ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

目標を持たないという目標

20年前「身土不二いわて」という会を立ち上げ事務局をしていた。
いつの間にか消えた。
と言うよりも事務局長自身(小生)が、入院の回数も重ね、
体力・気力ともに衰えた。と言うか…

「身土不二いわて」は農民と市民の交流団体という位置づけだった。
商品の売買は取り扱わない。
そこから生まれてきたものを大事にしよう、というコンセプトだった。
組織であって、組織ではない。
いつでも入会しても、いつでも退会してもいい、という団体だった。
長く続けるのが良いという固定観念が有る
人を集めて拡大していくのが良いという固定観念が有る
多分、それは拡大経済社会の自縄自縛の固定観念ではないか…

「身土不二」という言葉は身体と土は離れられないという概念である
つまり人は、土にへばりついて生きていくという言葉である
所詮、大きくならない、所詮、離れられない。 所詮、動けない。
ということである。

ところがいつの間にか、多くの人は目標を掲げ、成長して頑張るという生き方が良いという方向に行った。(西洋との開国以後)
当然、人間の集団である組織も社会も、そうなっていった。
 身土不二いわてを解散するときに一人の中心人物が
「目標のない組織なんて続かない」と言い放った。
全くそうなのである。続けることが目標ではない。
目標を持たないことが、目標なのだ。

今の社会、目標を持って頑張るという生き方が息苦しくなってきた。
だんだん、息苦しい人達が増えてきた。
そして多くの人は権力(政治・経済)にすがり、組織に頼ろうとする
現在の資本主義社会の組織は、拡大していかないと、使命を果たせない。
組織の拡大は、人と人を縮小させ、息苦しくさせる。悪循環である。
縮小していく組織は、多くの人に衰退というイメージを与える
衰退は悪いことだというイメージ、衰退でもいいではないか?
イギリスは、植民地から品格有る撤退を成し遂げ、
今でも友好関係を保ちながらリーダーシップをとっている。

従来の「成長」や「発展」という言葉が、おぞましくなる社会。
それが、これからの目指すところではないか?
新しき組織、新しき経済、新しき社会が今求められる。
と思うのは、思いすごしだろうか…

循環

巨大台風による大停電、局地的豪雨による大水害、暴風雨による竜巻や突風、
多くの異常気象がニュースで流れる。
気候の大変動の予兆としか考えられない、

先日の9月20日「グローバル気候マーチ」が全世界で行われ、多くの人が参加したという。そしてこれを企画した16歳の少女グレタ・トゥーンベリーさんは国連で「経済発展が、いつまでも続くというおとぎ話」というスピーチをした。
確か似たような話をした覚えが…

探してみたら2000年(20年も前の話だが…)世界の環境問題を提起しているワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンを岩手県に招いたときに青年会議所が開いたシンポジウムの同時通訳をしていた枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)のブログが出てきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これまで通訳として、数百のシンポジウムに参加しています。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン氏を招いてのシンポジウムだけでも、数十回を数え ます。基調講演はともかくとして、本当によいパネルディスカションに出会う機会は、実はそれほど多くありません(それだけに出会えれば感動します)。
 パネルに参加することで、レスターが新しい知見や見方が得られたか?これまで本にも講演にも出てきていない、レスターの新しい知見や見方を引き出せたか?これらがイエスだと私は「良いパネルだったなぁ」と思います。

5月25日の「エコ・フェスタ2000 in 盛岡:環境フォーラム」は、私の「レスター史」に残る、とてもよい会でした。うかがうところによると、岩手県と盛岡市がお金は出しているが、口は一切出さずに、まったく実行委員会に任せてくれているとか。こういう、行政がお金を出しているときにありがちな「県や市の代表者の挨拶」も一切ナシ。
 司会者が「本日は増田知事も聴いていらっしゃいます」と告げただけ。実行委員長の飾り気のないご挨拶だけで、開会して5分後には、
get down to business:本論に入ったので、通訳ブースでも「やるねぇ」との声。事前の打ち合わせも、形式的な打ち合わせではなく、実行委員の方々がどういう思いで、何を目的に、この会を開催されているかがレスターによく伝わったので、レスターは用意してきた講演内容を半分ほど入れ替えて、要望に応えようとしました。これも良かったと思います。

