ちいさな野菜畑

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カテゴリーアーカイブ: 私たちの思い

無駄な広場

たぶん今のにわかファンと呼ばれる若い人たちは知らないと思うが…
昭和40年代50年代、秋田・岩手はラグビー王国と言われていた。
秋田工業は全国大会15度の優勝を飾り、盛岡工業も優勝が2度、準優勝も何回か?黒沢尻工業は優勝こそ無いが準優勝が2度。
ましてこの3高校が準決勝や8強まで進出したのは数しれないだろう。
そして高卒ラガーが主体の富士鉄釜石の7連覇があった。
なぜかラグビーの盛んな地域の偏りが激しい。
山形県や青森県は、全国大会県予選参加高校は数校だった記憶がある。

冬のスポーツだと言うのに、冬場がグランドが使えないチームが強いのは。
やはりスクラムだろう。大柄の選手はいなかったが小柄だがガッチリした身体の選手が強固なパックで組むスクラムは強かった。
冬場に走れない分練習は、スクラムの強化と、室内の走り込みが主体だった。
高校生は監督が全てである。冬場の指導を地元出身の先生たちが一生懸命教えた。

小生が社会人になった頃から東京大阪九州の高校が台頭してきた。
雪がないなか、ランニングラグビーで鍛え上げてきたのである。
そして秩父宮ラグビー場の改装で、客が入る早明戦・早慶戦。社会人との決勝などがどんどん国立を満杯にして昭和50年代は正月のラグビーは風物詩だったのである。

その後、仕事が忙しかった。ふと気がつくとラグビーシーズンは終わっていた。
それから4半世紀がたった。ある時「南アフリカに勝った」と誰からか聞いた。
まさか…
2015のイングランド大会だった。
2019のラグビーワールドカップの日本開催は、観客動員だけでも難しい
と思っていたいのに。日本がベスト8まで勝ち進むなんて…

昭和50年代の国立を満員にしたラグビーを見ていた者にとっては
このワールドカップをベースにしたラグビー人気は耐え難く嬉しい
これを一過性にしないで定着させるには…
多くの人は考える、ラグビースクールの充実や底上げ等々

しかし。子どもたちに決まりきったスポーツを押し付けることが本当にいいことになるのか…(最近の部活を見ていると特に…)
やはり生涯スポーツである。
高校中学校までは、スポーツの面白さを教える指導者がいるスポーツクラブで…
大学社会人では、体力と技を教えるチームスポーツを…
そして地域でスポーツで体力づくりと地域づくりを…
オールブラックスなどは。一年中ラグビーをやらないという。
他のスポーツをやって違う筋肉や動きを取り入れるという。
最近、原っぱが無くなった。無邪気に走り回る無駄な広場がひつようなのだ。

ラグビーって、いいもんだ!

ラグビーロスである。
魔子様が、小生を見て「ラグビー終わったの?」と声をかけた。
返事もしない。魔子様はラグビーには興味がない。
ラグビー中継が始まるやいなや、自分の部屋にこもりドラマを見る
「あんな痛い運動は…」痛がりの怖がりの魔子様である。

からだを変なふうによじったせいだろうか…
南アフリカの優勝から、殿筋というか…ある筋というか…
力が加わるとビーンと筋肉の張りがいたい。
疲れる44日間であるが、そのあと何日か全快までかかりそうである。

 RWC2019の記念にCAPを孫用に2つ買った。
2019のワールドカップにおじいちゃんが買ってくれたという想いでに…
そういえば、今まで土産など買った覚えがない

小さな頃からラグビーをやらせればよかった。と思うことしきりである。
もっとも仕事ばかりで子どもたちにかまってやることができなかったが…

あるコラムに

当コラム欄のタイトルである『be rugby』は、フランスの社会学者、ダニエル・プティエの著書『ラグビー』(文庫クセジュ)に紹介されている別の研究者(A・スーテール)の言葉から引いた。「ラグビーであること」の解釈は「プレーしているからというだけで、ある個人がラグビーなのではなく、日常的にラグビーを生きているからこそラグビーなのである」。以下、概略。チームという共同体へ帰属する。証明として、恐怖や苦痛にあらがい、みずからの身体を捧げる。そこまでするのだからうまくいかなくてはならない。そのためには仲間との相互性、選手と選手を結ぶ「完璧な信頼」が求められる。それは個人と個人のあいだに強い連帯感情がない限り不可能である…。

