ちいさな野菜畑

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カテゴリーアーカイブ: こびる食堂の秘密

5年前

東北大学の研究グループが1975年(昭和50年)当時の食事が、健康に良いという発表をした

と言う記事があちこちに載っている

下記引用

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今回の実験では、年齢20歳から70歳までのBMI指数が24〜30以下の軽度肥満者(60人)と健康な人(32人)の計92人を対象に、1975年の日本食と現代の食事を食べてもらった。
1日3食28日間食べてもらったあとに、健康診断を行ったところ、1975年型食事を食べていたグループでは、BMIや体重が明らかに減り、悪玉コレステロールや糖尿病の指標となるヘモグロビンA1cが減少傾向を示す一方で、善玉コレステロールは増えたという。

 

また健康な人32人を現代食と1975年型の食事を食べる2グループに分けて実験した結果、1975年型の食事を食べたグループでは、ストレスが軽減されて、運動能力が良くなることがわかった。

 

実験で再現した1975年型の食事の特徴は、▽主菜と副菜を合わせて3品以上になるよう、さまざまな食材が少しずつ使われており、▽調理法では「煮る」「蒸す」「生」が多く、食用油を多用する「揚げる」や「炒める」は控えめだった。▽食材では大豆や魚介や野菜、果物や海藻、きのこ、緑茶を積極的に摂取しており、▽調味料では出汁や醤油、味噌、みりんなどの発酵系調味料が多く使われていたという。

 

実験を行った都築准教授は「約40年前の日本食が健康にいいと広めることで、現代の食生活を見直す食育に役立つことが期待できる」と話している。

以上引用

昭和50年前後が時代のターニングポイントではなかった?
と今にして思う
たぶんこの論文から出てきたのだろうが…
「昭和50年ごろの食事が脂肪とタンパク質のバランスが一番いい」と聞いた
それ以前は足りなくて、それ以後は多すぎると…

そういえば子供の頃思い出のメニューと言えば時折出てくるライスカレー
夜食で食べるインスタントラーメン
唐揚げとかは、無かったし
油料理と言っても天麩羅もときおり出てきたような気がするが記憶にない
おかずといえば、独りで一個は食べられなかった「納豆」と「卵」
何と言っても野菜の煮物やお浸し漬物、煮魚・焼き魚であって
魚の種類は…「塩引き」という「鮭」でしかなかった?「鱒かもしれない?」
そうそう母が作ってくれた小麦粉を揚げて砂糖をまぶした穴のあいていない「ドーナッツ」(ひょっとしたら揚げパンか?)
残ったご飯を乾燥させて揚げて砂糖をまぶしたものもおやつ代わりに食べた
そして果物といえば林檎とみかん。
バナナは夢の食べ物だった。
要するにご飯と味噌汁に、野菜と魚が主菜だったのである。

それが新入社員は49年入社だから、ちょうど50年前後である
自分で金を払って食事をするころと重なるが
吉野家の牛丼、ピザチェーン、どさん子ラーメン、餃子専門店など肉の油料理を食べさせるチェーン店が手てきた
たぶんそれまであてがわれた食事だったから、気が付かなかったのだろうと思うが…
散々食べ歩いたおかげで就職前は70kg前後だったのが一気に80kgを越えた

それから散々ダイエットを試した来たが
どれも効果があった試しはない
一時期効果があったのは30代初めて行った
奈良県信貴山の断食道場である。
10万の費用と、一ヶ月の時間を掛けて10kgの減量に成功した。
しかし。半年かけてそれは戻った(泣)

そして5年前の食道がんである
これは30kgの減量である。
96kgから66kgへ…
5年経過して、今も67〜8kgをキープしている
何と言っても、食道の縫い目が食事を通らなくしているのだ
「食道がんの手術」驚異のダイエットである

しかし、この東北大学農学部の研究は、ダイエットには大きな福音である。
当店の弁当や定食は、肉が少ないと言うか、バランスからいえば野菜の種類も量も多い
当店の定食弁当を、いつも食べることによって「痩せる」ということを、店に働く人が証明しているのだから…

