ちいさな野菜畑

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カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

金の切れ目が、縁の切れ目

雑穀の畑である

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いや畑ではない。
水田に雑穀を植えて転作をしているのである
転作奨励金がでるからだろうか…
農協ぐるみで取り組んでいる
しかし、組織で取り組まないと難しい。
なんといっても種まきは良いが、収穫が大変なのである
お米の収穫にコンバイン(収穫用機械)を使うが、雑穀用には、できていない
雑穀は、米と違って粒が小さいのである。
だから米用のコンバインを使うとほとんどの雑穀は、地上に落ちてしまう
という話を聞いた
だから雑穀専用のコンバインを購入しないと、大変な労力を必要とする
そんな大型機械を導入しても、雑穀の値段は、収量が少なく、それに比して安い
大面積で合理化して栽培しないと採算に合わないのである
それを岩手県南の農協は、組織ぐるみでやっている

岩手を縦断している4号線沿いを走っても、雑穀畑はみたことがない
どこで栽培しているのだろう
と思いながら走っていたら、横道にそれた山沿いに畑があった。
4号線沿いの南北に走る平野部は、北上川の沖積土だから保水性も保肥性もある良い土である
そこに流れ込む川ぞいのところに栽培畑があった
やはり味の良いコメが取れるところでは転作はしていない

ところが雑穀は県南の文化ではない
岩手県北部の山沿いの小さな畑でほそぼそと作られてきた。
手作業だが家族労働で支えられる仕事だった。
県南は、餅文化である。
餅は低温につよく、商品になるような餅の品種は岩手県南が北限だった
食べる程度の餅は、県北部でも取れていたが…

本来、作物は地域の文化と密接な関係性を持っていた
それは、その地域の風土とともに作られていた
ところが「農政」と言う名の政治や経済性で歪められてきた。
こんどはTPPである。
グローバルという名のものに、地域の文化が根こそぎ破壊されてしまう
それでも「地方創生」という
政治は、やっていることと言っていることが違っても、平気らしい。

 

南部藩は、雑穀と豆の産地であると言う
雑穀と豆を共作していれば、凶作にはならない
どちらかが、収穫できるからである
ところが米と豆では、両方共に凶作になるという
南部藩は、ひどい飢饉に何度も襲われたのは、そのせいだという

自然とともにある暮らしは、続くが
貨幣とともにある暮らしは

金の切れ目が、縁の切れ目か?

転機

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「業界紙に、お前の写真が出ている」と先輩がメールに添付して記事を送ってくれた。
業界紙の記事は、同期の人間の出世話なのだが…
何故か写真の中では、小生が一番手前で、一番大きく写っている。どこへ行っても目立つ奴だ。
30前後のころだろうか…
アメリカに出張した時の写真である。懐かしい面々が一緒に写っている

ふと思った。
人生の転機という言葉を…
この訪米のあと一年後くらいだろうか、その会社を辞めた。
良かったのだろうか?
いや今のことを思えば、そのまま我慢していたほうが良かったのだろうか…
我慢して続けて入れば、今頃は都会の片隅で、孫に囲まれ年金暮らしだった。だろう
いや、そこまで順調に行っているだろうか…
なんせ、その会社は、辞めたあと他の鉄鋼メーカーの商社に吸収合併されている。
そのときに合併に反対する人たちから「一緒にやろう」と話がきたこともある

盛岡に帰ってきて、会社に入り、又東京に呼ばれ、又盛岡に帰り、
「Uターンではなく、Wターンです」と言って人を笑わせたのだが…
それぞれの時に、それぞれの転機があった。
4っつの会社に入り、4っつの会社ともに今は無い。
まさに一つ一つの転機が、ドラマのような展開だった。

 

高度成長期までは、一つの会社に務め上げることが最大の仕事だった
だからいい成績をあげていい学校に入り、良い会社に入った人が勝ち組だった。
だから受験戦争があり、就職戦線があり、出世競争があった。そして定年になった。
戦争だったのである。
多分本当の戦争が終わっても、日本人のがんばりは、別の戦線拡大にいったのかもしれない
そして勝った(?)結果が、現在の社会である。

良かったのか?悪かったのか?わからない。
が、良くはないと思っている。

ふと思う
一つの会社にいて務め上げていれば、それなりに良かったと思うのであろうか…
たぶん死ぬまで、わからないだろう。
いや死んでもわからないだろう!

