ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

龍の瞳

「龍の瞳」と言う米があるという
本当の品種名は「いのちの壱」という
岐阜県の下呂市で発見され、その地域の人たちが栽培をしているという
その一番の特徴は、粒が大きいと言う

こしひかりの1.5倍の大きさの粒だという
そして、香りといい、食味といい、日本で一番だが、
生産量が少ないので食味ランキングに入らないという
そんな米を、取り寄せてみた。

先日来、新聞やテレビで東京代官山にオープンした秋田のおにぎり屋が注目を浴びている
その謳い文句が「自家生産あきたこまちの大きな粒を選別した農家だけの特別米」ということらしい
それが「美味しい」と言う

米粒の大きなものは、「美味しい」とイコールなのか?
そんな疑問を持って調べていると「いのちの壱」が引っかかってきた。

よし食べてみよう
好奇心旺盛の入道であった。

 

よく農家の人に聞くと、みんな「おらの米はうめぇ〜」と言う
「慣れた味」と「美味い」とは違うのだが…
と思いながら無碍に否定するのも…
誇りを傷つけることになるし、彼は納得しないだろう
と言って自分の家に売るほどある米を、ほっといて、他の米を食べて比較しろとは言い難い
だから農家に「これ本当に美味しいの?」と聞くのは愚の骨頂である

”米が不味い”と言われる地区がある。
農家同士で、けなし合うのである
「あそこの米は、不味い」と…
農協の合併問題が有ったときに
「あの米が売れ残る農協と一緒になるのは困る」と言う人もいた
しかし、米の美味しさは、ひとそれぞれ違うのであるから、やはり自分で確かめないと…

 

就労支援で店に来ている若者に聞いた
「うちのご飯、美味しいか?」と…
じぶんが、どの程度のご飯を食べているのか?
それも販売の勉強なのだ。
コシヒカリの美味しさと…
ササニシキの美味しさと…
粒の大きな「いのちの壱」の美味しさをわかって、
自分がどの程度の米を食べているのか?
それを認識することが、販売する相手に米をすすめる尺度になるのである

 

高い金を出せば、良いコメを食べていることにはならない。
そこには米から美味しいご飯になる過程、
乾燥手段(強制乾燥・天日干し)低温精米、洗米。浸漬、炊飯器。等々
さまざまな技を経て、ご飯になるのである

さて龍の瞳を
「来週は試食会をしてみよう」

というと若者たちは一斉に歓声が上がった。

 

就労支援

ツララが滴り落ちる。
「春になる証拠だ」と若い友人は言う

なるほど…

単純に薪ストーブの暖かい熱が、天井のない屋根を温め、雪を溶かし
滴り落ちてきた水滴が、凍ったのがツララと捉えていた。
そういえば…今頃にしかツララは見られない

屋根の上で溶けた水は、12月1月と厳寒のさなか
屋根を滴り落ちてくる間に凍ってしまう。
つまり、ツララになる前に屋根で凍ってしまうのである。
春になり、溶けた水滴が凍らないまま屋根から落ちてこないとツララにはならない

そんな春の予兆が見られる中、就労支援中の若者と老人ホームに「ひきうり」と言う販売に出かけた。
本来ならリヤカーとか軽トラで売りまわるのだが、冬場は暖かい老人ホームでの販売に切り替えたのだ。

商品は、約10万円分もっていく。
売れないものとわかっていても、枯れ木も山の賑わいだ。
みせなければ、売れない。

そんな中、豆を「青大豆(秘伝豆)」「くろまめ」「大豆」と3種類持っていった。
1kgづつである。
自炊の老人ホームであるが、“一人ぐらしでは、1kgは多いかもしれない”と思いながら…

比較的若い人だろうか…(と言っても60代後半だろうか…)
黒豆を1kg買った。1280円である。
そのほかに、お菓子や野菜など色々と買って
「2000円しか部屋から持ってきてない」と言いながら
計算したら2000円を超えていた。
「どうしよう。なにか返そうか…」と言う
小生が
「くろまめ1kgすぐ調理します?半分にしますか?」というと
「あら助かるわ。640円になったら後色々と買えるから…」と言う
1kgの豆を“計って半分にしよう”と思ったらハカリを忘れた。
しかたがない
レジ袋に半分だろうと思う量を二つに入れて、選ばせた。
「どちらか多いと思う方を選んでください。」
「えっ!悪いわね。こちらが重そうだわ…」
と言って、嬉しそうにニコニコ笑って、片方を取った。

