ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

おくりもの

紅伊豆?サニールージュ?

ぶどうをもらった。御礼だとおもう。
”本を贈ってやった”だけなのだが…
それも自費出版の非売品を預かったものだから、かかった費用は運送料だけだ。
まぁ、いただきものは、ありがたく感謝していただくことにしている。
以前は良かったが、二人暮らしになり、店もしめて人付き合いが少なくなると
大量にもらうと、こまる。
子どもの頃は、そんなに貰い物というのも無かったが…
 最近は貰い物が多い。それどころか農家と付き合うと大変なのである。
食べきれないほど、大量にもらう。
彼らにとっては、野菜は商品なのだが、規格外も大変多くでてくる。
つまり規格外は、農協に出荷できない、
出荷できる産直は、みんな同じ品種で値段のたたきあいになって残る。
出荷の日の朝の産直は、前日の残り物交換会の様子を呈する。
農家でない人が来ると「それもっていけ。これでもかあ〜」
もらった街場の人には、大きくなった子どもたちもいない、
人付き合いも年をとってくるとあまりいない。
仕方がないから隣近所へと言っても、周りは老人世帯ばかりだ。

哲学者の内山節から聞いた話。
「昔は、自家用の畑が見えるところにあって、ちょっとした御礼には
できが良くないトマトが成っていれば、熟した赤いトマトを持っていってやり、
お返しに、まだ大根が小さければ、大きくなった大根をお返しにもっていって、
きゅうりが病気になっていれば、良いきゅうりを持っていき、
漬物が上手ならば蕪を…白菜を…と」
村人は畑を見渡して7〜8回お返しを繰り返すと
部落の人が、だいたい行き渡って過不足が解消された」
贈り物は、そういう意味で過不足を平準化するための文化と言う一面もあった。

最近、お返しは金銭になり、
それも、ほとんど単価がわかるような…
結婚式や葬式も、本が贈られて、それから選ぶようになっている
合理的といえば、合理的だが…
なんとなく、温かい心が感じられない気がするのは、古い人間なのだろうか…
旬のときに旬のものを、少しだけもらうと、なんとなく嬉しくなる。

しゃらくせー

中の橋のシンボル
発酵研究会

開店準備の次の展開が見えてきそうだが…
なかなかスムーズに行かない。
そんなときに気分転換でもないが、真面目な研究会に出てみる。
赤レンガ館のそばである。
暇だから早めに行ったが、一番最初だった。

発酵研究会の会長は、鷲の尾の若社長である。
「客が少ないので中央付近に…」と言う
なるほど、いっぱいになったら300は入るところに、20人だと言う
人集めは、いつも大変である。
有名人を呼ぶとか、ビジネスにすぐ役立つというなら、人も集まるだろうが…

今日のテーマは「ナトカリ食品」である。
発酵研究会でナトカリ食品?
要するに保存や漬物の発酵食品に塩で保存するのを
”減ナトリウム・増カリウムの塩”を利用しようと言う運動の団体の発表である。
ナトリウム摂取をへらすと血圧が下がり
カリウムの摂取を増やすと血圧が上がりにくくなる
だから結論として
塩分を1日10グラム以下にして(減ナトリウム)
野菜を300グラム以上食べることにしよう(増カリウム)
というのが今の状況にある
こんなのは絵に描いた餅だ!と言う主張である(すばらしい
塩を減らすと美味しくなくなる
野菜や果物を毎日300g以上などというのは(兎になれということか?)
豚にみたいに太った奴ばかりで、兎のようなすばしっこい奴は見当たらない

つまり塩味を残してナトリウムを減らし、
カリウムを増やす調味料(ヘルシオライト(塩)を使おうと言うことらしい




これは良いかもしれない。味にこだわっている。
減塩とはいえ、塩味が無い食品なんか食べられたものではない。
塩味を残しながら、カリウムのエグい味を出しゃばらないようにする。

塩というのは重要である。塩味のしない料理など、
菅義偉のいない安倍内閣のようなものである(?)

