ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

暇な一日

行くところが無くなって暇な日が続く。
いや本当は暇ではないのだ。やるべきことが山とある。
しかし、切羽詰まっていない。それが問題だ。
切羽詰まってやろうとすると、時間がないと言い訳する。
切羽詰まらないと、やる気が起きないと自分を納得させる。
そんな日々が嫌になって、何か始めようとする。
とりあえず洋服ダンスの中を片付けた。
だいたいがウエストが79から94までのパンツがあるのだ
やせたら79は無理やり入る。
ちょっとお腹がくちくなって、少し動こうとすると94のゆっくりしたパンツを履こうとする。
だから洋服ダンスは、ほとんど履かないものだらけでいっぱいだ(?)


そんな日々の毎日に、様々なことが頭をよぎる。
少し頭を整理しようとした。

岩手山と姫神山(並んでのツーショット)

「はたらく」という言葉は「はたを楽にする」と、日本人の働き方を表していた。
つまり働くことによって、周りとの人間関係を良くするというような意味かと思う。
日本人は江戸時代以前より、働くことによって自分の技をたかめ、自身が向上し周囲に貢献をするという精神の習慣を持っていた。それが欧米の産業革命後、日本も影響をうけて、働くことによって賃金を得て、生活を成り立たせるという働き方に変わっていった。
つまり今のグローバル社会は、賃金を得るために、自分の時間を売るのが労働になってしまった。
そこには時間あたりの効率的な働き方が求められ、働くことが単なる効率化競争になってしまい
労働の楽しさを得ることが難しくなった。
本来、島国の日本人は、働くことよって周囲から喜ばれ、自分が地域社会から認められることを喜びとする人ではなかったのか?
そんな疑問を持ちながら、今の人口減少の地方都市の中小企業のあり方を考えてみると、
これからの生き方が見えてくるような気がする

つまり、物を売るのではなく、物を作った自分の技で相手との関係性を作るという生き方である。

そこには、自分の技の向上が求められ、それを認める地域の人々がいて、ものが流れるという
本来の、顔だけでなく、人が見える関係の世界が広がる。

そこは「見える範囲」という、広がっていかない循環の世界である。まさに、これからの人口減少社会の地方のあり方ではないだろうか?
自然豊かな地方都市は、これから減少スピードが増し、あっという間に限界集落になってしまう。そこには人が少なくなっていくことで自然によりそった、人と人が助け合う地域ができる。
そんな地域の核となる小規模複合融和施設を作りたいと思うその店は、その狭い地域にとって必要な業態の店であり、みんなが関わり合って新しい関係性をつくることを目的とした店である。

まだ死なない

家庭菜園のすすめ
土壌微生物が免疫力を高めるという

数年前に、乳がんにかかってこれから手術だという戦友がいた。
大変なことだ。一生懸命に励ましていた
つい先日、連絡があった。
まだ生きている。

昨年、ステージ4だという知人がいた。
「治療を何もしなかったら余命は8ヶ月」という
そろそろ、やばいか?と思っていたが、
何もしないでも、進行していない。余命8ヶ月のままである。
聞くのを忘れた「いつから余命8ヶ月なのですか?」

若い友人がいる。
彼は抗がん剤の影響か頭を丸めている。
抗がん剤を4クールしている(?)という。
彼いわく「知っているおばさんは13クールして病院から表彰された」という
彼は言う「年をとって体力が落ちてから治療ができないかも…」

癌は早期発見・早期治療だという。
どうやら違うようだ。
そんな疑問も出ているようだ。
朝日新聞 論座引用
がん 早期発見・早期治療が善であるとは限らない

結局。人間が千差万別だから、様々な症例が現れるということらしい
知人夫婦は乳がんと胃がんの夫婦だったが、胃がんの旦那は心不全で急逝した。
親友の夫婦も両方共癌だったが、奥さんがなくなったあと、がん治療の退院後、独りで脳溢血でなくなった。