販売は等価交換である
商売とビジネスは違う。
ビジネスという貨幣経済は、貨幣の価値で等価をはかる
関係性の商売は、気持ちではかるのである。

そんな事を引き売りという実体験の中で
若者に教えて行く
大事な就労支援と言う社会勉強である。

 

トンネルと抜けると、そこは青空

沢内へ行った。今は沢内とは言わない。
湯田町と沢内村が合併して、西和賀町になったからだ。
しかし自分にとっては、いつまでも「豪雪の沢内」なのである。

中学校から高校に進学したときに。初めて出会ったのが
「山線」から通ってくる同級生たちだった。
「ヤマセン!」「ヤマセン!」と馬鹿にしていたが、奥羽山脈を秋田から超えてくる「横黒線」という名前だった。

横手市と黒沢尻町(現北上市)の秋田と岩手を結ぶ線路だった。
東北地方には、太平洋側の東北本線と日本海側を走る奥羽本線との間には、

仙台と山形を結ぶ「仙山線」
古川と新庄を結ぶ「陸羽東線」、
北上と横手を結ぶ「横黒線」
盛岡と大曲を結ぶ「田沢湖線」
盛岡と大館を結ぶ「花輪線」と五つもある。(今知った)
鉄道の駅名は、よく知っているつもりだが、路線名はしっかりと承知していない。

当時北上の高校に進学していた小生は、「ヤマセン」と呼ばれる奥羽山脈をまたいで横黒線で通ってくる同級生たちと一緒になった。
彼らは春と夏と秋は、汽車で通ってくるのだが、冬は大体が「下宿」である。。
しかし、小生は校門から歩いて五分のそばに家があり、授業が終わるとラグビーの練習に明け暮れ、友人たちの下宿生活を知らない。
色気づいた高校生だから、面白い話が色々とあったらしいが、こちとら至って真面目な高校生活だった。

しかし、「ヤマセン」から通ってくる同級生たちは、総じて成績が良かった。
今にして思えば。金をかけて高校にやるからには、しっかりと頭の良い奴を選抜して送り込んで来たのだった。
小生のように、ふわふわと中学生活を送り、ふわふわと高校へ入った高校生とは違っていた。
そんなヤマセンから通ってくる高校生の一番の奥地の村が「沢内」であった。
奥羽山脈の一番てっぺんの駅から、またバスに乗って行ったようだ。(その時は知らなかった)

沢内が有名になったのは「生命尊重の村 深沢晟雄村長」である
様々な行政の反対を受けながら、豪雪の中、日本で最初に高齢者の医療費無料化や乳児死亡率ゼロを達成し、住民に慕われた名村長である。
小生の高校時代には、もう亡くなっていたようだが、
今にして思えば、当時は沢内村は全国的にも有名だったようだ。(何も知らなかった)

そんな沢内村に高校時代の友人や…農家仲間が何人もいる。
中学校の時だっただろうか…
土建屋に勤めていた父親が、沢内村の学校の現場監督をやっていた。
その現場事務所は、一階が雪で埋まり二階から出入りしていた。
そして道路の両側には垂直にそびえ立つ雪が、壁のようになっていたことを思い出す
そんな沢内村に豪雪の2月にでかけていった。

 

雪の壁が立ちはだかり
雪煙が舞って視界を防ぎ
除雪車が走り回り

生産者の家には寒干し大根がぶらさがり
生産者の友人は「おら、まいにちこんなんだ」
「積雪何メーターで、たまげていられね」
「4月13日雪の中で種籾を播く」と言う

トンネルの出口は吹雪と除雪車で覆われ

トンネルと抜けると、盛岡は青空だった。

 

 

 

 

遊座

岩手は「どちら派?」と言われることがよくある

ようするに宮沢賢治と石川啄木である
同時代に生きた作家(?)芸術家(?)としてどちらが好きか?ということである

小生は昔は童話作家としての宮沢賢治はよく読んだ。
だけど、その意味がよくわからない。
いろいろと話を聞いていると、どうやらその物語に思いを馳せて想像するのが楽しいのだろう
だからさまざな賢治ファンがいて、さまざまな解釈が飛び交う。
石川啄木は、そのわかりやすい三行詩と覚えやすさで親近感を持った。

