ちいさな野菜畑

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カテゴリーアーカイブ: 生産者と共に

ロングランⅡ

家族というのは厄介なものである。
人生の最後までつきまとう(?)
それだから信頼するし、頼りにする。
そして親は育て上げないと…と思いながら育てられる。
子供は親を見上げながら、自分自身と重ね合わせる。
小さな頃はいいが、だんだん社会が広くなってくる。
人間は社会的動物であるというが、家族でもある。

その葛藤の中で生きているのをまざまざと吉塚一家は見せてくれた。
ここまでフィルムに収めたのは遠藤監督と吉塚一家の信頼のなせる関係であろう。

農業の世界に飛び込むと、父親と長男の軋轢はよくみる。
いや、それしかないだろう
「早くオヤジが死ねばいい」と思っている息子のなんと多いこと
しかし、それは自営業のなかでも見られる。
親と子、自分の人生(経験)を教え込もうとする親
新しき社会を切り開こうとする子供との軋轢である。
あたり前のことであるし、誰もが経験することである。

あの荒れ狂う自然の中の片隅で一家が寄り添って生きる。
そこには吉塚公雄の一家を守るという責任感が牧場を覆っていただろう
そして、それには若い頃薫陶を受けた猶原先生の
「山地酪農は千年続く酪農」という言葉が重くのしかかってきているだろう
自然という大きなもののなかで、何を信じで生きるか?
彼にとっては猶原先生の言葉を信じ、家族を頼りにして
大きな自然と闘ってきたのではなかろうか…

しかし、自然と戦うべきなのだろう?
ある農家の会で先生の指導する方法と違うやり方の人がいた
理論的にも納得でき、現実的であるにもかかわらず。
小生は「先生!なんで先生の教え通りやらないのですか?」と聞いた
そうすると先生は
「場所・場所によって、自然も違うし、自分の条件だって違うのだから、違って当たり前なのだ」
と、こともなげに言い放った。

基本の山地酪農があって、
その人なりの多様な山地を作り出して、家族のなかに人が集まり、
多様な家族ができる。
そんなことを、ふと感じた

吉塚公雄は基本に忠実な、いや猶原先生との…客との…約束をしながら
家族を守ろうとしている。
そのあまりにも、しんどさを見ていて涙が出てくる映画だった。

ロングラン

ロングランの映画を見てきた。

サンビルで営業をやっていると、ほとんど興味あることができない。
一日、棒立ちで、ただただ時間がすぎるのを待つだけである。
時間がもったいないので、せっせとぬか漬けの研究に勤しむ。
しかし、そんなに技を極めても食べてくれる客が来なければ、単なる野菜くずである。

しかし、そんな日々から開放された。
ようやく一日フルに自分のために使うことができるのである。
サンビルでの営業を辞めたである。
とりあえず孫たちが来たので一日遊んだ。何年ぶりだろう。
そして本来は6月6日終了するはずだった「山懐に抱かれて」を見に行った。
盛岡の映画館にしては珍しく、延長延長でまだやっていたのである。
一日一回、朝の時間だけであるが、それでも50人ぐらいいただろうか?

あらすじ(公式ホームページから抜粋)

「みんなが幸せになる、おいしい牛乳をつくりたい」
山の牧場を切り拓く吉塚一家。
雨の日も雪の日も、泣いた日も笑った日も、
その歳月はいつも家族とともにありました。
美しくも厳しい岩手の自然を背景に綴る長編ドキュメンタリー

牧場俯瞰

岩手県下閉伊郡田野畑村に暮らす、5男2女・9人の酪農大家族。
一家が営むのは、一年を通して山に牛を完全放牧し、大地に生えるシバと自前で栽培する牧草だけを餌に牛を育てる“山地酪農”。自然の営みのなかから生み出される、その理想の酪農の実現を胸に、大学卒業後この地に移住した父・公雄は、山を切り開き、シバを植え、牧場を育ててきました。

