ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: 我が家の四季

なこうど

喪中欠礼のはがきが来る。
最初に来たのは…

仲人の奥さんだ。
仲人は昨年亡くなった。

後を追うように逝った。

魔子様は「仲がいいと後を追うというから…」と言う
小生は早く逝きそうだが
魔子様は長生きするだろう

 

「仲人」という“職業?”も無くなってきた。
そういえば娘のときも、息子のときも「仲人は立てなかった」

小生の時代は、「誰を仲人に立てるか?」が大きな問題だった。
社内結婚だったが転勤直後だったので、
前の上司か?新しい上司か?
の選択が求められた。

選んだ仲人は、オイルショックの在庫過多で多くの社員を希望退職の陣頭指揮をとり責任を取って会社を移っていった。

 

奇しくも先日、不意に戻ってきた孫は嫁が選んだ「ムージョンジョン」の服を着ていた
仲人が移っていった会社は「ムージョンジョン」と言うブランドを持った子ども服メーカーだった。

介護

今朝のニュースで、「老人ホームで入所者殺害の容疑」が流れた。_(https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1114/jj_171114_0337304575.html)

認知症の母を介護しているといろいろと考えさせられる。
殺人は、当然否定されるべきものであるが…
介護という仕事の過酷さを理解してやりたい
その狭間の中で
働く若者を補う仕組みが必要であると思う

 

そろそろ母も、下の世話ができなくなってきた。
気温が下がるに従って、体温の感覚がなくなってきたのだろうか

床暖房・ファンヒーター・電気毛布・どんな暖房をしても
すべて朝になると切れている。
そして切れないと、コンセントを抜く
コンセントを抜いただけでなく、ブレーカーまで落とす。
戦前戦後の「もったいない精神」が骨の髄まで染み込んでいる

朝の仕事は、電気をつけて暖房をつけて朝食を食べるように促すが
温かい朝食は、すこしでも残して一日の食糧にとっておく。
そして1時間も経つとすべての電源を切って、電気も消してある。

お手上げである

やはりホーム入れなければ…
と思うが、老人ホームのさまざまな犯罪が流れるにしたがって
母と一緒に、大叔母の見舞いに仙台の老人ホームに行ったときの言葉を思い出す

「いやぁ〜ね。こういうところには入りたくないね」

饒舌だった大叔母は、車椅子で出てきたがうつろな目で、無口だった。
奥から、みんなで歌わされているのだろうか、童謡が流れていた。

長寿が良いことなのか?
「元気で長寿でありたい」と思っても。そうはいかないのが人生だ。

人口減少社会と言いながら、残された人口が老人ばかりでは
経済は活性化するのであろうか?

早く逝くのも、幸せなのかもしれない。

冬の時代

もう秋も深まった

庭は、紅葉の落ち葉におおわれ

渋柿も落ちた

 

西側の窓辺に植えた柿の木も裸だ。
すっかり葉が落ちて、冬の西日が当たるようになった。

ストーブの上には、ちんちんと湯が湧き、大きな鍋に大根が煮えている。
茹でた大根に、激辛の海鮮唐辛子を乗せて食べるのが最近の好物である。

いくらでも入る。
辛くて美味しい。(あくまでも個人の感想である)

いよいよ冬が来た。そろそろ初雪の便りが聞こえるころだ。

人生も、そろそろ冬の時代か…

とうひょう

投票に行った。
棄権したことは一度もない。
いやひょっとしたら、一度ぐらい有るかもしれない。
投票には「行かない」と言う人もいる
小理屈を言っているが、何を言っているのかわからない。

小生は素直(?)だから行くことにしている。

日曜にも店は、やっている。
だから、朝7時に行くか?
店が閉まってから行くか?
どちらかだが…

台風だから帰りは、大荒れになると思って、朝行った。
魔子様は言う
「朝は、ヒマな爺さんや婆さんが多いから混むよ」と言う
(魔子様は自分たちの年齢を考えたことがない。
自分たちも立派に、爺さんと婆さんなのだが…)
そういえば、朝、行ったことがない。
店には7時に着くように行くが、大体が遅れている。
介護の朝食や、トイレやブログで、いつも朝は大忙しなのだ
だから、いつも帰りに寄るのだが…

投票所は歩いて5分、車で1分の活動センターだ。
7時5分に着いた。やはり受付の前で10人ぐらいもう並んでいる。
ようやく投票所の中が見渡せるところまで来ると、なぜ並んでいるのがわかった。
途中の投票券を渡すところで5人溜まると、入場制限をしているのだ。

馬鹿じゃないのか?