癌が発生しても他の原因で亡くなることが当たり前だ。
ひょっとしたら交通事故で一杯亡くなっているかもしれない。

そんなことよりも、自分らしく生きる。
死に至るまで成長(?)し続けるということが大事だ。
そして明日も無事な世界が広がることが…

ゆっくり温泉でも行って…
と思う人は羨ましい。
温泉に行くと血管が膨張して破裂して出血し止まらないのだ。
そんな人もいる。
無事な世界も、人それぞれ違うのだ。
無事な世界=いい言葉だ。

小生の感覚

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は IMG_2488-1024x768.jpg です
魔子様の花旅

魔子様の誕生日だ。
何日だ?とか…
何歳?だとか…
干支は何だ?とか…
機嫌は、いいか?…
体調は、どうだ?とか
他の人に、あまり細かいことを言うと、
魔子様の機嫌が悪くなるので黙っているが…
親友の奥さんの命日と一緒だ
師匠の奥さんの命日と一緒だ
長いこと生きていると、記念日が様々な人の記念日と重なるものだ

花束を送るなどというのは、人生で初めてである。
いや、昔あったな?
酔っ払って銀座の道端で花束を買って、いつの間にかバーの女に取られてしまった。(誰にも言っていないが…)
照れくさいのである。
花束を持って、歩くというのが…
しかし、この年になって花束を持って似合うシニアになりたい
と思うようになった。
心境の変化というか…
今、抱えている仕事のせいだ

ある花屋が言った。
ドイツでは週末、店を開けてはいけない。という法律があるそうだ。
しかし、パン屋と花屋は良い、というのだ。
なるほどパン屋はわかる、できたてのホカホカのパンは、家族団らんには必要だろう。
しかし、花屋も西洋では、それだけ大切にされ日常化されているのだ
日本では、せいぜい正月の花か?冠婚葬祭の花、
お盆とお彼岸と…(産直の…小生の感覚だが…)
お見舞いは…花より団子だろう(小生の感覚)
いただいても腹も膨れない(小生の感覚)
すぐ悪くなるのだから造花で…(小生の感覚)

ふとそんな事考えているときにアメリカ在住の日本女性がきた
「アメリカは、どうなの?」
「そう、なにかあったら、行きつけの花屋で花を買っていくわ」という
「う〜ん」

そんな訳で、花屋をベースにした店を作ろうと思っているのだ。
難しいのだ。だいたいがセンスがない。知識もない。
ただ若い友人たちがいる。それが頼りだ。

野菜畑をもう一度

”たくさん”から、一枚の絵をもらった。
「そうだ!この絵をサンビルに飾っておこう」と思っていたら、見えなくなった。
片付けの最中に、荷物に紛れ込んでしまったようだ。
仕方がない。そのうち出てくるだろう。
だいたいが紛失物は、ほとんど出てくるのである。
というか、書類に紛れ込んでいるので整理整頓すれば出てくるのだが…

5月末締切の障害者軽自動車税の減免申請期限の書類が、机の上の書類の山から5月31日にみつかり、6月1日に郵送した。
”これぐらい良いだろう!”と思ったが、翌日、市役所から電話がかかってきた。
「届きましたが…締切が過ぎていました〜」
「書類の山に埋もれていたのだっ!」と言い訳にならない言い訳を、してしまった。
当然、相手にされなかった。
普通は怒鳴り散らして粘るのだが、優しそうな女の子なので(声だけ)
黙って引き下がった。こんなことをは珍しい。(泣)

サンビルにある店のものを、自宅に運んでると本の間から出てきたようだ。
魔子様が「間に挟まってたよ」
「何の本だ?」
「たしか発酵の本だったと思うよ」という
今となって、でてきたから良いが、「発酵して熟成したら、どうすんじゃ!」

産直は高い

産直はもう、おしまいだろう。
もう十分に産直の良さも難しさもわかって、成熟期を通り過ぎたような気がする。
もう当初から、野菜畑は主張していた。
岩手の産直は、7月から10月の4ヶ月しかものをふんだんに無い。
だから4ヶ月で、あるだけ売れればいいという発想で経営的になりたつのか?
また直接市民に売ることで、街の八百屋にどういう影響を与えるのか?
結局、街の八百屋が消滅し、農林省が自治体に運営を任せている市場機能も八百屋が消えて赤字である。
そして街なかには「八百屋・肉屋・魚屋・〜屋」というものが消えていった。

