ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ラグビー考

毎日、高濃度のラグビーを見る機会が与えられて、幸せである。
心のなかには、仕事の一抹の不安があるが…
そのおかげで、ついつい仕事のことを考えながら見てしまう

たとえばスクラムである。
昔は、絵で見るしかなかった。
今は、ビジュアルに見ることができる。
スクラムを組む姿勢、そして足の角度、各ポジションの組み方。
おまけに今は、真上から見ることができる。
これは、へリコプターか?ドローンか?
それとも、カラスか鳩にカメラを積んでいるのか?
と思ってしまうのだが…ちらっと見えたのは、
どうやらケーブルを上に張り巡らして、カメラを動かしているようだ。
いやおかげで、すべて手にとるようにわかる。
すごいものだ。

密集を走り抜けるのでも、
どこでステップを切って
ハンドオフ(手を叩いて相手を押しのける)
で叩き落とすのか…
また、そのやり方や密集の様子が、
後ろから前から下から、自由自在に映像が流れる
すごいものだ。

ラグビーの基本ルールは、前にボールを落とす、投げる、のが禁止である。
そしてボールよりも、前にいてもオフサイドになるから、
ボールよりも後ろに、戻る意思表示をしないといけない。
これだけである。
だから、これだけは言える。
ボールは、ボールを渡した人より、必ず前に出ないとゴールは目指せない
つまり、チームプレーと言いながら、
一人ひとりが、前に出る強い力をもっていないとゲームにならない
ラグビーの精神だという「one for all all for one」は
全員のために一人が…、一つの目的のために全員が…
「皆のために、一人ひとりの強さと、一つの目的に向かう団結が求められる」
のである。しかし、ラグビーはポジショニングによって役割が違う。
大きい人・俊敏な人・足の早い人・力のある人・
それぞれの人々が、その役割を発揮して目的に向かう
ラグビーの基本というかボールゲームの基本というか、チームプレーの基本
であり。それは今の社会の企業のあり方にも通づるのではないか?

と思いながら、それが通じるのは大企業だけだ。
地方の中小企業は、ひとりひとりの弱さを皆でカバーして、
みんなで達成する喜びを分かち合うのことなのか…と思う、

働き方改革

宴会には出ない。外食もしない。
食べ放題とか、飲み放題とは、最近縁がない。
そうなのである。
一人前が、食べられない。そして一人前が呑めない。
(お前が呑めるのは3人前だろう!というツッコミは最近通じない)

食道を切除してから胃を伸ばして、喉とつないでいる、通り道が狭いのである。
つまり、ラムネの玉が落ちていかないあの構造である。
朝食は、6時頃から食べ始め、8時過ぎに終わる
夕食は、5時半頃から食べ始め、9時過ぎに終わる。
そうしないとすぐお腹が(胸が)いっぱいになって食べられないのである。
 量が食べらないのならいいが、最低カロリーの摂取もできない。
「カロリーメイトを食べろ」という意見も、ないこともない
それで食事の楽しさを、味わえるのか?と思う
「いろう」という医療技術が有るという。
要するに、胃袋に直接栄養素をいれていやる、という方法らしい。
そんなのは、生きてるシカバネだ。
そんなのをするくらいなら”人工呼吸器を外してくれ!”と言いたいが、
ひょっとしたら、魔子様は、いそいそと喜んで、外すかもしれない。
冗談だ!冗談!


何の話だ?
そうだ、それなのに宴会に参加した。
いや地元食研究会という名の宴会だ。
秘伝豆の地元食だ。



秘伝豆は岩手の豆である、というか岩手で育種開発された豆である。
ところが都会では「山形の秘伝豆」と言われているようだ。
それは山形県の枝豆は、”だだっ茶豆”の早生。中手のあと、
最晩生に「秘伝豆」を県が主導して、全県で取り組んだせいである。
作付面積が、岩手が1としたら、山形は100だと言う。
もう岩手の豆とは言えないほど、差をつけられた。
それを量や売上では、山形に負けるが、
文化として勝とうというのが当店の戦略である。