プレハブの家でのランプ生活が続くなか授かった7人の子どもたちは、父の背中を追うように牧場を元気にかけまわり、手伝いをし、すくすくと育っていきます。夏には冬のための草を刈り、秋にはヤマナシの木に登ってその実をオヤツに、冬にはみんなで薪を拾い、春には仔牛が生まれる…四季の風景に彩られ、休むことのない牧場の暮らし。

一方、自然とともに歩む“山地酪農”ゆえの課題は、次々と一家の暮らしの前に立ちはだかります。
限りある乳量、広さに応じて決まっている牛の頭数、販売価格の調整…ジレンマと闘いながら試行錯誤を繰り返す日々は続きます。
みんなで囲む楽しい食卓、周囲の支え、成長した子どもたちと頑なな父との衝突と葛藤、そして仲間とともに踏み出したプライベートブランド《田野畑山地酪農牛乳》設立への挑戦、第二牧場への夢————。

山懐に抱かれて、365日24時間“いのち”と向き合いながら、愛情いっぱいに育まれるその営みを大切に綴りました。

彼との出会いは平成7年ごろだろうか?
まだ牛乳を作っていないころ、大学の教官の定年退官講義だったと思う。
たしか、共同経営(?)というもうひとりと一緒だった。
それからあちこちで出会い、牛乳を作り始め当店との取引をお願いした。
しかし、吉塚は頑固に断った。
最初にあったときの共同経営者(?)と取引をしていた小生には遠慮があった。
取引が始まって、たぶんヘルニアで自宅で横たわっていたときだろう、彼は見舞いに来た。
そして枕元に牛乳を置き、早く飲むようにせかした。
そのときもこちらの体を心配しているのではなく「牛乳」を心配しているのであった。「早く呑め」「早く冷蔵庫に入れろ」とうるさい。

そんな彼は、最初熊谷牧場の熊谷宗矩くんと一緒に配達に来て…
そのうちに熊谷宗矩くんと、長男の吉塚公太郎
長男吉塚公太郎と次男吉塚恭次の兄弟コンビになり
三男吉塚純平と変わっていった。

そして当店で盛岡の消費者との交流会を一年に一度やり、
そのうちに田野畑の現地で交流会と次から次へと…
消費者との交流を深めていった。

映画を見終わった人は、一様に「牛乳を飲みたい」と当店にくる。
本当は余分に置いておきたいのだが、そんなにはおけない。
たぶん一杯飲んで注文に至るのには時間がかかるだろう。

売るというのは難しいのだ。作るとは違う難しさがある。
だから車も、作るメーカーと、売る販社と2つに分かれている。
しかし、彼は、直接売るということをテーマにしていた。
だから当店など相手にしなかっただろう。
どんどん配達先は増え、田野畑と盛岡と往復200kmを週に何往復して彼は経済と引き換えに、幸せを届けたのである。
彼は、小利口に振る舞えなかったのである。
玄関先で「ご苦労さま!」「美味しかった!」「みんなどうしているの?」
と小さな会話が、大きな満足と幸せを生むのであった。

映画の中で彼は「俺は、お客と約束をしたんだよ」と怒鳴る場面があった。
そうなのである。彼は約束を守るという信念の人なのだ。
一人ひとりの客と向き合って約束を果たす。
このスタンスはすごい。
映画の中で眼鏡の奥からキラリと光る眼光が、その決意を物語っている。
お客にも、家族にも、猶原先生にも、彼は約束を守るという姿勢を貫いた人なのだ。
余人には真似のできないことをしてきたのである。

トンネルと抜けると、そこは青空

沢内へ行った。今は沢内とは言わない。
湯田町と沢内村が合併して、西和賀町になったからだ。
しかし自分にとっては、いつまでも「豪雪の沢内」なのである。

中学校から高校に進学したときに。初めて出会ったのが
「山線」から通ってくる同級生たちだった。
「ヤマセン!」「ヤマセン!」と馬鹿にしていたが、奥羽山脈を秋田から超えてくる「横黒線」という名前だった。