爺さんや婆さんだから、長い人生、いろいろ考えることも有るだろう
”自民党にいれようか… 共産党にいれようか…”
”頼まれた創価学会か…”
”いやいや、トランプもいいから共和党も…“

などと考える人が多くて、入場受付の制限で行列は長くなる。
その内に行列が外へはみ出し、ゴミ収拾場所までいくぞ!
雨が強くなってきたら、どうすんだ?

と思いながら受付まで来た。

入場券を出した。
夫婦のセットの葉書の入場券だ、一枚に二人の名前が書いてある。
受付の二人の若い人の一人は、その葉書を切り離そうとしている
「二人だから良いだろう」と言うと
一人が小声で「投票は独りで回りますから…」と言う
今まで66年間そんなことは無かった。

見ていると手が震えている。
折り目から、きれいに切り離せない。
最後のところがもうギブアップだ
もう一人の受付が、後ろを振り返り「ハサミ」と叫んだ。
後ろの連中も、ハサミを探してウロウロする。

麻子様こころのなかで
”切り離すのなら最初から用意しろよ”

こんなことが有るから行列は長くなるが短くなることはない。
しかし、毎回こんな事だったのだろうか…
今までの人は、握力が(指力?)が強かったのか?
投票券を良心的な印刷所に頼んだのだろうか…
ひょっとして急な解散だったので値切って、
ずさんな切り目の悪徳もりかけ印刷所に頼んだのだろうか?

そんなことを思い出しながら投票所を後にした。
行政の仕事として選挙は公平と言うなの大事な仕事なのだろう

だから多分、上司から、きつく言い含められた作業で朝一番
ドスの利いた声で「夫婦だからいいだろう」という声に、震え上がったのかもしれない。
悪いことをしてしまった。
こんなことでノイローゼになったら小生の責任か?

「公務員になってよかった」
と言う若い娘がいた。その娘もノイローゼ気味だった。
「うちの子は公務員にならなかった」
と誇らしげに言った母親もいた
「公務員という選択肢はなかった」
公務員をみると、そう思う

介護の日々

母の朝食を毎日作っている。
最初は1時間かかったが、最近は30分ぐらいでできるようになった。
以前から言っているが…
「売るのは難しい…作るのは楽しい」のである

店から余り物のご飯を冷凍しておく。
前の晩に冷凍庫から自然解凍しておき、蒸し器で蒸す。
前夜の湯豆腐の昆布出汁が効いた湯に、煮干しをいれておき、油揚げとわかめと豆腐を入れて味噌汁を作る
魚を焼いて、生野菜を切るか…炒めるか…蒸すか…そしてドレッシングだ。
それに目玉焼きである。
また、ちょっとした惣菜をつける。それは前夜の残り物であったり、店の惣菜であったり。
魚の代わりにウィンナーだったり、ハムやベーコンのときもあるし
卵はゆで卵だったり、だし巻きだったりする。
道具と材料さえあれば、慣れてくれば30分である。
なにをつくるか…どのようにつくるか…作業手順を考えるのも楽しい。

しかし、これからが大変である。
持っていった母は、大げさに感謝する

「いつもいつも、ありがとうございます。こんなにご馳走を…」

どうやら自分の弟と間違えているようである。
「息子が、こんなに齢を取っているはずがない!」と

そんな具合だから、介護は大変である。
テープレコーダー(これは死語か?)のように何回も何回も繰り返す。
そして、こちらも同じ返事を何回も、何回もする。

そのうちに苛ついてくる。
ついぞんざいな口調になる

これは身内だから、また厳しい口調に生る
介護の仕事をしている人は、「きにならない」と言う
そうだろうか…

そんな生産性のない、感謝の気持ちがない、言葉をいくらかけられても…
介護施設での事件が、後を絶たないのもよくわかる

こんな老後をおくるのなら、いっそ脳卒中かなんかで…
と思っても中途半端で半身不随となっても…

とりあえず元気に働ける間は、元気に働こうと思う
介護の日々である

体風10号

三連休の中日、それは突然起きた。

当然のこととして目覚めて朝、トイレに行く。
利尿剤を飲んでいるので頻尿なのである。
というよりも飲んでいる意識がない。
何と言っても三つの科から出されているクスリが10種類もあるのだ。
だから、その中の一つが利尿剤なのである。

