ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: こびる食堂の秘密

長寿食

昔の話だ。

最初に盛岡に連れてこられたのは、小学校4〜5年ごろだった。
北上に住んで、盛岡で働いていた父を訪ねた。
そのころは、あくまでも自分の意志ではなく、連れてこられたのだ。
そして大学の夏休みを利用して、初めて自分で盛岡に降り立ったのが20歳ごろ
盛岡で”食事をしよう”と自主的に考えたのは…
その頃か…そして周りを見渡した。
「焼肉 冷麺」という看板をあちこちで目にした。
”ふ〜ん、年中冷やし中華をやっているのだ”と、不思議な気持ちで見過ごした。
初めて冷麺という言葉を認識した思い出である。


群馬県高崎の学生時代はカネがない。
いつも焼き肉を食べに行っても、学生向けのホルモン食堂ばかりであった。
網の上に山と積まれたホルモンを、生焼けで争うように食べた
そして腹にたまる大盛りライスで腹を満たした。
 だから冷麺を食べたのは30代はじめ
商社を辞めて盛岡に帰って来た頃だ。そのころ「平壌冷麺」と言っていた。
酒を、しこたま呑んだあと、仕上げに食べるものだった。
冷たい牛のスープ。牛骨はスープにならない、と聞いたことがある
唯一、冷麺のスープにはなると…
その透き通った冷たいスープは、まさに冷製コンソメスープで美味しかった。
そして麺は、ゴム紐のように噛み切れない長い長いものだった。
デンプンだといい、片栗粉だといい、噛み切れなくても消化に良いと言われ
飲み込むように流し込んだものだった。

農業の世界に入った40代、韓国に行った。
韓国自然農法研究会のチョウハンギュさんと同行して
韓国の農家を回りながら、田舎をバスで周るという1週間だっった。
泊まるのはケバケバしたラブホテルのような田舎宿
そして食事は田舎の食堂や、ドライブイン。
焼き肉を期待して行ったのだが、出てくるのは野菜料理ばかりだった。
それも途中で道端に生えているような、
立ち小便のときに、めがけた草がいっぱい出てくるのである。
韓国人は、肉よりも野菜をよく食う。
そして冷麺は、ぜんぜん出てこない。
研修の最後の頃に行ったドライブインで、ようやく出てきたのは
真っ黒い汁の少な冷麺だった。
本来の韓国冷麺は、蕎麦冷麺なのであった。

盛岡冷麺を作った友人が「これ食べてみて」と言われてだしたのは
桑の葉を練り込んだ桑の葉冷麺だった。
韓国で食べた蕎麦冷麺を思い出す、細めの硬めの冷麺だが
スープと澄んだ麺は、彼一流のこだわりが感じられた。


桑の葉は血糖値を抑制するという岩手大学の鈴木幸一教授の研究もある
しかし、食間に飲めという
つまりお茶などで飲むよりも、そのまま食べたほうが良いということらしい
当店も桑を練り込んだひっつみや、中華麺などを開発している。

三者面談

久しぶりに、ぬか漬けを漬けた。
人参と、大根と、もう一つは…内緒だ。
店をやめて、毎日のように片付けばかりしていると、糠の手入れが怠ってしまう。
塩で蓋をしたぬか床に、最初はキャベツを漬けて、捨て漬けをする。
それを取り出して、ついでに厚削りの鰹節と、だし昆布を切り刻んだものを取り出して、新しい糠をいれ、二晩、冷暗所におき、取り出す。

ぬか漬けは、堆肥づくりと一緒ではないか?と考えている
堆肥は、牛糞や豚糞・鶏糞など動物の糞尿をベースにして作る。
そこに、木くずや稲わら、米ぬか、籾殻、など粗いものを混ぜる。
様々なものを発酵させるには、嫌気性菌と好気性菌をバランス良く活躍させないといけない。つまり切り返しという、かき混ぜる行為は、嫌気の状態から好気の状態に変えてやって、バランスをよくする作業なのである。
切り返しをしないと、どちらかの状態が長く続き偏った微生物だけが増える。
バランス良く増えることが、良い堆肥を作ることだ。と教わった。