あぶら

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カウンター席に座って外を見た
ここは、バイパス沿いの車の代理店である
”芋がどうした”というキーの電池が切れたらしい

そんなマークが、車のメーターのところに点いた
キーの電池は、自分で取り替えられるというが
そんなこと覚える時間はない
やることが多すぎるのだ

と言って代理店に行った
そこへ行くと、珈琲のサービスがあって、飴もついてきて、週刊誌も読み放題である
ちょっと息抜きではないが、息抜きである
キーの電池の交換だけではなく、定期点検もタイヤ交換も忘れていたことを思い出した。
スタッドレスはもう、今冬は役に立たないと言う。痛い出費だ。

スポーツ新聞をみていたら代理店の担当者が挨拶に来た
慌てて新聞を閉じた。
見てはいないが、女性の裸が載っているページが開いてあった。
そんな歳ではない。

世間話をして、アベノミクスで地方は疲弊して売上が上がらない話をえんえんとした
そして、盛岡の北は、良い車が売れるが廃車にする人も多いという
盛岡の南は盛南開発ブームに乗って、営業マン一人あたりの台数が多いと言う
先日、内山節さんが
「某◯ヨ◯自動車の悲願は、国内の営業が黒字なることと聞いたが…本当か?」
「それ日経新聞にも載っていましたが、うちも一緒です。
うちの営業拠点は北米・アジア・日本とヨーロパがありますが、赤字で足を引っ張っているのは日本だけです。他も一緒ですよ」
と言う
「それだけ国内では需要が少ないのだ。金も無いけと…」
「海外では、インドですね、インドは順調にと言うか急激に伸びてます。ウチも行っておりますが、軽のメーカーが強い」
「ス◯キだけだね、伸びているのは…」
「ぇ〜でも今年あたりは、ガソリンが安くなっていますから、北米の新車販売は好調のようです」
「しかし、原油は大丈夫なの?OPECが無理に下げいるから安いけれど…」
「今年度は、大丈夫と関係者は言っておりますが…来年辺りから少し上げ基調でしょうね」
「上がったら、一気に上る可能性があるよね」
「それは、そうですね」

枯渇する化石燃料の不安があがれば、さまざまな影響が一気に吹き出てくる可能性が…

食べる!食べない!

”アミタケ”と言うキノコ、知ってます?
なめこのような感じなのだけど、何故か酒呑みは、よく知っている
よく居酒屋で、大根おろしと一緒にお通しに出てくるキノコです
塩漬けキノコとして、年中出回ります。

今が収穫の旬ですIMG_0002
ナラタケ(別名ボリ)と並んでポピュラーなキノコです

 

放射能が検出されました
「検出」というと驚いて手を放す人がおりますが…
きちんと見て、知って、わかって、手を放して欲しいと思います

検出した数値は「20ベクレル」です
その「20ベクレル」も、セシウム37とセシウム34を合わせて「20ベクレル」です。
福島の原発が事故を起こした当時、セシウム37とセシウム34の比率は、2:1でした。
半減期が短いセシウム34は、37より少なくなって現在4:1ぐらいになっております。
このアミタケの数値は、ほとんどその比率の数値になっております
チェルノブイリの放射能は、もう34は出現しませんセシウム37だけになりました。
だからフクシマ由来の放射能であることは確かです。

その20ベクレルという数字の意味が理解できません!と言うか、個人個人でバラバラの理解です。
これを食べると身体に悪い変化があるのか、無いのか…
一応国の基準が100ベクレル以下は販売しても、食べてもいいと、なっております
しかし、原発事故当時、国の基準が二転三転したことや、他国の基準と比べたりで不信感を持っている人もいます。また人工的なものを身体に取り入れることは一切許さないと言って、積極的拒否をしている人もいます。
以前は国の基準が絶対的だったのですが、さまざまな問題で国の基準が、ショッチュウくつがえることから不安視されていると思われます。
総理大臣や政府が、これだけ信用のない国は、先進国では最近聞いたことがありません