睡眠時無呼吸症候群でシーパップを付けて寝るので、寝るのはあっという間だ。
しかし、起きるのもあっという間だ。
早く生活時永久無呼吸症候群にならないのか?と思う、今日このごろである。

そんな話を書こうと思っているわけではない
トイレから帰る途中、脱衣所を通り洗面所、クローゼット。玄関、温水製造装置部屋、居間、食堂、キッチンを通って、朝の珈琲を淹れようと湯を沸かし始めたときである。
(ウサギ小屋の自宅は、トイレとキッチンの距離は、3メートル前後である。要するにすべてが凝縮している家である)
ついでに母のみそ汁用に「瀬戸内海のいりこ」を、昨晩からいれてある行平にも火を入れた。

なんだか右足が生暖かい。
ふと足元を見ると、なんと血の海ではないか?
見渡した。
歩いてきた道のりの途中から、血がポタポタ落ち始めている。
何だこれは?

ふと左足のくるぶしから、蛇口からでる水道の水のように勢い良く血が吹き出して右足にかかっている。
「ウォー!これは血だ(当たり前だ)」

水流が…(いや血流か…)10センチぐらいまっすぐ飛ぶ。
散水のとき、ホースの先をつぶして遠くへ飛ばすような感じだ
笑ってしまう。

またか?
一年前、運転している最中に起きた。
飛び込んだ鍼灸院は「うちでは対応ができない。」と言って
「かかりつけの病院へいけ」と指示された。

今回は落ち着いて処置できた。
とりあえず近くにあったタオルを蛇口のところにあてがって…
それを抑えて歩く。
これはアクロバットのような歩き方である。
左足首を右手で押さえながら、三メートル歩け!ということである
人には見せられない…
第一こんな格好では歩けない。
ようするに這いずり回ってる感じだ。
とりあえずバンソウコ。タオルを巻き付けて止めないと…
バンソウコを置いてあるクスリ部屋の扉を開け、バンソウコでぐるぐる巻きにする。
あっという間にタオルが血だらけになり、こんどはガーゼとバンソウコで止め、その上からタオルを…
そんなことをやって部屋中、血だらけにしてる間に、魔子様が起きてきた。

「どうしたのあんた!」と優しい言葉かと思ったら、厳しい叱責の口調。
居間・食堂・キッチンと血の海を見つめて「どうすんのよ」と言いながら拭いて回る。
手際の良い魔子様は、あっという間に拭き終わる。
”居間食堂キッチン”も凝縮してある部屋なのだ。

「とりあえず病院に送っていけ」と魔子様に命令する。
よく考えてみたら、店に行って自分で運転して救急センターへいけばいいか…
タオルを巻き付けてその上からレジ袋かぶせ、裸足で車を運転する。
店に行き病院セット(保険証。お薬手帳・診察券・予約票・検査データー等々)のバックをもって救急へ行った。
三連休の中日の日曜日の早朝6時30分、客は二組、守衛が一人、事務は二人。空いていた。

対応した看護婦は、どんな状況か聞きに来た。
「止血だ止血。止まらない。水道の蛇口のように飛び出す」と口頭で説明する
わかったような顔して戻っていった。
そして待たせること15分。
若い研修医の部屋に招かれた。
「とりあえず傷口を見ましょう。見ないと話にならない」
「血が飛び出しますよ」
「見ないと…」
恐る恐るタオルを剥がし、ガーゼを徐々に広げると…
止まっていた。
「あっ!止まっている」といった途端

