”せいじ”が店に顔を見せなくなって、数日が経つ。
テラスで吐いて無断で逃げたことを悔いているのか…

しかし、店の前を平気で通る。
店に入るか?と思って魔子さまたちはヒヤヒヤしているが、どうやら坂道を下って下のスーパーへ向かっているようだ。
ほっとする反面、きちんと相談に乗ってやればよかったのか…

 

店の前を通りすがった”せいじ“を見て、「あれは乱暴者だ…」という老人がいた。
玉山から移ってきたらしく、近くの団地のバラックに住んでいるという。
隣近所とトラブルを起こして、乱暴狼藉を働くという。

以前、“せいじ”は、よく店に来ていた。
そんな人では、なかった。
牛舎の匂いをさせていた。
母親と一緒だったことも有る。
店のアンケートに答えて名前を知った。
その答えも、子供のような字と文章だったと魔子様は言う
久しぶりに来たら変わっていた。

畜産は、生き物を扱う仕事だから休みがない。
家族がいれば、なんとか交替交替でつなぐことができるが
独り身では、どうしようもない
ヘルパー制度などあるが、個人経営で資金的余裕が無いところは難しい
いきおい企業経営となるが、そうなると多大な設備投資を必要とする。
その回収のために効率的な肥育管理をしなければならない。
ようするに効率的に飼料を食べさせ、効率的に太らせるのである。
つまり運動はさせない。牛舎に繋ぎっぱなしである。
広い草原に放牧し、ゆうゆうと草を喰む牛のコマーシャルが流れているが
あのような風景は、夏の短角牛の放牧でしか見られない。
運動させると筋肉がついて食欲が増進され、脂肪(サシ)が入らないのである。
赤身肉を特徴とする短角牛は、それゆえ放牧が可能であり、地域の文化として残っているのである。
夏は短角牛は山へ上げ、人々は里では畑の作業をし、冬は短角牛を山から下ろし、蓄えた飼料をもとに肥育する。
これを夏山冬里方式という生活スタイルとなるのである。

それがグローバル経済とともに崩れてきた。
消費者にあまり人気がない赤身肉でも高値で流通し始めたのである。
牛肉であれば混ぜて加工してしまえば、なんでもいい。
とりあえず原材料が足りずに、商品が不足しているのである。
そうなると赤身の短角を子牛で大量に買い付けて大量に生産する方法が効率がいい。
ハム・ソーセージなどの肉加工も効率のいい原材料を求める
豚肉の消費が多い人口が世界一の中国も、牛肉にシフトしてきた。
奪い合いのなかで、個人の農家が子牛が手に入らなくってきた。
そして高齢化である。まして農家は単身の世帯が多い。

「これも時代の流れだ。」と片付けて良いものだろうか…
以前は学校の勉強ができなくても、やれる仕事があった。
今は、学歴が全てとは言わないが大きなウェートをしめる
最初から差がつき。チャンスを逃すと取り戻せない
「がんばれば報われる」新自由主義は、
がんばっても報われない社会に向かっているような気がする。

”せいじ”は、これから生活保護で、おしまいなのだろうか…
地域に根づいた生き方は、難しい時代になった。