学者のように言語化はできないが、ラグビー部員であった者、ある者、ラグビー観戦を深く愛する者なら、わかる。ラグビーは痛くてこわくて、ひとりでは絶対にできない。いや、ひとりずつの集まりでもできない。だから「人生」が関係してくるのだ。オールブラックスやイングランドやジャパンでなくとも、ナミビアもカナダもロシアも「見つめるに値する」理由である。異なる文化の異なる個性がラグビーの共同体を形成する。不要なチームはひとつもない。無視できる人間もひとりもいない。

前掲の書にはこんな言葉も紹介されている。
「ラグビー、人生の学校」
かつてフランスの協会の標語のひとつであったらしい。
校則でなく連帯で営まれる学校。

新国家観

ワールドカップの日本チームは7カ国の混成チームである。
もともと英国発祥のスポーツなので、世界の植民地に行った英国人が現地の人と一緒の代表チームに入って戦えるようにと言う
現地のラグビー協会所属主義という。
だから日本ラグビー協会に所属する人で、
 日本国籍を有する人
 親、または祖父が日本人
 また三年間日本に住んでいるか…
 他国の代表にならなかった人なら
日本代表になれるという。

ゲームを見ていると、一瞬のスピードで大きな体の隙間をつくのは可能だが
やはりフィジカルな面では、日本人では勝てない
という思いがする。
肉食民族と…草食民族との差を感じるのである。
その差をカバーするのが外国人代表なのである。


以前読んだ本で、江戸末期から明治の始めに来た外国人二人が、二台の人力車を雇って、江戸から日光東照宮まで走らせたという。
人力車の車夫は片道150kmを二日がかりで走りきり、
外国人は、車夫は休みも取らずに帰りも平気だったと驚いて書いてあった。
一日75km人力車を引っ張り、その食事は握り飯だけだったという。
日本人は、穀物食でその驚異的体力を作ったが、穀物食は持久力こそ作れるが、体格的な骨格は穀物では無理だったようだ。動物蛋白が必要だった。
 昔の人の体力は、一人一日、鍬で一反歩(300坪)の畑を耕すとあった。
現代人の小生は、せいぜい一日かかって100坪が精一杯である。
(若い時ならば…)(休み…休みならば…)(翌日は2日ぐらい休まないと…)
そして日本人は、穀物食のために、消化吸収の時間をとるために大腸が長くなったから胴長だという。(短足は個性だ。)
(小生は足が長いので困った。タックルされるとすぐバランスを崩れて倒れてしまうのである(汗)

基本的な体力で差があると、当然負けるだろうと予想が付き、そのとおりになる。
それでは面白くない。想定外が起こらなければ…
そこでアドバンテージとして、現地ラグビー協会主義ができたのだろう。
 卓球は、世界各地に中国人のプレーヤが帰化して、その国の代表となっているという。自国では代表になれない選手たちが、海外に出ていくという。
たしかに華僑という形で、中国人が商売のために海外に出かけて行ったのはわかるが、それもほとんどが、他国でチャイナタウンを作っている。
その国に同化しているのではなく、そこに租界を作っているのである。
だから現地協会主義のラグビーとは、ちょっと違うような気がする。

しかし、いずれにせよこれからの日本のあり方ではないのだろうか…
他国の良いところを取り入れて。良いものを作り、良いサービスを提供していく、
そしてラグビーの日本チームのように、鍛え上げれば言葉が通じなくても心が通じるのだと、最後の記者会見が示していた。
英語と日本語が、飛び交う面白い記者会見だった。
相手に通じるように下手な日本語でしゃべる、
こちらの想いを伝えるために母国語でしゃべる。
それでもワンチームであれば、通じるのだ。
ひょっとしたら領土という土地にとらわれない新しい国家観なのかもしれない。
そしてスポーツ文化と芸術文化が、無事な世界を作るのかもしれない

あるコンビニチェーンが自社工場を田舎町に作った。
そこは…東南アジア系の外人ばかりだという。
それは地域のためになるのか…
またそこに働きに来た人たちのためになるのか…
単に賃金が安いから、大量に連れてきたのか…
もっと違う雇用システムがあるのではないか…

自己犠牲

今回のワールドカップの日本開催で、ラグビーは多くのファンを得た。
しかし、これだけ成功するとは思っていなかった。
ひょっとしたら日本のゲームは満員になるだろうが…
日本と関係のない試合は…人が入るか…
と思っていたが…
杞憂だった。

