ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

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心配することが多すぎる

県立中央病院駐車場
屋上

いつも障害者のスペースに停める。
健康そうな、こんな大男が障害者のスペースに止めるのは、
心苦しいのだが…
なんと言っても長い距離を歩けない。
階段の段差が、足が上がらない。
仕方がないので、エレベーターの近く、
そして外来病棟から近いところへ車を停める。
そして、いそいそと、障害者駐車票を掲げる。

ところが今日は、満車である。どんどん空きスペースを探していたら屋上に来た
初めてである。それも三階屋上のもう一段上の三階半だ?
なにか、おかしいことが有る日なのだろうか…
ちょっとした変化で、不安と期待が交雑する小心者だ。

いつものことながら、新しいシステムになれるのは時間がかかる。
歳のせいか…
今までは診察カードの番号で呼ばれていたが…
今度は毎回番号が違う。なぜ、こんなシステムにしたのだ。
今までは「903番さ〜ん」と呼ばれれば本を読んでいてもすぐわかったが…
今度は、毎回呼ばれる番号が違う。
「今日は1953番だ。」「昨日は2865番だ」
毎回番号を覚えていないといけない。覚えるために本などよんでいられない。
よその人の番号まで気にしないといけない。
何回も番号で呼ばれて、そのうちに
「お名前でお呼びしまぁ〜す。桜リカちゃぁ〜ん」
なんて呼ばれた人が、腰の曲がったおばぁちゃんでは…
番号は、ちゃんと覚えておけよ!と言いたい。

以前、不法建築か何かでテレビで騒がれた同姓同名の容疑者名で呼ばれた、
待合室から一斉に白い目を浴び
どんな男が出てくるのかと皆に興味津々で見つめられた
”最初から、もっと大きな声で番号を呼べよ”
と寝ぼけまなこで、思ったものだ。
だから待合室でも気が抜けない。
おちおちと寝ていられない。これでは、どこで寝るのだ。
病院の待合室は、読書と睡眠補充の時間なのに…

そういえば以前「なぜ番号で呼ぶんだ!」とクレームを付けて新聞沙汰になり
自殺した県会議員がいた。
今回、県会議員に当選した友人がいる。
やつは番号を呼ばれても、周りの人のことお考えるタイプだから心配だ。
周りの人のことばかり考えて、自分のことは後回し、政治家のタイプではない。
大丈夫か?
心配することが多すぎる(泣)

岩手は広い

「トンネルと2つ抜けて左へ曲がると、もうそこが家だから…」
と、大ちゃんが言う。
”そうかぁ〜、そうだった。トンネルをくぐって、右へ登ってそれから山道だ…”
久しぶりに、いや10年ぶりだろうか…
田野畑の生産者の家を訪ねた。
来るつもりはなかったのだが、急に近くだったのを思い出した。
ちょっと寄って、顔を出さないと…
10年前は、トンネルを抜け、右折し尾根を超えて確か降りたところだった。
走り出して、後悔をした。
いつもは十分に地図を眺めて来るのだが…
10年前に来た感覚が、頭を支配していた

最初の間違いは、トンネルを抜けて右へ行ったのに
その前に右へ行く立派な道ができていたのである。
「あれ?この道か?」
トンネルを抜けない前に、曲がってしまった。
それからが、混乱の始まりだった。
いや!この道か?
左か?右か?
どっちに向かって、走っているのか?
途中、産直で道を聞いた
店員は「グリーンロード知ってますか?」
「そんなの知らない。いいよ、もうナビのまま行くから…」
しかし、ナビは役に立たない。
ナビは、地図の道なき道を車が走っているのである。
そして、ようやく10年前にきた記憶の中の看板が見えてきた。

たっぷりと、ご無沙汰の2時間を過ごし
帰り道、そういえば思い出した。
癌で無くなった主人は、工事中の道路を見ながら
「この道ができれば、一本道で岩泉へ行けるのだが…」
そうなのである。
その一本道を中心にして、
ジグザグに山道を上り下りしながらたどり着いたのである。
大ちゃん!
「トンネル2つ抜けて左」という道案内は正しいが、わかりにくい!