ビューと血が吹き出した

研修医と看護婦は「本当だ!」と言って飛び退いた。
「冗談だと思ったら本当だった」二人で口をそろえて言う。
「こんなの初めてみた」

そして「これは…」と言いながら「要相談ですね」と言いながら奥へ消えた。
しばらく待たせて先輩の研修医が現れた。
溜まった血が、なくなってきたのか…
水流(血流?)は細くなり、ダラダラと濃い血が流れて止まった。
先輩の研修医は「静脈の血ですね、糖尿で皮膚が再生できず、かさぶたが治らないのが原因です」と言う

左足の踝(くるぶし)のところの瘡蓋(かさぶた)が一向に治らないのである。
そこへせき止めていたのが体液が、瘡蓋が破れ一気に崩れ落ちたようなものである
台風10号の岩泉のようなものである。

破れた後は、すっかり体液が抜けてきれいな色の足になった。
それまでは、むくんだドドメ色の象の足だった。

めでたしめでたし

店では魔子様が、客に言い訳をしていた。
「すいません今日の朝定食は、店主が病院に行っているので、玄米が炊けません。昼には出来ますので…」
「朝定食の玄米を食べにきたのに…」と言って帰った客もいるという…

ゆくすえ

孫との会話

「いいか、おじいちゃんとビールを一緒に呑もうな?」
「そうだ、小学生になったら、一緒にビールを呑もう。
中学生になったら酒だな!冷酒だ!
高校生になったらウイスキーだ。
ボウモアと言う旨いスコッチが有るのだ。
それをすこっちだけ!なんて…おじいちゃんギャグだ…」
「おじいちゃんは、中学生の頃、日本酒を飲んだのだから…」

寺の孫との会話

「いいか、入道が亡くなったら、一生懸命お経を上げるのだ。」
「お前のお父さんやお爺ちゃんは、タバコばっかり吸って上の空でお経を上げるから…」
「そうだ、般若心経も唱えておけ、いつ宗派が変わるかかも知れない。
賛美歌も唄えるようになったほうが…
いつ宗旨が変わるかもしれないかれ…」
「なんでも垣根を取り払ったほうが、身のためだ…」

 

他の孫との会話

「いいか、お父さんとお母さんに精一杯甘えておけ」
「なんせお前が結婚したら。
多分…自分の両親と、相手の両親と…、4人の面倒を見て、
老人ホームは満杯で、家で4人を見るような生活になるだろうから
今のうちに、元を取っておけ」

 

 

母の朝食

ある会合に出た。

会合に出ると、ほとんど自分よりも年下である。
仕方なく自己紹介で年齢を言う
それは「年上だから尊重しろよ!」という意味ではない
「年上なので、新しい言葉を知らないから、わかりやすく言って欲しい」というお願いなのだ
そして「若い人の考え方や風潮を勉強している」という意味もある

そこで二人の子を持つ若い母親が、連れてきた自分の子どもたちを見つめて言った。
「この子達の食事を、これからず〜っと作らないといけないと思うと憂鬱になる」

”えっ!”と思ったが…
そういえば魔子様も新婚のときは「子どもはいらない」「料理は苦手」と言っていた
それがあっという間に「旦那はいらない」「弁当は得意」という風に変わってしまった。
すべて”子どものため”である。
女性は変わる。変わらないのは男かもしれない。

しかし、料理は面白い。
と言うか…母の朝食を作ることを始めた。
今までは、”朝食をそんなに食べない“と思い、
スープぐらいだったのを、きちんと朝食にしたのである。

最初はパンが好きだという母親のためにパンと生野菜サラダにスープだった。
パンはライ麦パンやハード系のパンなどにチーズやハムを挟んで…
ところが残すことが多い。
パンが好きだというのも、菓子パンのようである

しかたなく、玄米に変えたが玄米は残す
すこし固かったようだ。

最終的に基本は、白米と味噌汁、野菜と玉子焼きに魚、煮物にした。
90歳の母は、ほとんどきれいに食べてくれるようになった。
だんだん幼い頃に戻ってくるのだろう
やはり昔食べた食事がいちばんと言うスタイルになった。
いや昔食べた食事の、豪華版だろう

