ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

ファスト風土化する盛岡

新聞か…ネットで読んだ。

大手ショッピングモールや、コンビニチェーンが、「事業本体では赤字だ」という

ようするに、本業の物販では利益は出ていないと言う
不動産や金融で利益を出していると言う

大手は金が回っているから金融機関がカネを貸す
その金で不動産投資や、金融で利益を出す
大手の輸出産業も為替差益である。

土地を借りて(買って)建物を建て、人を雇って、商品を仕入れて、利益を載せて販売する。
と言う仕組みが、成り立たない世の中になってきた。
一番目立つのが、地方の中小零細小売業である。

老舗の中小零細小売業がどんどん廃業に追い込まれている
盛岡でも何軒もでてきた。
盛岡は、商業の町である。
高度成長経済期に溜めた金を不動産に投資して、それを売り払って生き延び、店主の年金もつぎこんできたが、いよいよ尽きてきた。
それ以降のトレンドに乗って開店した新しき店も続いていかない。

当時、東北では唯一シャッター街が無いと言われた盛岡の街も
H15年のショッピングモールの出店から始まり、モールが街を囲むようにでき、中心市街地の商店街は壊滅という状況に陥った。

その出店反対運動の公聴会(?)のときに、若者が大きな声で発言した

「モールが来ないと盛岡は遅れてしまう」

まさに、たった15年で盛岡は他の街に遅れず「ファスト風土化する盛岡」と横並びになった。

ちいさな個性的な店が集まる商業都市が、盛岡だったはずなのに…

特別に個性的で、地方に根付く小売業でありたいと思う「ちいさな野菜畑」であった。

 

 

アテンダント

以前、「アテンダント」と言うものをやったことが有る。
新宿で一番大きいデパートで、一日付ききりで説明をする仕事である。
ついでに品物が売れれば、それが一番いい。

商品は「遠赤外線」である。

当時遠赤外線は、コマーシャルで流れていた。
有名だが、誰も本当のことは知らないと言う”もの?”である。

赤外線は知っているが、触ったことがない!という人ばかりだ?
そんななか、「遠赤外線とはなんだ?」という説明をしなければならない。

 

一応パネルを飾り、説明用の商品を持ち、手持ち無沙汰だった。
ひやかしのような客も来た
真剣に問いかけてくる客も来た。
何もわからない人も来た。
詳しい人も来た。

アテンダントというのは、最初の一言でどの程度の知識を持っているのか?を判断して説明をしなければならない。
こちらの知識を総動員して説明しても相手がそれを上回る知識を持っていたら聞く耳を持たないし、売れない。
相手が知識を全然持たなかったら、いくら説明しても意味を持たない。
相手の持っている倍の知識を持たないと、わかりやすい説明は出来ないのである。

遠赤外線の石というのが、商品に有った。
天ぷら鍋に入れると、からりと揚げる
甘藷を焼くとホクホク焼ける

と言う物であり、ある意味では偽物である。

 

面白半分に買っていく人がいる。
「嘘だろう」と突っかかってくる人もいる。
そういう人には、本当のことを言う
天ぷら鍋に入れると、石に蓄熱されて油温が下がりにくいのです。
だから高温でカラリと上がります。別に遠赤外線のせいではありません

甘藷は、温かい石に漬けると伝導熱で均一に焼けます
調理の基本は「均一」です。だから美味しく焼けます

遠赤外線は輻射熱ですから接して、遠赤外線効果があるということはありません

そろそろ遠赤外線の下着が売れる頃です。
遠赤外線を発するという物質を編み込むことに寄って、そこに蓄積されて暖かさが持続します。温めるまでに体温から熱が奪われます。

しかし、世の中、”効果があれば理屈はどうでもいい”と言う人が多いのである。

だから「一人ひとりの相手に納得させる」というのが、アテンダントの仕事である。
そしてそれは、営業としての仕事でも有る。

売る

最近「売る」ということを考えている。
「売る」とは、どういう事か…
単純には「ものを金に換える」事なのだろう

昭和40年頃から、末端の小売業が変わってきた。
食品では八百屋・魚屋・肉屋から、スーパーになってきた。
雑貨も量産品がでてきてから、スーパーで扱うようになってきた。
ようするに日本型〇〇屋が、アメリカ型量販店になってきたのである。
それは物を並べる、欲しい人が選択して選べる。と言う方式である。