よかった今頃にこの研究が発表されて…
これが5年前だったら…

まかないおこげ

玄米ご飯が、いつも大量に残る。
残ったのをお握りにして、豆蔵(秘伝豆の豆味噌)とみりんを混ぜ合わせ、葱と摺った白ごまを入れて温めたものを塗って焼き上げる。玄米味噌焼き握りである。
これは、これで評判がいい。
まとめ買いと言うか、出ていれば、まとめて買う人がいる
この味噌焼き握りが出来ないことが、最近多くなってきた。
玄米ご飯が、残らないのである。
imgp4366(復活した玄米塩にぎり)

以前は圧力釜で、玄米塩握りだけを作っていた。
玄米に塩を入れて炊き上げるのである。
評判が良かったが…
やはり定食に、玄米ご飯をだしたいと思って、塩を入れずに炊く方式にした。
ところが、玄米ご飯を頼む人が少なかった、というよりもいなかった。
いつもなんでも最初は、ゼロから始まるのである。
大量に残った玄米を、玄米味噌焼きおにぎりにしても売れ残った。
ようやく最近では、売れるようになってきたが…

定食の玄米も、徐々に徐々に、頼む人が増えてきた。
「こんな玄米を、自宅では炊けない」と言って…
玄米は固い。パサパサしている。というのが多くの人のイメージである。
やはり修行僧ではないのだから、美味しくないと続かない。
修行僧でも美味しく炊き上げていると言う寺も有る。
メクラの鍼医は、「五〇回噛めば、トロトロになるよ」と言うが
アキメクラの入道としては「すするようにご飯を胃袋に流し込んできた癖が抜けない」
すするようにとはいかないが、やはり柔らかくて粘り気が有って…
そんな玄米を炊き上げたいと研究に研究を重ねて三ヶ月、まだ今も研究中。

imgp4335

客に問われたら
①玄米が低アミロース米「きらほ」を使用
②48時間の浸漬
③世界最高の2.44気圧の圧力釜。
と言うしかない。
細かいことは、まだ色々有るのだが…

ただ一番の問題はおこげである。

imgp4340
数量を、きちんと測って、時間もタイマーをセットして炊いているのだが…
一番肝心な所、弱火と…弱火の時間の調整が難しいのである。
弱火が弱いと水分が多くなる、強いと焦げができやすい。
弱火の時間が短いと強くなる、長いとめためたになる。

その弱火と、弱火時間の最適がつかめない。
今のガス台では…

まかないに”おこげ”が、消える日が待ち遠しい。

やるのは私!

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そろそろ、こびる食堂も。秋のメニューに変えなければ…

そういえば朝定食も、ようやく定着してきた。
と言っても土・日・祝日だけであるが…
こんど三連休は、朝から昼過ぎまで客足が途絶えなかった。

「朝定食を、やろう」と言ったときに、或る人が「盛岡で朝定食は流行らない」と言った
なるほど都会なら出勤時間までぎりぎり寝ていて、着替えて駅で駅そばを食べるか…
会社に行ってから喫茶店でモーニング食べるか…
出張で上京してきたサラリーマンの朝定食などの需要があったが…

職住近接の地方、そして車社会の地方では、自宅で食べてくるのが当たり前である。
まぁしかし、やってみないとわからない
そのときは家庭の朝の食事という本が出ていて、子どもたちにひどい食事をさせているのが問題になったころである
やはり日本の定番の
「ごはんとお味噌汁、納豆や卵などのきちんとした材料を、丁寧に作った朝めしを復活させたい」
という思いもあった。
(余談だが、子どもが学校で「朝、何を食べてきたのか?」とアンケートが有ったという。
家の子供は、いつも、しっかりと御飯と味噌汁で育ててきた。
それが一番美味しいと言っていたのに…
アンケートには「パンとコーヒーと書いた」と言う。(-_-;)

