ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 生産者と共に

ゆたかさとは

「生が良いですか?」「火入れが良いですか?」と突然、若い彼は聞いてきた。

大酒飲みだが、実のところ微細なうまさの違いを知らない。
日本酒は冷なら純米酒、熱燗なら醸造用アルコールが入っていても良い。

そんな感覚だが…

若い頃、酒なら何でも良かったが…
コジャレた酒が出回る頃には、辛口が…
齢を重ねるにしたがって甘口でも…まぁまあぁ〜と、なり

今は肴に合わせて…
天気に合わせて…
酒なら要するに、なんでも良いのだ!

「生か?」「火入れか?」と言う選択を尋ねられたのは初めてだろう
彼の作ったコメで仕込んだ酒である。「与右衛門」というブランドなのだが…


彼は「亀の尾」という米を作っており、それを酒米として納め杜氏としても働いている

数年前だろうか…
彼が店に来て「夏はコメを作り、冬は杜氏としてはたらく、そんな生き方をしたい」と言ってきた。
それ以前に、彼の奥さんが店には出入りしていたのだが…
二人揃って会ったことは、記憶にない

真面目で、ひ弱そうな感じで…大丈夫か…と思ったが…
着実に有機農家で研修し、ようやく一人で田んぼをやるようになって見に行った。
ひどい田んぼだった。雑草が…
「これを物にするには3年ですまないだろう…」と思うような田んぼだった。
普通は、集落で良い田んぼは、すぐ近くの人が借りてしまう。
新規就農者には、悪い田んぼしか回ってこないのである。

しかし、彼は辛抱強く田んぼをモノにした。
そして思った通りに造り酒屋に持ち込んで酒にした。
それも昔の品種「亀の尾」である。

稲は品種改良が、どんどん進んで、食味がよく、量産できて、作りやすい品種開発が進んでいる
そのなかで「作りやすい」と言うのは、草丈が短いのも一つの特徴である
「垂れるほど こうべをたれる稲穂かな」という言葉は、実のたっぷりはいった稲穂の表現であるが、入りすぎると倒れるである。
倒伏は、モミが発芽して、米にならない
だから試験場は、草丈の短い米を開発しているのだが…
それにともなって草丈の長い昔の米を作りこなす技を持つ人が少なくなった
作りこなそうという気概を持った農家も少なくなった。

彼は草だらけの田んぼで「亀の尾」を作りこなした。
その「酔右衛門」である。

生でも火入れでも良いのだ…

暑い定休日、締め切った精米室の掃除をして汗をかき
シャワーを浴びてグラスで一献

あの雑草だらけの田んぼを思い、
数年前のひ弱な彼が、たくましい身体になって作った酒を味わった

「豊かさ」とはこんな事を言うのであろう

定休日の夕方の幸せである

売れ残ったら食べて!

あちこちで「採算」というか…
「原価計算」というか…
「それで合いますか?」というような言葉を聞く。

「売値と原価」があるから、それは合わせなければならない
合わせるというのは、原価+経費=最低売値である
本来は原価+経費+利潤=適正売値が望ましいが…

 

ところが新聞報道で、ビールが上がると言う情報を聞いた
なんと酒販業界では原価+経費>売値という計算が有るのだという

その酒販業界の売値計算は
原価+経費=売値+メーカー補助金
と言う仕組みらしい

ところが農業界も
原価+経費=売値+農林省補助金で成り立っていると言っても過言でない
しかしそれは大手農家(販売農家という=農産物を販売を主とする農家)だけである。

 

殆どは中小の兼業農家であるし、補助金と言っても微々たるものでしか無い
なぜ!それをやっているのだ?と問うと「なりわいだから」と言う

以前、その中小規模の農家は「三ちゃん農業」といわれた。
ようするに、父ちゃんは外へ金を稼ぎにいき
のこされた「爺ちゃん」「婆ちゃん」「母ちゃん」の三人が狭い農地をこまめに耕して自給しながら、兄弟親戚へ米や野菜を配っていた。