と思いながら、小生も
「店の前を、まっすぐ行って3つ目の信号を左に曲がると葛巻」
という案内をしていた。
2つ目の信号まで5分、3つ目まで1時間、それから葛巻の町中まで1時間

岩手は広いのである。

たぴおか

ひさしぶりに街に出た。
というか、ナナック亡き後の寂れた町を見に行こう…
なにか感じるものが…と思って肴町のアーケード街に行った
人の流れは通常に普通であった。
しかし、それは幻想だった。奥へいけばいくほど
人通りは少なくなり、店も閉めている店が
ポツンポツンが、そのうちにどんどん列をなして…
大通りはまだ夜があるが…肴町は回復するのに時間がかかるのか
知っている露天に店を出している産直に
「どう人出は…」と問うと
「ナナックが無くなっても、あそこは人が集う場所で買い物ではないから…」
「ただ宝くじ売り場が無くなったとたん客は減った」と言う

とりあえず奥までいくと、100円ショップに押されてここまで流れてきたのか大きな文房具店が寂しく開いていた。
その向かいには、昔からホームセンターが…
どちらも家庭では必需品だが、需要が…
100均とネット販売で時代の流れとはいえ
昔は何が有るか楽しみだったのに…

奥まったところになにを売っているのか?スタンドバーみたいな…

タピオカと書いてある。
これかぁ〜今のはやりは…
ふと買い求めてみた。
ご機嫌が悪くならないように魔子様と二人分だ。
驚いた。一個600円と650円だ。
店員は、何回も、いろいろなものをかけまわし、最後に
「食べるときに、かき回してなるべく早く食べてください」
と言って手渡された。
しかし、自宅に持って帰るのだ。
自宅に着く前に、あちこちと寄らないと…
魔子様は「美味しいね」と言って食べた

ちょっと食べると、もう入っていかない小生は冷蔵庫に入れ
翌朝「なんだミルクに蒟蒻玉が入っているのだ」
「こんなのが美味しいのかい?」

魔子様好み

以前から店に通う通勤道に雑貨屋のような店舗あとのような店があった。
いつの間にか取り壊されて、小綺麗なレンガの建物がたった。
そして、その家の前には高級外車が…
「どんな人だろうね。あんな車を持っているなんてお金持ちだね」
というような話を家族でしていた。

あるときに町内会の人から噂が聞こえてきた。
「なんでも東京から移ってきた人で珈琲の焙煎をしているようだ」
そして「ネットで販売している」という。そんな話だったが、
”どうせ特選の豆で熟練の技で、という触れ込みで、
         高価格でを売っているのだろう。”
と思って、毎日前を通っていた。

三ツ割の店を閉めたあとも、サンビルの店では、
サンビル社長の友人で、仙台の焚火珈琲を扱っていたので別に気にしなかった。
サンビルの店を閉めて、買い置いた珈琲の粉が無くなり、さてどうするか?
魔子様は、気を利かせてCOOPという安物のスーパーで珈琲の粉を買ってきた。
「安い」というのが魔子様の基準である。
珈琲ぐらい「美味しいの」を飲めよ!と思うのが入道の基準である。
これは一緒に暮らしていても、なかなか相容れないものがある。
油断すると、すぐ殴る蹴るの争いに発展してしまう。(被害者は入道である)

ふと思い出した。近くで焙煎していることを…
ネットで調べてみた。
町名と「焙煎」で検索すると、一軒でてきた。というか一軒しかない。
早速、注文した。
「焙煎ができたら、近所ですから引き取りに伺います」
とメッセージをつけて…

「夕方引き取りにきてください」というメッセージが入っていた。
床屋に行くついでにと、歩いていった。
40前後だろうか、男が焙煎をしていた。
そして注文の品を渡し
「珈琲を飲みますか?無料ですが…」という
”無料なら…”と、ただほど高いものはないと思いながら、
「お願いします」と媚びる入道であった。

出てきたのはオールブラックスだった。
いや模様が…シダの葉

驚いた。本格的なエスプレットマシンの珈琲にミルクで目の前で模様を書いた。
カフェラテというらしい。たぶん多くの人は知らないだろうから教えるが…
テラテラ光っているコーヒーなのである。
(だからカフェラテというらしい=想像)
なんでも、その筋の大会で全国で2番になったという。
これが濃くて美味しいのである。
”タダならポットに入れて、持って帰りたい。”
と思うのだが、気が弱い入道は言い出せない。

そして彼はいう
「代官山で店を出していたが、高い地代で客に高い珈琲を飲ませてしまった」
「これからは、日本一安い焙煎豆を目指して頑張りたい」と…
魔子様ごのみだ!