朝定食のために早く出かけることに魔子様は抵抗したが、どうせ弁当を作るのに朝早く出てくる
ついでに用意をすればいいだけだ。と押し切った。
当初は、週に一人も来ない日があった。
ときたま二人連れがくる、長距離高速バスの運転手である
隣のバス営業所に長距離運転手の宿泊施設が有る
朝到着したバスの運転手は、いっぱい呑んで酒臭い息で朝定食を食べに来た。
朝の食事の後、寝て夜に起きてまた東京へ帰るのだろう。
そんな人が。ぽつりぽつりときていた。

誰だろうか?ある人が
「食に。あんまり興味を持っていない人が言うのだけれど…
”朝。盛岡駅についたらタクシーで、こびる食堂まできて朝定食を食べると良いよ”と言う人がいた」
と言う。
「ふ~ん、そんな噂があるのか…」と思いながらも朝定食の客は増えない。
それが、いつごろだろうか…
いつの間にか、朝定食の客からランチまで途切れることがなく客が続いた。
土・日・祝日である。子どもを連れた家族連れである。夫婦もいる。母と子もいる。
お年寄りをつれた夫婦もいる。
そうなのだ。沿岸や遠くの市町村から朝早く出てきたサラリーマンを予想していたが、
休日の朝の食事を、ゆったりと楽しむ家族の食事の需要だったのだ。

共稼ぎだったら連日の朝のバタバタした食事を、
週に一度、炊きたての香ばしい御飯に、かぐわしい味噌汁は、活力となるのだろう

さて新米の季節、新しい秋のメニューを提案しないと…

いつもの新米のお供定食に…
冷奴の新しい冬用のメニューを…
それから新しい丼ものを…

う〜ん!やりたものは色々有るが…
魔子さまは言う
「あんたは言えばいいけど、やるのは私よ!」

p1030155

母の時代

「考える人」という新潮社の季刊誌が有る。
特集で昨年夏号は「ごはんが大事」と言う特集である。
どうもこの手の…というか季刊誌・月刊誌・週刊誌で農業や食糧の特集を組まれると、買わないといけない。と言う気持ちにさせられる。
「すぐ消えて無くなる」という気持ちになるからである。
と言って、そんなに大層なことが書いてあることはない

そのままトイレに”積読”が関の山である。
しかし、ついつい見てしまう。
隅々まで見るわけでないが、やはりその時々で目につく記事や広告が違ってくる。

こびる食堂の悩みは、「旬」である。
「旬」のメニューを美味しい御飯と味噌汁とともに提供をする。というのがテーマである。
それがなんだか「卵」「納豆」「とろろ」に凝縮されて旬の小鉢が、ないがしろにされているような気がする。
と言って自分が調理するわけではない。魔子さまである。
そんなことを考えているから、この新書版の広告が目についたのだろう。

IMGP4060
新潮文庫「小林カツ代と栗原はるみ」料理研究家とその時代。である

本屋の棚に有ったのでつい手にとってパラパラとめくった。
なんというか近現代の女性史である。
ついつい歴史ものは買い求めてしまう。
現代が作られた原因は、その歴史にある。
その歴史は権力者ではなく大衆に有るのではないか…
そんなことを想いながら、テレビやラジオが出てきてから大きく替わった女性の生き方をリードした料理研究家という職業の変遷を書いた本である。と言って著者は小生が高校三年の時に生また昭和43年の生まれである。
やはり研究者といえ自分の生まれ育った時代のことが詳しいがそれより一昔ふた昔の時代は、それなりである。
しかし、料理の世界も、テレビ・ラジオが家庭に入ってから急激な変化を遂げた。マスコミの影響は激しく大きい。

やはり料理よりも家の変化なのだろうと思う
おさない頃、台所は北側の薄暗い場所にあった。
井戸も家の外に有った。
そのうちに井戸は家の中に入ってきてカメに水を汲み置き、風呂も便所も外に有ったのが中へ入ってきた。
女性が家事をする場所が、北側の寒々しい薄暗い場所だった。
昭和ヒトケタの母などはその時代に調理をしていた。
戦後世代ではないだろうか
家の南向きの場所に台所を!という声が上がったのは