そこには現金を必要としなかった。
つまり原価計算を必要としない世界があった
父ちゃんの現金で自分たちで作ることのできないものだけを購入していた

 

ひょっとしたら、それがこれからの地方の中小企業のあり方かもしれない
つまり家族経営である。「家業」であり「なりわい」である
単純に金銭を必要としない生き方をしないと、地方での生活は厳しくなる

なぜなら今の時代、十分な収入をもたらす仕組みは大企業にしか無い
大企業が地方に、新しくできるはずがない。
(大企業が進出し、社員を地方都市で雇うのだが…少ない。後は給料に格差をつけられた現地採用社員という仕組みである)
某大手の○○○ショッピングモールは、社員は少なく、ほとんどがパートである。
ショッピングモールは、地方から都市への巨大な集金マシンと言っても過言ではない
あとは「安定」と言う名の(過酷な?)公共事業団体か役所である。

 

そうすると農業(自給食料生産)をベースに、ある程度の金銭収入を得ると言う生き方が面白い。
つまり自給自足をしながら、少額の現金を稼ぐ。
または、さまざまな仕事を組み合わせて一人前の収入にする。
(江戸時代、農山村は、不作に対応して自由な発想でさまざまな稼ぎの道を作り出したと言う)

都会では、すべて金で解決する。
金さえあれば安泰である。きちんと収入が安定していれば…
田舎では、農地さえあれば安泰である。身体さえ丈夫であれば…
地方では、人間関係さえできていれば、安泰である。周りの自然にも助けられる。

今、岩手は、山菜のシーズンである。
山に入れば、いくらでも食べものが生えている。
そして、こういう商売をしていると
「売れ残ったら食べて!」と言う、温かい生産者が多い。
だが、食べきれないのだ…(泣)

 

やめますか?減らしますか?

「牛肉が高騰している」という。
当店は野菜中心だから、牛肉は赤身の肉牛「短角牛」しか扱っていない。


その短角牛も「値段を上げたい」と短角考房北風土から言ってきた。

値段を上げるには

正当な理由が、なければ…
そしてその理由が、お客の理解を得られなければ…
ただ、地方経済は疲弊している。
そんな中、値段を上げることで購入が減り、
北風土との間を取り持つ小生とお客様の三者の関係が、壊れるようになると…

そんなことを話をした。
すこし、牛肉高騰の整理をしてみたい

そもそも牛肉を食べる習慣は、東北では最近のこと(ここ50年)である。
山形の米沢牛が有名であるが、学生時代、山形出身の同級生は
「すき焼きを、やろう」と言う言葉で「豚肉を買ってきた」と今でも笑い草である。
しかし、笑えない。
東北では当時、すき焼きは「豚肉」だったのだ。
久慈の山形村の短角農家に聞いても
「牛は商品だから…。
大地を守る会に”自分で作っているものを食べてみなければ…”と言われて
始めた食べたのが…昭和50年」と言う。

そもそも肉食自体が公になったのは明治からであり、
それまでは薬食いと言って、やむなく死んだ家畜を部落で隠れて食べていたのが民衆の食べ方であった。
だから肉食の歴史は、浅いと言わざるをえない。

その日本が、経済成長を遂げて牛肉が食べられるようになり、小生が就職した頃昭和40年代後半に「牛丼の吉野家」ができた。
当時、勤めていた商社は、吉野家に豪州産の牛肉を納品していたため
上司から「牛丼の消費拡大に務めるよう」といつも牛丼を食べていた。
その牛丼に使用した牛肉は、後から聞くと
「それまで食べられない肉(横隔膜)をうすくそぎ切りにする機械ができて、それを加工している肉だ」と言う
科学技術の進歩が食を変えたのである(?)

