ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ただめし

久しぶりに出張をした。
上京である。なぜ上京というのか
下京では、いけないのか?
いや右京や左京なら京都になってしまう
そいえば仙台に「花京院」と言う地名が有った。(関係ない)

前回の上京が、義母の一周忌だったらから、こんどは二回忌か?
半年に一回あるわけがない
実は、新しい仕事なのだ

どうしても聞きたい話と
どうしても見たいところと

二つ組み合わせて行くことにした。
聞きたい話は、おいおいと…
見たいところを今回書いてみよう

「未来食堂」である。

神保町の、とあるビルの地下にある。

客席12席のちいさな定食屋である。
レトロな椅子にすわれば定番の…と言うか…
メニューが一食の定食が出てくる。

小生が行った時間は、4時過ぎである。
時間を確認して行っただのが…
11時から夜まで…ぶっ通しで…
ところが夜は貸し切りが入っていたらしい

女性店主の小林せかいさんは
「もうおしまいなのですが…
今日は夜の貸し切りで…
こんどからはホームページで確認しておいでください」
と厳しい顔と声で言い放った。
なるほど本に書いてあるとおりだ。
愛想笑いをしない。言いたいことを明確にきっちり言う。
伝えながらもテキパキと作業をする
あっという間に定食が出てきた。

「それは申し訳ない。
岩手から出てきたもので…」
こういうときは遠方から来たと言うのは便利だ。
声が柔らかくなったのだろうか
「こんどはホームページをご覧になってから…」と言う
ランチを70食作り、6回転から7回転するという
その効率的な運営のほかに

驚くのは「ただめし券」を配るという
このシステムは
独りで店をしているので「掃除や下ごしらえ」などを手伝ってくれた人に
一時間労働の対価として「ただめし券」をくれるという
そしてそれを使って食べてもいいが、その「ただめし券」を店内に貼り付けて
自由にはがして使って良い。と言う
ようするにカネに困って食べられない人が都会の片隅で
遠慮なしに食べられるシステムである。

そんな馬鹿な?と思うだろう
まったく信じられないことをやっているのである

しかし、よく考えてあるシステムである
一食900円のただめし券なら原価は300円
時給300円にてアルバイトを雇っているようなものである。
アルバイトも勤めることによって技が身につく
一日に何枚もただめし券をもらっても使い切れないから
貼り付けて「寄付(布施)」という自分の心を満足する。
(行ったときは、千葉のおかあさんが一日まかないだった。将来定食屋を千葉で開きたいと言う。一日7枚のただめし券をもらっても…)
そしてただめし券」を使った人は、ただただ困っているときに感謝であり
自分もまた役に立つ仕事をしなければ…と思う

三者三様に納得するシステムである。
う〜ん素晴らしい

もしコレが成り立たないことが考えられるとすれば

食堂の効率的経営がうまくいかない
手伝い人が単に時間稼ぎの人
食べる人は面白半分に食べる人

そんな人ばかりではないと言うことを、この未来食堂は世の中に知らせてくれた。

たぶん貨幣経済のみで動くシステムなら、このようには行かないだろう
最低時間給を払えとか…
効率的に働けとか…

貨幣経済を超えたもの…
それが未来食堂のコンセプト

懐かしき未来

なのだろう

そのほかに
「さしいれ(酒をもちこみ、半分を持ち込み料としてさしいれ」
「あつらえ(夜は、冷蔵庫の中の二種類を使ってお好み料理」
「18禁(18歳以上、入場禁止の子ども食堂)」

さまざまなアイディアと実行力と社会を見る力と
単に経済だけでないこれからの事業のあり方を…示してくれたようなものだ。

問題は、コレが地方で成立するのか?ということである。
地方なりの工夫が必要だろう
それが地方の文化ということなのだろう
さまざまな地方の文化と組み合わせた、さまざまな未来食堂

真剣に考えてみたい。

あたりまえだ

困っている。
なかなか売上が回復しない。
下げ止まらない。

原因は色々と思いつく。
一番は、代表の能力のなさである(代表は誰か?問わないで欲しい)

冬になって野菜が高騰して、誰も来なくなった。
当たり前だ。「産直」というイメージだと、冬場は商品が揃わない。
おまけに高騰だ。
低級ならまだ良いが高等である(意味不明)
「産直じゃない」と平成12年に「脱産直宣言」をしたのだが浸透していない
当たり前だ。そんなの誰も気にしていない。