ぬか漬けも、同じことではないか?
あまり水分が多いと、水分を取れという
乾いた状態だと、野菜を入れろという
理屈をキチンを教えていないのは、そんな発酵の技をわかっていないからである
毎日かき回せ!というのも嘘ではないか?
上から押し付けて、というのも胡散臭い。
ぬか漬けは、嫌気性発酵の酸味と、好気性発酵の香味がバランス良くできているのだから、入れるものと、かき混ぜて寝かせる時間と、ぬか床との三者の対話である。、

そういうわけで、冷蔵庫に入れておいた糠をだし、残り物の野菜を漬けて三者面談を始めた(?)
だいたいが、そんなに漬けても食べ切れないのである。
だから大根なら、せいぜい5分の一本、人参なら端切れ、コリンキーは4分の一だ。(言ってしまった。内緒なのに…)
一つ一つ塩をして、塩梅を整えるよりも、多めの塩の糠に、塩を振らないで漬けたほうが…
と想って、そのまま材料を突っ込んだ、
丸一日、台所の冷暗所に放置しておいた、

これがうまい!

ちいさな発見

いつも珈琲豆を、ミルにかけ、そのままフィルターに落としていた、


よく考えてみれば、わかるのだが…
米も小米を選別して、粒度を整える。
ある程度、整った粒度で炊飯することが、熱が均一に対流するから美味しく炊けるのである。
やすいお米は、様々なものを混ぜ合わせているために粒度がまちまちで、選別などの手間ひまをかけていないために、米と米の間に隙間ができなくて熱が抜けていかない。均一な対流が、おきないのである。美味しく炊けるわけがない。

珈琲の豆も、ミルで粉々になったと思ってフィルターに開けていた、
よく考えてみたら、そんなに均一な精度の高いミルでもない。
一度、篩ってみた。

やはり…
粒の大きなものが混じっている。
これでは抽出するときに、味が均一にならない。
う〜ん。ひとつひとつ確認を取らないと…
丁寧な仕事しなければ…

あるバリスタの悩み

朝から晩まで時間があると珈琲を淹れている。
とりあえず目覚めて一杯。
食事の後は、濃いめの一杯。
10時になったら、ゆっくりと一杯
昼飯を食べたら、まったりと一杯。
3時になったらお菓子をつまみながら一杯
夕方になったらビールを一杯

そんな珈琲の毎日を淹れている。
それぞれ淹れ方と煎れる珈琲豆が違う
仙台の焚火焙煎の浅煎りと深煎り
東チモールの豆を長沢で焙煎したもの
雫石の風光舎ブレンドの中浅煎りと深煎り

そして淹れ方も違う
メリタの一穴
カリタの三穴
ハリオの60Vと…

それに細引きと荒引きと
低温抽出と高温抽出

組み合わせが幾通りもできて、一つの豆から様々な味が抽出される。
深い、深い珈琲の世界だ。

失敗したな?
少し絞ればよかった。

これからのはやり

雨降りのとき高速道路を軽自動車では、弱高齢者は危険が危ない。
と言って長距離バスでも、道路が混んで時間が読めない。
手甲脚絆で歩くのも江戸時代ではあるまいし、とんでもハップン。
足も痛いし、荷物も持ちたくない。

そんな訳で、自宅から歩いて5分の山岸駅から電車に乗って、仙台へ向かおうと家を出た。
自宅がある山岸は、駅がある。バスの駅ではない。と言っても道の駅でもない。
国鉄の駅でもない。三陸鉄道の駅だと思う。
盛岡駅から二番目、最初が上盛岡駅、そして山岸である。近い。
スムーズに乗り換えができると、わずか3時間以内で東京駅に降り立てる
東京都内にいるよりも早い。
エレベーターが動かない新宿の高層ビルの最上階から歩いて来るよりも早い。