パネラーは、小岩井農政の野澤常務、宮沢賢治研究家で福祉バンク事務局長を勤める牧野さん、それから「小さな野菜畑の大きな百姓」こと小島さんでした。

小島さんはユニークなご経歴の持ち主で、拡大経済社会の先兵として20年近く営業マンと勤めたあと、農業に入られた方です。農業でも「効率生産、付加価値 販売」で利益が上がると思っていたのに、悪戦苦闘の連続で、その中で、農家直売所を立ち上げ、身土不二という会を作られました。「身土不二」は、仏教では「しんどふに」、東洋の食哲学では「しんどふじ」と読むそうです。その心は文字通り、「身と土、二つにあらず」。
仏教では「地域の風土と共に人間の存在はあるのだ」ということ、食哲学では「地域のものを食べることが体にいいのだよ」と説いている言葉だそうです。

私は小島さんのお話に大変感動したので、かいつまんでご紹介したいと思います。(あの大きなお体から醸し出される、何ともいえない優しい温かい雰囲気はお伝えできないのが残念ですが)小島さんは「環境問題は、拡大経済社会の産物である」とおっしゃています。多くの人が「大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が環境問題を起こしたから、これからは循環型社会を」と説いている。が、循環型社会がどういう社会なのか、理解できていない人が多いのではないか。
小島さんは、内山節という哲学者に価値観を変えられた、とおっしゃっていますが、この哲学者は、「循環型社会とは、生産力が増大しない社会」とおっしゃっているそうです。
でも、生産が増大しない社会を皆さんは想像できるでしょうか?と小島さんは問いかけられました。売上も利益も給与も、税収も増えていかない社会ですから、今の企業や行政のシステムの全否定に繋がる、と。
企業は銀行から借金をして投資をして、利益の増大を図るという手法、行政は公共事業という投資で民間の活性化を行い、税収を増やすという手法はすべて否定されるのだ、と。
これまで拡大経済社会に生まれ育ってきた私たちが、そこから抜け出るには大きな価値観の変換が必要となります。
ところが、循環型の産業がひとつあります。それが農業です、と小島さん。単位面積当たりの収量は年を経ても増大しないし、20才の人間が作っても40年農業をやってきた人がつくっても、大した差はないという産業だ、と。
コメは理論的には10aあたり最高24俵取れるというそうですが、そうすると、翌年には地力の収奪のため収穫が皆無になるとか。つまり農業にとっては、安 定して一定した量を収穫できることが最高の技術なのです。まさに循環型社会を象徴する産業ではないでしょうか、と結ばれたのでした。

小島さんのグループ「身土不二いわて」は、食の安全や農業の将来を思い、地域自給や環境を考えて、市民と農家が交流する会だそうです。
これまでのプロジェクト、名前を聞くだけでもとても面白そうです。「賢治の米を作ろうという陸羽132号の稲作体験」「手前味噌のダイズを作ろうというダ イズ栽培から味噌造りまで」「林檎の花見」などなど。その他講演会など、農家と市民がいっしょに学び遊ぶ場を作ろうと一生懸命やっています、とのこと。

パネルディスカションの中で、小島さんに「が〜ん」と目を開かされた気持ちになった言葉がありました。「有機農業は、消費者に安全な食物を届けるためではなくて、土地をどう持続可能にするか、ということなのです。ですから、輸入有機農産物は、日本のためにはなりません」。
「循環型社会」といったときに、資源やエネルギーの循環のみならず、「栄養素」の循環も非常に重要な側面であることは認識していましたが、さらに教えていただいた思いです。

岩手県には、町内あげて栄養素の循環に取り組んでいる(人や家畜の廃棄物を堆肥にして、土に戻し、その肥やしで育てた作物を、その町で食べるようにする)取り組みがいくつかあるそうです。
栄養の循環を考えると、各地で小さな循環を数多く作った方が、輸送などのエネルギーを考えても、望ましいのです。レスターもこのパネルで「顔の見える農業」という言葉を使いました(瞬時にそうだ!と思って訳したので、英語でなんて言ったのか覚えていませんが。
身土不二。良い言葉を教えていただきました。
^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここまで引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ラグビーの精神

