ちいさな野菜畑

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カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

仕事

あるひとに言われた
「今が劇的に変わるのは?どんな理由で?いつだろう?」

山本太郎の参議院質問録を読んで、唸った。
今の状況を政治屋は、どう把握しているのか?
政治は…経済は…外交は…そして我々の暮らしは…
様々にリンクして様々に問題が有って、様々な対応が個別になされているが、
今の暮らしが続くのか?
今の暮らしで良いのか?
このさき。どんなどんでん返しがあるのか?
別にさきのことを心配しなくても、このまま続くというシンプルな仕組みであってほしいのだが
なんだか、あまりにも貧困な想像力の政治が、ややこしい仕組みにしているような気がする

政治とは富の再分配であり、外交は無事の世界の構築であり、経済は流通の円滑化である
それだけの仕事である
それらの”仕事”が確実になされることによって、人々の暮らしの安定がもたらされる!
ところがその「仕事」の捉え方が違ってくると、大きく変わってくる
仕事が「稼ぎ」だけになってから、大きく変わってきたように思うのだが…

 

その稼ぎは、枯渇する化石燃料に乗っかっている。
もうすぐだ。化石燃料が高騰するのは…

そして人口減少社会である。これは今まで対処したことのない社会である
稼ぎの捉え方が大きく変わってくる可能性がある
たぶん今までのルールや法則や常識が、殆ど通じない社会が生まれてくるのだろう

そんな社会にも、淡々と、生きていける生き方、暮らし方を探さねければ…
それが多分、これからの残された人生の大きな仕事かもしれない

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ほんせき

役場に行った
役場と言うと村役場や町役場を連想するが…
そして職員は腕に黒の手甲や腕貫、腕袋などをつけ
耳に鉛筆を挟んだ禿頭のちょびヒゲのおっさんを思い出す
なんだか漫画の世界だ

今の役場の窓口は、若い女性が賑やか軽やかに対応している
これだけクールビズをうたっている社会なら
もっと薄着で対応して欲しいと、胸の谷間を覗きこんでいる入道である

なんで役場なんかに行ったんだ!
胸の谷間を見に行ったのか?と思うだろうが
違う

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母親の本籍を知りたかったのである
徘徊する人と探すネットワークと言う届け出がある
酔っ払ってその辺に寝てしまう人も…(?)
警察から社協から、施設から、写真が回ってすぐ見つけ出すという
すごいシステムだ!流石高齢化社会!これなら安心して呑みに行ける

その書類には「本籍」という項目があった。
免許証に「本籍」と言う欄が。昔あった。みたら今は無い。
「本籍」もう死語になったと思っていたら、まだ生きていた
本籍の由来を知らない
多分、本妻の籍が入っている箱か?
そうすると愛人の籍は、相席か?
又でてくるトラ子の籍は、戸籍か?

などと考えながら役場に行った。
役場のねぇちゃんは、親切に対応してくれたが
驚いたことに個人情報で、がっちり守られていた
母の「住民票」を取ろうと思ったら
同じ住所の世帯員でないと入手できない、と言う
「同じ敷地にすむ息子なのですが…確かに住まいは別棟ですが…住所も二番違うだけで…」
そして”委任状を書いてもらえ”と言う
認知症の老人に委任状を書かせることの意味をわかっているのか?
まして「印鑑ではなくボインだという(訂正 拇印)」
認知症の老人は全てに懐疑的である
親切にされるある面では、瞬間的に絶大な信頼を得られるが
金銭的なことでは、長い期間、疑いのまなこである
「通帳がない。」「財布がない。」
毎日がその戦いであり、探しては見つかり、見つからなくては探す
「盗った。」「取られた」の繰り返しである
預金通帳に一緒に行った人の名前を書いたばかりに、
「あの子も盗った」と言いつづけている母もいる
その時は正気でも、後から変に捻じ曲げられて記憶される可能性もある

これだけ認知症患者が増えて社会のある程度の問題を引き起こしているのであるから
なにか対応が必要だと思うのだが

認知症には後見人が指名されればと言うが…
手続きが難しいのと、その後の書類の整理が煩雑だという

 