つまり牛肉の消費は経済成長と共にあったのだ。
今、中国の経済成長が著しい。
中国は豚肉食の文化なのだが、経済成長に伴って美味しい牛肉にシフトしている。
その中国に買い負けているのである。
そして牛肉の消費は、牛丼屋だけでなく、ハム屋や肉加工の職種が日本には様々ある。
扱い量は国産牛よりも、遥かに多いと言わざるをえない。
その扱い量が多い日本ハムなどの食肉加工メーカーは、企業存続のために原材料の確保に必死です。
その海外からの牛肉の仕入の増加と国産食肉加工メーカーの原材料確保、
それに輸出国アメリカの干ばつ、
そんな外的環境の変化と国内では生産現場の減少が拍車をかけて、牛肉の高騰が続いているのです。

牛肉は特殊な生産をしております。
「繁殖」と「肥育」に農家は別れます。
つまりメス牛に種付けをして子牛を産ませて販売する繁殖農家
その子牛を買って、育てて成牛として販売する肥育農家
これは生産現場が違う工程のために、一貫生産すると多大なコストと手間がかかるためです。
その子牛を生産する繁殖農家は、零細農家がほとんどです。
少数の母牛を飼って、子牛を採り販売している農家は、後継者難で、どんどん離農していきます

つまり世界では経済成長で買い負けし牛肉が不足し、国内では子牛の取り合いで高騰している。
というのが現実です。

この現象は、一時期上げ下げが有っても上げ基調は続くでしょう。
一番の問題は、エサが穀物だということです。
地球の人口が60億、あと30年後には90億となると言っております
つまり、こんどは穀物を牛と人間が取り合うことになるでしょう
そんな時に、人間を犠牲にして牛の餌を作るような事が許されるバズがありません。
それは国家ではなく、単なる金の亡者か、食糧を武器にした世界戦略としか考えられません

そうなると短絡的ですが、かんがえられることは牛肉を食べるのをやめる、少なくする。
他の肉に替える。肉を食べない。という選択です。
そんな時代が来るのか…

と思いながら…
そもそも肉食というのは日本は最近の出来事である。
と言って古くからの魚食も、買い負けし、沿岸漁業も衰退していると言う。
中長期で考えると、動物蛋白の補給は悲観的な見方ばかりになってしまうが…

今目先、値段は上がる(泣)
牛肉、食べるのやめますか…減らしますか…

かんじめ

牡蠣と菠薐草「ほうれんそう」のバター炒めである。

牡蠣は、島香魚店から加熱用の牡蠣を買ってきた。
島香魚店は、午後二時から開店する宮古港直送の魚屋である。
魚の流通も複雑である。
以前、三陸の魚は一度築地へ行ってから戻ってきた。
盛岡市内にも「釜石直送」「大船渡より」とか三陸から来たものが特徴的商品と位置づけられている。
それだけ北上山地を超えて内陸に運んでくることが、距離的に中途半端であり、需要が中途半端だったのだろう、と思う
以前は、なんでも大量生産・大量消費が、もてはやされていた時代だった・
今はそういう意味では、小ロット流通が少しづつ力をつけてきたというか、ニッチ産業として生きる道となってきたのだろう

新鮮な生牡蠣が美味しいと言うが定番だが、
島香魚店は、違った。
「加熱用の牡蠣が濃厚で美味しい」と言う。
生牡蠣は、生で食べて大丈夫なように清浄(?)処理をしている。
だから本来の味も失ってしまうのだという。
本当の魚屋でないと、言えないことである。
その加熱用牡蠣に、ハマってしまった。

その加熱用牡蠣を美味しく食べるには…
魔子様は言う
「何と言っても”寒締め菠薐草と加熱用牡蠣のバター炒め”」と言う。
加熱用牡蠣と寒締め菠薐草のボリュームの有る甘さが、応えられない!と言う
娘が菠薐草が嫌いだった。
しかし、寒締め菠薐草と牡蠣のバター炒めを食べて、その菠薐草の甘さを初めて旨さを知った。
魔子様は言う。
「寒締め菠薐草を、もっと早く知っていれば…」