横手市と黒沢尻町(現北上市)の秋田と岩手を結ぶ線路だった。
東北地方には、太平洋側の東北本線と日本海側を走る奥羽本線との間には、

仙台と山形を結ぶ「仙山線」
古川と新庄を結ぶ「陸羽東線」、
北上と横手を結ぶ「横黒線」
盛岡と大曲を結ぶ「田沢湖線」
盛岡と大館を結ぶ「花輪線」と五つもある。(今知った)
鉄道の駅名は、よく知っているつもりだが、路線名はしっかりと承知していない。

当時北上の高校に進学していた小生は、「ヤマセン」と呼ばれる奥羽山脈をまたいで横黒線で通ってくる同級生たちと一緒になった。
彼らは春と夏と秋は、汽車で通ってくるのだが、冬は大体が「下宿」である。。
しかし、小生は校門から歩いて五分のそばに家があり、授業が終わるとラグビーの練習に明け暮れ、友人たちの下宿生活を知らない。
色気づいた高校生だから、面白い話が色々とあったらしいが、こちとら至って真面目な高校生活だった。

しかし、「ヤマセン」から通ってくる同級生たちは、総じて成績が良かった。
今にして思えば。金をかけて高校にやるからには、しっかりと頭の良い奴を選抜して送り込んで来たのだった。
小生のように、ふわふわと中学生活を送り、ふわふわと高校へ入った高校生とは違っていた。
そんなヤマセンから通ってくる高校生の一番の奥地の村が「沢内」であった。
奥羽山脈の一番てっぺんの駅から、またバスに乗って行ったようだ。(その時は知らなかった)

沢内が有名になったのは「生命尊重の村 深沢晟雄村長」である
様々な行政の反対を受けながら、豪雪の中、日本で最初に高齢者の医療費無料化や乳児死亡率ゼロを達成し、住民に慕われた名村長である。
小生の高校時代には、もう亡くなっていたようだが、
今にして思えば、当時は沢内村は全国的にも有名だったようだ。(何も知らなかった)

そんな沢内村に高校時代の友人や…農家仲間が何人もいる。
中学校の時だっただろうか…
土建屋に勤めていた父親が、沢内村の学校の現場監督をやっていた。
その現場事務所は、一階が雪で埋まり二階から出入りしていた。
そして道路の両側には垂直にそびえ立つ雪が、壁のようになっていたことを思い出す
そんな沢内村に豪雪の2月にでかけていった。

 

雪の壁が立ちはだかり
雪煙が舞って視界を防ぎ
除雪車が走り回り

生産者の家には寒干し大根がぶらさがり
生産者の友人は「おら、まいにちこんなんだ」
「積雪何メーターで、たまげていられね」
「4月13日雪の中で種籾を播く」と言う

トンネルの出口は吹雪と除雪車で覆われ

トンネルと抜けると、盛岡は青空だった。

 

 

 

 

れんこん

蓮根を持ってきた。
「横浜出身だ」という東和町の佐々木君だ。
蓮根を手堀りで掘っているという。
指先まで土で汚れて、洗っても取れないと言う
都会出身のIターンの彼は、なんでそんな作物を選んだのだろう

 

「レンコン」
その言葉の響きは、郷愁をさそう
その素朴な黒い肌が、あの沼に咲くキリッとした姿の蓮の花と結びつかない
田舎道を走っていると、時折、沼地に咲いている蓮の花を見かける
そのきれいな花の下に、レンコンがあることを想像する人は少ないだろう

桜の木の下に死体が…と言う話があるが…
蓮の花の下にレンコンが…あるのだ

レンコンは、その酸化した黒い肌を脱色するために漂白すると聞いた
今は、酸素の供給を断つために緑の青々とした葉を切除するという

彼は、葉が枯れたときに収穫して、黒いままの完熟レンコンで売りたいと言う

 

