ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

老い

店の陳列棚を整理していた。
ふと見上げると、オバァちゃんが一人
スクッと立って、こちらを見ていた。

 

あれぇ〜何処かで見たことが…
とりあえず「あっ!どうも…」

こういうときの「どうも」という言葉はありがたい
とりあえず時間を稼いで…
誰か思い出そうとするが…

笑っているオバァちゃんは、黙っている

沈黙に耐えきれなくなって
「久しぶりですね。どこでお会いしました?
お名前は…」と言うと
「〇〇です」
頭の中が走馬灯のように回転する

「〇〇」は昔いた。日本一大きなバスケットの選手だった。
しかし、眼の前の「〇〇」は小さい。年齢もいっている。。
違う!
「〇〇」は西日本の県名だ。
違う!

そうだ!思い出した
刻まれたシワの奥底に、あのオバアちゃんの顔が見えた。
土手の上の道路を信号無視して、大きな道路を渡って歩いてくるオバアちゃんだ。
そして時折、肥料を配達して、隣の空き家の庭を耕していた「〇〇さん」だった。

そう言えば…
このところ5年ぐらいになるだろうか…
来ない。

「久しぶりだね〜。どうしていたの?」
「一人暮らし」
「畑は…」
「もうとっくにやってないよ」
「バスカードを使って生協に買い物に行っている」
「それは良かった。今日は?」
「バスカードを買いに来たの…」
「幾つになるの」
「もう90の坂を超えた」
「じゃ〜昭和2年!うちの母と一緒だ」
「もう、すっかり足が弱って…」
「しっかりしているよ」
「頭もボケて…」

と言いながら手すりにすがって歩いて登っていった。

歳を重ねて、老いは平等にくる。

しかし、そのボケ方は大きな違いがでてくる
それはいったい、どういう生き方で差がつくのだろう

母はいつも言っていた
「書道は指先を動かすから、ボケないのだよ…」
しかし、ボケた。ひどく…

知らない道

弁当の配達である。
だんだんこの頃は、固定化して新しい得意先は、あまり出てこない
だから、ギリギリまで仕事をしてから出かけることが多い。

新しい得意先は、昨今出来た「〇〇弁当」に注文が流れているのだろう
「有名店のシェフの作る500円弁当を一個でも配達する」と言う
だんだん安値競争になって、ほか弁みたいになってきた。

まぁどちらが辞めるかの時間の問題である
ひょっとしら当店が先かもしれない(泣)

弁当は配達時間が限られている
時間を、どう配分して効率化するかなのだが…
さて今回は

そういえば…あのへんに有ったな?と言う認識で
その前に集荷を済ませなければ…
と田楽茶屋で豆腐の集荷を済ませ、そして慌てて出発した。

しかし、念のためにナビをセットした。
ところが思っていた場所と違う行き先を示した
やばい

時間が迫っている

思っていたところの近くへ行ったが、ナビは、そのような場所を示さない。

もっと先へ行け!

と言う

おかしい、と思って暫く走ると、看板を掲げた建物が見えてきた

ここだ!
ところがナビは

もっと先へ行け!

と言う

おかしい、と思いながら飛び込んでみた。
担当者が出てきて

「有難うございます」と言いながら
「最近、引っ越して来たのです。以前は向にありました。」と言う

そういえば、ナビの道案内も途中で行き止まりだったりして
古い地図をベースにして案内だった。

ふと先日、一周忌で東京に行ったときに
「〇〇寺」というと詳細な画面が出てきた。
「すごいね。今のナビは…」と運転手に語りかけると

「いやぁ〜飲み屋でも新しい店ができると、次の日には表示されます」

と言う

知らない街を歩く、知らない道を歩く、探しながら歩く。
そんな楽しみは、古典的になったのだろうか…

だんだん人間は便利になって、馬鹿になっていくような気がする。

なこうど

喪中欠礼のはがきが来る。
最初に来たのは…

仲人の奥さんだ。
仲人は昨年亡くなった。

後を追うように逝った。

魔子様は「仲がいいと後を追うというから…」と言う
小生は早く逝きそうだが
魔子様は長生きするだろう

 

「仲人」という“職業?”も無くなってきた。
そういえば娘のときも、息子のときも「仲人は立てなかった」

小生の時代は、「誰を仲人に立てるか?」が大きな問題だった。
社内結婚だったが転勤直後だったので、
前の上司か?新しい上司か?
の選択が求められた。

選んだ仲人は、オイルショックの在庫過多で多くの社員を希望退職の陣頭指揮をとり責任を取って会社を移っていった。

 

奇しくも先日、不意に戻ってきた孫は嫁が選んだ「ムージョンジョン」の服を着ていた
仲人が移っていった会社は「ムージョンジョン」と言うブランドを持った子ども服メーカーだった。