矛盾

サンビルの店の片付けをしていると…
「あの〜味噌が欲しいのですが…」
「この店は閉店しました。商品も全て片付けて…」
「昨日買いに来ようと思ったのですが…」
「あの味噌がないと暮らせません。…あと2つありませんか?」

夫婦の二人組
「すいません。昨日ここに置いてあった豆、ありませんか?」
「大変美味しかったので、買いに来たのですが…」

昨年11月末に締めた店
片付けが、まだまだ残っている
あと片付けをしていると
何故か…
次から次へと駐車場に車が入ってくる。
そして「とうもろこしは、ありませんか?」
「商品はどこに…」
「閉店なのだ」
「休みですか」
土日は、特にひどい。
1時間に一台ならいいが、20分に1台だろうか…

なぜか閉めたあとに、客が入る。
来て欲しいときに、お客はこない。
この矛盾が、小売業の悩みだ(?)

れいくんから

ベアレンの缶ビールをもらった。

サンビルの最終日。れい君が、
「最後に一杯やろう」ベアレンビールの新商品”缶ビール”で…
と言ってくれ、4本も持ってきてくれた。

 しかし、最終日はだらだらと忙しかった。
片付け始めると、
まずは、ナマモノを最初に片付けないと…
そうそう、あの高いミルや、ティファールの圧力釜も…
次から次へと、片付けないといけないのがでてくる。
そこへ、明き盲よりも、よくみえているメクラのの岩品さんが…
「おい!最後だから呑ませろ!」といって自分の患者に手を引かれてやってきた。
そこへ中井貴一の兄貴がやってきて、宴会となり
「次へ行こう」という声がかかる
こちとら我慢の限界、足である。
むくんで滲みて、苦しくて、痒くて、

立ってられない。のである。

座らしてもらう。座ると立てない。いや立つ気力がない。
最終日の一日が終わった。

そんなんで、最後の乾杯は、自宅で冷めた生ぬるいビールに氷を入れて
れいくんの常温のワインの呑み方と一緒だ。
とはいえ、自分もワインに氷を入れて
赤も…白も…ロゼも…
呑んでいるが…

自分で自分を褒めてあげたい

ようやく終わった。

サンビルの営業である。
最後は苦行であった。
足のむくみからくる膝までの貼りが傷みとなってくるのである。

右足から左足へとむくみと傷みが移っていったが、最後は「滲みる」という傷みでひどくなった。
もうやはり立ち仕事は難しい。すこし下半身を鍛えなければ…
最終日多くの人が来てくれたが…

そのなかに「聞いてないわよ」「偶然にも来てよかった」という声があった。
お知らせというのは難しいものである。
だいたいが宣伝(CM)は何回も流してようやく浸透する。
よほどキャッチフレーズとかが印象的なものでなければ多くのCMのなかで消え去ってしまう。
人に伝えるということは難しいのである。
伝えたいことが伝わらないのが世の中である
(隠したいことが、すぐ伝わるのが森友とか年金とかシンゾー政権である)

色々なモノをもらったが、最後にに小生の命を預けている
「あきめくらよりもよくみえているめくらの」岩品先生が大枚6000円も売上の協力いただき、れいくんがベアレンのビールを4本も差し入れしてくれた。
しかし、写真がアップできない。
どんどんパソコンは便利になっていくというが、便利になっても扱い方がわからないと便利を感じることが出きない。
(年金受領を引き伸ばせば金額が増えるといいながら、2000万貯めろというシンゾー政権のようなものである(?)