その立場上、これは出席して一言・三言・小言を言わないと…
と思って醤次郎(醤油)豆蔵(豆味噌)たいこばん(納豆)を。
お土産にして参加した次第である。
その他に当店で販売している秘伝一家は、豆太郎(秘伝乾燥大豆)
豆平(乾燥打ち豆)米蔵(米味噌)およね(米麹2倍味噌)貴奈子(きなこ)
があり、まだまだ進化中である。

昔の人達は見た覚えがある。
味噌玉を、藁葺き屋根の太い梁にぶら下げている風景を…
あれは豆味噌を作っているのである。
豆を煮て丸め、縄でしばって天井の梁に吊るす。
家に住み着いている麹菌を付着させ、それをおろして塩を混ぜ合わせ。
樽に漬ける。昔の豆味噌の作り方である。
ところが、その製法は衛生的に許可にならない。
個人で作る分には良いが、市販商品としては販売できない
そこで殆どが、米味噌に変わってしまった。
現在、日本の豆味噌は、名古屋近辺の八丁味噌だけになってしまった。
そんな秘伝豆味噌を、復活させようというのが「豆蔵」である。
唯一軽米町の大黒味噌醤油が豆味噌の製造許可をもって、ほそぼそと続けている。
大黒味噌で作った豆味噌の「豆蔵」は、味噌汁の味噌で当店で大評判である。
当店の味噌汁を飲んだ人は、みんな豆蔵を購入する。
その味噌汁は。厚削りのソウダカツオと厚削りのサバブシを
ボンボンと煮出した出汁を使っている。
それは、蕎麦屋の出汁の作り方である。
つまり出汁とマッチングすると、ベストショットなのである。
蕎麦屋の出汁は、蕎麦の香りに負けないように濃いめの出汁をつくる。
秘伝豆の豆味噌は、香り高い豆のために、この出汁と相乗効果を出すのである。
日本の文化は出汁のコク・旨味の文化である。
その文化を蔑ろにしているのが、出汁入り味噌と言い、香りを殺してしまうのである。
(長期保存するために、熱殺菌しているから麹菌が死んでいる)
出汁を何でとるか…どのように取るか…様々な技の結晶が和食なのである。
技を身に着けて、腕前を上げ、人に喜ばれ、働きがいの有る…
まさに、本当の日本の働き方改革なのである。

人生には「まさか」という坂が有る

以前。魔子さまに笑われた。
「何を泣いているの?」と言って
あのときは、釜石の7連覇がかかった日本選手権だった。
足を痛めた松尾が、国立競技場で足を引きずりながらゴールに向かって走って行ったときに不覚にも涙が出た。

「ラグビーを見て泣く人を初めて…」と魔子様は言う

今回も、ひょっとしたら、そんな場面に遭遇するかもしれない。
最近、涙もろいのだ。
とりあえず、そうなっても良いようにティッシュケースをそばに置き、
前半からビールを飲むと、途中で席を立ちたくなるから、後半からにしよう。
そして前半は、乾き物で濃いめの珈琲を飲み、
後半は、ぬか漬けとホタルイカの酢味噌あえ、北寄貝の刺し身、
スポンサーに敬意を評してハイネッケンが無いので、ジョニ赤の黒ビールを
それも切らしたので、しかたがない赤の金麦を…
準備万全、テレビの前の椅子に座った。
魔子様に「客、電話、一切でない!」と強く伝えて…

しかし、いつの間にアイルランドはランキングが世界二位になったのだろう。
たしか昨日までは
「世界一位のアイルランドと対戦する日本は…」と言っていたのに…
と思いながら
相変わらず大きな大きな体格の外国選手に立ち向かっていく日本選手と
外国人でありながら日本選手になりきって戦う連合チームの試合に
「無理だな」
前半だけ、なんとか小差でもって、
「体格差をもろともせずに、善戦したね」
と声をかけて、あげるだけだ。
あんなに大きな体に持ち上げられ、叩き落されて…
「どこまで善戦するか?どこまで少ない点差で行くか…
どこまで行くか…
前半まで、もつか…
後半、半ばまで行くか…
え?あと10分!行かない。えっ!