それまでは、ものが乏しかった。
小売店がお客の顔が頭に浮かび、市場や問屋から欲しいものを代わりに選んでいた。
だから小売店は、客の家族構成から好きなものから好悪の判断基準まで深く知っていた。
その時代は、戦後と呼ばれていたが、そこへ高度成長期がやってきた。
不足していた物資が、生産設備の改良や流通ルートの整備でどんどんものが溢れ、選べるようになった。
そしてスーパーと呼ばれる量販店である。
効率化した店内は物が溢れ、人々は選ぶという楽しみを知った。
大きな店内に豊富なものが溢れ、中小の店は駆逐され、商店街が消えた。

「それも時代の流れだ」と言いながら、その影で買い物難民がひっそりと生まれていた。
今は、団塊の世代が大量に定年を迎え、車の免許を返上し、団地は歯抜けとなり、子どもたちは都会へと就職し、コンビニは過当競争で人口減少下の街は撤退が続く。

ものは揃っている、ネット環境も良い。
贅沢さえしなければ、何もいらない。
テレビとパソコンで情報は入る。ネットで物は届く。
食事も弁当が配達されれば…
一日話をしなくても、済む。

そういえば東京に住んでいる人が言った。
「朝から晩まで、一日話しなくても良くなった」
生の言葉を聞くのは、コンビニの

「いらっしゃいませ、こんにちは」

である。

初めて営業という仕事に携わったときに

「売るとは、自分を売るのである」

と教わった。
「会話の中で、さり気なく相手のきもちを聞き出す」
相手の気持を読み、何を考えているのか…を想い
察してやる

ものの説明をして、ものを売ることではない。

そんな会話が無くなったときに街のコミュニティも無くなった。
それを復活する方法を、今作ろうとしている。
しかし、今の若者に、そんな会話ができるのだろうか…

替らないと換えれない

世の中、選挙である。
どうやら選挙一色と言う表現があたっているのだろう

選挙となると店の売上も落ちる。
それを言い訳にしても、上司に報告をする立場ならそれでも良いが
銀行に報告するには、言い訳にならない。

ずっと選挙で投票してきた。
選挙に直接関わったのは学生のときのアルバイトだった。
戸別訪問だった。玄関の戸を開けてチラシを渡すだけだったが…
ある家で「こんなことをしていいの?」と言われて答えられなかった。

それ以来、選挙に直接関わったことはない。
関わらないようにしてきた。
ただ新聞を読み、テレビのニュースを聞き、最近ではネットの情報を聞いて自分で判断し投票してきた。
そして、そのとおりに選挙結果がなったことが少ない。
どうやら世間大勢の人の思いと、自分の思いが違うのだろうと思う。

組織にいる人、利害関係がある人、そんな関係性で判断する人が多いのか…
それ以上にマスコミのイメージ戦略で動く人が多いのか…
現状に慣れて変化を求めない人が多いのか…

とある人が言う
「今回は誰にも頼まれないから…誰に入れたらいい?」と言う
そんな人も一票なのである。

 

地方の中小企業は
毎日の作業は、変わらない効率化を求めるが
毎日の仕事は、換わる決断の日々である

変わることに慣れないと換えられない

 

有名な人

サイコパスと言う本を読んだ。
アメリカのトランプ大統領は、サイコパスだと本の帯に書いてあった。
トランプがサイコパスなら、ビジネスマンはすべてサイコパスではないか?
そんな思いをもって、本を買った。

昔、と言ってもそんな大昔ではない
「羊たちの沈黙」という映画をテレビで見た。
その時の博士(?)というべき主人公がサイコパスだと言う。
相反する性格が一人の人間に現れる…
その程度の知識なのだが…

 

読み進めながら、ふと今まで人生の中で、
「あの人はサイコパスだ!」と断定できることに気がついた。
30代に出会った人で、40代までつきあったが…
50代60代は、小生の思考に大きな比重を占めていた。

最初に会ったのは面接だった。
30代前半、東京から盛岡に帰ってきて面接を受けた。地方では大きな会社の廃棄物処理業の子会社だった。
彼は現場の長という立場だったが…
その仕事の内容や進め方、将来の方向性など、彼しかわからなかった
しかし、彼の上司は、彼の言うことを受けれなくて悶々としていた
そこへ飛んで火に入る夏の虫のように小生が入社したのである。
彼は辞めようとしてところに、若く生きのいいが部下に入ってきたので息を吹き返した。
かれは壮大な夢を語りだした。