残されたのは買い物難民と呼ばれる、車を持たない人々や、高齢化した世帯など弱者の世帯だけが、声なき怨嗟の声を上げ始めている。
ちいさな野菜畑は、最初から市場流通を入れて足りないものを補完しながら相場と農家の間を取り持っていた。

今、多くの人は言う「産直は安くないよ!」と…
日々の相場がわからない農家は「なんでも100円」だったのが、100円が安いと気がついて値段を上げ始めた。
しかし、買う八百屋のいない売れない市場は、どんどん値段を下げ始めた。
だから街なかには、値段が逆転しているものが多々見られる。
産直は高いのである。
良いものが高いならわかるが、良いものを見る目を消費者は持っただろうか?
いや生産者自身が、わかっているのだろうか?
生産者にとって良いものというのは、農協規格や量販店規格に対応しているのが簡単に金になる良いものなのである。
お客と農家は、良いものが違うのである。


野菜畑が取り組んできた「説明して、わかってもらえる良いもの」などは面倒くさいもので、だいたいが多くの人はわかりやすく説明できないのである。

説明して納得して買うものが、日々の糧になるべきなのである。

空いた。飽いた。開いた。

だいぶブログの公開の期間が開いた。
いや書くのに飽いた、わけではない。
なんとなく心の隅にポッカリと空いたのである。

そんな訳で空いた隙間を埋めるべく、動き始めた。
どうやら微動だが、動き始めたような気がする。
今、とりあえず坂の上から大きな石を押したところだ。
ちょっと動いた。今まではびくとも動かなかったのに…

ゆっくりだが残り少ない人生を確実な歩みをしていきたい。
そんな6月14日の朝である。

脱産直宣言

背の高い婦人がレジで、なにやら聞いている
客と対応している魔子様が、小生に向かって
「無農薬の野菜を扱っているところはないの?」と聞いてきた
「何?」自分のところで扱っているのに…

と思ったが、どうやらお客は

”無農薬の野菜が選べるような直売所”を探しているようだ

出ていくと
「病気になって初めて食べ物の大切さを知って、どこで売っているのか?探しているのですが…」

こういうお客様が一番、説明の程度が難しい
まず「農業」と言う説明からしないといけないからである
そして「現代の流通」が、いかに問題があるか…
それには「人間の欲」の問題と…
そして彼女は
「ものを見ても…
人を見ても…
自分ではわからないので…」と最後に付け加えた

 

まず今の八百屋や量販店に並んでいる商品がどれだけ国産品の並んでいるか?
海外産は安全なのか?と言って地場産の比率は?
結局、今の時期(4月5月)は地場産(岩手産)のものはほとんどないのである
まして有機農産物など無いと言っても良い
自然栽培というか、自然にできた山菜の時期ではあるが…
それも「栽培」や「自然栽培という、ほったらかし」
それがすぎると「野生化栽培」と言う名に変わる
じょじょに岩手産がでてくるが、あっという間に終わる
岩手の農産物は、品種が満足の揃うのが4ヶ月(7月8月9月10月)しかないのである。

だから産直で食べていくというのは至難の業なのである。
当店も最初から市場流通の仲卸が入っている。
大きな農協系の産直は、ほとんど他の農協や漁協と提携している。
産直という名を借りた量販店なのであり、量販店の中に産直がある。
経営的にも、年間を通じて地場産有機野菜を揃えるというのは不可能なのだ

 

当店が有機農産物中心の街中産直を始めたのはもう25年も前になる
当時、有機農産物は肩身が狭かった
「無農薬です」とPOPに書くと
「わしのは毒薬を撒いて栽培しているのか?」と同じ出荷者から言われると聞いた
だから「無農薬」「有機栽培」とは書けなかったと…

