ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ロングランⅡ

家族というのは厄介なものである。
人生の最後までつきまとう(?)
それだから信頼するし、頼りにする。
そして親は育て上げないと…と思いながら育てられる。
子供は親を見上げながら、自分自身と重ね合わせる。
小さな頃はいいが、だんだん社会が広くなってくる。
人間は社会的動物であるというが、家族でもある。

その葛藤の中で生きているのをまざまざと吉塚一家は見せてくれた。
ここまでフィルムに収めたのは遠藤監督と吉塚一家の信頼のなせる関係であろう。

農業の世界に飛び込むと、父親と長男の軋轢はよくみる。
いや、それしかないだろう
「早くオヤジが死ねばいい」と思っている息子のなんと多いこと
しかし、それは自営業のなかでも見られる。
親と子、自分の人生(経験)を教え込もうとする親
新しき社会を切り開こうとする子供との軋轢である。
あたり前のことであるし、誰もが経験することである。

あの荒れ狂う自然の中の片隅で一家が寄り添って生きる。
そこには吉塚公雄の一家を守るという責任感が牧場を覆っていただろう
そして、それには若い頃薫陶を受けた猶原先生の
「山地酪農は千年続く酪農」という言葉が重くのしかかってきているだろう
自然という大きなもののなかで、何を信じで生きるか?
彼にとっては猶原先生の言葉を信じ、家族を頼りにして
大きな自然と闘ってきたのではなかろうか…

しかし、自然と戦うべきなのだろう?
ある農家の会で先生の指導する方法と違うやり方の人がいた
理論的にも納得でき、現実的であるにもかかわらず。
小生は「先生!なんで先生の教え通りやらないのですか?」と聞いた
そうすると先生は
「場所・場所によって、自然も違うし、自分の条件だって違うのだから、違って当たり前なのだ」
と、こともなげに言い放った。

基本の山地酪農があって、
その人なりの多様な山地を作り出して、家族のなかに人が集まり、
多様な家族ができる。
そんなことを、ふと感じた

吉塚公雄は基本に忠実な、いや猶原先生との…客との…約束をしながら
家族を守ろうとしている。
そのあまりにも、しんどさを見ていて涙が出てくる映画だった。

ロングラン

ロングランの映画を見てきた。

サンビルで営業をやっていると、ほとんど興味あることができない。
一日、棒立ちで、ただただ時間がすぎるのを待つだけである。
時間がもったいないので、せっせとぬか漬けの研究に勤しむ。
しかし、そんなに技を極めても食べてくれる客が来なければ、単なる野菜くずである。

しかし、そんな日々から開放された。
ようやく一日フルに自分のために使うことができるのである。
サンビルでの営業を辞めたである。
とりあえず孫たちが来たので一日遊んだ。何年ぶりだろう。
そして本来は6月6日終了するはずだった「山懐に抱かれて」を見に行った。
盛岡の映画館にしては珍しく、延長延長でまだやっていたのである。
一日一回、朝の時間だけであるが、それでも50人ぐらいいただろうか?

あらすじ(公式ホームページから抜粋)

「みんなが幸せになる、おいしい牛乳をつくりたい」
山の牧場を切り拓く吉塚一家。
雨の日も雪の日も、泣いた日も笑った日も、
その歳月はいつも家族とともにありました。
美しくも厳しい岩手の自然を背景に綴る長編ドキュメンタリー

牧場俯瞰

岩手県下閉伊郡田野畑村に暮らす、5男2女・9人の酪農大家族。
一家が営むのは、一年を通して山に牛を完全放牧し、大地に生えるシバと自前で栽培する牧草だけを餌に牛を育てる“山地酪農”。自然の営みのなかから生み出される、その理想の酪農の実現を胸に、大学卒業後この地に移住した父・公雄は、山を切り開き、シバを植え、牧場を育ててきました。

