ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 生産者と共に

いもち

滝沢の武田哲が、米の納品に来た。
合鴨農法の無農薬の米は、武田哲である。
なんと言ったって、安心感が有る。
「倉庫を見に行ったら在庫がなかった」ということは一度もない。
一度有ったが…
“家の人が、勝手に別の産直に出荷していた”と言う

まぁそれと、ある程度の量をやっているので融通が聞く。
そういう意味で、長い付き合いである。
本来は、量を多めに引き取れば良いのだが、米用の保冷庫が小さいのと、
市会議員をやっている彼は忙しいのに、その合間を縫って、たびたび足を運んでくれる
彼も、さまざまな問題を話す人がいないのかもしれない。
こちらも、さまざまな情報を得るのに好都合なのだが…
そして彼は、支払った米代金で、いつも大量に買い物をしていってくれる
そうなのである。産直という仕組みは、地域循環の基本なのである
多くの農家が産直の売上金をもって、大きなショッピングモールのイ○ンへ買い物に行く。
産直の意義を、わかっていない農家が、ほとんどなのである。
行くなとは言わないが、もうすこし考えて行動してほしいのもだ
地元の人が地元の産物を買って、経済を循環させようという試みを
一生懸命、中央に吸い上げられる仕組みに加担しているのである。
おまけにイ○ンの産直に客が多いからと言って出荷している農家もいる。
単に利用されているだけなのだが…

循環の仕組みをわかっている彼は、いつも閉店間際にやってくる。

今日も6時までの保育園の迎えに行く間際にやってきた。
「どうだね米は…」
低温の日照不足で、米の不作が伝えられる。
心配して聞いた…
「私の田んぼは、まだましですが、雫石は、ひどいですね…
あちらにも田んぼが有るのだが、周辺の田んぼは、相当”いもち”になっています」と言う。
「まぁこの雨で洗い流されたら良いのですが…」

「いもち」である。
低温で登熟や受粉を心配していたが、「いもちがひどい」という。
「いもち」は菌である。
浮遊して稲につき、葉の中や(葉いもち)穂の中(穂いもち)に入り込み細胞壁を破壊するという
減収だけでなく、食味にも多大な影響を与えるという

30年近く前、農業の世界に入った当時。
「いもちが、蔓延」と言うニュースを見た。
実感がわかなかった。
当時は、岩手山麓の玉山で稲作を合鴨農法で始めた時期だった。
「いもちってなんだろう?」というのが率直な感じだった。
農家の仲間と関東に稲作の勉強をしに言った。
そこには赤い田んぼが広がっていた

”いもちにやられた田んぼだ!”と言う。
なんの圃場か?小麦か?と思ったが、稲作だとは思わなかった。
農家の仲間も「初めてみた。」「驚いた。」と一様に言う
一緒に行った農家は、みな西根・玉山の農家である。
後から調べてみると、稲の大敵いもちは、通風を良くすることによってふせげると言う
菌を吹き飛ばす風が必要だという
つまり西根・玉山は、岩手山麓の吹き下ろしの風が、自然に吹く地帯である
だから「”いもち”を、見たことがない」と言うのである。

なるほど!コレを逆手に取って…
稲の大敵「いもち」が発生しない岩手山麓で除草さえできれば、無農薬米が可能だ
と初めたのが、合鴨農法である。

ところが場所によって谷あいや山陰などのところで空気が淀むところはいもちが発生する。
雫石は奥羽山脈や、低い連なっている山が風の流れをせき止めるので空気が停滞しやすいのである。
適地適作と言うが、地域にあう農法が必要なのである

ところが「合鴨農法で無農薬で作ろう」という西根・玉山の生産者は増えていない
当時、岩手県北部は火山灰土でリン酸の吸収が悪いため食味がよくなく、低温で生育に問題が有るので「政府米地帯」だった。
ようするに収穫さえすれば、すべて政府が買い上げる地帯だったのである。(岩手県北部。青森・北海道は…)
工夫しなくても、つくれば買ってくれる所があれば、煩わしいことはしないのである。

積算温度

天候不順である。低温が続くという。
稲は出穂から800度で登熟する。
品種に寄って800度から880度と差がある
ようするに積算温度とは、平均気温{=(最高気温+最低気温)➗2}の足し算である。

 