だから新幹線と思ったが、いつものこと魔子様は、肝心のものを忘れる。
あるき始めて5分。
「まだ時間ある?」「ん?」
「携帯を忘れた」と言って、慌てて山岸駅を目前にして戻った。

仙台の目的は「饂飩」である。
読めない人のために、カナをフルが「うどん」である。
生まれて、はじめての食べ物の思い出というのは「うどん」であった。
小学校4年のときに、仙台から岩手県の北上に引っ越してきた。
まだ寒い3月だっただろうか、4月はじめだっただろうか…
家は建てたばっかりだったと思うが、同じ作りの家が何軒も並んでいて
たまたま一軒空いていた。当然である
隣が製材所だったのである。あとから気がついたが
毎日毎日、ゴオ〜っという大きな丸鋸で丸太を切っていた。
音がうるさい。
建売の住宅だったが、そこだけ売れなかったのである。
建てた建築会社が、社宅として用意したのも当然
そこへに移ってきた社員の家族が、僕らの一家だった。
明日から、うるさい毎日が始まると知らずに
静かな夜に、初めてだろうと思うが出前なるものを頼んだ。
こたつ布団が無いまま、こたつに足をツッコミ、すすったのがうどんだった。
真っ黒な汁に、奇妙にしろくて長いものが横たわっていた。
塩辛かった

それ以来だから、うどんとの付き合いは、60年になる。
魔子様よりも長いのである。
しかし、うどんの歴史は、小生の人生よりも長いようだ。



焼却炉を買いに行った出張先の高松で讃岐うどんを始めた食べたときの感動。
年末のデパートの配達のアルバイトをしていたときに先輩が作ってくれた
おっきりこみという名の煮込みうどん。
秋田の稲庭うどんを、銀座で食べたときのおどろき。
ラグビー部の先輩が、婚約者の群馬のばぁちゃんが、
あっという間にむしろを引いて庭先で打ってくれた水沢うどんの衝撃。
新入社員のときに、近くにあった「おっぴぴ」と言う名の
まだ讃岐という名は知れ渡っていなかったころ新橋のうどんや。
 
「たぬきうどん」と言って、みんなに笑われた大阪国際ビルの地下のうどんや
(大阪では たぬき=揚げがのったそば きつね=揚げがのったうどん
 はいから(天かす=東京で言うたぬきうどん)

御堂筋で食べた、豪華な美々卯のうどんすき。
名古屋へ行ったらかならず天ぷらきしめん
出張帰りは、いつも東京駅の地下の博多うどんの「ごぼ天うどん」
ミナミとキタを往復しながら呑んで、〆に屋台で食べた「三塁打うどん」
その隣で食べたデザイナーの女が注文した「ホームランうどんの麺抜き」
山梨に行ったらかぼちゃのほうとう。
博多へいったときの「かろのうろんや」
そして子供の頃、毎日のように食べた「たまうどん」
うどんの思い出は、体が重いで…というほどあるが…

 蕎麦を食べるようになったのは「池波正太郎」を読む30代からである。
そんな人生の大決算を「うどん」でしようと思う次第です(大げさ)

仙台の佐藤さんから二軒の店を紹介された。
流行っている店と、流行っていないない店紹介するから…
「行ってみな?」
二軒とも腰があって汁も美味しかったが…
自分の想っているうどんと、ちっと違う。
確かに今のはやりと、前のはやりではあるが
これからのはやりではない。
それを探しに行ったのだが…
ひょっとしたら確かめに行ったのかもしれない。

糠漬け農業

糠漬けを作り始めて、まる2年も経った。というべきか
まだ、まる2年である。というべきか…
2年が長いか短いのか…
それは年月や回数だけではなく、一つ一つの考察の積み重ねによるものだろう

最近わかったのは、「糠漬けは農業である。」ということだ。
毎日毎日、糠を触っていると、塩を降った野菜が
肥料を振った苗に思えてくる

 

農業は、地力を収奪しているから肥料を足しながら種や苗を植える
しかし、地温・気温・水分や土壌条件などの状況で思うように育たない。
人間ができることは、温度に左右されない保温性の有る土壌を微生物の力で作ることだ。(固相・気相・水相の三相構造)
後は神頼みだ。