しかし、アミタケは、食べないと生きていけないというほどの食材ではありません
まして主役になりきれない材料です。
放射能がでて、「じゃあ〜食べない」という選択もできます。
しかし、秋だ!秋の証拠だ!という季節の旬を感じて、様々に利用できる山の恵を味わうべきではありませんか…
20ベクレルというのは、1kgを食べた場合の数値です
アミタケを1kg食べるというのは容易ではありません。多分50グラムも食べれば満足します。。
秋の味覚をつまんで秋の夜長を感じて一杯やる。そんな豊かさが味わえるのは天然のキノコでは無いでしょうか?
ひょとして、それが岩手の豊かさの証なのかも…

最近、われわれ団塊の世代のがん患者が周りに急に多くなってきました
以前は「がん」というと不治の病だったのですが、最近は医者も、すぐ宣言します
早期発見なら治る可能性が高いからです
しかし、宣言されて、すぐ亡くなるかたもおります。
以前は脳卒中が死因の一番だったのですが、「がん」が一番になり、その原因が色々と取り沙汰されております。
やはり着色料や保存料など合成化学の添加物が多くの原因だったのかもしれません。

いすれにせよ科学の進歩で我々の生活は格段の変化を遂げました
また「食べ物」という分野では、長い年月をかけて壮大な実験をしているような気がします
科学優先で変化を続ける社会なのか…連綿として続いてきた食文化を残して行くべきか
さまざまな局面で、我々の個々の判断が後世に…子どもたちに…影響をあたえるのでは…
多くのことを考えて、食べる!食べない!の判断をしなければ…

 

アミタケは下記文章と共に店頭販売しました
真っ先に売れました。

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ここに住もう

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大雨のようだ。
茨城・栃木が大変だという
そういえば以前行った街はどうなっているのだろう?
と考える。

ラジオを聞き、テレビを見ていると一生懸命「常総市が常総市が…」「筑西市が…」とがなりたてている
しかし、どこかがわからないから平気だ。
今回メールが来た
「多くの人に心配かけたが堆肥工場は大丈夫だった」という
なんと親しくしている米屋の堆肥の倉庫が有ったところだ
何回か!行ったことが有る
川の土手を歩いたことも…
その川が鬼怒川だったのだ
”水海道市”や”下館市”と聞くと、「あっ!あそこは大丈夫か?」と思うのだが…

合併問題がこんなところにも出てきた
ちいさな地区を表したほうが知った人には都合がいい
知らない人は、大きく表示されても小さく表示されても関係ないのだから…

盛岡は大丈夫だ。
晴れるか?と思うような天気が時折顔を見せ
降るか?と思うような雨が小一時間落ちてきたが
そんなんでもない

ただ住んでいる土地は、両側が山である
以前は山林だったが、宅地が開発されて道がコンクリートで埋められた
大雨だと家の前を流れる側溝に雨水が集中する
あふれるか?と心配し、土砂崩れを心配しないとならない

こんなことが起きると、いつも
観測史上初とか、人災だとか、行政の対応だとか
いろいろと言われる
今回もツイッターで言われ始めてきた

100年前以前は、多分、経験から地形的に人が住める、自然の好環境の場所に住んだのだろう
今は科学技術の進歩や土木技術の進歩で、住めない場所に住めるようになった
風光明媚な場所、買い物に便利な場所、人が集まってくる場所、そんな人為的な好環境の場を選んだ。

そして東日本は尾根伝いに移動し、山から食糧を調達したという。
山菜キノコの食文化が、それを証明していると言う
西日本は、沼地から米を収穫し、海から貝を採った。だから平野部に人が住んだと言う

徐々に温暖化に向かっていく日本
枯渇する化石燃料を目前にして
そろそろこのへんで食糧生産をベースに住む場所を考える時期かもしれない

先日、秋田の県南の人が「盛岡に赤松がある!」と驚いていた
マツクイムシは、気温上昇とともに、北上してきている。
農産物の耕作適地は移動しつつ有る。

哲学の森

岩手大学演習林で開催された「哲学の森」に参加した。
と言うか
結果的には、初日の講義だけになってしまった
夜の懇親会と宿泊は取りやめ、翌日も参加を見送った

なんせ諸般の事情が、てんこ盛りである。

初日の講義は後に続く起承転結の「起」の部分であるから、一番大切で、その後どのような展開になるのか興味津々なのであるが、4講のうちの第一と第二だけで、あとは聞きそびれた。
第一講は、経済の原理からアベノミクスの問題点を提起して資本主義の問題と終焉を解説してくれた
非常によく分かる経済の説明であった。経済の原理を単純に説明してくれた
さまざまな立派な事を難解に言う学者が居るが、単純にわかりやすく説明をするというのは内山節しかいない
人々にわかりやすく説明をするというのは、その知識の深さを表す。まさに天才である。