白米をたらふく食べられる時代ではなかった。
味噌汁も具は、豆腐か青菜に限られていた。
野菜も、ホウレン草やキャベツぐらいで、品種もそんなに無い
魚だってほとんどが塩びきと呼ばれる”塩漬けの鮭”ぐらいだろう
“塩びき”がつけば良い方で、卵などめったに食べない。
納豆は漬けた青菜を増量して、醤油をたっぷりかけて食べたようなものだ。

そういう意味では「胡瓜・トマトの生野菜にドレッシング」
「キャベツ・人参・ピーマンのオリーブオイル炒め」
「蒸し野菜」など豊富な野菜料理と、まるまる一個の卵を組み合わせた朝食は
戦前からみたら豪華な朝食だろう

母は、いつも言う
「こんなにしてもらって、ありがとう」
どうやら、母の弟(小生のおじさん)と間違えているようである
喜ばれる。それが作ることが好きになる一歩である。

若い頃、髭を生やしていた。
そうなのだ

若く!優しく!見られていたので、
少し大人に…
少し怖く…

見せたいと思ったのである。

一番最初は、学生時代だった。
ラグビーをやっていた頃
対面(トイメン)に恐怖感を抱かせようとしたのである
いまなら素顔でも十分だと言う人もいるが(泣)
当時は、ぼっちゃん顔だったのである

二回目は、商社時代である。
商売は迫力だ!という時代で…
“相手に勝つ”という顔が必要だった
しかし、顔よりも、言葉が必要だと強く認識した。
(関西弁の迫力である)

辞めたあと、新しき会社でまた伸ばした。
写真は30代なかばのころ

素顔は迫力のない顔である

しかし、どんどん膨らんだ顔が、年とともにしぼんで来た。

若い頃は、年令を重ねたら
太った豚よりも、禿げたソクラテスになりたい

と痛切に思った。

 

「40を過ぎたら顔に責任を持て!」というコトワザがあるが
このごろテレビでは
「60を過ぎて責任のなすり合いみたいな顔」が跳梁跋扈している
これでいいのか日本は!

ニュースをみながら、
顔を変えようか…
禿げたソクラテスに、髭は似合うだろうか…
しなびた顔に…

テープレコーダー

今日は母の誕生日だ。7月4日、干支はうさぎである。
アメリカの独立記念日である。
もう満で90歳になる。
認知症であるが、見た目はそんなふうでもない

しかし、テープレコーダーである。
同じことを、1分おきに繰り返す。ちがうことを喋ったとしてもいつのまにかもとへ戻る。
しかし、テープレコーダーも、今の時代、誰も知らないのか…
中学生の頃である。テープレコーダーを家で買った。
パソコンのプリンターぐらいの大きさ(?)と言っても年々小さくなるから、大きさを伝えるのは難しい。

有るグループで「ダウンサイジング」という言葉が飛び交っていた。
多分小さくすることを意味しているのだろうと思うが、モノを小さくするということが、大きな金儲けにつながるのだろう
小さくすることで数多くモノを置けるので一杯買えるということだろうか
そういえば八百屋では、雨の日に大きな野菜(キャベツ・白菜など)の値段を高く設定すると言われた
雨の日は傘を持つから大きなものを買うと数を買わない。一人あたりの単価が低くなる、と言う

それと一緒か?

話が、どんどんそれた

 

それで母の誕生日だ。
親兄弟の誕生日は、全て知っている。
そういえば干支も知っている。
自分の子供も…

祖父母は知らない。姉妹の伴侶も知らない
孫も怪しい。

やはり一緒に暮らして誕生祝いをして
それが質素な料理でも、貧しいプレゼントでも一緒に暮らしたアカシなのだろう

それが家族の誕生日も…
親の干支も知らないという人が増えた。

家族のつながりの問題なのか
あまりにも増えた祝祭日の影響なのか…

楽しいことが多いことが豊かなことではない
貧しさや、惨めさや、苦しさに耐えることや、乗り越えることも人生を豊かにすることではないか…

もう今は90歳の母と、じっくりと想い出を話すこともない。
たぶん書道と出会った60代70代が一番幸せだったのかもしれない
そのことだけをテープレコーダーのように繰り返す。

 

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