そんなことを考えながら世界一の川を歩いた
役場のそばで流れている川は、世界一の川だという。
川と土手や歩道の間に柵がない。人と川が一体になった珍しい河川だという
国土交通省が”人を守るために柵を作れ”という法律にも、現場がしっかりと反対して
「柵のない風景(親水河川」を守っている世界一の川という人がいた
まるで関係性世界の風景であるが、関係性を大事にする役場であってほしいものだ

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ミラノに学べ

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先日の某朝日新聞の別冊の付録である
読んでみたら広告のようだが…

右上に「広告特集」とある

なんだ!
やってることと表現していることがぜんぜん違うではないか?

ようするに、農林省と農協がミラノ国際博覧会に出店し、その広告をしているようだ
国は、効率化のもとに大規模化を推し進めているのに、日本の農業を守るには文化としての棚田を全面てきに取り上げている
農協は、国が進める合併に乗り大型化を進め、地域とかけ離れた効率的営業を目指しているのに、地域の食と農を守るには協同しかないと訴えている

農をめぐる問題は、さまざまなものが、ごっちゃにして論じられている
この広告は、その最たるものである

農業は産業か?地域の文化か?
ということが最初に論じられなければならないだろう

 
今の資本主義社会における産業は。拡大と効率化と安定した利益が求められる
農業は、面積の拡大と機械化と合理的栽培によって、安定した収益の拡大を求めようとしている
しかし、これには大きな問題が有る。それは「自然」である
さまざまな問題が、大きな自然に遮られると「農業の多面的機能」という語句を言う
産業ならばとことん効率化と合理化で他国と勝負をするという発想がないと、単なる補助金のバラマキ産業になってしまう

農業の多面的機能というが、それは一方では地域における小さな技の集積である
それは、地域に根ざした文化でしかない
たとえば棚田である。
観光資源ととして、新聞に掲載された景観の棚田なら多くの人の目につくが、岩手の山奥に入ると小さな谷あいにも小規模ながら棚田がみられる。
そこには多分半日ぐらいしか日が当たらない、満足なコメも出来ない場所でしかない
しかし、そこには先祖の「コメを食べたい」という想いが小さな技の集積となって、代々伝えられてきているのだろう。
また火山灰土の漏水田でも、粘土質土壌の客土や堆肥の大量施用などで、少しでも漏水を止めようという代々の努力が積み重なって、こんにちがある。
また兼業農家が悪くて専業農家が良いみたいな議論もよく言われる
しかし、兼業農家がなくなれば、困るのは専業農家である。
村の水の循環は、専業・兼業にかかわらず農村の人々の大切な仕事である
そのコミュニティが壊れたら、いくら大型機械を持つ専業農家でも生産はできない
日本の場合は、農村コミュニティと言うのが大きな文化としての役割を持っているのである

じゃー農村を会社化して企業マインドで経営感覚を…というのが農協である
「協同」という組織も、資本主義経済では拡大から外れることはできない
結果として効率のよい大規模化であり、人員の合理化であり、不採算部門の切り捨てと言う当たり前の経営しかできない

農村コミュニティを作り上げながら維持していく
たぶん、これがこれからの地方のあり方かもしれない
ミラノ国際博覧会は、イタリアの開催である
イタリアは、少企業の集まりだという
一時期ヨーロッパの不採算部門のように言われたが、今健全なる国である
隣のフランスも、農村コミュニティが日本の10倍も有るという

ミラノで学ぶべきは日本だろう

 

 

 

もうすぐホチキス

寺子屋にでかけた

寺子屋という名前があちこちで聞くが、当方の哲学寺子屋は、もう15年になろうか?
老舗の寺子屋だ
たしか… 平成11年ぐらいの年末が第一回だったような気がする
一時期、20名近くの人が参集してきたが、いまではかぞえるほどしかいない

哲学者内山節の著書「戦争という仕事」「清浄なる精神」の読書会である。
しかし最近は、読書会と言う名を借りたちょい飲み会である。
いやいや「飲酒」という精神の習慣を持たない、住職一家の酒蔵の整理整頓の補助である。

