ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

カテゴリーアーカイブ: ある日のちいさな野菜畑

ふるいつきたくなる

フルイを変えた

「ふるいつきたくなるような、いい女」と言う表現がある
これは「思わず抱きつきたくなるような…」と言う意味らしい

そんな抱きつきたくなるような「フルイ」を変えた

違う!

意味が違うのだ。

稲は(ここで突然女から、稲に変わる)
田んぼに立っているときは稲だが…(その先についているのは稲穂と言う)
それを人間が食べる工程で、
稲穂から籾に変わり、コメに変わる
米というのは、八十八回のテマヒマをかけて作られるというが
多分、稲穂からコメに変わる工程も入っているのだろう

稲穂から籾を外して乾燥させ、籾摺りをして玄米にする
昔は稲刈りというと家族総出で親戚郎党を集め。お祭りのようにやったという
今は機械化されて、田んぼでコンバインと言う機械を動かしている父ちゃん
その刈り取った籾を運ぶために田んぼのそばで軽トラで待っている母ちゃん
と言う効率化という二人だけの作業で人手が要らなくなって、
農村から人が消えた

そんな問題も有るのだが
今回は「フルイ」
玄米にしたあと、フルイを掛けて選別する
この農家が選別のためにかけるフルイは、農協へ出荷するためのフルイである。
フルイの網目の大きさは、農協から指定される。
つまりある程度のコメ粒の大きさが指定されるのである。
そこから落ちたコメは(フルイから落ちたコメ)は、屑コメと言うことで処分される。
(裏の話 処分と言うなの再利用されている)
(これは内緒だ。安いコメが出回っているが、それの理由の一端がここにあると言っても過言ではない、あくまでもこれは内緒だ。)

また政府の作況指数と言う発表は、違和感を覚える
これもフルイのせいである。
農水省の作況指数は、1.7mmの網目のフルイを使用している
ところが各農協の指定フルイの網目は、農協間競争でだんだん大きくなって最近では1.9mmになっている。
つまり作況指数の農水省の発表と、実際に農協に出荷した収量との乖離を農家は激しく感じる
そして屑米である。
この再利用も。混米というワザで流通しているから、作況指数の実感は農家は乏しい。

ところがそれからである。
農協に出荷された玄米は、おおきなサイロのようなカントリーエレベーターで保管される。
様々農家のものが一緒である。だから同じにするために、再度乾燥して再度選別するために玄米でフルイにかけられて、農協から出荷される。
それを米屋が精米して白米にし、フルイにかけて選別して消費者に出荷される。

つまり農家で一回、農協で一回、米屋で一回、最低三回フルイにかけられるのである。
そのフルイの網目の大きさが問題なのである
つまり網目の調整で、大きな収入の違いが出てくるのである。

大きなフルイの網目を使用するのは馬鹿な話である。
しかし、それをやろうと思う。

左は従来から店の小米選別機で使用している2.0mmのフルイである
それを右側の2.2mmのフルイに変えた。

(これは粒ぞろいの大米粒である。

一度2.0mmを通したものでも、2.2mmの網目のフルイは、落ちる
どうしても落ちるのである。

しかし、日本で一番大粒の「いのちの壱」を食べたあと、やはり大粒のコメを食べたいと言う想いにはかなわない。

 

ひっつみ

最近、やたらとコンビニが目につく
なんだか松園とう言うか、盛岡全体が、コンビニ包囲網に囲まれたのでは…

先日も、何回も店が変わった角地の100円ショップが、いつの間にか三方から入れる大きな駐車場を持ったコンビニになった
どんな強力な100円ショップでも、格安の業務用スーパーでも難しい角地の店舗だったのに…
とても思いつかない大胆な展開だ。

 

コンビニは、ほとんど利用しない。
トイレを借りる時以外は…
むくみを取るので利尿剤を飲んでいるから、近いのである
トイレを借りた御礼に「珈琲」か「暖かいボトルの茶」を買う。
そんなもんだ
と思っていたら、有ることが有って、じっくりと商品を見ざるを得なくなった

当店は、地方の小売店と違って、違うもの…違うのを…と言う商品展開をしてきた
つまり違うものとは“売れないもの”である。
いや”数多く売れない”ということである。
ヒット商品と言うと、すぐ量販店からすべての小売店に並んでしまう
どこで買っても一緒なら、その時の便利さで買う
わざわざ当店に来る必要はない。

