ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

群れない生き方

二つ問題が起きた。問題と言うほどでもないが…

まず一つは、郵便局に残高証明を頼みに行った。
決算の法人としての残高証明だ。

ところが郵便局の通帳は「法人名ではなく」「店名」の「 ちいさな野菜畑」となっている
「店名」を振込先に利用している。
振り込んでくる客が、わかりやすいようにと替えているのである。
郵便局には以前、慣れた人がいたが、転勤になったようだ。
今回は古参だが、初めて残高証明と本局とのやり取りで入手するらしい。
残高証明の入手の用紙の書き方に手間取った。
ひとしきり本局とのやり取りをして終わったと思ったら
聞いてきた
「法人登録してますか?」
「登録?どこへ」
「…」
どうやら古参の局員は電話で本局と小声で話している
「どうやら個人商店のようです」
それを聞くなら「法人登記をしておりますか?」と聞け
ムカついて言ってしまった。
「銀行は法人名で口座を作っているが、郵便局は一般の人の振込利用しているので店名の口座になっているのだ」と言って他の銀行の通帳の束を見せた
住民のために個人サービスに徹底している特定郵便局は「法人対応」がわかっていないのだ。

束の通帳群だが、残高は束になっていない。貯まらないのだ(泣)

 

もう一つは、ケアマネジャーだ。
認知症の母を施設に入れようと秋から相談している。
一向に話が進まないので、このまえ話をした
三軒もってきたが、
「一軒は新設、もう一軒は今利用しているデイサービス。もう一軒は近くだがサ高住(サービス付き高齢者住宅)と言う有料老人ホーム」

一軒目の新設は、旧施設からの移行だがショートスティで利用しながら3月末の新設を待つという。二軒目は、年明けの予約待ちだ。そして三軒目は空いている。と言う

たまたま三軒めのサ高住は、「代表と懇意だ。」とそんな話をしたら
翌日、代表から電話がかかってきた
「ウチで進めていいですか?」「いやちょっとまって…」
”こちらが探している”ということをケアマネから聞いたという。

費用の問題、設備の問題、距離の問題、様々な問題を考えていくと
どうしても代表と懇意のサ高住は、三番目になってしまう
それを検討するために、近くの施設の比較を、お願いしたのだが…
これでは三番目を選ばざるを得なくなってきた
「断ってもいいですから」とケアマネは簡単に言う。
「断ったら、代表とわしとの関係はどうなるの?」

それこそ「個人情報の漏洩だ」とケアマネを怒鳴りつけて電話を切った。

 

だんだん歳が進んでくると気が短くなってくる
しかし、一時期よりも長いと思うのだが…

群れない生き方をしている
群れるということは、依頼心を増す
責任の所在が、はっきりしない。
そして深く考えない。
独りだと、考えて考えて、考え抜いて一歩踏み出す

 

よく言う

早くやりたいなら、独りで…
大きくしたいなら、みんなで…

 

いかされて

友人から、プレゼントを貰った。
「山椒七味とかんずり、自家製の一升漬だ」と言う

味噌汁に入れて、山椒七味を味わった。
ピリッとした辛さと、ゆずの風味が香ばしい。

かんずりは、新潟の土産だ。
以前、もらったことが有る。
辛い唐辛子の発酵味噌だという。
そういえば、ここしばらくは味わったことがない。
早速、田楽茶屋の岩豆腐のステーキに添えて、いただこう!
バターで肉厚の固い岩豆腐を、じっくり焼き上げてかんずりを添えたら最高だろう

 

一升漬は、多分多くの人は知らないだろう。
寒さの厳しい東北の食べものだと想うのだが…
地域によって三升漬けともいう
「青南蛮」と「米麹」そして「醤油」が原材料で、それを各一升づつ配合して寝かす
併せて三升だから、三升漬けともいう。

なぜか「一升漬」という商品はあまり見たことがない
多分、みんな自分で作ってしまうからだろう
安代の”もとみや”は、味噌屋だが麹製品を数多く商品化している

友人は、誕生日のプレゼントとだという
自家製と言うが…何が入っているのだろう
気をつけなければ… ヤツのことだから、自毛製かもしれない。
ひょっとして怪しげな縮れたものが一本混じっているかもしれない

