ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

まんべんなく

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暖冬である
なぜ暖冬なのか?よくわからない
しかし、雪かきをしない暖冬は良い
雪かきをしないといけない暖冬は。あまり嬉しくない

つまり雪かきが、嫌いなのだ
そういえば、亡くなったコウさんが言っていた

若い時は団地で競って早起きして雪かきをしたものだが
今は、除雪車がこないと、役所に文句を言うようになった。

そうなのだ、小生も若い時は体全身に汗をかき、シャワーを浴びてでかけたものだが…
今は、痩せこけた身体で、汗がでる暇もなく外に出た途端、凍えて死んでいる
しかし、大丈夫だ、今は力仕事の魔子様がいる(?)

今週から盛岡は氷点下4〜5度が最低気温だという
そこへ雪が降ると溶けないで氷る
年末の日陰の雪がようやく溶けかかって土が見えたのに…

小岩井の雪まつりは、大丈夫か?
安比は?網張は?スキー場は…?
そして春の農業用水は大丈夫か…
水需要の90%は農業用水だという
日本は水田というすこいシステムを持っている
上流に降った雪や雨が、川や水田をつたって下流までまんべんなく行き渡る

政治は富の再分配だという
水田を満たす水システムのように、まんべんなく、行き渡ってほしいと思う
暖冬だから水不足だといって増税することの無いように…

 

乾いたモリオカである
しかし、春になればドカ雪はふる(と思う)

 

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三方良し

正月の初詣は、いつも榊山稲荷へ歩いて行く
盛岡の北にある榊山稲荷は、庶民の神社である
盛岡を見下ろす坂の上の境内には、池や金運神社や飲食業の神様、安産、学業のなんでもござれの神様である。盛岡の氏神様といへば榊山稲荷かもしれない

街の中心部にある桜山神社は、のんべのサラリーマの居酒屋の守り神ではない。
不来方城内にあるから、武士のための南部さんの神社だろう。

八幡宮も参道には寂れた飲み屋街があるが、その名前から八幡太郎義家を祀っていると思っている人が多い。
しかし祀っているのが武運祈る応神天皇である。
つまり天皇家の守り神としての神社であるから系列としては国家神道である
お稲荷さんなどの氏神様は民間神道(?)である。

 

つまり神様というか神道には二系列あって、天皇家の系列である天照大神の国家神道と
八百万の神(山の神、海の神、水の神。…)をまつる民間神道と二つである
それをごっちゃにしている人が多い。

商社に勤めていたころの上司である課長は、関西出雲大社教の神主であった。
出雲大社教と言うのは、なんでも出雲大社の大国主命の左側(右かもしれない?)にいる神様を信仰している宗教である。
一部上場会社の課長が。宗教にはいっていると言うのはちょっとおかしいのかもしれないが
彼は堂々と言ってあるき、勧誘していた。
そして書類に決済するときも、じっと書類に手のひらを当て祈りながら「よし!」と大声を出して判子を押した
もっともグダグダ言って結論がはっきりしない課長が多くいた。
それよりは、まだましだったが…
そんなことから、ちょっと宗教に関心を持った。
彼に教わったのは、柏手を2回打つのは下位の神様でお稲荷さんや蛇を祀っている神様で
一番上位の伊勢神宮では6回柏手を叩く、大国主命は4回と聞いた

たしかに伊勢神宮に詣でた時に6回叩いている人がいた
盛岡駅に有るホテルの結婚式場では大国主命を祀っているので4回だと人から聞いた
いろいろとややこしいしきたりがあるのだが、連綿と続いているのだから宗教というのはすごい

 

その榊山稲荷に行くのに、いつも歩いて行ったが、今年はズルをした。
車で行ったのである。おかげで酒は飲めないので
榊山稲荷の振る舞いの樽酒もいっぱいしか飲めなかった(?)
いつもは100円を納めて、なみなみと三杯は飲み干していたのだが…

 

