ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

報恩講

報恩講の案内を掲示するのを忘れた。

EPSON MFP image

基本的には「政治」と「宗教」と「おかしな営業」は、店内の掲示板、ブログに載せないことにしている。
が…

これは別だ。

以前、怪しげな集まりの案内を持ってきた人に
掲示を断ると
「宗教と哲学と何が違うのだ?」と文句を言われたことが有る。

また「経皮毒」を説明すると言って「シャンプーを売りつける案内も来た。
どうやら新興宗教くさかった。

間際らしいパンフレットが時々紛れ込んでくる
が…

これは別だ

 

「内山節」は小生の師匠である。
もう付き合いは長い。
師匠と言いながら、不肖の弟子である。

思っていることの何分の一も出来ないものだ。
思っていることと理解していると違う。
ということを実感している。

どんな話をするのか、多くの人に聞いてみて欲しい。

裸足と靴

二人の人間に会った。

一人は問屋の老セールスマンである。
一人は福祉施設の若き代表である。

老セールスマンは、嘆いた。
「流通業界は壊滅です」
「地方の小売店は、どんどん廃業に追い込まれている」
「大手の需要先は、本社で決めてくるので地方まで回ってこない」
「仲間の問屋も、人が辞めていく」
「運賃も人件費も、どんどん上がる」

福祉施設の代表は
「施設に子どもや老人を呼び込むことをやっている」
「地域の人に、施設を利用してもらいたいと画策している」
「様々なことをしてきた、福祉タクシーや福祉弁当、
上手く行かなかったが、やり方ではなかったか…」
「地域に根ざすと、さまざまな小さな需要が見えてくる」

 

そういえば、昔、読んだコラムがある
「裸足と靴」というショートストーリーだった。
商社マン二人がアフリカに靴を販売するという特命を受けた
一人は、アフリカの現地人を見て言った
「これはダメだ。みんな靴を必要としていない裸足だ」
もう一人は
「これはいける。みんな裸足だ。いくらでも靴を必要とする」

 

たぶん大きな目で業界を見ると見えてこないものが
目先の地域の個々の訴えを塊にすることで解決することが有るのかもしれない。

ふと積雪7センチの朝、想う。

少欲知足

さまざまな大企業が、さまざまな問題を起こしてマスコミに騒がれている。
ほんの少し前

大企業(一部上場会社)という信用は重かった

商社に入社したときに

一流のところからものを買って、一流のところへ売るのが、一流の商社だ。

と教わった。
一流のところは、万が一問題が起きても対応は万全だ。と想っていたが

「万が一」どころではない。
頻繁に…と言うか、常態化している問題が数多く起きている。
これで一流の大企業といえるのか…
一昔前の言葉が、だんだん軽くなってきた

これは企業の問題ではなく
たぶん資本主義の問題なのではないだろうか…
「そういう宿命にある」という…

資本を投じて利益を上げて経費を賄うと言うシステムは、常に拡大を伴う
その拡大が一杯一杯になってきたのではないか
拡大しないで分散を望んでも、こんどは企業の精神が薄まる
ようするに二流三流になってくる。

はちきれそうに膨らんだ大企業と
二流三流に落ちこぼれた小会社グループと…

そんな大企業グループと、新興企業の争い

 

そんな構図が頭のなかに浮かんだ。

いずれにせよ
グローバル、はどこかで行き詰まるだろうと思っていたら
さっそく自国最優先のトランプが出て世界に広がっている。

そこから戦争になるのか…

その土地に根ざした循環型家族経営が、一番安心できるのか…
ところが人間は、「野心という向上心」をもった動物である

「少欲知足」と言う言葉が、身にしみて思うのは、いつのときか…

冬の時代に向かう朝の戯言である。

教えて欲しい

フェアートレードのチョコレートが並んだ
恒例の冬の商品である

いつも売っているのだが…
いつも思う
フェアートレードは良いことなのか?

ようするに海外の貧しい国の生産者から直接購入することによって援助する
ということらしいのだが…

貧しい国!貧しい人々!と言う位置づけが、こちらの上から目線ではないか…
経済的に優位に立っているから支援する
しかし、精神的には優位に立っているのだろうか…
また、金銭的に援助することで、貨幣経済に巻き込んでしまうのではないか?
彼らはちがう価値観で生きているのだ

ブータンは幸せ度が世界一だという
さまざまな国の幸福感が違って良いのではないか?
それを資本主義拡大経済の中に引き込んでしまうのが良いのか?