人生には、まさかという坂があるが…
ラグビーには絶対にない坂が、「まさか」である
いやぁ〜驚いた。滂沱と涙が溢れた。
泣いていないのは、選手たちだけだった。
「必然だ」と…

海よ、もうノーサイドだ!

いつもなら釜石に駆けつけているのだが
長いこと歩けない足とスタミナ。
短時間にトイレに駆け込む尿意。
じっと我慢の自宅のワールドカップが静かに始まって、一週間が過ぎようとしている
そして、改めてラグビーを知った。


ラグビーの観客席は、敵味方が一緒だ。
だから観客席のウエ〜ブが、成立しないという。
見ていると、最初起こるが…途中で消える
なるほど…

 サッカーのレフリーは、厳粛、且つ独裁です。
その為、判定や、いきなりのイエロー・レッドカードに選手の暴言やブーイングだけでなく、
観客同士の暴動(戦争迄?)に繋がることも有ります。
また、試合中のレフリーを欺く、シミュレーションも巧みですが、
芝居がバレるとピンピンします。それもサッカーの魅力という人もいます。
 一方、ラグビーのレフリーは、信頼、且つ尊敬です。
試合中は仲間や相手チームだけでなく、レフリーに対しても強いrespectがあります。
サッカーのタッチジャッジは、ラグビーではアシスタントレフリーと言われ、
レフリー達はいつも連携してます。
それでもわからなければTMO(映像判定)を使用します。
選手達は判定に従い、観客からのブーイングはありません。
試合中も、レフリーは厳しいながらもフレンドリーに捌きます。
それは、反則を見つけて罰を与えることよりも、選手の安全を守りながら
スムーズに続行することを、目的としているからなんです。
なるほど…

海よ、もうノーサイドだ。
海は。厳しい友である。

子どもたちに教えてもらった。

目標を持たないという目標

20年前「身土不二いわて」という会を立ち上げ事務局をしていた。
いつの間にか消えた。
と言うよりも事務局長自身(小生)が、入院の回数も重ね、
体力・気力ともに衰えた。と言うか…

「身土不二いわて」は農民と市民の交流団体という位置づけだった。
商品の売買は取り扱わない。
そこから生まれてきたものを大事にしよう、というコンセプトだった。
組織であって、組織ではない。
いつでも入会しても、いつでも退会してもいい、という団体だった。
長く続けるのが良いという固定観念が有る
人を集めて拡大していくのが良いという固定観念が有る
多分、それは拡大経済社会の自縄自縛の固定観念ではないか…

「身土不二」という言葉は身体と土は離れられないという概念である
つまり人は、土にへばりついて生きていくという言葉である
所詮、大きくならない、所詮、離れられない。 所詮、動けない。
ということである。

ところがいつの間にか、多くの人は目標を掲げ、成長して頑張るという生き方が良いという方向に行った。(西洋との開国以後)
当然、人間の集団である組織も社会も、そうなっていった。
 身土不二いわてを解散するときに一人の中心人物が
「目標のない組織なんて続かない」と言い放った。
全くそうなのである。続けることが目標ではない。
目標を持たないことが、目標なのだ。

今の社会、目標を持って頑張るという生き方が息苦しくなってきた。
だんだん、息苦しい人達が増えてきた。
そして多くの人は権力(政治・経済)にすがり、組織に頼ろうとする
現在の資本主義社会の組織は、拡大していかないと、使命を果たせない。
組織の拡大は、人と人を縮小させ、息苦しくさせる。悪循環である。
縮小していく組織は、多くの人に衰退というイメージを与える
衰退は悪いことだというイメージ、衰退でもいいではないか?
イギリスは、植民地から品格有る撤退を成し遂げ、
今でも友好関係を保ちながらリーダーシップをとっている。

