ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

脱産直宣言

背の高い婦人がレジで、なにやら聞いている
客と対応している魔子様が、小生に向かって
「無農薬の野菜を扱っているところはないの?」と聞いてきた
「何?」自分のところで扱っているのに…

と思ったが、どうやらお客は

”無農薬の野菜が選べるような直売所”を探しているようだ

出ていくと
「病気になって初めて食べ物の大切さを知って、どこで売っているのか?探しているのですが…」

こういうお客様が一番、説明の程度が難しい
まず「農業」と言う説明からしないといけないからである
そして「現代の流通」が、いかに問題があるか…
それには「人間の欲」の問題と…
そして彼女は
「ものを見ても…
人を見ても…
自分ではわからないので…」と最後に付け加えた

 

まず今の八百屋や量販店に並んでいる商品がどれだけ国産品の並んでいるか?
海外産は安全なのか?と言って地場産の比率は?
結局、今の時期(4月5月)は地場産(岩手産)のものはほとんどないのである
まして有機農産物など無いと言っても良い
自然栽培というか、自然にできた山菜の時期ではあるが…
それも「栽培」や「自然栽培という、ほったらかし」
それがすぎると「野生化栽培」と言う名に変わる
じょじょに岩手産がでてくるが、あっという間に終わる
岩手の農産物は、品種が満足の揃うのが4ヶ月(7月8月9月10月)しかないのである。

だから産直で食べていくというのは至難の業なのである。
当店も最初から市場流通の仲卸が入っている。
大きな農協系の産直は、ほとんど他の農協や漁協と提携している。
産直という名を借りた量販店なのであり、量販店の中に産直がある。
経営的にも、年間を通じて地場産有機野菜を揃えるというのは不可能なのだ

 

当店が有機農産物中心の街中産直を始めたのはもう25年も前になる
当時、有機農産物は肩身が狭かった
「無農薬です」とPOPに書くと
「わしのは毒薬を撒いて栽培しているのか?」と同じ出荷者から言われると聞いた
だから「無農薬」「有機栽培」とは書けなかったと…

そんな生産地のそばの産直から、消費者に近い産直を始めたのが、ちいさな野菜畑である
有機農産物を栽培している農家が地元の産直ではなく。消費地に近い場所に…
しかし、さまざまな問題があった。
農業は金を稼ごうとすると、ある程度の量が求められる
つまり一つの作物を作るのにも、種はワンロット(小袋)買わないといけない
種取りのばあい、選抜のためにある程度の量を必要とする
自家生産肥料といっても、作る量は最低ロット必要とする
(発酵肥料の場合、発酵させるためには熱量保存のために1トン程度の仕込みをしないといけない)
まして畑が空くと雑草が生えるから、生えない程度の作物を植えないといけない

等々の事情があって、ある程度の量を植えざるを得ない
それが果菜類のように、少しづつ取れる野菜であればいいが。
白菜・キャベツ・大根のように土地利用型は、一挙に収穫が始まる。
収穫が始まると一挙に腐敗が始まる。(野菜は収穫と同時に腐敗が始まるのである)
だから一挙に売らないといけない

だから食べる野菜をすべて産直で有機農産物を揃えるというのは至難の業なのである
まして、それを選べるようにするのは…

だから平成7年に街中産直をオープンして11年後「脱産直宣言」をした

脱 産直宣言!(2006年(平成18年)7月)

 

 平成7年(1995年)7月8日、農家直売所ちいさな野菜畑は、地域を越えた17人の生産者によって、盛岡市の一角で産声を上げた。

企画段階で岩手県の担当者に補助金の相談をしたところ、

「地域を越えた生産者が集まるところは、対象とならない。市町村の単位で有るならば、いくらでも出すが…。」と言われ

「だいたい街中に直売所など建てて、経営的に成り立つはずがない。近くに生協や八百屋。スーパーがある。消費者は、畑や田んぼを見ながら買うのが、好きなんだ」と、いらぬ指導まで受けた。