未だにマスコミは「産直の小さな野菜畑」と字を間違えて言う
「ちいさな野菜畑」だ!と言っても治らない。
当たり前だ。そんな小さなことは…
「じゃぁー何なのですか?」とアナウンサーは問う

面倒くさいので「八百屋だ」と言うが…

こんなコンセプトがあるのだ

「八百よろず屋」と言う業種を作ったのだ

しかし、誰も気にしない。単なる産直だ。
だから冬は、沢庵しか買いに来ない。

沢庵で売上が達成できるか?
それで金融機関に言い訳ができるか?

と思う今日このごろである。

寒い。さぶい。寒すぎる。
体重が減るということは、筋肉が減るということだから…
痩せた骨に寒さが身にしみる。
ホッカイロを三つ貼り付けてもまだ寒い。

春が待ち遠しい。

 

*当店のたくあんは

砂糖不使用、着色料不使用、保存料不使用
小生が一生懸命漬けた愛の結晶である(?)

赤穂の天塩(塩分5%)と…
自家製新鮮米糠と…
三陸産の昆布…千葉産の唐辛子…
そして梔子の粉末である
(梔子を読めない人は「くちなし」と入力すると変換される)
そうそう昔、渡哲也の「くちなしのはな(?)」みたいな唄があった。
梔子はターメリックだと思っている人が多いが(小生)、違うらしい。
サフランの色素を含んで黄色になるようだ。

*先日、お客様から千葉の親戚に「本物の沢庵を贈りたいから…」と5本の注文を頂いた。

さもありなん

色々と忙しい。なんでこんなに忙しいのか…

と思うほどだが、時間が区切られている。
朝は、朝定食の準備に7時に店に行く。ということは6時には出かける準備が終わっていないといけない。ということは朝4時に起きないと…
帰りは6時までに孫の保育園に迎えに行かないといけない。
つまり、そのまえにホームに寄って母の顔を見ないといけない
閉店が5時だから、明日の仕事の段取りを4時半までに終えないと…

つまり始まりと終わりが明確に区切られている。
その間にルーティングを終えて、新しいことに取り組んで、長年の課題を処理して…突発的な問題への対応…と、やることが満載である。
一日が終わってふと気づく
「今日は何も出来ていなかった。やらされた一日だった。」
そんな日が続くと、なにもかも嫌になってしまう。

そして新たな問題が起きた。母が
「家に帰る。帰りたい。なぜ帰ってはいけないのだ。こんなところは嫌だ。こんな人達と一緒にいるのは嫌だ」と言い出したのである。

入って2週間。毎日通ってみてきたが…
母の言うことも「さもありなん」と思う。
まるで「姥捨て山」である。
90歳の身障者3級、介護度3の認知症の母が一番、しっかりして見えるのである。
周りは殆どが車椅子、よだれかけをしてスプーンを持たされ首を傾げながら丼に入ったおかゆみたいなものを掬って口に運ぶ。
いやそれさえ出来ない人もいる。口に入れてもらってこぼしたものをぬぎとって…
何から何まで面倒を見てもらいるのである。

そういう人が、ほとんどなのである。

母はそういう人の中にいて「仕事しにきている」と思っている
だから「仕事が終わったら帰りたい」と言う
そして「この人達は何しに来ているのだろうね」
「何のために生きているの?」と声に出して言う。
自分に厳しい母だったから、何もしていないということが許せないのである。

家にいるときも「何をしないといけないの?」と聞き「仕事は…」と言い
「子どもや孫達に、きちんと言葉や絵を書き残さないと…」と言うと
仕事をしている風を装うのである。
実際は何もしていないのだが…

というわけで化粧をしていない母の顔から
涙ぐむような眼をされると…

「さもありなん」と思うのである
やはり戻すか…

厳寒の下界へ…
これで朝の一時間、朝食作りに取られてしまう
魔子様は夕食作りと…下の世話まで…

フェアートレードのチョコレートである。
小さめ378円 おおきめ777円

*写真と文章は、全く関連がありません!(強調)

急募

ボランティア募集

1月24日水曜日11時〜12時

配達業務
当店から滝沢駅付近の15km往復(片道20分)
車持参、油自己負担、

御礼
ちいさな野菜畑こびる食堂「昼食券(コーヒー付き)」一食
有効期限平成30年12月31日まで

 

東京神田に「未来食堂」という食堂がある
「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」

と言う本を書いている。

以前から聞いていたが…
フェザンのサワヤで見かけたので買い求めた。

面白い。
若い人の発想である、そして他業種(IT業界)からの違う発想である。
ヒョとしてこれがこれからの中小企業の一つの経営形態になるのではないか?