当時、岩手には大きな家電メーカーの工場が進出していたが、廃棄物の処理の問題が起きていた。
大手の廃棄物を、きちんと処理をする廃棄物処理業者が岩手には無かったのである。
それを”処理しますよ”と声をかけて営業し、運搬し、中間処理をし、最終処分をする仕事だった。
彼は、熱分解溶融炉を導入し、溶融したものから金属を取り出すことを考えていた。
要するに処分費用をもらって、貴金属を回収し販売することで二重の利益をするというはずだった。
ところが処分費用は大手は納得すれば出すが、中小は出せるところが少なく、処分費用はランニングコストもでず
回収するにも、貴金属の含有率が低く到底採算に合わなかった。
(回収して採算に合うようなものだったら排出事業所がとっくにやっている)
結局その仕事は頓挫し、遅々として処理業者としての経営も上手くいかず、小生は友人の依頼で再び上京し転職した。

彼は、その後も東京にいる小生にコンタクトしてきた。
そして4年後、勤めていた会社で内紛が起き、嫌気が差したところへ彼はやってきた。
「是非、岩手に帰ってこい。面白い仕事がある」と…
彼が考えていたのは、有機農業と廃棄物を組み合わせた仕事だった。
彼は一見、学者みたいな雰囲気を備えている
落ち着いた語り口、眼鏡の奥から鋭い細い目でにらみつけるさまは、黙っていれば学者然としている
その彼の語りだす言葉は情熱にくるまれて熱い。

工場から廃プラスチックを処理費用をもらって高温で焼却しその熱を利用して椎茸ハウスを運営する
その椎茸ハウスのホダ木を堆肥に製造し、農家に販売し、自家でも野菜や米を生産し、消費者に販売する
そして処理できないような廃棄物は、溶出しないように固めて地中に埋め、
その安定した地盤に水耕栽培をし当時流行っていた水耕栽培のハイポニカ農法でトマト栽培をする
その野菜くずは、すべて養鶏のエサにし、米の籾殻や稲わらは、敷きワラに…そしてその敷料は堆肥に…
堆肥には食品工場からでてくる食品残渣や、解体した中小家畜をも混ぜ込む。
ありとあらゆるものが循環し、当時の有機農業の最高技術を集めた仕組みだった。

ころっと騙された。
いや騙す気はなかったのだろう
彼は夢を語ったのだ。
それに乗ってしまった。

農業生産法人をつくり、合鴨農法を岩手で最初に実践し、有機農業を滋賀県にいって勉強し、椎茸施設園芸を学びに島根まで行き、熊本には油槽タンクの洗浄を習いに…、焼却炉の導入で香川に…、全国各地に勉強と実習で駆けずり回ったのが40代前半だった。

ふと気がつくと、施設や仕事は、どんどん進んでいるが…
資金が続いていかなかった。
それ以上に、一つ一つの採算が合っていなかった…
結局、農業の常として単価を高くしても、自然のものだから生産量が安定しない。
生産量が増えても、客は急に増えない。
それ以上に投資金額が多くて原価がかかって、それが値段に反映できない
そして一番の問題は「いいものは、売れる」という彼の意識だった。
販売力が決定的に欠けていた。

資金を担当していた彼に経営内容を聞くと…
彼は嫌な顔をした。
それ以来徐々に離れていった。
決定的だったのは「直売所をやりたい」「毒喰らわば皿まで…経営内容を教えてくれ」といった事だった。
彼は、湯気を立てて怒った。
何故怒ったのか?わからなかった。

 

辞めたあと、彼を被告として訴訟をおこした。
裁判所の受付に行くと訴状を見るなり
「あ〜彼ね!彼は取れませんよ」と受付の事務の人が言った。
裁判所では名前だけでわかる有名な人だったのだ。

 