氏神様をお参りしたら、次は菩提寺だろうということで寺にも行った
紅白を見たのか夜通し映画を見ていたのか、しんとしていたが坊守さんはストーブを点けておいてくれたのだろう。本堂の中は暖かかった・

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「「なんまいだ」を三回言って、三方に頭を下げて
三宝にに乗っている鏡餅をながめつつ三方良しを唱えた

三方良し。これが今年のキーワードだ
三方良しは、近江商人の言葉である
「売り手よし。買い手よし。世間よし。」の三方がよいのが商売だ。という意味である。
今のように「消費者は神様です」「消費者ニーズを…」というような目先のことではなく
また「利は元にあり」という言葉も深い意味があるが。もう一つ足りない
やはり世間に貢献をするということがこれから求められるのだろう
大手は木を植えました。寄付をしました。
とさまざまな目に見えることやっているが、眼に見えないことが大切なのである。
そんなことを感じる年明けである

さて次は…
いつもは疲れ果てて帰るのだが。今回は車である
よし足を伸ばそうと、初春の盛岡を眺めに行った

 

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いつもは、三方からくっきりと見える岩手山も、今日は雲の中である
しかし、街中はくっきりと浮き上がって見えた

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山岸方面の白百合も…生協の青い屋根も…IMG_1046

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三方がしっかりと見えた初春の岩手であった。

いとパン

人参を買う客がいた。
もうテントハウスの時だから17〜8年前のことだろう
単に人参だけを買う客ならいつもいる。
その客は、若いのに夕方買いに来る。
それも人参だけを大量に!である。

最初は、どんな仕事をしているのだろうか…
と思ったが、真面目そうな顔をしている。

その時は、なんとなく話しかけたいが、
話しかけられないような雰囲気も持っている
それは病気のせいだったのかもしれない。
有るときは、年上らしい女性と一緒に来た
母親だろうか…年上の姉だろうか…

しばらく見えないな…
と思ったら、”九州に行っていた”と言う
なんでも”ガンの治療だ”という

そんな話があって、しばらくして来なくなった。
亡くなった。と人づてに聞いた

ちいさな野菜畑20年の歴史の中で、なぜか記憶に残っている客であった。

その客の遺稿集を出したという

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県職員で、スミレの研究者で森林インストラクターの第一号の人だという
そういえば、小岩井で環境問題をテーマに県のイベントをやった。
その時に店以外で初めて彼と出会った。
しかし、その時彼は主催者側ではなく、森林インストラクターという参加者側だったような気がする

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開いた最初のページに、カタクリの花が載っていた。
某朝日新聞の写真コンテストで秋山庄太郎賞をもらった作品だという

亡くなって16年。
”イトパン”と多くの人に親しみを込めて呼ばれていた。
こんなに多くの人に思い出を語らってもらった人がいるであろか?

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岩泉に行くと呑み会で必ず合う櫃取湿原の西間薫も…
高校で一級下の澤口たまみも、思い出を寄せている

そんな伊藤正逸の濃密な関係性の遺稿集を
自然とともに有りたいと想う人に…と編集人がおいて行った。

20年前、竹やぶと葛だらけの店の土手も、毎年せっせと草刈りをしていたら、
植生が変わったのだろうか、スミレが咲き乱れるようになった。

今年の目標

この三〜四年、雑煮というものを、満足行くまで食べたことがない
いつも満足する前に腹が一杯になってしまうのである
いや”腹が…”ではなく、”胸が…”である。
食道癌で食道を獲ってって以来、30kgほど痩せた。
それから胃袋が一杯になる感触は無くなって、初恋のように胸がキュ〜と一杯の感触なのである
食道を取った手術痕が、食べ物を通る道を妨げているようである。
だから大晦日のご馳走も…正月のご馳走も…無い

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なんせ、煮た大根を二切れ食べ、雑煮の餅抜きの煮汁を呑んで、
盃で一〜二杯、唇を濡らしただけでもう胸がいっぱいである。
(コップ型の盃? 盃型のコップ? いずれも正解!)