そんな話を聞いて第二部は、
岩手大学生が日本酒を作るというサークルの発表会である。
こちらのほうが興味があったが、「岩手大学」と言う酒を売っていた。と言う
その在庫が無くなりかけているので、作ろうという話らしい
若い人たちの日本酒離れは、顕著らしい
その原因を、はっきり掴んでいないという
自分たちのことだから、そのへんをきちんと把握して取り組まないと…
と思うのだが…
 小生が学生時代のころは、二級酒しかなかった。
九州の奴は焼酎を呑んでいたが、焼酎は労働者が呑むものだ。と言って嫌った。
そうなのだ!学生には日本酒、それも二級酒しかなかったが、
コンパで、バーテンのアルバイトをしていたおかげで、洋酒はたらふく呑んだ。
と言っても、トリスやハイニッカ、サントリーレッドなど安物ばかりだったが。
当時は、みな貧乏だった。
バイト代が入ったときだけ、行きつけのスナックで、
ハンバーグにオールドの水割りを呑んだのが至福の夜だった。
今の学生は、ワインやカクテルだという。
しゃらくせー!
と言えるのも年寄りのなせる技だろうか…

オール電化の豊かな暮らし

5年前だろうか…
ある大手新聞の地域版のコラムを担当していたことが有る。
今頃だろうか…トランス故障で店が停電になったことが有る
そのときに書いた「コラム」が”没”になった。
多分、大手広告スポンサーである電力会社への忖度であろう。
下記は、そのときの原稿である。
関東でも、まだ自然が残っている千葉の房総
被災した施設の担当者や、若い人たちが「オール電化でどうしようもない」
と言っているのを聞いて思い出した。
自然は、想定外である。想定外にどう立ち向かうか?
エネルギーの多様性しかないと思うのだが、
原発再稼働が取り沙汰されるのでは…

DSCF0960
東日本大震災のときも大活躍した薪ストーブ。薪は間伐材である。

以下原稿〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

店が停電になった。
「トランスの故障で交換が必要」と言うことで、回復まで夕暮れ時の4時間、電気が通じない状況が続いた。冷蔵庫・冷凍庫はもちろん、照明もつかない。
唯一暖房だけは、薪ストーブによってようやく暖を取ることが出来た。
数日前にも近所で停電になった。
その家では、暖房も全て止まり、「寒くて困った。」と嘆いていた。
電力会社の対応も拙い点があったが、
修理に来た車には「HOT&GOODオール電化で豊かな暮らし」と書いてあった。
電気が止まるとほとんど生活が出来ない暮らしは、本当に豊かなのだろうか。
やはり生活防衛としてエネルギー源は、多様な方が良いようだ。

農家を回っていると納屋には大きな冷凍庫が大体おいてある。
ある農家の嫁は
「冷凍庫が二台もあり、祖母たちが何年前のイカも保存しているが、
 食べられる代物か?電気代がいくらかかるか…」
別の農家は
「孫が遊んで電源を落として、冷凍庫のものがすべてだめになってしまった」
という
冷凍保存が、万能のように思っているが、
タンパク質はマイナス70℃以下でないと変成してしまうと言う。
岩手は、厳しい寒さの冬が長い。
電気が無い時代は、多様な保存法があった。
塩蔵・乾燥・発酵・むろ等々、そして、その一つ一つに塩加減や、乾燥度合い、発酵菌の種類など、様々な智慧が活かされていた。
先人の技を見直し、化石燃料に頼らない、
地域資源のエネルギーによる暮らしが、いざというとき一番強いように思う。

大より小…?

有る研究会に参加してきた。
自家焙煎の中国茶や、海辺のちいさなハーブ畑で作っているハーブ茶
そして地域活性化という名目だろうか
巨大なホップ畑で、まるごとホップからビールまで販売しようとする
ガリバー型企業の戦略の宣伝(?)である。
しかし、この話を鵜呑みにして聞いていたら
すごい企業が進出してきたと思うだろうな…
これでこの巨大企業は民話の里、遠野を飲み込んでしまうのではないか?
と思うような戦略だった。
某自動車メーカーや、某電子機器部品メーカーのように…

