雨降りのとき高速道路を軽自動車では、弱高齢者は危険が危ない。
と言って長距離バスでも、道路が混んで時間が読めない。
手甲脚絆で歩くのも江戸時代ではあるまいし、とんでもハップン。
足も痛いし、荷物も持ちたくない。

そんな訳で、自宅から歩いて5分の山岸駅から電車に乗って、仙台へ向かおうと家を出た。
自宅がある山岸は、駅がある。バスの駅ではない。と言っても道の駅でもない。
国鉄の駅でもない。三陸鉄道の駅だと思う。
盛岡駅から二番目、最初が上盛岡駅、そして山岸である。近い。
スムーズに乗り換えができると、わずか3時間以内で東京駅に降り立てる
東京都内にいるよりも早い。
エレベーターが動かない新宿の高層ビルの最上階から歩いて来るよりも早い。

だから新幹線と思ったが、いつものこと魔子様は、肝心のものを忘れる。
あるき始めて5分。
「まだ時間ある?」「ん?」
「携帯を忘れた」と言って、慌てて山岸駅を目前にして戻った。

仙台の目的は「饂飩」である。
読めない人のために、カナをフルが「うどん」である。
生まれて、はじめての食べ物の思い出というのは「うどん」であった。
小学校4年のときに、仙台から岩手県の北上に引っ越してきた。
まだ寒い3月だっただろうか、4月はじめだっただろうか…
家は建てたばっかりだったと思うが、同じ作りの家が何軒も並んでいて
たまたま一軒空いていた。当然である
隣が製材所だったのである。あとから気がついたが
毎日毎日、ゴオ〜っという大きな丸鋸で丸太を切っていた。
音がうるさい。
建売の住宅だったが、そこだけ売れなかったのである。
建てた建築会社が、社宅として用意したのも当然
そこへに移ってきた社員の家族が、僕らの一家だった。
明日から、うるさい毎日が始まると知らずに
静かな夜に、初めてだろうと思うが出前なるものを頼んだ。
こたつ布団が無いまま、こたつに足をツッコミ、すすったのがうどんだった。
真っ黒な汁に、奇妙にしろくて長いものが横たわっていた。
塩辛かった

それ以来だから、うどんとの付き合いは、60年になる。
魔子様よりも長いのである。
しかし、うどんの歴史は、小生の人生よりも長いようだ。



焼却炉を買いに行った出張先の高松で讃岐うどんを始めた食べたときの感動。
年末のデパートの配達のアルバイトをしていたときに先輩が作ってくれた
おっきりこみという名の煮込みうどん。
秋田の稲庭うどんを、銀座で食べたときのおどろき。
ラグビー部の先輩が、婚約者の群馬のばぁちゃんが、
あっという間にむしろを引いて庭先で打ってくれた水沢うどんの衝撃。
新入社員のときに、近くにあった「おっぴぴ」と言う名の
まだ讃岐という名は知れ渡っていなかったころ新橋のうどんや。
 
「たぬきうどん」と言って、みんなに笑われた大阪国際ビルの地下のうどんや
(大阪では たぬき=揚げがのったそば きつね=揚げがのったうどん
 はいから(天かす=東京で言うたぬきうどん)

御堂筋で食べた、豪華な美々卯のうどんすき。
名古屋へ行ったらかならず天ぷらきしめん
出張帰りは、いつも東京駅の地下の博多うどんの「ごぼ天うどん」
ミナミとキタを往復しながら呑んで、〆に屋台で食べた「三塁打うどん」
その隣で食べたデザイナーの女が注文した「ホームランうどんの麺抜き」
山梨に行ったらかぼちゃのほうとう。
博多へいったときの「かろのうろんや」
そして子供の頃、毎日のように食べた「たまうどん」
うどんの思い出は、体が重いで…というほどあるが…

 蕎麦を食べるようになったのは「池波正太郎」を読む30代からである。
そんな人生の大決算を「うどん」でしようと思う次第です(大げさ)

仙台の佐藤さんから二軒の店を紹介された。
流行っている店と、流行っていないない店紹介するから…
「行ってみな?」
二軒とも腰があって汁も美味しかったが…
自分の想っているうどんと、ちっと違う。
確かに今のはやりと、前のはやりではあるが
これからのはやりではない。
それを探しに行ったのだが…
ひょっとしたら確かめに行ったのかもしれない。