ところが、この煮た大根が絶品なのである。
口に含むと、ほろほろと溶けるように崩れ、その苦味と甘味が重なりあって絶妙なのである。これに有るところで買った「ハラペーニョ味噌」を塗りたくって食べると
後からくる辛味が、しつこく絡んできて、いやはや酒がすすむのである
だから、もうこれでいいと思わせるのだが…

 

年末に、睡眠時無呼吸症候群の病院に行った。
いつものまるで自身が無呼吸ではないかと思わせる太った女医ではなく、
小柄な白石明媚な医者というような感じの先生が出てきた。
なかなか治らない「日中の眠気」について再び問うた。
彼は明確に「治らない日中の眠気は無呼吸が原因ではありません。
無呼吸の眠気はデーターから治っています。
無呼吸は脳からくる疲れですが…
貴方の場合は、体力が無くなって、筋肉の疲れからくる眠気です。
高脂肪・高蛋白の食事をしてください
玄米菜食はビタミンだけで、蛋白と脂肪は不足です。
どうですか?よく食べられていますか?」と問われた。

ハッ!と気がついた
そういえば、痩せたから良いと思っていたが。必要以上に筋肉が落ちている
先日も居酒屋でバランスを崩してころんだ
起き上がろうと膝に力を入れた途端、力が入らなかった。
今朝も、元日のルーティングワークのコースをでかけたが
いつもは歩いて榊山稲荷へ向かうのだが…今日はズルをして、車ででかけた。

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そしていつもの本殿と金運神社と農業の神様旭龍神社をめぐろうと思ったが
金運神社まで上がる気力が湧いてこないのである
なんといっても、魔子様と膝は「言うことをきかない。」
これでは金が貯まるはずがない(貯まるそばから、こぼれ落ちていく)

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大晦日の昨日は、年越しそばを当店で何回も打っていた梅さんが、
今日は神社の徹夜の手伝いである。よく働く人だ。感動モノである。
その梅さんがいる休憩所で唇をアルコール消毒して引き上げてきたが…
足はガクガク、ブルブル。これでは今年一年の体力が心配である

来年はワールドカップの日本代表のように
必死になってフィジカルトレーニングをしなければ…
そこで今年の目標は、
体力を回復し、五合を呑んでも脚がふらつかない!できれば一升を!

ということにしました。
皆さんの絶大な協力をいただきながら、果てしない悪戦苦闘を乗り越えて、
感動の人生を邁進し「歴史を変えたい」と考えております。

 

注!体力の回復が目標ではなく、五合を呑んでもふらつかないのが目標です
優柔不断の自己弁護入道拝

すっぱい。しょっぱい。

金沢の友人が「漬物贈るから…どちらに送ったら良いか…」と電話がかかってきた
自宅に送るか?店に送るか?を聞いてきたようだ
”まだ店をやっているのか?”という確認だろう

翌日、届いた。
漬物と言っても、かぶら寿しだ。

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これは漬物なのだろうか?
名前は寿司なのだが?

岩手にも”飯寿司(いずし)”というのが有る
いや”なれ寿司”だっただろうか…

どちらか忘れた

 

今年の春先から、糠漬けをやっている
こまめに野菜を残りを漬けて、こびる食堂で多くの人に食べてもらおうと思ってやり始めた
しかし、糠漬けは難しい。というか

米ぬかは、自家精米しているので大量にある。
余るので鶏を飼っている公太郎(山地酪農牛乳の吉塚家長男)に引き取ってもらっているぐらいだ
ホーローの容器、カメの容器もいくらもある。
だから、いくらでも出来ると想うだろうが、材料がそろわない
適材(胡瓜・茄子・大根・人参・などなど)が出てくるときは良いが
あまりにも量が多すぎると食べきれない
少ないと容器だけ数ができ、かき回すテマヒマが大変である

