ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

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零余子

氷点下の曇り空の朝
今日はどうなるだろうと思っていたら空が明るくなってきた
なんとかなりそうだ

ひきうり三回目ともなると準備がすぐできる。
すぐできると思うと油断する
やはり商品を忘れた
というよりも、間に合わなかった。

朝、パワフルに動いて商品づくりをしないと間に合わない
それには慎重な段取りと、軽快な動きが必要だ
ちょっとした戸惑いが、時間をロスする

今週のテーマは「零余子」だ。
意味がわからない人はチラシを…

そして零余子を忘れた(泣)

悪戦苦闘

チラシを作った

引き売りで配布用だ。
しかし、店でも配る
以前「入道の独り言」と言うチラシを作成していた。
(本当は「たこ入道の…」という名前だったが、
多くの人が「たこさん」「おい!たこ!」と叫ぶので止めた)
じゃんじゃん発行してネタがなくなって休止した。

こんどの再発行は慎重にしようと思って
週に一回のペースにしようとしている

 

一回目は

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会話

引き売りをはじめました

御用聞きも始めます

今、買い物をするところは、数多く有ります。

近くはコンビニ。ちょっと近くは生協。もうちょっと遠くは量販店。そしてデパート。そしてショッピングモールや産直、

おまけにネットでも…いくらでも買うことが出来ます。

なぜ引き売りなのか… なぜ御用聞きなのか…

 

それはコミュニケーションの原点!会話が、できるからです。

会話は、コミュニティの原点ではないか?と思うからです。

もののやり取りが、単純に物と金銭の交換で良いのか?

合理化と効率化で、マニュアルどおりの、人を介在しない物のやり取りが、良いことなのか?

そんな検証をしないで、人件費が高いからと言って、どんどん人を介在しない流通が出来ていきます。

そんな疑問を持って、このプロジェクトを始めました。

人と関わることは、面倒くさいことです。

しかし、人と関わらない人生は、寂しいものです。

十分な対応が、できないと思います

十分な品揃えが、出来ないと思います、

しかし、ある谷を超えた時、貴方だけのお店になり、貴方の品揃えができる、ゆたかな関係性の世界ができるのではないか…

そんな想いをもって、取り組んでみたいと思います

お米の美味しい新米の季節です。お店の「今すり米」は、西和賀町大田の有馬富博くんのひとめぼれです。

平成二十九年十一月六日      ちいさな野菜畑

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文章を作って飾りの柄ははめ込んでもらった

2回目は

文章は作った

 

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いものこ

秋もそろそろ終盤となりつつあります。

秋の食べものは数多くあります。

しかし一番多く記憶にある秋の食べ物と言ったら

「芋の子汁」と答えるのでは無いでしょうか?

(あくまでも個人の感想です(笑)

西日本で「芋の子汁?」と聞いてもピンときません。

なぜなら「芋の子」は里芋!という認識がないのです。

ひょっとしたら、岩手の方言かもしれません。

そして関西では芋の子汁という料理も存在しません。

山形でいう「芋煮会」や岩手の「芋の子食い」は、冬場の保存性の悪い里芋を大量に食べるために東北で行われた行事だという説があります。

だから西日本では里芋は、汁物でなく煮物なのです。

以前は河原で芋の子会を学校行事として有りました。

東北では、懐かしい思い出を多く人が持っています。

岩手の里芋は、北上の二子地区や盛岡の津志田が有名ですが、農協の合併で、いつの間にか地域とかけ離れたものになりつつあります。そんな里芋は、稲刈りと密接に関わってきます。

それは米の収穫前に掘るか、稲刈り後に掘るかで、大きく値段が変わってくるのです。稲刈り前に掘ると、値段が高いが、ちいさな芋が多いのです。稲刈り後は、しっかりと大きい芋が採れますが、値段が安いのです。そんな里芋も、七度以下の低温で保存できないので冬場は出回りません、

あくまでも秋の味覚なのです。いまのうちに是非どうぞ。

 

平成二十九年十一月十三日  ちいさな野菜畑

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画像にはめ込めない

二時間かかってようやく出来たが…
細かいところが不満足だ

バージョンアップをするたびに時間がむやみにかかる

一太郎を使っていた頃が懐かしい
ひょっとしたら「一太郎」はもうないのか?

