多くの争いごとは価値観の違いだ

以前、被告になったことが有る。
たわいもない事だが、
「契約した検査書を渡さなかったので、損害を受けた。」ということだ。
原告は、産直に出す”タラの芽”の放射能検査のデーターを産直から求められ
比較検討の結果、一番安かったからと当店に依頼した。
なんせ一律1000円(会員なら500円)という格安でやっていたのだ。
渡すときに「農家が産直へ提出する商業用検査書だ」と気が付き、
商業用ならば、通常の料金8000円を請求した。
なぜなら当店の1000円という検査料金は、食べ物を売るところの社会的責任で市民に安心と安全を果たすという意味があった。
ところがその農家は「社会的責任」という意味がわからない。
最初の調停でも、次の簡易裁判所でも、上告した地方裁判所でも
彼の主張は、一貫して
「1000円で請け負ったのにデーターを渡さない!契約違反だ。」
次々と替わる裁判官も、ついでに出てくる参与員にしても時間のロスである・
裁判官もほとほと呆れ果て、こちらに泣きついてきた。
「なんとか三分の一でも払ってくれないか?」
そうなのである
「請求金額が33000円」なのである。
「当店に不備があるとすれば検査依頼書を受取ってしまった」ということでる。
「仕方ないですね10000円払います」と言って決着した。
相手も不満、こちらも時間と金の損で裁判所も仕事とはいえ無駄な仕事だ。
三方一両損である。

そしてまた同じことが起きそうだ。
11月末から閉めている三ツ割の店である。
再開に向けて地主との交渉を続けているが、なかなか進まない。
そしていよいよ先方は「出るところに出ようか?」という話になっている。
簡単に言えば
「地代を上げろ。上げないなら建物を壊し更地にして返せ」という地主と
「地代はそのまま、更地にする費用捻出のため期限を区切り書面で契約したい」というこちらの主張である。
主張の違いの細かいことはあるが、ようは建物用途の社会的価値の違いである。
地主にすれば、自分の土地に建てた厄介な建物であり、相応の地代を払え
こちらにすれば地方の時代を切り開く、思いの溜まった築20年の大型木造建物である
なんとか生かして多くの人が使える有効な建物として利用したいと考えている。
まして地方都市の中小が小売業は縮小廃業していくなかで、
建物を利用して物販を目指す企業の存続は並大抵のことではできない。
できるだけ地代は低く抑えたほうが良いが…
最初から高すぎた。路面店ではあるが地目は雑種地である。
当時の産直として利用するときは良かったが、
人口減少の地方都市で中小企業の小売業の立地条件としては良くはない。
こんな土地でも社会的に価値の有る場所として考えたいが…

どちらのことも最近(近代?)の出来事である。
タラの芽という今まで食べられないものが貨幣に替わる。
今まで手間のかかる余計な土地が空間利用で交換価値が高まり、貨幣になる。
今まで自然という周りに何となくあるものが、資本主義の貨幣に替わると
その、価値は変質しないで蓄積できる。そこから貨幣愛が生まれ、争いになる。
それまでは食べ切れないタラの芽を取ろうという発想はない
何も生み出さない雑種地は管理する手間暇がかかるだけで厄介者だ。
それが自然を経済というもので図る手法がさまざまな弊害を起こす