ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 生産者と共に

楽しい時間

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本が届いた
内山節全集の第12回配本。
「時間についての十二章」である

なかなか読み切れないが、著作集における読者の想いが月報に載っている
その月報だけは、何回も読みなおして熟読する。
他の人はどう読んだのか?と。
今回の時間についての十二章の想いは、静岡の向笠安行である。
当店に置いてある「茶農家の飲み茶」を製造している茶園の園主である。
「農として変わってはならないものは何か」という題で書いてある

読んでみると

茶の栽培は、茶畑と同面積の茶草場というのがあり、茶草場で採れた草を茶畑に敷いていた
しかし、好況期に茶草場も茶畑に拡大して化学肥料の投入が飛躍して増えていき、
その頃から品質の低下や環境の悪化、経費負担が増えていった。

とある
以前と言ってももう二十年以上昔の話だが、東京の大きな公園で有機農業フェアーがあった
当時、農業初心者であった小生は、お茶を売っているブースに顔を出し
「お茶は、無農薬ですか?」と聞いた
そのブースのおっさんは
「お茶は、直接湯を注いで呑むものだから、農薬など使っていない」
と大見得を切った
”そんなものか?”と思ったが、あとでお茶ほど農薬を使うものはない、と知って唖然とした
平気で嘘をつく農家に…

やはり茶の生産にも農薬は窒素肥料の多投の時代があって、反省があるのだろう
向笠園のお茶は、内山さんの話によると
「気象条件や栽培状況をみながら管理しているから、うまくいくと無農薬のお茶ができる年もある」
と言う

「無農薬で作ってます」という言い方は、農業を知っているものには、ちょっと使えない(?)
なぜなら技術的に確立されたもの、例えば「いもちが発生しない処の米」ならいえるが
”野菜や果物などは、難しい”というか、病気や虫にやられた場合は、お手上げである
自然農薬とよばれるものも、効き目が安定しない
効くときもあるし、効かない時もある。
効かない時は、収入がゼロになることを覚悟をしないといけない。
「奇跡のりんご」はゼロの覚悟の中で切り抜けて行った人である。
あれが農業ではなく「哲学」である。

だから「無農薬です」と言う人は、よほどのことがない限り信用しない
今年の気象条件のなかで、たまたま出来た。
去年、除草剤をたっぷり撒いたから草が生えなかった
ういうことでしかない。

 

「時間についての十二章」は、以前読んで感銘を受けた
時間は平等ではない、田舎時間や工場の時間、めぐる時間など
縦軸の過去・現在・未来の時間、横軸の循環する時間など、いろいろとあると言う話だったような気がする
時間を個人のものにした近現代人の貧しさと言えるだろう

また読みなおそう。楽しい時間だ。

再会

フィリピンでポン引きをしていた頃
毎年1回一週間ぐらい、行った。泊まった。よく走った…高原がある

あの泣いた五郎丸も来た高原である
「泣くな五郎丸。2019は笑うジャパンだ(意味不明)」

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長野県の北東部にある高原である
ダボスがある高原である

ダボスとは何か?
ダボスとは地名である
世界のトップ経済人が集まる「ダボス会議」が開かれるスイスの地名である
なんでも保養地だという。
ところがフィリピンのポン引きをしていた頃は、丘の上に石が組まれた塔があって
みんな走って登って、それをダボスと呼んでいた。スイスの保養地に似せて…
そして言う
「一度でいいから、のんびりとダボスまで歩いて登りたい」

 

 

ふと夜中にワールドカップの試合を見ようと、日本薄謝協会からきたメールを見たら。
懐かしいダボスの有る菅平高原の「ちいさな旅」がオンデマンドで配信されるという
どう変わっているのだろう?と一番組108円を払って視た

 