プレハブの家でのランプ生活が続くなか授かった7人の子どもたちは、父の背中を追うように牧場を元気にかけまわり、手伝いをし、すくすくと育っていきます。夏には冬のための草を刈り、秋にはヤマナシの木に登ってその実をオヤツに、冬にはみんなで薪を拾い、春には仔牛が生まれる…四季の風景に彩られ、休むことのない牧場の暮らし。

一方、自然とともに歩む“山地酪農”ゆえの課題は、次々と一家の暮らしの前に立ちはだかります。
限りある乳量、広さに応じて決まっている牛の頭数、販売価格の調整…ジレンマと闘いながら試行錯誤を繰り返す日々は続きます。
みんなで囲む楽しい食卓、周囲の支え、成長した子どもたちと頑なな父との衝突と葛藤、そして仲間とともに踏み出したプライベートブランド《田野畑山地酪農牛乳》設立への挑戦、第二牧場への夢————。

山懐に抱かれて、365日24時間“いのち”と向き合いながら、愛情いっぱいに育まれるその営みを大切に綴りました。

彼との出会いは平成7年ごろだろうか?
まだ牛乳を作っていないころ、大学の教官の定年退官講義だったと思う。
たしか、共同経営(?)というもうひとりと一緒だった。
それからあちこちで出会い、牛乳を作り始め当店との取引をお願いした。
しかし、吉塚は頑固に断った。
最初にあったときの共同経営者(?)と取引をしていた小生には遠慮があった。
取引が始まって、たぶんヘルニアで自宅で横たわっていたときだろう、彼は見舞いに来た。
そして枕元に牛乳を置き、早く飲むようにせかした。
そのときもこちらの体を心配しているのではなく「牛乳」を心配しているのであった。「早く呑め」「早く冷蔵庫に入れろ」とうるさい。

そんな彼は、最初熊谷牧場の熊谷宗矩くんと一緒に配達に来て…
そのうちに熊谷宗矩くんと、長男の吉塚公太郎
長男吉塚公太郎と次男吉塚恭次の兄弟コンビになり
三男吉塚純平と変わっていった。

そして当店で盛岡の消費者との交流会を一年に一度やり、
そのうちに田野畑の現地で交流会と次から次へと…
消費者との交流を深めていった。

映画を見終わった人は、一様に「牛乳を飲みたい」と当店にくる。
本当は余分に置いておきたいのだが、そんなにはおけない。
たぶん一杯飲んで注文に至るのには時間がかかるだろう。

売るというのは難しいのだ。作るとは違う難しさがある。
だから車も、作るメーカーと、売る販社と2つに分かれている。
しかし、彼は、直接売るということをテーマにしていた。
だから当店など相手にしなかっただろう。
どんどん配達先は増え、田野畑と盛岡と往復200kmを週に何往復して彼は経済と引き換えに、幸せを届けたのである。
彼は、小利口に振る舞えなかったのである。
玄関先で「ご苦労さま!」「美味しかった!」「みんなどうしているの?」
と小さな会話が、大きな満足と幸せを生むのであった。

映画の中で彼は「俺は、お客と約束をしたんだよ」と怒鳴る場面があった。
そうなのである。彼は約束を守るという信念の人なのだ。
一人ひとりの客と向き合って約束を果たす。
このスタンスはすごい。
映画の中で眼鏡の奥からキラリと光る眼光が、その決意を物語っている。
お客にも、家族にも、猶原先生にも、彼は約束を守るという姿勢を貫いた人なのだ。
余人には真似のできないことをしてきたのである。

どこからきたの?

ひさしぶりの休日だ。

休んだという感覚がここ10年ぐらい無い。
いや、ひょっとしたら店を開いてからだから25〜6年になろうか…
自営業にとって、休日というのは、店を閉めたときぐらいだろうか…
と言っても外見は閉めてあっても、中の作業はいろいろとある
いやありすぎる
作業でなくても、考えることは山ほどある
結局、休んだというのは頭の中だったり… 体だったり…
両方を空っぽにして…というのは不可能に近い
この自営の中小企業にとって働き方改革を如何にすべきか?
思案してみたい(?)