寒締め菠薐草は、最近の栽培方法である。
菠薐草の旬は、冬である。
国の政策により、野菜のリレー出荷が昭和30〜40年代に始まり、
南から北へと産地が移動した。
それが全国的に、特に東京に旬を失くした。
魔子様は東京の下町出身である。
一年中”菠薐草”があり、特に地域の葉物として”小松菜”が有った。
だから小松菜が主体で、菠薐草などは、あまり眼中になかったのだろう。
盛岡に来て、冬越しの根が太くて赤く葉っぱが広がった菠薐草を春に食べたときに「とても美味しかった。」と言う
「東京へ贈ってやろうとしたら、運賃のほうが高かった。」と言う
その春に食べる太く赤い根の甘い菠薐草を、真冬に作ろうという技術が「寒締め」である。
東北農業技術センター(盛岡市厨川 前国立東北農業試験場)の技術である。
ここ10年前ぐらいの技術である。と言っても難しいことではない。
菠薐草は、もともと冬が旬である。秋に種を蒔いて成長が止まる寒さになったらハウスを締め切る
ハウスであるから雪がかぶらない。そして葉っぱは地温の暖かさを求めて広がり、じっくりと伸びる。
広げた葉を活かして包装する技と、じっくり成長することによって糖度を溜め込むのである。
植物は葉っぱで光合成をしてブドウ糖を作る。
それを成長のエネルギとーとするが、余った分を糖として溜め込むのである。
夏だったら暖かいので、どんどん成長に使われ溜め込む余地がない。
岩手は、リレー出荷のために夏の菠薐草の産地と位置づけられた。
おかげで、細い伸びた菠薐草で、金のために美味しくないものを作っている役目なのである。

そういえば「寒卵」という言葉も有った。
大寒の日に生まれた卵だという。
今はケージ飼いで一年中温度コントロールされているからあまり意味ないが…
うたがき優命園の自然卵なら「かんたまご」は意味があるのだろう

年中食べられる菠薐草や、年中安定して供給される卵が「国民の安定食料供給」という大きな命題のためにできた
それを知って食べるのと、知らないで食べるでは、将来にどういう禍根を残すのか…

誰も知らない・

エンゼル係数

牛乳のでたらめな記事を信じないで…

というBlog(?)を読んだ。
そして様々な議論が有るとも…

酪農家が「安全」と言うのも当然である
日本の食べ物は、基本的に相当吟味されている
「相当」であるから…ある程度と言う意味も含まれる(?)

 

先日の裁判で、山菜やキノコの放射能の問題は大丈夫か?という疑問を持ったが
やはり天然モノは十分に気をつけないといけないという感じを持った。

当方を訴えた農家の原告は「たらの芽は露地栽培だ」と言った
「栽培」と聞くと安心するが「露地栽培とは?」と思って尋問すると…
「露地栽培とは?」「植えて収穫をしているだけだ」という
「風雨にさらされる環境では?栽培管理は?」
と聞くと「自分が植えたのだから栽培だ!問題はない」
「普通、そういうのは”野生化している”というのだ!」というと
裁判官は「尋問ですので意見は言わないで…」と言う
農家の原告は、納得いかない顔をしていた
有る行政官は「この写真を見る限り野生としか思えませんね」と言った
国は、口に入るものは、厳しいチェックをしてるのであるが
農家は自然の中で生きている。
深く考えている人は、少ない。
社会のルールではなく、自然の中で暮らして判断しているのである。
放射能のような見えないもの…感じられないものは…無視(?)なのである

 

畜産は、ちょっと変わっている
植物と違って目の前に生きていて動くものを育てているのである
「家畜」と呼ばれる
ある学者は、
「家畜は人間の都合で作られた動物だから、余すこと無く食べないといけない」と言って田んぼに話した合鴨を食べるように勧める
ある農家は「何ヶ月も育てていると、屠畜するのが忍びなくて…」と言って動物園に寄付をする。それは他の動物の餌になる(?)

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なんだか一つ一つ、もっと深く掘り下げないといけないのだが…
掘り下げると、長くなりすぎる
あちこちと飛んでしまって収拾がつかなくなる

 

そこで酪農の場合だが…
基本は、「牛は草を食べて、乳を出す」のである
それが、”とうもろこし”などの穀物を食べさせて乳を出させることに問題が有る
穀物を食べさせると乳が大量に出るというので、世界で飢えている人が大勢いる中で、わざわざ穀物栽培して食べさせることが良いのか?