いつも考えてしまう。
正解はみつからない

教えて欲しい

ファスト風土化する盛岡

新聞か…ネットで読んだ。

大手ショッピングモールや、コンビニチェーンが、「事業本体では赤字だ」という

ようするに、本業の物販では利益は出ていないと言う
不動産や金融で利益を出していると言う

大手は金が回っているから金融機関がカネを貸す
その金で不動産投資や、金融で利益を出す
大手の輸出産業も為替差益である。

土地を借りて(買って)建物を建て、人を雇って、商品を仕入れて、利益を載せて販売する。
と言う仕組みが、成り立たない世の中になってきた。
一番目立つのが、地方の中小零細小売業である。

老舗の中小零細小売業がどんどん廃業に追い込まれている
盛岡でも何軒もでてきた。
盛岡は、商業の町である。
高度成長経済期に溜めた金を不動産に投資して、それを売り払って生き延び、店主の年金もつぎこんできたが、いよいよ尽きてきた。
それ以降のトレンドに乗って開店した新しき店も続いていかない。

当時、東北では唯一シャッター街が無いと言われた盛岡の街も
H15年のショッピングモールの出店から始まり、モールが街を囲むようにでき、中心市街地の商店街は壊滅という状況に陥った。

その出店反対運動の公聴会(?)のときに、若者が大きな声で発言した

「モールが来ないと盛岡は遅れてしまう」

まさに、たった15年で盛岡は他の街に遅れず「ファスト風土化する盛岡」と横並びになった。

ちいさな個性的な店が集まる商業都市が、盛岡だったはずなのに…

特別に個性的で、地方に根付く小売業でありたいと思う「ちいさな野菜畑」であった。

 

 

アテンダント

以前、「アテンダント」と言うものをやったことが有る。
新宿で一番大きいデパートで、一日付ききりで説明をする仕事である。
ついでに品物が売れれば、それが一番いい。

商品は「遠赤外線」である。

当時遠赤外線は、コマーシャルで流れていた。
有名だが、誰も本当のことは知らないと言う”もの?”である。

赤外線は知っているが、触ったことがない!という人ばかりだ?
そんななか、「遠赤外線とはなんだ?」という説明をしなければならない。

 

一応パネルを飾り、説明用の商品を持ち、手持ち無沙汰だった。
ひやかしのような客も来た
真剣に問いかけてくる客も来た。
何もわからない人も来た。
詳しい人も来た。

アテンダントというのは、最初の一言でどの程度の知識を持っているのか?を判断して説明をしなければならない。
こちらの知識を総動員して説明しても相手がそれを上回る知識を持っていたら聞く耳を持たないし、売れない。
相手が知識を全然持たなかったら、いくら説明しても意味を持たない。
相手の持っている倍の知識を持たないと、わかりやすい説明は出来ないのである。

遠赤外線の石というのが、商品に有った。
天ぷら鍋に入れると、からりと揚げる
甘藷を焼くとホクホク焼ける

と言う物であり、ある意味では偽物である。

 

面白半分に買っていく人がいる。
「嘘だろう」と突っかかってくる人もいる。
そういう人には、本当のことを言う
天ぷら鍋に入れると、石に蓄熱されて油温が下がりにくいのです。
だから高温でカラリと上がります。別に遠赤外線のせいではありません

甘藷は、温かい石に漬けると伝導熱で均一に焼けます
調理の基本は「均一」です。だから美味しく焼けます

遠赤外線は輻射熱ですから接して、遠赤外線効果があるということはありません

そろそろ遠赤外線の下着が売れる頃です。
遠赤外線を発するという物質を編み込むことに寄って、そこに蓄積されて暖かさが持続します。温めるまでに体温から熱が奪われます。

しかし、世の中、”効果があれば理屈はどうでもいい”と言う人が多いのである。

だから「一人ひとりの相手に納得させる」というのが、アテンダントの仕事である。
そしてそれは、営業としての仕事でも有る。

売る

最近「売る」ということを考えている。
「売る」とは、どういう事か…
単純には「ものを金に換える」事なのだろう

昭和40年頃から、末端の小売業が変わってきた。
食品では八百屋・魚屋・肉屋から、スーパーになってきた。
雑貨も量産品がでてきてから、スーパーで扱うようになってきた。
ようするに日本型〇〇屋が、アメリカ型量販店になってきたのである。
それは物を並べる、欲しい人が選択して選べる。と言う方式である。

それまでは、ものが乏しかった。
小売店がお客の顔が頭に浮かび、市場や問屋から欲しいものを代わりに選んでいた。
だから小売店は、客の家族構成から好きなものから好悪の判断基準まで深く知っていた。
その時代は、戦後と呼ばれていたが、そこへ高度成長期がやってきた。
不足していた物資が、生産設備の改良や流通ルートの整備でどんどんものが溢れ、選べるようになった。
そしてスーパーと呼ばれる量販店である。
効率化した店内は物が溢れ、人々は選ぶという楽しみを知った。
大きな店内に豊富なものが溢れ、中小の店は駆逐され、商店街が消えた。