その母の時代に流れた番組が「きょうの料理」である
今でも流れているがあの

チャンチキチャンチャンチャンタッッタ〜

あのテーマ音楽は耳から離れない
そして、あのまん丸の江上トミである
我々の時代は、料理といえば「きょうの料理」と「給食」と「ライスカレー」だった。
東京の下町育ちの魔子さまは「ライスカレー」は子供の頃食卓に上らなかった。と言う
我々の母の時代は粗食の中で、家事と高度成長期の労働力としてフルに働いていた時代だった。
そんな時代に生きた人たちが、終わろうとしている今である。

農家レストラン?

先日、行政機関から「こびる食堂の利用客数を教えてくれ」と言う連絡があった。
ふと、”なんだろう?”と思った
ひょっとしたら融資を依頼している金融機関からの調査だろうか?
それとも補助金の申請の参考資料か?
などと余計なことが頭のなかを駆け巡った。

よくよく聞いてみたら「農家レストランの利用者数の調査だ」と言う
こびる食堂が農家レストラン?

いぜんも産直と言うグループに入れようと言う行政の思惑があり
しつこく産直というククリに誘われた。
しつこく断ったが…

当店の売上は「農産物の販売」「食堂と弁当」「調味料という素材を活かす商品」
の三部門に分かれている。分けるほど大きくはないが…(泣)
(一部環境商品 シャボン玉石鹸等)

そんな中でこびる食堂を農家レストランというククリに入れて良いのだろか?
そんなことを思ったが、人にそう思われるのなら、
こちらの努力が足りないとだけだ

そこで確か「こびる食堂の求めるもの」を確か書き溜めていたと思ってファイルをめくった。
和食が世界遺産に選ばれた時に書いた文章が出てきた

2014年(平成26年)2月に書いた文章らしい

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こびる食堂の考える和食

 

「和食」が世界遺産になりました。

 

ちいさな頃、朝・昼・晩とご飯でした。
味噌汁がつき、漬物があり、塩漬けの魚や青物のおひたしがありました。
中学生の頃でしょうか?
時折出てきた麺といえば、「玉うどん」や茹でそばだけ、だったのに、

中華そばが出てきました。
同じ頃からちょっと前か、エスビーのカレー粉で作った自家製のカレーが食卓に登るようになりましたが、豚肉が入っているのはときどきで、魚肉ソーセージが入っているときもありました。そして時々失敗したのか、今でいうスープカレーのときも有りました。
そして高校を卒業して街ででると、ナポリタンというトマト味のスパゲッティが出てきたり、純喫茶というところで、トーストなどというものも
そういう意味では、昭和3〜40年代のころは、今の多様化する和食の大きな節目だったではないか?と思います。

 

多様化することによって家庭が父権主義の修行的な食事が、楽しい食事に変わっていったという良かった面もありましたが…

一方、楽しくて美味しいという食事が化学調味料や食品添加物によって変化を遂げ、また生産が遠いところで作られることに寄って、見かけの色や保存料で日持ちがして見た目がいいものが、どんどん増えていきました
それから聞いたことのない花粉症やアレルギーがどんどん増えていき、さまざまな規制によって、より一層の安全な食事がつくられるようになりました。
しかし、人間にとって食べ物とは、それから体を作りエネルギーを生み出す源泉でもあります。人間の身体は、水分とタンパク質で出来ております。
たんばく質を作り出すことのできない人間は、ほかから植物たんぱくや動物蛋白を取り入れ続けなければいけません。
動物タンパクは、すべて植物蛋白からつくられます、そういう意味では、植物が人間の体を作っていると言っても過言ではありません。

