鏑木武弥が縊死した。と若い友人から聞いた。
彼女は、わざわざ「カブラキくんを知っている人と話をしたかった」と言って、カウンターに座った。

彼と会ったのは、もう23〜4年前になるだろうか?
病院に二人連れで見舞いに来た。
「ある出版社をやめて岩手で農業をしたい。と言ったら入道さんを紹介された」と言って…
夏に、ちいさな野菜畑を開店し、秋に腰を痛めて都南の整形外科に入院していたときである。
おもえば、そのころから病気とのつきあいが始まったと言っていい。

鏑木は、面白いやつだった。冗談がわかるやつだった。
彼は大学時代、スカートをはいてキャンパスに通った、という
人と違うことをしたかった、という

大飯食らいだったが、酒は一滴も飲めない。
酒を飲んでいる小生のそばで、丼飯を平らげるようなやつだった。
寒いのがてんで苦手で、冬は沖縄に逃亡した。春になると岩手に戻ってきた。
田んぼも畑もやり方がユニークだったが、小生は黙ってみていた。
多くの人がいろいろと指図して彼に言うことを聞かせようとしたが頑として受け付けない。
黙ってみている小生のそばが、心地よかったのか、なぜかいつもそばにいた。
そんな彼が、新規就農資金を借りて返済できない、青年協力隊にいって返済する。と言ってパラグアイへ行った。
帰ってきたときは返済をすっかり終えて身軽になり、種苗メーカーの試験所の助手をやり、父の仕事を手伝うと言って長野県飯田市で会社を設立した。

途中でなんどか会った。順調なときは恥ずかしそうにこんなことをやっている言った。
不調のときは「借金だらけで…」と苦笑いした。

なんとかやっているのだろうと思ったら、昨年、裁判沙汰だと風のうわさで聞いた。
そして昨日訪ねてきた若い友人は、ネットで大騒ぎだという。

http://news.livedoor.com/article/detail/16019512/


いつ変わったのだろう。
こんなことが、できるやつではなかった。
人に迷惑をかけるやつではなかった。

ただただ唖然としている。
想い出ばかりが去来する。
年賀状は昨年、印刷だけのものがきていた。

なにがあったのだろう。
なぜ戻ってこなかったのだろう。
なにも力になれなかったのが、ただただもうしわけない。