8月5日に稲の穂がでてきてそれから平均気温20度が25日続くと500度
9月に平均気温が15度が20日で300度
刈り取り適期は9月20日となる。

通常、8月の平均気温は岩手の場合25度ぐらいで9月は15度ぐらいだから
(ばくっとであるバクッと)出穂が8月10日でも9月20日ぐらいである

それが温度が低いと登熟まで時間がかかり、品質が悪化する。
93冷害と言われる1993年の大冷害は、岩手県北部は積算温度が800度もいかなかった。
つまり登熟しなかったのである

みのらない稲だった。

寒さの夏、平均気温がいくらになっているのだろう
今年も、おろおろ歩くのか…

 

翻訳希望

学生時代の就活で、商社に決まった時、慌て英字新聞を取り始めた。
英語は、中学一年から習っている。
読むのは、得意である。
しかし、書いてある文章の意味は不明である。

要するに英単語は、想像しながら発音できるが、意味は辞書を引かないとわからない。
恥ずかしながら、中学・高校・大学と10年間勉強して、その程度なのである。
だから就職が決まってから、23歳で中学生用の英字新聞から初めたのである
たしか…毎日ウィークリーだったような気がする。
それでも、なんとかなった。
就職した商社は、繊維専門商社だった。と言っても半分は非繊維部門があった。
英語ができるやつは、繊維貿易や鉄鋼や食品、化成品などの非繊維部門へ。
英語は喋れないが、関西弁がペラペラの口だけ達者なやつは、繊維部門と言う配属だった。(だろう?)
なんと言ったて関西弁は、繊維業界の公用語なのである。

東北弁と関西弁と標準語と、三つの言語を自由自在にあやつり、
ときおり片言の英単語と、飲み屋で使う中国語を駆使するバイリンガルの小生は、
英語を使用しない繊維部門へ配属された。

何度も英会話に挑戦したが。一度アメリカに行ったときに
ホテルのフロントで、レンタカーを借りた。
レンタカーを置いてある場所を尋ねると
そのフロントのホテルマンは
「ホテルグランツ! ダウンステア! ターンライト!」と言う
ようするに
「階段を降りて、右へ曲がったところに、ホテルグランツがあるから…」
ホテルグランツと言う旅館の隅にでも車がおいてあるのか?と思ったら
そこへ行くと「Garage」があった。
そのホテルマンは、ドイツ系アメリカ人で「Garage」をドイツ訛りで発音したのである
そのときに、きっぱりと英会話を習熟することを決別した。
現地に来なければ、会話に慣れないと…(泣)

だからそれ以降、常に英語とは関わらない、ちがう世界に生きてきた。
それなのに、若い女性から、「この新聞を読んで!」と貰った。
ジャパンタイムスである。
社会人になったときに、同僚の非繊維部門のやつらが、
みんな小脇に抱えて電車の中で、これ見よがしに読んでいた新聞である。
その日刊英字新聞ジャパンタイムスという全国紙に、田野畑山地酪農研究会が、大きく取り上げられていた。

見出しは Grassfed cows making slow but steady progress, delicious milk

「ゆっくりとした着実な進歩を遂げている草刈り牛、おいしいミルク」
グーグルの自動翻訳サービス。無料だからこんな程度なのか?

 

草を喰む牛は、ゆっくりと着実な歩みで美味しいミルクを作り出す。

記事の内容は、不明である
だれか?翻訳希望!

盛岡の幸せ

冬は湯豆腐・夏は冷奴
コレが夕食の定番である。
何と言っても、それ以上腹に入らないのである。

 


朝出かけるときに昆布を一枚、鍋に放り込んで水を入れる。
帰ってきたら、とりあえず鍋に火を入れて煮立たせる。
そこで火を止めて、豆腐を半丁。5分。
5分の間に薬缶で湯を沸かし、熱燗を…
5分立ったところに、熱燗と湯豆腐が揃い踏み
熱々の燗酒と、ほろほろの湯豆腐が出来上がる

コレがスムーズにいかないと、一日が終わった気がしない
イライラして人に当たる(摩子様のときが多い)


朝、木綿豆腐の三分の一を、奴専用の丼に入れてラップをして冷蔵庫に入れる
帰ったら、おもむろにラップを剥がして、その時々のドレッシングを取り出し
ドレッシングは凝る。