 

小生の誕生日は石原裕次郎と北原三枝の結婚記念日だ。(もう若い人は知らないだろう)
そう言い続けて67年。
長く生きてきた。あとどれだけ生きられるのか…

生きるという西洋的発想ではなく
生かされていると言う、こうべをさげた東洋的生き方をしたいものだ

報恩講

報恩講の案内を掲示するのを忘れた。

EPSON MFP image

基本的には「政治」と「宗教」と「おかしな営業」は、店内の掲示板、ブログに載せないことにしている。
が…

これは別だ。

以前、怪しげな集まりの案内を持ってきた人に
掲示を断ると
「宗教と哲学と何が違うのだ?」と文句を言われたことが有る。

また「経皮毒」を説明すると言って「シャンプーを売りつける案内も来た。
どうやら新興宗教くさかった。

間際らしいパンフレットが時々紛れ込んでくる
が…

これは別だ

 

「内山節」は小生の師匠である。
もう付き合いは長い。
師匠と言いながら、不肖の弟子である。

思っていることの何分の一も出来ないものだ。
思っていることと理解していると違う。
ということを実感している。

どんな話をするのか、多くの人に聞いてみて欲しい。

裸足と靴

二人の人間に会った。

一人は問屋の老セールスマンである。
一人は福祉施設の若き代表である。

老セールスマンは、嘆いた。
「流通業界は壊滅です」
「地方の小売店は、どんどん廃業に追い込まれている」
「大手の需要先は、本社で決めてくるので地方まで回ってこない」
「仲間の問屋も、人が辞めていく」
「運賃も人件費も、どんどん上がる」

福祉施設の代表は
「施設に子どもや老人を呼び込むことをやっている」
「地域の人に、施設を利用してもらいたいと画策している」
「様々なことをしてきた、福祉タクシーや福祉弁当、
上手く行かなかったが、やり方ではなかったか…」
「地域に根ざすと、さまざまな小さな需要が見えてくる」

 

そういえば、昔、読んだコラムがある
「裸足と靴」というショートストーリーだった。
商社マン二人がアフリカに靴を販売するという特命を受けた
一人は、アフリカの現地人を見て言った
「これはダメだ。みんな靴を必要としていない裸足だ」
もう一人は
「これはいける。みんな裸足だ。いくらでも靴を必要とする」

 

たぶん大きな目で業界を見ると見えてこないものが
目先の地域の個々の訴えを塊にすることで解決することが有るのかもしれない。

ふと積雪7センチの朝、想う。

少欲知足

さまざまな大企業が、さまざまな問題を起こしてマスコミに騒がれている。
ほんの少し前

大企業(一部上場会社)という信用は重かった

商社に入社したときに

一流のところからものを買って、一流のところへ売るのが、一流の商社だ。

と教わった。
一流のところは、万が一問題が起きても対応は万全だ。と想っていたが

「万が一」どころではない。
頻繁に…と言うか、常態化している問題が数多く起きている。
これで一流の大企業といえるのか…
一昔前の言葉が、だんだん軽くなってきた

これは企業の問題ではなく
たぶん資本主義の問題なのではないだろうか…
「そういう宿命にある」という…

資本を投じて利益を上げて経費を賄うと言うシステムは、常に拡大を伴う
その拡大が一杯一杯になってきたのではないか
拡大しないで分散を望んでも、こんどは企業の精神が薄まる
ようするに二流三流になってくる。

はちきれそうに膨らんだ大企業と
二流三流に落ちこぼれた小会社グループと…

そんな大企業グループと、新興企業の争い

 

そんな構図が頭のなかに浮かんだ。

いずれにせよ
グローバル、はどこかで行き詰まるだろうと思っていたら
さっそく自国最優先のトランプが出て世界に広がっている。

そこから戦争になるのか…

その土地に根ざした循環型家族経営が、一番安心できるのか…
ところが人間は、「野心という向上心」をもった動物である

「少欲知足」と言う言葉が、身にしみて思うのは、いつのときか…

冬の時代に向かう朝の戯言である。

教えて欲しい

フェアートレードのチョコレートが並んだ
恒例の冬の商品である

いつも売っているのだが…
いつも思う
フェアートレードは良いことなのか?