しかし、誰だって相反する二面性はある。
その葛藤に悩むの人間なのだが…
だんだん自分も、サイコパスのような気がしてきた。

種子

農業は産業ではない。
ということを一貫して主張している。

わかりやすく言えば「農」と言うのは資本主義社会による、「仕事」ではない
では何か?「なりわい」である。

生きていく上で、一番必要なものであり大切なものである。
それが資本主義社会の中で、他の業種と一緒に考えられるわけがない

車がなくても生きていける
電気がなくても生きていける
家がなくても…着るものがなくても…
つまり衣食住のなかで、とりあえず「食」べないと生きていけない。

生きていくと、寒さに耐える「衣」が必要で…
夜露をしのぐ「住」が必要で…
それら必要なものを作り出す「技」が必要で…
技を持たない人が交換する道具として便利な「貨幣」が必要なのである。

 

その食べものを作り出す根幹は、種である。
その種が資本主義社会の「仕事」という位置づけに置かれ、我々から取り上げられようとしている
本来は我々の「なりわい」だったのに…
種子法の廃止である

主要農作物の種子法という法律が日本に有る
主要農作物とは「稲・小麦・大麦・裸麦・大豆」である。
その種子は、各自治体に品種の育種開発が義務付けられていました。
それが廃止になる。
民間に移すことに寄って民間の活力が促され、経費が削減されるという目的のために…
民間の活力と言うが、民間の資本力と言い換えたほうが…
そして資本力は、グローバル経済のでは海外の大手化学種苗メーカーも含まれるのである
「(資本主義社会の)経済の活性化」である。

経済というのは「世をおさめ、民を済う」経世済民と言う言葉からきている
たぶんこの国の政治家は間違っているのではないかと思う
資本主義社会は狭義の貨幣経済と言うように取っている
「経済最優先」は本来の意味に戻らないといけない

民を済うなら根幹の種を守らないと…

種を守ろうという運動が有る。
種子法廃止に反対する運動である。

そして地野菜の種採りをしながら南部の野菜をつなごうとする若者がいる
そんな若者を応援したい。

 

 

福島のもも

福島の桃が入った。
と言うか…

市場の入荷明細に福島の”川中島白桃“が載っていたのである。

それも大玉である。それも格安である

コレだけ悪天候の中、色づいた桃が一個200円前後で市販されている。
風評被害か…

「福島のもも」というブランドがコレだけ安いという仕組みを知りたいのだが…

EPSON MFP image

当店の放射能測定室で測定したデーターは、放射能は検出されていない。

「大丈夫だ」
「味も遜色ない」

翌日のチラシには、市内スーバーの殆どで安売りの目玉になっていた。
当店でも、今日売る分が、あとわずかしか無い。

福島の農家が、かわいそうだが…
それにとばっちりを受けた地元の桃生産農家は…

 

いつまで続くのか…
この震災事故の原発の影響は…

米どころ福島では、今年も米の全量全袋検査を実施するという
費用が60億円も、かかるという。
米の出荷額が500億〜600億だから全体の10%がコストだという
それは東電が持っていると言うが…
国の支援を受けた東電であるから国の税金だ
すべて国民の負担である。
測定下限値未満が、ほぼ100%だという

食べものの基準値が100ベクレル
それに対応して測定下限値を25ベクレルで測定している

その基準値が正しいのか…?
は、わからない

それでは、その数値で納得するのか…
国民すべてが、納得するのは難しい

 

やはり表示なのだろう
①国の基準は通った。

②国の基準は通ったが、また個別に測っている。

③測定機関の測定装置から…測定精度から…測定値が正しいという証明が第三者機関になされている

このような三段階で流通させるべきだろう
あとは買う人(消費者)の判断だ
業務用の大量品は、「福島産」という表示を隠して流通していると言う噂もある。

表示で納得できないと言う人は、個人を特定して買うべきだ。

そして、やはり50歳以上の高齢者の肉体は
以前からの放射能や食品添加物にとっくに汚染されている
これ以上ガンが進行しても問題ない。後は楽に死ぬだけだ(?)
なんと言ったて、原発推進を黙って許してきた責任が有るのだから…
「積極的に食べるべきだ!」という主張は、小生だけだろうか…

ひげき

西和賀に行った。久しぶりである。

「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」

という小説の始まりは、西和賀の山伏トンネルにこそ、ふさわしい

無駄な公共工事には厳しい入道であるが、この山伏トンネルと、岩泉に向かう早坂トンネルは、
「なぜ?もっと早くに出来なかったのか?」と問いたい

このトンネルのできる前は、しかたなくつづら折りの坂道を上り下りした。
仕方なくである
できれば、上り下りしたくなかった
急坂のつづら折りだった。
崖の端に、道路がへばりついているような道だった。
雪の凍結した道ならば、ブレーキを踏んでも、ずるずると車が下がっていく
ハンドルがきかない、つづら折りだった。
たぶん大勢の人が、崖から落ちて亡くなったことだろう。