ようするに当店はマニアックな人たち(?)というか…
有る自然食とか…マクロビとか…アレルギーとか…
そんな人達利用できる店を目指している

だから、ここにしか無いという物を数多く揃えている
これが盛岡という地方の中小都市の小売業で成り立つのか?
(やってみないとわからない)と言って苦戦している

コンビニで扱っている商品は、当店の商品とは競合しないというのは基本だ。
そこで偵察である。だいたいが競合しないが…

ひとつ見つけた。

「ひっつみ」である。
ひっつみ」は、この付近では、ソールフードである。
東京生まれの魔子様は、客に「ひっつみってなんですか?」と聞かれると
「すいとんです」と返事をする
あの粉っぽい”すいとん”とも違うのだが…

小麦粉を練って、薄く手で伸ばして湯に放り込み湯がいて出汁の利いた野菜汁にひたして食べる。
そのねって湯がいた小麦粉は、スルスルと口の中に入って、ツルツルと喉に落ちていく
こびる食堂のメニューでひっつみセット(ひっつみ汁とご飯)500円は人気メニューである。

その地元の地産地消の…身土不二の…ソールフードのひっつみが、コンビニで売っているではないか?

 

これは厳重に抗議しないと…(怒り心頭!)

しかし、油断も隙もない
全国一律、同商品・同価格・同サービスのコンビニが、
こんなロハス(使い方間違っていない?)な商品を売っていいのか?

これが九州で売れるのか…
粉もん文化の関西ならともかく…
と思ったら裏を見たら「岩手工場」と書いてある。

なるほど現地のニーズに合わせた商品づくりまでやるのか…
恐るべしコンビニ!

しかし、コンビニだらけになって、
人口減少下の地方の中小都市では採算が著しく合わなくなってきたらどうするのだろう

撤退するのだろうか…

先日ラジオから流れてきたニュースで
イオンもファミマも事業本体は赤字だという
小売業のビジネスモデルは破綻しているのだ

農業と一緒で、家族経営でやっているから生き延びているのが実態なのだ
それをわかっているのだろうか…

 

 

旨い。美味い。

コメはザルで洗う
コレが基本である
そして一回目は素早く洗う
これも基本である

(基本=糠を素早く洗い流す)

コシヒカリの1.5倍の大きさ粒「いのちの壱」を炊いた。
とりあえず見ただけで「大きい」
なんというか…
ザルで、洗っても
何回か水を替えて、洗っても
手に当たる感覚が違う

大きいというか…
抵抗感が有るというか…
ハセがけだから、水分を随分少なめにして、羽釜で炊いた
この羽釜は、燕三条のメーカーから買ったアルミニウム合金の羽釜である。
通常、木でできた蓋なのだが、これは重いステンレス製である。
圧力釜の圧力の代わりである。

”初めチョロチョロ中パッパ、赤子無くとも蓋取るな“とおぼえていた

正式には「始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、
赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり。」
かまどじゃないので、最後のワラは難しい。最後の一瞬、ガスを最強にして消す!

そして出来た「カニ穴」だ。
ご飯にできるアナが、砂浜でカニがはいでてくる穴に似ているので「カニ穴」と言う
(可児さんというアナウンサーだと想っている人が多いが…大きなカニ違いだ)
美味しく炊けた証拠である。

穴が開くということは、粒が均一であるから下から、出てきた蒸気がまっすぐ抜けたということである
つまり、全体が均一に熱が通ったということに、ほかならない
均一に加熱するというのは、調理の基本であり、調理の最強のワザである。

そんな最強の…最高のご飯を何で食べるか…

当然「塩むすび」

だろう

食べた、食べた。

食べた若者は異口同音に「うまい、うまい、うまい」と三度叫び
「あまい、あまい、あまい、あまい」と四度叫んで、ひれふした。

柔らかいが、しっかりと腰があり、ほんのりと甘みと、しっかりとした歯ごたえの食感

これを旨いと言わないで、何を美味いというのか

その場にいたみんなに食べさせ、みんなが感想を述べた

今まで食べたことのないうまさだ
冷めても美味しい!