ひきうり

引き売りを始めた
前からのアイディアなのだが…
就労支援をしているグループに、若者に御用聞きをさせたらどうか?
というアイディアである

いろいろと問題意識を持っていると、さまざまな状況に合わせて多様なアイディアが湧いてくるのだ。
アイディアの人(企画)で、経営の人でないと言うことかもしれない(泣)

今の若者は、会社に入るが、会社は人を育てる余裕がない。
そこの門前で、シャットアウトされた人
中に入ったが、落ちこぼれた人
また門前まで、いけなかった人

と言う若者が多くいると聞いた。
そんな若者と一緒に、自分が原点に還ってもう一度「売る」ということを考えてみよう。と思うのだ。(思うのは誰でもできるが、実行はなかなかできない)
たまたま困窮者支援のグループが、そんな予算があるというので乗っかったのだ。

若者二人とボランティア二人の4人で、とりあえず二箇所で始めた。

来店者にチラシを配った。

 

会話がなくて買い物ができる社会である。
そこで育った若者は、基本的な会話を知らないのではないだろうか…
我々は「売り買い」をすると言う行為から、外部との付き合いを学んだのではなかったか?

駄菓子屋に入るときに岩手では「もぉっす」と言ったり
仙台では「お〜くれ」と言って入ったり基本的な挨拶があった。
ちいさな頃から、そんな会話があったのだ。

そして売るというのは、自分が喋るということではなく
相手に喋らせる、会話が成り立つしかけが必要なのだ

それをもう一度基本に立ち返って確認してみようと思うのだ

思うのは誰でもできるが、実行はなかなか出来ない。

とりあえず一回目は終わった。
若者は、黙ってみていただけであるが…

片付けが終わって、店で昼食を食べ、精算を終わって帰るときに

一人の若者の眼が輝いていた。
それだけで救われた思いがする

あせりとあおり

ちかごろ「あおり運転」が問題されてニュースで様々に取り上げられている。
ヒョとしたら小生の運転もアオリか?

大体が土日は、道路が混んでいる。
そこへ、時間に追われて走っているのである。
弁当などは時間が決まっているから早めに出ても、信号を右折できない車がウロウロしている。
心のアセリが、運転のアオリを生む。
ついつい車間距離が短くなる。
スキあらば、右でも左でも抜いて行こう。
右折できない車がいたら、後ろから追い抜かしてしまえ

そうでもしないと弁当の時間が間に合わないのだ

運転に自信のない人は、平日の昼間に走ってくれ
慎重運転に自信のある人は、夜中でも良いが…

 

そういえば、家族を乗せて走っていたときに、
小学校の息子が言った
「お父さんの顔見て、あわてて右折していった」
だいぶ前の車に、接近していたような気がする。

 

いぜん交差点で停まったときに
うしろのトラックから降りてきた腹巻き姿のおっさんがいた。
小生の車に近づくと「おい」と声をかけてきた
「何か?」と振り向くと…
何も言わずに「いや」と言って車に戻った
何回か、ブレーキランプがつくかどうか?
確かめながら走っていたときだった…

 

そういえば前を走っていたパトカーに近づいていったら
パトカーの後部窓ガラスに、電子掲示板で表示された
「車間距離をあけなさい」と褒められた。


40を過ぎたら自分の顔に責任を持て

と言う

人生は迫力だ!

露と答えて

演劇を見に行った。
「劇」である。
劇と名のつくものを見たことは、最近はない。

映画も見ない。テレビドラマも見ない。
小説も最近は読まない。
それでも最近読んだのは「豆の上で眠る」という湊かなえの推理小説だ。
ラジオで書評を語っていた。たまたま寄った本屋に有ったので買った。
小生にとっては、推理小説は息抜きであるが、読後は、なんだか人間関係がこんがらかって、息抜きにならなかった。
というよりも、作者は一世代か二世代、年下なのだろう。
子供の頃の思い出を語るくだりは、小生の社会人か学生時代の頃の話だ。