ビールは、一般的には麦芽とホップと水で作られる。
そのホップは東北地方が国内産の96%だという
そして遠野は日本一の栽培面積だという。
岩手県はなんと行ってもダントツの一位なのである。
 豆腐の消費量や靴屋の数が日本一と並ぶのである(?)
ところが高齢化の後継者不足で、
人も面積も生産量も、最盛期の1/5になったという
なるほどそうだろう!と普通は思う。
しかし、ホップなどという商品は一企業(ビール企業)の原材料であるから
企業の売上の生産管理からすれば十分にわかっていたことである。
たぶん思うに、ほったらかして海外に求めていったのだろうと思ったら
やはりホップの自給率は10%だという
資本主義の拡大経済で、缶ビールの売上をどんどん伸ばし、
原材料も海外へ求め、ふと気がついたら国産ホップが無くなりかけ、
地方には雨後の筍のようにクラフトビールが次から次へと現れ、
目先は良いが…先行きは…
慌てて産地をおだて上げ人を投入し、地域活性化のもとに補助金を利用する
典型的な大企業のやりかたであると想像する。
あくまでも想像である。
それをパクリとくわえる地方自治体。
後は利用され捨てられる運命だ!(可愛そうな恋に溺れた女性だ)

そんなことはないな?と思いながら
ちいさな北限の茶を栽培したり
海風のミネラルたっぷりのハーブを栽培したりして
そに人を思いながら愛する地域の人が助け合う形で利用する、
そんなものが生き残れるのではないかと思う今日このごろ

価値観

多くの争いごとは価値観の違いだ

以前、被告になったことが有る。
たわいもない事だが、
「契約した検査書を渡さなかったので、損害を受けた。」ということだ。
原告は、産直に出す”タラの芽”の放射能検査のデーターを産直から求められ
比較検討の結果、一番安かったからと当店に依頼した。
なんせ一律1000円(会員なら500円)という格安でやっていたのだ。
渡すときに「農家が産直へ提出する商業用検査書だ」と気が付き、
商業用ならば、通常の料金8000円を請求した。
なぜなら当店の1000円という検査料金は、食べ物を売るところの社会的責任で市民に安心と安全を果たすという意味があった。
ところがその農家は「社会的責任」という意味がわからない。
最初の調停でも、次の簡易裁判所でも、上告した地方裁判所でも
彼の主張は、一貫して
「1000円で請け負ったのにデーターを渡さない!契約違反だ。」
次々と替わる裁判官も、ついでに出てくる参与員にしても時間のロスである・
裁判官もほとほと呆れ果て、こちらに泣きついてきた。
「なんとか三分の一でも払ってくれないか?」
そうなのである
「請求金額が33000円」なのである。
「当店に不備があるとすれば検査依頼書を受取ってしまった」ということでる。
「仕方ないですね10000円払います」と言って決着した。
相手も不満、こちらも時間と金の損で裁判所も仕事とはいえ無駄な仕事だ。
三方一両損である。

そしてまた同じことが起きそうだ。
11月末から閉めている三ツ割の店である。
再開に向けて地主との交渉を続けているが、なかなか進まない。
そしていよいよ先方は「出るところに出ようか?」という話になっている。
簡単に言えば
「地代を上げろ。上げないなら建物を壊し更地にして返せ」という地主と
「地代はそのまま、更地にする費用捻出のため期限を区切り書面で契約したい」というこちらの主張である。
主張の違いの細かいことはあるが、ようは建物用途の社会的価値の違いである。
地主にすれば、自分の土地に建てた厄介な建物であり、相応の地代を払え
こちらにすれば地方の時代を切り開く、思いの溜まった築20年の大型木造建物である
なんとか生かして多くの人が使える有効な建物として利用したいと考えている。
まして地方都市の中小が小売業は縮小廃業していくなかで、
建物を利用して物販を目指す企業の存続は並大抵のことではできない。
できるだけ地代は低く抑えたほうが良いが…
最初から高すぎた。路面店ではあるが地目は雑種地である。
当時の産直として利用するときは良かったが、
人口減少の地方都市で中小企業の小売業の立地条件としては良くはない。
こんな土地でも社会的に価値の有る場所として考えたいが…

どちらのことも最近(近代?)の出来事である。
タラの芽という今まで食べられないものが貨幣に替わる。
今まで手間のかかる余計な土地が空間利用で交換価値が高まり、貨幣になる。
今まで自然という周りに何となくあるものが、資本主義の貨幣に替わると
その、価値は変質しないで蓄積できる。そこから貨幣愛が生まれ、争いになる。
それまでは食べ切れないタラの芽を取ろうという発想はない
何も生み出さない雑種地は管理する手間暇がかかるだけで厄介者だ。
それが自然を経済というもので図る手法がさまざまな弊害を起こす