人口減少社会である、
飲食業など人手不足である。
まして地方では売上が低迷する。
いかに経費をかけないで、少ない売上で利益を確保するか?

従来の発想から抜け出さないと、たぶん経営的には続いていかない。

これから景気が上向くという見通しがあればいいが…
たぶん地方の零細小売業や、小規模飲食業では難しいだろう
と言って、すべてがコンビニとチェーン店だけでは、情けないだろう

都会なら、まだこれから10年はまだまだ人口が増える可能性がある
地方はもうすぐ、いやもう始まっている減少社会である。

新しい発想を若い人から学ぶ必要がある。

上記の急募は、その発想からの新しい試みである。

とりあえず

介護が一段落した。

と言うと「終わったのか?」と思うだろうが…

昭和初期の世代は、体が頑丈だ。
血液検査も、ほとんど異常がない
歯も70代に、インプラント治療して(ところどころ抜け落ちているが…)まだしっかりしている
目も見える

問題は、股関節だ。
これも、びっこを引きながら(「びっこ」は差別用語か…?)杖をついて…
あるときは、杖を持たないで歩く
父親が車を急発進させて、ころんだときの問題だ!と、いつも言う

 

そんな母親も、唯一の問題は、温度を感じないことである。
朝、一人で住んでいる母屋に行くと、布団をかぶって寝ている。
魔子様が、電気毛布を買ってあげたので温かいのだろう…

しかし、その周りは外気温と一緒だ。つまり氷点下の状況にある
それで起きてきながら

「今日は、寒いの?」と聞く
「まだ十分に寒いから部屋が温まってから起きな!」と言っても、起きてついてくる。
ストーブのスイッチを入れ、新聞を取り、牛乳を凍らないように冷蔵庫にしまい。
「部屋があたたまるまで、待って…」と言っても起きてくる
人恋しいのである。

日中も、もったいない精神で、すべて暖房を切る。
冷え冷えとしているが、「寒いの?」と聞いてくる
あろときは、ファンヒーターが30度の設定になって、顔を真赤にしながらストーブに抱きついている
皮膚の体感温度が、老化しているのである。

それで冬の間、ショートステイに入れることにした。
色々調べるとさまざまな事があるようだが…

難しく考えない

とりあえず近くである。
日中に何度も行けるということが条件である。
介護していてよくわかったが、認知症の介護は何回も行くことである
べったりといたら、介護するほうが疲れてしまう。
ちょっとの時間でいいから何回も合う、これがポイントである。

福祉施設で様々な事件があるのは、「さもありなん」と思う
肉親の介護している方でも、イライラする事が当たり前で、
ホームに預けれは、それで一巻の終わりである。
介護施設は、本人のためでなく介護する人のためにあるのである。
だから立派な施設に預ければ、それで終わりなのである。

店と家の間にある特養の空床型ショートステイに、とりあえず預けた。

母はトイレ付きの個室にすみ、部屋の前の大きなテーブルで
一生懸命、絵を書いていた。
目の前には車椅子で前掛けをして老婆が飯を食べていた。
母は話しかけながら…一生懸命手を動かしているが…

話の内容は、前に座っている老婆と噛み合っていないようだ。

 

 

 

 

ちいさな妄想

いろいろと考えなければならないことが、いっぱい有る
すこし原点に戻ろうと想っている

年末に一世代下の友人に…
「未来が広がっている息子に…」と言った言葉がある

そうなのである
自分自身30代前半、未来は、ようようと広がっていた。
「なんでもできる。どうしても生きていける」と言う、変な自信があった。
今にして思えば、時代が思わせたのかもしれない。
それが自分の中で変わっていったのは、40代の農業(農?)との出会いであった。
農業でも、なんとかなるさと思いながら飛び込んだ世界は、まるっきり違っていた
やること、やることが、思い通りにいかない。
そんなことから「一から勉強をしなおしたい」と思ったのは45歳の時だった。

