紅伊豆?サニールージュ?

ぶどうをもらった。御礼だとおもう。
”本を贈ってやった”だけなのだが…
それも自費出版の非売品を預かったものだから、かかった費用は運送料だけだ。
まぁ、いただきものは、ありがたく感謝していただくことにしている。
以前は良かったが、二人暮らしになり、店もしめて人付き合いが少なくなると
大量にもらうと、こまる。
子どもの頃は、そんなに貰い物というのも無かったが…
 最近は貰い物が多い。それどころか農家と付き合うと大変なのである。
食べきれないほど、大量にもらう。
彼らにとっては、野菜は商品なのだが、規格外も大変多くでてくる。
つまり規格外は、農協に出荷できない、
出荷できる産直は、みんな同じ品種で値段のたたきあいになって残る。
出荷の日の朝の産直は、前日の残り物交換会の様子を呈する。
農家でない人が来ると「それもっていけ。これでもかあ〜」
もらった街場の人には、大きくなった子どもたちもいない、
人付き合いも年をとってくるとあまりいない。
仕方がないから隣近所へと言っても、周りは老人世帯ばかりだ。

哲学者の内山節から聞いた話。
「昔は、自家用の畑が見えるところにあって、ちょっとした御礼には
できが良くないトマトが成っていれば、熟した赤いトマトを持っていってやり、
お返しに、まだ大根が小さければ、大きくなった大根をお返しにもっていって、
きゅうりが病気になっていれば、良いきゅうりを持っていき、
漬物が上手ならば蕪を…白菜を…と」
村人は畑を見渡して7〜8回お返しを繰り返すと
部落の人が、だいたい行き渡って過不足が解消された」
贈り物は、そういう意味で過不足を平準化するための文化と言う一面もあった。

最近、お返しは金銭になり、
それも、ほとんど単価がわかるような…
結婚式や葬式も、本が贈られて、それから選ぶようになっている
合理的といえば、合理的だが…
なんとなく、温かい心が感じられない気がするのは、古い人間なのだろうか…
旬のときに旬のものを、少しだけもらうと、なんとなく嬉しくなる。