そんな生産地のそばの産直から、消費者に近い産直を始めたのが、ちいさな野菜畑である
有機農産物を栽培している農家が地元の産直ではなく。消費地に近い場所に…
しかし、さまざまな問題があった。
農業は金を稼ごうとすると、ある程度の量が求められる
つまり一つの作物を作るのにも、種はワンロット(小袋)買わないといけない
種取りのばあい、選抜のためにある程度の量を必要とする
自家生産肥料といっても、作る量は最低ロット必要とする
(発酵肥料の場合、発酵させるためには熱量保存のために1トン程度の仕込みをしないといけない)
まして畑が空くと雑草が生えるから、生えない程度の作物を植えないといけない

等々の事情があって、ある程度の量を植えざるを得ない
それが果菜類のように、少しづつ取れる野菜であればいいが。
白菜・キャベツ・大根のように土地利用型は、一挙に収穫が始まる。
収穫が始まると一挙に腐敗が始まる。(野菜は収穫と同時に腐敗が始まるのである)
だから一挙に売らないといけない

だから食べる野菜をすべて産直で有機農産物を揃えるというのは至難の業なのである
まして、それを選べるようにするのは…

だから平成7年に街中産直をオープンして11年後「脱産直宣言」をした

脱 産直宣言!(2006年(平成18年)7月)

 

 平成7年(1995年)7月8日、農家直売所ちいさな野菜畑は、地域を越えた17人の生産者によって、盛岡市の一角で産声を上げた。

企画段階で岩手県の担当者に補助金の相談をしたところ、

「地域を越えた生産者が集まるところは、対象とならない。市町村の単位で有るならば、いくらでも出すが…。」と言われ

「だいたい街中に直売所など建てて、経営的に成り立つはずがない。近くに生協や八百屋。スーパーがある。消費者は、畑や田んぼを見ながら買うのが、好きなんだ」と、いらぬ指導まで受けた。

そのおかげで、一切補助金や、行政からの支援を受けない方向できた。

しかし、その担当者の言うとおり経営的には悪戦苦闘の11年間であった。

 よく「直売所に市場モノが並んでいるのはおかしい」という人がいる。

また「直売所は、地元の物しか売らないという哲学をもて!」という人もいる。

当店は、最初から仲卸を一社仲間に加えた。

岩手の旬は短い。野菜の品揃えが出来るのは、だいたい7月から〜10月ぐらいまでの4ヶ月である。しかし、米・卵・牛乳は、一年を通して生産され販売できる。そして冬には、農家の智慧や技を表現できる漬け物がある。そこで、一年を通じ店に足を運んでもらい、四季の農産物を通して農家の暮らしぶりや、農業のあり方を知って貰おうと、品揃えを充実させるべく、市場流通を加えた。

 そして、経営責任である。「みんなで、やろう」と言う言葉が安易に使われる。“みんなでやる”と言うことは、“みんなで責任を取らない”と言うことであり、変化に素早い対応が、とれない組織体である。協同組合という組織が、今行き詰まりを見せているのがその証拠である。また会社組織は、長くて100年の歴史しかない。平均30年の寿命だという。

その中で農家は、代々続けてきた。8代目9代目等というのはざらであり、それは“家業”として綿々と受け継がれてきている。(1代が30年とすれば、200年・300年と続いている)

 家業としての家族経営、そして年間を通して安定的商品供給の中で、岩手の農業の旬を伝え、農業のあり方を消費者と共に考え、そして高齢化する地域の人達に青果物を届け、地域に貢献をする。

そんな店が「直売所」というくくりで、捉えられて良いのだろうか?