引用

アメリカの農地の80%が肉の生産に使われ、生産されるとうもろこしの80%、オーツ麦の95%が飼料になり、その他大豆ミール3000万トンが家畜飼料用に使われています。穀物をそのまま食べるのではなく動物に与えてその肉を食べるというのは非常に効率の悪い食物生産方法です。たとえば牛肉を1キロ生産するためには8キロの穀物が必要で、高級霜降り肉だと10キロ必要です。一番効率がいいといわれる七面鳥でも3倍の穀物が必要なのです。

今、日米の人が肉の消費量を20%減らすだけで世界の飢えをなくすだけの穀物が余るといいます。 

1ヘクタールの蛋白質生産量

大豆

404kg

301kg
トウモロコシ
239kg
豆類
218kg
牛乳
93kg
89kg
51kg
牛肉
23kg

http://www.geocities.jp/vegenoki/index.htmより引用

終わり

そして、草だけを食べさせると年間4000キロリットル搾乳できる
それが穀物を多給すると10000キロリットル搾乳する

そしてその量が落ちるとお産を1回か2回させると肉にしてしまう
草だけ食べさせると10回以上お産をするし乳量も落ちない

動かさない
動くとエサをたらふく食べるので、飼料効率が悪いから畜舎に繋いで飼う。
それが動物福祉と言う面で良いのか?

牛が牧場でのんびりと草をはむ絵が書いてある
あれは、乳量が落ちて次のお産までの待ち時間なのである
それが終わるとほとんど日が当たらない畜舎につながれて乳を絞られる

その乳は安全である

家畜である乳牛は、一回か二回のお産で役目を終え
次は国産牛として量販店に並ぶのである。

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その飼い方に疑問を持つのが山地酪農である。
「本来人間が利用できない草を食べさせてその乳をいただく」
と言う考え方で国内に数えるほどの軒数だが、やっている
しかし、それの問題は、乳量が少ないから売上が上がらない
牛乳は、生乳を集めて保存して飲料用にするには設備投資がそこそこかかる
そのため農協が一手に引き受けている。そこから大手乳業メーカーに分配される

リットルあたり100円前後で引き取ってくれるのが、山地酪農の場合はリットル60円(草だけなので規定の成分が少ない)となる(最近の値段は不明)

いきおい、ある山地牧場のように1㍑1000円を超える値段で売らないと合わない
大体、水より安い牛乳をガボガボ飲むというのが間違いなのである。
おいしい牛乳を少し飲む。日本人は乳糖分解酵素が少ないのだから…

 

そこで問題になるのが貨幣である
本当に必要としている人に安く提供し、金を持っている人には高く売るシステムがないか?
つまり牛乳からカルシウムが必要な人は、安く
安心だからと飲む人は、高く売る
そんな経済システムが必要なのではないか?
(これをエンゼル係数と言う。エンゲルではない)
そんなことを考えているのだが

 

根本的には生産を替えないと…
何と言っても石油漬けの畜産である

油を使って採草地を耕し
油で出来た電気で保冷して
油で運送して
油で加工して
油で配達して回る

油がなかったら、なりたたない畜産なのである
4000㍑/年に搾乳できるのなら、
10軒の家で、油を使わないで一頭の牛を飼うシステムを考えないと…

わたしの道はいつも明るい

地元の 新聞を取っていない
ILC問題で、強い肩入れをした偏向報道ばかりするので嫌になった。
おかげで地元のニュースは、TVか…ネットで視るしか無い
”こうさん”の愛した「花巻東が負けた」とニュースを見なかった小生に魔子様が言う。
夏の高校野球県予選である
どのように負けたのだ?
どこに負けたのだ?
何が問題だったのだ?
と思って地元紙のホームページをみた。まだ載っていない。
ホームページに先に掲載されると、ただでさえ部数が落ち込んでいるのに、落ちるというけちくさい考えか?
ネットは速さが売り物だと思ったが…
そのホームページの見出しに、こんなのが載っていた
「短歌研究新人賞に武田さん 盛岡四高卒、滝沢市出身」
稲作農家で市会議員でもある武田哲の次女である。
長男はラグビー、長女はバレリーナ
それぞれに特徴を伸ばした子育てをしていると感心をしていた
そして末っ子は、反発心の強い型破りの次女だと聞いてはいたが…
家族への思いをうたった句を読んでみたいものだ
いつも市政や農政に愚痴を言っている父親が、どんな表現をされているのか…
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜岩手日報より引用