そのおかげで、一切補助金や、行政からの支援を受けない方向できた。

しかし、その担当者の言うとおり経営的には悪戦苦闘の11年間であった。

 よく「直売所に市場モノが並んでいるのはおかしい」という人がいる。

また「直売所は、地元の物しか売らないという哲学をもて!」という人もいる。

当店は、最初から仲卸を一社仲間に加えた。

岩手の旬は短い。野菜の品揃えが出来るのは、だいたい7月から〜10月ぐらいまでの4ヶ月である。しかし、米・卵・牛乳は、一年を通して生産され販売できる。そして冬には、農家の智慧や技を表現できる漬け物がある。そこで、一年を通じ店に足を運んでもらい、四季の農産物を通して農家の暮らしぶりや、農業のあり方を知って貰おうと、品揃えを充実させるべく、市場流通を加えた。

 そして、経営責任である。「みんなで、やろう」と言う言葉が安易に使われる。“みんなでやる”と言うことは、“みんなで責任を取らない”と言うことであり、変化に素早い対応が、とれない組織体である。協同組合という組織が、今行き詰まりを見せているのがその証拠である。また会社組織は、長くて100年の歴史しかない。平均30年の寿命だという。

その中で農家は、代々続けてきた。8代目9代目等というのはざらであり、それは“家業”として綿々と受け継がれてきている。(1代が30年とすれば、200年・300年と続いている)

 家業としての家族経営、そして年間を通して安定的商品供給の中で、岩手の農業の旬を伝え、農業のあり方を消費者と共に考え、そして高齢化する地域の人達に青果物を届け、地域に貢献をする。

そんな店が「直売所」というくくりで、捉えられて良いのだろうか?

先日、県の農政部から「直売所アンケート」を調査しに来た。

その担当者に“直売所とは、何か?”を問うたところ

「農家が自主的に、地元の農産物を販売する組織体」という。

当店の考え方と違う。そこで「脱 産直宣言」をする。

 直売所より ちょっと市民に近く

 八百屋より ちょっと農家に近く

 量販店より ちょっと農業に近く

 百貨店より ちょっと身近で

そして、地域に無くてはならない存在

はたして、この店を縦割り行政は、どのようにくくるのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまどけし

高校時代の友人が来た。
と言っても彼は、農学部をでて農業改良普及員の県職員として定年退官をした。
平成5年の大冷害のときに彼は、水田の研究担当課長をしていた。

久しぶりにみた同級生は、腹が膨れ上がり無精髭で会話が通じなくなった。
難聴である。

同級生が亡くなったので、その件で来たのか?
と思ったら違った。
道に迷って、見知った当店が有ったので飯を食っていこうと思っただけである
同じ同級生の友人の死は、大々的に新聞やテレビで報じられていたので、知っているのか?と思ったら
「知らなかった?同じ高校・大学だったのに…」と言う
そういえば彼は、学部こそ違え一緒の大学だった
「岩手県で初めての地元出身のアナウンサーだったのに…」
どうやらテレビ局開局当時の就職戦線の大きな話題であったらしい

そんな彼に食べている品種と生産者の名前を見せた
彼はムッとして「この地域にこの品種は合わない。やめておけと言ってくれ」
行政は、その地域の気候特性に向けて栽培品種を決めている。
小生が農業に携わるようになったころは、岩手県北部や中山間地は「政府米」の産地だった。
当時銘柄米と言われた「ササニシキ」「あきたこまち」は指定された地域でしか栽培出来なかった
栽培しても農協が買ってくれなかった

だけど日本人の悲願「美味しいご飯が食べたい」と言う根強いコメ信仰が
隠れて自家用として栽培され縁故米として流通していた。
県北部でも美味しいコメを!と言うのが研究機関の願いだった。
それが出来たので「かけはし」である。
友人は三人の育種開発者の一人である。
それを自慢げに言っていたが、奥さんからは
「あんなに農薬をたっぷり使う品種なんで…」と評価が低い。(笑)

