ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

作るのは楽しいが、売るのは難しい

友人一家が来た。
県南で有機農業を営む一家である。
その仲間のことを一生懸命心配していた

「稲作農家は米が売れない。さまざまな努力をしても米が売れない」
当たり前である。
そうそう簡単に売れたら、販売をしている当店でも楽に儲かって仕方がない

いつも言うのである
「作るのは楽しいが、売るのは難しい」
なんでもそうであるが、
人間関係でも…
モノでも…
自然の中で栽培するものでも

ある程度期待感を持って作る。
それが進行しているかどうか…
期待どおりになるかどうか…
さまざまな思いとともに、辛い作業も有る
基本的には、できようが、できまいが、その作り上げる期待感は楽しいのである

ところが売るというのは、相手が有るのである。
すんなり期待通りに相手が受け入れるというのは、まず無い。
こちらの思いとは、ちがう相手に媚びないといけない(?)
売る方の主張は一方的で、相手には迷惑な主張なのである。
相手は、必要なときに必要なものを必要なだけもってこい!と主張しているのである
それを譲歩させるのは、相手との理解である。

時間がかかる。

営業の基本に「毎日、通え」という言葉がある
毎日、そばによって来たら犬でも可愛くなる。
と言っても、ただ毎日行けば良いのか?と言うと
何も持ってこない相手には時間の無駄、迷惑である。
商品説明など、みんな一緒だ。
そして世間話は潤滑油にはなっても、プラスにはならない

毎日通いながら相手の思い(悩み)を聞く、聞けるような関係を築く

ということが基本なのである
販売は上手に話すことではなく、聞き上手になることである
それがすぐできる人と、時間かけてできる人とで違いができるが…

ところが、そんな関係ができても、商品が切れると関係も切れる
米も年間を通して安定して供給できればいいが、梅雨越しの米は味が落ちると言う
農家も冷蔵庫まで持って管理したくない
そこで商品が切れて関係も切れて、消費者は別の関係をつくることになる。
その関係を、秋になって新米だと言って、もとへ戻すことは大変な努力を必要とする

稲作農家が単品の米を年間供給して安定した関係を築くのは、難しい

当店が産直を始めた当時(20年以上前)
米を直接販売しようという農家が出始めだった。
それまでは品種で選んでいたが、それから個人の名前が特定できるようになった。
今は、品種が多く、栽培方法も色々とあり、個人名が飛び交っている。
そして産直には、山のようにお米が…
量販店にも、さまざまなお米が…
ドラッグストアまで、格安のお米が…

多すぎるのである、そして食べる量が少なすぎるのである。
核戦争の中に竹槍で突っ込むようなものである。
その竹槍も、毎年作り直して辛抱強く突っつけばいいが…
小さな穴ぐらいは空く。
それが突破口に!と言う思いを持続するのは大変である。

作るのは楽しいが、売るのは難しい。

滲み地味

ガオガオの鬼嫁と、ひょうたんなまずの夫婦はいつも、朝早く朝定食を食べに来た

なんで声をかけたのだろう?
確かウッドデッキで二人で、朝定食を食べ終わったころだっただろうか?
試作の豆乳を、持っていったような気がする

それも、たまたまである

よく考えてみると、寺の末娘に言われたような気がする
「店主が、きちんとお客と向き合わないと…」
そんな苦言を、この当たり障りのない夫婦に試してみたような気がする

ガオガオ様の鬼嫁は、試作の豆乳に的確な評価をした
そばにいたひょうたんなまずの旦那は、むにゃむにゃとした記憶がある

それ以来、いつも週末の朝一番に顔を見せた
いや、それ以前から来ていたのかもしれない

あるとき、絵を見せられた。
面白い絵と、言葉が書かれていた。
ひょうたんなまずの夫が書いたという、
あいだみつおの漫画版だった。
「この絵、店に飾ったら…」と付き合い程度に言った。
あっという間に、さっそく持ってきた。葉書が束になった絵葉書集と一緒に
店の中に「しみじみ画廊」のコーナーができた。