短歌研究社(東京都)の第59回短歌研究新人賞に、滝沢市出身の大学生武田穂佳(ほのか)さん(18)=埼玉県所沢市=の連作「いつも明るい」(30首)が選ばれた。

表題作「好きだって思ったものを信じてるわたしの道はいつも明るい」のほか、「あの夏と呼ぶ夏になると悟りつつ教室の窓が光を通す」など、残しておきたいと願う光あふれる高校生活や、家族への思いなどを平易な言葉で巧みにスケッチした点などが高く評価された。

武田さんは盛岡四高入学と同時に短歌を始め、昨年8月に盛岡市で開かれた全国高校生短歌大会団体の部で大将として同校を初優勝に導いた。昨年の岩手日報随筆賞で優秀賞受賞。

4月から日本大芸術学部文芸学科に通い、象短歌会、早稲田短歌会に所属。武田さんは「審査ではじかれるような平凡な歌も自身を表す作品としてあえて入れた。等身大の自分を評価してもらったようでうれしい」と喜びをかみしめる。

1954年創設の同新人賞は歌人の登竜門の一つとして知られ、過去には歌人で劇作家の寺山修司らが受賞した。今回は547点(1点30首)の応募があり、栗木京子さん、加藤治郎さんら4人が選考した。

(2016/07/12)
 

虫の知らせ

「虫の知らせ」という言葉がある。
虫とは?なんの虫だろう?

 

当店に自然卵を出荷している江刺の河内山耕くんの奥さん「佳奈ちゃん」が、盛岡に来るという。
「ついでに卵を配達できるが…」とメールが有った。
そのメールを見損なって…
盛岡から江刺に帰った佳奈ちゃんにメールをした
「直ぐ側まで来て、なんで寄らなかったの?」と…

そこで虫が知らせた

ふと頭のなかに「ヒラノ」という名前が浮かんだ
「ヒラノと言う名前を知っている?友人なのだが…」とメールに書いた。

うたがき優命園のイベントで高校の同級生「ひらの」の名前を、たしか聞いたことがある
彼は東和町の元町会議員でリンゴ農家であるが、東和町のさまざまなイベントに関わっている
身体は小さく、顔はいかつく、言葉がはっきりしないが、情熱と行動力はすごいものがある
高校の時は「剣道部の副将」をやっていた。

そのヒラノの名前を虫が知らせた

佳奈ちゃんはメールに書いてきた
「ヒラノさんは倒れて、絶対安静三ヶ月。りんご園はアルバイトや息子さんたちを総動員して大変だそうです」と
「今どこにいる?病院を知りたいのだが…」

とメールをしておいて、小生のかかりつけ中央病院に向かった。
検査の結果報告だけだったので、すぐ終わった。
そこへCメールが飛び込んできた。
「しばらくしてから息子を、お前に紹介したいのだが…」とヒラノからのメールだった。
「どこにいる。小生は中央病院なのだが…」
「ピンポ〜ン。今、6階西病棟」
6階の西病棟は、小生が生死をさまよった(嘘)心臓外科である。
「わかった、今上に上がる」
なんとなんと、探している人間が直ぐ側にいた。

こういうのを「虫の知らせ」というのではなかったら、何と言うのだろう

驚いて笑ってしまってローソンで見舞いを買って病室に向かった。

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長生きしてくれよ」と願いを込めて

 

 

 