そんな彼と平成5年の大冷害のとき、あちこちの田んぼを見て回ったことがある
多くの田んぼが、ほとんど2〜3俵(120〜180kg/10a  平年作は500kg)しかとれなかった。
ひどいところはコンバインを可動するよりも、草刈機で刈ったほうが費用も合理化できると言って
草刈り機刈って、”切り捨てごめん”のところもあった。
そのまますき込むと来年の肥料の軽減につながるというようなことも、まことしやかに流布されていた。

その年、小生が勤めていた農場は4市町村で23枚の水田を借り入れ、有機質肥料で昨付けした。
殆どが箱苗だったので筋蒔きと言う一株に10本近く苗が入る植え方だった。
だが一つだけポット苗で植えられる田んぼがあった。
ポット苗は種を。手まきで一粒づつ蒔くことが出来た。
23枚の田んぼは、ほとんどが5〜6俵の収穫を上げたが
ポット苗に蒔いた一粒の水田は7俵近くの収量を上げることが出来た。
近くの人は、みな見学に来た
農業改良普及所の所長も、見学させてほしいと案内した
そんなところを水田の研究担当課長をしていた彼と一緒に回ったのである

彼は回ったあと悔し紛れに
「肥料設計が、あたったのだ」といった

嬉しかった。とりあえず認めたのである。
従来の方法と違う、そしてそれが当たることもあるということを…

当時有機栽培とか無農薬とかは。農家自身が半信半疑で

「農薬かけないと、ものが出来ない」
「堆肥はきかない」
「有機質肥料は役に立たない」
「薄まきは、量が取れない」

などと言うことが相当、言われていた
ある研究会では
「おまえら業者に騙されている」とまで面と向かっていわれたものだ
それから25年で、だいぶ変わった。

しかし、当時の出来事で学んだことが数多くある
一株あたりの本数を少なく蒔くことによって稲の葉っぱにあたる光の量が多くなるから密植より効率がいい
有機質肥料は、気温に合わせて肥料の効きが変わってくる
つまり寒いときは効きにくく、暑いと効く。これは冷害のときは稲の生理的にいい傾向である
化学肥料は温度に関係なく肥料が効いてくるので幼い穂がでてくるときに冷害に当たりやすいのである。
堆肥は十分に発酵させて黒い腐植の状態で振り入れてやるべきだ

しかし、またこの条件に合う水田を見極めることも必要だ
行政の一般的に教えるやり方を自分の農地に利用できるように理解することが1番重要なのである
農業は、多くの知識を持って自分の農地で智慧を発揮できるような優秀な人の仕事である

知識だけの人は、机上の論理である。
智慧だけの人は、危機に対応ができない
智慧も知識もない人は、かまど返すしか無い。

日本の自然は何を私たちに与えてくれたのか

「花巻にブナ原生林に守られる市民の会」というのがある。
結成30周年記念講演会が開かれるという。

しかし、市民の会が結成された30年も前は「原生林に守られる」という感覚を、小生は持てなかった。
自然は守るべきものであって、守られるなんて…
その感覚が変わってきたのが、24年前に出会った内山節であろう
八戸で出会い、東京で…群馬で…仙台で…西和賀で…葛巻で…岩泉で…あちこちで、毎年、彼の話を聞いた
同世代の彼ではあったが、深い話に聞き惚れた。

そんな話が6月3日(日)花巻なはんプラザの記念講演会で内山節氏が講演をするという
詳細は

「日本の自然は何を私たちに与えてくれたのか」

出会った頃

 

内山節オフィシャルサイト

信用と契約

パソコンの先生である「亮君」から”養分と携帯乞食”と言う言葉を教えてもらった。

その意味とは

契約をそのまま替えず携帯会社の言われるまま契約している人々を「養分」と呼ぶらしい
つまり、現状のシステムを育み育てる「養分」と言う意味だと
携帯乞食は、あらゆる情報を入手して少しでも安い契約を探して移り変わっていく人のことを言うと…

小生は典型的な「養分」である。
請求書には「ご利用月数23年3ヶ月目です」と書いてある

面倒くさいのである。いちいちそんなのを調べて契約に赴き変更の手続きをするのが…
そして根強くあるのが、長く続けることで蓄積される信用というか…安心感というか…お得感というか…
長く続けるメリットがでてくるのだろうと!