懐かしい山々やトラクターやラガーマンが混在して走る道路、練習場やレタス畑が次から次へと出てくる
ナレーターは「昭和50年代からラグビーのメッカ…」と言っていたが、
小生らが通っていた昭和40年代なかごろから、もうホテルや旅館はだいたいがグランドを持ってラグビーチームの合宿を受け入れていたはずだ
しかし、当時はテニス部の合宿もあった。
ラグビーのメッカというよりも、合宿のメッカだったかもしれない。
グランドの行き帰りや、休憩時間はテニスコートの金網にへばりついて、スカートから伸びでたスラリとした足を眺めていたのである。(友人たちは…)
そんなことを思い出したら「診療所」がでてきた。
そういえばここもお世話になった。
4年生の最後の合宿。
最初の練習試合のファーストスクラムで大きな

「ボキッ」

と音がして肋骨が折れた
相手は美大のラグビー部の100kgはあろうかといデブのフロントロー(今はプロップというらしい)だ
そして車に乗せられ担ぎ込まれた診療所である。(当時は70kgの小生であった)
そこでは処置ができなくて、高原を降り下の街の大きな病院で治療をした
いやなに治療と言っても、ガムテープみたいなものをぐるぐると胴体に巻いて動かないようにするだけである
”これが骨折の治療か…”と不安げに思った。
「医師からは「動かさないように…」と指示命令されていたが
その後もグランドを走りまわっていたが…

そんなことを思い出しながら30分番組を見終えた。
そして最後のテロップをみると…

なんと「撮影 中◯拓◯」とあるではないか?

えっ!IMG_0320

 

 

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父は、どうしているのだろう?
息子は、こんなところにいたのか?
よく会合に親子揃って出てきていた。
もう10年以上前の話だ。

こんなところで再会するなんて…

 

 

美味しい

米を売るのは苦労する

こしひかりですよ
魚沼産ですよ

と言うと大体が美味い米だと思って買う
当然美味い米と思って食べるから美味いのである

しかしIMG_0230
コメの味は、ブランド米だから美味しいとは一概にいえない
それは新米なら同じ条件だから…と思っているだろうが
精米の仕方
(摩擦で糠を落とすか、低温で糠を落とすか
精米してから酸化が始まるから、精米の日にちや保管の温度)
炊き方
洗米を手早くやるか、どの程度やるか
浸漬は何時間、
炊くときの水の量はイッパイか?おっぱいか?
ガス火か?電気か?ほんきか?
釜は羽釜?文化鍋?無水鍋?ぶんぶく茶釜?
蒸らしは…おもらしは?
炊きあがった時のかき混ぜ方?

等々美味しくご飯を炊くには、さまざまなノウハウがいる
だから品種だけで選んでも美味しいとは限らない
まずい米を、美味しく炊く技もある

だから「美味しいよ」と売っても
「まずかったわよ」というクレームになる
試食を出しても

 

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炊きがけは美味しいが、覚めたらおいしくない
しかし、試食を出す。
「ササは、和食に合うお米です」と言って…
冷たくなった試食は減るが、米は売れない

有る米屋は電気釜を貸し出し、見本米を提供し、
「たきたてを食べさせて売るのです。冷めたら捨ててください。
温かい炊きたてでないと売れませんから…
お米はいくらでも提供しますから…」
と言って、くず米の混じった米の新米を販売していた。

紅白

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血だ。卵に血が混じっている
以前は
卵に赤玉と白玉があり、赤い卵に多く見られるために
「血ではない、殻を作る色素だ」と言っていたのだが…

 

卵には白い卵と赤い卵があります
これは鶏の種類により、赤い卵を生むブラウン系と白い卵を生む白色レグホン系があり、
それによって殻の色が違い、一般には白い卵が産卵率が高いのです。
だから、効率と合理化の企業養鶏は白い卵を選択し生産します
その企業養鶏を嫌って、個人養鶏(庭先養鶏や自然養鶏)は、違いを出すために赤いブラウン鶏を飼います。
当然、赤玉を生むブラウン系は産卵率が落ちます。
しかし、卵の栄養価は一緒です。違いは、飼い方に寄って、鮮度や日持ちや黄身の色が違ってきます。
それと企業養鶏は、500日齢(一年半)で廃鶏にしますが、自然養鶏は、長く持たせるために健康に育てます
企業養鶏は、産卵率のみ考え、餌を食べないように狭いところへ閉じ込め、決められた量の餌をグラム単位で与え
自然条件に左右されないよう窓の無い鶏舎に閉じ込めて飼います。だから単価の安い物価の優等生が大量に作られてきます。
しかし、伝染病になると、その鶏舎すべてが淘汰されます。
ただ企業養鶏は卵を出荷するときに下から光を当てたりレーザーなどで金のかかる装置を使用して血が混じっていないか検査しますが
個人養鶏は、目視のためどうしても見逃す率が多いので赤玉系に血(色素?)が混じっていることが多いと思われます