岩塩にオリープオイル
オイスターソースに青じそ
梅酢にいりごま
玉葱とホワイトソース
ベーコンと黒胡椒
……

そして缶ビール(発泡酒とも言う)のプルトップを引き抜く

コレがスムーズにいかないと、一日が終わった気がしない
イライラして人に当たる(摩子様のときが多い)

二人暮らしだから当然魔子様しかあたり用がない。

 

年間に豆腐を多分180丁は食べるだろう

朝食にも…
店の昼食にも…
テーブルに豆腐が上がる場合があるから…

 

盛岡は豆腐の消費量が日本一だという
それは300g計算で年間100丁食べるという

小生のは田楽茶屋の木綿豆腐だ
田楽茶屋の木綿豆腐を知ってるかい?
なんと450gあるのだ
それがなんと140円という、すぐれものだ
それを年間180丁だから、300g換算だと…
いっぱいだ!腹いっぱい!

そしてすべて手づくりなのだ
だから時折、固かったり柔らかめだったりすることもある
それはタマ母さんの愛嬌で、カンベンだ

 

だいたいが豆腐が手づくりでなくて、何が子作りなのだ(意味不明)
昔は町内会に一軒、豆腐屋が有ったのだ。
昔、高校生時代に住んだ北上は、学校へ行く坂道の途中に豆腐屋が有った
今の盛岡にも、ラッパを吹いて自転車に乗っけて売りに来る豆腐屋がいる。
そんな身近な豆腐屋が、都会には無いという

なんと不便な…なんと暮らしにくい場所なのだ。
隣に豆腐屋が有る幸せ。盛岡の幸せである。

そういえば湯豆腐に敷いた昆布を、魔子様は「冷凍で取っとけ」と指示された。
そんな冷凍昆布を、鰹節と煮て御飯のお供に…

日本酒と醤油と豆板醤で辛めで煮詰めてビールのお供に…

盛岡の夏の幸せである。

あいがも

軽米の古里がやってきた。
町名といい、名前といい、いかにも地元の人と言う名前だ。
軽米町は、その名の通り軽いコメが取れるところだと聞いたことがある。
なんでも土壌のせいで軽くなるというのだ。
米は千粒重と言って「1000粒で何グラム」と言う重さの基準がある。
それによって充実度を判定するという。
酒造好適米という酒米は25gから…飯米は20g前後
酒米は削るから重い米でないと耐えられない(?)のだろう

ところが岩手最北端の軽米町で作る米は、軽くなるという。
いったい、どれだけになるのか?

 

その軽米町の古里との出会いは、もう20年ぐらい前になる。
ひさしぶりにやってきた古里は、顔が丸くなっていた。
「随分、楽してるな〜」と声をかけた
「楽してないですよ。ステロイドでむくんでいるのです」と言う
「なんでステロイドなのだ」
「免疫性の難病なのです」と言う
喘息だと思って医者にかかっていたが
大病院で調べたら血液の免疫が落ちて喘息のような発作を起こす難病らしい。
よく「アレルギーだったので無農薬農法をやっております」という農家がいる
彼もそういうわけではないが、20年前から県北部で独りで「無農薬の合鴨農法」に取り組んでいる

彼とは、栃木で行われた稲作研究会で出会った。
岩手県出身者はほとんどいなくて、ぽつんと一人いたので声をかけたのだ。
それから生産や出荷も、西根町や玉山村の連中に混じってするようになった。
その彼とは長い年月の付き合いである。
今は片道2時間ぐらいの場所なので、ジャム用のブルーベリーを持ってくるしか取引はない。
彼は言う「そういえば最初はチェリーバレーでした」

