ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

とりあえず

介護が一段落した。

と言うと「終わったのか?」と思うだろうが…

昭和初期の世代は、体が頑丈だ。
血液検査も、ほとんど異常がない
歯も70代に、インプラント治療して(ところどころ抜け落ちているが…)まだしっかりしている
目も見える

問題は、股関節だ。
これも、びっこを引きながら(「びっこ」は差別用語か…?)杖をついて…
あるときは、杖を持たないで歩く
父親が車を急発進させて、ころんだときの問題だ!と、いつも言う

 

そんな母親も、唯一の問題は、温度を感じないことである。
朝、一人で住んでいる母屋に行くと、布団をかぶって寝ている。
魔子様が、電気毛布を買ってあげたので温かいのだろう…

しかし、その周りは外気温と一緒だ。つまり氷点下の状況にある
それで起きてきながら

「今日は、寒いの?」と聞く
「まだ十分に寒いから部屋が温まってから起きな!」と言っても、起きてついてくる。
ストーブのスイッチを入れ、新聞を取り、牛乳を凍らないように冷蔵庫にしまい。
「部屋があたたまるまで、待って…」と言っても起きてくる
人恋しいのである。

日中も、もったいない精神で、すべて暖房を切る。
冷え冷えとしているが、「寒いの?」と聞いてくる
あろときは、ファンヒーターが30度の設定になって、顔を真赤にしながらストーブに抱きついている
皮膚の体感温度が、老化しているのである。

それで冬の間、ショートステイに入れることにした。
色々調べるとさまざまな事があるようだが…

難しく考えない

とりあえず近くである。
日中に何度も行けるということが条件である。
介護していてよくわかったが、認知症の介護は何回も行くことである
べったりといたら、介護するほうが疲れてしまう。
ちょっとの時間でいいから何回も合う、これがポイントである。

福祉施設で様々な事件があるのは、「さもありなん」と思う
肉親の介護している方でも、イライラする事が当たり前で、
ホームに預けれは、それで一巻の終わりである。
介護施設は、本人のためでなく介護する人のためにあるのである。
だから立派な施設に預ければ、それで終わりなのである。

店と家の間にある特養の空床型ショートステイに、とりあえず預けた。

母はトイレ付きの個室にすみ、部屋の前の大きなテーブルで
一生懸命、絵を書いていた。
目の前には車椅子で前掛けをして老婆が飯を食べていた。
母は話しかけながら…一生懸命手を動かしているが…

話の内容は、前に座っている老婆と噛み合っていないようだ。

 

 

 

 

ちいさな妄想

いろいろと考えなければならないことが、いっぱい有る
すこし原点に戻ろうと想っている

年末に一世代下の友人に…
「未来が広がっている息子に…」と言った言葉がある

そうなのである
自分自身30代前半、未来は、ようようと広がっていた。
「なんでもできる。どうしても生きていける」と言う、変な自信があった。
今にして思えば、時代が思わせたのかもしれない。
それが自分の中で変わっていったのは、40代の農業(農?)との出会いであった。
農業でも、なんとかなるさと思いながら飛び込んだ世界は、まるっきり違っていた
やること、やることが、思い通りにいかない。
そんなことから「一から勉強をしなおしたい」と思ったのは45歳の時だった。

そして様々な出会いがあって、多くのことに気がついた。
経済や国やその組織は、人が効率的に動きかつ効果的な仕組みを作るために人工的に作られてきた
ところがそのその人工的な仕組みの中で動く人間は、食糧というどうしようもないコントロールできない基盤に立っている。
(昔の戦も、すべて不安定な食糧確保から作戦が立てられていたという)
つまり足元が不安定なまま、組織に活かされて安定を目指すという矛盾の中で生きているである。

ところが農の世界は最初から不安定なのである。
雨が降れば根が腐り、晴れが続けば葉が枯れる、植物にとって当たり前のことであるが…
それを食糧として生きていく人間は、不安定な生活を強いられる。そして為す術がない。
ただただ、祈るというだけなのである。
だから農業と宗教は密接につながるのである

