西和賀に行った。久しぶりである。

「トンネルを抜けるとそこは雪国であった」

という小説の始まりは、西和賀の山伏トンネルにこそ、ふさわしい

無駄な公共工事には厳しい入道であるが、この山伏トンネルと、岩泉に向かう早坂トンネルは、
「なぜ?もっと早くに出来なかったのか?」と問いたい

このトンネルのできる前は、しかたなくつづら折りの坂道を上り下りした。
仕方なくである
できれば、上り下りしたくなかった
急坂のつづら折りだった。
崖の端に、道路がへばりついているような道だった。
雪の凍結した道ならば、ブレーキを踏んでも、ずるずると車が下がっていく
ハンドルがきかない、つづら折りだった。
たぶん大勢の人が、崖から落ちて亡くなったことだろう。

 

それでも、冬の間に何往復もした。
行く用事が、たくさんあった。
最近、行かない

用事が、なくなった

というよりも、用事を作らないようにした。
出歩かないで済むようにした
おかげで売上が減った。

出歩くと、売上が上がるが、経費もかかる。
用事も増え、仕事なのか?ボランティアなのか?
と深く考え悩む日々となる

 

それでも西和賀というか沢内は、好きなところだ。

沢内の代表的な風景だ
道なりの直線道路、奥羽山脈の頂上付近を走っているので低い山並みに見えるが標高は高い、
片側には防雪の柵、道路から離れた家、道路のそばにある作業小屋
秋田との境の豪雪地帯で、自然とできた風景なのだろう

最初に来たのは、小学生か中学生の冬休みの記憶がある。
オヤジは、建築現場の現場監督をしていた。
中学校の現場事務所に、大雪の中、二階から出入りしていた
道路には、垂直に雪の壁が立っていた。

いまでも名残りに二階の出入り口のようなものが家に、はりついている
そして除雪のためのスペースが、家と道路の間に広く設けられている。

昔は、陸の孤島と言われていた。
今、「除雪は西和賀を見習え!」と言われるほど、冬道はスムーズである
おまけに山伏トンネルも、あっというまに通り抜けることができる

 

無駄な公共事業が多いと言うが、必要な公共事業もあることは確かである
「最初に予算有りき」の公共事業に反対の声が出ると
元県職員は言う
「コレをやらないと、死人が出ますよ」と言うと
首長や議員は、「反対できない」と言う

沢内の歴史は
子どもが病気で背負って豪雪をかき分け麓の病院に着き背中から下ろしたところ、凍死していた
という悲劇を聞いた
「活雪(カッセツ)など雪をいかに利用するか…」で工夫をこらした故佐々木覓(元西和賀農協組合長)は言った
「条件不利益地帯と言う言葉は無い」という深い言葉を噛み締めたい

 

こんどは人口減少と高齢化する過疎地の山村という悲劇に、どう向き合うのか…
大きな発想の転換が求められるが…