従来の「成長」や「発展」という言葉が、おぞましくなる社会。
それが、これからの目指すところではないか?
新しき組織、新しき経済、新しき社会が今求められる。
と思うのは、思いすごしだろうか…

循環

巨大台風による大停電、局地的豪雨による大水害、暴風雨による竜巻や突風、
多くの異常気象がニュースで流れる。
気候の大変動の予兆としか考えられない、

先日の9月20日「グローバル気候マーチ」が全世界で行われ、多くの人が参加したという。そしてこれを企画した16歳の少女グレタ・トゥーンベリーさんは国連で「経済発展が、いつまでも続くというおとぎ話」というスピーチをした。
確か似たような話をした覚えが…

探してみたら2000年(20年も前の話だが…)世界の環境問題を提起しているワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウンを岩手県に招いたときに青年会議所が開いたシンポジウムの同時通訳をしていた枝廣淳子さん(環境ジャーナリスト)のブログが出てきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これまで通訳として、数百のシンポジウムに参加しています。ワールドウォッチ研究所のレスター・ブラウン氏を招いてのシンポジウムだけでも、数十回を数え ます。基調講演はともかくとして、本当によいパネルディスカションに出会う機会は、実はそれほど多くありません(それだけに出会えれば感動します)。
 パネルに参加することで、レスターが新しい知見や見方が得られたか?これまで本にも講演にも出てきていない、レスターの新しい知見や見方を引き出せたか?これらがイエスだと私は「良いパネルだったなぁ」と思います。

5月25日の「エコ・フェスタ2000 in 盛岡:環境フォーラム」は、私の「レスター史」に残る、とてもよい会でした。うかがうところによると、岩手県と盛岡市がお金は出しているが、口は一切出さずに、まったく実行委員会に任せてくれているとか。こういう、行政がお金を出しているときにありがちな「県や市の代表者の挨拶」も一切ナシ。
 司会者が「本日は増田知事も聴いていらっしゃいます」と告げただけ。実行委員長の飾り気のないご挨拶だけで、開会して5分後には、
get down to business:本論に入ったので、通訳ブースでも「やるねぇ」との声。事前の打ち合わせも、形式的な打ち合わせではなく、実行委員の方々がどういう思いで、何を目的に、この会を開催されているかがレスターによく伝わったので、レスターは用意してきた講演内容を半分ほど入れ替えて、要望に応えようとしました。これも良かったと思います。

パネラーは、小岩井農政の野澤常務、宮沢賢治研究家で福祉バンク事務局長を勤める牧野さん、それから「小さな野菜畑の大きな百姓」こと小島さんでした。

小島さんはユニークなご経歴の持ち主で、拡大経済社会の先兵として20年近く営業マンと勤めたあと、農業に入られた方です。農業でも「効率生産、付加価値 販売」で利益が上がると思っていたのに、悪戦苦闘の連続で、その中で、農家直売所を立ち上げ、身土不二という会を作られました。「身土不二」は、仏教では「しんどふに」、東洋の食哲学では「しんどふじ」と読むそうです。その心は文字通り、「身と土、二つにあらず」。
仏教では「地域の風土と共に人間の存在はあるのだ」ということ、食哲学では「地域のものを食べることが体にいいのだよ」と説いている言葉だそうです。