「それも時代の流れだ」と言いながら、その影で買い物難民がひっそりと生まれていた。
今は、団塊の世代が大量に定年を迎え、車の免許を返上し、団地は歯抜けとなり、子どもたちは都会へと就職し、コンビニは過当競争で人口減少下の街は撤退が続く。

ものは揃っている、ネット環境も良い。
贅沢さえしなければ、何もいらない。
テレビとパソコンで情報は入る。ネットで物は届く。
食事も弁当が配達されれば…
一日話をしなくても、済む。

そういえば東京に住んでいる人が言った。
「朝から晩まで、一日話しなくても良くなった」
生の言葉を聞くのは、コンビニの

「いらっしゃいませ、こんにちは」

である。

初めて営業という仕事に携わったときに

「売るとは、自分を売るのである」

と教わった。
「会話の中で、さり気なく相手のきもちを聞き出す」
相手の気持を読み、何を考えているのか…を想い
察してやる

ものの説明をして、ものを売ることではない。

そんな会話が無くなったときに街のコミュニティも無くなった。
それを復活する方法を、今作ろうとしている。
しかし、今の若者に、そんな会話ができるのだろうか…

替らないと換えれない

世の中、選挙である。
どうやら選挙一色と言う表現があたっているのだろう

選挙となると店の売上も落ちる。
それを言い訳にしても、上司に報告をする立場ならそれでも良いが
銀行に報告するには、言い訳にならない。

ずっと選挙で投票してきた。
選挙に直接関わったのは学生のときのアルバイトだった。
戸別訪問だった。玄関の戸を開けてチラシを渡すだけだったが…
ある家で「こんなことをしていいの?」と言われて答えられなかった。

それ以来、選挙に直接関わったことはない。
関わらないようにしてきた。
ただ新聞を読み、テレビのニュースを聞き、最近ではネットの情報を聞いて自分で判断し投票してきた。
そして、そのとおりに選挙結果がなったことが少ない。
どうやら世間大勢の人の思いと、自分の思いが違うのだろうと思う。

組織にいる人、利害関係がある人、そんな関係性で判断する人が多いのか…
それ以上にマスコミのイメージ戦略で動く人が多いのか…
現状に慣れて変化を求めない人が多いのか…

とある人が言う
「今回は誰にも頼まれないから…誰に入れたらいい?」と言う
そんな人も一票なのである。

 

地方の中小企業は
毎日の作業は、変わらない効率化を求めるが
毎日の仕事は、換わる決断の日々である

変わることに慣れないと換えられない

 

有名な人

サイコパスと言う本を読んだ。
アメリカのトランプ大統領は、サイコパスだと本の帯に書いてあった。
トランプがサイコパスなら、ビジネスマンはすべてサイコパスではないか?
そんな思いをもって、本を買った。

昔、と言ってもそんな大昔ではない
「羊たちの沈黙」という映画をテレビで見た。
その時の博士(?)というべき主人公がサイコパスだと言う。
相反する性格が一人の人間に現れる…
その程度の知識なのだが…

 

読み進めながら、ふと今まで人生の中で、
「あの人はサイコパスだ!」と断定できることに気がついた。
30代に出会った人で、40代までつきあったが…
50代60代は、小生の思考に大きな比重を占めていた。

最初に会ったのは面接だった。
30代前半、東京から盛岡に帰ってきて面接を受けた。地方では大きな会社の廃棄物処理業の子会社だった。
彼は現場の長という立場だったが…
その仕事の内容や進め方、将来の方向性など、彼しかわからなかった
しかし、彼の上司は、彼の言うことを受けれなくて悶々としていた
そこへ飛んで火に入る夏の虫のように小生が入社したのである。
彼は辞めようとしてところに、若く生きのいいが部下に入ってきたので息を吹き返した。
かれは壮大な夢を語りだした。

当時、岩手には大きな家電メーカーの工場が進出していたが、廃棄物の処理の問題が起きていた。
大手の廃棄物を、きちんと処理をする廃棄物処理業者が岩手には無かったのである。
それを”処理しますよ”と声をかけて営業し、運搬し、中間処理をし、最終処分をする仕事だった。
彼は、熱分解溶融炉を導入し、溶融したものから金属を取り出すことを考えていた。
要するに処分費用をもらって、貴金属を回収し販売することで二重の利益をするというはずだった。
ところが処分費用は大手は納得すれば出すが、中小は出せるところが少なく、処分費用はランニングコストもでず
回収するにも、貴金属の含有率が低く到底採算に合わなかった。
(回収して採算に合うようなものだったら排出事業所がとっくにやっている)
結局その仕事は頓挫し、遅々として処理業者としての経営も上手くいかず、小生は友人の依頼で再び上京し転職した。