そのころ某お寺でもガオガオの鬼嫁と、ひょううたんなまずの夫が持ってきた絵をみて、
末娘の母親は
「面白いね〜、お金が余っているから檀家に配ろう」と言って
この絵をカレンダーにした。
「余っているなら、檀家の維持費を安くしろ」と総代は言ったようだ。
真偽は知らない。

それが回り回って急流堂という時代の早い流れに流されない、きよらかな水の出版社の眼に止まった。

いつの間にか本になった。
あいかわらず、ガオガオ様の鬼嫁は意気揚々と先頭を歩き、
後から肩を落として、ぴょこたんぴょこたんとついていくひょうたんなまずの夫は、朝定食を食べに来る。

寺の坊主は言う「あの男は深い」

五月中旬さわや書店で販売開始。全国で展開します。
当店にも並びます。

ほろほろ

春である。
なんと言ったって、春である。
待ち焦がれていた春である

あっという間に桜は散り、
あっと言う間に水仙もチューリップも花びらがくすんだ。

そして時とともに気温が上がってくる
そして庭の垣根も新緑の若葉をつけはじめた
五加である。
五加と書いて「うこぎ」と読む
垣根の樹だと聞いた。

その若葉を熱湯で湯がいて、刻んだ味噌大根とくるみで和える
「ほろほろ」である

「ほろほろ」と言う”ふりかけ”になるのである。

岩手の春の味である。

ほろほろとは、南部藩の武士が食べようとしたら、箸からほろほろとこぼれ落ち、それをみて「ほろほろ」と呼んだという。

ホロホロ鳥とはちがうのだ。
ホロホロをふりかけた春の弁当である

 

 

紅木蓮忌

5月4日は紅木蓮忌である。
「こうさん」の命日である。
あれから3年経った。
朝、電話があった。こうさんの弟さんからだった。
「兄貴がなくなった」
電話の声は嗚咽が漏れていた。
たしか前日こうさんは「病院に見舞いに行く」と言っていたが…

あわてて、こうさんの家に行った。
呼び鈴を押しても、誰も出てこない。
庭にまわり裏に回り、病院に行こうかと思ったが
すれ違うと…と思い庭で待った。

いい天気だった
岩手山がくっきりと見えた。
今日みたいな岩手山だった。

庭の紅木蓮が咲いていた。

いつも奥さんと喧嘩をして店にきた。
奥さんとの諍いではない。
テレビのニュースを見て怒っているのだ。
それを咎められて、店にやってくる。

あれから三年。
当時よりも、どんどん右傾化してきた。
こうさんは動脈瘤破裂だった。
もし今なら、脳の血管が破裂するだろう

あの西郷さんのような風貌が懐かしく
まわらない口で口角泡を飛ばしながら…

この流れを止めるのは…
厳しいジャーナリストの目を持つ「こうさん」のちからが欲しい

葬式には行けへん

「なにしてんの?」
そのおばはんは、声をかけてきた。
”だれだ?”
店の道路際でのぼりを建てようと悪戦苦闘しているときに
そんな声が、かかってきた。

「ひなたぼっこしてるんかと思ったわ」
和歌山のおばはんである。
あいかわらず不意に現れる。
和歌山から旦那と一緒に月山、鳥海山を登って道の駅に泊まりながら盛岡までやってきたという。
山女である。

40年の付き合いである。
東京から大阪へ転勤になって配属された課の”おつぼねさま”だった。
と言うか…”ぬし”だった。

当時、和歌山から大阪御堂筋まで二時間かけて通ってきた。
通勤電車で、口開けてヨダレ垂らして寝ているという噂を聞いた。
真偽は知らない。

口から先に生まれた。と聞いた
真偽は知らない。
話しだしたら、止まらない。
人が話をしていても、割り込んで話をする。
上司が訓示をしていても、知らんぷりして話をしている。
というか聞いていない。という
真偽は知らない。

