ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: ある日のちいさな野菜畑

矛盾

サンビルの店の片付けをしていると…
「あの〜味噌が欲しいのですが…」
「この店は閉店しました。商品も全て片付けて…」
「昨日買いに来ようと思ったのですが…」
「あの味噌がないと暮らせません。…あと2つありませんか?」

夫婦の二人組
「すいません。昨日ここに置いてあった豆、ありませんか?」
「大変美味しかったので、買いに来たのですが…」

昨年11月末に締めた店
片付けが、まだまだ残っている
あと片付けをしていると
何故か…
次から次へと駐車場に車が入ってくる。
そして「とうもろこしは、ありませんか?」
「商品はどこに…」
「閉店なのだ」
「休みですか」
土日は、特にひどい。
1時間に一台ならいいが、20分に1台だろうか…

なぜか閉めたあとに、客が入る。
来て欲しいときに、お客はこない。
この矛盾が、小売業の悩みだ(?)

れいくんから

ベアレンの缶ビールをもらった。

サンビルの最終日。れい君が、
「最後に一杯やろう」ベアレンビールの新商品”缶ビール”で…
と言ってくれ、4本も持ってきてくれた。

 しかし、最終日はだらだらと忙しかった。
片付け始めると、
まずは、ナマモノを最初に片付けないと…
そうそう、あの高いミルや、ティファールの圧力釜も…
次から次へと、片付けないといけないのがでてくる。
そこへ、明き盲よりも、よくみえているメクラのの岩品さんが…
「おい!最後だから呑ませろ!」といって自分の患者に手を引かれてやってきた。
そこへ中井貴一の兄貴がやってきて、宴会となり
「次へ行こう」という声がかかる
こちとら我慢の限界、足である。
むくんで滲みて、苦しくて、痒くて、

立ってられない。のである。

座らしてもらう。座ると立てない。いや立つ気力がない。
最終日の一日が終わった。

そんなんで、最後の乾杯は、自宅で冷めた生ぬるいビールに氷を入れて
れいくんの常温のワインの呑み方と一緒だ。
とはいえ、自分もワインに氷を入れて
赤も…白も…ロゼも…
呑んでいるが…

自分で自分を褒めてあげたい

ようやく終わった。

サンビルの営業である。
最後は苦行であった。
足のむくみからくる膝までの貼りが傷みとなってくるのである。

右足から左足へとむくみと傷みが移っていったが、最後は「滲みる」という傷みでひどくなった。
もうやはり立ち仕事は難しい。すこし下半身を鍛えなければ…
最終日多くの人が来てくれたが…

そのなかに「聞いてないわよ」「偶然にも来てよかった」という声があった。
お知らせというのは難しいものである。
だいたいが宣伝(CM)は何回も流してようやく浸透する。
よほどキャッチフレーズとかが印象的なものでなければ多くのCMのなかで消え去ってしまう。
人に伝えるということは難しいのである。
伝えたいことが伝わらないのが世の中である
(隠したいことが、すぐ伝わるのが森友とか年金とかシンゾー政権である)

色々なモノをもらったが、最後にに小生の命を預けている
「あきめくらよりもよくみえているめくらの」岩品先生が大枚6000円も売上の協力いただき、れいくんがベアレンのビールを4本も差し入れしてくれた。
しかし、写真がアップできない。
どんどんパソコンは便利になっていくというが、便利になっても扱い方がわからないと便利を感じることが出きない。
(年金受領を引き伸ばせば金額が増えるといいながら、2000万貯めろというシンゾー政権のようなものである(?)

とりあえず1年の短き…長きサンビルの営業が終わった。
疲れ切って、下半身ががたがたになって、酒量がおちた。
今日はベアレンの缶ビールを2本と春雨炒めが絶品であった。

春雨炒め

想い出

鏑木武弥が縊死した。と若い友人から聞いた。
彼女は、わざわざ「カブラキくんを知っている人と話をしたかった」と言って、カウンターに座った。

彼と会ったのは、もう23〜4年前になるだろうか?
病院に二人連れで見舞いに来た。
「ある出版社をやめて岩手で農業をしたい。と言ったら入道さんを紹介された」と言って…
夏に、ちいさな野菜畑を開店し、秋に腰を痛めて都南の整形外科に入院していたときである。
おもえば、そのころから病気とのつきあいが始まったと言っていい。