ワールドカップのラグビーを見て、違和感を感じる人がいる。

日本というチームなのに、なぜ外国人が異常に多いの?
単なる助っ人?
それとも、何人までと決まっているの?という違和感だ。
小生も以前は、そういう違和感があった

これは、スポーツの歴史と文化の違いの為せる技である。
中世のイギリスで、手も足も使っていい原始フットボールというゲームが生まれ、
1800年頃は、ハイスクールが各校で独自ルールをつくって行われていた。
ラグビー高では、エリス少年が1823年にボールを抱えて走り出したのがラグビーの始まりと言われている。
1863年、イギリスで共通ルールを作ろうという動きがあり。
手を使っていけないサッカーという競技と、
ボールを抱えて走っても良いというラグビーの競技が別れた。

ちなみに「万延元年のフットボール」という大江健三郎の代表作と呼ばれる小説が有るが、
多分、サッカーとラグビーが別れた経緯を書いた小説だろうと思って
高校生の頃を買いもとめ、本棚の隅に積ん読して未だ読んでいないのは小生だ。
万延元年は1860年。

サッカーとラグビーが別れた1863年ごろ、日本は江戸幕府から明治に変わろうとしていたころだ。
そしてイギリスは、領土を増やすために庶民地をどんどん増やしていった。
その植民地対抗で、ラグビーの競技が盛んになっていった。
国ではなく、その地域で、その人達が楽しむスポーツとして…
だから地域のクラブスポーツという意味合いを持っていた
今の強豪国は、英国自身も4つの地域に分かれ(イングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランド)
そして植民地(ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ)
そして隣国のフランスが、8強と呼ばれているが…

よく言われるがラグビーの精神は
試合が終わればノーサイド(敵も。味方もない)
一人が皆のために、皆が一人のために…(one for all all for one)
植民地政策から品格有る撤退を成し遂げたイギリスの精神

国民の代表である野党やマスコミ、そして被災地と真摯に向き合い、
周囲の国と仲良くしながら、大国に媚びず、単なる勝ち負けにこだわらず、
そんなラグビーの精神を見習う日本の政治に期待するだけである。

飲水思源

やるべきことが沢山ある。
しかし、とっつきにくいと言うか、取りかかれない。
こういうときに、すぐ他人のせいにする悪い癖の入道である。
今回はワールドカップのせいである。
9月20日に始まって、まだ5日も立たない、最終が11月3日だというのに…
面白すぎるのである。
いつもいうが、サッカーは動きがなくて、トイレに立った時、点が入る
ラグビーは、トイレに立つヒマがない。
利尿剤を呑んている初老の男は、ハーフタイムまで我慢するしか無い。
トイレに立つ瞬間に試合が動くのである。
油断も隙もない。

昭和40年代は、戦後のスポーツは体力増強と団体規範のような運動だった。
中学校・高校と全員授業後の部活に入るシステムになっていた。
県立高校に入った小生は、当時中学校の授業でならった、サッカーをやろうとおもった。
中学のサッカー部の連中に誘われたからである。
ところが岩手県の高校には、あまりサッカー部がなかった。(あったかな?)
外で大きなボールを投げたり蹴ったりするのは。ラグビーだけだった。
しかたなくラグビー部に入ったのが、最初の出会いである。
当時、ラグビーをやるのは工業高校だった。商業高校は野球だった。
どちらかと言うと就職に有利ということで職業高校が運動部が盛んだった。
だから試合をすると、普通高校はいつもボロ負けだった。

大学も、入学式に先輩に見つかり仕方なく、ラグビー部に入った。
4年間アルバイトと、ラグビーに泥まみれに毎日だった。
その頃であろうか、大学ラグビーが人気になってきた。
大学が名前を高めるために運動部推薦の枠を設け優秀な高校生をきぞって入れた。
そして野球は早慶戦。ラグビーは早明戦がもてはやされた。
そこへ彗星のように現れたのが早稲田の宿澤弘朗であった。
埼玉出身の彼はラグビ−選手とは思えないほど身体が小さかった。
しかしそれ以上に体力任せの推薦入試のラグビー部の中で、
難関の早稲田の政経学部に一般入試で入った秀才だった。
当時日本選手権は、大学と社会人の優勝者で争われ、彼が2年と3年のときは日本一に輝いた。(4年時は学生選手権で明治に負けた)
その彼が大学卒業して銀行に勤め、ラグビーから足を洗ったが、
その解説や分析力を請われ。日本代表監督となった。
その緻密な情報収集力とチームに自信を与える言葉は未だに色褪せない。
そして1989年5月28日秩父宮で、初めて8強のひとつスコットランドに勝った。

彼は銀行で専務まで上り詰め、亡くなった
彼とは、同じ世代である。
「水を飲む時井戸を掘った人を忘れず」という。
ここ数年の日本代表の活躍は彼から始まった

彼の座右の銘
「努力は運を支配する」「勝つ事のみ善である」

おくりもの

紅伊豆?サニールージュ?