40年前、その課には二人の女の子がいた。
先輩の父親が事故で危篤になり、
全員で神社にお参りしたが、亡くなった。
一人の女の子は
「苦しまんように、はよ天国に連れて行ったんや」と言った
和歌山のおばはんは
「なんや、この神さん効けへんやないの?」と言い放った。
なるほど宗教心とは、こういうことか?と勉強した。

そんな山女と旦那を連れて天峰山へ行った。

三陸の被災地の復興をみながら和歌山に帰るという

別れ際に握手して言った。

「葬式には、行けへんで!」
66歳と67歳の久しぶりの再会の分レの挨拶である。

うすっぺら

寿司を食べに行った。
寿司は好物である。

最近、外食をしていない。
そうなのだ。一人前が食べられないので誰かと一緒にいかないともったいない。

大きな男が独りで入ってきて「子供用のカレー!」とか、「お子様ランチ」を頼むのは気が引ける。
たまたまテレビで野菜料理のバイキングが有った。
なるほど、そこなら高いが魔子様と一緒なら残り物は片付けてくれる。
そしてどんな野菜料理がでてくるのか…参考になるか?

と思って出かけたのである。
ところが店はしまっていた。定休日なのである。
週初めは、土日営業の飲食店は休みのところが多い。

そこでそのそばにある「カレーの有る回る寿司屋(?)」に行ってみたのである。
入店するなり店員は「初めてですか?」と聞く
どうやら二人の格好は、いつも利用しているようには見え無いらしい

そういえば回る寿司屋は、子供が小さい頃に2〜3回行ったことが有る。2〜30年前だろうか…
そのころと大分様子が変わっていた。
なんと言ったって皿にドームがついているのだ
その皿を取り出すのにテクニック(?)が要るのだ。
何回も取りはぐれた(泣)
そして注文は、画面をタッチするのだ。
それがわからない魔子様は回っているものしか食べることができない
一生懸命周りを見渡すが、みんな簡単に食べている!
これでいいのか?

 

初めて寿司というものを食べたのは、子供の頃だ。
酔っ払って帰ってきた父が「寿司折り」を持って帰ったきた。
朝目覚めて、冷たい寿司を食べた。
それでも「美味しかった」
美味しくてもっと食べたいと思ったが
何を食べたのだろう?

高校を卒業し、家を出ると言うときに寿司屋に連れてもらった。
カウンターに座った。
何を注文していいのかわからなかった。
何を食べたのか?記憶にない。

大学のときはOBに連れて行ってもらった。
貧乏学生は「寿司屋」なんかに入れなかったが…
「ホルモン屋や養老乃瀧、こ汚い小料理屋」といろいろと連れて行った貰ったが、「寿司屋」に連れていってもらえるのが、一番の楽しみだった。
しかし、一年に一度か二度である
何を食べたか忘れた。

 

会社に勤めるようになって「回転寿司」ができた。
たまたま通勤路にできた。
勇気を出して独りで入った。
何を食べたか忘れた。

 

家族ができて、何回か回転寿司にいった。
子どもたちは回っている寿司よりも、デザート類をとった。
「ちがうのを取りなさい」としかった

家の近くに「寿司屋」できた
たまたま同級生の妹がやっているという
そこで初めて寿司屋の常連になった。
そこで初めて職人の技というものを知った。

寿司屋は、寿司職人の技を見るものである。
廻る寿司は、形を作っているだけである。
ふと「職人の技」というものが「効率」という科学技術で、ないがしろにされているのだろうか?
それも社会の進歩だとしたら、
「進歩することが良いことなのか?」と言う検証が必要だ。

「技というのは人が神に近づく努力のたまもの」ではないか?
そんなことを考えた

 

鮪ばかり食べ終わった後、魔子様は
「なんだか、薄いね」と言う

薄ぺらな世の中になった。

 

 

 

 

月別アーカイブ : 2017年5月