とりあえず放射能検査を…

家政犬は聞いた

武田君の米が、まだ揃わない

新米の時期だと言うのに…

ヒマをぬって出かけていくが
農具の掛かった精米調整小屋には、誰もいない

しかし、彼の小屋はきちんと整理してある

整理整頓が出来ない農家が多いのだ
きれいに包装されている農産物を産直で見かける。
その農家の住まいの上り框や、小屋の中は雑然としているところが多い。
産直とは「顔しか見えない関係」である。
整理整頓が出来ていないところが、美味しいものができるはずがない。

武田くんは。コレだけでも信頼できる農家である
(納期以外 苦笑)

彼は市議会議員でも有り、ある党の青年部長でもある
もう50も過ぎた青年であるが…

だいたい農家は齢をごまかしている
若奥様の会という50歳を遠にすぎた女性の団体もあるくらいだ。

議員二期目の武田くんは、忙しくて本業の農業が、なかなか出来ないのだ
出来ないと言って、こちとらはすまない

武田くんに催促にゆく

もみスリ機の大きな音がする小屋の、
まだ音が聞こえないところで一生懸命電話をしている姿が見つかった。

目線の先には、雄大な岩手山が上半身だけ見える。

嬉しいことが有ったらしい。
嬉しそうに、満面の笑みを浮かべて電話を終えた。

そして
「これはまだまだ、誰にも喋っては駄目ですよ」
と言いながら話してくれた

”だれにも、話すな”と言いながら…

庭のワンコは聞いていた。

ヘンプ&ヘルプ

麻は、大麻である。
いや「麻」は、昔から日本で栽培されていた。
ところが「大麻」になると言うので麻の栽培が禁止されているのである。
麻は日本の文化である。麻の着物や洋服などがあるが…

たしか蚊帳も麻じゃなかったか?
「蚊帳(かや)」も死後になりつつあるが…

そうそう七味唐辛子にも「麻の実」が入っている。
別に食べても「幻覚」など見ないが…

数年前からヘンプキッチンの商品をおいてある。
「麻」を英語で「ヘンプ」というらしい
この商品は日本では栽培禁止なのでカナダで栽培して輸入している。

あまり売れない。
売れる前に賞味期限が切れるほうが多い。
強力販売推進商品なのだが…

この麻の実ナッツに「非加熱の麻の実ナッツ」の商品が加わった。
一生懸命に非加熱のメリットを調べようと思っているときに

若い母親であろうか…レジの前に立ち
「非加熱と加熱の違いは?」と問われた

一瞬、「こんなことを知らないで並べて売っているの」と咎められたような気がして「それは好き好きですから…」と言う言葉がスラスラと出てしまった。
相手は驚いたようにオウム返しに「すきずき?」

なんで、こんな言葉が出たのだろう
返事になっていない
だいたいが「すきずき」などという無茶苦茶な返事をするのがおかしい。

一瞬頭が白くなった。

そこへ小さな子供がスキャナをいじって、一度スキャナを通した商品を再び通してしまった。
若い母親は「駄目よ!おじさんに謝りなさい」と子どもの頭を押さえつけた。

「いやかまわないよ。子どもはなんにでも興味をもつのだから…」
「ほらやってごらん」と二〜三種類のバーコードを読ませると
子どもは嬉しそうに笑った。

子どもの読んだバーコードを消して精算を済ませると
母親は「他所でやっちゃダメよ。おじさんに謝りなさい」と再びいった。
「いや子どもは好奇心が旺盛だから、あんまり叱らないで…」

子どもの好奇心を伸ばしてやらないと、子どもは伸びない。
小生のように「好奇心を後回し」にして、言い訳のような返事にならない言葉を発しては駄目なのである。

チョ~反省!

 

 

 

でん六豆

店に戻ると、机の上に大きな箱のでん六豆が置いてあった
「山形の田中さんがきて、おみやげ!
コーヒーを飲んでいった。」と魔子様が言う

懐かしい、でん六豆だ。

デン デン でん六豆〜うまい豆〜

小さな頃よく流れていたコマーシャルだった
あ〜そうか…あれは山形のお菓子だったのか?

