高校時代の友人が来た。
と言っても彼は、農学部をでて農業改良普及員の県職員として定年退官をした。
平成5年の大冷害のときに彼は、水田の研究担当課長をしていた。

久しぶりにみた同級生は、腹が膨れ上がり無精髭で会話が通じなくなった。
難聴である。

同級生が亡くなったので、その件で来たのか?
と思ったら違った。
道に迷って、見知った当店が有ったので飯を食っていこうと思っただけである
同じ同級生の友人の死は、大々的に新聞やテレビで報じられていたので、知っているのか?と思ったら
「知らなかった?同じ高校・大学だったのに…」と言う
そういえば彼は、学部こそ違え一緒の大学だった
「岩手県で初めての地元出身のアナウンサーだったのに…」
どうやらテレビ局開局当時の就職戦線の大きな話題であったらしい

そんな彼に食べている品種と生産者の名前を見せた
彼はムッとして「この地域にこの品種は合わない。やめておけと言ってくれ」
行政は、その地域の気候特性に向けて栽培品種を決めている。
小生が農業に携わるようになったころは、岩手県北部や中山間地は「政府米」の産地だった。
当時銘柄米と言われた「ササニシキ」「あきたこまち」は指定された地域でしか栽培出来なかった
栽培しても農協が買ってくれなかった

だけど日本人の悲願「美味しいご飯が食べたい」と言う根強いコメ信仰が
隠れて自家用として栽培され縁故米として流通していた。
県北部でも美味しいコメを!と言うのが研究機関の願いだった。
それが出来たので「かけはし」である。
友人は三人の育種開発者の一人である。
それを自慢げに言っていたが、奥さんからは
「あんなに農薬をたっぷり使う品種なんで…」と評価が低い。(笑)

そんな彼と平成5年の大冷害のとき、あちこちの田んぼを見て回ったことがある
多くの田んぼが、ほとんど2〜3俵(120〜180kg/10a  平年作は500kg)しかとれなかった。
ひどいところはコンバインを可動するよりも、草刈機で刈ったほうが費用も合理化できると言って
草刈り機刈って、”切り捨てごめん”のところもあった。
そのまますき込むと来年の肥料の軽減につながるというようなことも、まことしやかに流布されていた。

その年、小生が勤めていた農場は4市町村で23枚の水田を借り入れ、有機質肥料で昨付けした。
殆どが箱苗だったので筋蒔きと言う一株に10本近く苗が入る植え方だった。
だが一つだけポット苗で植えられる田んぼがあった。
ポット苗は種を。手まきで一粒づつ蒔くことが出来た。
23枚の田んぼは、ほとんどが5〜6俵の収穫を上げたが
ポット苗に蒔いた一粒の水田は7俵近くの収量を上げることが出来た。
近くの人は、みな見学に来た
農業改良普及所の所長も、見学させてほしいと案内した
そんなところを水田の研究担当課長をしていた彼と一緒に回ったのである

彼は回ったあと悔し紛れに
「肥料設計が、あたったのだ」といった

嬉しかった。とりあえず認めたのである。
従来の方法と違う、そしてそれが当たることもあるということを…

当時有機栽培とか無農薬とかは。農家自身が半信半疑で

「農薬かけないと、ものが出来ない」
「堆肥はきかない」
「有機質肥料は役に立たない」
「薄まきは、量が取れない」

などと言うことが相当、言われていた
ある研究会では
「おまえら業者に騙されている」とまで面と向かっていわれたものだ
それから25年で、だいぶ変わった。

しかし、当時の出来事で学んだことが数多くある
一株あたりの本数を少なく蒔くことによって稲の葉っぱにあたる光の量が多くなるから密植より効率がいい
有機質肥料は、気温に合わせて肥料の効きが変わってくる
つまり寒いときは効きにくく、暑いと効く。これは冷害のときは稲の生理的にいい傾向である
化学肥料は温度に関係なく肥料が効いてくるので幼い穂がでてくるときに冷害に当たりやすいのである。
堆肥は十分に発酵させて黒い腐植の状態で振り入れてやるべきだ

しかし、またこの条件に合う水田を見極めることも必要だ
行政の一般的に教えるやり方を自分の農地に利用できるように理解することが1番重要なのである
農業は、多くの知識を持って自分の農地で智慧を発揮できるような優秀な人の仕事である

知識だけの人は、机上の論理である。
智慧だけの人は、危機に対応ができない
智慧も知識もない人は、かまど返すしか無い。