報恩講

報恩講の案内を掲示するのを忘れた。

EPSON MFP image

基本的には「政治」と「宗教」と「おかしな営業」は、店内の掲示板、ブログに載せないことにしている。
が…

これは別だ。

以前、怪しげな集まりの案内を持ってきた人に
掲示を断ると
「宗教と哲学と何が違うのだ?」と文句を言われたことが有る。

また「経皮毒」を説明すると言って「シャンプーを売りつける案内も来た。
どうやら新興宗教くさかった。

間際らしいパンフレットが時々紛れ込んでくる
が…

これは別だ

 

「内山節」は小生の師匠である。
もう付き合いは長い。
師匠と言いながら、不肖の弟子である。

思っていることの何分の一も出来ないものだ。
思っていることと理解していると違う。
ということを実感している。

どんな話をするのか、多くの人に聞いてみて欲しい。

零余子

氷点下の曇り空の朝
今日はどうなるだろうと思っていたら空が明るくなってきた
なんとかなりそうだ

ひきうり三回目ともなると準備がすぐできる。
すぐできると思うと油断する
やはり商品を忘れた
というよりも、間に合わなかった。

朝、パワフルに動いて商品づくりをしないと間に合わない
それには慎重な段取りと、軽快な動きが必要だ
ちょっとした戸惑いが、時間をロスする

今週のテーマは「零余子」だ。
意味がわからない人はチラシを…

そして零余子を忘れた(泣)

裸足と靴

二人の人間に会った。

一人は問屋の老セールスマンである。
一人は福祉施設の若き代表である。

老セールスマンは、嘆いた。
「流通業界は壊滅です」
「地方の小売店は、どんどん廃業に追い込まれている」
「大手の需要先は、本社で決めてくるので地方まで回ってこない」
「仲間の問屋も、人が辞めていく」
「運賃も人件費も、どんどん上がる」

福祉施設の代表は
「施設に子どもや老人を呼び込むことをやっている」
「地域の人に、施設を利用してもらいたいと画策している」
「様々なことをしてきた、福祉タクシーや福祉弁当、
上手く行かなかったが、やり方ではなかったか…」
「地域に根ざすと、さまざまな小さな需要が見えてくる」

 

そういえば、昔、読んだコラムがある
「裸足と靴」というショートストーリーだった。
商社マン二人がアフリカに靴を販売するという特命を受けた
一人は、アフリカの現地人を見て言った
「これはダメだ。みんな靴を必要としていない裸足だ」
もう一人は
「これはいける。みんな裸足だ。いくらでも靴を必要とする」

 

たぶん大きな目で業界を見ると見えてこないものが
目先の地域の個々の訴えを塊にすることで解決することが有るのかもしれない。

ふと積雪7センチの朝、想う。

介護

今朝のニュースで、「老人ホームで入所者殺害の容疑」が流れた。_(https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1114/jj_171114_0337304575.html)

認知症の母を介護していると、いろいろと考えさせられる。
殺人は、当然否定されるべきものであるが…
介護という仕事の過酷さを理解してやりたい
その狭間の中で
働く若者を補う仕組みが必要であると思う

 

そろそろ母も、下の世話ができなくなってきた。
気温が下がるに従って、体温の感覚がなくなってきたのだろうか

床暖房・ファンヒーター・電気毛布・どんな暖房をしても
すべて朝になると切れている。
そして切れないと、コンセントを抜く
コンセントを抜いただけでなく、ブレーカーまで落とす。
戦前戦後の「もったいない精神」が骨の髄まで染み込んでいる

朝の仕事は、電気をつけて暖房をつけて朝食を食べるように促すが
温かい朝食は、すこしでも残して一日の食糧にとっておく。
そして1時間も経つとすべての電源を切って、電気も消してある。

お手上げである

やはりホーム入れなければ…
と思うが、老人ホームのさまざまな犯罪が流れるにしたがって
母と一緒に、大叔母の見舞いに仙台の老人ホームに行ったときの言葉を思い出す

「いやぁ〜ね。こういうところには入りたくないね」

饒舌だった大叔母は、車椅子で出てきたがうつろな目で、無口だった。
奥から、みんなで歌わされているのだろうか、童謡が流れていた。

長寿が良いことなのか?
「元気で長寿でありたい」と思っても。そうはいかないのが人生だ。

人口減少社会と言いながら、残された人口が老人ばかりでは
経済は活性化するのであろうか?

