛かったりして貴重な財産だった

それから半世紀経って一人一台になって使い捨てのようになった

 

聖火リレーのランナーの後をついて伴走者として走った
「記念に」とメダルと賞状、そしてユニフォームとシューズをもらった。
長いことタンスの奥にたたんであったが、引っ越しのたびに何かを捨てて…
ついにメダルも見当たらない

物は、どんどん変化して捨てられてしまう
残ったのは国中を熱狂に導びき連呼した名前と、思い出だけである
マラソンの円谷幸吉、大松博文の東洋の魔女、重量挙げの三宅義信、体操やレスリング・柔道、
今でもフルネームで覚えている。

東京オリンピックの熱狂の影で忘却されたもの…
その反省が今、「懐かしき未来」になっているのではないだろうか?

今回のオリンピックが、何をもたらすのだろうか…
政治家は平気で嘘を言う
マスコミは平気で嘘を垂れ流す

それだけかもしれない

丁稚募集

G大の盛岡ヒグマ先生が…
「丁稚募集を広告したら…」と言う
なるほど、いいアイディアである

だいたいにして地方都市の流通が、めちゃくちゃになりつつある
大型ショッピングセンターが何店舗も進出し、中小の小売業が壊滅状態である
壊滅すると何が起きるかを住民は、思い描けない
そこには買い物難民という避けて通れない、おおきなおおきな問題が起きるのである
そんな地方都市で、拡大経済資本主義の権化のような大型モールに
ささやかな反抗心をもって体当たりをするには、玉砕しか無い

しかし、死んでたまるか!

という心意気だけでもどうにもならない
マニュアルに勝つ人海戦術で、大型モールを包囲網を作らなければ…

そこで、「丁稚」と言う優秀な人材を募集しよう

入道がもつ「食と農」のありったけの知識と、関係性の世界を教えます
朝食・昼食つき、交通費支給、小遣い程度の金銭、社保なし、
老若男女関係なし、将来性のある人募集、委細面談。別途相談。

  

身土不二考

 

昭和30年代だろうか…
「金の卵」ともてはやされた、中学生たちがいた
街には職業高校が必ず有り、商業・工業・農業と…
そして、それぞれに就職先があった
若い人たちの働く場が数多く有った
そのときの国は、閉じていた

 

今グローバル時代になって、人件費の安い国へ製造業が行き
人件費の安い人が日本のサービス業に稼ぎに来ている
若い人たちの働く場所が無くなった
今、国は開いている

 

地球という閉じた空間で人が暮らしている
気候や風景や、自然の違いの中で人が暮らす

発想や思惑などの思考方法は、風土の違いで現れてくる
その違いが「国」や「宗教」のような気がする
それを合理的に均一化してしまおうというから無理(戦争)が起きる
 

そこで、無理の無い別の均一化をすることになる
人間の労働を貨幣に替えて、働く質や技も均一にしてしまう

お互いの個性を尊重しと言うが、貨幣は価値観を均一にしてしまう
世界共通のルールが、簡単にできる

国を開くということは、その人々の違いを認めないということではないか
 

これは日本でも一緒だ
閉じた地域は、閉鎖的と言われる
しかし、そこにはおもいやりとか分相応とか、助け合うとか、

そんな非合理の地域の暮らしが仲間とともに有った・

都市と言われる開かれた地域は、個人が閉じている
そこには貨幣を媒介した薄い合理的関係性しかない

今の人にとって、それは心地よい空間である。煩わしくないと言う

そして、すべて人に決めてもらう。
国の将来も、ルールも…多くの人が納得する合理的ルールを…

考え方の違う人達が地域で決める、非合理のルールは、煩わしいのである

 

そこで今「俺がルールブックだ」という賢い独裁者が求められる。

哲学の森

毎日が月曜日の日々を送っているが、その一年に三回の楽しみがある。
2月の東北農家のセミナー
11月の専立寺の報恩講
そして8月末の哲学の森である

すべて哲学者内山節の講演会というか…勉強会というか…
ようするに哲学者の内山節の話を聞いて思索を重ねる時間である

中学生の頃、よく先生たちに「自分の考えをもて」と言われた
そのときの友人で、さまざまな本を読んで自分の意見をいう人がいた
彼の意見は、素晴らしかったが、反論できなかった。
「自分の意見」これを持てたらいいな?とそのときから思っていた。
数年前に出会った、その友人は以前の考え方そのままだった。

 

歳を重ね、経験を積んで、45過ぎだろうか。内山節と出会った。
驚いた。こんな考えがあるのか?