糠漬けも漬ける作物を気にするが、基本は糠の状況である。
漬けるときは嫌気性発酵だが、毎日の管理は好気性と嫌気性の交互である。

つまり固めて押しつぶして嫌気状態に置いて、ある程度時間が経ったらかき回して好気の状態にする。

そして漬けるときの温度、保管するときの温度をコントロールするために、室内の常温、冷蔵庫内の低温、夜間の管理など糠の中の微生物がいい状況に置けるよう管理する。
それだけで、後は、よく漬かるかは、神頼みだ。

農業と糠漬けはよく似ている。

主役(微生物)が表に出てこない。
出来た作物だけが評価される。

最近、「美味しい」という客が増えてきた。

 

 

観念よりも感じを!

このごろ時々来る客がいる。三回目だろうか…
なぜか目につく
来たら、1時間は店内を回り、商品を立ち止まって見る
リュックを担ぎチェックの柄のシャツ
小柄でメガネで真面目そうである。

想像するに、どこか大手企業の経理係長?
または中小企業の総務課長補佐で、定年退職した…という感じだ

最初は、ずいぶん長くいる人だな?と思いながら見ていた
店にとっては、いい人だ
こちらの狙いは、店に長く滞在してもらい、新しい発見を見つけてほしいのだ。
ひとつひとつの商品に、いわれがあるし、こだわりがある
それを、じっくり感じてほしいのだ
そんな想いを感じた人は「面白い店ですね」と言う

買い物をするのに目的を持って来る人
「豆腐がほしい」と思もって買いに来る人は、
隣に、どんなこだわりの納豆があっても、気が付かない。

そんなもんだ人間なんて

そんな彼は、客がいなくなった頃を見計らって、レジの小生のところに来る。
そして二言三言交わして帰る

今日は「初めて、おたくで玄米を食べました。
驚きました。美味しいですね…」

どうやらこびる食堂で定食を食べたようだ
定食を食べると「白米にしますか?玄米にしますか?」と聞くようにいしている。

常連はわかっているから、聞かない
初めてでも、当店に来る客は「玄米を!」という客が多い
そういう意味で「食」に関心を持っている人が多いのだろう

以前あるトンカツチェーン店で、ご飯の玄米選んだことが有る
これは失敗だった
ゴワゴワのぼろぼろなのである。
まぁそれが玄米のイメージなのだろう

当店の玄米ご飯は、しっとりねっとりしている。
それが初めて食べた人には驚きを感じるのである

しかし、玄米が好きだという人は、
「やはり玄米はサッパリしてないとね」と言う人もいる。
それはそれで個人の好き嫌いだから否定はしない。

ただ玄米のイメージを変えたいのである。
工夫して炊けば、このように炊けると…

毎日食べるものだから長続きしないと意味がない
観念で食べるのではなく、感じで食べないと続かないのではないか?と思うのである。

 

 

少食のひとに…

ハンバーグを、始めた。
ハンバーグ定食である。
どこにでもあるハンバーグであるが…
どこにもないハンバーグである
つまり、短角牛のハンバーグである。

高校を卒業するまで、家でハンバーグを食べたことがない。
そもそも「肉」といえば豚肉が、カレーや野菜に混じっているという感じだ
そのカレーだって、肉の代わりに魚肉ソーセージが、ときおり入っていた。
肉を食べたという意識は、浪人時代下宿の友人の父親に連れられて
仙台の一番町のすき焼き屋だった。
そのとき初めて、牛肉を食べた。
すき焼きは牛肉なのだ。と認識した。