高校入学時、中学のサッカー部の連中とサッカーをやろうと思っていた。
ところが入学した高校は、ラグビー部しか無かった。
しかたがなく皆でラグビー部に入った。
それからラグビー人生が始まった。
昭和40〜50年代、岩手はラグビー王国だった。
笹田を有する盛岡工業は、全国大会で優勝し、
平尾誠二の伏見工業が優勝したときには、準決勝で黒沢尻工業と対戦した。
釜石には7連覇の富士鉄釜石(現新日鉄釜石)があった。
森重隆と松尾雄治が、引っ張るが、その殆どが地元の高卒のラガーマンだった。
24時間稼働している現場の仕事をやりながら、作ったチームだった。

新日鉄釜石の7連覇のあと、岩手の低迷が続いている
そして大学ラグビーも、早慶明の国立競技場を満杯にした人気から、
平尾率いる同志社の三連覇そして帝京や関東学院などに移ったが、
それほどの盛り上がりは、見せない。
社会人も神戸製鋼の7連覇以降、一応プロ化をしたが人気はもう一つだ。

サッカーが地域を全面的に打ち出して人気になってきたのに
それ以前は、人気があったラグビーの落ち込みは激しい。

日本の前ヘッドコーチ、エディ・ジョーンズが、巨人の原辰徳監督にアドバイスを貰いに行ったそのときのドキュメンタリーを見た
当時、全日本を率いて優勝した原監督は、日本人の特性は
「スピードと自己犠牲だ」とアドバイスしたという、
そうなのだラグビーは、前にボールを投げてはいけない。
だから後ろに投げる。
それを続けると、アタックラインは、だんだん後ろに下がっていく。
自己犠牲=自分が一歩前に倒れても、後ろから走ってくる人に渡す
というプレーがないと、前に進まないのだ。
つまり自己犠牲の連続なのである。
本来、もっともっと日本人受けするスポーツなのである。
それが盛り上がりが少ない。

今回のワールドカップで「感動をありがとう」「涙が止まらない」
というにわかファンの声が大きいという。
ルールが難しいとか言うが、自己犠牲の連続は見ていれば誰もが感動する。
そんなスポーツなのだ。
これをきっかけに多くのファンが増えて、
子どもたちも日常に自己犠牲のラグビーがあれば…

想定外考

想定外ということが、原発事故以来、常態化している。
どんな想定で、思わぬことが起こっているのか…考えてみた。

原発事故は、ここ100年の科学が想定しうる対策をしても、それ以上のことを
自然は引き起こすということであり
人間が操作するということは、そこに間違いが発生するということである
完璧な機械によるコントロールにしても、機械は壊れるという運命を持ち
壊れない機械は、摩耗しない素材で作らないといけない、
摩耗しない素材、それは魔法の素材である。
また人工知能で判断させるなら、そこに埋め込む知能は完全でないといけない
不完全な人間が、完全な知能を作り出すことは不可能である。
世の中には、完全な人間だと思いこんでいる頭のいい人が多いこと…

台風19号も自然災害に対して、科学が想定しうる対策をとっても
自然は、その対策を軽々と乗り越えた災害を与える
所詮、想定しうる対策と言っても、せいぜい気象の観測の100年の蓄積を元にした対策しか無い。
つまり地球46億年の歴史から、気象観測はわずか100年。
その他に地層や凍土、氷等から分析した想像でしかない。
できないのに想定することが、問題なのである。
つまり想定外が当たり前のなのである。

昔と言っても、電化製品が少なく、停電が当たり前の時代、薪や炭という燃料があり、仏壇にはロウソクと、部屋の隅には前に使ったランプもぶら下がっており、必ずラジオがあった。
そして天気予報はあまり当たらず、常に逃げる場所を確認して、子どもたちは枕元に、明日着る服とランドセルを置いて寝たものだ。
町には八百屋や魚屋、米屋、雑貨屋があって、それぞれに1週間ぐらいの在庫は持ち、なま物は保存する技もみんな持っていた。
たぶん想定していたのだろう、襲いかかる自然に自分たちはかなわないことを
そのころから、だんだん科学が進歩して、
自分たちは想定して動けると思い込んだ人が多くなったのかもしれない。

所詮、人間は浅知恵なのだ、と自然は証明しているのである。
だから努力して努力して、神に近づこうとするのが、人間のあり方なのかもしれない
しかし、それでも神になれないから、人間なのである。


豊かな量を求める会

”求める会”の「偲ぶ会」に参加した。
正式には「豊かな食べ物を求める会」の「日野岳唯照を偲ぶ会」である。
「豊かな食べ物を求める会」もう30年も続く会である。どういう経緯か知らないが、
記憶では岩手大学の学生たちが有機農家を応援するという会だったようだ。
その主体の人が山形へ引っ越したり、学生たちが卒業して、地元の主婦が地元の有機農家が主体となって、生産物を分け合ったり、醤油を作ったり、お茶を頒布したり、「土と健康」という雑誌を読み合ったり、食の安全と農業と向き合いながら、食べ物を持ち合いおシャベルをする会である。それもどんどん人が替わっていったりしてメンバーが替わったが、人数的には変わらない。
ようするに農業の「提携」とか、米国でいう「CSA」の元祖である。

