売上が、三寒四温である。
ようするに、良かったり、寒かったり…(?)

当たり前である。
「産直」と言うのは。端境期が有る。
岩手で言えば、岩手は夏野菜の産地である。
この位置づけは。都会から来た。
ようするに都市周辺で採れない時期に出荷できる野菜の品種が回ってくるのである。
暖かければ、なんでも栽培できると想っている人が多い。
「暖かければ…」が、「暑すぎれば…」と、度を越してしまう。
植物も人間と一緒で暑すぎるのは、閉口するのだ。
だから真夏日が何日も続く都市周辺は、夏用の野菜栽培に適していいない。
北関東や愛知周辺、西日本は、夏が農閑期なのである。
つまり、その野菜の栽培の順番が、「やませ(夏の寒い北東の風)」が吹く寒い岩手に回ってくるのである。
ところが栽培は「売れる野菜の品種」しか回ってこない。
つまり、農協が取りまとめだから、市場が欲しがる商品だけ栽培をしていた。。
「ほうれんそう」「ピーマン」「とまと」「なす」「きゃべつ」「だいこん」等々
20年前に当店が始まった当初、農家が品種を選定することはなかった。
ある程度決まった夏野菜の栽培のハジキ(規格から弾かれたB品)が、店に並んだ。

笑い話がある。
農家の集まりで役場の職員が「この小冊子をみれば、ほとんどの野菜が作れます」と言う言葉に
参加した農家がシーンとする中、ある農家が「補助金は、でねのすか?」と言うと
役場の職員が「ジャー補助金を出しましょう!」というと全員が手を上げたと言う
600円の小冊子に…
つまり百姓といいながら。百の物を作るのでなく、
農協の指導のもとに(農薬散布・肥料・定植の時期。収穫も…)ただ作業をしていたのである。
それは規格がきちんと決まっていたから、”指導のもとに栽培しないとできない”と思っていたのである。
だから農家の畑の片隅に規格外の野菜が野積みされ、腐らせて次作の堆肥になっていた。

 

それに風穴を開けたのが産直である。
直接売ることによって、さまざまなものが作れ、自分の畑で、独自の作業体系を作ることができた。
働くということは、自分で決めることができるということが一番の喜びである。
サラリーマンと違って、農業の喜びは、ここにあるのだ。
だから20年前から「これから農業だ!農業だ!農業が見直される」と小生は言い続けていたが
殆どの現行農家は、「朝早くから土日もない重労働と、僅かな収入」しかない仕事だと想っている。

ところがそんな中に新規就農者が、ポチポチ入ってきて、無人産直が有人産直になり、
リンゴや葡萄の贈答用産直が、日常の野菜を販売するように変わってきた。
それが規格外商品だったのが、売れるとわかって競って産直を設立し、道の駅、農協、行政とさまざまな経営形態が乱立してきた
その争いは商品の見栄えになって規格商品までならび、市場出荷と商品が変わらなくなってきた。

そして「旬」である
当然、地元の生産者がつくるものだから「旬」ものである。
同じ商品が並ぶ。当たり前である。
隣の家と違うものが並んでいたら、
「ハウス物か…」
「保存していたものか…」
「買ってきたものか…」

岩手の野菜の旬は、大雑把に言えば「夏」である。
細かく言えば果菜類は「夏」根菜類は「秋」である。
春は、種まきのシーズンで、収穫するものは何もない。
せいぜい春暖かくなったら収穫できる葉物をハウスに植えておく
また春一番に出る芽を食べるアスパラ。
そして雪解けとともに芽吹き出す山菜である。

これらは自然のままに栽培されるから規格が合わない
大きな流通ルートにのらない
今までは農家の自家用だったのが、産直ができたおかげで、貨幣と交換できるものとなってきた
そんなものしかない
あとは大きな産直が暖地の農協から仕入れる商品である

だから3月4月5月は売上が低迷する。
端境期である。

 

客も期待しない。
「産直だから…」と言って並んでいるものを確認しに来る。

そんなときに役場から弁当の注文があった。
「盛岡の野菜を使った美味しい弁当をお願いします」
知るべき人が、岩手の旬を知らない