 

 

ようするに
企業は、金を増やして、増やした金を投資して、と言う循環なのであるが
投資した金がマイナスになると、つまり投資よりも減ると倒産をする
わかりやすくいえば、これが基本原理だ
その貨幣を増やす素は「需要」である。
ところがアベノミクスは、需要のないところへ金を増やそうとしている
つまり金融緩和である
需要のない市場や企業に、どんどん金をつぎ込むことによって、
余った金で設備投資をし、従業員の給与を払い、それによって需要を引き出すという政策である
こんな経済政策は資本主義の原理に反しているし、機能するはずがない

それよりも、国内で需要など喚起できない
以前と違って今は、十分に満ち足りているのだから…
トヨタは世界一の売り上げ利益を上げる企業であるが
トヨタの悲願は「国内での黒字経営」だという
ようするに、国内では売上が上がらず海外で伸びているだけである
若者は、非正規雇用などで給料が安く車の維持費が賄えない
まして今の若者は車など欲しいという物欲をもたない

資本主義は、圧力(国の政策・労働組合・環境問題等々)によって伸びてきた
労組のベアや定期昇給の交渉。車の排ガス規制などのさまざま圧力を跳ね返そうとして、
新しい技術や仕組み、機能が生み出され開発されて進歩してきた
ところが規制が外れ自由に行われる市場原理主義によって、資本主義は自滅し社会は劣化した

そこでものづくりではなく、金融資本主義へと貨幣が向かった
そこでは小バブルと、バブルの沈静化(崩壊)が繰り返され、それを最小にする金融政策が行われる。
そこには国が経済をコントロールできない社会が創造された

新しい経済がを生み出す動きが各地に生まれつつ有る
それがコニュニティや共同体という言葉であり
ソーシャルビジネスや農的生活という生き方である

市場が作り出す価値を縮小して、新しい価値観のつながりを目指す という動きが生まれつつ有る

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第二講は、「農的生活」の意味である

農的生活とは、つながりである
農業はつながりを生む世界である
自然とのつながり、集落や消費者との人とのつながりである。
そして農業の中に生活の場がある

内山節氏がすむ上野村の現状を話しながら
ゲゼルが言う
「すべての商品は時間とともに劣化する」
ことが貨幣経済の一番の問題であると言う
交換可能のものはすべて商品であるが、
それを入手する貨幣も一番純粋な商品である。
なんといっても時間とともに劣化しないのであるから

オーストラリアのある都市では「劣化する貨幣」で地域経済を回復したところがあった
そこは時間とともに貨幣価値が下がるので、一生懸命使う
買うのがなければ、先々残しておいてもいいものを買う
そんな貨幣の使い方ができたが中央銀行の横槍で中止になった。
その試みが続けば、どんな社会が創造されたか…

 

破綻

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「島耕作の農業論」を読んだ。というか読んでいる。
そろそろ飽きてきた

内容はと言うと
ローソンの前代表との産業としての農政論
大分の水耕栽培の取り組み
世界一の農業国オランダの戦略
日本の農業の問題と現状

要するに作者は、農業を強く成長する農業にするために合理化された企業の仕組みを農業に応用するべきだ!と言いたいのだろう
産業としての農業を考える点では異論は無いが…
しかし、それだけで良いのだろうか?と想っていたら

最後に久松農園を持ってきた
久松農園は、農業の近代化以前の手法である。
多分久松氏は、考えて考えぬいた結果、ここへ辿り着いたのだろう
50品目の野菜を一列づつ作り、旬のものから出、または注文に応じて出荷するという手法である
これは、都市近郊農業のスタイルとしては、江戸時代の農業である
まさしく、それは小規模複合経営である

 