そして様々な出会いがあって、多くのことに気がついた。
経済や国やその組織は、人が効率的に動きかつ効果的な仕組みを作るために人工的に作られてきた
ところがそのその人工的な仕組みの中で動く人間は、食糧というどうしようもないコントロールできない基盤に立っている。
(昔の戦も、すべて不安定な食糧確保から作戦が立てられていたという)
つまり足元が不安定なまま、組織に活かされて安定を目指すという矛盾の中で生きているである。

ところが農の世界は最初から不安定なのである。
雨が降れば根が腐り、晴れが続けば葉が枯れる、植物にとって当たり前のことであるが…
それを食糧として生きていく人間は、不安定な生活を強いられる。そして為す術がない。
ただただ、祈るというだけなのである。
だから農業と宗教は密接につながるのである

それを産業革命以後の科学技術は産業という考え方で農業を変えた。
さまざまな技術革新で単位あたりの生産量も上がったが…
そろそろ限界にきている
科学技術を支えているエネルギーが不安定だからである。

新エネルギーとして原子力やシェールオイル、再生可能エネルギーなど言われているが、いずれも安全性やコスト、量的問題を抱えている。
つまり今まで化石エネルギーを利用してグイグイ成長してきた社会は
全体的に、ここへ来て成長速度が鈍化しているのではないだろうか…

よく考えてみれば、自分の周りは、どんどん成長の可能性があるが
ひょっとして世界のある部分では、衰退しているのではなかろうか…。
つまり格差が広がっている。と言う状況ではないのだろうか…
なんと言ったって地球は、閉鎖空間の循環型世界なのである。

宮沢賢治は言ったという
「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と…
これは閉鎖空間の循環型世界では。
「現状に満足すべき」ということなのでは、ないだろうか…

世界一幸せな国ブータンが、その有り様では…

 

ちいさな世界の、ちいさな循環の輪が、
幾重にも横につながって…

 

そんな戌年のワンダフルの妄想である。

四日間

年が明けて四日間が過ぎた。
夜中に起きて事務作業をし、太陽が昇り暖かくなったら店に行き、
普段できないことをすごして、指が、かじかんで動かなくなったら、
家に戻って酒で温め、風呂に入って早々に寝る。
と言う単純な四日間である。
思っていたことの80%ぐらいしかできなかった…

一番感じたのば、指先がもげるように痛いということである。
穏やかなあ正月だったが、真冬日にもならず日中は太陽も顔を見せた。
それなのに指先だけが、ジンジンと痛む。
もう指をちょん切ってしまいたいほどだが…
たぶん歳のせいだ。
毛細血管まで血が流れないのだろうか…
手袋を買ってはめても…
お湯で温めても…
指先が思うように動かない。
こういう処から年齢を感じる。

何をしたか?と問われると痛い。
事務作業は決算処理だし、店の片付けも普段できない整理整頓だ。
日常の中で断捨離をして、掃除を日々重ねて、ということが出来ていない証拠である。
まぁそれでも、新しい歳を迎えるという気分にはなるが…

しかし、唯一心残りは…
まだ賀状が書けていない。
そうなのだ自宅に届く賀状は良いが
店に届く賀状は、今日(5日)でないと受け取れないのである。
年末に「賀状入れのダンボール」を店の玄関に置いておくのを忘れた。
毎年のことなのに…「魔子様は何をしているのだ!」と人に責任を押し付ける(泣)

賀状は買ってあるが、8日までに出さないと「10円プラスしろ」と郵政省から通達が有ったという。
10円を馬鹿にしないで欲しい。
岩手県民130万人分といえば1300万円である。
岩手でさえも、小さな家なら土地付きで、二軒も買える。
盛岡市民30万人分なら、300万円である。
ホンダの冬にも強い4輪駆動のNボックスが2台である。

今話題の相撲でも

昔の話だが横綱北の湖が若い衆に
「これでアイスキャンディを買ってこい」と言って1万円札を出したと報道されていた。
今のモンゴル絡みのガチンコ相撲界でもアイスキャンディーは喰いきれないだろう(意味不明)

そんなこんなで4日間のツケが、この8日までの三日間の勝負につながってしまった。

反省!

 

(反省は戌でもできる?猿か?)
今年は何年だ?