ふと思う。
今の時代に、歴史を重ねると新しい発想が湧く

今の時代をどう捉えるか?
それは、自分の生き方で違う
歴史を重ねる?
自分が捉える歴史で違う

未来という空間はない。
あるのは今と、昔だけである。そこから懐かしき未来が生まれる

そんな至福の時間が8月31日と9月1日、岩手を象徴する森のなかで開催される

おはな

多くの人が盆休みをとっている中、ちいさな野菜畑は営業をしている
お盆は以前、”かきいれどき”だった
どちらかと言うと”いれぐい”と言う感じだ。
盆前は、お墓に供える切り花を買い求めに早朝からお客が入った。

「おたくの駐車場に入るのに、30分も周辺を回っていたよ」
と言って朝の6時半に、お客がきた
お盆の最中は、久しぶりに帰省した客や観光客が群れをなした

あるときから、そんな現象が無くなった
リーマン・ショックを境に…と思ったが
その前からのようである。
ふと考えてみたら化膿性脊椎炎や僧帽弁閉鎖不全症、胸部大動脈瘤で入院をした7〜8年前からのようだ
なにがきっかけかよくわからないが、お盆用の切り花を早朝に買い求めるというよりも、
前日に大量に買い込んでおくというスタイルが、常態になってきたような気がする

盛岡は、親戚中の墓を回って花を活けて歩く。
だから係累の多い人は、10束20束と買うのである
そうなると広いスペースに大量の花を並べて売るスタイルが客を呼ぶ
そしてそこへ車で乗り付け、まとめ買いをして、安く済ませるそんなお客の消費行動が変わってきたように思う
お花は、お墓参りの当日の朝に、「新鮮で長持ちするものを、お先祖様にお供えをする」と言う風習が
「大量に買うから、安くてきれいに見えるものを…」という風に…

そんな消費行動の変化が地域につながる小さな店を駆逐する原因にもなる

そして産直に花を供給する花農家からでてくるものは、規格外が多い
小菊を栽培している農家は「赤と黄は咲いたが白は蕾だ」と言う場合、
赤と黄色は農協に単色出荷し、蕾の白だけ産直に出すのである
(農協出荷はカラー別出荷である。それを花屋が組み合わせて花束にする。)
ところが産直に出された白だけの小菊だけでは売れないから勢い安くする

また長さがある
だいたい80センチぐらいの基準で箱詰めして農協に収める
その長さがない(成育や、病気・病葉を採っていくと長さが足りない)
基準に合わないのでB品やC品になる
それを産直に出すのだが、客は長い茎を切って墓に供えるのだから長さは関係ない
長い茎は、流通段階で花屋が切り戻すために長いものが必要なのである
 
それだけではなく一般の農家も、庭や畑の片隅にお盆用に花を植えてある
それを適当に(センスが無い)束ねて切り花として出してくるのが産直の花であった
しかし、お客も義理で供えるお墓の場合、それでよしとする
(これが仙台だったら大変である。花を入れる竹筒に名前を入れる風習がある。
墓地のそばで花を買い求めると、そこに竹筒も売っており、サインペンまで置いてある。
「誰がきた。」というのがすぐわかるし「どんな花を買ったのか?」もすぐわかる)
 
ところがそんな産直の花業界に殴りこみをかけてきたのがいる
〇〇半島のお花の産直である
なぜ?と思うほど盛岡市内に何カ所ができている
一年中のお花の需要があるのだろうし、〇〇半島だったら一年中咲いているのだろうが…
そしてもう一つ、大型産直である
これは売上が大きいが、参加農家の数が多いだけで農家自身の売上は大きくない
(当然である、農家が売上を拡大するには、広い面積と多くの人数が自由自在に拡大縮小できるシステムがいる)
 
結局、ちいさな需要のところへも、大量生産のシステムの供給は向くのである
つまり、少しの需要でも大量生産は、少しづつ何箇所にも置いて量の供給の確保を図るのである(コンビニのように…)
工業生産のように、生産の拡大縮小がすぐにできない農林水産業においても…
だから拡大は止まらないし、地域につながる小規模はなかなか生き残れない
そんなお盆の先祖に対する、いいわけである

