岩豆腐のカツを弁当に入れた。
普通の木綿豆腐は、よくやる。
岩豆腐は、たまたまである。
というか、何かに使う必要があって買ったのだが…不要になった。
田楽茶屋の名物豆腐である。

田楽茶屋のタマさんは、山形村の出身である。
山形村と言うのは、山形県にあると想っていた。
岩手町が岩手県に有るように…
ところが岩手県と青森県の県境の山奥だという
山を降りれば八戸港のそばである。
(今は久慈市に併合され久慈市山形町になっているが…)

そんな山奥で岩豆腐を作っていたという。
固い豆腐である。
多分、しょっちゅう作るものではないので
日持ちがするように作ったのではないか?と思うのだが…

 

幼いころ母親に言っていた。
「豆腐は固いから嫌いだ!」
木綿豆腐の布目模様のところが少し固い
それを言っていたのだ。
家族の笑い話になっている。
ただ”栄養豆腐”は好きだった。
”栄養豆腐”は、転勤して歩いた東京・大阪と探したが、どこにもなかった。
帰郷して、帰ってくるときの楽しみだった。
”栄養豆腐”とは、袋に入った豆腐だった。
木綿の布目がない豆腐だ
今でこそ充填豆腐とか、さまざまな工夫をして、さまざまな品種があるが…
当時は木綿と絹ごし、しかなかった。
いや絹ごしも、無かったかもしれない。
木綿豆腐と栄養豆腐だけだった。
栄養豆腐の袋の先を切って、押し出して温かいご飯にたっぷりとのせ、醤油をかけ回す。
それをぐちゃぐちゃにかき混ぜて口の中に放り入れて食べるのである。
冷たいご飯でもよかった。

そんな栄養豆腐のイワレをタマさんが教えてくれた。
「あれはね。八戸の漁師が漁に行く前に、袋に入れた豆乳を魚を入れておく氷の槽に入れておいて、
魚が取れたときに船の上で袋を切って豆腐と一緒に煮込んで食べたのが始まりで
八戸の文化なの…」と言う

 

固い岩豆腐をつくっていた山形村と、すぐそばの八戸で豆乳の塊のようなやわらかい栄養豆腐
隣り合った地域でも、風土によってできる文化のちがい
違いを認め合う文化が、今の時代に必要なのだ。