今回の寺子屋は、なんだかいつの間にか映画の話になった。
映画を見て感動して涙が出たという
それも洋画だ

文房具の商品名みたいな映画だ
その「もうすぐホチキス、まだマックス」とかいうやつ
なんだか、三助がイッパイ出てきて、やたら銭湯シーンがあるらしくて、それをみて涙を流したという

わけのわからん映画だ

それにでてくる女優がかっこいいと言う
美人できれいで…

どれ?とアイフォンを覗いてみたが…
だいたい毛唐のオンナは、みんな一緒にみえる
山本リンダの髪を金髪に染めたような感じだ
ましてシャーリー・マクレーンとか
シャーリー・テンプルとか
シャーリー。ヨロンとか言うのだが

毛唐の名前は覚えられん
昨日の名前もうろ覚えだ

それに絡んでくる男優がトム・クルーズだったか
トム・ワトソンだったか…
トム&ジューリーに出てくるような名前だ。

最初に洋画をみたときは、男もオンナも誰が誰だかわけがわからんかった
みんな一緒だ!
金髪で、青い目、鼻が高くて細い顔
どうやって区別するのだ!と強く思った

だから字幕が誰がしゃべっているのか、皆目検討がつかない
それで洋画は断念した

だから寺子屋の話の輪には入れなかった。
ただ黙々と発泡酒を口に運んだ。
おかげで呑み過ぎた。

そんな寺子屋の本物が開催される

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第10回哲学の森開催のお知らせ

最近みた洋画は「ラストサ ムライ」を眺めた…
いい映画だった。まるで日本人の俳優が出演しているようだった!

最高の技術

 

寒い!

本当に寒い。
朝、少し気温が上がらないようだから…と、シャツを一枚重ねた
それでも寒い。
食べれば、暖かくなるか?
ところが残り物の玄米に、納豆だ
魔子様は、温かいうどんだ!

腹一杯になって、横になったら少し眠れた。
しかし、目覚めたら寒い。

いよいよ。たまらんようになってストーブに火を入れた

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店はひろいが、ストーブの周りだけ暖かくなれば良い。
寒い人は、ストーブの周りに集まる。
ところが、こんな寒い雨の日に買い物に出歩く人はいない。

 

大体が最高気温が17度だという
今の時期の寒さは成長が遅れる程度で決定的な問題にはならないが
稲は、17度を下回ると成長に影響が出てくる
しかし、それは岩手で言えば7月25日ぐらいの幼穂形成期である。
穂ができるころの低温は、穂が受精しない不稔障害を起こす
それをクリヤーしても8月末の低温は、登熟障害を起こす。
これは種籾に十分に澱粉がたまらない状況である。
稲は、幼穂形成期に籾の数量がきまり、秋に籾の中に澱粉がたまる仕組みになっている
だから穂が出ても、ジョキンと立っているが、溜まるに従って重みで穂が垂れてくるのである。
それが積算温度800℃(品種に寄るが…平均気温の合計(例)20℃×40日=800℃)が必要なのだが、
低温が続くとそれに満たすことができない
平成5年の大冷害は、不稔障害と登熟障害と二つ重なって大凶作となった

そのとき(平成5年)小生は、4市町村にまたがって23枚の田んぼを借りて有機稲作をやっていた。
周りはすべて稲刈りができず、草刈機でなぎ倒していた時に、小生は6〜7俵の収穫を上げた。
有機稲作4年目である。
近所の古老は、「名人だ。名人が現れた」と名指しで褒められた
ちょうど同級生が農業試験場の水田作課長をやっていた。彼に見てもらったら
「たまたま肥料設計が、あたっただけだ」と簡単に言いはなった。
行政は有機栽培を認めていなかった。
その年は、有機でやっている稲作は、収量は少なかったが、壊滅ということはなかった。
「有機稲作は、冷害に強い」と言う評判ができた。