しかし、それ以前に味である
糠漬けというのは過ぎると酸味が勝つ
過ぎなくても酸味がでてくる
この「酸味、すっぱい」
多分東北人には。向いていないのかもしれない
「すっぱい」よりも「しょっぱい」のほうが東北人に合っているのではないだろうか
糠漬けが、なかなか量がはけない。
先日某生協で「胡瓜の糠漬け」というのを購入した
胡瓜に糠がベッタリと付いているのである。ワンパック二本で290円だった。
買って食べたら、塩味しかしなかった。
「エッ?これが糠漬け? 単なる塩漬けでは…」という代物だった

だから岩手の人は本物の 糠漬けを食べたことがないのではないか?

うちの魔子様は、東京の下町育ちだから糠漬けは子供の頃から食べ慣れている
「この酸味が良いのよね…」と言って酸っぱい漬物をパクパク食べる
だから当店の糠漬けは、魔子様に味見してもらってから店頭に出すようにしているが…
これは失敗だったかもしれない
魔子様の味見は「酸っぱくてまずい」のかもしれない。漬物に関して言えば…

小生の味見のほうがいいかも
なんと言ったって”酒のあてに良いかどうか”で判断するのだから…

 

そのかぶら寿司だ
以前、北上の八重樫真純からもらった飯寿司は、まさに発酵しているというシロモノであった
酸味が勝って、これは喰えるシロモノか?と思ったが
食べ慣れてみると、それなりに美味しい
見た目は気持ち悪いが…
金沢のかぶら寿司も、同じ乳酸発酵だという

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これは蕪の間にブリがはさまっているという。

乳酸発酵は、殺菌効果が抜群であるという
冬の季節に動物性タンパクを乳酸菌で体に取り入れる古来の智慧だろう
これは北海道から東北、北陸までさまざまなものがあると言う
地域の食文化と言いながら、「地域の気象(風土)」が似ているところは同じ食文化が発達するのだ

住む

某朝日新聞の別刷りだろうか「be」に沢内村の特集がでている
沢内村はもうない。合併して西和賀町になった
合併することで日本中に轟いた「沢内」の名前が消えた
そしてもう一つ日本中に轟いている作家「齊藤純」さんのコラムも同時掲載だ!
「齊藤純」さんの名前は、まだ消えていない。(?)
先週の某朝日新聞は、岩手サタデーである

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豪雪の沢内村は小さな頃、沢内の学校の現場監督をしていた父に連れられて行った。
両側が雪の壁であった。現場事務所は二階から出入りしていた。
ここの雪は消えるのか?と思うほどの量だった。
だから民家は見えなかった。
当時は除雪してあったが、それ以前は雪深い村だったという
病気の乳児を背負って、深い雪を漕ぎながら麓の病院に下りて行き、背中から下ろしたら、死んでいた
と言う悲劇が幾つもあったという
そうまでして、そこに住みたい、住まなければならない事情があるのか…と合理的な考え方の人は言うだろう
そうまでして住まなければならないのだ

いぜん山村に住む老婆が
どこにも行ったことがない。しかし、このむらは日本一だ
と言う
住めば都ともいう

そんな沢内村が無医村になりかけた時に
友人が医者を探しに行ったと言う
医者は一言しか言わなかった。
「コンビニのないところへは住めない」

住むとは… 暮らしとは… 生きるということは…

わかもの

若者にであった。
たてつづけに二人のすごい若者である
34歳と40歳である
40歳を若者というか、初頭の中年というか、晩年の若者というが…
まぁ小生から見たら自分よりわかいものなんだが…
しかし、小生がその歳だったら絶対に思いつかないし、行動もしなかっただろう