合鴨農法は、九州の古野さんが有名だが、本当は富山の置田さんから始まった。
MOAの信者だった置田さんは、教祖の岡田茂吉に
「これからは安心して食べるものが無くなる。安心して食べられる物を作りなさい」と戦後に言われ無農薬・無化学肥料で稲作を始めた。
ところが一番の悩みは雑草だった。水性雑草は田んぼに水を張るとあっという間に広がる
毎日草取りに疲労困憊して家の池で休んでいると、鴨が雑草を食べる姿を見た。
「これだ!」と彼は気づいて、田んぼに合鴨を放し始めたという。
そこへ「田んぼで合鴨を放して除草している」と聞いた九州大学農学部を卒業して家業の農業を継いだ古野さんが学び、電気柵を考案して一挙に広まった。
岩手には、横浜の米屋中村商店が持ち込んだ。
安全な米を扱い、また自分でも作る中村社長のアンテナに引っかかり、それを福島の熱塩加納村に持ち込んだのだ。
その中村商店に「岩手でも是非に」と願って
自然循環農業を標榜する”いわて手づくり農場”が、岩手で最初に取り組んだのである。
今でこそ無農薬の米は、当たり前になってきたが、当時は「無農薬栽培」できないと言われていた
最初に始めた置田さんの宗教心と、古野さんの飽くなき探究心が合鴨を全国区にして
岩手では横浜の中村商店と、滝沢村一本木にある”いわて手づくり農場“がおおきな役割を果たしたのである。
もう25年ぐらい前のことである

合鴨のひなを入手するのにできたら岩手で探せないか?と探したことが有る
それが田野畑村にある食用の合鴨の育成場だった。そこの品種は“チェリーバレー”だった。
合鴨は、鴨とアヒルの掛け合わせなので合鴨という。
チェリーバレーは合鴨と言っても、アヒルが勝った真っ白な合鴨である
食用として選抜されただけ有って、食欲旺盛ですぐ大きくなり、稲を倒して歩き使い物にならなかった
それ以上に田んぼに使用後、肉にするのにどこでも潰す方法がわからなかった。
ようするに水鳥なので細やかな水を弾く羽毛をきれいに取る技をわからなかったのである。
殆どのと畜場は、鶏ばかりで簡単に羽が抜けるのである。
そんな苦労を様々しながら、そして田んぼに放した合鴨を野犬や狐の餌になったりで、絵になるのでマスコミの話題にはなったが大きく広がらなかった
当時やり始めた農家を支えたのは、横浜の中村商店が買い支えたからである。
それが中村社長が亡くなった今でも続く。20年以上になる。

仲間のその後の消息をきき
「息子が跡を継いだ」と言うホッとした表情の古里は、月に一回病院に来ると言う
30歳ぐらいの働き盛りでであった古里も、もう55歳だという
歳月が過ぎた

ゆたかさとは

「生が良いですか?」「火入れが良いですか?」と突然、若い彼は聞いてきた。

大酒飲みだが、実のところ微細なうまさの違いを知らない。
日本酒は冷なら純米酒、熱燗なら醸造用アルコールが入っていても良い。

そんな感覚だが…

若い頃、酒なら何でも良かったが…
コジャレた酒が出回る頃には、辛口が…
齢を重ねるにしたがって甘口でも…まぁまあぁ〜と、なり

今は肴に合わせて…
天気に合わせて…
酒なら要するに、なんでも良いのだ!

「生か?」「火入れか?」と言う選択を尋ねられたのは初めてだろう
彼の作ったコメで仕込んだ酒である。「与右衛門」というブランドなのだが…


彼は「亀の尾」という米を作っており、それを酒米として納め杜氏としても働いている

数年前だろうか…
彼が店に来て「夏はコメを作り、冬は杜氏としてはたらく、そんな生き方をしたい」と言ってきた。
それ以前に、彼の奥さんが店には出入りしていたのだが…
二人揃って会ったことは、記憶にない

真面目で、ひ弱そうな感じで…大丈夫か…と思ったが…
着実に有機農家で研修し、ようやく一人で田んぼをやるようになって見に行った。
ひどい田んぼだった。雑草が…
「これを物にするには3年ですまないだろう…」と思うような田んぼだった。
普通は、集落で良い田んぼは、すぐ近くの人が借りてしまう。
新規就農者には、悪い田んぼしか回ってこないのである。

しかし、彼は辛抱強く田んぼをモノにした。
そして思った通りに造り酒屋に持ち込んで酒にした。
それも昔の品種「亀の尾」である。

稲は品種改良が、どんどん進んで、食味がよく、量産できて、作りやすい品種開発が進んでいる
そのなかで「作りやすい」と言うのは、草丈が短いのも一つの特徴である
「垂れるほど こうべをたれる稲穂かな」という言葉は、実のたっぷりはいった稲穂の表現であるが、入りすぎると倒れるである。
倒伏は、モミが発芽して、米にならない
だから試験場は、草丈の短い米を開発しているのだが…
それにともなって草丈の長い昔の米を作りこなす技を持つ人が少なくなった
作りこなそうという気概を持った農家も少なくなった。

彼は草だらけの田んぼで「亀の尾」を作りこなした。
その「酔右衛門」である。

生でも火入れでも良いのだ…

暑い定休日、締め切った精米室の掃除をして汗をかき
シャワーを浴びてグラスで一献

あの雑草だらけの田んぼを思い、
数年前のひ弱な彼が、たくましい身体になって作った酒を味わった

「豊かさ」とはこんな事を言うのであろう

定休日の夕方の幸せである

売れ残ったら食べて!