ようするに海外の貧しい国の生産者から直接購入することによって援助する
ということらしいのだが…

貧しい国!貧しい人々!と言う位置づけが、こちらの上から目線ではないか…
経済的に優位に立っているから支援する
しかし、精神的には優位に立っているのだろうか…
また、金銭的に援助することで、貨幣経済に巻き込んでしまうのではないか?
彼らはちがう価値観で生きているのだ

ブータンは幸せ度が世界一だという
さまざまな国の幸福感が違って良いのではないか?
それを資本主義拡大経済の中に引き込んでしまうのが良いのか?

いつも考えてしまう。
正解はみつからない

教えて欲しい

ファスト風土化する盛岡

新聞か…ネットで読んだ。

大手ショッピングモールや、コンビニチェーンが、「事業本体では赤字だ」という

ようするに、本業の物販では利益は出ていないと言う
不動産や金融で利益を出していると言う

大手は金が回っているから金融機関がカネを貸す
その金で不動産投資や、金融で利益を出す
大手の輸出産業も為替差益である。

土地を借りて(買って)建物を建て、人を雇って、商品を仕入れて、利益を載せて販売する。
と言う仕組みが、成り立たない世の中になってきた。
一番目立つのが、地方の中小零細小売業である。

老舗の中小零細小売業がどんどん廃業に追い込まれている
盛岡でも何軒もでてきた。
盛岡は、商業の町である。
高度成長経済期に溜めた金を不動産に投資して、それを売り払って生き延び、店主の年金もつぎこんできたが、いよいよ尽きてきた。
それ以降のトレンドに乗って開店した新しき店も続いていかない。

当時、東北では唯一シャッター街が無いと言われた盛岡の街も
H15年のショッピングモールの出店から始まり、モールが街を囲むようにでき、中心市街地の商店街は壊滅という状況に陥った。

その出店反対運動の公聴会(?)のときに、若者が大きな声で発言した

「モールが来ないと盛岡は遅れてしまう」

まさに、たった15年で盛岡は他の街に遅れず「ファスト風土化する盛岡」と横並びになった。

ちいさな個性的な店が集まる商業都市が、盛岡だったはずなのに…

特別に個性的で、地方に根付く小売業でありたいと思う「ちいさな野菜畑」であった。

 

 

アテンダント

以前、「アテンダント」と言うものをやったことが有る。
新宿で一番大きいデパートで、一日付ききりで説明をする仕事である。
ついでに品物が売れれば、それが一番いい。

商品は「遠赤外線」である。

当時遠赤外線は、コマーシャルで流れていた。
有名だが、誰も本当のことは知らないと言う”もの?”である。

赤外線は知っているが、触ったことがない!という人ばかりだ?
そんななか、「遠赤外線とはなんだ?」という説明をしなければならない。

 

一応パネルを飾り、説明用の商品を持ち、手持ち無沙汰だった。
ひやかしのような客も来た
真剣に問いかけてくる客も来た。
何もわからない人も来た。
詳しい人も来た。

アテンダントというのは、最初の一言でどの程度の知識を持っているのか?を判断して説明をしなければならない。
こちらの知識を総動員して説明しても相手がそれを上回る知識を持っていたら聞く耳を持たないし、売れない。
相手が知識を全然持たなかったら、いくら説明しても意味を持たない。
相手の持っている倍の知識を持たないと、わかりやすい説明は出来ないのである。

遠赤外線の石というのが、商品に有った。
天ぷら鍋に入れると、からりと揚げる
甘藷を焼くとホクホク焼ける

と言う物であり、ある意味では偽物である。

 

面白半分に買っていく人がいる。
「嘘だろう」と突っかかってくる人もいる。
そういう人には、本当のことを言う
天ぷら鍋に入れると、石に蓄熱されて油温が下がりにくいのです。
だから高温でカラリと上がります。別に遠赤外線のせいではありません

