産直はもう、おしまいだろう。
もう十分に産直の良さも難しさもわかって、成熟期を通り過ぎたような気がする。
もう当初から、野菜畑は主張していた。
岩手の産直は、7月から10月の4ヶ月しかものをふんだんに無い。
だから4ヶ月で、あるだけ売れればいいという発想で経営的になりたつのか?
また直接市民に売ることで、街の八百屋にどういう影響を与えるのか?
結局、街の八百屋が消滅し、農林省が自治体に運営を任せている市場機能も八百屋が消えて赤字である。
そして街なかには「八百屋・肉屋・魚屋・〜屋」というものが消えていった。

残されたのは買い物難民と呼ばれる、車を持たない人々や、高齢化した世帯など弱者の世帯だけが、声なき怨嗟の声を上げ始めている。
ちいさな野菜畑は、最初から市場流通を入れて足りないものを補完しながら相場と農家の間を取り持っていた。

今、多くの人は言う「産直は安くないよ!」と…
日々の相場がわからない農家は「なんでも100円」だったのが、100円が安いと気がついて値段を上げ始めた。
しかし、買う八百屋のいない売れない市場は、どんどん値段を下げ始めた。
だから街なかには、値段が逆転しているものが多々見られる。
産直は高いのである。
良いものが高いならわかるが、良いものを見る目を消費者は持っただろうか?
いや生産者自身が、わかっているのだろうか?
生産者にとって良いものというのは、農協規格や量販店規格に対応しているのが簡単に金になる良いものなのである。
お客と農家は、良いものが違うのである。


野菜畑が取り組んできた「説明して、わかってもらえる良いもの」などは面倒くさいもので、だいたいが多くの人はわかりやすく説明できないのである。

説明して納得して買うものが、日々の糧になるべきなのである。