小生の分析では、
有機稲作は有機物を肥料として投入する。それを微生物が分解して無機の窒素肥料として稲が吸収する。
ところが慣行栽培(化学肥料)は、最初から無機の窒素肥料を入れるために、低温になろうと、どんどん稲が吸収する
ところが有機は、微生物が活発に動かないと有機物を分解しないし、無機物として吸収もしない。
だから低温だと窒素肥料を吸収しないのである(微生物は活発に動く温度は25℃以上である)
植物は葉っぱに光合成でブドウ糖をつくる、それが窒素肥料を結びついてタンパク質(アミノ酸)をつくるが、
根から吸われる窒素が多くなると、成長阻害要素が生まれ、成長が止まる。
稲も、吸収した窒素と光合成からできるブドウ糖のバランスが大事なのである
そのバランスを有機栽培の場合は微生物という生物が、気温によって勝手に分解の量やスピードを調整してくれるのである
だから有機栽培は、なまけものの栽培である。と言える(?)

 

その後、盛岡の南である老農に出会った。
その老人は、水田を階段状に作って上から温まった水を落とし、下に来たぬるくなった水をモーターで上にあげて水管理をしていた
そして、その老農がつけていた帳面を見ると、水温や草丈、肥料の量、天気、気温とすベテのデーターが何十年と記録されていた
(篤農家とは、記録する人だ)
その老農の水田の中は、足あとで踏み固められていた。
つまり、毎日のように稲の間を歩いていたのである。
その彼は平成5年の大凶作のとき「あのとき、あそこで窒素を振っていれば、12俵は採れたのに…」と嘆いた。
周囲が1〜2俵しか採れない時に11俵の収量を上げたのである
彼は一株一株見ながら、化学肥料をグラム単位で振って歩いた。
彼は、稲と対話ができる人だった。

有機栽培がいいのではなく。その人の植物を向き合う姿勢なのだろうと強く思った
食べものは、豊作の時に腹一杯食べて、不作の時は食べなくていい、という風に人間の身体はできていない
安定して一定量の収穫を、どんな天気でも作れるのが最高の技術である
有機栽培であろうが、慣行栽培であろうが…。

責任は重い

久しぶりに盛金デモに行った。
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このごろ、道でも、平らな床でも、足を上げたつもりが、上がっていないことがよくある。
まして段差なんかあると、足が上がったつもりで体重を前に持って行くから、引っ掛けて転ぶ。
まったく歳をとったものだ。
昨年夏の入院から、筋肉が落ちて歩くのも難儀である。
いや段差を上ったり、階段を登ったりするのが億劫である。
太ももの筋肉というのは、身体を持ち上げる力を発揮するのだ。
今まで100kg近い体重を、持ち上げていたというと愛おしくなる。

仙台の一件(強風で転んで息子の車で戻ってきた。膝から血を抜いた)が有ってから、余計歩くのに慎重になっている
というわけではないが、盛金デモも、しばらくご無沙汰していた
ましてアッシーの穴田が消えてなくなってから、ますます足が遠のいた
帰りの車の心配をしないといけないからだ。
帰りの車をどう持ってくるか…。
15分か、そこらのために代行を使うのももったいない
(盛金デモへ行くと、帰りはみかんやで一杯やる。それが楽しみである。
「一杯やらなければ、いいだろう!」と言う人もいるが、
「じゃ〜何杯だったらいいのだ!」と反論する(?)

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盛金デモは、ぶらぶら歩きながら夏はビールを…冬は熱燗を…呑むのが良かったが、最近美味しくなくなった。
それも、ひとつの原因かもしれない。

やはり呑むのは、落ち着いて呑まないと…胃袋の形が細長くなっているので、量が限られている。
せっかくの酒がもったいない、
自宅の晩酌は、のんびりと豆腐をつまみながら、じわりじわりと缶ビールを一本、そして白ワインを一つ、仕上げに冷酒を一杯。
それを二時間かけてやっつける。仕上げに汁ものを一碗。

それでお終いだ。食べられなくなった。弱くなった。

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そろそろ人生も終盤かもしれない。
しかし、原発は終盤にならない。終息する気配も見えない。
一体全体、この国の指導者は何を考えているのだ
経済だけで…金だけで…社会が成り立つと思っているのか!