そんな常識が吹き飛ばされた。

「法人割引き」と言う格安割引きがあるというので入っている。
登録している番号は、一定の金額を超えたら、まだ容量が空いている他の番号の埋めるから料金は増えないと言う割引である。
だから三台で月20000円以内で収まっている。
ところが亮くんの話だと、スマフォに変えて契約を変えると現金は12万必要とするが、毎月の電話代金が5000円で済むという。
つまり最初の年は同じ金額を必要とするが、翌年から三分の一になるという
驚いた、そんな状況になっているのか?
通信費用情報に疎いと損をするということか…
しかし、落とし穴があるのではないか?といろいろと疑う

どうやら大丈夫なようだ

とりあえず最初の法人名義から、個人名義に変更に行った。
4回通った。
一回目は混んでいた。「平日に来るわ」
二回目は予約で満杯混んでいた。「予約していく」
三回目は「一度に名義変更は2台までしかできません。あと1台は時間がかかります」
「どれぐらい?」「三ヶ月は…」
「どういう意味?」
「2台の携帯代金の振込確認ができてから3台目の名義変更になります」
「それはおかしいだろう?
23年も払い続けて信用されないのか?
まして、クレジットカードまで見せているのだ」

「すみません。会社の規則なので…」
「そもそもその会社の規則がおかしい!」と怒鳴りつける
すまなそうな女子社員の胸には”研修中”の名札が…
「え?あんた新入社員か?」
「あんたが悪いのじゃないが…
上司になぜそんな規則なっているのか?
客から文句があった。と伝えておけ」

4回目で一台を「利用者登録」と言う形で名義変更が出来た
どういう意味なのかわからないが…

このやり取りの中で携帯業界と言う今流行りの業界は大変忙しく動いている
そして日本旧来の「信用取引」というのは、アメリカ型の「契約取引」に取って代わって
信用という財産が蔑ろになっているのが現代の取引なのだ

アメリカ型の契約社会は、どんどん進行してきている。

いいわけ

4月5月と一本しかブログを書いていない。
理由があるのだが…
いつも多分4月5月は少ない。

春の準備といえば格好がいいのだが…
春の準備も一昨年から「花壇苗・野菜苗」の販売をやめた。
これは段取りと、テマヒマがかかりすぎる

以前は欠けたテマヒマ分の売上が上がったが、だんだん売上げ下がってきた。
競争相手が増えてきたのである。
苗の販売は、「土を売る」ようなものである
だから苗生産農家は、安い土を買って肥料を混ぜ合わせるか
大量に培土を自家生産する仕組みをつくる

以前は土が輸入禁止なので、海外からグラスウールに植えた苗を買うか
石に植えた苗を買うかした
「種代や、苗生産のテマヒマ(種から苗になるまでの水やりやスペース)の節約」なのである。
苗専門の大規模農家は、だいたいがそうである
中規模の自家製産苗農家や小規模農家は、培土や苗も自家製産であるが、
北国ではまだ寒い雪の降る2月頃から暖房をして栽培が始まる。
そしてムンムンと蒸し暑いハウスの中で水やりをし、植替えをすすめるのである。
だから苗を値切るというようなことはなかなか出来にくい

ところが大きなメーカーは、南国で栽培し、北国へ持ってくるのである。
暖房などの設備はいらないし、ハウスも簡単なもので早く大量に栽培できる

よく雪形と言われる山の風景が有る
岩手で言えば岩手山に鷲の形が現れたら農作業を本格的に始めるときだ。と言う言い伝えが有る。
そのように自然の状況に合わせて農作業をするのだが
経済は自然と乖離してスタートする
つまり、早く店に出して、買う気をそそのそかし、購入させるのである。
つまり、霜あたって苗がだめになったら、これ幸いと植え替え用の苗をすすめるのである。

それは「もったいない精神」とか「自然に合わせたくらし」とか、
日本人の精神とは、かけ離れたところでビジネスが行われるのである。

儲かれば良いのか?