だから、どちらかと言うと「啄木派」である。

40代に農業の世界に入って玉山村の農家と、いろいろと付き合いがあった
玉山村は、何ヶ村が一緒になって村ができたが
その一つに啄木で有名な渋民村がある
何人かの農家は、「爺さんは啄木の同級生だ」と自慢げに話をしていた。
そんな農家に
「啄木は石をもて追われる如く故郷をでていったのだ!いつの間に故郷が啄木に媚を売ったのだ」と茶化す。

そうなのである。
あの岩手山や北上川を「ふるさとの山。ふるさとの川」と読んだ啄木には、味方はふる里の自然しかなかったのだろう

そんな寺の息子だった啄木と関係のある寺が二つある
生誕した「常光寺」そして、大きくなって移った寺が「宝徳寺」である。

宝徳寺の代々の住職の名字は「遊座」という
珍しい名前だ
高校のときに「遊佐」という先生がいたが、彼は数学で山形出身だった。
先日無くなったマナ自然食品のご主人は「遊座」という
奥さんは言っていた。
うちは「宝徳寺の長男の家系なの…」

どうやら啄木生まれた頃の話では、宝徳寺の長男が
「寺の跡目を継ぐか?」という問いに「継がない」というので

石川一禎が入ったという
一説によると啄木の学費を払うために寺の木を切って売ったために村人の怒りを買ったという
そして啄木一家が追い出された後「遊座」の次男の家系が、宝徳寺の跡を継いでいるという

 

面白い
こんなところで啄木との関わりが出てくるなんて…
そして「遊座昭吾」という有名な啄木研究家がいる。
国語の教師だったというが。
彼は宝徳寺の跡をついだ次男の孫だという
追い出した寺の跡目が、著名な啄木の研究家になっているとは…

これは啄木が学生時代に過ごした盛岡のある中学校の立志式の弁当である。

 

 

 

物流

盛岡正食普及会の再建に関わったのは昨年夏だっただろうか…
最近認知症気味で、時系列がわからなくなってきた

そう思っていたら、マナ自然食品店が1月末に店を閉めると言う
年末に、ご主人が倒れて亡くなったらしい。

盛岡の自然食品の老舗が相次いで閉店をした。
二軒とも自然食品の扱うキッカケがちがう
盛岡正食普及協会は、戦後のアメリカ戦略の小麦の処分のために押し付けたパンへの食糧改善(?)から安心の自然食品へ…
マナ自然食品店は、マクロビオテックから自然食品へ42年の長きに渡って続けてきたという。
(ちなみにマナと言うのは聖書に出てくる「命のパン」という意味らしい)
当店などは身土不二の農から、地産地消の食へと言う流れで、自然食品の調味料を扱うようになったが…
たかが23年である

自然食品の発想の元は、石塚左玄である。
石塚左玄は明治の軍医で、身土不二や一物全体食を提唱した。
病弱な桜沢如一(さくらざわゆきかず)は、石塚左玄の食養生を学んで健康になったという
そして世界にマクロビオテックを広めた(詳しくは知らない)
自然食品業界メーカーのオーサワジャパンは彼の「桜沢(オーサワ)」からきている。

農産物が産直の展開で、どこからでも手に入るように流通が乱れている
自然食品業界も乱れに乱れている
今までは、ある程度秩序ある流通ルートが
ネット販売が盛んになるに連れて
卸売業や小売業、団体客や個人客。入り乱れて複層して商品が流れ始めている
一つ自然食品店が失くなると、あっという間に別のルートが幾らでもできる。
そんな雰囲気である。

当店もマナ自然食品の閉店した在庫を格安にて販売しているが
安いからと言って売れるものでもない
このような主張を持っている商品は、なかなか売れ筋にはつながらないのである。
安かったら試しに使ってみるか…という人がほとんどであるが

いずれにせよ
今流通の劣化が叫ばれ、直接消費者から情報を得ると言って「利益の中抜き」が行われているのが実態だ。
基本的には流通業界自身の劣化が契機となっているのだから、仕方のない面があるが…

とはいえ最近のヤマト運輸の運賃の見直しが、どのような影響があるのか興味津々である。
流通の劣化は、流通業者のタイマンと、運賃の値下げ競争にあると言っても過言でない
その運賃が上がるということで、各メーカーが一斉に商品の値上げや運賃の値上げに向かうだろう

 

あまり無理をしない
無理をしないでぼちぼちやろう

そんな感じだ!

 

 

 

 

 

 

 

月別アーカイブ : 2018年2月