ぶどうをもらった。御礼だとおもう。
”本を贈ってやった”だけなのだが…
それも自費出版の非売品を預かったものだから、かかった費用は運送料だけだ。
まぁ、いただきものは、ありがたく感謝していただくことにしている。
以前は良かったが、二人暮らしになり、店もしめて人付き合いが少なくなると
大量にもらうと、こまる。
子どもの頃は、そんなに貰い物というのも無かったが…
 最近は貰い物が多い。それどころか農家と付き合うと大変なのである。
食べきれないほど、大量にもらう。
彼らにとっては、野菜は商品なのだが、規格外も大変多くでてくる。
つまり規格外は、農協に出荷できない、
出荷できる産直は、みんな同じ品種で値段のたたきあいになって残る。
出荷の日の朝の産直は、前日の残り物交換会の様子を呈する。
農家でない人が来ると「それもっていけ。これでもかあ〜」
もらった街場の人には、大きくなった子どもたちもいない、
人付き合いも年をとってくるとあまりいない。
仕方がないから隣近所へと言っても、周りは老人世帯ばかりだ。

哲学者の内山節から聞いた話。
「昔は、自家用の畑が見えるところにあって、ちょっとした御礼には
できが良くないトマトが成っていれば、熟した赤いトマトを持っていってやり、
お返しに、まだ大根が小さければ、大きくなった大根をお返しにもっていって、
きゅうりが病気になっていれば、良いきゅうりを持っていき、
漬物が上手ならば蕪を…白菜を…と」
村人は畑を見渡して7〜8回お返しを繰り返すと
部落の人が、だいたい行き渡って過不足が解消された」
贈り物は、そういう意味で過不足を平準化するための文化と言う一面もあった。

最近、お返しは金銭になり、
それも、ほとんど単価がわかるような…
結婚式や葬式も、本が贈られて、それから選ぶようになっている
合理的といえば、合理的だが…
なんとなく、温かい心が感じられない気がするのは、古い人間なのだろうか…
旬のときに旬のものを、少しだけもらうと、なんとなく嬉しくなる。

しゃらくせー

中の橋のシンボル
発酵研究会

開店準備の次の展開が見えてきそうだが…
なかなかスムーズに行かない。
そんなときに気分転換でもないが、真面目な研究会に出てみる。
赤レンガ館のそばである。
暇だから早めに行ったが、一番最初だった。

発酵研究会の会長は、鷲の尾の若社長である。
「客が少ないので中央付近に…」と言う
なるほど、いっぱいになったら300は入るところに、20人だと言う
人集めは、いつも大変である。
有名人を呼ぶとか、ビジネスにすぐ役立つというなら、人も集まるだろうが…

今日のテーマは「ナトカリ食品」である。
発酵研究会でナトカリ食品?
要するに保存や漬物の発酵食品に塩で保存するのを
”減ナトリウム・増カリウムの塩”を利用しようと言う運動の団体の発表である。
ナトリウム摂取をへらすと血圧が下がり
カリウムの摂取を増やすと血圧が上がりにくくなる
だから結論として
塩分を1日10グラム以下にして(減ナトリウム)
野菜を300グラム以上食べることにしよう(増カリウム)
というのが今の状況にある
こんなのは絵に描いた餅だ!と言う主張である(すばらしい
塩を減らすと美味しくなくなる
野菜や果物を毎日300g以上などというのは(兎になれということか?)
豚にみたいに太った奴ばかりで、兎のようなすばしっこい奴は見当たらない

つまり塩味を残してナトリウムを減らし、
カリウムを増やす調味料(ヘルシオライト(塩)を使おうと言うことらしい




これは良いかもしれない。味にこだわっている。
減塩とはいえ、塩味が無い食品なんか食べられたものではない。
塩味を残しながら、カリウムのエグい味を出しゃばらないようにする。

塩というのは重要である。塩味のしない料理など、
菅義偉のいない安倍内閣のようなものである(?)