先日、県の農政部から「直売所アンケート」を調査しに来た。

その担当者に“直売所とは、何か?”を問うたところ

「農家が自主的に、地元の農産物を販売する組織体」という。

当店の考え方と違う。そこで「脱 産直宣言」をする。

 直売所より ちょっと市民に近く

 八百屋より ちょっと農家に近く

 量販店より ちょっと農業に近く

 百貨店より ちょっと身近で

そして、地域に無くてはならない存在

はたして、この店を縦割り行政は、どのようにくくるのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまどけし

高校時代の友人が来た。
と言っても彼は、農学部をでて農業改良普及員の県職員として定年退官をした。
平成5年の大冷害のときに彼は、水田の研究担当課長をしていた。

久しぶりにみた同級生は、腹が膨れ上がり無精髭で会話が通じなくなった。
難聴である。

同級生が亡くなったので、その件で来たのか?
と思ったら違った。
道に迷って、見知った当店が有ったので飯を食っていこうと思っただけである
同じ同級生の友人の死は、大々的に新聞やテレビで報じられていたので、知っているのか?と思ったら
「知らなかった?同じ高校・大学だったのに…」と言う
そういえば彼は、学部こそ違え一緒の大学だった
「岩手県で初めての地元出身のアナウンサーだったのに…」
どうやらテレビ局開局当時の就職戦線の大きな話題であったらしい

そんな彼に食べている品種と生産者の名前を見せた
彼はムッとして「この地域にこの品種は合わない。やめておけと言ってくれ」
行政は、その地域の気候特性に向けて栽培品種を決めている。
小生が農業に携わるようになったころは、岩手県北部や中山間地は「政府米」の産地だった。
当時銘柄米と言われた「ササニシキ」「あきたこまち」は指定された地域でしか栽培出来なかった
栽培しても農協が買ってくれなかった

だけど日本人の悲願「美味しいご飯が食べたい」と言う根強いコメ信仰が
隠れて自家用として栽培され縁故米として流通していた。
県北部でも美味しいコメを!と言うのが研究機関の願いだった。
それが出来たので「かけはし」である。
友人は三人の育種開発者の一人である。
それを自慢げに言っていたが、奥さんからは
「あんなに農薬をたっぷり使う品種なんで…」と評価が低い。(笑)

そんな彼と平成5年の大冷害のとき、あちこちの田んぼを見て回ったことがある
多くの田んぼが、ほとんど2〜3俵(120〜180kg/10a  平年作は500kg)しかとれなかった。
ひどいところはコンバインを可動するよりも、草刈機で刈ったほうが費用も合理化できると言って
草刈り機刈って、”切り捨てごめん”のところもあった。
そのまますき込むと来年の肥料の軽減につながるというようなことも、まことしやかに流布されていた。

その年、小生が勤めていた農場は4市町村で23枚の水田を借り入れ、有機質肥料で昨付けした。
殆どが箱苗だったので筋蒔きと言う一株に10本近く苗が入る植え方だった。
だが一つだけポット苗で植えられる田んぼがあった。
ポット苗は種を。手まきで一粒づつ蒔くことが出来た。
23枚の田んぼは、ほとんどが5〜6俵の収穫を上げたが
ポット苗に蒔いた一粒の水田は7俵近くの収量を上げることが出来た。
近くの人は、みな見学に来た
農業改良普及所の所長も、見学させてほしいと案内した
そんなところを水田の研究担当課長をしていた彼と一緒に回ったのである

彼は回ったあと悔し紛れに
「肥料設計が、あたったのだ」といった

嬉しかった。とりあえず認めたのである。
従来の方法と違う、そしてそれが当たることもあるということを…

当時有機栽培とか無農薬とかは。農家自身が半信半疑で

「農薬かけないと、ものが出来ない」
「堆肥はきかない」
「有機質肥料は役に立たない」
「薄まきは、量が取れない」

などと言うことが相当、言われていた
ある研究会では
「おまえら業者に騙されている」とまで面と向かっていわれたものだ
それから25年で、だいぶ変わった。

しかし、当時の出来事で学んだことが数多くある
一株あたりの本数を少なく蒔くことによって稲の葉っぱにあたる光の量が多くなるから密植より効率がいい
有機質肥料は、気温に合わせて肥料の効きが変わってくる
つまり寒いときは効きにくく、暑いと効く。これは冷害のときは稲の生理的にいい傾向である
化学肥料は温度に関係なく肥料が効いてくるので幼い穂がでてくるときに冷害に当たりやすいのである。
堆肥は十分に発酵させて黒い腐植の状態で振り入れてやるべきだ