やらないといけないことがてんこ盛りなのだが、とりあえず仙台から孫が来ている。
孫とあうのも久しぶりだ。家族揃って近くの孫も集まって夕食食べ、
翌日は、みんなで近くの公園に行った。

高松競馬場跡地

近くなのだが行ったことがない。
初めて車を乗り入れ、みんなと遅れてトボトボ歩いて行った。
もとは競馬場だった土地である。
晴天の芝生の公園、さぞかし混んでいるだろうと思ったが、ガラガラである。
なんだろう?ひょっとして跡地利用を間違えているのではないか?
それとも遊び方をしらないのだろうか…
球形ならボールコントロールできやすいから狭い場所でもいいが
大きい場所ならボールコントロールができにくいラグビーなども面白い
たぶん公園でボール投げが禁止されたりする影響か…
これだけひろい土地に、この人数だけでは…

二人の孫は芝生を転げ回るのが飽きたの
井戸水の汲み出しに飛びついた。

そんな孫たちを連れて、久しぶりに母のところへ訪れた。

母は、なぜか?ひ孫たちを触りまくり
「また来るからね」
「また来るからね」という
ひ孫に「おばぁちゃんに”どこからきたの?”」と”聞いてみて”と言うと
母は、なぜか苦笑いするだけだった。

矛盾

サンビルの店の片付けをしていると…
「あの〜味噌が欲しいのですが…」
「この店は閉店しました。商品も全て片付けて…」
「昨日買いに来ようと思ったのですが…」
「あの味噌がないと暮らせません。…あと2つありませんか?」

夫婦の二人組
「すいません。昨日ここに置いてあった豆、ありませんか?」
「大変美味しかったので、買いに来たのですが…」

昨年11月末に締めた店
片付けが、まだまだ残っている
あと片付けをしていると
何故か…
次から次へと駐車場に車が入ってくる。
そして「とうもろこしは、ありませんか?」
「商品はどこに…」
「閉店なのだ」
「休みですか」
土日は、特にひどい。
1時間に一台ならいいが、20分に1台だろうか…

なぜか閉めたあとに、客が入る。
来て欲しいときに、お客はこない。
この矛盾が、小売業の悩みだ(?)

れいくんから

ベアレンの缶ビールをもらった。

サンビルの最終日。れい君が、
「最後に一杯やろう」ベアレンビールの新商品”缶ビール”で…
と言ってくれ、4本も持ってきてくれた。

 しかし、最終日はだらだらと忙しかった。
片付け始めると、
まずは、ナマモノを最初に片付けないと…
そうそう、あの高いミルや、ティファールの圧力釜も…
次から次へと、片付けないといけないのがでてくる。
そこへ、明き盲よりも、よくみえているメクラのの岩品さんが…
「おい!最後だから呑ませろ!」といって自分の患者に手を引かれてやってきた。
そこへ中井貴一の兄貴がやってきて、宴会となり
「次へ行こう」という声がかかる
こちとら我慢の限界、足である。
むくんで滲みて、苦しくて、痒くて、

立ってられない。のである。

座らしてもらう。座ると立てない。いや立つ気力がない。
最終日の一日が終わった。

そんなんで、最後の乾杯は、自宅で冷めた生ぬるいビールに氷を入れて
れいくんの常温のワインの呑み方と一緒だ。
とはいえ、自分もワインに氷を入れて
赤も…白も…ロゼも…
呑んでいるが…