鏑木は、面白いやつだった。冗談がわかるやつだった。
彼は大学時代、スカートをはいてキャンパスに通った、という
人と違うことをしたかった、という

大飯食らいだったが、酒は一滴も飲めない。
酒を飲んでいる小生のそばで、丼飯を平らげるようなやつだった。
寒いのがてんで苦手で、冬は沖縄に逃亡した。春になると岩手に戻ってきた。
田んぼも畑もやり方がユニークだったが、小生は黙ってみていた。
多くの人がいろいろと指図して彼に言うことを聞かせようとしたが頑として受け付けない。
黙ってみている小生のそばが、心地よかったのか、なぜかいつもそばにいた。
そんな彼が、新規就農資金を借りて返済できない、青年協力隊にいって返済する。と言ってパラグアイへ行った。
帰ってきたときは返済をすっかり終えて身軽になり、種苗メーカーの試験所の助手をやり、父の仕事を手伝うと言って長野県飯田市で会社を設立した。

途中でなんどか会った。順調なときは恥ずかしそうにこんなことをやっている言った。
不調のときは「借金だらけで…」と苦笑いした。

なんとかやっているのだろうと思ったら、昨年、裁判沙汰だと風のうわさで聞いた。
そして昨日訪ねてきた若い友人は、ネットで大騒ぎだという。

http://news.livedoor.com/article/detail/16019512/


いつ変わったのだろう。
こんなことが、できるやつではなかった。
人に迷惑をかけるやつではなかった。

ただただ唖然としている。
想い出ばかりが去来する。
年賀状は昨年、印刷だけのものがきていた。

なにがあったのだろう。
なぜ戻ってこなかったのだろう。
なにも力になれなかったのが、ただただもうしわけない。

ありがとう

店を閉めるにあたって、
多くの人から「おせわになりました」「ありがとう」と感謝の声や、
花束のプレゼント、珈琲、チョコレート等々多くのプレゼントを頂いた。
そして「最後に挨拶を…」と言う人達でいっぱいになった。

ふと思う。
単なる売り買いではなく「ちいさな野菜畑」は何を売っていたのだろう。
それは商品ではなく、想いがこもった売り方だったのかも…

 

哲学者内山節は、いう

「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」
(1998年「農村文化運動148」より)

「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係では、「よりよいものをより安く」というような商品としての合理性(経済合理)が必ずしも貫徹していない商品のこと

多忙 感謝感謝

なんと忙しいことか?
その〜間に合わないのである

なにもかも…

新聞に載ったことだ

盛岡タイムス

岩手日報

一つの小売店が消えていくのに、ニュースになるというのは良いことなのだろか?

その記事を読んでやってきたのが、多くの最後を惜しむお客様と、借金取りである(笑)

ひっそりとしまいにしたかったのだが…

さて今日一日頑張ろう。

明日は、ゆっくり寝られるだろうか?

 

おせわになりました

朝、厨房で準備をしていると、お客のおばさんが声をかけてきた
そういえば、そう見えるが漁家のおばさんスタイルだった
要するに花柄のようなレインコートの生地の上下の作業衣をきたおばさんである
おばさんには失礼だが、小生よりもちょっと年上かな?

そして唐突に「いろいろお世話になったので、これ牡蠣!」
と言って二本差し出した。
そして「山田町から、来たらいつも寄ります」という


「山田町?」「沿岸から?」「いつも?」
「お世話になったと言っても…」と問いかけると
おばさんは、うなずきながらスタスタと出ていった。

若い青年が、やってきた。
「やめると聞いたので…。おせわになりました」という
以前の取引先の営業マンだが…
お世話はあまりしていないが…
なにか感じるところが、あったのだろう
その青年に悪いことをした
一時支払いが滞ったときに、「集金においで?」とひと声かけてやれば解決したのだが
集金は別のボジションだったのだろう、しばらく営業にも来なくなって取引が途絶えた
それを思い出し大きい声で呼び止めた
「営業というのは回収してなんぼだ。できる限りちいさな金額のうちに回収すれば、大きいやけどはしない」
「あのとき集金に来てくれれば、取引は続いたのだが…」
彼は「申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げた。

大量に白菜とキャベツを持ってきた生産者がいた
「閉店セールで30%引きをしているが、それでもこの量は売り切れない」というと
「わかりました。いくらでもいいから販売してください」と言って物をおいていった
というと別の生産者は
「おせわになりました。商品を引き取らせていただきます」と言って引き上げていった。
生産者に迷惑をかけないように、当店の手数料から値引きしているのだが、
この対応で生産者の当店との取り組みをどう考えているかがよくわかる。
こういうのが、本音が出るのだろう

 

岩手日報に出た

https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/11/28/29794

盛岡タイムスも取材に来た。

こんなちいさな取り組みなのだが、さまざまな関係性の世界が壊れていくのが今の時代のニュースになるのだろう

寿命

いつかこの日が来ると思っていたが…
永久に続けたいと思っていたが…
さまざまなことが引き金になった。

一番大きいのは、友人たちの死と魔子さまの病気だろう。
自分自身は、50を過ぎてから、ずーっと病気がちと言ってもいいほど、病院と寝た(?)

