いつかこの日が来ると思っていたが…
永久に続けたいと思っていたが…
さまざまなことが引き金になった。

一番大きいのは、友人たちの死と魔子さまの病気だろう。
自分自身は、50を過ぎてから、ずーっと病気がちと言ってもいいほど、病院と寝た(?)

それまでは、怪我や歯痛はあっても、風邪で寝込むということはなかった。
風邪で寝込みたいと思ったことはあったが…
病気がちの一番の素因は、30代後半の「親知らず」だろう
”出張先で痛んだら大変だから”と言われて銀座の歯医者で親知らずを二本抜いた。
それまで歯は、完璧だった。
いやキチンと揃って隙間を埋めていた。親知らずを抜いてから
知らず知らずのうちに(?)隙間が空くようになったのだろう
そこへ十分な歯磨きをしなかったために、歯槽膿漏になった。
そこから「菌」が心臓の弁にくっついたのである。
感染性心内膜炎という。
従来持っていた僧帽弁閉鎖不全症と一緒にして一種一級の障害者になった。

最初の心臓手術のときは手術室の前でストンと麻酔に落ちた。
二回目の胸部大動脈瘤のときには、手術室に入ってストンと麻酔に落ちた。
三回目の食道がんのときは、自分でステンレスの手術台に乗って麻酔が落ちた(?)

三回も胸を開き、その他に化膿性脊椎炎。腸閉塞を二回、白内障。緑内障・歩く総合病院と言われ、ときの県立中央病院の院長に「おまえは友達だ」と尊称された(?)
病歴は長いが、死亡歴はまだない(?)

そんな病気がちの自分が命永らえて、友人たちがあっという間に去った。
一人は若うちから運動をし、スイミングスクールに通い、定年になって歩き回ってリンパの癌になった。
一人は、若いうちにスポーツ心臓になったが、肉を喰らい、タバコをやめずに心臓発作で亡くなった。
もうひとりは若うちから食に気をつけてみんなを指導し、奥さん盲腸で入院していうるときに一人で脳の血管が破裂して亡くなった。

ふと「寿命」という言葉を思い出した。
寿命なのである。
いいえて妙な寿命である。

運命論者ではないが、(いや運命を信じているが…)その時がきたということだろう
店も社会も、変わってきた。
変わることが良いことなのか?は別にして…

寿命なのである。

店を開いたときには、多くの農家が「直接得売るなんて…」二の足を踏んだ。
いまは最初から直接売ろうとして、そんな畑を作る若い人たちが就農している。

流通は細分化して、空を飛び、地をはって、ネットワークをめぐらした。
どんな流通が出来上がるのか?
じっと見守るほかはない。

役目は終わった。寿命である。