演劇を見に行った。
「劇」である。
劇と名のつくものを見たことは、最近はない。

映画も見ない。テレビドラマも見ない。
小説も最近は読まない。
それでも最近読んだのは「豆の上で眠る」という湊かなえの推理小説だ。
ラジオで書評を語っていた。たまたま寄った本屋に有ったので買った。
小生にとっては、推理小説は息抜きであるが、読後は、なんだか人間関係がこんがらかって、息抜きにならなかった。
というよりも、作者は一世代か二世代、年下なのだろう。
子供の頃の思い出を語るくだりは、小生の社会人か学生時代の頃の話だ。

齢を、とったものだ。

それで「演劇」だ。
演劇もここしばらく…
思い出しても10年は見ていないだろう
盛岡は”演劇の町と言っても良い”と、聞いたことがある
小さなホールが有って、さまざまな劇団がさまざまな芝居をしている。
以前も招待券をもらったので行った。
行けば行ったで面白いのだが…

金を払ってまで時間を潰してまでいこうとは、思わない。
しかし、招待券をもらってしまった。二枚も…
定年退職した友人に「ヒマか?」と誘って行った。

普通は予習していくのだが…
失敗した。
目先の仕事が忙しくて、なんとなく行ってしまった。

パンフレットには「怪談」と題が振って有り
「露と答えて…」「業平・双六」と有ったので
昔の怪談話か…
お寺の人間関係の話か(博打の話か(=昔お寺は博打場だったと言う)…と思って行ったのだった。

話の内容は在原業平という平安初期の有名な歌人である色男の天皇の后(藤原高子)との恋と、現代の若者の恋を、愛するものが亡くなったという執着する心の葛藤を描いたものだった。
乱暴に一言で言うと、生と死と愛が絡み合ったシリアスな心理劇というべきものであろうか…
それを鬼と仏が見守る。(たぶん人間の心に鬼の部分と仏の部分があるという意味なのだろう)

それは後から類推した。
話が始まったときから背景がわからずに鬼の言葉がポンポンと飛び出し
理解するのに時間がかかった。

 

そういえは古文が苦手であった。
高校の時、国語は「現代国語」と「漢文」と「古文」という三科目が有り、一番苦手だったのが古文だった。先生は爺さんだった。なんだか、いつもむにゃむにゃ言っていた。
もし古文が得意科目であったら、古文書に何が書いてあり、何を思って多くの人は生きていたのが興味を持っていただろうに…

歴史は得意だったが、平安時代は記憶にない。というか面白いのは戦国時代からの出来事で、せいぜい平安時代というのは長いこと続いた無事な世界と言う認識であった。
そして「強い権力者の物語」を「歴史」と思っていたのである。
それを変えてくれたのは「網野善彦」や「田中圭一」が語る江戸時代であり、「宮本常一」の明治の民俗学であり、「渡辺京二」の江戸から明治への来日した外国人の書簡集「逝きし世の面影」であった。
庶民が何を考えて生きてきたのか…それが地についた歴史ではないのか…
それを知っていたら歴史ももっと奥の深い理解が出来ていたのかもしれない

しょせん古文や日本史/世界史は受験のための暗記科目だった。

 

その弊害が、亡霊としてここに現れたのである。
思い出せば一つひとつ意味がある仕草やセリフだったのだろうが…

もう一度じっくり見たいものだ。

 

風流怪談「露と答えて」(yahoo 知恵袋より引用改竄)

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

主人公の『男(在原の業平)』が、長年好きだったある身分の高い女性(藤原高子)を連れ出したときのこと。
女を背負って、郊外の草地を歩いていると、地面の草は露で濡れてキラキラ光っています。
それを見て女は男に聞きました。
『あのキラキラしているものは何?』
男は急いでいたので、それには答えず必死で歩き続け、あるあばら屋に女を隠します。
あばら屋の前で一晩、追っ手が来ないかと見張っていたのですが、突然中から女の悲鳴が。
驚いて中を見ると、女はすでに鬼に喰われた後でした。このとき嘆きかなし男が詠んだ歌です。

『白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを』

『あれは何?真珠なのかしら?』とあなたが聞いたとき、せめて『これは露ですよ』と答えて、私もあなたと一緒に露となって消えてしまえばよかったのに。

実際は、途中で追っ手に捕まって連れ戻されたのを、このような美談にして語ったと注釈がつけられています。

こんな恋をしたいものだ(ブツブツブツ)