そんな”求める会”で、中心メンバーの専立寺の坊守さんのご主人が昨年亡くなった。
一周忌をまえに、偲ぶ会やろうという会である。
小生は、入会20年ぐらいになる新参者である。今まで年に5〜6回開催される行事にもほとんど参加したことがない。
そういえば会報誌に、一本原稿を寄せたぐらいだ。
ほとんど駄目な幽霊会員であるが、会員の人が店にかいものにきてくれたりするので付き合いが続いている。

店を閉めて暇になった。
そして、お寺さんとの付き合いで是非参加しなくては…と思った次第である。
女性ばかり10人ぐらいである、さまざまな手料理を持ち寄って好きなことを喋って準備もあわせて4時間。
玄米の甘酒とぬか漬けを作って持参した。

食いきれないほどの料理と栗ご飯、豊かなのは食べ物だけではない。
豊かな量の食事だ。お土産を山ほどもらって帰った。
あれこれと話をする内容も濃く、至福の時間の情報交換の場である。
長く続くというのは場所の問題だと思う。
気のおけない場所と雰囲気。主催というか中心となる人の人柄か…

蕎麦屋の二階

とりあえずビール!
と頼むと…
煮物とねぎとろが出てきた。

蕎麦屋の二階である。

「これでおしまいです。」
と言って、里芋のずんだと
焼き魚が…

  本当は、蕎麦屋だからもっきりか…熱燗を頼みたかったが…
夏は、暑い。夕暮れ時のムッとした時間帯
やはり、最初はビールで…
その次は…友人は「焼酎のそば湯割り」という
こちとらは、やはりまだまだ本調子ではない
「焼酎の水割り」を…

蕎麦屋で酒を飲むのが夢である。
都会にいたときは、当たり前のように呑んでいた。
「得意先に出かける」と言いながら…
故郷に戻ってくると、それができない
なんと言ったって車がないと身動きが取れない
まして自営業は、いつ仕事で呼び出されるか…

だから1月4日は蕎麦屋で酒を日中から呑む日に決めてある。
ところが友人から誘いがかかった。
「三人で一緒に飲もう!5時に待ち合わせ…」この友人は土木屋である。
もうひとりは歳のとった林業家である、そしてなんでも屋の小生と…
業界の違う気のおけない3人が、蕎麦屋の二階で酒を酌み交わす。
話しは…
 千葉の大停電と林業。
 メガソーラーと土木
 ラグビーと地域活性化…
 エネルギーと地球の温暖化
 木工と障害者のしごと
 子どもたちと教育
 日産とゴーン
 原発と賄賂
そしてこれからの政治…

きちんと聞いて反論し、お互いにリスペクトし、改めて蒙を啓かれた。
話すことの尽きない至福の三時間である。

江戸時代は逢引の場所であり、大人の密談場所
西洋から喫茶店が入ってくるまでは、みんなのたまり場
今は、寂れてしまったが、床の間付きの静かな会話の場所
忘れ去られた蕎麦屋の二階を、もういちど…

ラグビー考

毎日、高濃度のラグビーを見る機会が与えられて、幸せである。
心のなかには、仕事の一抹の不安があるが…
そのおかげで、ついつい仕事のことを考えながら見てしまう

たとえばスクラムである。
昔は、絵で見るしかなかった。
今は、ビジュアルに見ることができる。
スクラムを組む姿勢、そして足の角度、各ポジションの組み方。
おまけに今は、真上から見ることができる。
これは、へリコプターか?ドローンか?
それとも、カラスか鳩にカメラを積んでいるのか?
と思ってしまうのだが…ちらっと見えたのは、
どうやらケーブルを上に張り巡らして、カメラを動かしているようだ。
いやおかげで、すべて手にとるようにわかる。
すごいものだ。

密集を走り抜けるのでも、
どこでステップを切って
ハンドオフ(手を叩いて相手を押しのける)
で叩き落とすのか…
また、そのやり方や密集の様子が、
後ろから前から下から、自由自在に映像が流れる
すごいものだ。