植物は、太陽光と水と二酸化炭素からブドウ糖を作り出し(光合成)根から吸われた窒素でタンパク質をつくりあげます。

水の循環(雨→地下水→川→海→雲→雨)や健全な土が必要なのです。

土は、有機物の塊です、植物や動物の死骸を分解する微生物が土を作ります。
無機物(石・金属・ガラス)は分解しません。また人工有機化合物(プラスチックなど)も分解しません。微生物によって分解した有機物が土を作り、また土は、固相・気相・液相の三相からなり、土の中にいる微生物に気相・固相は肥料や水を吸着して適宜に供給し、気相は空気を供給し微生物のバランスを保っております。

微生物が有機物を分解し、植物に供給し、それを食べた人間が出す糞を微生物が分解するという循環が成り立っております。

また空気も人間が吸うことに寄って二酸化炭素を発生させ、それを植物ブドウ糖と酸素と水に替え、また空気が作られるという循環になっております。

地球は閉鎖空間ですから、循環を考えなければ破綻してしまいます。
拡大だけでは行き詰まってしまうことは目に見えてしまいます

 

広がった食の空間も、もう少し基本に帰ってみようというのがこびる食堂のテーマです。

 

炊きたての御飯
出汁の香りのする味噌汁
旬という名の季節の小鉢
外国では食べない生卵や納豆の食文化
カレーや中華そばも和食になりました
そして野菜や豆やバランスの採れたメニューと
箸であちこちをつまむという口中調味という食べ方。 

一度、和食の食べ方を基本に戻って見たいものです

 

はじめちょろちょろ

魔子様が実家に戻った。

魔子様の実母が、認知症が進んだ上に調子が悪くて”入院した”と言う
もう91歳だ。いつ何が有ってもおかしくはない。
とりあえず東京の実家に一日だけ帰して、こちらの実母の面倒を見た。
何日も帰られると仕事に支障きたすからである。

店の揚げ物は弁当作りは、すべて魔子様の頭のなかに有るのだ
以前、実兄が癌でなくなった時、長いこと帰ってこなかった。
その時は人が大勢いたので助かったが…
今だったら、大変である。臨時休業をしなければならない(泣)

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母屋にいる母親の食事を作ろうと、何が有るか台所を漁った。
流しの下から長い筒が出てきた。バーボンウィスキーの瓶が入っていた紙の筒である。
開けてみたら米が入っていた。
コメだけど…やけに白い?餅米か?

炊いてみようと、鍋を探した。
そういえば南部鉄器の釜が有った。
以前、よく炊いていた南部鉄器の6合炊きの釜である
岩鋳で買ったものである
あの頃は飯を炊くことに、こだわっていた
やはり重い蓋でないと、美味いコメは炊けない
これで随分炊いたものだが、結局、店では小ロットを炊くのは新潟燕三条のアルミ合金の釜にした
蓋がずいぶん重いのである。
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久しぶりに炊くと時間の配分がわからない
よくいう

初めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋とるな

言葉通りにとると
最初弱火で、中頃から強火、蒸らしは開けてみてはだめ
というふうに取られる

コメを炊くと言う調理技術は

煮る+焼く+蒸す=炊く

3つを合わせた調理を炊くというのである
関西弁で「おでんをたいたん」とか言うのはちょっと違う
あれは「煮た」を「たいたん」と言う関西弁の(京都弁か?)のである。

ご飯を炊くというのは、弱火で煮て、強火で焼き、火を落として蒸すのである。
いつの何気なく使っているが日本語は繊細である
そして60度でデンプンが糊化する

弱火というのは60度を長く続けることが、米を均一に煮ると言う作業なのである
そして吹きこぼれるほどに強く熱し続け、火を止めて重い蓋で蒸すと言う作業なのである
量によって若干の時間の違いはあるが、そう大したことはない

6合炊きの釜で6合炊くのは美味しく炊けない
若干余裕をもったほうがいいのだが、ちょうど6合の米のようだから
一挙に炊いてしまえ!と炊いた

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若干柔らかめだが、まずまず炊けた。
これを小分けにして冷凍をしておく

いざというときは、電子レンジでチンをして生卵か納豆をぶっかけて食べる。
また朝、冷凍庫から出しておいて、夜、残り物の野菜を入れてチャーハンにするか…
である

しかし、いつの米だろう
流しの下は確かに「冷暗所」であるが。冷蔵庫の野菜室のように温度は低くないだろう
米は冷蔵庫の野菜室に…
精米してから夏は二週間で食べきれる量を求めたほうが良いという!