 

 

 

 

 

 

 

 

第一報

正月の引き売りという名前の老人ホーム販売は二週おやすみ。

1日(正月)と8日(成人の日)

なぜ成人の日が8日なのだ?
わけがわからん

とりあえず一回ごとに配るチラシを
今回はブログで公開

 

少食のひとに…

ハンバーグを、始めた。
ハンバーグ定食である。
どこにでもあるハンバーグであるが…
どこにもないハンバーグである
つまり、短角牛のハンバーグである。

高校を卒業するまで、家でハンバーグを食べたことがない。
そもそも「肉」といえば豚肉が、カレーや野菜に混じっているという感じだ
そのカレーだって、肉の代わりに魚肉ソーセージが、ときおり入っていた。
肉を食べたという意識は、浪人時代下宿の友人の父親に連れられて
仙台の一番町のすき焼き屋だった。
そのとき初めて、牛肉を食べた。
すき焼きは牛肉なのだ。と認識した。

貧乏な学生時代、6畳一間で共同便所風呂の下宿だった。
ラグビーをしていたので、アルバイトができなかった。
というよりも、アルバイトは、夜しかできなかった。
コンパ(昔のカウンターバー)のバーテンをした。
他のところは、若い女の子が一杯座った。
小生のカウンターには、ヤクザしか座らなかった。
ヤクザは言う。
「おまえ!だちだろう!つけるな!」
と脅された。
つまり「友人だろう、伝票なんか付けないで、ただで呑ませろ」
という、ケチなヤクザばかりだった。
そのアルバイトが終わった深夜
スナックで始めた食べたのが「ハンバーグ」だった
皿に、ふっくらと盛り上がった肉の塊は

こんな美味いものがあるのか?
と感動した。
それ以来、深夜にハンバーグと食べながら、オールドの水割りを呑むのが
月に一度の給料日の楽しみだった。
昭和40年代中頃の話だ。

そして今
誰もが安く食べられる
○○○ドンキーという全国チェーンがあるという
「認知症の母がディサービスで「連れて行った」と書いてあった。
本人は、「行ったのかね〜」と記憶がない。
それも札幌本社のドンキーは盛岡が発祥の地だという。
そこの肉と比べようがない
そもそも重量が違うのである

向こうは150g
こちらは短角牛と豚肉の合い挽きで80g

子供向けと老人向けであるが
少食の小生向けでもある
一人前が食べられない人に…。

 

 

 

 

 

入道流

元日の朝、いつものように元朝詣りに行った
昔は家族総出で行ったものだが…

子どもたちが大きなって友人と出歩くようになり
魔子様も、ご利益がないので(?)いかなくなり
出かけるときも、起きてこない

ここは盛岡を見下ろす場所に立つ商売の神様だが、急坂だ
いつもは歩いていくのだが…
今年は、膝がおかしい
学生時代のラグビーで膝の靭帯のうち一本が切れていたようだ。
周りの筋肉が抑えていたので不自由は感じなかったが…
高齢化にともなって、筋肉が落ちたようだ。
膝が思うように動かない
まして3年前に化膿性脊椎炎で「絶対安静」の40日間ですっかり筋肉が落ちた。
本人の動きの感覚は、まるでピノキオ状態。
そんなわけで歩いていかない。
歩いていかないということは、神社のおふるまいのお神酒も呑めない。
呑まない元朝詣りなどあるか?
そんな正月早々の燃えるような葛藤の中で、車に乗り込もうと思ったら
雪が積もっている。
「雪をハカねば…」
と雪ベラを探して椅子の下に手を入れたら、何かおかしいものが手に触った。
なんと数ヶ月前に“落とした!“と思った「認め印」である・

これは正月早々縁起がいい。
「失せ物」が見つかった。

そして気持ちよくスイスイと神社の坂を駆け上がった
引いたおみくじは「大吉」だった。
素直に嬉しい。

昔。おみくじを引いて「凶」だったことがある。
そんなバナナ?と、また引いたら、また「凶」だった。
赤坂の豊川稲荷である。
と言って大凶事が有ったという想い出もない。

それ以来おみくじは信用しない(都合の良い解釈)
今回は信じる(都合の良い解釈)

しかし「失せ物ー”出てこず人の手に渡る”」と書いてある
これは無視。
つまりすべてのことは、自分に都合よく解釈するのが入道流である。

月別アーカイブ : 2018年1月