齢を、とったものだ。

それで「演劇」だ。
演劇もここしばらく…
思い出しても10年は見ていないだろう
盛岡は”演劇の町と言っても良い”と、聞いたことがある
小さなホールが有って、さまざまな劇団がさまざまな芝居をしている。
以前も招待券をもらったので行った。
行けば行ったで面白いのだが…

金を払ってまで時間を潰してまでいこうとは、思わない。
しかし、招待券をもらってしまった。二枚も…
定年退職した友人に「ヒマか?」と誘って行った。

普通は予習していくのだが…
失敗した。
目先の仕事が忙しくて、なんとなく行ってしまった。

パンフレットには「怪談」と題が振って有り
「露と答えて…」「業平・双六」と有ったので
昔の怪談話か…
お寺の人間関係の話か(博打の話か(=昔お寺は博打場だったと言う)…と思って行ったのだった。

話の内容は在原業平という平安初期の有名な歌人である色男の天皇の后(藤原高子)との恋と、現代の若者の恋を、愛するものが亡くなったという執着する心の葛藤を描いたものだった。
乱暴に一言で言うと、生と死と愛が絡み合ったシリアスな心理劇というべきものであろうか…
それを鬼と仏が見守る。(たぶん人間の心に鬼の部分と仏の部分があるという意味なのだろう)

それは後から類推した。
話が始まったときから背景がわからずに鬼の言葉がポンポンと飛び出し
理解するのに時間がかかった。

 

そういえは古文が苦手であった。
高校の時、国語は「現代国語」と「漢文」と「古文」という三科目が有り、一番苦手だったのが古文だった。先生は爺さんだった。なんだか、いつもむにゃむにゃ言っていた。
もし古文が得意科目であったら、古文書に何が書いてあり、何を思って多くの人は生きていたのが興味を持っていただろうに…

歴史は得意だったが、平安時代は記憶にない。というか面白いのは戦国時代からの出来事で、せいぜい平安時代というのは長いこと続いた無事な世界と言う認識であった。
そして「強い権力者の物語」を「歴史」と思っていたのである。
それを変えてくれたのは「網野善彦」や「田中圭一」が語る江戸時代であり、「宮本常一」の明治の民俗学であり、「渡辺京二」の江戸から明治への来日した外国人の書簡集「逝きし世の面影」であった。
庶民が何を考えて生きてきたのか…それが地についた歴史ではないのか…
それを知っていたら歴史ももっと奥の深い理解が出来ていたのかもしれない

しょせん古文や日本史/世界史は受験のための暗記科目だった。

 

その弊害が、亡霊としてここに現れたのである。
思い出せば一つひとつ意味がある仕草やセリフだったのだろうが…

もう一度じっくり見たいものだ。

 

風流怪談「露と答えて」(yahoo 知恵袋より引用改竄)

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

主人公の『男(在原の業平)』が、長年好きだったある身分の高い女性(藤原高子)を連れ出したときのこと。
女を背負って、郊外の草地を歩いていると、地面の草は露で濡れてキラキラ光っています。
それを見て女は男に聞きました。
『あのキラキラしているものは何?』
男は急いでいたので、それには答えず必死で歩き続け、あるあばら屋に女を隠します。
あばら屋の前で一晩、追っ手が来ないかと見張っていたのですが、突然中から女の悲鳴が。
驚いて中を見ると、女はすでに鬼に喰われた後でした。このとき嘆きかなし男が詠んだ歌です。

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

『あれは何?真珠なのかしら?』とあなたが聞いたとき、せめて『これは露ですよ』と答えて、私もあなたと一緒に露となって消えてしまえばよかったのに。

実際は、途中で追っ手に捕まって連れ戻されたのを、このような美談にして語ったと注釈がつけられています。

こんな恋をしたいものだ(ブツブツブツ)

入院

緊急入院である
どうしようも、なくなった
身体が言うことを効かなくなった
思うとおりに動かない
筋肉が硬化しているのか
骨がずれているのか…
そういえば最近外からウイルスのようなものが飛び込んでくる
それだけでない
動かないのだ…