一人暮らし、老夫婦などの少人数では、なかなか量がはけないから、炊いてから冷凍がおすすめ。

理想の朝食

朝、南の入口の大テーブルの前で「どいかやブックフェア」の段取りを考えていると…
一人の青年というか…青年と言うには、ちょっと上の黒いリュックを担いだ若者が入ってきた。
ちいさな野菜畑の南口は、身障者用の駐車場とバス停が有る。

その若者は、小生の顔を見るとぶすっとして、こびる食堂に真っすぐ行った。
食堂で朝定食の準備をしていた魔子様と、何か話している
「納豆と卵と、とろろから選んで…」と魔子様が話している。
”朝定食の客か…”

一段落して厨房の仕事をしていると
「おかわりいただけますか?」と、青年はご飯茶碗と味噌汁のお椀を持ってきた。
「ちょっと待ってください味噌汁温め直しますから…」と言って
味噌汁のガスに火をつけご飯をよそうと…
「この小鉢の野菜は何ですか?」と問う
見ると筋が見えたので「小松菜ですよ」と言いながら
魔子様に確認をしたら首を頷いた

また問いかけてきた
「ご飯のおかわりが自由というのはスゴイですね」
「いやご飯は一杯20円ぐらいですから、どんなに食べても知れてますよ。
パンなどを食べるよりも…
まして一人が一杯余計に食べることで、農家が減反をしなくて済みますし、農村環境もよくなり、水や地域環境の循環にも良い影響を与えますから…」
と言うと驚いたような顔をしておかわりをテーブルに持ち帰った

そのうちにまたカウンターで魔子様と話しをしている
どうやら単品で「芋の子汁」を頼んだようだ。
生卵定食のご飯をおかわりして、芋の子汁を食べて、一生懸命にメニューを眺めていたと思ったら

いつの間にか、リュック置いたテーブルにいない。
店内を見渡すと様々な盛岡の地図が貼り付けてあるコーナーで熱心に地図を見ている
「何を探しているのですか?」と問いかけると
「地図って面白いですね」と言う
「以前通った道を確認しているのですが…県立大学からの道から修道院へ続く道を走ったことがあるのですが…」
「それは、ここですね…、湖のそばの道で。以前は細い道だったのですが…
松園も、昭和40年代中盤に開発された団地で…
盛岡の北の開発っ拠点だったのですね。ところで何年生まれ?」
「昭和53年です」「娘と一緒だ!」
ひとしきり身の上話をしたあと

「この店に来ることが憧れだったのです。
でも歩いても、また自転車では遠いし、ふと地図をみたらバス停が直ぐ側にあるので、今日仕事が終わってから来てみたのです。
いえ夜の7時から朝までの地味な仕事です。いつもチェーン店で朝食を食べてますが、今日は理想の朝めしを食べました。これから帰って寝ます」

と言って爽やかな顔をしてリュックを担いで帰っていった。

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得した

ランチは難しい。
いや、作るメニューではない

今日は雨だから「客は少ない」と読むか
今日は雨だから、遠くに出かけないから「客が入る」と読むか
人によってぜんぜん違う予想なのである。

これは場所によっても違う
ビジネス街なら、雨で出前を頼むとか
雨だから地下の食堂街で食べるとか…
晴れたら公園で弁当を広げるか…とか
少し腹を空かせるために遠出をしようか…とか
いろいろと食べる客は考える

 

待ち受ける店のほうは、それを読みながらも
準備万端用意をするが、それが肩透かしにあったり、大慌てになったり
日々毎日、てんやわんやである。

そんなこびる食堂も、
「今日はこんなに、いい天気なのに…」
客が、朝定食が三組
ランチが、1時までに二組しかこない
いつもは12時半頃にランチは終わってしまうのだが…
”今日はこれまでか…”と、アキラメていたら