自分で自分を褒めてあげたい

産直劣化

ひさしぶりに時間に縛られない一日が始まった。
とはいえ、納品が午前中に…という指図もある。
しかし、午前中に納品というのは9時でも12時でも午前中だ。
だから、まぁこっちの勝手だ!というスケジュールだ。
しかし、難問が一つ。
納品が約20kgを2箱である。
つまり以前は一人で十分だったが、今は独りで、やっとこさ?である
安全を考えれば、魔子様に手伝ってもられば…
という下心で…
「何時頃、歩き始めるの?」と穏やかに聴く。
午前中は家の仕事が終わったら
日課として1万歩歩くことにしている魔子様であった。
「なに?重いの?しかたないね」と腰を上げた。
”鉄の女!”魔子様は、入道よりも力持ちである。
とりあえず二人で納品の豆太郎というなの青大豆を車に乗せて、でかけた。
無事納品のあと、近くの産直に行った。
6月の中、これから地元の野菜が出始めである。
山菜が終わってキャベツや葉物がでて、トマト・きゅうりなどの果菜類が出始めだろうか…
まだ品揃えは良くないが新鮮で産直らしいものが…

と思ったが、一軒、二軒、三軒。
おまけだと言ってショッピングモールの産直へ…
驚いた。産直という店から個人のこだわりが見えてくると思っていたが
最低限の「良いものを安く」ということも
訴えてくるものが無い。
総じて八百屋よりも安くはない。そして八百屋よりも商品が悪い。
これで産直(?)

う〜ん産直が劣化している。

ようやく終わった。

サンビルの営業である。
最後は苦行であった。
足のむくみからくる膝までの貼りが傷みとなってくるのである。

右足から左足へとむくみと傷みが移っていったが、最後は「滲みる」という傷みでひどくなった。
もうやはり立ち仕事は難しい。すこし下半身を鍛えなければ…
最終日多くの人が来てくれたが…

そのなかに「聞いてないわよ」「偶然にも来てよかった」という声があった。
お知らせというのは難しいものである。
だいたいが宣伝(CM)は何回も流してようやく浸透する。
よほどキャッチフレーズとかが印象的なものでなければ多くのCMのなかで消え去ってしまう。
人に伝えるということは難しいのである。
伝えたいことが伝わらないのが世の中である
(隠したいことが、すぐ伝わるのが森友とか年金とかシンゾー政権である)

色々なモノをもらったが、最後にに小生の命を預けている
「あきめくらよりもよくみえているめくらの」岩品先生が大枚6000円も売上の協力いただき、れいくんがベアレンのビールを4本も差し入れしてくれた。
しかし、写真がアップできない。
どんどんパソコンは便利になっていくというが、便利になっても扱い方がわからないと便利を感じることが出きない。
(年金受領を引き伸ばせば金額が増えるといいながら、2000万貯めろというシンゾー政権のようなものである(?)

とりあえず1年の短き…長きサンビルの営業が終わった。
疲れ切って、下半身ががたがたになって、酒量がおちた。
今日はベアレンの缶ビールを2本と春雨炒めが絶品であった。

春雨炒め

もう〜どうでもいいや!

娘の婚家のおすそ分けの葉物野菜
仙台のどんどん焼き/盛岡では薄焼き

熱々の出来たて厚揚げ

家に戻ってくると、魔子様は学校生協納品の豆太郎の袋詰をしていた。
今週、金曜日納品だ。
秘伝豆という青大豆を、なんとか売れるように仕組んでいるのだが
最近、テレビ朝日のザワ金(番組名の省略らしい)で「和製スーパーフード」と紹介され、ためしてガッテンで「大豆たんぱく」が筋力アップや心筋梗塞の予防に効果がある、と次々に放映されて徐々に売れ始めてきた。
もっとも学校生協は、それ以前から岩手の食文化としての秘伝を利用した豆味噌や、大豆を積極的に取り上げてくれたのだが…
そんな納品が、間近かに迫っている。

夕食が済んで、梅酒のお湯割りが聞いたのか早めに寝ついた。
夜中に机で充電していたスマフォから、緊急地震速報が鳴った。
「地震です!地震です!」という必死の声は聞こえたが、揺れは感じなかった。
夜中だと思った。必死の声でも起きれなかった。
起きなければ…と思ったが…体が動かない。
そのうちに、天井からつるした電気が揺れているのが暗闇からみえた
体が金縛りである。昔は、よく夢に見た。
そういえば最近、あまり金縛り状態にはならない。
”あ〜あ!もうダメだ。”と思いながら闇の中に落ちた。