そんな話を聞いて第二部は、
岩手大学生が日本酒を作るというサークルの発表会である。
こちらのほうが興味があったが、「岩手大学」と言う酒を売っていた。と言う
その在庫が無くなりかけているので、作ろうという話らしい
若い人たちの日本酒離れは、顕著らしい
その原因を、はっきり掴んでいないという
自分たちのことだから、そのへんをきちんと把握して取り組まないと…
と思うのだが…
 小生が学生時代のころは、二級酒しかなかった。
九州の奴は焼酎を呑んでいたが、焼酎は労働者が呑むものだ。と言って嫌った。
そうなのだ!学生には日本酒、それも二級酒しかなかったが、
コンパで、バーテンのアルバイトをしていたおかげで、洋酒はたらふく呑んだ。
と言っても、トリスやハイニッカ、サントリーレッドなど安物ばかりだったが。
当時は、みな貧乏だった。
バイト代が入ったときだけ、行きつけのスナックで、
ハンバーグにオールドの水割りを呑んだのが至福の夜だった。
今の学生は、ワインやカクテルだという。
しゃらくせー!
と言えるのも年寄りのなせる技だろうか…

オール電化の豊かな暮らし

5年前だろうか…
ある大手新聞の地域版のコラムを担当していたことが有る。
今頃だろうか…トランス故障で店が停電になったことが有る
そのときに書いた「コラム」が”没”になった。
多分、大手広告スポンサーである電力会社への忖度であろう。
下記は、そのときの原稿である。
関東でも、まだ自然が残っている千葉の房総
被災した施設の担当者や、若い人たちが「オール電化でどうしようもない」
と言っているのを聞いて思い出した。
自然は、想定外である。想定外にどう立ち向かうか?
エネルギーの多様性しかないと思うのだが、
原発再稼働が取り沙汰されるのでは…

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東日本大震災のときも大活躍した薪ストーブ。薪は間伐材である。

以下原稿〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

店が停電になった。
「トランスの故障で交換が必要」と言うことで、回復まで夕暮れ時の4時間、電気が通じない状況が続いた。冷蔵庫・冷凍庫はもちろん、照明もつかない。
唯一暖房だけは、薪ストーブによってようやく暖を取ることが出来た。
数日前にも近所で停電になった。
その家では、暖房も全て止まり、「寒くて困った。」と嘆いていた。
電力会社の対応も拙い点があったが、
修理に来た車には「HOT&GOODオール電化で豊かな暮らし」と書いてあった。
電気が止まるとほとんど生活が出来ない暮らしは、本当に豊かなのだろうか。
やはり生活防衛としてエネルギー源は、多様な方が良いようだ。

農家を回っていると納屋には大きな冷凍庫が大体おいてある。
ある農家の嫁は
「冷凍庫が二台もあり、祖母たちが何年前のイカも保存しているが、
 食べられる代物か?電気代がいくらかかるか…」
別の農家は
「孫が遊んで電源を落として、冷凍庫のものがすべてだめになってしまった」
という
冷凍保存が、万能のように思っているが、
タンパク質はマイナス70℃以下でないと変成してしまうと言う。
岩手は、厳しい寒さの冬が長い。
電気が無い時代は、多様な保存法があった。
塩蔵・乾燥・発酵・むろ等々、そして、その一つ一つに塩加減や、乾燥度合い、発酵菌の種類など、様々な智慧が活かされていた。
先人の技を見直し、化石燃料に頼らない、
地域資源のエネルギーによる暮らしが、いざというとき一番強いように思う。

大より小…?