1時過ぎた昼過ぎに、ポツリと一人の客が…
それから、あっという間にテーブルが埋まった。

「いったい、どないなっとんじゃ!」

と店主は汗を流しながら得意の皿洗い

ようやく最後の客だ!
「生卵定食!」の声

割った江刺のうたがき優命園の自然卵は

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これまた予想外の二黄卵であった。
卵を割って20年、初めての二黄卵である。

そういえば「大規模養鶏場対応の品質改良のため鶏を入れ替えた」と聞いたような気がする
「大規模養鶏場対応はいらない」とも…

(卵の双子(二黄卵)は若い鶏が産む。大型養鶏場は検査でハジクので出回ることは少ない
昔は、よく有った。二黄卵は楽しみだった、なにか得したような気分になる)

 

懐かしい焼きおにぎり

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焼きおにぎりが、今のところ好調である。
ある人から
「三陸復興の工事業者が前を通るのだからおにぎりを販売したら…」
という話があった。

以前からおにぎりを販売している。
それは、前日の余ったご飯を握って翌朝、味噌をつけて炙ったものである。
それはそれなりに売れたが…
続かない。
朝の忙しい時間帯に、味噌を塗って炙るというのは時間が取れない
そういうわけで止めてしまったらしい

しかし、こびる食堂を利用できない(通りすがりの人)にはおにぎりは必需品である
また小腹を空いた時に、甘いお菓子はいらないが…
と言って、口寂しさを和ませるしょっぱいお菓子も今ひとつ。
そこで小腹塞ぎの小さめのおにぎりを…

そんな想いで作ったのが
玄米味噌焼きおにぎりであり、玄米醬油焼きおにぎりである。
焼きおにぎり三兄弟で玄米の塩焼きおにぎりも、検討はしているが…
何か塗ったというテリが良いのだろう。塩焼きではテリが出ない

玄米に使用するのは、武田哲君の合鴨除草の無農薬米「きらほ」である
その「きらほ」を圧力釜でモチモチに仕上げ、握る
それに秘伝豆の青大豆丸大豆オリジナル醤油「醤次郎」を塗りたくり
オーブンでカリッと焼き上げた「無農薬玄米醤油焼きおにぎり」
秘伝豆のオリジナル豆味噌「豆蔵」をみりんで伸ばして
オーブンで味噌を炙った「無農薬玄米味噌焼きおにぎり」

昔、母にせびって作ってもらった焼きおにぎり
懐かしい味の二種類。好評発売中

コンビニで様々なおにぎりが販売されている
コンビニに出来ないオニギリを模索中
アイデア募集中

塗りたくる

玄米の味噌おにぎりを、研究している
玄米握りを食べようというのは大人だ
(すべて断定するのが癖だ)
だから辛口のおにぎりにしようと思う
(大人は辛口を好むと断定する)
大人は酒飲みだ!と思っている
(自分をすべて肯定している)
酒が飲めない奴は、大人ではない
(甘党の否定だ!)
しかし、そんな中、心の片隅では甘口もいるかな?と思ったりする

そこで秘伝豆の豆味噌「豆蔵」にみりんで溶かし甘口の塗りたくり味噌を作った。
そこへ薬研堀の大辛唐辛子だ。
薬研堀と言うのはよく聞く。
なんでも店の前の堀が、薬を研ぐ(すり鉢であたる?)カタチに似ていたことから薬研堀というらしい
なんだか唐辛子には、よく合う名前だ。

その大辛の唐辛子と、沖縄の島トウガラシと、粉山椒と三種類の味噌を作って塗った。
これは粘度が大切で、せっかく塗っても浸透したり流れ落ちたりする。
女性の化粧と一緒だ

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そんな塗りたくった…
大盛りに載せた

のをオーブンに入れた

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出来た

厚塗りの化粧だが…

 

旨い

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