食べても害はありません
ただ気持ちが悪いという人多いので

当店の生卵定食は、割って確認してお出しするようにしております。

もちろん除いた卵は、入道の酒の肴の”だし巻き卵”になります(嬉々)
自然卵のだし巻き卵は売り物になりません。なんせ色が白いのですから…(泣)

 

しんまい

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食べてみてくれ!}

と二種類の米を持ってきた。新米である。
そのへんにいる若いアンちゃんの「しんまい」ではない

新米というのは、いつまで言うのか?
いや、いつから言うのか…

「米穀年度」からいえば11月1日だという
「玄米なんだか管理法」によれは、採れた時から年末までと言う
年を越しても、精米していれば
いや低温倉庫だと味が落ちない、
籾でとっておけば味はもつ、
梅雨を越すと新米とはいえない…

と、さまざまな事を言うが
一番はっきりしているのは(たぶん多くの人が思っている)

採れた秋から年末だろう

だからやさい畑の新米の季節は、本日から

宮城県石巻産、新米のササニシキ販売します

こうか

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黄香が、岩手町一方井の遠藤幸悦から出てきた
黄色いりんごは売れないという評判である
「林檎は赤だ」という思い込みがあるからだろか

黄香は、岩手県が開発した品種である

岩手県の農業研究センター情報によると「黄香」は、
「つがる」のめしべに「プリシラ」の花粉を受粉させた種を基に開発しました。
 2000年に初結実した黄香は、果皮色が黄色く果実の形が豊満で、硬い肉質と穏やかな酸味、独特の芳香を有した個性的なりんごです。
 黄香の収穫期は早生種「つがる」と中生種「ジョナゴールド」の端境期にあたる9月下旬です。
現在、この時期に収穫できる生産性の高い品種はなかったので、生産者が必要としていたものでした。
 また、黄香の果皮色は黄色なので、葉摘みや玉回しという赤く着色させるための栽培管理を必要としません。
従って「黄香」は、省力的に生産することができる品種です
下、ジョナゴールド

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林檎にいろいろな品種があるということは想像はしても
「八百屋」の店先でしか見たことのない人は、林檎は「りんご」なのだろう
東京の下町で育った魔子様は「赤いりんご」という言葉しか知らなかった。

小生だって、幼いころ知っていたのは
赤い「紅玉」「国光」
黄色い「印度」だけだったような気がする

 

あめ

暴風雨の予報であるが
外を見ると真っ暗だが、音だけはするが雨は見えない
木々が揺れている音がする。
雨が地面にたたきつけられる音がする

都会に住んでいた時、会社に行くのに土を踏む感覚は無かった
それどころか、雨靴を履く風習もなかった
なんせ踏みしめるのは、アスファルトと、ビルのコンクリートと、電車の鋼鉄(アルミ?)の床、だけだった。
雨は邪魔者だった。

雨の日は、傘を持っていくか?持って行かないか?だけの判断だった
大阪で会社勤めをしていた時、事務の女の子は、商店街のアーケードから地下鉄に乗って、勤めているビルの地下に続いているので
「雨の日でも傘はいらへん」と言っていた。
都会では雨は、厄介者である。

 

農業の世界に入って、雨音が聞こえると嬉しいとか、ほっとする感覚が生まれた。
「田植えは、雨に限る」という若い農業者もいた
”雨が音を遮り、集中出来るのだ”と言う
農家は、今稲刈りである。
雨は邪魔者である
せっかく水田から水を抜き、地面を乾かして、1トンもの収穫用機械(コンバイン)を入れるようにしたのに
また長雨が続くと、元の木阿弥、大きな機械が重量で沈み込み、土を踏み固めて大きな轍を作るからである