誇り2

「日野岳唯照は敵だ。宿敵だ。そして難敵だ」
そう思い始めたのは、ここ2〜3年だろうか

ちいさな野菜畑ができて23年。付き合いを初めて20年にもなる。
「留学生との花見が、お寺である」と聞いて、
中学に入ったばかりの長男を連れ、英語を学ぶきっかけになればと出かけた、
そのときに倒れかかった本堂の濡れ縁で、煙草を吸ってる作務衣姿を思い出す。
大体が、お寺で留学生の交流会?というのが引っかかった。
その他にも「インディアンの団体を泊めて、えらい問題を起こした」
とも聞いた。”面白そうな寺だ”と耳にあった。
その後、誘われるまま、色々な会合が専立寺で行われていたのに顔を出した。
「豊かな食べ物を求める会」「学校の先生たちの勉強会」
「三陸の海と放射能を守るかい」「子供の教育を考える会」
たぶん、その他にも様々な会が、ここ専立寺で開かれていた。

ちいさな野菜畑できて三年目ごろ、新しい取り組みを企画した。
農家と市民が、農産物と食を通してつながる「身土不二いわて」という会だ
「しんどふじ」は、「地元のものを食べることが体にいい」という
”東洋の食哲学の言葉”だと、どこからか聞いた。
その身土不二の会を、農家と市民の関係性のなかで、つくろうとしたのである
一番最初に声をかけたのは、岩大の教授であった栄養学の鷹觜テル先生である。
鷹觜先生は「山梨県の棡原の長寿食」や宮古の重茂半島の海藻たっぷりの食事で「地元の食事を取ることが体にいい」と言っている先生だ。
その先生に代表の就任の電話をお願いすると、高齢の彼女は見ず知らずの小生に「やります。ぜひやります。私が提唱してきた身土不二の会は私がやりたい」
という。「身土不二」という言葉に大変な思いを持っていた人であった。

 そして次は、日野岳唯照である。
「身土不二岩手の事務局の場所を…」というと彼は
「身土不二の会は、自分が作っている会だ」という
「会員は、何人いるのですか」
「ひとりだ」
なんと彼は、一人で身土不二を実践し学んでいたのであった。
彼は嬉しかったのだろう。両手を上げて事務局の提供をしてくれた。
そして「身土不二」は東洋の食哲学ではなく
「しんどふに」と呼ぶ”仏教の言葉”だと教えてくれた。

そんな身土不二の会を立ち上げると、旧知の佐賀県の農民作家山下惣一は
「身土不二の由来と意味をかきあげたい」と言って
「一緒に韓国から、中国へ行かないか?」と行ってきた。
しかし、小さな店を営んで毎日のように生鮮野菜を扱っている身としては。
店を開けられない。
まして住職は、いつ葬式で呼び出されるか、わからない日々である。
そんな山下惣一は帰国後、「身土不二の探求」を著し、住職を取り上げている。

そんな身土不二の会で、さまざまな農家と市民の共同企画を取り組でいると
合鴨除草を研究している鹿児島大学の萬田教授から
「身土不二いわて」で20世紀最後の全国合鴨フォーラム大会を…
という話が持ち込まれた。
それは岩手の市民と農家の協同企画で全国から人を集める大イベントだった。
それまでの農業のイベントは「行政や農協が仕組んだ企画を実行する」
というスタイルだったが、実際は農家が手伝っているという企画だった。
これは、行政も農協も応援に回り、農家と市民が作り上げる企画だった。
温泉を貸し切って開催し、500人を集めて成功に終わり、
ある若い農家は「自分たちだけで、できるなんで…」と感動をしていた。
ユニフォームのない貧乏企画だったが、当日に赤いエプロンが間に合った。
今になって考えると日野岳唯照は、赤いエプロンを身に着け壇上に上がった
現役の僧侶が…
しかし、彼はひょうひょうと面白がって、楽しんでいた。
今にして思えば、大変失礼なことをしたのかもしれない。
その後、僧侶も参加した企画と新聞でも結構話題になった。

そして、そのころ哲学者の内山節さんの本の読書会「哲学寺子屋」を始めた。
それまでお寺の僧侶間の勉強会は色々と行っていたが、
日野岳唯照は民間との勉強会を開きたかったようだ。
とりあえず「これをやりたかった」と嬉しそうに語った顔を思い出す
それが今専立寺の、内山節を呼ぶ報恩講へと続いている。
月に一回の「哲学寺子屋」だったが、長く続いたこともあって
次第に惰性に流れ、参加者も少なくなり、昨年取りやめた。
月に一度、日野岳唯照の顔を見ることが嬉しかったのだが…