有る研究会に参加してきた。
自家焙煎の中国茶や、海辺のちいさなハーブ畑で作っているハーブ茶
そして地域活性化という名目だろうか
巨大なホップ畑で、まるごとホップからビールまで販売しようとする
ガリバー型企業の戦略の宣伝(?)である。
しかし、この話を鵜呑みにして聞いていたら
すごい企業が進出してきたと思うだろうな…
これでこの巨大企業は民話の里、遠野を飲み込んでしまうのではないか?
と思うような戦略だった。
某自動車メーカーや、某電子機器部品メーカーのように…

ビールは、一般的には麦芽とホップと水で作られる。
そのホップは東北地方が国内産の96%だという
そして遠野は日本一の栽培面積だという。
岩手県はなんと行ってもダントツの一位なのである。
 豆腐の消費量や靴屋の数が日本一と並ぶのである(?)
ところが高齢化の後継者不足で、
人も面積も生産量も、最盛期の1/5になったという
なるほどそうだろう!と普通は思う。
しかし、ホップなどという商品は一企業(ビール企業)の原材料であるから
企業の売上の生産管理からすれば十分にわかっていたことである。
たぶん思うに、ほったらかして海外に求めていったのだろうと思ったら
やはりホップの自給率は10%だという
資本主義の拡大経済で、缶ビールの売上をどんどん伸ばし、
原材料も海外へ求め、ふと気がついたら国産ホップが無くなりかけ、
地方には雨後の筍のようにクラフトビールが次から次へと現れ、
目先は良いが…先行きは…
慌てて産地をおだて上げ人を投入し、地域活性化のもとに補助金を利用する
典型的な大企業のやりかたであると想像する。
あくまでも想像である。
それをパクリとくわえる地方自治体。
後は利用され捨てられる運命だ!(可愛そうな恋に溺れた女性だ)

そんなことはないな?と思いながら
ちいさな北限の茶を栽培したり
海風のミネラルたっぷりのハーブを栽培したりして
そに人を思いながら愛する地域の人が助け合う形で利用する、
そんなものが生き残れるのではないかと思う今日このごろ

価値観

多くの争いごとは価値観の違いだ

以前、被告になったことが有る。
たわいもない事だが、
「契約した検査書を渡さなかったので、損害を受けた。」ということだ。
原告は、産直に出す”タラの芽”の放射能検査のデーターを産直から求められ
比較検討の結果、一番安かったからと当店に依頼した。
なんせ一律1000円(会員なら500円)という格安でやっていたのだ。
渡すときに「農家が産直へ提出する商業用検査書だ」と気が付き、
商業用ならば、通常の料金8000円を請求した。
なぜなら当店の1000円という検査料金は、食べ物を売るところの社会的責任で市民に安心と安全を果たすという意味があった。
ところがその農家は「社会的責任」という意味がわからない。
最初の調停でも、次の簡易裁判所でも、上告した地方裁判所でも
彼の主張は、一貫して
「1000円で請け負ったのにデーターを渡さない!契約違反だ。」
次々と替わる裁判官も、ついでに出てくる参与員にしても時間のロスである・
裁判官もほとほと呆れ果て、こちらに泣きついてきた。
「なんとか三分の一でも払ってくれないか?」
そうなのである
「請求金額が33000円」なのである。
「当店に不備があるとすれば検査依頼書を受取ってしまった」ということでる。
「仕方ないですね10000円払います」と言って決着した。
相手も不満、こちらも時間と金の損で裁判所も仕事とはいえ無駄な仕事だ。
三方一両損である。

そしてまた同じことが起きそうだ。
11月末から閉めている三ツ割の店である。
再開に向けて地主との交渉を続けているが、なかなか進まない。
そしていよいよ先方は「出るところに出ようか?」という話になっている。
簡単に言えば
「地代を上げろ。上げないなら建物を壊し更地にして返せ」という地主と
「地代はそのまま、更地にする費用捻出のため期限を区切り書面で契約したい」というこちらの主張である。
主張の違いの細かいことはあるが、ようは建物用途の社会的価値の違いである。
地主にすれば、自分の土地に建てた厄介な建物であり、相応の地代を払え
こちらにすれば地方の時代を切り開く、思いの溜まった築20年の大型木造建物である
なんとか生かして多くの人が使える有効な建物として利用したいと考えている。
まして地方都市の中小が小売業は縮小廃業していくなかで、
建物を利用して物販を目指す企業の存続は並大抵のことではできない。
できるだけ地代は低く抑えたほうが良いが…
最初から高すぎた。路面店ではあるが地目は雑種地である。
当時の産直として利用するときは良かったが、
人口減少の地方都市で中小企業の小売業の立地条件としては良くはない。
こんな土地でも社会的に価値の有る場所として考えたいが…