あちこちで「採算」というか…
「原価計算」というか…
「それで合いますか?」というような言葉を聞く。

「売値と原価」があるから、それは合わせなければならない
合わせるというのは、原価+経費=最低売値である
本来は原価+経費+利潤=適正売値が望ましいが…

 

ところが新聞報道で、ビールが上がると言う情報を聞いた
なんと酒販業界では原価+経費>売値という計算が有るのだという

その酒販業界の売値計算は
原価+経費=売値+メーカー補助金
と言う仕組みらしい

ところが農業界も
原価+経費=売値+農林省補助金で成り立っていると言っても過言でない
しかしそれは大手農家(販売農家という=農産物を販売を主とする農家)だけである。

 

殆どは中小の兼業農家であるし、補助金と言っても微々たるものでしか無い
なぜ!それをやっているのだ?と問うと「なりわいだから」と言う

以前、その中小規模の農家は「三ちゃん農業」といわれた。
ようするに、父ちゃんは外へ金を稼ぎにいき
のこされた「爺ちゃん」「婆ちゃん」「母ちゃん」の三人が狭い農地をこまめに耕して自給しながら、兄弟親戚へ米や野菜を配っていた。

そこには現金を必要としなかった。
つまり原価計算を必要としない世界があった
父ちゃんの現金で自分たちで作ることのできないものだけを購入していた

 

ひょっとしたら、それがこれからの地方の中小企業のあり方かもしれない
つまり家族経営である。「家業」であり「なりわい」である
単純に金銭を必要としない生き方をしないと、地方での生活は厳しくなる

なぜなら今の時代、十分な収入をもたらす仕組みは大企業にしか無い
大企業が地方に、新しくできるはずがない。
(大企業が進出し、社員を地方都市で雇うのだが…少ない。後は給料に格差をつけられた現地採用社員という仕組みである)
某大手の○○○ショッピングモールは、社員は少なく、ほとんどがパートである。
ショッピングモールは、地方から都市への巨大な集金マシンと言っても過言ではない
あとは「安定」と言う名の(過酷な?)公共事業団体か役所である。

 

そうすると農業(自給食料生産)をベースに、ある程度の金銭収入を得ると言う生き方が面白い。
つまり自給自足をしながら、少額の現金を稼ぐ。
または、さまざまな仕事を組み合わせて一人前の収入にする。
(江戸時代、農山村は、不作に対応して自由な発想でさまざまな稼ぎの道を作り出したと言う)

都会では、すべて金で解決する。
金さえあれば安泰である。きちんと収入が安定していれば…
田舎では、農地さえあれば安泰である。身体さえ丈夫であれば…
地方では、人間関係さえできていれば、安泰である。周りの自然にも助けられる。

今、岩手は、山菜のシーズンである。
山に入れば、いくらでも食べものが生えている。
そして、こういう商売をしていると
「売れ残ったら食べて!」と言う、温かい生産者が多い。
だが、食べきれないのだ…(泣)

 

やめますか?減らしますか?

「牛肉が高騰している」という。
当店は野菜中心だから、牛肉は赤身の肉牛「短角牛」しか扱っていない。


その短角牛も「値段を上げたい」と短角考房北風土から言ってきた。

値段を上げるには

正当な理由が、なければ…
そしてその理由が、お客の理解を得られなければ…
ただ、地方経済は疲弊している。
そんな中、値段を上げることで購入が減り、
北風土との間を取り持つ小生とお客様の三者の関係が、壊れるようになると…