肝心のものが…

いや何、パソコンの話だ

ブログソフトが動かない。
それだけではない。
ウィルスのような変なメールが飛び込んでくる
レンボーカーソルがいつも回っている「遅い!」

 

そういうわけで救急センターと言うDr.りょう君へ、一泊で入院した。
夕方持参して、朝届けるという早業である
「飛脚」よりも早い、「クロネコ宅急便」よりも確かだ。

しかし、思えば30年前だ。キーボードに触ったのは…
それからのパソコンの進歩は、目に見えないぐらい早い
そして小生の頭は、手におえないぐらい遅い。
このミスマッチが覚える気を無くすのである。
いまだに独学で ブラインドタッチはあちこちを間違って打ち続ける。

だからバージョンアップと言うのは、もう恐怖である。
今まで慣れ親しんできた作業が、初めてのキャバクラに行くように右往左往してしまうのである。
(尚、昔キャバレーハワイは行ったことが有るが、キャバクラと言うのは行ったことがない
本当だ!。「嘘」と「専立寺の副住職の頭」は、ユッたことがない!)

だから、できるだけ昔のままでいいのだ!昔のままで…
そんなに昔でなくてもいい。「三四郎」とか…「ロータス123」とか…そんな昔でなくても
そういえば「一太郎」というソフトも有った…
野菜畑には「豆太郎」と言う「秘伝豆大豆」も有る(関係ないが…)

Dr.りょうは、「治った。使ってみてください」と言う
デスクを替えたといって。メモが書いてあった
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
High Sierraのタイミングで…
SSDにかえた
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

意味がわからん
とりあえず「A」ボタンを押すと、素早く「あ」に変換する
デジカメからカードを取り出して挿入すると、画面にすぐ出てくる

以前は…
その間にコーヒーを淹れたり、トイレに行ったり、認知症の母の食事も作れたたが…
もうそんな隙「ひま」がない
そんなに急いでどこへ行く日本!

 

とりあえずパソコンライフはまだまだ続く。
のんびりと草を喰む短角牛のように生きたいと思う今日このごろ

 

 

 

 

 

 

カーレース

出張である。
先日は、西へと西和賀にいった。
今回は北へ。軽米である。

正式には、九戸郡軽米町円子である。
いたるところに”九戸政実の生誕地”という看板がかかっている九戸村の先である。
円子というと、静岡の丸子が江戸時代から、とろろで有名であるが。
こちらは円子(まるこ)同じ呼び名だが…(?)

盛岡から北へ100kmある。車で1時間半から2時間の予定だ。
高速に乗れば早いが、それでも20分ぐらいの短縮にしかならない。
まぁ空いている田舎道だから高速のようなものだ。ネズミ捕りや白バイに見つからなければ…
100kmといえば東京から箱根付近まで、大阪でいえば梅田から姫路ぐらい間の距離である。
都会では長距離だが、田舎では曲がりくねっているが…大したことはない。
久しぶりの出張だから、事前の準備を万全にして出かけた。

“完璧だ”
余裕のある出発時間、心は浮き立った。
20kmほど走って、頭の中でシュミレーションをした。
あのコンビニで、添加物だらけのおにぎりを買って…
麦茶は持ってきているから…
ふと財布の中を想像した
そういえば、昨日の定休日に病院に行き薬局で「2700円!」と言われ
3000円を出した。300円の釣り銭をもらったが…

えっ?財布の中には300円しか入っていない?
そんなばかな?
高速を一部使う予定で、出かけたが…

信号で停まった時に、財布を調べた。
どうみても300円しか無い。これでは高速に乗れない
高速に乗れないなら時間がない。
余裕が、すばやく焦りに変わった。
昼飯も食っている暇ない。というよりも300円は使えない。
ナビの到着予定時間は、待ち合わせ時間の2分前を指している。
アクセル全開、ブレーキが見当たらない。

前の白い軽トラを車間を縮めて追う、軽トラは横に避けて前が空いた
軽の乗用車が前を塞ぐ、どんどん追い込んで後ろから煽る。
枯葉マークのセダンがのんびりと走る。警笛を鳴らしながら追いかける
どんどん抜かして、車をすすめる。
後ろから、追いかけてくるのがいる。
ふりむかないで、アクセル全開
いつの間にか振り切った。