原発賛同者に一つだけ聞きたい
「核のゴミは、どう管理するのだ」
「将来の科学技術が解決する」と言うだろう
東日本大震災やフクイチ、六ケ所や世界の現状を知っても、なお…
科学技術至上主義は、我々が容認してきたのだ。
われわれが、原発を収束させなければ…
責任は重い

田植えⅣ

6月に入り、野菜苗を求める客も一段落してきた。
しかし、本当は今が植えどきなのだが…

もう霜の心配もない。暖かい時折暑い太陽が地面を温め、地温が十二分に高くなっている
植物は茎で育つとか葉が栄養を蓄えとか言うが、根の役割が一番だろう。
葉で酸素と水と光エネルギーでブドウ糖を作り出し、根に送る

その一連の流れを止めるのが「霜」である。
霜は、計測気温が地上よりも1,5メーターのところで測る
その時に放射冷却とか、様々な条件の中で地表が氷点下になる現象である。
つまり植えた作物が全滅してしまう

だから農家は霜のおそれが完全になくなった時に畑に植える
または 防霜対策をしてから植える。
今年は暖かいから早く植えて…などと考えると
「おそじも」という言葉があるように、これ一発で全滅である
自然は、しっぺ返し(?)をするのである

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また植物は子育てに似ている。
ポットで育苗していると、おせっかいにも水を何回もかける人がいる。
過度に水をやると、根が伸びない。常に水が周りにあるから伸びなくてもいいのである
過剰な子育てと一緒である。
甘えさせてはいけない。

また最近、不耕起栽培というやり方がある。
土を耕さないで植えるやり方である。
従来のふかふかの土に定植するよりもいいものが出来ると言う
硬い土に抵触すると根が伸びようとして抵抗にあい、根が太くなり根毛が増える
という考え方である。
しかし、植え始めた初期には、どの程度の硬さまで許されるのか…

また除草しないという考え方がある、
自然の生態系の中で育てる。という哲学的発想である。

 

さまざまな発想があり、現実にやっている人がいる、それは否定しない。
植物はその環境に順応するし、順応できない個体は枯死するだけである。
その生き残ったものを「〇〇農法でやりました」と言って高く売るのは、単なる付加価値農業である。
その農法を続けることで、植物が、その農法に順化して、土も変わっていくことが重要なのである。

つまり「続ける」を耐えることができるか…
「続ける」ということは、おそらく10年以上の単位のことを言うのだろう
だから一年や三年でコロコロ変わる政治や経済で評価をしていけないのではない
「農」は、「文化」であり「哲学」なのである

 

 

 

 

陸羽

以前に一生懸命書いたBlogでも、最近新しい読者が増えてきて、同じ話題をリメイクしないと通じないことがある
以前に書いた記事をもう一度掘り起こすのは、なんとなく同じ果実を二度食べるようで気恥ずかしいが、リクエストに応えてというよりも
自分で一度、振り返って整理して見たいと思う。

「陸羽132号」である、この言葉を聞いて分かる人は、

よほど古い人(80〜90代)か?
それともコアな宮沢賢治ファンか?
稲作の歴史研究家か?である。

陸羽132号は耐冷の良食味の品種として、秋田の大曲試験場で育種開発された
米の育種の歴史は、冷害との戦いとしかいえない。
米が日本で自給できたのは、昭和30年代の後半、最近の話である。
多くの農家が、米を食べたくて、さまざまな苦労をしていた

そこに大正時代に陸羽132はデビューした、
戦前では東北地方の作付面積が一番だった。
宮沢賢治が「稲作挿話」に陸羽132号の名前を出して書いている
賢治が、若者に栽培指導をしているくだりだ。

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最初に「陸羽132号」の名を聞いたのは、紫波にある、今は新しくなったハラペコ食堂だったと思う、
いつ頃だっただろうか?古い食堂の持ち帰りのガラスケースの中に「陸羽132号のおにぎり」とあった。

なんだろう陸羽132号とは?
その時は、そんなことは気にしないで、いつも大盛りの二色ソバを頼んでいた。
ここは、更科系と藪系の二色のソバを大盛りで出すので有名だった。