それを産業革命以後の科学技術は産業という考え方で農業を変えた。
さまざまな技術革新で単位あたりの生産量も上がったが…
そろそろ限界にきている
科学技術を支えているエネルギーが不安定だからである。

新エネルギーとして原子力やシェールオイル、再生可能エネルギーなど言われているが、いずれも安全性やコスト、量的問題を抱えている。
つまり今まで化石エネルギーを利用してグイグイ成長してきた社会は
全体的に、ここへ来て成長速度が鈍化しているのではないだろうか…

よく考えてみれば、自分の周りは、どんどん成長の可能性があるが
ひょっとして世界のある部分では、衰退しているのではなかろうか…。
つまり格差が広がっている。と言う状況ではないのだろうか…
なんと言ったって地球は、閉鎖空間の循環型世界なのである。

宮沢賢治は言ったという
「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と…
これは閉鎖空間の循環型世界では。
「現状に満足すべき」ということなのでは、ないだろうか…

世界一幸せな国ブータンが、その有り様では…

 

ちいさな世界の、ちいさな循環の輪が、
幾重にも横につながって…

 

そんな戌年のワンダフルの妄想である。

四日間

年が明けて四日間が過ぎた。
夜中に起きて事務作業をし、太陽が昇り暖かくなったら店に行き、
普段できないことをすごして、指が、かじかんで動かなくなったら、
家に戻って酒で温め、風呂に入って早々に寝る。
と言う単純な四日間である。
思っていたことの80%ぐらいしかできなかった…

一番感じたのば、指先がもげるように痛いということである。
穏やかなあ正月だったが、真冬日にもならず日中は太陽も顔を見せた。
それなのに指先だけが、ジンジンと痛む。
もう指をちょん切ってしまいたいほどだが…
たぶん歳のせいだ。
毛細血管まで血が流れないのだろうか…
手袋を買ってはめても…
お湯で温めても…
指先が思うように動かない。
こういう処から年齢を感じる。

何をしたか?と問われると痛い。
事務作業は決算処理だし、店の片付けも普段できない整理整頓だ。
日常の中で断捨離をして、掃除を日々重ねて、ということが出来ていない証拠である。
まぁそれでも、新しい歳を迎えるという気分にはなるが…

しかし、唯一心残りは…
まだ賀状が書けていない。
そうなのだ自宅に届く賀状は良いが
店に届く賀状は、今日(5日)でないと受け取れないのである。
年末に「賀状入れのダンボール」を店の玄関に置いておくのを忘れた。
毎年のことなのに…「魔子様は何をしているのだ!」と人に責任を押し付ける(泣)

賀状は買ってあるが、8日までに出さないと「10円プラスしろ」と郵政省から通達が有ったという。
10円を馬鹿にしないで欲しい。
岩手県民130万人分といえば1300万円である。
岩手でさえも、小さな家なら土地付きで、二軒も買える。
盛岡市民30万人分なら、300万円である。
ホンダの冬にも強い4輪駆動のNボックスが2台である。

今話題の相撲でも

昔の話だが横綱北の湖が若い衆に
「これでアイスキャンディを買ってこい」と言って1万円札を出したと報道されていた。
今のモンゴル絡みのガチンコ相撲界でもアイスキャンディーは喰いきれないだろう(意味不明)

そんなこんなで4日間のツケが、この8日までの三日間の勝負につながってしまった。

反省!