しかし、ちいさな野菜畑も
ここ数年道の駅の増加と量販店のインストア産直が増え
売上は減少に転じた。売上を伸ばす事は容易である(利益を出すのは難しい)
売上を減少しながら、経費とのバランスを取るのは至難の業である。
悪戦苦闘の毎日をすごしていると
経済のことなどわからない坊主に相談をしてしまった。
彼は言う「やめたら」そして口を続けて「やめたら」としか言わない
「このくそ坊主。経済や社会のことなんかわからないお前なんかに相談しない」「坊主だってカネを稼いで生きているのじゃないか?」
とそれ以降、仲間ではなく「敵」に変化した。
そして坊主の前で「愚痴は言わない」と
佐藤淳一先生と清水マスターの主催する「寺子屋ライブ」は冒頭に
日野岳和尚の本物の坊主と、野菜畑の偽物の坊主との対談がセットされている。
それは噛み合わない対談だった
「人生は、たのしくやろうぜ」という本物の坊主
「地方経済は落ち込み、疲弊している。そこで何をどう考えるか?」
という偽坊主の対談である
そして「わかりにくくて深い話」本物の坊主と
「わかりやすくて、そこの浅い話」偽物の坊主の応酬である
それも16回を数え、もうできなくなった。

昨年の9月、家内に余命八ヶ月の病気が見つかった。
専立寺に駆け込み500ミリリットルの缶ビールを3本あけ、泣いた。
手術だけをして、店を閉めることを決断した。
あとは余生だ。楽しんで生きていこうと思った
ふと住職の言葉を思い出した。
「面白い、楽しい、」
そのときに初めてわかった
「人はみな死に向かって生きているのだ」とわかったふりをして喋っているが
死に向かって生きていれば、楽しいほうが良いに決まっている
難行苦行を乗り越えて生きていく人生が、人間の生き方なのか?
それに気が付かされた。
日野岳唯照は、死を超えて向かっていく方向を示していたのである。
「人生なんて面白くなければ、意味がない」と
かれと付き合って長い年月があった。
かれは一貫して、さまざなことに面白がって取り組んできた。
しかし、それは勇気のいることだろう。
宗教家として、それを貫き通すのは至難の技だったのかもしれない
 尊敬している檀家の佐々木篁さんが亡くなったときに、彼は枕経をあげた。
遺体の前に座り、じっとしていた。ふと気がつくと、肩が揺れている。
泣いているのである。
僧侶が、遺体を前に泣くということがあるのか?
熱い男である。
情のある男である。

小生は専立寺とのつきあいの20年の間に何回も中央病院に入院をした。
病院の6階の面会ホールから朝日が登る岩山が見え、
その下には、専立寺の丸い屋根が見える
いつも朝早く起きて、朝日を拝み専立寺の屋根を見た
あの丸い屋根の下には、日野岳唯照が作り上げた世界がある。
そして、その関係性の世界が朝日の光の中で広がる。
専立寺の檀家となって、誇りに思う
そして日野岳唯照としりあって、誇りに思う。

(日野岳唯照の葬儀のときの弔辞を元に
書き留めたものである。一度書いて残しておきたかった。)
そろそろ一周忌の準備だ。
10月5日は、豊かな求める会の和尚を偲ぶ会だという。

いとパンⅡ

常連さんは、ブログを書いても書いてもコメントが無いと、
「どうしたのだろう?」「あの人は今?」という形になるが…
初めてコメントをくれる人には、びっくりすることが度々有る。

数年前に「トラ子とドラ子の同居人」という名前でコメントがあった。
トラ子は”入道の独り言”を丹念に読んでいるらしく
「前に、こんな事が書いてあった」と指摘される
「覚えがない」と返事をすると
「何月何日に、こんなテーマで…」
脱帽である。帽子だけでなく頭ごと脱毛した。
どうやら夫婦で読み込み、書き込んでいるようだ。
ある時から、ふとコメントが途絶えた。
風のうわさで、トラ子がで亡くなり、看病していた同居人も
張り合いが亡くなったのだろう。書き込みも消えた。
(「風のうわさ」も大きな出会いが会った)
しかし、その噂で”トラ子”は、小生の高校の同級生だったということが判明し、
50年ぶりのブログでの出会いに、驚愕し、驚き!恐れおののいた。(?)
ブログには様々な出会いがある!