しかし、本来のコメは、できるだけ長く水分を続けて補給したほうが、味がいいという

作業性を取るのか、米の質をとるのか?
それぞれの水田の状況と考え方に寄る。

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ヴィヴィッド

取材が来た。
なんでも10月25日発行の雑誌らしい。
たぶん全国の本屋の平台に重ねられるのだろう!
と思ったが、見本紙を見たら岩手のことばかりである。
どうやら千葉の本屋には並ばないようだ

その雑誌の10月号は、新米特集である
新米のおにぎりの特集らしい
当店の「玄米おにぎり」と「赤飯おにぎり」を掲載するという
それとついでに、新米のご飯にかけて食べるもの!と言う

当店の自慢の生卵と、当店オリジナルの「たいこばん」を載せたいと言う
先日取材の約束をしていたが、鍼医での大出血で足首を血だらけにして中央病院にかけこんだせいで、キャンセルをした。
そのお詫びに、出来るだけのことをしてあげようと固く心に誓った
(誓わなくてもいいが、広告宣伝になるので頑張った?)

当店の卵は二種類ある。
うたがき優命園の自然卵と、同じ江刺の黄金卵である

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黄身の色がクリーム色の薄いのが、うたがき優命園の「自然卵」である
(ご飯に乗っけて醬油がかけてある)
白い茶碗に乗っているオレンジ色の卵が「黄金卵」である。

なぜ黄身の色が違うのか?
それは餌の違いである。
自然卵は、それこそ農場に自然に生えている緑餌をタップリと与える
黄金卵は、動けない金網のケージで育てられ配合飼料を与えられる。
緑餌には色といえば、葉緑素の緑が多い
配合飼料には、書いてはいないがパブリカのような赤い色素を含んだものが含まれている
(別に食品添加物として規制されているものではない)

ようするに自然卵は、そのへんに生えている自然の草を多給している
(その辺に赤いパブリカがイッパイ生えていれば、黄身はオレンジ色になるかも…)
通常売られている卵は、食欲をそそる、見栄えを良くする、ために赤い色素の添加物(?)を人為的に入れている
そして生産効率を高めるために、さまざまな工夫がなされている。

しかし、それぞれの卵にも言い分がある
個人経営の小規模農場の自然卵は、鶏が動き回るから腹が減り、エサ代がかかるから高価だ
企業経営の大規模農場の卵は、動けないように金網で大量に飼っているから安価だ

どちらを選ぶかは、消費者の勝手だが…
選ぶための情報だけは、提供しなければ…

 

生き物は、食べ物に影響されるのである
自分の子供を見てみたら、納得するだろう(?)
食品添加物多給の団塊の世代から生まれた子どもにアレルギー体質が多いのも…

食べ物は、すぐ影響を与えない
効率化・合理化の企業経営の農業は、団塊の世代から壮大な人体実験に入っている。
そして企業経営の農業は、枯渇する化石燃料のエネルギーで成り立っている。

倒伏

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津波である。
津波のような倒伏である。
稲の収穫間近の倒伏である

これは大変である
この倒伏した稲を、一株一株起こして鎌で刈る。
しかし、その穂は水に浸かって発芽してしまう
いや発芽しなくても未熟米で鶏のエサにしかならない。
倒伏させる人は、毎年倒伏させる
稲作が下手というか、興味が無いのだろう
というかスケベ根性がそうさせるのか…

 

つまり、一部が倒伏している場合は、”堆肥を其処においた。”
”肥料をこぼした”など限定した狭い倒伏であるが

このような大規模の倒伏は、肥料のやり過ぎ、時期の間違いである。
ようするに勉強もしていないのに量を取ろうというスケベ根性である。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という
頭を垂れた稲穂が、バランスを崩して倒伏するのである
頭を垂れるほど数多く重い籾を実らせ、それに耐える茎を作るのがイナ作技術である
それには途中の節間を詰まらせる(伸ばさない)肥料設計や管理をしないといけない。
それが篤農家の技なのである

ところが品種改良は、倒れにくい短稈を目指す。つまり草丈の短い稲をつくるのである。
篤農家の技はいらない。
昔の良食味の米は、ほとんどが茎が長い。コシヒカリ、ササニシキ、陸羽132、亀の尾等々
それを作りやすい短い茎に品種改良していったのである。
だから昔の品種をつくりこなす人は、少なくなった。
まして米価が安いからと、手を抜きながら高く売る手法だけがはびこる
技に対して対価を払うという発想はないのか?