私は小島さんのお話に大変感動したので、かいつまんでご紹介したいと思います。(あの大きなお体から醸し出される、何ともいえない優しい温かい雰囲気はお伝えできないのが残念ですが)小島さんは「環境問題は、拡大経済社会の産物である」とおっしゃています。多くの人が「大量生産、大量消費、大量廃棄の社会が環境問題を起こしたから、これからは循環型社会を」と説いている。が、循環型社会がどういう社会なのか、理解できていない人が多いのではないか。
小島さんは、内山節という哲学者に価値観を変えられた、とおっしゃっていますが、この哲学者は、「循環型社会とは、生産力が増大しない社会」とおっしゃっているそうです。
でも、生産が増大しない社会を皆さんは想像できるでしょうか?と小島さんは問いかけられました。売上も利益も給与も、税収も増えていかない社会ですから、今の企業や行政のシステムの全否定に繋がる、と。
企業は銀行から借金をして投資をして、利益の増大を図るという手法、行政は公共事業という投資で民間の活性化を行い、税収を増やすという手法はすべて否定されるのだ、と。
これまで拡大経済社会に生まれ育ってきた私たちが、そこから抜け出るには大きな価値観の変換が必要となります。
ところが、循環型の産業がひとつあります。それが農業です、と小島さん。単位面積当たりの収量は年を経ても増大しないし、20才の人間が作っても40年農業をやってきた人がつくっても、大した差はないという産業だ、と。
コメは理論的には10aあたり最高24俵取れるというそうですが、そうすると、翌年には地力の収奪のため収穫が皆無になるとか。つまり農業にとっては、安 定して一定した量を収穫できることが最高の技術なのです。まさに循環型社会を象徴する産業ではないでしょうか、と結ばれたのでした。

小島さんのグループ「身土不二いわて」は、食の安全や農業の将来を思い、地域自給や環境を考えて、市民と農家が交流する会だそうです。
これまでのプロジェクト、名前を聞くだけでもとても面白そうです。「賢治の米を作ろうという陸羽132号の稲作体験」「手前味噌のダイズを作ろうというダ イズ栽培から味噌造りまで」「林檎の花見」などなど。その他講演会など、農家と市民がいっしょに学び遊ぶ場を作ろうと一生懸命やっています、とのこと。

パネルディスカションの中で、小島さんに「が〜ん」と目を開かされた気持ちになった言葉がありました。「有機農業は、消費者に安全な食物を届けるためではなくて、土地をどう持続可能にするか、ということなのです。ですから、輸入有機農産物は、日本のためにはなりません」。
「循環型社会」といったときに、資源やエネルギーの循環のみならず、「栄養素」の循環も非常に重要な側面であることは認識していましたが、さらに教えていただいた思いです。

岩手県には、町内あげて栄養素の循環に取り組んでいる(人や家畜の廃棄物を堆肥にして、土に戻し、その肥やしで育てた作物を、その町で食べるようにする)取り組みがいくつかあるそうです。
栄養の循環を考えると、各地で小さな循環を数多く作った方が、輸送などのエネルギーを考えても、望ましいのです。レスターもこのパネルで「顔の見える農業」という言葉を使いました(瞬時にそうだ!と思って訳したので、英語でなんて言ったのか覚えていませんが。
身土不二。良い言葉を教えていただきました。
^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ここまで引用〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ラグビーの精神

ワールドカップのラグビーを見て、違和感を感じる人がいる。

日本というチームなのに、なぜ外国人が異常に多いの?
単なる助っ人?
それとも、何人までと決まっているの?という違和感だ。
小生も以前は、そういう違和感があった

これは、スポーツの歴史と文化の違いの為せる技である。
中世のイギリスで、手も足も使っていい原始フットボールというゲームが生まれ、
1800年頃は、ハイスクールが各校で独自ルールをつくって行われていた。
ラグビー高では、エリス少年が1823年にボールを抱えて走り出したのがラグビーの始まりと言われている。
1863年、イギリスで共通ルールを作ろうという動きがあり。
手を使っていけないサッカーという競技と、
ボールを抱えて走っても良いというラグビーの競技が別れた。

ちなみに「万延元年のフットボール」という大江健三郎の代表作と呼ばれる小説が有るが、
多分、サッカーとラグビーが別れた経緯を書いた小説だろうと思って
高校生の頃を買いもとめ、本棚の隅に積ん読して未だ読んでいないのは小生だ。
万延元年は1860年。

サッカーとラグビーが別れた1863年ごろ、日本は江戸幕府から明治に変わろうとしていたころだ。
そしてイギリスは、領土を増やすために庶民地をどんどん増やしていった。
その植民地対抗で、ラグビーの競技が盛んになっていった。
国ではなく、その地域で、その人達が楽しむスポーツとして…
だから地域のクラブスポーツという意味合いを持っていた
今の強豪国は、英国自身も4つの地域に分かれ(イングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランド)
そして植民地(ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカ)
そして隣国のフランスが、8強と呼ばれているが…