翌朝、食べ残したご飯をおにぎりにして、ラップをかけ、チンをして、隠れて食べた
とろけるような南高梅の梅干しと、ともに…

美味しい

やはり一日過ぎても美味しいのだ

その一言である
やはり大粒のコメは、粒揃いで美味しいのだ。

龍の瞳

「龍の瞳」と言う米があるという
本当の品種名は「いのちの壱」という
岐阜県の下呂市で発見され、その地域の人たちが栽培をしているという
その一番の特徴は、粒が大きいと言う

こしひかりの1.5倍の大きさの粒だという
そして、香りといい、食味といい、日本で一番だが、
生産量が少ないので食味ランキングに入らないという
そんな米を、取り寄せてみた。

先日来、新聞やテレビで東京代官山にオープンした秋田のおにぎり屋が注目を浴びている
その謳い文句が「自家生産あきたこまちの大きな粒を選別した農家だけの特別米」ということらしい
それが「美味しい」と言う

米粒の大きなものは、「美味しい」とイコールなのか?
そんな疑問を持って調べていると「いのちの壱」が引っかかってきた。

よし食べてみよう
好奇心旺盛の入道であった。

 

よく農家の人に聞くと、みんな「おらの米はうめぇ〜」と言う
「慣れた味」と「美味い」とは違うのだが…
と思いながら無碍に否定するのも…
誇りを傷つけることになるし、彼は納得しないだろう
と言って自分の家に売るほどある米を、ほっといて、他の米を食べて比較しろとは言い難い
だから農家に「これ本当に美味しいの?」と聞くのは愚の骨頂である

”米が不味い”と言われる地区がある。
農家同士で、けなし合うのである
「あそこの米は、不味い」と…
農協の合併問題が有ったときに
「あの米が売れ残る農協と一緒になるのは困る」と言う人もいた
しかし、米の美味しさは、ひとそれぞれ違うのであるから、やはり自分で確かめないと…

 

就労支援で店に来ている若者に聞いた
「うちのご飯、美味しいか?」と…
じぶんが、どの程度のご飯を食べているのか?
それも販売の勉強なのだ。
コシヒカリの美味しさと…
ササニシキの美味しさと…
粒の大きな「いのちの壱」の美味しさをわかって、
自分がどの程度の米を食べているのか?
それを認識することが、販売する相手に米をすすめる尺度になるのである

 

高い金を出せば、良いコメを食べていることにはならない。
そこには米から美味しいご飯になる過程、
乾燥手段(強制乾燥・天日干し)低温精米、洗米。浸漬、炊飯器。等々
さまざまな技を経て、ご飯になるのである

さて龍の瞳を
「来週は試食会をしてみよう」

というと若者たちは一斉に歓声が上がった。

 

就労支援

ツララが滴り落ちる。
「春になる証拠だ」と若い友人は言う

なるほど…

単純に薪ストーブの暖かい熱が、天井のない屋根を温め、雪を溶かし
滴り落ちてきた水滴が、凍ったのがツララと捉えていた。
そういえば…今頃にしかツララは見られない

屋根の上で溶けた水は、12月1月と厳寒のさなか
屋根を滴り落ちてくる間に凍ってしまう。
つまり、ツララになる前に屋根で凍ってしまうのである。
春になり、溶けた水滴が凍らないまま屋根から落ちてこないとツララにはならない

そんな春の予兆が見られる中、就労支援中の若者と老人ホームに「ひきうり」と言う販売に出かけた。
本来ならリヤカーとか軽トラで売りまわるのだが、冬場は暖かい老人ホームでの販売に切り替えたのだ。

商品は、約10万円分もっていく。
売れないものとわかっていても、枯れ木も山の賑わいだ。
みせなければ、売れない。

そんな中、豆を「青大豆(秘伝豆)」「くろまめ」「大豆」と3種類持っていった。
1kgづつである。
自炊の老人ホームであるが、“一人ぐらしでは、1kgは多いかもしれない”と思いながら…

比較的若い人だろうか…(と言っても60代後半だろうか…)
黒豆を1kg買った。1280円である。
そのほかに、お菓子や野菜など色々と買って
「2000円しか部屋から持ってきてない」と言いながら
計算したら2000円を超えていた。
「どうしよう。なにか返そうか…」と言う
小生が
「くろまめ1kgすぐ調理します?半分にしますか?」というと
「あら助かるわ。640円になったら後色々と買えるから…」と言う
1kgの豆を“計って半分にしよう”と思ったらハカリを忘れた。
しかたがない
レジ袋に半分だろうと思う量を二つに入れて、選ばせた。
「どちらか多いと思う方を選んでください。」
「えっ!悪いわね。こちらが重そうだわ…」
と言って、嬉しそうにニコニコ笑って、片方を取った。