今回のブログの出会いは、三年前に書いたブログ
いとパンである
これは、伊藤誠逸さんという若き癌で亡くなった高校の友人を偲んで
親友が作った追悼集をもらった時のブログである。
東京に住んでいる彼は、高校の仲間と会う機会が無い。
また広い東京で同郷の人や、関係性の有りそうな人という付き合いも無い。
「これを、ちいさな野菜畑に、置いてくれ」
「興味がある人がいたら、上げてくれ」
と言って東京へ帰っていった。
多分、顔の広い、態度のでかい、太っ腹で、大胆に失敗する入道なら
”誰か配る人がいるだろう”と想ったのだろう。
ブログを読んで、ポチポチと取りに来た人がいる。
ブログを読んでいなくても、
小さな縁(同窓生・同じクラブ等)を見つけては、配って押し付けた。
そんなことを、すっかり忘れていたが…
突然、問い合わせが来た

お問い合わせ内容:
突然のメール失礼致します
『入道の独り言』2016年1月1日記載のいとパンを読ませていただきました。
懐かしい”かたくりの花の写真”を見て、びっくりしました。
記載の文にある『いとパン』こと故伊藤正逸は、父の親戚なのですが、
貴殿の優しい文章に厄年で早世した名前を見つけ、
本当に驚き涙にむせびました。追悼文集が発行されていたことを知り、
なんとか連絡をいただけないかとこちらの方に書かせていただきます。
亡き正逸は歳の離れた兄弟のような関係で、
父は今でもかたくりの花の写真を大事にしております。
そんな父も今、癌と闘病中です。
それで、不躾なお願いなのですが…
お手元にまだ『伊藤正逸追悼文集』をお持ちでしたら
是非お譲りいただけませんでしょうか?
突然のお願いのメールで大変恐縮しておりますが、
どちらで買い求めたらよいかもわからず、
発行元も全くわからないので貴方様を頼りにメールさせていただきました。
お忙しい中申し訳ありませんが御返事頂けたら幸いです。

驚きである。
昔のブログからこんな縁が広がるのだ。
これがネットではなく、個人の書き綴った日記なら、こんな広がりは持てない。
読まれることの恥ずかしさと、突然の未知の人との出会い、
それがネットの良さなのか…
一生懸命に書かなければ…と、
書き込みをサボっている入道の反省しきりの早朝であった。

誇り1

たぶん子どもの頃、このあたりを駆けずり回って遊んだだろうと思う
岩手山が優しく見下ろす盛岡の鬼門と言われる北側の一角である。
お寺からは、にぎやかな音楽と喧騒が流れてくるが、
町中にあるのに、何軒ものお寺の共同の墓がある閑静な場所である。
そんな場所に、まんじゅうを伏せたような墓石の墓がある。
こんなところに眠っていたのだ。先代の住職は…
隣には「朴」という(韓国の女性だろうか…男性だろうか…)
墓と並んで立っていた。
倶会一処という墓を作り、生前の会費制で、誰でも入れる会を作ったという
そして身元不明の人など役所の要請で誰でも受け入れるという
アメリカ原住民を泊めて一騒動おこした住職らしい場所である。

先代の住職の墓石には、掘った名前が消えているのだろうか…
もともと名前なんか掘っていないのだろうか…
墓石を隅々までみても。それらしいものが無い。
しかし、その変わった形を見れば。それが専立寺代々のお墓とすぐわかる。
そろそろ1周忌がちかい。木枯らしが吹く11月だったから
盆明けの8月も末は、秋風が吹き始めるころなのだが…
まだまだビールの美味しい暑い夏の最後
「大菩薩マーケット」と言うお寺の行事にしては
にぎやか過ぎた行事だが、これが最後のマーケットだという音楽が
墓場に響いていた。
おもえば先代の住職も、変わっていた。
昔は、人が集まるところがお寺だった、と言っていた。
「寺は部落の…村の集会所だ」と
変わったお寺だったが、変わった住職だった
それに魅せられたのかもしれない。

熱力学と経済(?)

猛暑日になるという。
魔子様は、日課のウォーキングから戻ったら
「外は暑いね」と汗を拭った。
庭の木立を抜ける風は爽やかである。
木々をわけて室内に流れてくる空気は、葉から冷気を取ってくるのだろうか
家の中に入り込む風は、冷たい。

そんなとき、ふと考える。
外の暑さと部屋の爽やかさと…
その温度差が、どこから出てくるのか?