ふと魔子様に聞いてみた

「小さな頃、デンロクマメ!よく食べたよね〜」
「知らない」とにべもなく…

ひょっとして東北だけの地域限定商品だったのか…

 

山形の田中さんは、東北農家の2月セミナーの仲間である。
いや仲間だった。
田中さんはとっくに…小生は昨年、卒業した。
もう2月セミナーは何年続いているのだろう…
最初に出かけたのは平成6年の11月か…12月の八戸だった。
当時「二月セミナー」と言う名前ではなく、
農山漁村文化協会(略して農文協)主催の「中期講習」という名前だったような気がする。
それが予算不足で農文協が主催を降り、参加していた人たちが
「会費を出し合って自主的に続けよう」「毎年2月に…」
「講師の内山さんには、謝礼は少ないが…集まった会費で…」と言うと
「私も学ぶことが多いので参加費を出します」と哲学者の内山節さんは言う
招いた講師も参加費を出すという珍しい勉強会が、毎年2月に二泊三日で仙台で行われている

当初、農文協が主催だったので農家がほとんどだったが…
その中で農家になろうという田中さんや…農家の意識に近づこうという小生や…
農家以外の人も数少ないが入っていた
田中さんとは、長い付き合いである

そんな彼が昨年の岩泉の災害でボランティアにきたときに
「ちいさな野菜畑」という看板を見て「もしや…」と入ってきたのが数ヶ月前である
彼は、山形の有る町の社会福祉協議会に所属していた。
そんな劇的な再会をして、今回は留守をしている間に通り過ぎてしまった。

色々な出会いがあるものである。
また会えるだろう。

 

そういえば2月セミナーの仲間だろうか…
中期講習の仲間だろうか…
俵型のモナカである
通常、仙台のお土産だったら三色の白松がモナカだが…
たぶん宮城の南の方から持ってきたからだろう

 

 

種子

農業は産業ではない。
ということを一貫して主張している。

わかりやすく言えば「農」と言うのは資本主義社会による、「仕事」ではない
では何か?「なりわい」である。

生きていく上で、一番必要なものであり大切なものである。
それが資本主義社会の中で、他の業種と一緒に考えられるわけがない

車がなくても生きていける
電気がなくても生きていける
家がなくても…着るものがなくても…
つまり衣食住のなかで、とりあえず「食」べないと生きていけない。

生きていくと、寒さに耐える「衣」が必要で…
夜露をしのぐ「住」が必要で…
それら必要なものを作り出す「技」が必要で…
技を持たない人が交換する道具として便利な「貨幣」が必要なのである。

 

その食べものを作り出す根幹は、種である。
その種が資本主義社会の「仕事」という位置づけに置かれ、我々から取り上げられようとしている
本来は我々の「なりわい」だったのに…
種子法の廃止である

主要農作物の種子法という法律が日本に有る
主要農作物とは「稲・小麦・大麦・裸麦・大豆」である。
その種子は、各自治体に品種の育種開発が義務付けられていました。
それが廃止になる。
民間に移すことに寄って民間の活力が促され、経費が削減されるという目的のために…
民間の活力と言うが、民間の資本力と言い換えたほうが…
そして資本力は、グローバル経済のでは海外の大手化学種苗メーカーも含まれるのである
「(資本主義社会の)経済の活性化」である。

経済というのは「世をおさめ、民を済う」経世済民と言う言葉からきている
たぶんこの国の政治家は間違っているのではないかと思う
資本主義社会は狭義の貨幣経済と言うように取っている
「経済最優先」は本来の意味に戻らないといけない

民を済うなら根幹の種を守らないと…

種を守ろうという運動が有る。
種子法廃止に反対する運動である。

そして地野菜の種採りをしながら南部の野菜をつなごうとする若者がいる
そんな若者を応援したい。

 

 