とりあえず1年の短き…長きサンビルの営業が終わった。
疲れ切って、下半身ががたがたになって、酒量がおちた。
今日はベアレンの缶ビールを2本と春雨炒めが絶品であった。

春雨炒め

想い出

鏑木武弥が縊死した。と若い友人から聞いた。
彼女は、わざわざ「カブラキくんを知っている人と話をしたかった」と言って、カウンターに座った。

彼と会ったのは、もう23〜4年前になるだろうか?
病院に二人連れで見舞いに来た。
「ある出版社をやめて岩手で農業をしたい。と言ったら入道さんを紹介された」と言って…
夏に、ちいさな野菜畑を開店し、秋に腰を痛めて都南の整形外科に入院していたときである。
おもえば、そのころから病気とのつきあいが始まったと言っていい。

鏑木は、面白いやつだった。冗談がわかるやつだった。
彼は大学時代、スカートをはいてキャンパスに通った、という
人と違うことをしたかった、という

大飯食らいだったが、酒は一滴も飲めない。
酒を飲んでいる小生のそばで、丼飯を平らげるようなやつだった。
寒いのがてんで苦手で、冬は沖縄に逃亡した。春になると岩手に戻ってきた。
田んぼも畑もやり方がユニークだったが、小生は黙ってみていた。
多くの人がいろいろと指図して彼に言うことを聞かせようとしたが頑として受け付けない。
黙ってみている小生のそばが、心地よかったのか、なぜかいつもそばにいた。
そんな彼が、新規就農資金を借りて返済できない、青年協力隊にいって返済する。と言ってパラグアイへ行った。
帰ってきたときは返済をすっかり終えて身軽になり、種苗メーカーの試験所の助手をやり、父の仕事を手伝うと言って長野県飯田市で会社を設立した。

途中でなんどか会った。順調なときは恥ずかしそうにこんなことをやっている言った。
不調のときは「借金だらけで…」と苦笑いした。

なんとかやっているのだろうと思ったら、昨年、裁判沙汰だと風のうわさで聞いた。
そして昨日訪ねてきた若い友人は、ネットで大騒ぎだという。

http://news.livedoor.com/article/detail/16019512/


いつ変わったのだろう。
こんなことが、できるやつではなかった。
人に迷惑をかけるやつではなかった。

ただただ唖然としている。
想い出ばかりが去来する。
年賀状は昨年、印刷だけのものがきていた。

なにがあったのだろう。
なぜ戻ってこなかったのだろう。
なにも力になれなかったのが、ただただもうしわけない。

ありがとう

店を閉めるにあたって、
多くの人から「おせわになりました」「ありがとう」と感謝の声や、
花束のプレゼント、珈琲、チョコレート等々多くのプレゼントを頂いた。
そして「最後に挨拶を…」と言う人達でいっぱいになった。

ふと思う。
単なる売り買いではなく「ちいさな野菜畑」は何を売っていたのだろう。
それは商品ではなく、想いがこもった売り方だったのかも…

 

哲学者内山節は、いう

「私はこれからは、農業にかぎらず、どんな分野でも、商品を半商品に変えていく関係づくりをしていったほうが面白いと思っています。そのことによって、暴力的な力を持っている今日の市場経済を、内部から空洞化させていくことができたら、私たちは今日の市場経済の支配から大分自由になることができるでしょう」
(1998年「農村文化運動148」より)

「半商品」とは、商品として流通はしているが、それをつくる過程や生産者と消費者との関係では、「よりよいものをより安く」というような商品としての合理性(経済合理)が必ずしも貫徹していない商品のこと

多忙 感謝感謝

なんと忙しいことか?
その〜間に合わないのである

なにもかも…

新聞に載ったことだ

盛岡タイムス

岩手日報

一つの小売店が消えていくのに、ニュースになるというのは良いことなのだろか?

その記事を読んでやってきたのが、多くの最後を惜しむお客様と、借金取りである(笑)

ひっそりとしまいにしたかったのだが…

さて今日一日頑張ろう。

明日は、ゆっくり寝られるだろうか?

 

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