ある科学者が言っていた。
世の中に絶対に正しい法則(?)は一つだけ
「熱力学第二の法則だけだ」と聞いたことがある。
熱力学第二法則というのは、熱は高温から低温に移る(?)というものらしい。
そういえば低温から高温には移動しないし、温度も自然には上がらない。
当たり前だ!と思うのだが…
どうやら、そういうことをきちんと、言葉や文字で証明するのが科学らしい。
 話が飛んだが、外出からもどって家に入ると太陽から遮断され
太陽の熱(輻射熱)を浴びたものから、熱を放射され体が熱く感じるのに、
家の中は太陽から遮断された空間のために、ひんやりと感じる。
それだけではなく、家の中を通り抜ける対流熱は、体から熱を奪う
なるほどだから、熱力学第二の法則絶対的真理なのか…

そんなことをふと考えると
時の政府は経済第一というが、経済という仕組みは不思議だ。
経済とは、明治のときに経世済民から福沢諭吉がとったという話がある。
経世済民とは「世をおさめ、民をすくう」ことから来ている
それがいつの間にか、金の流れを円滑化することや、金を使うことに矮小化されてしまった。
本来、ものの流れを速やかにして民の暮らしを助けるべき仕組みの補助が、
貨幣であるのに…
貨幣を集めて大量に動かすことが、主眼になってしまった。
兌換紙幣である貨幣の価値を高めることが大きな意味を持つことになった。
そこにあるのは変わらない価値をもつ貨幣への愛である。

熱が高温から低温に移るように…
経済とは、民をすくうために、物の移動やサービスをすみやかにするべきものだ
そのために有るところから無いところへ速やかな移動のための貨幣だったのだ。
それが人々の移動を拒む貨幣愛に、経済の問題はあるのかもしれない。



最後のお願い

最近聞き慣れない外来語ばかりになってきてしまう
聞き慣れないだけなら良いが、覚えられない、それが問題だ。
老化と言いたくないが、時代についていけない
外来語を、いちいち検索しないと理解できないが、
検索してもリノベーションとイノベーションの違いがわからない
というか「日本語で言えよ!」という感覚だ。
だんだんと、”あちら”と一緒で機能不全に陥ってしまう。

以前に誰からか聞いた。
「盛岡でパフィーをやるんだってよ」
「なんだパフィーて、歌でも歌うのか?」
昔はビーナッツとか、スリーグレイセスとか、女性のグループと想像ができたが
最近は名前から想像できない、これは創造力の欠如か?
なんでも市民公募のコンパだという、
皆で呑むのか?と思ったらコンペだという
コンパとコンペは何が違うのだ。
わかるように言え!と思う今日このごろ。

で、ようするに岩手公園の中に芝生を削って土産物屋を作るという話だ。
なんでもファッション業界のブランド・メーカーという。
そんな現代のメーカーは知らない。
昔、服飾メーカーといえば
レナウンとか、小杉とか、樫山とか…
婦人物では東京ブラウスとか、ニコルとか、ファイブフォックスとか
丸高衣料とか、サトウニットとか、東京スタートとか…
要するに昔、若いときに付き合っていたアパレルメーカーだが…

と言ってもこれは若者の選択である。
目先の売上の話は、年寄りでいいが…
町のあり方を変えるというのは若者である。
そして20代30代の若者が、自分の子供達にどんな盛岡を残していくのか…
新しくものを作って変えるというよりも
変化の激しい時代、先の読めない時代
子どもたちのために孫たちのために何を残すべきなのだ?
そんなことを考えないと、ただ目先のことだけで
後悔をのこすことになる
そんな思いを持ちながら、
スピーカーを鳴らして走る街宣車の「最後のお願い」を聞いた。

しかし、大胆だね。岩手県民だったらあそこに建てるという発想はできない。
いやあそこで、ものを売るという発想はできないだろう。
最近、何でもありの時代であるから仕方がないのか…
ただ、若者はどう想っているのか?
以前、ショッピングモール設置の意見交換会で
ある若者が「反対すると盛岡は遅れてしまう」という意見があった
まさに今、遅れないで皆と一緒、一斉に同じ町並みになってしまった。
岩手公園の芝生でそんな展開をすることが、岩手らしさにつながるのだろうか
同じ失敗をしてはいけない

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い