しかし、またこの条件に合う水田を見極めることも必要だ
行政の一般的に教えるやり方を自分の農地に利用できるように理解することが1番重要なのである
農業は、多くの知識を持って自分の農地で智慧を発揮できるような優秀な人の仕事である

知識だけの人は、机上の論理である。
智慧だけの人は、危機に対応ができない
智慧も知識もない人は、かまど返すしか無い。

日本の自然は何を私たちに与えてくれたのか

「花巻にブナ原生林に守られる市民の会」というのがある。
結成30周年記念講演会が開かれるという。

しかし、市民の会が結成された30年も前は「原生林に守られる」という感覚を、小生は持てなかった。
自然は守るべきものであって、守られるなんて…
その感覚が変わってきたのが、24年前に出会った内山節であろう
八戸で出会い、東京で…群馬で…仙台で…西和賀で…葛巻で…岩泉で…あちこちで、毎年、彼の話を聞いた
同世代の彼ではあったが、深い話に聞き惚れた。

そんな話が6月3日(日)花巻なはんプラザの記念講演会で内山節氏が講演をするという
詳細は

「日本の自然は何を私たちに与えてくれたのか」

出会った頃

 

内山節オフィシャルサイト

信用と契約

パソコンの先生である「亮君」から”養分と携帯乞食”と言う言葉を教えてもらった。

その意味とは

契約をそのまま替えず携帯会社の言われるまま契約している人々を「養分」と呼ぶらしい
つまり、現状のシステムを育み育てる「養分」と言う意味だと
携帯乞食は、あらゆる情報を入手して少しでも安い契約を探して移り変わっていく人のことを言うと…

小生は典型的な「養分」である。
請求書には「ご利用月数23年3ヶ月目です」と書いてある

面倒くさいのである。いちいちそんなのを調べて契約に赴き変更の手続きをするのが…
そして根強くあるのが、長く続けることで蓄積される信用というか…安心感というか…お得感というか…
長く続けるメリットがでてくるのだろうと!

そんな常識が吹き飛ばされた。

「法人割引き」と言う格安割引きがあるというので入っている。
登録している番号は、一定の金額を超えたら、まだ容量が空いている他の番号の埋めるから料金は増えないと言う割引である。
だから三台で月20000円以内で収まっている。
ところが亮くんの話だと、スマフォに変えて契約を変えると現金は12万必要とするが、毎月の電話代金が5000円で済むという。
つまり最初の年は同じ金額を必要とするが、翌年から三分の一になるという
驚いた、そんな状況になっているのか?
通信費用情報に疎いと損をするということか…
しかし、落とし穴があるのではないか?といろいろと疑う

どうやら大丈夫なようだ

とりあえず最初の法人名義から、個人名義に変更に行った。
4回通った。
一回目は混んでいた。「平日に来るわ」
二回目は予約で満杯混んでいた。「予約していく」
三回目は「一度に名義変更は2台までしかできません。あと1台は時間がかかります」
「どれぐらい?」「三ヶ月は…」
「どういう意味?」
「2台の携帯代金の振込確認ができてから3台目の名義変更になります」
「それはおかしいだろう?
23年も払い続けて信用されないのか?
まして、クレジットカードまで見せているのだ」

「すみません。会社の規則なので…」
「そもそもその会社の規則がおかしい!」と怒鳴りつける
すまなそうな女子社員の胸には”研修中”の名札が…
「え?あんた新入社員か?」
「あんたが悪いのじゃないが…
上司になぜそんな規則なっているのか?
客から文句があった。と伝えておけ」

4回目で一台を「利用者登録」と言う形で名義変更が出来た
どういう意味なのかわからないが…

このやり取りの中で携帯業界と言う今流行りの業界は大変忙しく動いている
そして日本旧来の「信用取引」というのは、アメリカ型の「契約取引」に取って代わって
信用という財産が蔑ろになっているのが現代の取引なのだ

アメリカ型の契約社会は、どんどん進行してきている。

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