 

それでも、冬の間に何往復もした。
行く用事が、たくさんあった。
最近、行かない

用事が、なくなった

というよりも、用事を作らないようにした。
出歩かないで済むようにした
おかげで売上が減った。

出歩くと、売上が上がるが、経費もかかる。
用事も増え、仕事なのか?ボランティアなのか?
と深く考え悩む日々となる

 

それでも西和賀というか沢内は、好きなところだ。

沢内の代表的な風景だ
道なりの直線道路、奥羽山脈の頂上付近を走っているので低い山並みに見えるが標高は高い、
片側には防雪の柵、道路から離れた家、道路のそばにある作業小屋
秋田との境の豪雪地帯で、自然とできた風景なのだろう

最初に来たのは、小学生か中学生の冬休みの記憶がある。
オヤジは、建築現場の現場監督をしていた。
中学校の現場事務所に、大雪の中、二階から出入りしていた
道路には、垂直に雪の壁が立っていた。

いまでも名残りに二階の出入り口のようなものが家に、はりついている
そして除雪のためのスペースが、家と道路の間に広く設けられている。

昔は、陸の孤島と言われていた。
今、「除雪は西和賀を見習え!」と言われるほど、冬道はスムーズである
おまけに山伏トンネルも、あっというまに通り抜けることができる

 

無駄な公共事業が多いと言うが、必要な公共事業もあることは確かである
「最初に予算有りき」の公共事業に反対の声が出ると
元県職員は言う
「コレをやらないと、死人が出ますよ」と言うと
首長や議員は、「反対できない」と言う

沢内の歴史は
子どもが病気で背負って豪雪をかき分け麓の病院に着き背中から下ろしたところ、凍死していた
という悲劇を聞いた
「活雪(カッセツ)など雪をいかに利用するか…」で工夫をこらした故佐々木覓(元西和賀農協組合長)は言った
「条件不利益地帯と言う言葉は無い」という深い言葉を噛み締めたい

 

こんどは人口減少と高齢化する過疎地の山村という悲劇に、どう向き合うのか…
大きな発想の転換が求められるが…

吠えるライオン

熊本大学名誉教授徳野貞雄が、来た。
「文学部の農学者」という異名を持ち、
社会学の学会では、スター教授だという。
農村問題と言うと、テレビに呼び出される

体型と顔から判断すると「教授」というよりも、「吠えるライオン」という感じだ。(内緒だ)
彼に吠えられたことがある。
最初は17〜8年前である。

2000年の20世紀最後の全国合鴨フォーラムを岩手で…と言うときだった。
合鴨フォーラムの全国代表であった鹿児島大学の萬田教授に依頼され、
それ以前は、村の公民館を使い、農家に民泊などをして、全国大会を小さな地域の大きなイベントとして続けてきたのである。
そして、その方式を岩手で…と考えたときに…
あまりにも広すぎる県土に、点在する合鴨農家。
全国から客を迎えるのに間違いが有ると、一泊二日の日程では取り戻しようがない。
打ち合わせをする実行委員会を開くにしても、みんなが集まった十分な打ち合わせもできない
そんなことのなかで、繋温泉の大きなホテルでプロの応援を借りて、なんとか開催することができた。
そのときに全国フォーラムの理事をやっていたのが、徳野貞雄教授だった。
開催前に事務局長を勤めた武田哲と、二人で説教を受けたのである。
「合鴨フォーラムの趣旨をゆがめた」と言って!