そんなことを話をした。
すこし、牛肉高騰の整理をしてみたい

そもそも牛肉を食べる習慣は、東北では最近のこと(ここ50年)である。
山形の米沢牛が有名であるが、学生時代、山形出身の同級生は
「すき焼きを、やろう」と言う言葉で「豚肉を買ってきた」と今でも笑い草である。
しかし、笑えない。
東北では当時、すき焼きは「豚肉」だったのだ。
久慈の山形村の短角農家に聞いても
「牛は商品だから…。
大地を守る会に”自分で作っているものを食べてみなければ…”と言われて
始めた食べたのが…昭和50年」と言う。

そもそも肉食自体が公になったのは明治からであり、
それまでは薬食いと言って、やむなく死んだ家畜を部落で隠れて食べていたのが民衆の食べ方であった。
だから肉食の歴史は、浅いと言わざるをえない。

その日本が、経済成長を遂げて牛肉が食べられるようになり、小生が就職した頃昭和40年代後半に「牛丼の吉野家」ができた。
当時、勤めていた商社は、吉野家に豪州産の牛肉を納品していたため
上司から「牛丼の消費拡大に務めるよう」といつも牛丼を食べていた。
その牛丼に使用した牛肉は、後から聞くと
「それまで食べられない肉(横隔膜)をうすくそぎ切りにする機械ができて、それを加工している肉だ」と言う
科学技術の進歩が食を変えたのである(?)

つまり牛肉の消費は経済成長と共にあったのだ。
今、中国の経済成長が著しい。
中国は豚肉食の文化なのだが、経済成長に伴って美味しい牛肉にシフトしている。
その中国に買い負けているのである。
そして牛肉の消費は、牛丼屋だけでなく、ハム屋や肉加工の職種が日本には様々ある。
扱い量は国産牛よりも、遥かに多いと言わざるをえない。
その扱い量が多い日本ハムなどの食肉加工メーカーは、企業存続のために原材料の確保に必死です。
その海外からの牛肉の仕入の増加と国産食肉加工メーカーの原材料確保、
それに輸出国アメリカの干ばつ、
そんな外的環境の変化と国内では生産現場の減少が拍車をかけて、牛肉の高騰が続いているのです。

牛肉は特殊な生産をしております。
「繁殖」と「肥育」に農家は別れます。
つまりメス牛に種付けをして子牛を産ませて販売する繁殖農家
その子牛を買って、育てて成牛として販売する肥育農家
これは生産現場が違う工程のために、一貫生産すると多大なコストと手間がかかるためです。
その子牛を生産する繁殖農家は、零細農家がほとんどです。
少数の母牛を飼って、子牛を採り販売している農家は、後継者難で、どんどん離農していきます

つまり世界では経済成長で買い負けし牛肉が不足し、国内では子牛の取り合いで高騰している。
というのが現実です。

この現象は、一時期上げ下げが有っても上げ基調は続くでしょう。
一番の問題は、エサが穀物だということです。
地球の人口が60億、あと30年後には90億となると言っております
つまり、こんどは穀物を牛と人間が取り合うことになるでしょう
そんな時に、人間を犠牲にして牛の餌を作るような事が許されるバズがありません。
それは国家ではなく、単なる金の亡者か、食糧を武器にした世界戦略としか考えられません

そうなると短絡的ですが、かんがえられることは牛肉を食べるのをやめる、少なくする。
他の肉に替える。肉を食べない。という選択です。
そんな時代が来るのか…

と思いながら…
そもそも肉食というのは日本は最近の出来事である。
と言って古くからの魚食も、買い負けし、沿岸漁業も衰退していると言う。
中長期で考えると、動物蛋白の補給は悲観的な見方ばかりになってしまうが…

今目先、値段は上がる(泣)
牛肉、食べるのやめますか…減らしますか…

かんじめ

牡蠣と菠薐草「ほうれんそう」のバター炒めである。

牡蠣は、島香魚店から加熱用の牡蠣を買ってきた。
島香魚店は、午後二時から開店する宮古港直送の魚屋である。
魚の流通も複雑である。
以前、三陸の魚は一度築地へ行ってから戻ってきた。
盛岡市内にも「釜石直送」「大船渡より」とか三陸から来たものが特徴的商品と位置づけられている。
それだけ北上山地を超えて内陸に運んでくることが、距離的に中途半端であり、需要が中途半端だったのだろう、と思う
以前は、なんでも大量生産・大量消費が、もてはやされていた時代だった・
今はそういう意味では、小ロット流通が少しづつ力をつけてきたというか、ニッチ産業として生きる道となってきたのだろう

