亀の尾の玄米を、もらった
石鳥谷の高橋亮介くんからである
亀の尾は、よく知っているが、食べたことがない
彼に頼んで分けてもらった

物々交換だ
と言いながら、小生のほうが歩が良かった

美味しい米だ

よく考えてみれば、酒米だと思っていたが亀の尾は、良食味の飯米の基本だった
名前だけは「酒用の米」というほうが有名だが

実は戦前の良食味の陸羽132号
戦後のコシヒカリ、ササニシキの祖先である
明治の庄内地方の阿部亀治という人が選抜したという

ようするに田んぼをほっつき歩いて、冷害の年に実っている数本の稲穂をみつけ
それを数年かけて育てて種籾にしたのである
書けば二行で終わってしまうが、
その二行の裏には血の滲むような年月と智慧の集大成が有ったのだと思う

 

以前、志和にOさんという二反分百姓がいた。
彼は慣行栽培の兼業農家である。
家の前の田んぼが、たしか段々畑のように4〜5枚あっただろうか…
一番上にはちいさな細長い田んぼが有って、さまざまな稲が植えてあった。
あちこちでもらった種籾を植え、自分の田んぼで生まれた特異品種を選抜採種して育てていた
彼の段々畑は水が循環するようになっている。
一番下の田んぼまで、水が落ちると車の中古のエンジンでポンプアップして上に上げた
せっかくぬるんだ水を流してしまわず循環させたのである

彼の田んぼは、足あとで踏み固められていた。
通常、田んぼの外から肥料や農薬を動力噴霧器で飛ばすのだが、
彼は田んぼに入って、一株一株の葉色をみながら肥料を振ったのである。
(植物に必要な窒素は、足りているか足りていないかは葉っぱの色に現れる
葉緑素を形成する窒素が多いと濃い緑になり、少ないと薄い緑になる)
それをみて判断するのである。
ようするに稲と対話をするのである。

彼は「93冷害(平成5年の大冷害)」のときに11俵/反の収量を上げた
他の農家は2〜3俵。青刈りと言って稲刈りをするのも手間なので草刈機で刈った農家もいた
タイ米騒動が起きた年である。
彼が言った言葉「あの時 窒素を振っていれば12俵は採れたのに…」
彼はノートに気温・地温・水温。成長の草丈・分けつ本数とうとう成長を克明に記録していた。
そんな彼を、近隣で真似するものは誰もいなかった。

多分、庄内の阿部亀治もそんな篤農家だったのだろうか?
選抜した稲に自分の名前がつき、それが後世に残った。

有名なコメを食べながら、無名の農家を思った。

しかし、亀の尾はさっぱり系だと思ったが、しっかりと粘り系の米だった

これはいけそうだ。