数年前、電話で問い合わせが来た。
小学校の先生だ!
「子どもたちを連れて農家を見学に行きたい。普通の農家でいいですから…」
彼女の言う「普通の農家」というのを考えた
多分、茅葺きの大きな家と広い庭、鶏が土をついばみ目の前には、様々なものが植えている畑と、青々とした水田。裏山には雑木林。
そんなイメージだろう
そんな農家は、無い!と言っても過言ではない
要するに小規模有畜複合経営の農家である。日本の農家の原点だった。
まさに久松農園は、特定された個人や店舗が必要な物をきちんと植えてある農業である
そこに、野菜くずを餌にする鶏がいて、残飯を食べる豚がいて、あぜの草を食べる牛がいて、敷きワラや籾糠が手に入る稲作もやっていれば申し分ない。
ようするに江戸時代は鎖国の島国ゆえに日本だけで循環する農業でないと続かなったのである

ところがいまは、グローバル社会になって輸出入が自由にできるようになり、種も輸入、農薬も肥料も輸入、そして機械を作る鉄鉱石、プラスチックの石油、すべて輸入である。
その輸入も、化石燃料を消費する船や飛行機で日本に運ばれる。
枯渇する石油文明に乗っかっている農業であり、
大量の残飯と廃棄物をだし、窒素を海に流失する一方通行の農業なのである。

 

農林水産業は風土産業であるという。
土地土地の気候や地形にあったシステムが根づき、それが何百年と続いて現在が有る。
だから他国の農業は参考にはなるが、お手本にはならない

小生はいつも言う
農業は知っているが、農作業はしらない。

農作業は地形や気候に基づく、実際の仕事である
農業は、口だけで人を動かす仕組みである。
小生を含め農業を語る人が、なんと多いことよ
しかし、農作業しか知らない農家も又多い

これからの一方通行の農業は
1バレル150ドルまでは、なんとか耐えられるという話を読んだことが有る
またエネルギー収支では、自然の太陽光を利用する農業が一番安価であるという話も読んだ
今の石油価格の底値が、いつ高騰するのか?興味津々である
そして農業が…食料政策が…どのように破綻するのか?

破綻しないために、何をしなければならないのか?
やはり循環型の小規模有畜複合経営に戻らないといけないのか…

日々の仕事

 

最近本屋に行くことはない
なぜなら、読む時間がないのに本を買い求めてしまうからである

鍼医のそばに、全国チェーンの大きな本屋ができた。
そういう本屋には当然行ったことがない。
本を探すのに大変だからである。
ところが先日、鍼の待ち時間ができた。
しかたなく時間を潰すのに入った。
驚いた!喫茶店があり、文房具、そして中古本まで売っている
世の中、進化(退歩?)している
そして平日の昼日中、大勢の人が、新刊の単行本を抱えながら読んでいる
これでは地方の中小の本屋が、どんどん店を閉めるわけである。

 

共生社会と言いながら、地方の中小企業は厳しい競争にさらされている
しかし、勝たないまでも、負けない、生き残る経営とはなにか?

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そのヒントが、人口減少社会と枯渇する化石エネルギーである。
人口増と共に今の社会や経済があり、それに基づいた発想がグローバル社会である
そして石油文明に乗って発展してきた社会が、ピークオイルを迎え怪しげな原発に頼る不安定な社会。

そんな状況で、確かなものを探し求めているのが、今の社会ではないだろうか?

確かなもの!それはなんだろうか?
貨幣ではない。貨幣は持てば持つほど不安に駆られ「もっと」と言う欲望にとらわれる
そして貨幣の価値は、どんどん変化する。

やはり食べ物だろう
食べ物さえあれば、最低限生きていける。つねに「明日の食べ物さえあれば…」
以前の農家は、8月にならないと、前年度の新米を食べることはなかった、と言う
凶作で食べ物が無くなることを恐れるのである
今、そんな農家はいなくなった。すべてのものを金に換えているからである。
確かなものを、不安定な貨幣に換えている不安感はない
なぜなら確かな食べ物は「腐る」からである。
腐る前に金に変える、当然のことである。
しかし、その金も不安定である。
不安定のリサイクルである。

やはり腐り続ける「明日の食べ物」を得るために
作り続ける「日々のしごと」が確かなものなのか?

そんなヒントを求めに、地域のちいさな本屋に入った。
そこにも、求める本は有った。
求めようという気持ちに対応している店が、生き残るということなのか?

朝から堂々巡りの脳の回路であった(?)

