ワールドカップのラグビーを見て、違和感を感じる人がいる。

日本というチームなのに、なぜ外国人が異常に多いの?
単なる助っ人?
それとも、何人までと決まっているの?という違和感だ。
小生も以前は、そういう違和感があった

これは、スポーツの歴史と文化の違いの為せる技である。
中世のイギリスで、手も足も使っていい原始フットボールというゲームが生まれ、
1800年頃は、ハイスクールが各校で独自ルールをつくって行われていた。
ラグビー高では、エリス少年が1823年にボールを抱えて走り出したのがラグビーの始まりと言われている。
1863年、イギリスで共通ルールを作ろうという動きがあり。
手を使っていけないサッカーという競技と、
ボールを抱えて走っても良いというラグビーの競技が別れた。

ちなみに「万延元年のフットボール」という大江健三郎の代表作と呼ばれる小説が有るが、
多分、サッカーとラグビーが別れた経緯を書いた小説だろうと思って
高校生の頃を買いもとめ、本棚の隅に積ん読して未だ読んでいないのは小生だ。
万延元年は1860年。

サッカーとラグビーが別れた1863年ごろ、日本は江戸幕府から明治に変わろうとしていたころだ。
そしてイギリスは、領土を増やすために庶民地をどんどん増やしていった。
その植民地対抗で、ラグビーの競技が盛んになっていった。
国ではなく、その地域で、その人達が楽しむスポーツとして…
だから地域のクラブスポーツという意味合いを持っていた
今の強豪国は、英国自身も4つの地域に分かれ(イングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランド)
そして植民地(ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ)
そして隣国のフランスが、8強と呼ばれているが…

よく言われるがラグビーの精神は
試合が終わればノーサイド(敵も。味方もない)
一人が皆のために、皆が一人のために…(one for all all for one)
植民地政策から品格有る撤退を成し遂げたイギリスの精神

国民の代表である野党やマスコミ、そして被災地と真摯に向き合い、
周囲の国と仲良くしながら、大国に媚びず、単なる勝ち負けにこだわらず、
そんなラグビーの精神を見習う日本の政治に期待するだけである。