よく言われるがラグビーの精神は
試合が終わればノーサイド(敵も。味方もない)
一人が皆のために、皆が一人のために…(one for all all for one)
植民地政策から品格有る撤退を成し遂げたイギリスの精神

国民の代表である野党やマスコミ、そして被災地と真摯に向き合い、
周囲の国と仲良くしながら、大国に媚びず、単なる勝ち負けにこだわらず、
そんなラグビーの精神を見習う日本の政治に期待するだけである。

飲水思源

やるべきことが沢山ある。
しかし、とっつきにくいと言うか、取りかかれない。
こういうときに、すぐ他人のせいにする悪い癖の入道である。
今回はワールドカップのせいである。
9月20日に始まって、まだ5日も立たない、最終が11月3日だというのに…
面白すぎるのである。
いつもいうが、サッカーは動きがなくて、トイレに立った時、点が入る
ラグビーは、トイレに立つヒマがない。
利尿剤を呑んている初老の男は、ハーフタイムまで我慢するしか無い。
トイレに立つ瞬間に試合が動くのである。
油断も隙もない。

昭和40年代は、戦後のスポーツは体力増強と団体規範のような運動だった。
中学校・高校と全員授業後の部活に入るシステムになっていた。
県立高校に入った小生は、当時中学校の授業でならった、サッカーをやろうとおもった。
中学のサッカー部の連中に誘われたからである。
ところが岩手県の高校には、あまりサッカー部がなかった。(あったかな?)
外で大きなボールを投げたり蹴ったりするのは。ラグビーだけだった。
しかたなくラグビー部に入ったのが、最初の出会いである。
当時、ラグビーをやるのは工業高校だった。商業高校は野球だった。
どちらかと言うと就職に有利ということで職業高校が運動部が盛んだった。
だから試合をすると、普通高校はいつもボロ負けだった。

大学も、入学式に先輩に見つかり仕方なく、ラグビー部に入った。
4年間アルバイトと、ラグビーに泥まみれに毎日だった。
その頃であろうか、大学ラグビーが人気になってきた。
大学が名前を高めるために運動部推薦の枠を設け優秀な高校生をきぞって入れた。
そして野球は早慶戦。ラグビーは早明戦がもてはやされた。
そこへ彗星のように現れたのが早稲田の宿澤弘朗であった。
埼玉出身の彼はラグビ−選手とは思えないほど身体が小さかった。
しかしそれ以上に体力任せの推薦入試のラグビー部の中で、
難関の早稲田の政経学部に一般入試で入った秀才だった。
当時日本選手権は、大学と社会人の優勝者で争われ、彼が2年と3年のときは日本一に輝いた。(4年時は学生選手権で明治に負けた)
その彼が大学卒業して銀行に勤め、ラグビーから足を洗ったが、
その解説や分析力を請われ。日本代表監督となった。
その緻密な情報収集力とチームに自信を与える言葉は未だに色褪せない。
そして1989年5月28日秩父宮で、初めて8強のひとつスコットランドに勝った。

彼は銀行で専務まで上り詰め、亡くなった
彼とは、同じ世代である。
「水を飲む時井戸を掘った人を忘れず」という。
ここ数年の日本代表の活躍は彼から始まった

彼の座右の銘
「努力は運を支配する」「勝つ事のみ善である」

穴場

木伏緑地「きっぷしりょくち」

「木伏緑地」へ、行ってきた。
こんな”緑地”聞いたことがない。
どこに有るのだ?
木と言う名がついているから山か?
と思ったら、川のそばだった!
この前、新聞で話題になっていたが…
PFIという市民公募型の施設で
「トイレを作ると言いながら、飲食店ができている」
と言って…商店街から、横槍が入った!
と問題になった施設の公園だ。