無量

本棚の片隅に積んであった本。
たしか「泣ける」と言われて買った本だが…
病院の待合室に持っていくのに、短時間に読める連作を探していたら見つけた

「泣けた」
こんなにも「つましい」と言う言葉が愛おしいと思ったことはない
本当は日本人は、昔から”つましい暮らし”をしつづけてきたのだ


それが何時の頃だろうか…高度成長期以後だろう
そういえば「もったいない」と言う言葉も、高度成長期以前は当たり前に存在していた

前はハンカチで、鼻を拭いていた。
今、街角で無料で配っているティッシュで鼻を拭き、ゴミ箱へ捨てる
街角でティッシュをタダで配るというのは、財閥系S銀行の人形町の支店長が始めたという
そういえは100円ライターの広告入り無料ライターも、その人が始めたという

「無料」という言葉の響きは「無量」につながる
「無量」の言葉の意味は、”はかることができないほど多い”と言う
「無料」という行為から生み出されたものの罪は、今の時代、はかることができないほど多い

子ども

せわしなく忙しい日々のなか、葬儀が有った

朝の4時に起きて5時に店に行き、準備をして朝市へ…
その後戻ったら、夏祭りの準備をして、トウモロコシを焼き続け夜10時に家につく
そんな2日間の間に葬儀が入った

こういうバタバタの時は、必ず何かアクシデントが起きる
無理して参加しなくても…
と言う気持ちと、亡くなった個人の人懐っこい顔が浮かぶ

末期がんで遠方の娘に引き取られれ病院にはこばれ
あっという間に亡くなり故郷に戻っての葬式である
看取られた人が子どもたちとはいえ、寂しかっただろう
まして風景も見慣れぬ土地で…
友人知人もいない土地で…
そんな想いと…

様々な示唆を受けた人だった
「やはり葬儀に出よう」と決意した

現役を離れてから30年近くになるのだろう
参列者も家族席のほうが多く
友人知人の席はまばらだった
少ない参列者の間に住職と副住職のお経が悲しくも重々しく本堂に響いた
ふと涙がこぼれた

あれは15年前になろうか
「すごい先生がいるぞ」と聞いた
あちこちで、お話をしていると聞いた
一度、話を聞いてみたいと思った
そんな先生との出会いが、3.11の震災だったら絶対潰れただろう古いお寺さんだった
部屋の片隅で、口角泡を飛ばし、眼光鋭く、酒やけとタバコのヤニで小柄な小太りの人がしゃべった
「暴力教師だった。暴力では子どもたちを育てられないと気づいた。」
普通、自分を隠し、良いことばかり話す先生が多いが、彼は自分のしてきたことを、すべてさらけだした。
そして教師としたの後半の人生は、子どもたちと共にあった世界を語った。
 

そんな彼と一緒に会報誌を作って発行した
二ヶ月に一度、24回、4年も続いた。

彼に教わったこと
「子供」は大人のお供ではない「子ども」と書くのだ

高校の先輩だった。合掌

農業は消費者の問題

朝3時から起きていると、もう夜9時には眠くなる
まして寒い一日が終わって、もっきりを一杯やって暖まっていれば…
ちょうど9時半に布団に入って、深い眠りに落ちようとした途端

携帯電話が鳴った
こんな時間は、店の警備のセコムからだとおもいつつ、布団を抜けだした途端に切れた

着信履歴を見たら友人だった。電話をかけると
「今、テレビを見られる環境にあるか?山下惣一さんがNHKのニュースにでている」という

山下惣一さんは、農業と付き合い始めた頃よく読んだ。
農民作家の直木賞と言われる「地上文学賞」をもらった佐賀県唐津の人である
また直木賞の候補にもなった
 

20年近く前だろうか、沢内村で山下惣一さんの講演会があると聞いた
山下惣一ファンの仲間何人かで出かけた
講演会の終わったあとの交流会
山下さんと一緒に呑み、焚きつけた

「あれだけ若い人たちを扇動しているのだから、一年に一度は岩手に来て若い人たちと呑まないと…
宿泊と酒代は全部出すから、旅費だけたのむ」と言って岩手山下塾を立ち上げた
東北に来たら岩手に寄って、山下ファンの仲間と一杯やろうというのだ
 

それから毎年一度は岩手に来て、盛岡で…北上で…沢内で…
若い人たちと…秋田の人たちと…何回も呑んだ
そのうちに身土不二の本を出すのでと
当時入院中の栄養学者の鷹觜テル先生の病室へ行ったり
専立寺の住職の話を聞いたりして「身土不二の探求」という本がでた
その本の中に小生も「盛岡の友人」と言う形で登場している

ところが小生が心臓のやまいで入院してからだろうか
体調が悪いのでアテンドができなくなり
遠慮したのだろうか、徐々に遠のいていた
しかし、年賀状と新しい本が出てくると必ず送ってくる

彼は、いつも言う
「農業は消費者の問題だ。農家は自給自足すれば事足りるのだから…」

 

石油漬け?