販売は等価交換である
商売とビジネスは違う。
ビジネスという貨幣経済は、貨幣の価値で等価をはかる
関係性の商売は、気持ちではかるのである。

そんな事を引き売りという実体験の中で
若者に教えて行く
大事な就労支援と言う社会勉強である。

 

遊座

岩手は「どちら派?」と言われることがよくある

ようするに宮沢賢治と石川啄木である
同時代に生きた作家(?)芸術家(?)としてどちらが好きか?ということである

小生は昔は童話作家としての宮沢賢治はよく読んだ。
だけど、その意味がよくわからない。
いろいろと話を聞いていると、どうやらその物語に思いを馳せて想像するのが楽しいのだろう
だからさまざな賢治ファンがいて、さまざまな解釈が飛び交う。
石川啄木は、そのわかりやすい三行詩と覚えやすさで親近感を持った。

だから、どちらかと言うと「啄木派」である。

40代に農業の世界に入って玉山村の農家と、いろいろと付き合いがあった
玉山村は、何ヶ村が一緒になって村ができたが
その一つに啄木で有名な渋民村がある
何人かの農家は、「爺さんは啄木の同級生だ」と自慢げに話をしていた。
そんな農家に
「啄木は石をもて追われる如く故郷をでていったのだ!いつの間に故郷が啄木に媚を売ったのだ」と茶化す。

そうなのである。
あの岩手山や北上川を「ふるさとの山。ふるさとの川」と読んだ啄木には、味方はふる里の自然しかなかったのだろう

そんな寺の息子だった啄木と関係のある寺が二つある
生誕した「常光寺」そして、大きくなって移った寺が「宝徳寺」である。

宝徳寺の代々の住職の名字は「遊座」という
珍しい名前だ
高校のときに「遊佐」という先生がいたが、彼は数学で山形出身だった。
先日無くなったマナ自然食品のご主人は「遊座」という
奥さんは言っていた。
うちは「宝徳寺の長男の家系なの…」

どうやら啄木生まれた頃の話では、宝徳寺の長男が
「寺の跡目を継ぐか?」という問いに「継がない」というので

石川一禎が入ったという
一説によると啄木の学費を払うために寺の木を切って売ったために村人の怒りを買ったという
そして啄木一家が追い出された後「遊座」の次男の家系が、宝徳寺の跡を継いでいるという

 

面白い
こんなところで啄木との関わりが出てくるなんて…
そして「遊座昭吾」という有名な啄木研究家がいる。
国語の教師だったというが。
彼は宝徳寺の跡をついだ次男の孫だという
追い出した寺の跡目が、著名な啄木の研究家になっているとは…

これは啄木が学生時代に過ごした盛岡のある中学校の立志式の弁当である。

 

 

 

あたりまえだ

困っている。
なかなか売上が回復しない。
下げ止まらない。

原因は色々と思いつく。
一番は、代表の能力のなさである(代表は誰か?問わないで欲しい)

冬になって野菜が高騰して、誰も来なくなった。
当たり前だ。「産直」というイメージだと、冬場は商品が揃わない。
おまけに高騰だ。
低級ならまだ良いが高等である(意味不明)
「産直じゃない」と平成12年に「脱産直宣言」をしたのだが浸透していない
当たり前だ。そんなの誰も気にしていない。

未だにマスコミは「産直の小さな野菜畑」と字を間違えて言う
「ちいさな野菜畑」だ!と言っても治らない。
当たり前だ。そんな小さなことは…
「じゃぁー何なのですか?」とアナウンサーは問う

面倒くさいので「八百屋だ」と言うが…

こんなコンセプトがあるのだ

「八百よろず屋」と言う業種を作ったのだ

しかし、誰も気にしない。単なる産直だ。
だから冬は、沢庵しか買いに来ない。

沢庵で売上が達成できるか?
それで金融機関に言い訳ができるか?

と思う今日このごろである。

寒い。さぶい。寒すぎる。
体重が減るということは、筋肉が減るということだから…
痩せた骨に寒さが身にしみる。
ホッカイロを三つ貼り付けてもまだ寒い。

春が待ち遠しい。

 

*当店のたくあんは

砂糖不使用、着色料不使用、保存料不使用
小生が一生懸命漬けた愛の結晶である(?)