苗を引き取ったときから、毎日の水やり、終わった花を摘む、病葉を摘む、
そんな手間ひまをかけて老化苗になると売れない。ロスが多いのである。

売上が上がるが、ロスが多い。
毎日のテマヒマが多い。つまり売上の割合に経費がかかりすぎるのである。
それを解消するには量販することが必要なのだが…
競争相手が多くなると、量産することは大量のロスに繋がる

結果として積極的にやらないということがロスの解消になるのか…
農業はビジネスになりにくいのである。

今年は、せっかくの苗の販売を積極的にやらないで時間が出来たと思ったら、
金融機関の契約の更改や、新事業の企画や、友人の死などが重なって、多忙の4月5月になってしまった。

もう一度練り直さないと「地方の小規模小売業の再生」を目指す当方としては、春のスタートがきれない。

 

 

 

 

なにもない

ようやく、冬のオリンピックが終わった。
あまり冬のオリンピックは、好きではない。
ジャンプなんか、自分があのスタートの位置に立ったら板を抱えて逃げ出したい。
クロスカントリーだって、あの距離をスキーで歩く(走る?)などというのは馬鹿らしい
坂を下って直滑降で落ちていく、こそスキーだ!と思うのだ
スケートは、元々あの細い刃で氷の上を立つ何ていう芸当は、出来ない
くるくる回ったり飛び跳ねたり、あのフィギャーと言う踏み潰されて泣いたようなスポーツもあまり興味がない(魔子様は見るのに一生懸命だ)

大体が東北の生まれで、冬のスポーツができないと言うのは自慢にならない
これは周りが雪に覆われ、それをかき分けて学校に行くというのが当たり前で、
雪や氷は邪魔と言う他に、何もない
雪や氷で”遊ぶ“と言う感覚が無かった。当時は…

だから社会人になって、スキーブームが起きて魔子様まで深夜バスに乗ってスキーに行ったというが、会社で誘われて、しかたなくスキーに行ってウィスキーを食らって寝ていたぐらいである。
スキーの服も、板も靴も自前で買った覚えがないし、今でも持っていない。

そんな自分が、感動を覚えた言葉がある。カーリングだ。
(これも好きでない。野球と同様時間がかかりすぎる。飽きて見ていられない)

テレビのニュースで凱旋報告会が流れていた。
酒を飲みながら、聴くともなしに聞いていると

 「私は7歳の時からカーリングを始めました。正直この町何もないよね(笑)この町にいても絶対“夢はかなわない”って思ってました。だけど今は、ここ(常呂町)にいなかったら(夢は)かなわなかったなって思ってます。子どもたちもたくさんいろんな夢があると思うけど、場所とか関係なくて、大切な仲間がいたり家族がいたり、どうしてもかなえたい夢があるとか、この町でもかなえられると思います。これからもよろしくお願いします」

こんなことを喋っていた。驚いた。
人口減少社会の大きな原因とヒントが隠されていた。

何もない町、大きくなったら都会へ出て…
と言って育てられ
”長男だから、いずれ戻ってこないと…”と言う想いを持って

そうなのである
戦後から高度経済成長、バブルと
都会へのあこがれと「田舎はなにもない」と言う言葉で育てられたのである
だから限界集落が生れ、都市への一極集中となり、地方の衰退が始まったのである

岩手は現在、125万人の人口が、後一回り(次の戌年)には90万人を割るという。地方の市町村の自治体は、人口を減らさないように人集めの競争で躍起である。

しかし、
そろそろ「地方には何もない」という思考を捨てたほうが良いのではないか…

ありすぎるほど豊かな自然があり、
そこから生み出される豊富な食べものが有り、
それと作り出す豊かな人々がいるのだから…

内山節の本に
山形県金山町の農林家の栗田さんの話が出てくる。
小さな集落は冬、雪に閉ざされ学校に行けない子どもたちは、分校に通う
そこで栗田さんは、冬だけ分校の教師を勤めた。
彼は、小さな集落での豊かな暮らしを語り、
教えられた子どもたちは、誰一人村から出ていかなかった。と言う

 