ひとりは
「入道さんあと20年頑張ってください」といい
「いずれ僕が会長になって変わりますから…」と真顔で言った
某マスコミの薄謝協会の職員である
初任地が盛岡だった。多くの仲間と一緒に当店に出入りしていた
盛岡・東京・仙台と転勤してあるいて今福島にいる
「被災三県をすべて歩いたのは小生だけです」という
カレが追いかけている被災地のドキュメンタリーは、彼の実家のとなり町だという
「偏向している」と責める小生に
「あれは自分たちで上の意向を忖度して自主判断しているのです。なさけない」という
そして「そんな会社を変えたい」という
そういえば”こうさん”もその若者を応援していた。
40歳の時、小生も悩んでいた。
このまま会社にいるか…
会社の方針と小生のやり方が合わないのである
一部の上司は認めてくれたが、他の人たちとは全然信頼関係が作れなかった
というか…会社では浮いていた。
当時、子どもの学校は荒れていた。
「都会で育てるべきか…田舎に帰るべきか…」
それも悩ましい問題だった。
結局、「農業と産業廃棄物を組み合わせた新しい仕組み」に誘われて戻ってきた
戻ってきてよかった
前の会社の担当していた部門は、消滅した。
小生がやっていても無理だっただろう。そもそも会社と見解が違うのだから…
そこには”会社を変える”という発想は無かった
プロパーではないし、銀座のビルの一室で浮き草稼業のような仕事だった。

その若者の結婚記念植樹写真である

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つぎに34歳である
小生は34歳は人生の一大転機であった。
上場会社を止めると言う決断をした時である。
彼は、みため45〜6歳、しゃべり方も50前後に見える
幼い頃から複雑な家庭に育ち、生活保護でそだった、と言う
その彼はある地方の生活困窮者を助けNPOを立ち上げたという
彼の素晴らしいのは、じぶんが苦学しながらもそこからぬけ出すという発想ではなく
そこに陥る人たちを助けるためにさまざまな関わりを自分自身で作っていった。と言う実行力である
それは行政の仕組みを…行政の見方を…変えていったという
その彼が今月発行の週刊誌に載るという。乞うご期待だ。
詳報は、それを読んでから

第二弾に続く

紙一重

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65歳を過ぎたら請求書がきた
なんでも年金請求書というらしい
読んだが意味がわからない
というか…

国が年金を支払えないので「遅らせて欲しい」と言っているようだが

認知症の母親は戦前、軍需工場で学徒動員されて働いていた
何でも器用にこなす母は、優秀な作業員だったらしい

表彰されたという
副賞が国債だったと言ってた

もらって数カ月後、敗戦になって国債がすべてパーになった
それいらい、母は国を信用しない。
そしていつも言う。「国債は信用出来ない」
最近でこそ認知症で「財布がなくなった」「財布を取られた」と言う
円の通貨は、まだ信用しているようだが…

 

某宗教団体の100年安心の年金制度等と言っていたが
年金が破綻した、いや破綻するだろうと言われ
”福祉よりも軍事だ”とか様々言われているが

こんな紙切れ一枚で年金を遅らせるという国民はいるのだろうか?
いや増えるからという人もいるだろうが
それは増えるか、消えるかは、紙一重だ

貰えそうもない若者が大勢いるのに…

ちいさな

元鹿児島大学の副学長の萬田先生と佐賀の農民作家山下惣一さんから手紙が届いた

何でも小農学会を立ち上げるという。

賛同の意思を表明しようと思ったら、いつの間にか時間が過ぎていた

日本農業新聞の記事が載っていたのでコピペする


 

神髄は小農にあり むら存続へ結集を 福岡で学会設立総会 (2015/11/30)

 
  家族経営などの小農を評価し、生き残りと普及を目指そうと、農業者や研究者らによる「小農学会」が29日、発足した。福岡市で同日開いた設立総会で は、政府が推し進める農業の大規模化・企業化では農村は守れないとして、小農と、農に関わる都市住民が結集・研さんし、社会的な発言力を高めることを確認 した。