 

(反省は戌でもできる?猿か?)
今年は何年だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

第一報

正月の引き売りという名前の老人ホーム販売は二週おやすみ。

1日(正月)と8日(成人の日)

なぜ成人の日が8日なのだ?
わけがわからん

とりあえず一回ごとに配るチラシを
今回はブログで公開

 

少食のひとに…

ハンバーグを、始めた。
ハンバーグ定食である。
どこにでもあるハンバーグであるが…
どこにもないハンバーグである
つまり、短角牛のハンバーグである。

高校を卒業するまで、家でハンバーグを食べたことがない。
そもそも「肉」といえば豚肉が、カレーや野菜に混じっているという感じだ
そのカレーだって、肉の代わりに魚肉ソーセージが、ときおり入っていた。
肉を食べたという意識は、浪人時代下宿の友人の父親に連れられて
仙台の一番町のすき焼き屋だった。
そのとき初めて、牛肉を食べた。
すき焼きは牛肉なのだ。と認識した。

貧乏な学生時代、6畳一間で共同便所風呂の下宿だった。
ラグビーをしていたので、アルバイトができなかった。
というよりも、アルバイトは、夜しかできなかった。
コンパ(昔のカウンターバー)のバーテンをした。
他のところは、若い女の子が一杯座った。
小生のカウンターには、ヤクザしか座らなかった。
ヤクザは言う。
「おまえ!だちだろう!つけるな!」
と脅された。
つまり「友人だろう、伝票なんか付けないで、ただで呑ませろ」
という、ケチなヤクザばかりだった。
そのアルバイトが終わった深夜
スナックで始めた食べたのが「ハンバーグ」だった
皿に、ふっくらと盛り上がった肉の塊は

こんな美味いものがあるのか?
と感動した。
それ以来、深夜にハンバーグと食べながら、オールドの水割りを呑むのが
月に一度の給料日の楽しみだった。
昭和40年代中頃の話だ。

そして今
誰もが安く食べられる
○○○ドンキーという全国チェーンがあるという
「認知症の母がディサービスで「連れて行った」と書いてあった。
本人は、「行ったのかね〜」と記憶がない。
それも札幌本社のドンキーは盛岡が発祥の地だという。
そこの肉と比べようがない
そもそも重量が違うのである

向こうは150g
こちらは短角牛と豚肉の合い挽きで80g

子供向けと老人向けであるが
少食の小生向けでもある
一人前が食べられない人に…。

 

 

 

 

 

入道流

元日の朝、いつものように元朝詣りに行った
昔は家族総出で行ったものだが…

子どもたちが大きなって友人と出歩くようになり
魔子様も、ご利益がないので(?)いかなくなり
出かけるときも、起きてこない

ここは盛岡を見下ろす場所に立つ商売の神様だが、急坂だ
いつもは歩いていくのだが…
今年は、膝がおかしい
学生時代のラグビーで膝の靭帯のうち一本が切れていたようだ。
周りの筋肉が抑えていたので不自由は感じなかったが…
高齢化にともなって、筋肉が落ちたようだ。
膝が思うように動かない
まして3年前に化膿性脊椎炎で「絶対安静」の40日間ですっかり筋肉が落ちた。
本人の動きの感覚は、まるでピノキオ状態。
そんなわけで歩いていかない。
歩いていかないということは、神社のおふるまいのお神酒も呑めない。
呑まない元朝詣りなどあるか?
そんな正月早々の燃えるような葛藤の中で、車に乗り込もうと思ったら
雪が積もっている。
「雪をハカねば…」
と雪ベラを探して椅子の下に手を入れたら、何かおかしいものが手に触った。
なんと数ヶ月前に“落とした!“と思った「認め印」である・

これは正月早々縁起がいい。
「失せ物」が見つかった。

そして気持ちよくスイスイと神社の坂を駆け上がった
引いたおみくじは「大吉」だった。
素直に嬉しい。

昔。おみくじを引いて「凶」だったことがある。
そんなバナナ?と、また引いたら、また「凶」だった。
赤坂の豊川稲荷である。
と言って大凶事が有ったという想い出もない。

それ以来おみくじは信用しない(都合の良い解釈)
今回は信じる(都合の良い解釈)

