ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

誇り1

たぶん子どもの頃、このあたりを駆けずり回って遊んだだろうと思う
岩手山が優しく見下ろす盛岡の鬼門と言われる北側の一角である。
お寺からは、にぎやかな音楽と喧騒が流れてくるが、
町中にあるのに、何軒ものお寺の共同の墓がある閑静な場所である。
そんな場所に、まんじゅうを伏せたような墓石の墓がある。
こんなところに眠っていたのだ。先代の住職は…
隣には「朴」という(韓国の女性だろうか…男性だろうか…)
墓と並んで立っていた。
倶会一処という墓を作り、生前の会費制で、誰でも入れる会を作ったという
そして身元不明の人など役所の要請で誰でも受け入れるという
アメリカ原住民を泊めて一騒動おこした住職らしい場所である。

先代の住職の墓石には、掘った名前が消えているのだろうか…
もともと名前なんか掘っていないのだろうか…
墓石を隅々までみても。それらしいものが無い。
しかし、その変わった形を見れば。それが専立寺代々のお墓とすぐわかる。
そろそろ1周忌がちかい。木枯らしが吹く11月だったから
盆明けの8月も末は、秋風が吹き始めるころなのだが…
まだまだビールの美味しい暑い夏の最後
「大菩薩マーケット」と言うお寺の行事にしては
にぎやか過ぎた行事だが、これが最後のマーケットだという音楽が
墓場に響いていた。
おもえば先代の住職も、変わっていた。
昔は、人が集まるところがお寺だった、と言っていた。
「寺は部落の…村の集会所だ」と
変わったお寺だったが、変わった住職だった
それに魅せられたのかもしれない。

熱力学と経済(?)

猛暑日になるという。
魔子様は、日課のウォーキングから戻ったら
「外は暑いね」と汗を拭った。
庭の木立を抜ける風は爽やかである。
木々をわけて室内に流れてくる空気は、葉から冷気を取ってくるのだろうか
家の中に入り込む風は、冷たい。

そんなとき、ふと考える。
外の暑さと部屋の爽やかさと…
その温度差が、どこから出てくるのか?

ある科学者が言っていた。
世の中に絶対に正しい法則(?)は一つだけ
「熱力学第二の法則だけだ」と聞いたことがある。
熱力学第二法則というのは、熱は高温から低温に移る(?)というものらしい。
そういえば低温から高温には移動しないし、温度も自然には上がらない。
当たり前だ!と思うのだが…
どうやら、そういうことをきちんと、言葉や文字で証明するのが科学らしい。
 話が飛んだが、外出からもどって家に入ると太陽から遮断され
太陽の熱(輻射熱)を浴びたものから、熱を放射され体が熱く感じるのに、
家の中は太陽から遮断された空間のために、ひんやりと感じる。
それだけではなく、家の中を通り抜ける対流熱は、体から熱を奪う
なるほどだから、熱力学第二の法則絶対的真理なのか…

そんなことをふと考えると
時の政府は経済第一というが、経済という仕組みは不思議だ。
経済とは、明治のときに経世済民から福沢諭吉がとったという話がある。
経世済民とは「世をおさめ、民をすくう」ことから来ている
それがいつの間にか、金の流れを円滑化することや、金を使うことに矮小化されてしまった。
本来、ものの流れを速やかにして民の暮らしを助けるべき仕組みの補助が、
貨幣であるのに…
貨幣を集めて大量に動かすことが、主眼になってしまった。
兌換紙幣である貨幣の価値を高めることが大きな意味を持つことになった。
そこにあるのは変わらない価値をもつ貨幣への愛である。

熱が高温から低温に移るように…
経済とは、民をすくうために、物の移動やサービスをすみやかにするべきものだ
そのために有るところから無いところへ速やかな移動のための貨幣だったのだ。
それが人々の移動を拒む貨幣愛に、経済の問題はあるのかもしれない。



最後のお願い

最近聞き慣れない外来語ばかりになってきてしまう
聞き慣れないだけなら良いが、覚えられない、それが問題だ。
老化と言いたくないが、時代についていけない
外来語を、いちいち検索しないと理解できないが、
検索してもリノベーションとイノベーションの違いがわからない
というか「日本語で言えよ!」という感覚だ。
だんだんと、”あちら”と一緒で機能不全に陥ってしまう。

以前に誰からか聞いた。
「盛岡でパフィーをやるんだってよ」
「なんだパフィーて、歌でも歌うのか?」
昔はビーナッツとか、スリーグレイセスとか、女性のグループと想像ができたが
最近は名前から想像できない、これは創造力の欠如か?
なんでも市民公募のコンパだという、
皆で呑むのか?と思ったらコンペだという
コンパとコンペは何が違うのだ。
わかるように言え!と思う今日このごろ。