あの調子だから神妙に聞くしか無い。
(テレビにでたときに見て欲しい。口角泡を飛ばし、髭面の顔が総毛だって、眼鏡の奥の目ン玉が煌々とひかる。ド迫力)
大会が終わって講評のときには「大変、良かった」と感激するぐらいに褒めてくれたのだが…
そんな出会いがあって、あちこちn全国大会で何回か挨拶をする仲になったが…

 

今回は有機農業研究会と農民大学の招請で岩手に来たという
県立大の三須田先生が連れてきてくれた。

 

徳野教授の専門は農村社会学である。
農村問題を得意としている。
農村が抱えている問題は、街も抱えている問題である。

農村から若者が飛び出して後継者難で、農村が維持できない。
それを国は農業問題としているから、機械化や大規模化、移民などの対応を打とうとしているが
農村問題であり、人や家族の問題であることを、彼は強く主張している。

街も一緒である。
若い人が仕事がないからと言って、都会へ都会へとでていく。
高齢化した地方都市は、介護施設ばかりがふえ、
そこへ大規模スーバーがやってきて零細企業の小売業をつぶし
おまけに生鮮野菜の流通も産直が増えて市場流通が青息吐息になっている。
障害者や、車を持っていない人、高齢者などの買い物困難者が増えて、街のコミュニティも破壊されている
何と言っても、岩手の生鮮野菜の旬は4ヶ月しか無いのである。
その旬のときに農家が街へどんどん進出してくるのは、良いことなのか…

ヤニだらけの口の中から飛び出てくるツバキを顔に受けながら、そんな問いかけをした。

彼は、静かに考えた…
それは総合で考えなければ…思想として…

川の流れ

あちこちで大雨の被害が続く
大雨が降るのは、アタリマエのことと思う
今までの歴史上、最大の大雨などという記述は無い
たかが100年ぐらいの気象観測では、何千年前の実態を予想するのも難しい

なぜ被害が大きくなるのか…
素人が考えてみた

まず被害と言うのは、人間が作ったものや利用したものが破壊されること(使えなくなること)である
そもそも大昔は、人間が作ったものなど殆どなかった。
自然のまえに畏怖するだけで、被害に合わなかった、
そして被害に合わないだろうと思わるところに人工の建造物(?)を作った。
多分高台に…

食糧を採取時代、人間は、もともと高い尾根を移動して歩いたと言う
栽培という農耕を知った人間は
安易に食糧を得よう(悪知恵が働いて…)と栽培を初めて、水辺に移り住んできた
度々、洪水や津波にあって徐々に高台に戻されてきた。
しかし、忘れる動物である人間は、再び水辺に戻ってきた。
しかし、山から水を利用して木材を運び、建造物を作ってきた人間は、
山を、とことん利用してきた。
暖房(薪・炭)・エネルギー(製塩。製鉄)・建設資材・枕木
それが石油や科学技術の発展に伴い利用価値が少なくなってきた。

 

その山が荒れている
朽ちた木・台風の倒木が禿山から滑り落ちるように川に流れ込む。
手がかけられない捨て間伐材…
それだけでないだろう、河川にすてるゴミなどが流れてくる

山をとことん利用しているうちは良いのだが…
山の価値がなくなった(木材の下落)とたん、朽ちた木や捨て間伐、が溜まってきた。
東日本大震災のあと、山菜採りに行った人が言う
「倒れている木を乗り越えて、山菜を取りに行く体力がない」
倒木だらけで山が荒れていたと言う。それを、出したという形跡もない。
登山道は整備しただろうが、山の中は倒れた木が折り重なっている

それに河畔林が、殆ど消えた。
むかしは、土手の代わりに河畔林がある風景があった。
河原に木が、生えているのである。
そこへ、流木が引っかかった。
その河畔林は、水を流すの邪魔だと法律で伐採するようになったと言う

水が直線的に流れていく。
河川工学では、水底もコンクリで固め。直線で一気に海に流すと言う近代的水の流れが主流だという
戦国時代の河川管理は、曲線の流れや、石であちこちに流れをぶつけ、流れる速度遅くしたと言う

また橋は丈夫なコンクリで固めて作られた橋である。
昔は土橋や木橋で、流れてきたものを絡んで一緒に流れたという
そこには自然には逆らえないと言う思想があった。

近代科学は自然を克服しようという思想が見え隠れする。

 

台風10号の被害にあった人は言う
「橋に木が引っかかって、両側から水が溢れ、あっという間に水浸しになった」

追伸

岩手大学演習林の山本准教授によると

「今回の流木被害は、流木に根がついていることから根こそぎ土砂崩れの状態で流れて行った。杉だから、広葉樹だから、根が浅い、深いと言うのは関係がない。」と森林総合研究所が発表した。。

文中に憶測で書いた部分がありますので訂正します。

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い