どちらのことも最近(近代?)の出来事である。
タラの芽という今まで食べられないものが貨幣に替わる。
今まで手間のかかる余計な土地が空間利用で交換価値が高まり、貨幣になる。
今まで自然という周りに何となくあるものが、資本主義の貨幣に替わると
その、価値は変質しないで蓄積できる。そこから貨幣愛が生まれ、争いになる。
それまでは食べ切れないタラの芽を取ろうという発想はない
何も生み出さない雑種地は管理する手間暇がかかるだけで厄介者だ。
それが自然を経済というもので図る手法がさまざまな弊害を起こす



誇り2

「日野岳唯照は敵だ。宿敵だ。そして難敵だ」
そう思い始めたのは、ここ2〜3年だろうか

ちいさな野菜畑ができて23年。付き合いを初めて20年にもなる。
「留学生との花見が、お寺である」と聞いて、
中学に入ったばかりの長男を連れ、英語を学ぶきっかけになればと出かけた、
そのときに倒れかかった本堂の濡れ縁で、煙草を吸ってる作務衣姿を思い出す。
大体が、お寺で留学生の交流会?というのが引っかかった。
その他にも「インディアンの団体を泊めて、えらい問題を起こした」
とも聞いた。”面白そうな寺だ”と耳にあった。
その後、誘われるまま、色々な会合が専立寺で行われていたのに顔を出した。
「豊かな食べ物を求める会」「学校の先生たちの勉強会」
「三陸の海と放射能を守るかい」「子供の教育を考える会」
たぶん、その他にも様々な会が、ここ専立寺で開かれていた。

ちいさな野菜畑できて三年目ごろ、新しい取り組みを企画した。
農家と市民が、農産物と食を通してつながる「身土不二いわて」という会だ
「しんどふじ」は、「地元のものを食べることが体にいい」という
”東洋の食哲学の言葉”だと、どこからか聞いた。
その身土不二の会を、農家と市民の関係性のなかで、つくろうとしたのである
一番最初に声をかけたのは、岩大の教授であった栄養学の鷹觜テル先生である。
鷹觜先生は「山梨県の棡原の長寿食」や宮古の重茂半島の海藻たっぷりの食事で「地元の食事を取ることが体にいい」と言っている先生だ。
その先生に代表の就任の電話をお願いすると、高齢の彼女は見ず知らずの小生に「やります。ぜひやります。私が提唱してきた身土不二の会は私がやりたい」
という。「身土不二」という言葉に大変な思いを持っていた人であった。

 そして次は、日野岳唯照である。
「身土不二岩手の事務局の場所を…」というと彼は
「身土不二の会は、自分が作っている会だ」という
「会員は、何人いるのですか」
「ひとりだ」
なんと彼は、一人で身土不二を実践し学んでいたのであった。
彼は嬉しかったのだろう。両手を上げて事務局の提供をしてくれた。
そして「身土不二」は東洋の食哲学ではなく
「しんどふに」と呼ぶ”仏教の言葉”だと教えてくれた。

そんな身土不二の会を立ち上げると、旧知の佐賀県の農民作家山下惣一は
「身土不二の由来と意味をかきあげたい」と言って
「一緒に韓国から、中国へ行かないか?」と行ってきた。
しかし、小さな店を営んで毎日のように生鮮野菜を扱っている身としては。
店を開けられない。
まして住職は、いつ葬式で呼び出されるか、わからない日々である。
そんな山下惣一は帰国後、「身土不二の探求」を著し、住職を取り上げている。

そんな身土不二の会で、さまざまな農家と市民の共同企画を取り組でいると
合鴨除草を研究している鹿児島大学の萬田教授から
「身土不二いわて」で20世紀最後の全国合鴨フォーラム大会を…
という話が持ち込まれた。
それは岩手の市民と農家の協同企画で全国から人を集める大イベントだった。
それまでの農業のイベントは「行政や農協が仕組んだ企画を実行する」
というスタイルだったが、実際は農家が手伝っているという企画だった。
これは、行政も農協も応援に回り、農家と市民が作り上げる企画だった。
温泉を貸し切って開催し、500人を集めて成功に終わり、
ある若い農家は「自分たちだけで、できるなんで…」と感動をしていた。
ユニフォームのない貧乏企画だったが、当日に赤いエプロンが間に合った。
今になって考えると日野岳唯照は、赤いエプロンを身に着け壇上に上がった
現役の僧侶が…
しかし、彼はひょうひょうと面白がって、楽しんでいた。
今にして思えば、大変失礼なことをしたのかもしれない。
その後、僧侶も参加した企画と新聞でも結構話題になった。