その後、40歳代初めに稲作を始めるにあたり、いろいろと勉強をした。
頭から入る小生は作業よりも、まず稲の品種や生産体系を勉強してから入るのを常としていた
色々と調べていたら、大変な品種であることがわかった。
現在のほとんどの良食味の品種の先祖であり、耐冷性の元祖で、戦前は唯一無二の大品種だったようだ。
なぜ廃れてしまったのか、それがわからず、それを調べてもう一度復活させねば…という思いに駆られたのは当然である
多くの農家に種籾を聞いてみたが、ほとんど農家は持っていない。
種籾の保管は難しいのである。
温度と湿気があると、カビが生えたり発芽したりして、種籾として使用ができなくなってしまう
そんな意味のないことは行政や農協に任せて、自分たちは更新といって新しき種籾を農協から購入するのである。

そんな中、仙台近郊のスガタという農文協の勉強仲間の農家がホゾボソと更新を続けていると聞いた
食用ではなく種籾用として栽培を続けていれば、毎年更新できるのである。大変なテマヒマがかかるが…
「是非、分けて欲しい」と言ってあったが、それが手に入ったのは、忘れた頃4〜5年たったころだっただろうか?
仙台での農文協の講習会に「田んぼから今抜いてきましたという一株」を持参してくれた。
一株と言うのは、田植えで一箇所に何本か苗を植えるのだが、その苗のまとまった単位である。
籾としては、たぶん3000粒ぐらいだろうが、種籾として使用できるのは十分な比重があるもので半分も満たないかもしれない。
それを「田んぼの隅にでも植えてくれ!」と玉山・西根・岩手町の5軒の農家にお願いした。

田んぼの四隅は、コンバイン(収穫機械)が回転できないので手刈りをする。
その部分を手刈りをして日陰に干すと、翌年の種籾になる
それを二年だろうか、三年だっただろうか、やると3反歩(30アール)ぐらいの種籾になる
3反歩の面積になると、ひとつの栽培の単位になる
農家とは「全量引取する」という約束でスタートしたが、一軒の農家(西根の渡辺晴久)しか残らなかった。

農家も食べてみて美味しくないと判断したのだろう
「全量引き取る」と言っても、彼らは契約など信じない自由人なのだ
なぜ美味しくないか?なぜ陸羽132号が廃れたのか?
そのへんから、いろいろと疑問が湧いてきた

陸羽132号の孫には、コシヒカリがいる。
そしてひ孫には、ササニシキがいる。
どちらも良食味の代表品種である。
小生らが子供の頃、食糧は配給制だった。
と言っても厳密な配給ではなかった。
配給ということは政府が生産・流通・消費も管理していた。
大学で下宿するために「米穀通帳」を持たされたものである。
ぜんぜん意味がなかったような気がする。
美味しいとか美味しく無いとかは無関係で、
単に地域にあう品種よって生産が分けられ
流通は一年を通して味が均一になるように混米し、
消費は、白米を一年を通して食べられる幸せを享受した。

 

それが食生活が洋風に変わってきた。
カレーなどの肉類を多食するようになったときに
従来の米(ササニシキなどの、和食に向くさっぱり系)は人気が少なくなってきた。
それよりも、肉とか魚の味に対抗できるしっかりとしたモチ系「こしひかり」「ひとめぼれ」がもてはやされてきた。
それがある年のササニシキ系の収穫が思わしくなかったので、大きく替わったのである
栽培も短稈(丈が短い)品種が、農家には栽培しやすい(倒伏しない)ので喜ばれた
試験場は、こぞってみんなが取り組める栽培技術に取り組んだのである。

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今にも倒れそうな陸羽132号

時代は変わってきている
肉が高騰している。魚も漁獲規制や、放射能問題
そして中国に買い負けて…
和食が、もてはやされてきた
陸羽への回帰である

そして誰もが作れる稲作ではなく、プロにしか作れない技の時代である
機械さえ持てば、作れるものではなく、
そこに知識と観察力とそれを活かす技の個人の能力が求められる世界がある

そんな時代になるまで、なんとか持たそうと米としてではなく酒として
鷲の尾に働きかけてプロデュースしたものである
残ったら全量呑むと約束して(泣笑)