しかし「失せ物ー”出てこず人の手に渡る”」と書いてある
これは無視。
つまりすべてのことは、自分に都合よく解釈するのが入道流である。

年始早々

元日から店に出ている。
店を開けているわけではないが…
少し模様替えをしようと思って…

元日、足りないものを書いにDIYの店に行った。
「二日から営業」の看板
仕方ないので近くで一軒だけ開いていた量販店に行った。
駐車場が満杯、すごい混みようだった。
年末商戦で売り切れたと思った商品も揃っている。
正月、家族でゆっくりしようという雰囲気ではない

と言う小生も、子どもも孫も魔子様も温泉であるが、
小生は部屋にこもり事務作業。あきたら店で仕事…
もったいないので暖房をする訳にはいかない。
指が、かじかんで動かなくなったら店から撤退。
家に戻ってBSでラグビーを見ながら、母の食事を作って風呂で温まり一杯やる
それが四日間つづく。

二日の母の夕食は、
ごはん、すまし汁、とろろ、牛蒡と人参のきんぴら、フキと野菜の煮物

こちとらは

息子がくれた純米酒「伯楽星」をひやで一合。お歳暮の缶ビールを500cc
芋焼酎のお湯割りを二杯。
あては、たっぷりのとろろと、ナンプラー入りの湯豆腐に海鮮唐辛子を掛けて
京都のお土産「ちりめん山椒」をつまみながら…

もう満腹で…何も考えられない

これで正月は仕事が終わるのか…
無事に5日8時に店が開けられるのか…

 

 

 

 

あけましておめでとうございます

年賀状をまだ書いていない。
「せっこき」をしている。
岩手の方言で、「なまけている」ということらしい

怠けているわけではない。”時間がないのだ”と言う言い訳をする。
「“時間がないというのは、能力がなくて時間が作れない”という事だ!と
魔子様に言いたいが、言えずに一年が過ぎた。
今年も自分だけは“時間がない“と言う言い訳をしないようにしたいと元日の朝固く誓った。」

とりあえず年賀状は購入してある。
後は来た人を精査して…(人種差別だ)
出す人出さない人を選別するのだ。(コレが難しい)

今まで、のべつ幕なし出してきたが、この選別をしてから出す枚数が少なくなった
とはいえ余ってしまって出すハメになるのが毎年のことである。
どうせ印刷だから、適当に…と言うが、それが出来ない

 

結婚当初は魔子様が一手に引き受けていた。
字がヘタなのである。自分で書いた字が読めないことがしばしばである。
勤めていた1000人規模の会社で三大悪筆と言われたことが有る
いまでも急いで書いた殴り書きのメモは読めない。
ゆっくり書けば読めるか?という事は聞かないで欲しい(泣)
だから魔子様の仕事だった。

ところが科学技術の発達の素晴らしさは、こんな夫婦の分担の仕事まで変えてしまった。30代後半から年賀状は小生の担当になった。
ワープロというのが出来たのである。
当時、「某○○○計算機にクリーンルーム用の遠赤外線基盤乾燥炉」納入したおかげで
画面に4行しかみえないワープロを購入させられたのである。
だから文意が途中変わってもわからない
何回も印刷して書き直して、日記を書いたり、新聞記事を写したりして遊んだ。
印刷は感熱紙だから、インクリボンは必要なかった。感熱紙が買ってあれば…
しかし、すぐ黒い文字は黄ばんだ。
ただタイピングは自己流であるが、ブラインドタッチは覚えた。
当時パソコンも出ていたが、パソコンのワープロソフトは使えなかった。
ワープロ専用機がどんどん進化を遂げていたのである
パソコンのワープロ機能が追いついてきたのは、それから10年後だっただろうか…
そんなワープロ専用機からパソコンの時代の転換期
いつの間にか夫婦の分担まで変わってしまった。
いま魔子様の年末は、”忙しい忙しい”と言いながら暇を持て余している。

母親は、文部省認定の毛筆とペン習字の二つの一級をもっている。
「公的機関の文字の認定は、文部省の一級が最高だ」と自慢げに母親が言っていた。
そんな母親もボケた。
ボケた息子は、最初から字もボケた。

年賀状をかかねば…
正月はこれでつぶれる。

月別アーカイブ : 2018年1月