貧乏な学生時代、6畳一間で共同便所風呂の下宿だった。
ラグビーをしていたので、アルバイトができなかった。
というよりも、アルバイトは、夜しかできなかった。
コンパ(昔のカウンターバー)のバーテンをした。
他のところは、若い女の子が一杯座った。
小生のカウンターには、ヤクザしか座らなかった。
ヤクザは言う。
「おまえ!だちだろう!つけるな!」
と脅された。
つまり「友人だろう、伝票なんか付けないで、ただで呑ませろ」
という、ケチなヤクザばかりだった。
そのアルバイトが終わった深夜
スナックで始めた食べたのが「ハンバーグ」だった
皿に、ふっくらと盛り上がった肉の塊は

こんな美味いものがあるのか?
と感動した。
それ以来、深夜にハンバーグと食べながら、オールドの水割りを呑むのが
月に一度の給料日の楽しみだった。
昭和40年代中頃の話だ。

そして今
誰もが安く食べられる
○○○ドンキーという全国チェーンがあるという
「認知症の母がディサービスで「連れて行った」と書いてあった。
本人は、「行ったのかね〜」と記憶がない。
それも札幌本社のドンキーは盛岡が発祥の地だという。
そこの肉と比べようがない
そもそも重量が違うのである

向こうは150g
こちらは短角牛と豚肉の合い挽きで80g

子供向けと老人向けであるが
少食の小生向けでもある
一人前が食べられない人に…。

 

 

 

 

 

白菜の季節

白菜が一つ余った。

二つに割り、半分をもう半分に割る。

4分の一になった一つは大蒜と生姜に漬けたピーマンを刻んで散らし、塩漬けに…

そしてもう四分の一になった半分は甘辛の白菜漬けに…

あと二分の一は和布蕪「めかぶ」と小口切りの唐菓子をチラシて、とろりとしたピリ辛の塩漬け

白菜は楽しい。

蒸してもいい。
炒めて片栗粉のとろみを付けても…
味噌汁に入れても…

白菜は色が着いていない。
どうにでも染まる

しかし、やはり秀逸は漬物だろう
キムチにしても…
ごま油と絡めて中華風にしても…

そしてブレーンな塩が一番似合う

そんな白菜みたいな漢になりたい

 

大根の煮物

以前、雇っていた女の子が亡くなったと聞いた。
乳がんだという。

そう言えば…10年ぐらい前だろうか…
働いていたときに、なんとなくおかしい感じがした。
真面目に一生懸命働いて、店の戦力としては十分の力になっていた。
子どもを3人持ち、上の子が受験生の時代に当店で働いていた。
最初は「今まで短期でしか雇ってもらえなかったので…長く働きたいのですが…」と言っていた。
今までの人と比べて十分な働きをしてくれたので、それはこちらも歓迎していた。
ただ、それも限界が有った。
収入の上限が103万だったのだ。それ以上になると「扶養が外れる」と言う
それはそれで、こちらも仕方がないと思っていたが…
それでも一番長く働いてくれたのだが…

忙しくなって人が足りずに
その穴埋めに、新しい若い娘をやとった。
その若い娘も一生懸命に働いてくれた。
103万の制限がある子は、制限一杯働いてもらうことを約束して
若い娘を主力に据えた。

そうするとその子は、「他で働きたい」という。
103万の制限一杯働いて、他で働くとは?
そうすると「こちらを辞める」という。
「辞める」と口に出したら、なかなか引き止められない。
「仕方ないね」と言って、辞めていったが…

 

「旬の野菜を小鉢に…」と言っても、
いつも「大根の煮物を作りましょうか?」と口癖のように言う
お米を研ぐときは「必ずザルで…最初は手早く…」と言っても
いつも話をしながら、お釜に米と水を注ぎ、研いでいた。
一生懸命に真面目にやるのだが…
なんとなく、心ここにあらず。と言う働きぶりだった。
受験生がいて幼い子供がいて、旦那の面倒を見て大変なのだろう…と思っていたが…
どうやら乳がんの手術を受けて、再発に怯えて日々の暮らしをしていたようである。
子供の学費や先々のことを考えると、もっともっと働いて金を稼ぎたかったのだろう

季節感を出すために小鉢は旬を意識してと言い
「大根の旬は、今じゃないだろう」ときつく言うと
「今です」と強情に言い張った夏の日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

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