 

美味しい文化

 

 

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久しぶりに鷲の尾に行った。
鷲の尾は、岩手ではだれでも知っている酒だ
ところが酒を呑まない人は誰もが知らないかも知れない

なぜ鷲の尾というのか?
岩手山は別名、巌鷲山という
雪が溶け始める頃岩手山に鷲が羽を広げたような雪形がみえる
「その時が種をまく時期だ」と教えてくれる雪形である
それから取った名前が「巌鷲山(がんじゅさん)」である
鷲型のしっぽの麓にある酒造りということで「鷲の尾」と名づけている

一升瓶で28万本しか作っていない小さな酒造会社である
盛岡の北の八幡平市にある。(もと西根町と言っていた)
盛岡と八幡平市の成人の人口が28万人だから、一人が年間一升呑めば、会社が成り立つという
盛岡周辺でしか販売しないという、昔からの遺訓を守っている小さな優良会社である。
グローバル時代のローカルの会社である

そんな会社の悩みは、早生の酒造米である。
米作りの盛んなところは多様な米を作っているが、岩手は飯米しか作っていない(というか作れない)
山田錦というポピュラーな酒米は、宮城が栽培北限だという
そこで鷲の尾では、早生の品種の飯米「はなの舞(山形の銘柄米)」を自家生産している
銘柄米(コシヒカリ。ひとめぼれ、あきたこまち)は高く売れるが、銘柄に指定されていないものは安く買い叩かれる。
(岩手はコシヒカリは銘柄米に指定されていないので、価格は安い。しかし、気候の関係で生産できない)
だから近隣の生産者に生産を委託すると、買い叩かれて農家は、わざわざ安値段のものを作るハメにな。
だから、農家に損をさせるわけには行かなということで自家水田で自家生産をしている

その水田を、疎植イナ作研究会が見学に行った
メンバーは、米どころの新潟・秋田・宮城の篤農家たちである
東京のコメ屋が頭を下げて取引をしている農家や、60kを10万円で売っている農家や、収量で日本一になった農家が集まっている疎植イナ作研究会である。
彼らは、かわいそうになるくらいビシバシと強烈に指摘した。
以前、研究会に岩手の農家を連れて行った時に、そのあまりにも強烈な意見に見学先の秋田の農家は泣きだした。それを見て、岩手の農家は、「恐ろしい」と言って、その研究会に出るのを辞めてしまった。
自然とともに生きている農家は、打たれ弱いのである

しかし、彼らの批判は当たらない。
なぜなら盛岡以北は20年前は「政府米」の産地である
政府米という言葉は、久しく使っていない
ようするに食糧管理法が有った時代、この地域は作った分だけ政府が買い上げていたのである。
だから量さえとれれば、よかった。
というよりも味の良い銘柄米は、収穫出来なかったのである。
それを政府が買い上げ、米屋に降ろす。米屋はそれを混米して販売していたのである
その混米は、「一年間を通して味を一定にする」ことが目的であった。
今量販店やドラックストアで販売している米は「原価を安くするためにする」混米である。
以前の目的と技術はぜんぜん違う

そんな政府米地帯になぜなったのか?と言うと
岩手山から吹き降ろす冷たい風と、岩手山の火山灰土の漏水田と、流れ込む水が伏流水の冷水温である。
つまり肥料をやっても、やっても効かないのである
そして頻繁に冷害に合う
それなのに米を作る
米をたべることは、この地域の、いや日本人の悲願だったのです

そうした努力により耕作不敵地にも米が作れ、食糧管理法で流通するようになり、
昭和30年後半に自給率100%を達成したのです
飯米も自由にならないところで、200年もの間、酒造りをしている
また酒も、つらい労働のあとの美味しい文化(?)である
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