資本主義の拡大経済社会は、地方を衰退させる仕組みなのである。
そこから脱却しないと地方の人口衰退は止まらない

 

物流

盛岡正食普及会の再建に関わったのは昨年夏だっただろうか…
最近認知症気味で、時系列がわからなくなってきた

そう思っていたら、マナ自然食品店が1月末に店を閉めると言う
年末に、ご主人が倒れて亡くなったらしい。

盛岡の自然食品の老舗が相次いで閉店をした。
二軒とも自然食品の扱うキッカケがちがう
盛岡正食普及協会は、戦後のアメリカ戦略の小麦の処分のために押し付けたパンへの食糧改善(?)から安心の自然食品へ…
マナ自然食品店は、マクロビオテックから自然食品へ42年の長きに渡って続けてきたという。
(ちなみにマナと言うのは聖書に出てくる「命のパン」という意味らしい)
当店などは身土不二の農から、地産地消の食へと言う流れで、自然食品の調味料を扱うようになったが…
たかが23年である

自然食品の発想の元は、石塚左玄である。
石塚左玄は明治の軍医で、身土不二や一物全体食を提唱した。
病弱な桜沢如一(さくらざわゆきかず)は、石塚左玄の食養生を学んで健康になったという
そして世界にマクロビオテックを広めた(詳しくは知らない)
自然食品業界メーカーのオーサワジャパンは彼の「桜沢(オーサワ)」からきている。

農産物が産直の展開で、どこからでも手に入るように流通が乱れている
自然食品業界も乱れに乱れている
今までは、ある程度秩序ある流通ルートが
ネット販売が盛んになるに連れて
卸売業や小売業、団体客や個人客。入り乱れて複層して商品が流れ始めている
一つ自然食品店が失くなると、あっという間に別のルートが幾らでもできる。
そんな雰囲気である。

当店もマナ自然食品の閉店した在庫を格安にて販売しているが
安いからと言って売れるものでもない
このような主張を持っている商品は、なかなか売れ筋にはつながらないのである。
安かったら試しに使ってみるか…という人がほとんどであるが

いずれにせよ
今流通の劣化が叫ばれ、直接消費者から情報を得ると言って「利益の中抜き」が行われているのが実態だ。
基本的には流通業界自身の劣化が契機となっているのだから、仕方のない面があるが…

とはいえ最近のヤマト運輸の運賃の見直しが、どのような影響があるのか興味津々である。
流通の劣化は、流通業者のタイマンと、運賃の値下げ競争にあると言っても過言でない
その運賃が上がるということで、各メーカーが一斉に商品の値上げや運賃の値上げに向かうだろう

 

あまり無理をしない
無理をしないでぼちぼちやろう

そんな感じだ!

 

 

 

 

 

 

 

ただめし

久しぶりに出張をした。
上京である。なぜ上京というのか
下京では、いけないのか?
いや右京や左京なら京都になってしまう
そいえば仙台に「花京院」と言う地名が有った。(関係ない)

前回の上京が、義母の一周忌だったらから、こんどは二回忌か?
半年に一回あるわけがない
実は、新しい仕事なのだ

どうしても聞きたい話と
どうしても見たいところと

二つ組み合わせて行くことにした。
聞きたい話は、おいおいと…
見たいところを今回書いてみよう

「未来食堂」である。

神保町の、とあるビルの地下にある。

客席12席のちいさな定食屋である。
レトロな椅子にすわれば定番の…と言うか…
メニューが一食の定食が出てくる。

小生が行った時間は、4時過ぎである。
時間を確認して行っただのが…
11時から夜まで…ぶっ通しで…
ところが夜は貸し切りが入っていたらしい

女性店主の小林せかいさんは
「もうおしまいなのですが…
今日は夜の貸し切りで…
こんどからはホームページで確認しておいでください」
と厳しい顔と声で言い放った。
なるほど本に書いてあるとおりだ。
愛想笑いをしない。言いたいことを明確にきっちり言う。
伝えながらもテキパキと作業をする
あっという間に定食が出てきた。