フードファームに行った。
ここは知的障害者と、ひきこもりの若者と、震災の被災者の三団体が、合同で農業をやろうというグループである
「ただでさえ農業で飯が食えなくて補助金を出しているのに…
そんな団体が農業をやれるのか?」と多くの人は思う

「農業」とは「農」を「産業」にすることである
この団体が狙っているのは、違うことである
「産業」ではない
「なりわい」なのである
農は以前、なりわいであった。
それが昭和36年の農業基本法で、他産業にまけないと言う
単一作物を大規模に作る産業に転換させた
それまでは「小規模有畜複合経営」であった
ようするに野菜くずを与えた庭先養鶏、あぜを利用した大豆、雑草を食べさせる牛、残飯を与えた豚、それらの糞尿を発酵させて畑や田んぼにもどした。
小規模で廃棄物がでない循環型農業である

今、大規模稲作農家が野菜の栽培方法を知らない。畜産農家は大量の糞尿廃棄物を多大の経費をかけて処理する
土地利用型(大根・キャベツ・白菜など)野菜農家は、多忙な時期の人夫が足りなくて中国人、フィリッピン人の研修生が入ってくる
施設園芸(ハウス栽培のトマトなど)農家は、多大な設備投資に補助金を利用する

そんな産業としての農業は、合理的に効率化された農業だという
しかし、それはたった50年の近代化農業である
はたして、これは続くのか…

ようするに化石燃料の石油漬け農業である
種子は海外で大量に生産され油で運ばれる
田圃や畑は、油を使ったトラクターで耕起され
油を使って生産される窒素・リン酸・加里の三大肥料は、すべて海外から油を使って輸入される
生産に使われる農機具は、鉄鉱石プラスチックもすべて油を使って海外からの手当
米の乾燥は、油をつかった重油乾燥・
そして単一産地は消費地と離れて運送される油が必要である

今「ピークオイルを迎えた」という人がいる
油が制限されたら…高騰したら…
一挙に食べ物が手に入らない人が多くでる
金を持っていても…

油がないから原発を…
というのがエネルギー政策なのです。
エネルギーがなかった時代を振り返らない
核廃棄物の処理さえできない原発と
多くの人が働く喜びを感じる
「なりわいとしての農、くらしとしての農」
それが本当のセーフティーネットでは…

 

そんなに先の長い話をされても…
目先は大丈夫だから…という人が大部分だと思う
しかし、それはほんの50年先の話かもしれない
50年先それは、あなたの子供が年金をもらう時代である。
「年金がもらえる」と断言出来ますか?

そこにセーフティーネットを張らないと…

そこに立っていた

選挙が終わった
様々な政党が、様々な政策を掲げて戦ったと言う
戦うなら徹底的に!暴力的に!戦えよ
と思うのだが…
大きな声で、名前をがなりたてるだけでは生ぬるい

しかし、選挙のたびに蒸し返される一票の格差
いい加減にどうにかしたらいいのに…と思うのだが
住民数と地域の面積で按分するような方策を…
智慧を出せばいくらでも良い解決策が出てくるのに…
智慧が出ないやつらだ…
民間だったらゆるされない

また選挙に行かない若い人たち
投票率の低さは教育の結果
自分たちの知らない所で徴兵制がどんどん進まれているかも
自分たちの知らない所で借金を抱え込んでいるかも
自分たちの知らない所で権利を剥奪されているかも…
後から「知らなかった」と言っても遅い
我々の年金のように…

しかし、国がなんでもかんでも決めるというのも問題である

国が決めることを、わずかにしなければ…
間接経費が膨大になって、収入がすべて人件費になってしまう
今、国の税収が40兆円で人件費にほとんど消えていると言う人もいる
そもそも民間の就職先がなくて、しかたなく公務員になった人たちばかりだ

政争に明け暮れて、マスゴミをにぎわすだけの政治はいらない
所詮政治は、権力獲得戦争である
大勝しても、また揺り戻してバランスが取れるという
しかし、徐々に右に右に行っているような気がするのは、
左により過ぎているのだろうか?
いつの間にか知らない間に、
「そこに立っていた」というように…

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