豆蔵

得意先は、聞いた?
「どういう関係で知り合ったのですか?」

長年付き合っているが、なぜ関係ができたのか?
それが恋愛関係なのか?
愛人関係なのか?
そういう問題ではない

大黒味噌醤油との取引関係ができたキッカケである。

軽米町の大黒味噌醤油との関係は、思い出そうとして思い出せないほど深くて長い関係だ(?)
たしか…

”タイマグラばあちゃん“の映画監督の澄川さんから、
「バァちゃんが亡くなったので家に残っていた味噌を処分したい」と電話があった。
当時、野菜畑を開店して数年経ったときだった。
当時は、その映画も知らず、
タイマグラという地名も、どこにあるのか?
どこから行くのか?も知らないまま、現地に行ってみた。
そこは早池峰の北山麓だが、森奥深い丘の上の家だった。
数人の男がいた。そこに住み着いた人たちだった。
桶に味噌が入っていた。
なんだか黒ずんでいる味噌である。
「なんとかして欲しい」と請われたが…
臭いといい、見た目といい、売れる代物ではなかった。
「袋詰め、してくれれば…」と言葉を濁しながら、周辺にあった人参や馬鈴薯をもらってきた。
そのときに、岩手の豆味噌を初めて知った。
というよりも味噌には米味噌・麦味噌・豆味噌と三種類あり、岩手の県北部や山岳地帯は豆味噌の文化だと知った。
味噌玉という大豆を煮て玉にしたものを天井に吊るすのである。
そこに麹菌が着いたものを天井から降ろして塩と一緒に漬け込むのである。
いろいろな人から聞くと、豆味噌は岩手県と愛知県の八丁味噌ぐらいしか無いと言う
そして残念ながら味噌玉を天井に吊るすのは、不特定多数の人に販売する生産方法として認められていない。と言う

当時タイマグラの民宿フィールドノートでは、ばぁちゃんから教わった味噌玉をつくりながらお客と一緒に味噌を仕込んで分け合っていた。
フィールドノートの味噌仕込み

フィールドノートのように個人として仕込むのは構わないが、
野菜畑のように不特定多数の人に販売するのは駄目だという
そこで入道は悩んだ。
なんとか豆味噌の文化を残さなければ…

そんなときに軽米町の古里斉が「おらほの味噌屋は、豆味噌を作っている」と言う
それなら、それを扱おうか…と思って大黒味噌醤油の豆味噌を販売を始めたのである。
しかし、その豆味噌は、もう一つ売れなかった。
味がしょっぱいのである。それと豆味噌特有の香が気になった。
とりあえず並べてはいたが…

そんなときに10年前になろうか…
秘伝シリーズの商品開発が始まった。
とりあえず味噌のラインナップは、
「米蔵」米味噌、
「およね」20割米麹味噌(秋田で言う高級味噌)
「豆蔵」豆味噌
の三種類を作った。

こびるコーナーだった、食堂部門は「こびる食堂」に格上げして
味噌汁は豆蔵に一本化した。
なぜなら豆味噌特有の香が出汁と相まって何とも言えない豆の香となって生き返ったのである
そして塩っぱさも、量を調整することで解決をした。
かえって使用量が少なくて済むという節約効果をもたらしたのである。
それでも自信を持って販売しているのは、ここ三年ぐらい前からである。

それまでは豆味噌は岩手の文化だと言いながら、
「時代の流れか…」と味噌汁を飲まない若者や、ご飯を食べない家庭、
和食を遅れているというような洋食珍重文化などで強い気持ちを失いかけていたのである

やはり地方は豊かな自然に恵まれた必然性の食文化を掲げないと…
米の取れない岩手は、豆味噌であった。

軽米町の大黒味噌醤油では。今は夏はオフシーズンである。
冬に作った味噌の発酵を促進し
夏を越した味噌を袋詰にしている作業の真っ最中であった

100年以上使用している木桶
もうタガを締める人はいないという
納豆を食べた人は入れない麹室
29年2月に仕込んだ豆蔵出来上がりは夏超えした10月頃か…

いもち

滝沢の武田哲が、米の納品に来た。
合鴨農法の無農薬の米は、武田哲である。
なんと言ったって、安心感が有る。
「倉庫を見に行ったら在庫がなかった」ということは一度もない。
一度有ったが…
“家の人が、勝手に別の産直に出荷していた”と言う