新鮮な生牡蠣が美味しいと言うが定番だが、
島香魚店は、違った。
「加熱用の牡蠣が濃厚で美味しい」と言う。
生牡蠣は、生で食べて大丈夫なように清浄(?)処理をしている。
だから本来の味も失ってしまうのだという。
本当の魚屋でないと、言えないことである。
その加熱用牡蠣に、ハマってしまった。

その加熱用牡蠣を美味しく食べるには…
魔子様は言う
「何と言っても”寒締め菠薐草と加熱用牡蠣のバター炒め”」と言う。
加熱用牡蠣と寒締め菠薐草のボリュームの有る甘さが、応えられない!と言う
娘が菠薐草が嫌いだった。
しかし、寒締め菠薐草と牡蠣のバター炒めを食べて、その菠薐草の甘さを初めて旨さを知った。
魔子様は言う。
「寒締め菠薐草を、もっと早く知っていれば…」

寒締め菠薐草は、最近の栽培方法である。
菠薐草の旬は、冬である。
国の政策により、野菜のリレー出荷が昭和30〜40年代に始まり、
南から北へと産地が移動した。
それが全国的に、特に東京に旬を失くした。
魔子様は東京の下町出身である。
一年中”菠薐草”があり、特に地域の葉物として”小松菜”が有った。
だから小松菜が主体で、菠薐草などは、あまり眼中になかったのだろう。
盛岡に来て、冬越しの根が太くて赤く葉っぱが広がった菠薐草を春に食べたときに「とても美味しかった。」と言う
「東京へ贈ってやろうとしたら、運賃のほうが高かった。」と言う
その春に食べる太く赤い根の甘い菠薐草を、真冬に作ろうという技術が「寒締め」である。
東北農業技術センター(盛岡市厨川 前国立東北農業試験場)の技術である。
ここ10年前ぐらいの技術である。と言っても難しいことではない。
菠薐草は、もともと冬が旬である。秋に種を蒔いて成長が止まる寒さになったらハウスを締め切る
ハウスであるから雪がかぶらない。そして葉っぱは地温の暖かさを求めて広がり、じっくりと伸びる。
広げた葉を活かして包装する技と、じっくり成長することによって糖度を溜め込むのである。
植物は葉っぱで光合成をしてブドウ糖を作る。
それを成長のエネルギとーとするが、余った分を糖として溜め込むのである。
夏だったら暖かいので、どんどん成長に使われ溜め込む余地がない。
岩手は、リレー出荷のために夏の菠薐草の産地と位置づけられた。
おかげで、細い伸びた菠薐草で、金のために美味しくないものを作っている役目なのである。

そういえば「寒卵」という言葉も有った。
大寒の日に生まれた卵だという。
今はケージ飼いで一年中温度コントロールされているからあまり意味ないが…
うたがき優命園の自然卵なら「かんたまご」は意味があるのだろう

年中食べられる菠薐草や、年中安定して供給される卵が「国民の安定食料供給」という大きな命題のためにできた
それを知って食べるのと、知らないで食べるでは、将来にどういう禍根を残すのか…

誰も知らない・

エンゼル係数

牛乳のでたらめな記事を信じないで…

というBlog(?)を読んだ。
そして様々な議論が有るとも…

酪農家が「安全」と言うのも当然である
日本の食べ物は、基本的に相当吟味されている
「相当」であるから…ある程度と言う意味も含まれる(?)

 

先日の裁判で、山菜やキノコの放射能の問題は大丈夫か?という疑問を持ったが
やはり天然モノは十分に気をつけないといけないという感じを持った。

当方を訴えた農家の原告は「たらの芽は露地栽培だ」と言った
「栽培」と聞くと安心するが「露地栽培とは?」と思って尋問すると…
「露地栽培とは?」「植えて収穫をしているだけだ」という
「風雨にさらされる環境では?栽培管理は?」
と聞くと「自分が植えたのだから栽培だ!問題はない」
「普通、そういうのは”野生化している”というのだ!」というと
裁判官は「尋問ですので意見は言わないで…」と言う
農家の原告は、納得いかない顔をしていた
有る行政官は「この写真を見る限り野生としか思えませんね」と言った
国は、口に入るものは、厳しいチェックをしてるのであるが
農家は自然の中で生きている。
深く考えている人は、少ない。
社会のルールではなく、自然の中で暮らして判断しているのである。
放射能のような見えないもの…感じられないものは…無視(?)なのである

 

畜産は、ちょっと変わっている
植物と違って目の前に生きていて動くものを育てているのである
「家畜」と呼ばれる
ある学者は、
「家畜は人間の都合で作られた動物だから、余すこと無く食べないといけない」と言って田んぼに話した合鴨を食べるように勧める
ある農家は「何ヶ月も育てていると、屠畜するのが忍びなくて…」と言って動物園に寄付をする。それは他の動物の餌になる(?)