それまでは、怪我や歯痛はあっても、風邪で寝込むということはなかった。
風邪で寝込みたいと思ったことはあったが…
病気がちの一番の素因は、30代後半の「親知らず」だろう
”出張先で痛んだら大変だから”と言われて銀座の歯医者で親知らずを二本抜いた。
それまで歯は、完璧だった。
いやキチンと揃って隙間を埋めていた。親知らずを抜いてから
知らず知らずのうちに(?)隙間が空くようになったのだろう
そこへ十分な歯磨きをしなかったために、歯槽膿漏になった。
そこから「菌」が心臓の弁にくっついたのである。
感染性心内膜炎という。
従来持っていた僧帽弁閉鎖不全症と一緒にして一種一級の障害者になった。

最初の心臓手術のときは手術室の前でストンと麻酔に落ちた。
二回目の胸部大動脈瘤のときには、手術室に入ってストンと麻酔に落ちた。
三回目の食道がんのときは、自分でステンレスの手術台に乗って麻酔が落ちた(?)

三回も胸を開き、その他に化膿性脊椎炎。腸閉塞を二回、白内障。緑内障・歩く総合病院と言われ、ときの県立中央病院の院長に「おまえは友達だ」と尊称された(?)
病歴は長いが、死亡歴はまだない(?)

そんな病気がちの自分が命永らえて、友人たちがあっという間に去った。
一人は若うちから運動をし、スイミングスクールに通い、定年になって歩き回ってリンパの癌になった。
一人は、若いうちにスポーツ心臓になったが、肉を喰らい、タバコをやめずに心臓発作で亡くなった。
もうひとりは若うちから食に気をつけてみんなを指導し、奥さん盲腸で入院していうるときに一人で脳の血管が破裂して亡くなった。

ふと「寿命」という言葉を思い出した。
寿命なのである。
いいえて妙な寿命である。

運命論者ではないが、(いや運命を信じているが…)その時がきたということだろう
店も社会も、変わってきた。
変わることが良いことなのか?は別にして…

寿命なのである。

店を開いたときには、多くの農家が「直接得売るなんて…」二の足を踏んだ。
いまは最初から直接売ろうとして、そんな畑を作る若い人たちが就農している。

流通は細分化して、空を飛び、地をはって、ネットワークをめぐらした。
どんな流通が出来上がるのか?
じっと見守るほかはない。

役目は終わった。寿命である。

オープン

ひさしぶりのブログだ。

「オープン」と書くと、賭け事好きは「オープンリーチか?」と思う
スケベなやつは「十三か?」と思う(関西人しか知らない!)

そうではない

ようやくオープンまで、こぎつけた
おもえば三年前だろうか…
このままではいけない!このままでは…!という危機感が、
「街なかに、アンテナショップを!」と思っていたのだが
具体的には、動き出せなかった。
資金の問題、今の地方経済の落ち込み、場所等々の問題は山積みだった。
もう時間切れだと思っていたところに、スイスイと流れるように話が進んだ。

動いて見るものだ。語って見るものだ。
動いて語って、なんとか近くまで来たが、
それにもまして次から次へと難問奇問が…
4ヶ月かかっただろう
疲れ果てて酒量があがり、疲れ切って酒量がさがった。
ようやくオープンである。

酒も届いた。

あとは客だけだ。開店初日は、客よりも従業員の多い時間がず~っとあった。
体重は500gほど痩せた!

 

 

 

そのうちに…

いま新しいことをやり始めようとしている

あるビルの一角にアンテナショップだ。
10坪ばかりのカフェをやっていたところだ
家賃が高いので困っていたが、「安くする」と言うので決めた

ところが新しいことをやり始めようとすると、今までの仕事を誰が引き継ぐのか?
ただでさえ

「いっぱい!いっぱい!」なのに…

内装の問題、調度の問題、メニューの問題、広告宣伝の問題。資金の問題、そして人の問題。

問題が山積である。

やりたいことがいっぱいあるが、整理できない。
ひとつひとつ解決しないといけないのだが…

そういうわけでちょっと忙しい。

書きたいことは山程あるが、ブログにもなかなか手を出せない

そのうちに

 

 

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