なんとか待ち合わせ時間に着いた。(ホッ)
心臓に悪い!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

帰りは余裕である。と思ったら、保育園の迎えの時間が迫っていた。
こんどは1時間半で、帰宅時間で混雑している街中を戻らないといけない

ここで大胆な判断をした。
オスプレイで行くことにした。
垂直離着陸である。
そんなバカな事はしない!出来ない

遠回りをすることにした。
混雑している街中を信号待ちして通るよりも、空いている田舎道を飛ばしたほうが早く着く。
もち時間は1時間。街中をいけば70km。回り道をすれば85km。さて、どちらがはやいか…

後は、アクセルが好調かどうか…
と思ったら前に、大きな車がいた。
長ボディーの4トントラックが、スピードは出しているのだが70km/Hぐらいだ
こちとら100km/Hは出したいのだ。
蛇行している先が見えない道は、追い越せない
ときおり対向車線に車が、ひょいとあらわれる
ようやく抜け出して…
と思ったら、後ろから黒のレクサスが追いかけてくる
「なんだあれは?覆面パトカーか…」と思いながら、後ろをチラチラ
ようやく早坂トンネルに入る

トンネルを抜けるとそこは高原であった
寒かった

高原の道なりの蛇行道路を…
車の底が抜けるほど、アクセルを踏み込む

レクサスは遅れをとる
「ざまぁ〜みろ!こちとらNボックス+だ!」
斜面が濡れている!すべる〜!
急カーブの連続だ!右に左に車輪が浮く!
体重で押さえつけるが、残念ながら体重が軽い
あの以前の100kgを超える体重が欲しい
と思いながら早坂高原を下った。

ふと後ろを振り返るとレクサスはいなかった。

店について魔子様は言う
「すぐ行くわよ。保育園の延長料金が取られるから…」

どちらを帰ってきても。同じ時間だった。
愛車のNボックス+は、湯気が立っていた…

せいじ5

”せいじ”が店に顔を見せなくなって、数日が経つ。
テラスで吐いて無断で逃げたことを悔いているのか…

しかし、店の前を平気で通る。
店に入るか?と思って魔子さまたちはヒヤヒヤしているが、どうやら坂道を下って下のスーパーへ向かっているようだ。
ほっとする反面、きちんと相談に乗ってやればよかったのか…

 

店の前を通りすがった”せいじ“を見て、「あれは乱暴者だ…」という老人がいた。
玉山から移ってきたらしく、近くの団地のバラックに住んでいるという。
隣近所とトラブルを起こして、乱暴狼藉を働くという。

以前、“せいじ”は、よく店に来ていた。
そんな人では、なかった。
牛舎の匂いをさせていた。
母親と一緒だったことも有る。
店のアンケートに答えて名前を知った。
その答えも、子供のような字と文章だったと魔子様は言う
久しぶりに来たら変わっていた。

畜産は、生き物を扱う仕事だから休みがない。
家族がいれば、なんとか交替交替でつなぐことができるが
独り身では、どうしようもない
ヘルパー制度などあるが、個人経営で資金的余裕が無いところは難しい
いきおい企業経営となるが、そうなると多大な設備投資を必要とする。
その回収のために効率的な肥育管理をしなければならない。
ようするに効率的に飼料を食べさせ、効率的に太らせるのである。
つまり運動はさせない。牛舎に繋ぎっぱなしである。
広い草原に放牧し、ゆうゆうと草を喰む牛のコマーシャルが流れているが
あのような風景は、夏の短角牛の放牧でしか見られない。
運動させると筋肉がついて食欲が増進され、脂肪(サシ)が入らないのである。
赤身肉を特徴とする短角牛は、それゆえ放牧が可能であり、地域の文化として残っているのである。
夏は短角牛は山へ上げ、人々は里では畑の作業をし、冬は短角牛を山から下ろし、蓄えた飼料をもとに肥育する。
これを夏山冬里方式という生活スタイルとなるのである。