0-39

なんだか一つ一つ、もっと深く掘り下げないといけないのだが…
掘り下げると、長くなりすぎる
あちこちと飛んでしまって収拾がつかなくなる

 

そこで酪農の場合だが…
基本は、「牛は草を食べて、乳を出す」のである
それが、”とうもろこし”などの穀物を食べさせて乳を出させることに問題が有る
穀物を食べさせると乳が大量に出るというので、世界で飢えている人が大勢いる中で、わざわざ穀物栽培して食べさせることが良いのか?

引用

アメリカの農地の80%が肉の生産に使われ、生産されるとうもろこしの80%、オーツ麦の95%が飼料になり、その他大豆ミール3000万トンが家畜飼料用に使われています。穀物をそのまま食べるのではなく動物に与えてその肉を食べるというのは非常に効率の悪い食物生産方法です。たとえば牛肉を1キロ生産するためには8キロの穀物が必要で、高級霜降り肉だと10キロ必要です。一番効率がいいといわれる七面鳥でも3倍の穀物が必要なのです。

今、日米の人が肉の消費量を20%減らすだけで世界の飢えをなくすだけの穀物が余るといいます。 

1ヘクタールの蛋白質生産量

大豆

404kg

301kg
トウモロコシ
239kg
豆類
218kg
牛乳
93kg
89kg
51kg
牛肉
23kg

http://www.geocities.jp/vegenoki/index.htmより引用

終わり

そして、草だけを食べさせると年間4000キロリットル搾乳できる
それが穀物を多給すると10000キロリットル搾乳する

そしてその量が落ちるとお産を1回か2回させると肉にしてしまう
草だけ食べさせると10回以上お産をするし乳量も落ちない

動かさない
動くとエサをたらふく食べるので、飼料効率が悪いから畜舎に繋いで飼う。
それが動物福祉と言う面で良いのか?

牛が牧場でのんびりと草をはむ絵が書いてある
あれは、乳量が落ちて次のお産までの待ち時間なのである
それが終わるとほとんど日が当たらない畜舎につながれて乳を絞られる

その乳は安全である

家畜である乳牛は、一回か二回のお産で役目を終え
次は国産牛として量販店に並ぶのである。

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その飼い方に疑問を持つのが山地酪農である。
「本来人間が利用できない草を食べさせてその乳をいただく」
と言う考え方で国内に数えるほどの軒数だが、やっている
しかし、それの問題は、乳量が少ないから売上が上がらない
牛乳は、生乳を集めて保存して飲料用にするには設備投資がそこそこかかる
そのため農協が一手に引き受けている。そこから大手乳業メーカーに分配される

リットルあたり100円前後で引き取ってくれるのが、山地酪農の場合はリットル60円(草だけなので規定の成分が少ない)となる(最近の値段は不明)

いきおい、ある山地牧場のように1㍑1000円を超える値段で売らないと合わない
大体、水より安い牛乳をガボガボ飲むというのが間違いなのである。
おいしい牛乳を少し飲む。日本人は乳糖分解酵素が少ないのだから…

 

そこで問題になるのが貨幣である
本当に必要としている人に安く提供し、金を持っている人には高く売るシステムがないか?
つまり牛乳からカルシウムが必要な人は、安く
安心だからと飲む人は、高く売る
そんな経済システムが必要なのではないか?
(これをエンゼル係数と言う。エンゲルではない)
そんなことを考えているのだが

 

根本的には生産を替えないと…
何と言っても石油漬けの畜産である

油を使って採草地を耕し
油で出来た電気で保冷して
油で運送して
油で加工して
油で配達して回る

油がなかったら、なりたたない畜産なのである
4000㍑/年に搾乳できるのなら、
10軒の家で、油を使わないで一頭の牛を飼うシステムを考えないと…

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