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利は元にあり

「消費者ニーズ」という言葉がある
消費者の要求というか、消費者の求めるものを提供、または生産をするという商品経済システムのことを言うようである。
ふと「消費者ニーズ」というのは、いつ頃言われだしたのだろうか?考えた

昔は、街に一軒、八百屋があり、魚屋があり、米屋が有った。
家族構成から、家族の好み、そして冷蔵庫が無かったからタイムリーにそれらを供給していた
米屋などは、家庭の米びつの量まで把握していたと言う
また御用聞きと言うシステムが、さらなる細かい注文に応えていた
密接な関係性が存在していたのである。

昭和30年代後半、主婦の店ダイエーができた。
そして、40年代に、あちこちにアメリカを真似た量販店ができ初めた
ちいさな量販店である。
最初は、魚屋や肉屋が様々なものを扱い始めて地域の量販店となり、商店街の核となった
小生も中学生か高校生の頃「北上スーパー」とか「タシマやフード」などと書いた茶色の紙袋を誇らしげに持って母親のお供をしたものである。

それがあっという間に、地域の量販店が大手の量販店に統廃合されていった。
小生が商社に入った頃、「ダイエー担当」「ヨーカ堂担当」「ニチイ担当」などという量販店担当がいた。
原材料の生地を売っていたが、販促にアパレルと量販店を結びつける役目をしていたようだ。

そのころでは、なかったのか?
三波春夫が「お客様は神様です」と高らかに歌い上げたのは…
客が神様になり、崇めたつるものになって関係性が消えた
そして多くの客を集めて、その求めるものの最大公約数を集約した
「消費者が求めるものをいかに提供するか」
そこに科学技術の粋を集めた大量生産が始まった。
「量産することに寄って安価なものをいかに作り上げられるか…」

客が見えなくなって「いいものを安く」の時代になった
と言って、一人ひとりの求める作り上げる技も、方法も消えていった時代である

多分「消費者ニーズの言葉の替わりに消えていった言葉がある
「利は元にあり」という昔から商売の鉄則である。
いろいろと深い意味があるが、簡単にいえば「消費者じゃない、仕入先である。」ということである
大体が「ものがないと商売が出来ないのだ。」

仕入先、生産を大事にしない社会は、どこか一本芯がないふらふらした社会のような気がする
それと、もう一つ教えてもらったこと

「買ってもらう。売ってもらう。商いは対等である」

カネさえ払えば神様だ!という風潮は、ここ30年の話である

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独裁者

決められない人がいる
優柔不断の人である。
もう一人は組織の人である。そして民主主義を標榜している人でもある
代表的なのは公務員である。決めるのは議員がやる。
言われたことを、するだけの仕事でしか無い。
黙って言われたことをやっていれば、少ない税収から多額の退職金と年金が入ってくる。
もっとも陰で議員を動かすような強者もいるというが…
いや小生の友人の公務員たちは、ほとんど公務員らしくない人ばかりであるが…

組織でも言われたことをするだけの人が大勢いる
決められる人は、僅かである
会社はだれのものか?という議論があった
株式会社は株主のものという
小生のサラリーマン役員の友人も、良い提案に
「それはしたいけれど。これはを株主が了解するか?」という

以前、初めて入った会社で先輩言われた
「決めることが仕事だ。決めたことで成果が上がれば評価に結びつくが、失敗したら評価が下がる」
それを繰り返しながら、経験と智慧と判断力が身につく
決められない奴は、仕事ができない奴であるとも

「民主主義」と声高にいう人がいる
多くの人の意見を聞いて、多くの人を納得させる提案に結びつけるという
そこには責任がない
ましてそんな提案ができるはずが無い。人それぞれなのだから
単なる多数決主義でしかない
だから言いっぱなしである

だれも決めない。そして責任を取らない社会が今の日本ではないだろうか…
少数意見をキチンと聞き、過去を踏まえてあるべき将来を考えながら、人を活かしながら
大多数が反対しようとも決断する

「賢い独裁者」が求められる
安倍ではない。

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