ラグビーの基本ルールは、前にボールを落とす、投げる、のが禁止である。
そしてボールよりも、前にいてもオフサイドになるから、
ボールよりも後ろに、戻る意思表示をしないといけない。
これだけである。
だから、これだけは言える。
ボールは、ボールを渡した人より、必ず前に出ないとゴールは目指せない
つまり、チームプレーと言いながら、
一人ひとりが、前に出る強い力をもっていないとゲームにならない
ラグビーの精神だという「one for all all for one」は
全員のために一人が…、一つの目的のために全員が…
「皆のために、一人ひとりの強さと、一つの目的に向かう団結が求められる」
のである。しかし、ラグビーはポジショニングによって役割が違う。
大きい人・俊敏な人・足の早い人・力のある人・
それぞれの人々が、その役割を発揮して目的に向かう
ラグビーの基本というかボールゲームの基本というか、チームプレーの基本
であり。それは今の社会の企業のあり方にも通づるのではないか?

と思いながら、それが通じるのは大企業だけだ。
地方の中小企業は、ひとりひとりの弱さを皆でカバーして、
みんなで達成する喜びを分かち合うのことなのか…と思う、

人生には「まさか」という坂が有る

以前。魔子さまに笑われた。
「何を泣いているの?」と言って
あのときは、釜石の7連覇がかかった日本選手権だった。
足を痛めた松尾が、国立競技場で足を引きずりながらゴールに向かって走って行ったときに不覚にも涙が出た。

「ラグビーを見て泣く人を初めて…」と魔子様は言う

今回も、ひょっとしたら、そんな場面に遭遇するかもしれない。
最近、涙もろいのだ。
とりあえず、そうなっても良いようにティッシュケースをそばに置き、
前半からビールを飲むと、途中で席を立ちたくなるから、後半からにしよう。
そして前半は、乾き物で濃いめの珈琲を飲み、
後半は、ぬか漬けとホタルイカの酢味噌あえ、北寄貝の刺し身、
スポンサーに敬意を評してハイネッケンが無いので、ジョニ赤の黒ビールを
それも切らしたので、しかたがない赤の金麦を…
準備万全、テレビの前の椅子に座った。
魔子様に「客、電話、一切でない!」と強く伝えて…

しかし、いつの間にアイルランドはランキングが世界二位になったのだろう。
たしか昨日までは
「世界一位のアイルランドと対戦する日本は…」と言っていたのに…
と思いながら
相変わらず大きな大きな体格の外国選手に立ち向かっていく日本選手と
外国人でありながら日本選手になりきって戦う連合チームの試合に
「無理だな」
前半だけ、なんとか小差でもって、
「体格差をもろともせずに、善戦したね」
と声をかけて、あげるだけだ。
あんなに大きな体に持ち上げられ、叩き落されて…
「どこまで善戦するか?どこまで少ない点差で行くか…
どこまで行くか…
前半まで、もつか…
後半、半ばまで行くか…
え?あと10分!行かない。えっ!

人生には、まさかという坂があるが…
ラグビーには絶対にない坂が、「まさか」である
いやぁ〜驚いた。滂沱と涙が溢れた。
泣いていないのは、選手たちだけだった。
「必然だ」と…

海よ、もうノーサイドだ!

いつもなら釜石に駆けつけているのだが
長いこと歩けない足とスタミナ。
短時間にトイレに駆け込む尿意。
じっと我慢の自宅のワールドカップが静かに始まって、一週間が過ぎようとしている
そして、改めてラグビーを知った。


ラグビーの観客席は、敵味方が一緒だ。
だから観客席のウエ〜ブが、成立しないという。
見ていると、最初起こるが…途中で消える
なるほど…

 サッカーのレフリーは、厳粛、且つ独裁です。
その為、判定や、いきなりのイエロー・レッドカードに選手の暴言やブーイングだけでなく、
観客同士の暴動(戦争迄?)に繋がることも有ります。
また、試合中のレフリーを欺く、シミュレーションも巧みですが、
芝居がバレるとピンピンします。それもサッカーの魅力という人もいます。
 一方、ラグビーのレフリーは、信頼、且つ尊敬です。
試合中は仲間や相手チームだけでなく、レフリーに対しても強いrespectがあります。
サッカーのタッチジャッジは、ラグビーではアシスタントレフリーと言われ、
レフリー達はいつも連携してます。
それでもわからなければTMO(映像判定)を使用します。
選手達は判定に従い、観客からのブーイングはありません。
試合中も、レフリーは厳しいながらもフレンドリーに捌きます。
それは、反則を見つけて罰を与えることよりも、選手の安全を守りながら
スムーズに続行することを、目的としているからなんです。
なるほど…

海よ、もうノーサイドだ。
海は。厳しい友である。

子どもたちに教えてもらった。

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