それがグローバル経済とともに崩れてきた。
消費者にあまり人気がない赤身肉でも高値で流通し始めたのである。
牛肉であれば混ぜて加工してしまえば、なんでもいい。
とりあえず原材料が足りずに、商品が不足しているのである。
そうなると赤身の短角を子牛で大量に買い付けて大量に生産する方法が効率がいい。
ハム・ソーセージなどの肉加工も効率のいい原材料を求める
豚肉の消費が多い人口が世界一の中国も、牛肉にシフトしてきた。
奪い合いのなかで、個人の農家が子牛が手に入らなくってきた。
そして高齢化である。まして農家は単身の世帯が多い。

「これも時代の流れだ。」と片付けて良いものだろうか…
以前は学校の勉強ができなくても、やれる仕事があった。
今は、学歴が全てとは言わないが大きなウェートをしめる
最初から差がつき。チャンスを逃すと取り戻せない
「がんばれば報われる」新自由主義は、
がんばっても報われない社会に向かっているような気がする。

”せいじ”は、これから生活保護で、おしまいなのだろうか…
地域に根づいた生き方は、難しい時代になった。

せいじ4

”せいじ”は「たまご定食」から「牛丼」に変わった。

短角牛丼である。600円で短角の赤身肉を食べられる牛丼である。
いや赤身肉も、申し訳程度についているモツの牛丼である。
これがサーロインの牛丼なら、1000円は下るまい。
(サーロインを牛丼にするという試みは、もったいなくて思いつかないのだが…
金額も試算であるから適当だ!)
そのモツのフィレ(?)を圧力釜でやわらかくして、煮込むと絶品の牛丼が出来上がる。
それを一人前づつ小分けして冷凍すると、これまた熟成して○○家よりも旨い。

それを”せいじ”は、初めて注文した。
”おい!おい!定食みたいに牛丼は、お替わりできないぜ…”と思ったが、
もう大飯を食らうのを止めたのか…
今日も食べ終わったら、テラスでタバコを吸っている

しかし、お盆だ。
帰省客が、ひっきりなしに店内に入ってくる。
食堂は、すぐ満杯になった。
せいじが独りでテラスのテーブルを占領しているのか?と覗いたら
食堂や厨房から、見えない死角の大テーブルに座っていた。
まぁ、そこなら良いか…

 

いい場所を見つけたのか、翌日も、そこへ陣取った。
客からは見えない、厨房からも見えにくい。
食堂で「たまご定食」を食べ、その指定の影の席に移動する
これは長期体制になってきた。と思ったら

配達から返ってくると、せいじが店を出ていったという
まだ昼には程遠い10時過ぎだ…

何があったのだろう?自宅とは、逆の方だ。

そして座っていたその席のそばには、嘔吐したものが有ったという。
「食べ過ぎだ」と片付けをさせられた魔子様は怒って言う

 

”病気だ!”と思ったが…
高齢者・無年金・病気・単身世帯・定年
だれにも待ち構えている問題である。

ふと、今の”せいじ”の結果が、”せいじ”に現れているような出来事である。

翌日も、
その翌日も、”せいじ”は店に現れない。

入った?いつ入るの?

とうもろこしが、手に入らない。

「とうもろこしは、朝採りでないと…」といって求める人が多かった
そして「朝採りは農家直送でないと…」という売り方をしていた
20年前は産直の代表野菜である。

当時農家は、朝3時や4時ころからトラクターの灯りをつけ朝もやの中収穫していた。
朝食代わりに収穫作業をしながら、もぎ取ったとうもろこしを口にした。
収穫したては、ことのほか甘かった。
「とうもろこしは6時間で糖度が半減しますよ」と言って売った。
トラックで何時間もかけて運ぶ都会で売っているものや、
農協の倉庫や市場に積んで、仲卸から八百屋経由で売っているものは「粕」です、とも言った。

とうもろこしの時期は、みな産直に買いに来た。
それが「わかっている人だ!」と言う、とうもろこし好きの矜持だった。
それが手に入らない。

 