一回通ってみると「なるほど、これは面白い。」
ひょとして、企画書に説明は有ったが、気が付かないというか
問題にするほどでもないと、たかをくくったのか…
しかし、”良くできている”「これでは、客が流れる」と慌てたのか…
この発想は、昔の人というか…常識人と言うか…公務員とか…
商売人というか…経営者にはない発想だ。
 まず土地が細長い、車が入れない、入りにくい。
 川が近い。ダムの放流 増水。反乱するとどうなる?
 店が狭い(コンテナハウスのため)
 ウッドデッキは、借景として河川敷の芝生があるが…
 雪の冬場や、雨のとき、カンカン照りの夏も使用できない
色々と考えると、従来の飲食業の立地条件としてはマイナス要因ばかりである。

しかし、考えようによっては、イケるかもしれない。
まず雰囲気がいい。ビルの谷間にあった、川の流れが見える場所である
盛岡は、世界で一番という友人がいる
それは親水性である。川と親しい。通常川に落ちないように柵が設けてある
ところが中心部で合流する北上川・雫石川・中津川と三本の川は、川辺に降りられるようになっていて、できるだけ柵を作らない工夫をしている。
まして中津川は、海から200kmも鮭が上ってくる川で
秋になると、橋の上から覗き込んで見るのが名物だ。

近頃は、こだわった飲み物・食い物が、ちまたに山ほどある
雰囲気も和風・洋風から、なんでもあるといっても良い。
ところが風景は、ここにしか無いという唯一無二の場所である。
こんなところで
静かにぬか漬けで、モッキリを傾けたい、
安いビールで焼き鳥を…
川を見ながら、上司の文句を忘れ
家に戻って、聞きたくない嫁さんのグチを聞く準備をして
いっぱい呑んで帰りたい
サラリーマン時代のころ、よく行った穴場を思い出した。

グローバル気候マーチ

一人の女の子が、初めたという。スエーデンの女の子だという。
高校生のグレタ・トゥーンベリさんは、昨年8月から毎週金曜日に、
学校を休み、国会前で一人、気候変動対策を求める抗議を初めたという。
そのスクール・ストライキに参加し、フライディ−・フォ・フューチャー運動の参加者が、世界で数百万人になったという
今年の9月23日に国連気候サミットに、その声を届けようとSNSで拡散し、
9月20日、グローバル気候マーチを開催する動きが、世界中に広がった。
それを見た金ケ崎の女の子が、フェイスブックで呼びかけた。

行ってきた。
集まっているのは20人ぐらい。ほとんどが20〜30代
見かけた顔が二人。
取材のOさんと、三陸の海を守る会のNさんである。
そういえば、再稼働反対の会も女性がスタートだという
20代30代の若い女性の行動力には脱帽だ。(ついでに脱毛?)
再稼働反対の会は、警察も厳しい対応をしたが、今回はフレンドリーだ。
デモは道の真ん中を歩かせてくれる。
警官が5人もついて信号や車の対応をしてくれる。
言葉遣いも丁寧で、にこやかである。
なんだこの違いは…

途中、横断歩道で停められた若い女性は
「横断歩道で立ち往生させられて…」とブツブツ言っているのが聞こえた
20〜30人の紙製のプラカードを掲げて踊り
ビートルズの「all you need is love」を流しながら歩く集団は
奇異に移ったようだ。何が通っているのか…、不思議なものを見るような…
最後は、開運橋のたもとの河川敷から、
橋を渡る人たちや、土手を歩く人達に、下から呼びかけて終わった。

グローバル気候マーチ?開運橋編
階段が降りれないので上から目線

この気候危機への緊急対策をもとめるグローバル気候マーチにしても、原発の再稼働をにしても、若い人たちが、様々なデジタルな手法で、スピーディに流してくる。それを受け止めて地域のスローな受け皿をつくるのがアナログの年寄りの役目か…と思う今日このごろ。
足のむくみが、ひどくなった(泣)
膝の靭帯が…(大泣)

月別アーカイブ : 2019年9月