まぁそれと、ある程度の量をやっているので融通が聞く。
そういう意味で、長い付き合いである。
本来は、量を多めに引き取れば良いのだが、米用の保冷庫が小さいのと、
市会議員をやっている彼は忙しいのに、その合間を縫って、たびたび足を運んでくれる
彼も、さまざまな問題を話す人がいないのかもしれない。
こちらも、さまざまな情報を得るのに好都合なのだが…
そして彼は、支払った米代金で、いつも大量に買い物をしていってくれる
そうなのである。産直という仕組みは、地域循環の基本なのである
多くの農家が産直の売上金をもって、大きなショッピングモールのイ○ンへ買い物に行く。
産直の意義を、わかっていない農家が、ほとんどなのである。
行くなとは言わないが、もうすこし考えて行動してほしいのもだ
地元の人が地元の産物を買って、経済を循環させようという試みを
一生懸命、中央に吸い上げられる仕組みに加担しているのである。
おまけにイ○ンの産直に客が多いからと言って出荷している農家もいる。
単に利用されているだけなのだが…

循環の仕組みをわかっている彼は、いつも閉店間際にやってくる。

今日も6時までの保育園の迎えに行く間際にやってきた。
「どうだね米は…」
低温の日照不足で、米の不作が伝えられる。
心配して聞いた…
「私の田んぼは、まだましですが、雫石は、ひどいですね…
あちらにも田んぼが有るのだが、周辺の田んぼは、相当”いもち”になっています」と言う。
「まぁこの雨で洗い流されたら良いのですが…」

「いもち」である。
低温で登熟や受粉を心配していたが、「いもちがひどい」という。
「いもち」は菌である。
浮遊して稲につき、葉の中や(葉いもち)穂の中(穂いもち)に入り込み細胞壁を破壊するという
減収だけでなく、食味にも多大な影響を与えるという

30年近く前、農業の世界に入った当時。
「いもちが、蔓延」と言うニュースを見た。
実感がわかなかった。
当時は、岩手山麓の玉山で稲作を合鴨農法で始めた時期だった。
「いもちってなんだろう?」というのが率直な感じだった。
農家の仲間と関東に稲作の勉強をしに言った。
そこには赤い田んぼが広がっていた

”いもちにやられた田んぼだ!”と言う。
なんの圃場か?小麦か?と思ったが、稲作だとは思わなかった。
農家の仲間も「初めてみた。」「驚いた。」と一様に言う
一緒に行った農家は、みな西根・玉山の農家である。
後から調べてみると、稲の大敵いもちは、通風を良くすることによってふせげると言う
菌を吹き飛ばす風が必要だという
つまり西根・玉山は、岩手山麓の吹き下ろしの風が、自然に吹く地帯である
だから「”いもち”を、見たことがない」と言うのである。

なるほど!コレを逆手に取って…
稲の大敵「いもち」が発生しない岩手山麓で除草さえできれば、無農薬米が可能だ
と初めたのが、合鴨農法である。

ところが場所によって谷あいや山陰などのところで空気が淀むところはいもちが発生する。
雫石は奥羽山脈や、低い連なっている山が風の流れをせき止めるので空気が停滞しやすいのである。
適地適作と言うが、地域にあう農法が必要なのである

ところが「合鴨農法で無農薬で作ろう」という西根・玉山の生産者は増えていない
当時、岩手県北部は火山灰土でリン酸の吸収が悪いため食味がよくなく、低温で生育に問題が有るので「政府米地帯」だった。
ようするに収穫さえすれば、すべて政府が買い上げる地帯だったのである。(岩手県北部。青森・北海道は…)
工夫しなくても、つくれば買ってくれる所があれば、煩わしいことはしないのである。

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