彼は、その後も東京にいる小生にコンタクトしてきた。
そして4年後、勤めていた会社で内紛が起き、嫌気が差したところへ彼はやってきた。
「是非、岩手に帰ってこい。面白い仕事がある」と…
彼が考えていたのは、有機農業と廃棄物を組み合わせた仕事だった。
彼は一見、学者みたいな雰囲気を備えている
落ち着いた語り口、眼鏡の奥から鋭い細い目でにらみつけるさまは、黙っていれば学者然としている
その彼の語りだす言葉は情熱にくるまれて熱い。

工場から廃プラスチックを処理費用をもらって高温で焼却しその熱を利用して椎茸ハウスを運営する
その椎茸ハウスのホダ木を堆肥に製造し、農家に販売し、自家でも野菜や米を生産し、消費者に販売する
そして処理できないような廃棄物は、溶出しないように固めて地中に埋め、
その安定した地盤に水耕栽培をし当時流行っていた水耕栽培のハイポニカ農法でトマト栽培をする
その野菜くずは、すべて養鶏のエサにし、米の籾殻や稲わらは、敷きワラに…そしてその敷料は堆肥に…
堆肥には食品工場からでてくる食品残渣や、解体した中小家畜をも混ぜ込む。
ありとあらゆるものが循環し、当時の有機農業の最高技術を集めた仕組みだった。

ころっと騙された。
いや騙す気はなかったのだろう
彼は夢を語ったのだ。
それに乗ってしまった。

農業生産法人をつくり、合鴨農法を岩手で最初に実践し、有機農業を滋賀県にいって勉強し、椎茸施設園芸を学びに島根まで行き、熊本には油槽タンクの洗浄を習いに…、焼却炉の導入で香川に…、全国各地に勉強と実習で駆けずり回ったのが40代前半だった。

ふと気がつくと、施設や仕事は、どんどん進んでいるが…
資金が続いていかなかった。
それ以上に、一つ一つの採算が合っていなかった…
結局、農業の常として単価を高くしても、自然のものだから生産量が安定しない。
生産量が増えても、客は急に増えない。
それ以上に投資金額が多くて原価がかかって、それが値段に反映できない
そして一番の問題は「いいものは、売れる」という彼の意識だった。
販売力が決定的に欠けていた。

資金を担当していた彼に経営内容を聞くと…
彼は嫌な顔をした。
それ以来徐々に離れていった。
決定的だったのは「直売所をやりたい」「毒喰らわば皿まで…経営内容を教えてくれ」といった事だった。
彼は、湯気を立てて怒った。
何故怒ったのか?わからなかった。

 

辞めたあと、彼を被告として訴訟をおこした。
裁判所の受付に行くと訴状を見るなり
「あ〜彼ね!彼は取れませんよ」と受付の事務の人が言った。
裁判所では名前だけでわかる有名な人だったのだ。

 

しかし、誰だって相反する二面性はある。
その葛藤に悩むの人間なのだが…
だんだん自分も、サイコパスのような気がしてきた。

種子

農業は産業ではない。
ということを一貫して主張している。

わかりやすく言えば「農」と言うのは資本主義社会による、「仕事」ではない
では何か?「なりわい」である。

生きていく上で、一番必要なものであり大切なものである。
それが資本主義社会の中で、他の業種と一緒に考えられるわけがない

車がなくても生きていける
電気がなくても生きていける
家がなくても…着るものがなくても…
つまり衣食住のなかで、とりあえず「食」べないと生きていけない。

生きていくと、寒さに耐える「衣」が必要で…
夜露をしのぐ「住」が必要で…
それら必要なものを作り出す「技」が必要で…
技を持たない人が交換する道具として便利な「貨幣」が必要なのである。

 

その食べものを作り出す根幹は、種である。
その種が資本主義社会の「仕事」という位置づけに置かれ、我々から取り上げられようとしている
本来は我々の「なりわい」だったのに…
種子法の廃止である

主要農作物の種子法という法律が日本に有る
主要農作物とは「稲・小麦・大麦・裸麦・大豆」である。
その種子は、各自治体に品種の育種開発が義務付けられていました。
それが廃止になる。
民間に移すことに寄って民間の活力が促され、経費が削減されるという目的のために…
民間の活力と言うが、民間の資本力と言い換えたほうが…
そして資本力は、グローバル経済のでは海外の大手化学種苗メーカーも含まれるのである
「(資本主義社会の)経済の活性化」である。

経済というのは「世をおさめ、民を済う」経世済民と言う言葉からきている
たぶんこの国の政治家は間違っているのではないかと思う
資本主義社会は狭義の貨幣経済と言うように取っている
「経済最優先」は本来の意味に戻らないといけない

民を済うなら根幹の種を守らないと…

種を守ろうという運動が有る。
種子法廃止に反対する運動である。

そして地野菜の種採りをしながら南部の野菜をつなごうとする若者がいる
そんな若者を応援したい。

 

 

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