朝、目覚めて、ふと思い出しパソコンの地震情報をみた。

山形県沖で震度6強

震度6強が山形県沖で…
(酒田の松田や、鶴岡の相星はどうだったのか?
今まで日本海側の山形はあまり聞いていないが…)
盛岡は震度4
それ以上に驚いたのは22時22分だったのである。
「寝入りばな」である。
う〜ん寝入りばなに地震があったら

もう、どうでもいいや!という状況にある。

記念日

6月17日は結婚記念日である。
そう、いつも終わってから思い出す。
多分、魔子様は覚えていないだろう。
昭和52年だっただろうか…

場所は青山だったか赤坂だったか、乃木神社である。
乃木坂フォーティーエイトというチアガールのような女性グループがいると聞いたが、何をしているのか?わからない。
最近、忠臣蔵のような47士という名をつけたグループがいっぱいいるが、
なにか意味があるのか?
近くに乃木坂というのは、あったかどうかも、しらない
当時は青山の会社から世田谷の社宅まで、目黒の柿の木坂というところを通ってタクシーで帰ったが…(柿の木坂48というのは無いのか?)


現人神にされた明治のの軍人乃木希典を祀ってある神社だという
明治天皇の崩御に殉死したという。
なんでも日露戦争とか日清戦争で活躍したとか…負けてばかりいたとか…
よくは、しらない。
ただ本殿と拝殿が離れて間に玉砂利がひかれていた。
拝殿から本殿を仰ぎ見て…という雰囲気が好きで
東京の数多の結婚式場から選んだ。
なんとなくクリスチャンでもないのに教会は…
仏式は、ほとんど頭の隅にも考えなかった。


前日まで大阪本社で働いて、東海道新幹線で、夜に親戚が集まる場所(公務員用か?教員用?の宿舎)に行った。酒を飲む暇もなかった。
今は亡き仙台のおじさんが
「こんなことでもなければ、東京にこれなかった」と言って喜んでくれた。
当時はまだ東北は、新幹線も走っていなかった。
そんなことを思い出しながら、発泡酒という名のビールと、梅酒(魔子様の手作りだ)のソーダー割を呑んだ。

鳥がバサバサと…

庭のすずめ
ベランダのドアを開けただけで雀は消える

庭のもみじの木に巣箱をくくりつけてある。
母親が自分の机の前の木にくくりつけてあったものである。
母親が施設に入って、だれも餌やりをしなくなったので、必然的に鳥も来なくなった。
鳥と言っても雀だが…
魔子様が家にいるようになって、庭の草取りを始めた。
きれいになった。
巣箱も取り付けた。精米機から選別した小米を入れた。
小米と言っても他の小米とは違う。
一般的には。農家は農協の指導で1.9ミリのふるい目で選別する。
旧食糧事務所が発表する作況指数は1.7ミリだという。
つまり、農家が感じる豊凶は、農林省発表とはだいぶ違う
ところが当店は2.2ミリで選別する。
2.2ミリなど暴挙だ!と農家は言う。
つまり小米の割合が多くなって正粒歩合が低くなるから収入が減る
ということだ。
たしかに何十町分もやっている大きな農家は大変だろうが一般的な農家は、そう影響はない。
それよりも見栄えが良くなって、味は確実に良くなる。
つまり。粒ぞろいの良いコメは均一に熱が通り美味しく炊けるのである。
美味しく炊けた証拠だというカニ穴は、大つぶの揃ったものができやすいのである。

だから当店では2.2ミリのふるい目で通し、美味しい白米を提供している。
必然てきに小米と言われても、大きなものが出てくる。
だからといって良いのか、最近雀だけではなく、
大きめの鳥がバサバサと飛び回っているような気がする。


月別アーカイブ : 2019年6月