「それは申し訳ない。
岩手から出てきたもので…」
こういうときは遠方から来たと言うのは便利だ。
声が柔らかくなったのだろうか
「こんどはホームページをご覧になってから…」と言う
ランチを70食作り、6回転から7回転するという
その効率的な運営のほかに

驚くのは「ただめし券」を配るという
このシステムは
独りで店をしているので「掃除や下ごしらえ」などを手伝ってくれた人に
一時間労働の対価として「ただめし券」をくれるという
そしてそれを使って食べてもいいが、その「ただめし券」を店内に貼り付けて
自由にはがして使って良い。と言う
ようするにカネに困って食べられない人が都会の片隅で
遠慮なしに食べられるシステムである。

そんな馬鹿な?と思うだろう
まったく信じられないことをやっているのである

しかし、よく考えてあるシステムである
一食900円のただめし券なら原価は300円
時給300円にてアルバイトを雇っているようなものである。
アルバイトも勤めることによって技が身につく
一日に何枚もただめし券をもらっても使い切れないから
貼り付けて「寄付(布施)」という自分の心を満足する。
(行ったときは、千葉のおかあさんが一日まかないだった。将来定食屋を千葉で開きたいと言う。一日7枚のただめし券をもらっても…)
そしてただめし券」を使った人は、ただただ困っているときに感謝であり
自分もまた役に立つ仕事をしなければ…と思う

三者三様に納得するシステムである。
う〜ん素晴らしい

もしコレが成り立たないことが考えられるとすれば

食堂の効率的経営がうまくいかない
手伝い人が単に時間稼ぎの人
食べる人は面白半分に食べる人

そんな人ばかりではないと言うことを、この未来食堂は世の中に知らせてくれた。

たぶん貨幣経済のみで動くシステムなら、このようには行かないだろう
最低時間給を払えとか…
効率的に働けとか…

貨幣経済を超えたもの…
それが未来食堂のコンセプト

懐かしき未来

なのだろう

そのほかに
「さしいれ(酒をもちこみ、半分を持ち込み料としてさしいれ」
「あつらえ(夜は、冷蔵庫の中の二種類を使ってお好み料理」
「18禁(18歳以上、入場禁止の子ども食堂)」

さまざまなアイディアと実行力と社会を見る力と
単に経済だけでないこれからの事業のあり方を…示してくれたようなものだ。

問題は、コレが地方で成立するのか?ということである。
地方なりの工夫が必要だろう
それが地方の文化ということなのだろう
さまざまな地方の文化と組み合わせた、さまざまな未来食堂

真剣に考えてみたい。

ちいさな妄想

いろいろと考えなければならないことが、いっぱい有る
すこし原点に戻ろうと想っている

年末に一世代下の友人に…
「未来が広がっている息子に…」と言った言葉がある

そうなのである
自分自身30代前半、未来は、ようようと広がっていた。
「なんでもできる。どうしても生きていける」と言う、変な自信があった。
今にして思えば、時代が思わせたのかもしれない。
それが自分の中で変わっていったのは、40代の農業(農?)との出会いであった。
農業でも、なんとかなるさと思いながら飛び込んだ世界は、まるっきり違っていた
やること、やることが、思い通りにいかない。
そんなことから「一から勉強をしなおしたい」と思ったのは45歳の時だった。

そして様々な出会いがあって、多くのことに気がついた。
経済や国やその組織は、人が効率的に動きかつ効果的な仕組みを作るために人工的に作られてきた
ところがそのその人工的な仕組みの中で動く人間は、食糧というどうしようもないコントロールできない基盤に立っている。
(昔の戦も、すべて不安定な食糧確保から作戦が立てられていたという)
つまり足元が不安定なまま、組織に活かされて安定を目指すという矛盾の中で生きているである。

ところが農の世界は最初から不安定なのである。
雨が降れば根が腐り、晴れが続けば葉が枯れる、植物にとって当たり前のことであるが…
それを食糧として生きていく人間は、不安定な生活を強いられる。そして為す術がない。
ただただ、祈るというだけなのである。
だから農業と宗教は密接につながるのである