怖い世の中

朝起きたら魔子様が言う

「作ってあるお菓子をお店に持って来られないので
カスタードの家にお菓子を取りに行くと言って、非常線を突破して引き取りに来てください」
とお店にお菓子を出しているカスタードさんから電話があったと言う。
「何時頃だ?」
「なんでも三時頃、車が燃えたらしい。あちこちが放火されて人も死んだらしい。怖いね」
「すぐテレビをつけろ!」
「朝の3時のことだから、まだやっていないわよ…」と魔子様は言うが、
もう7時には大々的に報道されていた。

そうなのだ先日某日本薄謝協会のニュースの第一面(?)に放映された、盛岡連続放火殺人事件である
テレビには、お客さんのG大の先生が大写しでインタビューされていた
「大すごい。一躍大スターだ(?)奥さん癌だと言っていたが大丈夫か…」

そんなニュースを見て店に行くと、やってくる客やってくる客みなその話題で持ちきりである
こんな田舎街で、あちこちに放火されて、おまけに殺人事件だと…
なんだろう

昼前にとりあえず商品のお菓子を引き取りにカスタードさんの家に行った
非常線である

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「カスタードさんの家にお菓子を引き取りに行くのですが…」と返品のお菓子を見せると

小生の顔を見て、まるで犯人を視るような不審な顔をした警官は
「あ〜あ、この料理の先生の家ですね。今現場検証で入れないかも…」
と言いながら非常線と言う名の黄色いテープを避けてくれた。
カスタードさんの家は、消防の車などが2〜3台止まっていた。
カスタードさんの車も放火されたようだが、見ると前のバンパーのところが焼け落ちている
「三時頃車が燃え上がって、近所の人がみんなで火を消してくれたのですよ」
と言いながら出荷するお菓子を渡してくれた
「裏の家なんか全焼ですよ」と言う

テレビでは3つの街にまたがって放火があったので、何が原因か詮索しきりだったが
その地域は、だいたいが当店のお得意様だらけである。

 

その翌々日の晩、遅くまで店に残り、仕事をしているとふと見知らぬ男が入ってきた
ような気がした。体はでかいが、肝っ玉はちいさい入道であった。
あわててタクシーを呼び(魔子様と麻子様に車を乗っ取られた。保育園の迎えの時間である)
自宅に向かうと運転手は言う
「いやぁ〜大変でした。ヘリコプターはぶんぶん飛ぶし、ちいさな飛行機が飛んでいるし、
報道関係者がタクシーを使って大忙しで…
おまけに楽天VSオリックス戦で客が多くて、てんてこまいでした」と言いながら
「報道関係者の会話を聞くともなしに聞いていると、最初からわかっていたようですよ。犯人は…」と言う

こんなちいさな田舎町に都会型の大殺人事件が起きた。
そのうちに車が店に突っ込んでくるかもしれない。
怖い世の中だ!

一本桜と…

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小生の一本桜はまだまだの感じだ
ちょっとしたスキマから見える借景だったので、
誰も気が付かない一人だけの一本桜だったが…

徐々に徐々に気がついてきたのか、
昨年は何人か眺めている人
近づいていく人
カメラを構えている人が多くなってきた

一人だけの一本桜が、多くの人の一本桜になってきた
これを個人の所有ではなく、「総有」というのだろう
多くの人が、その風景や自然財産を地域のものとして見守ることを…
たぶん持ち主もそれを狙って一本だけ残した(植えた?)のだろうか…

 

その一本桜を過ぎて、豆腐料理の田楽茶屋に豆腐の集荷に行った。
豆腐の消費量日本一の盛岡の豆腐屋でも、ちいさなところはどんどん店を閉めている
堅実にお得意様を大切にしてきた店も、お得意様の高齢化と、若年層の味の変化と、
大量生産の豆腐の価格競争と、垂れ流しのコマーシャルに耐え切れないのだろう
個人の努力では、どうしようもない世の中になってきた。

そんな田楽茶屋も、最近は惣菜料理に力を入れ始めた
パートが増えて、早朝からてんてこ舞いである。

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ふと思い立って「にんにく味噌」を購入した。
舌にのこる大蒜の味が美味い
しかし、魔子様は「臭いが…」と言って食べようともしない