甘藷は、温かい石に漬けると伝導熱で均一に焼けます
調理の基本は「均一」です。だから美味しく焼けます

遠赤外線は輻射熱ですから接して、遠赤外線効果があるということはありません

そろそろ遠赤外線の下着が売れる頃です。
遠赤外線を発するという物質を編み込むことに寄って、そこに蓄積されて暖かさが持続します。温めるまでに体温から熱が奪われます。

しかし、世の中、”効果があれば理屈はどうでもいい”と言う人が多いのである。

だから「一人ひとりの相手に納得させる」というのが、アテンダントの仕事である。
そしてそれは、営業としての仕事でも有る。

売る

最近「売る」ということを考えている。
「売る」とは、どういう事か…
単純には「ものを金に換える」事なのだろう

昭和40年頃から、末端の小売業が変わってきた。
食品では八百屋・魚屋・肉屋から、スーパーになってきた。
雑貨も量産品がでてきてから、スーパーで扱うようになってきた。
ようするに日本型〇〇屋が、アメリカ型量販店になってきたのである。
それは物を並べる、欲しい人が選択して選べる。と言う方式である。

それまでは、ものが乏しかった。
小売店がお客の顔が頭に浮かび、市場や問屋から欲しいものを代わりに選んでいた。
だから小売店は、客の家族構成から好きなものから好悪の判断基準まで深く知っていた。
その時代は、戦後と呼ばれていたが、そこへ高度成長期がやってきた。
不足していた物資が、生産設備の改良や流通ルートの整備でどんどんものが溢れ、選べるようになった。
そしてスーパーと呼ばれる量販店である。
効率化した店内は物が溢れ、人々は選ぶという楽しみを知った。
大きな店内に豊富なものが溢れ、中小の店は駆逐され、商店街が消えた。

「それも時代の流れだ」と言いながら、その影で買い物難民がひっそりと生まれていた。
今は、団塊の世代が大量に定年を迎え、車の免許を返上し、団地は歯抜けとなり、子どもたちは都会へと就職し、コンビニは過当競争で人口減少下の街は撤退が続く。

ものは揃っている、ネット環境も良い。
贅沢さえしなければ、何もいらない。
テレビとパソコンで情報は入る。ネットで物は届く。
食事も弁当が配達されれば…
一日話をしなくても、済む。

そういえば東京に住んでいる人が言った。
「朝から晩まで、一日話しなくても良くなった」
生の言葉を聞くのは、コンビニの

「いらっしゃいませ、こんにちは」

である。

初めて営業という仕事に携わったときに

「売るとは、自分を売るのである」

と教わった。
「会話の中で、さり気なく相手のきもちを聞き出す」
相手の気持を読み、何を考えているのか…を想い
察してやる

ものの説明をして、ものを売ることではない。

そんな会話が無くなったときに街のコミュニティも無くなった。
それを復活する方法を、今作ろうとしている。
しかし、今の若者に、そんな会話ができるのだろうか…

替らないと換えれない

世の中、選挙である。
どうやら選挙一色と言う表現があたっているのだろう

選挙となると店の売上も落ちる。
それを言い訳にしても、上司に報告をする立場ならそれでも良いが
銀行に報告するには、言い訳にならない。

ずっと選挙で投票してきた。
選挙に直接関わったのは学生のときのアルバイトだった。
戸別訪問だった。玄関の戸を開けてチラシを渡すだけだったが…
ある家で「こんなことをしていいの?」と言われて答えられなかった。

それ以来、選挙に直接関わったことはない。
関わらないようにしてきた。
ただ新聞を読み、テレビのニュースを聞き、最近ではネットの情報を聞いて自分で判断し投票してきた。
そして、そのとおりに選挙結果がなったことが少ない。
どうやら世間大勢の人の思いと、自分の思いが違うのだろうと思う。

組織にいる人、利害関係がある人、そんな関係性で判断する人が多いのか…
それ以上にマスコミのイメージ戦略で動く人が多いのか…
現状に慣れて変化を求めない人が多いのか…

とある人が言う
「今回は誰にも頼まれないから…誰に入れたらいい?」と言う
そんな人も一票なのである。

 

地方の中小企業は
毎日の作業は、変わらない効率化を求めるが
毎日の仕事は、換わる決断の日々である

変わることに慣れないと換えられない

 

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い