トウモロコシは世界三大穀物の一つである。
米、小麦、とうもろこしである。

いや間違えた。
生産量の順番は、「とうもろこし」「米」「小麦」の順番で、とうもろこしが頭一つ抜けている。
とうもろこしは、何と言っても「飼料」「搾油」「食糧」と用途が広い。
しかし、その殆どが飼料用である。
食糧と呼ばれるもの、はほんの数%しか無い。
これは南米とかが主食として食べているだけで、他では「動物の餌」である。
日本でも、スィートコーンと呼ばれている”人が食べる”ものは、ある。
量的には、僅かである。
田舎道を走っていると、背の高いとうもろこし畑が延々と続く風景がみられる。
殆どが、デントコーンと呼ばれる飼料用作物である。

むかし、農家が東京見物に行った。
お祭りの夜店で、焼きとうもろこしを買って食べたら、デントコーンだった。という笑い話が有る。
デントコーンは、とうもろこしの種別で「馬歯種」と言い、固くて人間の食用には適さない、馬の歯でしか噛み切れない(?)というもろこしである。
それを茹でてやわらくし、醤油を塗りたくって香ばしい匂いをつけ、都会の夜店では売っているのである。
ちなみに原価は、ほとんどゼロにちかい。農家が取り切れない、捨てるものを持ってくるのだから。

食用のスィートコーンは、収穫を逃すとすぐ固くなる。
糖度、つまり糖分を生育のエネルギーに替えてしまうのである。
だから収穫時期を逃すと、スイートコーンでも糖度もなく、固くて美味しくないものに変化する。
そして安い。他の作物とくらべても一反歩(10a)で5〜6万の収入である。(他の高額野菜の10分の一)
だから別名「はたけふさぎ」と呼ばれる。
つまり、余ったら何も植えていない雑草だらけの畑を見せたくないので「植えておけ」という程度の作物なのである。
すぐ”おがる(成長する)”ので、日光が地面に当たらない。雑草が生えない。(雑草が見えにくい)のである。

だから農業県岩手でも、とうもろこし畑をみたらほとんどがデントコーン畑であり、
スィートコーンを作付けしているところは少ない。

岩手県内で、スィートコーンの産地と言うと岩手町だけだった。
産直で「売れる」という評判が経つと増えてきた。
と言ってもたかが知れている。単価が安いからである。
人間は確実に安くても売れるという商品と。ひょとして10倍の値段で売れるかも…
と言うとどちらを作るだろか…
まして重労働であり、収穫の時期は、お盆と重なる。
お盆は、農家はほとんど本家であるから、各地に散った弟や妹が帰ってくる。
本家としての支度もある。
おまけに夏の収穫と秋の種まきが重なる。農家にとって一番忙しい時期である。
孫の手も借りたい。孫がいなかったら猫でも…猫がいなかったら、ヒアリでも…
そんなときに安い作物で忙しくしている場合か…
そして今、品種改良がどんどん進んでいる。
スィートコーンでも糖度が落ちない品種が出回っている。
無理して朝採りや、人手をかけなくても、機械で一斉収穫して量販店向けに売るという大量生産の手法が出てきてる。

人手をかけて収穫しても割に合わない作物を、手間がかかる産直向けに出す農家は多くはない。
そして昔からの人たちは高齢化している。
そしておまけに鳥獣害の被害である。
山にはエサがない。里に降りてきた熊・たぬきなどが、「ちょいかじり」をする。
「ちょいかじり」は、商品にならない。
丹精を込めて明日収穫しようという前の晩に一斉にやられた日には、トヨタの秘書を殴っても納まらない。
できたら”殴りつけたい”と広島二番煎じの棒読みのシンゾーを狙う長崎の人たちのようだ。
まして温暖化や集中豪雨で、何が起きてもおかしくない。

やはり、こういう作物は、「安いけど作って!お金出すから」と補助金を付けて作っていただく農林省があたっているのだろうか…
ヘイゾーの市場原理にまかせておくと、どんどん高額商品ばかりになって、エンゲル係数の大きな体しか生き残れない。

多様な作物が、多様な身体を作り、多様な社会づくりを、という入道の思惑とはちがう社会ができつつ有る。
毎日毎日飛び込んでくる客の声が。脳裏にこだまする

「とうもろこし入った?」「いつ入るの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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