赤穂の天塩(塩分5%)と…
自家製新鮮米糠と…
三陸産の昆布…千葉産の唐辛子…
そして梔子の粉末である
(梔子を読めない人は「くちなし」と入力すると変換される)
そうそう昔、渡哲也の「くちなしのはな(?)」みたいな唄があった。
梔子はターメリックだと思っている人が多いが(小生)、違うらしい。
サフランの色素を含んで黄色になるようだ。

*先日、お客様から千葉の親戚に「本物の沢庵を贈りたいから…」と5本の注文を頂いた。

急募

ボランティア募集

1月24日水曜日11時〜12時

配達業務
当店から滝沢駅付近の15km往復(片道20分)
車持参、油自己負担、

御礼
ちいさな野菜畑こびる食堂「昼食券(コーヒー付き)」一食
有効期限平成30年12月31日まで

 

東京神田に「未来食堂」という食堂がある
「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」

と言う本を書いている。

以前から聞いていたが…
フェザンのサワヤで見かけたので買い求めた。

面白い。
若い人の発想である、そして他業種(IT業界)からの違う発想である。
ヒョとしてこれがこれからの中小企業の一つの経営形態になるのではないか?

人口減少社会である、
飲食業など人手不足である。
まして地方では売上が低迷する。
いかに経費をかけないで、少ない売上で利益を確保するか?

従来の発想から抜け出さないと、たぶん経営的には続いていかない。

これから景気が上向くという見通しがあればいいが…
たぶん地方の零細小売業や、小規模飲食業では難しいだろう
と言って、すべてがコンビニとチェーン店だけでは、情けないだろう

都会なら、まだこれから10年はまだまだ人口が増える可能性がある
地方はもうすぐ、いやもう始まっている減少社会である。

新しい発想を若い人から学ぶ必要がある。

上記の急募は、その発想からの新しい試みである。

四日間

年が明けて四日間が過ぎた。
夜中に起きて事務作業をし、太陽が昇り暖かくなったら店に行き、
普段できないことをすごして、指が、かじかんで動かなくなったら、
家に戻って酒で温め、風呂に入って早々に寝る。
と言う単純な四日間である。
思っていたことの80%ぐらいしかできなかった…

一番感じたのば、指先がもげるように痛いということである。
穏やかなあ正月だったが、真冬日にもならず日中は太陽も顔を見せた。
それなのに指先だけが、ジンジンと痛む。
もう指をちょん切ってしまいたいほどだが…
たぶん歳のせいだ。
毛細血管まで血が流れないのだろうか…
手袋を買ってはめても…
お湯で温めても…
指先が思うように動かない。
こういう処から年齢を感じる。

何をしたか?と問われると痛い。
事務作業は決算処理だし、店の片付けも普段できない整理整頓だ。
日常の中で断捨離をして、掃除を日々重ねて、ということが出来ていない証拠である。
まぁそれでも、新しい歳を迎えるという気分にはなるが…

しかし、唯一心残りは…
まだ賀状が書けていない。
そうなのだ自宅に届く賀状は良いが
店に届く賀状は、今日(5日)でないと受け取れないのである。
年末に「賀状入れのダンボール」を店の玄関に置いておくのを忘れた。
毎年のことなのに…「魔子様は何をしているのだ!」と人に責任を押し付ける(泣)

賀状は買ってあるが、8日までに出さないと「10円プラスしろ」と郵政省から通達が有ったという。
10円を馬鹿にしないで欲しい。
岩手県民130万人分といえば1300万円である。
岩手でさえも、小さな家なら土地付きで、二軒も買える。
盛岡市民30万人分なら、300万円である。
ホンダの冬にも強い4輪駆動のNボックスが2台である。

今話題の相撲でも

昔の話だが横綱北の湖が若い衆に
「これでアイスキャンディを買ってこい」と言って1万円札を出したと報道されていた。
今のモンゴル絡みのガチンコ相撲界でもアイスキャンディーは喰いきれないだろう(意味不明)

そんなこんなで4日間のツケが、この8日までの三日間の勝負につながってしまった。

反省!

 

(反省は戌でもできる?猿か?)
今年は何年だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

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