 

仕事

あるひとに言われた
「今が劇的に変わるのは?どんな理由で?いつだろう?」

山本太郎の参議院質問録を読んで、唸った。
今の状況を政治屋は、どう把握しているのか?
政治は…経済は…外交は…そして我々の暮らしは…
様々にリンクして様々に問題が有って、様々な対応が個別になされているが、
今の暮らしが続くのか?
今の暮らしで良いのか?
このさき。どんなどんでん返しがあるのか?
別にさきのことを心配しなくても、このまま続くというシンプルな仕組みであってほしいのだが
なんだか、あまりにも貧困な想像力の政治が、ややこしい仕組みにしているような気がする

政治とは富の再分配であり、外交は無事の世界の構築であり、経済は流通の円滑化である
それだけの仕事である
それらの”仕事”が確実になされることによって、人々の暮らしの安定がもたらされる!
ところがその「仕事」の捉え方が違ってくると、大きく変わってくる
仕事が「稼ぎ」だけになってから、大きく変わってきたように思うのだが…

 

その稼ぎは、枯渇する化石燃料に乗っかっている。
もうすぐだ。化石燃料が高騰するのは…

そして人口減少社会である。これは今まで対処したことのない社会である
稼ぎの捉え方が大きく変わってくる可能性がある
たぶん今までのルールや法則や常識が、殆ど通じない社会が生まれてくるのだろう

そんな社会にも、淡々と、生きていける生き方、暮らし方を探さねければ…
それが多分、これからの残された人生の大きな仕事かもしれない

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ほんせき

役場に行った
役場と言うと村役場や町役場を連想するが…
そして職員は腕に黒の手甲や腕貫、腕袋などをつけ
耳に鉛筆を挟んだ禿頭のちょびヒゲのおっさんを思い出す
なんだか漫画の世界だ

今の役場の窓口は、若い女性が賑やか軽やかに対応している
これだけクールビズをうたっている社会なら
もっと薄着で対応して欲しいと、胸の谷間を覗きこんでいる入道である

なんで役場なんかに行ったんだ!
胸の谷間を見に行ったのか?と思うだろうが
違う

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母親の本籍を知りたかったのである
徘徊する人と探すネットワークと言う届け出がある
酔っ払ってその辺に寝てしまう人も…(?)
警察から社協から、施設から、写真が回ってすぐ見つけ出すという
すごいシステムだ!流石高齢化社会!これなら安心して呑みに行ける

その書類には「本籍」という項目があった。
免許証に「本籍」と言う欄が。昔あった。みたら今は無い。
「本籍」もう死語になったと思っていたら、まだ生きていた
本籍の由来を知らない
多分、本妻の籍が入っている箱か?
そうすると愛人の籍は、相席か?
又でてくるトラ子の籍は、戸籍か?

などと考えながら役場に行った。
役場のねぇちゃんは、親切に対応してくれたが
驚いたことに個人情報で、がっちり守られていた
母の「住民票」を取ろうと思ったら
同じ住所の世帯員でないと入手できない、と言う
「同じ敷地にすむ息子なのですが…確かに住まいは別棟ですが…住所も二番違うだけで…」
そして”委任状を書いてもらえ”と言う
認知症の老人に委任状を書かせることの意味をわかっているのか?
まして「印鑑ではなくボインだという(訂正 拇印)」
認知症の老人は全てに懐疑的である
親切にされるある面では、瞬間的に絶大な信頼を得られるが
金銭的なことでは、長い期間、疑いのまなこである
「通帳がない。」「財布がない。」
毎日がその戦いであり、探しては見つかり、見つからなくては探す
「盗った。」「取られた」の繰り返しである
預金通帳に一緒に行った人の名前を書いたばかりに、
「あの子も盗った」と言いつづけている母もいる
その時は正気でも、後から変に捻じ曲げられて記憶される可能性もある

これだけ認知症患者が増えて社会のある程度の問題を引き起こしているのであるから
なにか対応が必要だと思うのだが

認知症には後見人が指名されればと言うが…
手続きが難しいのと、その後の書類の整理が煩雑だという

 

そんなことを考えながら世界一の川を歩いた
役場のそばで流れている川は、世界一の川だという。
川と土手や歩道の間に柵がない。人と川が一体になった珍しい河川だという
国土交通省が”人を守るために柵を作れ”という法律にも、現場がしっかりと反対して
「柵のない風景(親水河川」を守っている世界一の川という人がいた
まるで関係性世界の風景であるが、関係性を大事にする役場であってほしいものだ

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