で、ようするに岩手公園の中に芝生を削って土産物屋を作るという話だ。
なんでもファッション業界のブランド・メーカーという。
そんな現代のメーカーは知らない。
昔、服飾メーカーといえば
レナウンとか、小杉とか、樫山とか…
婦人物では東京ブラウスとか、ニコルとか、ファイブフォックスとか
丸高衣料とか、サトウニットとか、東京スタートとか…
要するに昔、若いときに付き合っていたアパレルメーカーだが…

と言ってもこれは若者の選択である。
目先の売上の話は、年寄りでいいが…
町のあり方を変えるというのは若者である。
そして20代30代の若者が、自分の子供達にどんな盛岡を残していくのか…
新しくものを作って変えるというよりも
変化の激しい時代、先の読めない時代
子どもたちのために孫たちのために何を残すべきなのだ?
そんなことを考えないと、ただ目先のことだけで
後悔をのこすことになる
そんな思いを持ちながら、
スピーカーを鳴らして走る街宣車の「最後のお願い」を聞いた。

しかし、大胆だね。岩手県民だったらあそこに建てるという発想はできない。
いやあそこで、ものを売るという発想はできないだろう。
最近、何でもありの時代であるから仕方がないのか…
ただ、若者はどう想っているのか?
以前、ショッピングモール設置の意見交換会で
ある若者が「反対すると盛岡は遅れてしまう」という意見があった
まさに今、遅れないで皆と一緒、一斉に同じ町並みになってしまった。
岩手公園の芝生でそんな展開をすることが、岩手らしさにつながるのだろうか
同じ失敗をしてはいけない

百日紅

庭の百日紅

「庭の百日紅が満開である。」
と言う
「どこが…」「どれが…」
庭の木々を見て皆が問う

百日紅は、昔、と言ってもそんなに昔ではない。
戦争が終わって40年も経った頃だ。
戦争と言っても日露とか日清ではない、先の大戦だ。
つまり昭和の末期ごろ鎌倉の極楽寺に行って、
初めて百日紅という木の名前と、その由来を知った。

百日紅は「さるすべり」と呼ぶ。
木肌が滑るように木の皮が剥げてつるつるのように見えるのである。
まるで猿が滑り落ちるような木肌である。
そして真夏の盛りに真っ赤な紅色の花を長い間咲く。
百日も咲くかのように…
極楽寺の百日紅は、低木のこんもりとした百日紅だった。
そんな木になるだろうと庭の片隅に植えていたが、
いつの間にか、ヒョロヒョロと仰ぎ見るような木になってしまった。
植物というのは、太陽を求めて背が伸びるらしい。
十分に陽光が当たる環境にあると、まんべんなく成長するが
陽光が少ないと、太陽を求めて高く高く伸びていくらしい。
そんなわけで、狭い庭で木々に囲まれた百日紅は、上へ上へと、伸びた。

今年の紅は、鮮やかである。
青空によく映える。

護美箱

母屋がある。
母が暮らしていたところだ。
いま母は施設でタンスが一個とベッドだけでシンプルに暮らしている
暮らしていた母屋の片付けが大変である。
何十年前のものが、積み重なってある。
母親に聞いても無駄である。
何を言ってもニコッと笑うだけである。

仕方がないので魔子様と一緒に片付けている。
片付けないと、後が入らない。
片付けると言いながら、ゴミ処理に出すのだが、
ゴミ処理が細分化されて、まごまごする。
「ほら”プラ”と書いてあるでしょう」と言いながら
「それは汚れているから、生ゴミよ」と指示される
全く最近のゴミ出しは、難しくてわからん。
人間のゴミは、簡単に見分けられるのだが…?

魔子様の東京の下町の実家などは、間違ったゴミを入れると、
ゴミ袋を開けて犯人を特定して追求するという。
そこまでは行かないが「あそこのうちは、だらしない」と言われるのがつらい。
と言いながら「これぐらい良いか…」とちょっと舌を出す。
しかし、新興住宅地などは町内会などに若い人が顔を出さないという。
そして町内会のゴミ当番もやらないという。
それでは、コミュニティはできるのか?
街の中が汚いと言って、行政にすべてやらせるのもコストが高くなるだけだ。
と言いながら自分も最近になって町内会長が誰か、見分けられるのようになった

しかし、紙と木と食べ物だけがゴミだった時代が懐かしい
その頃は「護美箱」だったのだろう
江戸末期や明治初期にきた外国人は、驚嘆したという
あまりにも、整然とした田舎や町を見て

「日本人は質素だが清潔であった」

軽くて安価なプラスチックなど素晴らしいモノを生み出しながら
その簡便さと大量生産で、我々は、川を森を海を汚してしまった。

月別アーカイブ : 2019年8月