早く逝くのも、幸せなのかもしれない。

悪戦苦闘

チラシを作った

引き売りで配布用だ。
しかし、店でも配る
以前「入道の独り言」と言うチラシを作成していた。
(本当は「たこ入道の…」という名前だったが、
多くの人が「たこさん」「おい!たこ!」と叫ぶので止めた)
じゃんじゃん発行してネタがなくなって休止した。

こんどの再発行は慎重にしようと思って
週に一回のペースにしようとしている

 

一回目は

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会話

引き売りをはじめました

御用聞きも始めます

今、買い物をするところは、数多く有ります。

近くはコンビニ。ちょっと近くは生協。もうちょっと遠くは量販店。そしてデパート。そしてショッピングモールや産直、

おまけにネットでも…いくらでも買うことが出来ます。

なぜ引き売りなのか… なぜ御用聞きなのか…

 

それはコミュニケーションの原点!会話が、できるからです。

会話は、コミュニティの原点ではないか?と思うからです。

もののやり取りが、単純に物と金銭の交換で良いのか?

合理化と効率化で、マニュアルどおりの、人を介在しない物のやり取りが、良いことなのか?

そんな検証をしないで、人件費が高いからと言って、どんどん人を介在しない流通が出来ていきます。

そんな疑問を持って、このプロジェクトを始めました。

人と関わることは、面倒くさいことです。

しかし、人と関わらない人生は、寂しいものです。

十分な対応が、できないと思います

十分な品揃えが、出来ないと思います、

しかし、ある谷を超えた時、貴方だけのお店になり、貴方の品揃えができる、ゆたかな関係性の世界ができるのではないか…

そんな想いをもって、取り組んでみたいと思います

お米の美味しい新米の季節です。お店の「今すり米」は、西和賀町大田の有馬富博くんのひとめぼれです。

平成二十九年十一月六日      ちいさな野菜畑

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文章を作って飾りの柄ははめ込んでもらった

2回目は

文章は作った

 

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いものこ

秋もそろそろ終盤となりつつあります。

秋の食べものは数多くあります。

しかし一番多く記憶にある秋の食べ物と言ったら

「芋の子汁」と答えるのでは無いでしょうか?

(あくまでも個人の感想です(笑)

西日本で「芋の子汁?」と聞いてもピンときません。

なぜなら「芋の子」は里芋!という認識がないのです。

ひょっとしたら、岩手の方言かもしれません。

そして関西では芋の子汁という料理も存在しません。

山形でいう「芋煮会」や岩手の「芋の子食い」は、冬場の保存性の悪い里芋を大量に食べるために東北で行われた行事だという説があります。

だから西日本では里芋は、汁物でなく煮物なのです。

以前は河原で芋の子会を学校行事として有りました。

東北では、懐かしい思い出を多く人が持っています。

岩手の里芋は、北上の二子地区や盛岡の津志田が有名ですが、農協の合併で、いつの間にか地域とかけ離れたものになりつつあります。そんな里芋は、稲刈りと密接に関わってきます。

それは米の収穫前に掘るか、稲刈り後に掘るかで、大きく値段が変わってくるのです。稲刈り前に掘ると、値段が高いが、ちいさな芋が多いのです。稲刈り後は、しっかりと大きい芋が採れますが、値段が安いのです。そんな里芋も、七度以下の低温で保存できないので冬場は出回りません、

あくまでも秋の味覚なのです。いまのうちに是非どうぞ。

 

平成二十九年十一月十三日  ちいさな野菜畑

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画像にはめ込めない

二時間かかってようやく出来たが…
細かいところが不満足だ

バージョンアップをするたびに時間がむやみにかかる

一太郎を使っていた頃が懐かしい
ひょっとしたら「一太郎」はもうないのか?

少欲知足

さまざまな大企業が、さまざまな問題を起こしてマスコミに騒がれている。
ほんの少し前

大企業(一部上場会社)という信用は重かった

商社に入社したときに

一流のところからものを買って、一流のところへ売るのが、一流の商社だ。

と教わった。
一流のところは、万が一問題が起きても対応は万全だ。と想っていたが

「万が一」どころではない。
頻繁に…と言うか、常態化している問題が数多く起きている。
これで一流の大企業といえるのか…
一昔前の言葉が、だんだん軽くなってきた

これは企業の問題ではなく
たぶん資本主義の問題なのではないだろうか…
「そういう宿命にある」という…

資本を投じて利益を上げて経費を賄うと言うシステムは、常に拡大を伴う
その拡大が一杯一杯になってきたのではないか
拡大しないで分散を望んでも、こんどは企業の精神が薄まる
ようするに二流三流になってくる。

はちきれそうに膨らんだ大企業と
二流三流に落ちこぼれた小会社グループと…

そんな大企業グループと、新興企業の争い

 

そんな構図が頭のなかに浮かんだ。

いずれにせよ
グローバル、はどこかで行き詰まるだろうと思っていたら
さっそく自国最優先のトランプが出て世界に広がっている。

そこから戦争になるのか…

その土地に根ざした循環型家族経営が、一番安心できるのか…
ところが人間は、「野心という向上心」をもった動物である

「少欲知足」と言う言葉が、身にしみて思うのは、いつのときか…

冬の時代に向かう朝の戯言である。

月別アーカイブ : 2017年11月