それを産業革命以後の科学技術は産業という考え方で農業を変えた。
さまざまな技術革新で単位あたりの生産量も上がったが…
そろそろ限界にきている
科学技術を支えているエネルギーが不安定だからである。

新エネルギーとして原子力やシェールオイル、再生可能エネルギーなど言われているが、いずれも安全性やコスト、量的問題を抱えている。
つまり今まで化石エネルギーを利用してグイグイ成長してきた社会は
全体的に、ここへ来て成長速度が鈍化しているのではないだろうか…

よく考えてみれば、自分の周りは、どんどん成長の可能性があるが
ひょっとして世界のある部分では、衰退しているのではなかろうか…。
つまり格差が広がっている。と言う状況ではないのだろうか…
なんと言ったって地球は、閉鎖空間の循環型世界なのである。

宮沢賢治は言ったという
「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と…
これは閉鎖空間の循環型世界では。
「現状に満足すべき」ということなのでは、ないだろうか…

世界一幸せな国ブータンが、その有り様では…

 

ちいさな世界の、ちいさな循環の輪が、
幾重にも横につながって…

 

そんな戌年のワンダフルの妄想である。

だんらん

ひさしぶりの朝である。
いや、ゆっくりと時間が取れる朝である。
いつもは目が覚めて慌ただしく資料を読み探し慌てだしく介護食を作り、慌ただしく店に出かける。

今日は定休日である。
仕事は山ほどあるが、とりあえず15分や30分は時間が取れる。
ストーブの前でボォーっとしていると、なんだか静から腹に響く音が聞こえる
なんだ?ガスの火が勝手について燃え上がったか?とそちらを見る

なにもない。
ふと窓の外から音が聞こえる。耳を澄ますと
なんだ!除雪機の音だ!
自転車道路を除雪機がゆっくりと作業員が押しながら歩いている。
「積もったのか?」とみるとそうでもないが、5センチ程度は有るだろうか
通学前に除雪をしているようだ…

熱い珈琲をブラックで入れて一息つく
特注の「フレンチブレンド」を挽いて、熱湯を注ぐ。
そして反射式ストーブの前でまたボォーっと座って火を見る。
火のある暮らしは、なんとなくホッとする。
ひとしきりボーっとした後、甘いものが飲みたくなった。
いつもなら机の上で駄菓子を一口つまみながら珈琲を飲むのだが…

今日は定休日なので居間のストーブの前だ。
自分の部屋の駄菓子を取りに行くのも面倒くさい。
ふと見渡すとココアが有る。
そうだ!久しぶりにココアを淹れてみよう

ヴァンフォーデンのココアの缶だが、開けると底の方に塊になっている。
缶に書いてある「ココアの淹れ方」を読むと
ティースプーンで1杯(4g)を入れて10ccの水またはミルクでペースト状にすると有る
テーブル計量器を出して測る

そうなのだ
いつもは適当なのだ
エィ!ヤァ!と入れて、ドバドバと注ぎ入れる
忙しいふりをして適当にやっていた
いつも人には言う
「忙しいという字は、心を亡くすと書くのだよ」と…

丁寧な仕事をする人は、忙しいふりをしない。
ほんとうは忙しいのだろうが…

「料理は科学である」と思ったことが有る
有るシェフは調味料を一つ一つ測って入れる
量や時間を測るということが身についている
そして最後は、ベロメーターである

 

そんなことを考えながら認知症の母が昔、作ってくれたココアを思い出した。
たっぷりとして甘〜いココアだった。
牛乳ではない。たしかスキムミルクだった。
いや赤ん坊用の粉ミルクのような気がする。
ココアも、どこか日本のメーカーだったような…

そこには有ったのは、美味しいココアではなく「団欒」だった。
家族が、火鉢の周りに集まってココアをすすった。

薪ストーブや火鉢、そして炬燵、家庭の火の周りには「団欒」があった。
火が見えなくなって、消えたものがいくつもある。

消えたものと…増えたものと…
どちらが多いか?少ないか?
良いのか?悪いのか?

これからの世代が決めることなのだろう

 

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い