 
 代表に、鹿児島大学名誉教授で有畜複合農業を営む萬田正治さんと、佐賀県の農民作家・山下惣一さんが就いた。
 
 総会には約80人が参加。①農の神髄は小農にあり、研さん、実践と普及に努める②自然の営みに沿った農を実践する③農の使命は人類の生命の維 持で、全ての人に恩恵がとどく社会を目指す――ことを決議した。同学会は、シンポジウムや現地研修会、会誌の発行、学会賞の授与を行う。
 
 経過報告で萬田さんは、国連が2014年を国際家族農業年と定めたことを説明。しかし日本政府は、その振興に消極的な一方で「TPP(環太平 洋連携協定)で、日本の農業を国際競争に裸でさらそうとしている」と批判し、「こういう情勢だからこそ、勇気を持って学会を立ち上げたい」と設立を宣言し た。
 
 講演した山下さんは「そこに住んで家族の労働で、家族と暮らしていくことを目的に(農業を)やっている農家」と小農を定義し、「日本の農家の 99%」と指摘した。それが大規模化を推進する政府によって「つぶされようとしている」として、「声を上げよう。そうでないと、むらは持たない」と呼び掛 けた。


 全くそのとおりである
政府は、他国のような農業の大規模化で合理的効率的な農業を目指そうとしている
そこにあるのは競争でしかない
日本のような平地のない山国は、競争に勝てるか?
まして他国の大規模化の農業は、ほとんどが政府の補助で成り立っている
①は当然の使命である
②は、自然のとらえ方が他国と違う
③生命の維持とは、他国は貨幣による(経済)による維持と捉えている。
荒々しい自然の日本では、「いただきます’という言葉とともに神への祈りが根底にあった。
その違いが、アメリカナイズされた政府はわからないふりをしているのだろう
日本は大規模ではなく、村というコミュニティがないと農業を続かないのだ
なぜなら自然との協調は、独りではできない
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易しく言う

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報恩講である。
報恩講というのは文字の通り。恩を報いて講ずるのである(意味不明)

要するにキリスト教ではいえばクリスマスである
浄土真宗では、宗祖親鸞の誕生日である
浄土真宗の一大イベントであり、全国の真宗大谷派のお寺でさまざまなイベントが繰り広げられる
浄土真宗大谷派騎雲山専立寺では、哲学者内山節が記念講演という形で、毎年呼んでいる
もう15〜6年になるという

そういえば小生が内山さんと知り合ったのは平成6年だからもう21年前か…
44歳の時だ
最初は、八戸の某会館だった。
最初は、チンプンカンプンで、よくわからなかった
言っていることが使用価値と交換価値のようなことだったことだけ、覚えている
比喩として「ダイヤモンドと水」の関係だけ覚えている
ダイヤモンドは砂漠では価値が無いが都会では価値がある
水は都会では価値が無いが、砂漠では大変な価値がある
そんな話だった

まぁわからないなりに、聞いていればなにかわかるさ…と思って数年聞いていたが
あるとき、内山さんの発する言葉が、すぅ〜っと体に染み渡るように入ってきたのである
感動した。身体が震えた。
それからである
話を聞くたびに、具体的な問題を抱えて行くとそれに応えるような話をされた
どんどん深みにはまっていった。

中学生の頃だっただろうか、
自分の意見を言えとか、自分の考えを主張しろとか、個性を持てとか、さんざん言われた
新入社員の研修でも似たようなことを言われた
あるときに「個性は顔だ」とある人が言っているのを聞いた
一人ひとり顔が違う、それで良いのだという
そして一人ひとり生まれが…育ちが…場所が違う。それで違いが出てくる。
それが個性だ。そんなことを聞いていると楽になった。
そんな時に内山さんと出会った。
内山さんとの出会いから、様々な問題を通して見えてくる物が違ってきた
なんだか薄皮を剥ぐような感じだ

多くの人は難しいことを難しく言う
内山さんは、難しいことを易しく言う
易しく言うことは、奥が深いということである。
内山さんの周りには多くの人がいる
しかし、内山さんほど易しく語る人はいない。

そんなことを改めて思った報恩講であった。

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