自宅で湯豆腐を、にんにく味噌で食べたら、美味しかった
そうだ!こんな食べ方も有るのだ…

大量生産・消費に負けない
そんなあり方のヒントを得たような気がする

 

たねとり

久しぶりに外へ出た
というか、いつもの配達や集荷ではなく、他者との関係性の集まりだ(?)
食文化研究会である。
今日は種採り農家の田村和大さんの圃場見学である。

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彼は大震災の時に東京から戻ってきて農業を始めたと言う
そして種の大切さを知り、自家採種に取り組んでいる。

以前、遠野で加藤宏泰さんという農業高校の先生が中途退職して始めた農園が有った。
その農園で見た野菜は、なんの野菜かわからないものばかりだった。
それが種取り用に作っていた野菜たちであった。
大根も…牛蒡も…人参も…蕪も…
根菜はすべて根に栄養を蓄え、十分に肥大した後、茎を伸ばして花を咲かせ、種をつける
だから普通の大根は花を咲かせる前のみずみずしい大根足(?)のようなものである
花が咲いたあとに、種をつける姿は、多くの人が見たことがない

関係ないが昔「だいこんの花」という番組があった。
”大根の花は白い”というイメージしか残っていないが、確か向田邦子のドラマだったような気がする。
そのせいで白い花と言うのは覚えているが、見たことがない

蕎麦の花が白いのは当たり前にこの付近ではよく見る
しかし、森のそば屋の高家さんいわく
「あの白い花が、蕎麦の花です」と言ったら
女子大生が
「うどんの花は、どれですか?」と聞いたという
いかに農業と食が離れていったかの笑い話のような実話だ

 

それで種取りである。
今の時代、売られている種はほとんどがF1(えふわん)である
F1というと、フォーミュラーカーレースのように思う人が大部分だが、違う
F1は、中学生の時にメンデルの法則を習った人は知っているだろう
一代交配種である
つまり、F1はその殆どが自家採種して蒔いても、同じものが収穫できない
という一代限りの種である
これは種屋が儲かるために作ったのではない
どんどん育種して美味しいもの、多収穫のもの、病気に強いものなどなど改良を重ねた結果、作られた種である
結果としてその性格を受け継がれた二代目は蒔いてもその性質は受け継がれなかった
優れた親には、駄目な息子というではないか…(?)
トンビが鷹を生んだとか…

結果として毎年種を買わなくてはいけないことになり、種屋が儲かり、農家が経費がかかる構造になってきた
ただ、それだけではない
種を自家採種する技が継承されなくなってきた
それ以上に
遺伝子組換え作物などの種は特徴を継承されるので自家採種が禁じられる方向に向いてきた

今まで農業は経費がかからない仕事だった。
種は自家採種、肥料は人糞尿や草木灰。エネルギーは牛馬や人力で、熱源は天日乾燥。
それがF1の種を購入し、窒素・リン酸・カリの化学肥料を買い、トラクターを石油で動かし、ハーベスターで刈り取り石油で乾燥させる
すべて金が無いと生産できない構造になってきた
そして人々が必ず必要な食糧だから、安く単価は叩かれ、差額を補助金で補うという構造ができた

その一番の素が「種」なのである。
それが世界の大企業が特許や実用新案で自分のものにすることに寄って、
食糧が農業が人々のものではなく、企業の利益の道具にされてきているのである。

そういうことに果敢にチャレンジしたのか知らないが(苦笑)
自家採種で野菜を30種類近く栽培していると言う

彼とはここ数年の付き合いだが…
よく考えて見れば彼の父親との付き合いが古い。
同じ異業種交流会のメンバーだった。
そんな父親との付き合いで、彼が東京から帰ってきた時に、挨拶に来てくれた

しかし、もう帰ってきて5年、実家の圃場を自然栽培で、種取りや野菜栽培で立派なカタチが出来たものだ。
若いということは素晴らしい力を秘めている
ただただ感動と感心の一日であった。

苦味が全く無い、芽が出てきた春うらら

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小岩井蕪という名の原種

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