そして、そのころ哲学者の内山節さんの本の読書会「哲学寺子屋」を始めた。
それまでお寺の僧侶間の勉強会は色々と行っていたが、
日野岳唯照は民間との勉強会を開きたかったようだ。
とりあえず「これをやりたかった」と嬉しそうに語った顔を思い出す
それが今専立寺の、内山節を呼ぶ報恩講へと続いている。
月に一回の「哲学寺子屋」だったが、長く続いたこともあって
次第に惰性に流れ、参加者も少なくなり、昨年取りやめた。
月に一度、日野岳唯照の顔を見ることが嬉しかったのだが…

しかし、ちいさな野菜畑も
ここ数年道の駅の増加と量販店のインストア産直が増え
売上は減少に転じた。売上を伸ばす事は容易である(利益を出すのは難しい)
売上を減少しながら、経費とのバランスを取るのは至難の業である。
悪戦苦闘の毎日をすごしていると
経済のことなどわからない坊主に相談をしてしまった。
彼は言う「やめたら」そして口を続けて「やめたら」としか言わない
「このくそ坊主。経済や社会のことなんかわからないお前なんかに相談しない」「坊主だってカネを稼いで生きているのじゃないか?」
とそれ以降、仲間ではなく「敵」に変化した。
そして坊主の前で「愚痴は言わない」と
佐藤淳一先生と清水マスターの主催する「寺子屋ライブ」は冒頭に
日野岳和尚の本物の坊主と、野菜畑の偽物の坊主との対談がセットされている。
それは噛み合わない対談だった
「人生は、たのしくやろうぜ」という本物の坊主
「地方経済は落ち込み、疲弊している。そこで何をどう考えるか?」
という偽坊主の対談である
そして「わかりにくくて深い話」本物の坊主と
「わかりやすくて、そこの浅い話」偽物の坊主の応酬である
それも16回を数え、もうできなくなった。

昨年の9月、家内に余命八ヶ月の病気が見つかった。
専立寺に駆け込み500ミリリットルの缶ビールを3本あけ、泣いた。
手術だけをして、店を閉めることを決断した。
あとは余生だ。楽しんで生きていこうと思った
ふと住職の言葉を思い出した。
「面白い、楽しい、」
そのときに初めてわかった
「人はみな死に向かって生きているのだ」とわかったふりをして喋っているが
死に向かって生きていれば、楽しいほうが良いに決まっている
難行苦行を乗り越えて生きていく人生が、人間の生き方なのか?
それに気が付かされた。
日野岳唯照は、死を超えて向かっていく方向を示していたのである。
「人生なんて面白くなければ、意味がない」と
かれと付き合って長い年月があった。
かれは一貫して、さまざなことに面白がって取り組んできた。
しかし、それは勇気のいることだろう。
宗教家として、それを貫き通すのは至難の技だったのかもしれない
 尊敬している檀家の佐々木篁さんが亡くなったときに、彼は枕経をあげた。
遺体の前に座り、じっとしていた。ふと気がつくと、肩が揺れている。
泣いているのである。
僧侶が、遺体を前に泣くということがあるのか?
熱い男である。
情のある男である。

小生は専立寺とのつきあいの20年の間に何回も中央病院に入院をした。
病院の6階の面会ホールから朝日が登る岩山が見え、
その下には、専立寺の丸い屋根が見える
いつも朝早く起きて、朝日を拝み専立寺の屋根を見た
あの丸い屋根の下には、日野岳唯照が作り上げた世界がある。
そして、その関係性の世界が朝日の光の中で広がる。
専立寺の檀家となって、誇りに思う
そして日野岳唯照としりあって、誇りに思う。

(日野岳唯照の葬儀のときの弔辞を元に
書き留めたものである。一度書いて残しておきたかった。)
そろそろ一周忌の準備だ。
10月5日は、豊かな求める会の和尚を偲ぶ会だという。

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