岩手は「どちら派?」と言われることがよくある

ようするに宮沢賢治と石川啄木である
同時代に生きた作家(?)芸術家(?)としてどちらが好きか?ということである

小生は昔は童話作家としての宮沢賢治はよく読んだ。
だけど、その意味がよくわからない。
いろいろと話を聞いていると、どうやらその物語に思いを馳せて想像するのが楽しいのだろう
だからさまざな賢治ファンがいて、さまざまな解釈が飛び交う。
石川啄木は、そのわかりやすい三行詩と覚えやすさで親近感を持った。

だから、どちらかと言うと「啄木派」である。

40代に農業の世界に入って玉山村の農家と、いろいろと付き合いがあった
玉山村は、何ヶ村が一緒になって村ができたが
その一つに啄木で有名な渋民村がある
何人かの農家は、「爺さんは啄木の同級生だ」と自慢げに話をしていた。
そんな農家に
「啄木は石をもて追われる如く故郷をでていったのだ!いつの間に故郷が啄木に媚を売ったのだ」と茶化す。

そうなのである。
あの岩手山や北上川を「ふるさとの山。ふるさとの川」と読んだ啄木には、味方はふる里の自然しかなかったのだろう

そんな寺の息子だった啄木と関係のある寺が二つある
生誕した「常光寺」そして、大きくなって移った寺が「宝徳寺」である。

宝徳寺の代々の住職の名字は「遊座」という
珍しい名前だ
高校のときに「遊佐」という先生がいたが、彼は数学で山形出身だった。
先日無くなったマナ自然食品のご主人は「遊座」という
奥さんは言っていた。
うちは「宝徳寺の長男の家系なの…」

どうやら啄木生まれた頃の話では、宝徳寺の長男が
「寺の跡目を継ぐか?」という問いに「継がない」というので

石川一禎が入ったという
一説によると啄木の学費を払うために寺の木を切って売ったために村人の怒りを買ったという
そして啄木一家が追い出された後「遊座」の次男の家系が、宝徳寺の跡を継いでいるという

 

面白い
こんなところで啄木との関わりが出てくるなんて…
そして「遊座昭吾」という有名な啄木研究家がいる。
国語の教師だったというが。
彼は宝徳寺の跡をついだ次男の孫だという
追い出した寺の跡目が、著名な啄木の研究家になっているとは…

これは啄木が学生時代に過ごした盛岡のある中学校の立志式の弁当である。