ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

であい

定休日の朝、病院に行った。
病院の駐車場屋上からは、素敵な岩手山が見えた。
いつものことながら、病院は混んでいた。
二つの科を受診したあと、店に戻り、仕事をした。

何と言っても糠漬けは、時間の管理なのである。
最初の頃、胡瓜を漬けて表面の色が茶色になった。
なぜかわからず、困った。
漬け過ぎなのである

糠漬けの胡瓜は漬けすぎると変色する
美味しくない茶色になるのである

別じ味は変わらないのだが、見た目が美味しくない

だから短い時間で漬ける。できれば6時間。
そこで冷蔵庫に入れて保管していると12時間も漬けることが可能である
そばに漬物樽を抱えていればいいが、自宅に帰ったりすると
どうしても12時間漬物樽をかまうことができない。そこで冷蔵庫なのだが…
と言って定休日だから24時間漬けて置けるか?と言うとやはり味と色は変わる

だから定休日といえ、ぬか床をかき回さないといけない
主婦の苦労がよく分かる。(古い主婦だ。昔の主婦!)

しかし、それで「本格」「てづくり」と言う言葉が唄える
セールスポイントである
そして漬ける技、というかノウハウが身につく
次から次へとヒット商品を生み出して…とスケベ根性と
作る面白さを堪能しているのだが…

 

そんな定休日の薄暗い店内で糠漬けをかき回していると
「ごめんください」と言って入ってきた見慣れない男がやってきた
「お休みの所申し訳ありませんが…」と丁重に…

”わかっていたら、くるなよ!”と思ったが

「実は、こちらのブログを見て…ブログを書かれている方ですか?」
「はぁ〜そうですが…」
「じつは私の知人が二人、オタクのブログに乗っていたので…」
「え?誰?」
「この方と…」「この本の…」
と言って地上の文学賞を受賞記事のハンター作家を指さし
亡くなった伊藤誠逸氏の遺稿集を取り出した。
二人の接点が無く、一瞬何が何だかわからなくなった。

彼は「実はハンター作家は私の仕事上の上司で…」
「遺稿集の主人公は、ネーチャーゲームの立ち上げた仲間です」と言う

なんとも不思議な出会いだ。
宮古出身で、盛岡にすまい、その後転勤で、現在、妻の実家がある愛知県瀬戸市にいるという
退職して挨拶回りに盛岡にやってきて、ブログの作者に定休日だが会いに来たと言う

う〜ん!こんな出会いもあるのだ。

いままで色々な出会いがあった。
これも驚きの出会いの一つであろう
日々発信しないと出会いはない。

しおまめ

秘伝の塩豆が好調である
「日本一の香り枝豆」と言われる青大豆「秘伝」

先日取材に来たテレビ局のアナウンサーに聞いた
「枝豆」と「大豆」はどういう違いか?
「知りません」と言う

 

たぶん多くの人が知らないと思うので豆知識を…
普通に言うのは「大豆の若い未熟な豆=枝豆」と言う

大豆は黄大豆。青大豆・黒大豆・茶大豆とあり、(黄大豆は白大豆とも言う)
黄大豆は、国や自治体が育種管理をしている
その他の豆は、民間育種にまかせている。
よく産直に行くと「あおまめ」「くろまめ」と言って売っている
ようするに種を自家採取しているので、名前がわからなくなってしまうのである。
種苗メーカーが原種を保存して種取りをしているものだけが名前がついている

大豆は葉っぱが枯れて、鞘も茶色になってから庭先に干して乾燥させ冬に叩いて落とす。
乾燥した豆は保存がきき、種にもなる。
枝豆は、枝についている青い状態で収穫して湯がいて食べる
豆は青い豆でそのままにしておくとカビる
枝豆は、俳句の秋の季語にあるように、立秋以後の食べものであった。
温暖化によって、暑さが早くなりビールを飲む時期が早くなってきた
それにしたがい、ビールのお伴「枝豆」も収穫時期が早いもの育種開発が進んできた
それによって「枝豆専用」の大豆が出てきたのである。

枝豆は
1個入っているのは規格外
2個入っているのはB品
3個入っているのがA品という規格がある
確かな店では、A品を使用しているが…
安物の居酒屋に行くと規格外を山盛りにしてサービスとなる
これで店の格がわかる
枝豆専用は粒ぞろいが良いという
大豆専用は量が収穫できればいい

そんな枝豆専用の「秘伝」は晩生である。
6月の中旬以降に植えて、9月の20頃から枝豆として収穫する
枝豆の時期に収穫できないのが大豆として畑に残す
収穫は11月をすぎる。岩手は初雪と競争である。
新しい大豆は、早くても12月、遅れれば年を超える

 

そんな大豆の「秘伝」を熱湯で湯がいて塩を振り、煮干粉をちらす
秘伝の甘さに、煮干粉のこく、そして岩塩のうまさが口に広がる

昔、日本人は、豆と小魚からカルシュームを摂っていた。
そんな秘伝の塩豆である。

忘れないでくれた

太陽の桜の蕾が、いつのまにか膨らんだ

店の裏に桜の木が二本立っている。

一本は八重桜
八重よりも早く咲くもう一本は、ソメイヨシノだろうか
「太陽の桜」と名付けてある
太輔と陽子の結婚記念植樹である。
樹を植えたのは、もう何年前になるだろうか

盛岡を離れた二人が
昨年だろうか…
一昨年だろうか…
突然に現れた。二人の子を連れて…

元気で顔を見せてくれるだけで、うれしいものだ
忘れないでくれた

 

 

 

 

 

 

 

売るためには売らない

「売る」ということをずーっと考えている。
「どうしたら売れるか…」

しかし、それが自分の仕事だった。
社会人になってから…ずーっと
そして結論は、「売るためには、売らない」ということだった。

多分売るという手法は、ほとんど出尽くしているだろう
買うという行為を掘り起こすための商品の見せ方や単価の提案、言葉つかいなどの接客方法。
そんな手法を書いてある本が山ほどある。
それを実践すれば、そこそこのスキルは上がる
しかし、それはみえみえである。

人口が増えていくモノのない時代、ちょっとしたアイディアですぐ売上は上がった。
売る方は、売る気満々。買う方も買う気満々の時代だった。
いま、人口減少社会、物余り時代、先行き不透明の時代、
そんな時代は初めてである。
「売れない」それが当たり前である。
売れるのは、余分なものばかりである。

まして食糧。岩手なら130万個の胃袋の容量しか売れない。
食べものは、安いから買っておこうと言うものでもない
おのずと限界がある。
そしてまず今現在充足している。
ジャー!都会へ売ろうとしても、
そこには他の46県からそう考えている人の熾烈な競争がある。
ジャー!海外へ…と国が考えても
日本以上の価格をつけるところは数少ない。
そこにも他国との熾烈な競争が展開する。
”新自由主義”なら、激烈な競争に打ち勝って栄冠を…
「努力すれば報われる」と、もてはやされるのだろうが…
しかし、その栄華は続くのだろうか…
どこかで壁にぶち当たり、落ちるか…変更を余儀なくされるのではなかろうか…
そこまで行きたいが…
競争という舞台は、最後は資本力の勝負である。
小賢しい智慧など、ふっ飛ばしてしまう。

 

「売る」というのは、競争に持ち込まれないのが望ましい。
(資本力が有るなら価格競争にもちこめば良いが…)
ところが野菜だけでなく目に見える価格は、必然的に競争に持ち込まれる
あちらが10円安いとか…30円高いとか…
価格競争で叶わないとなったら、品質や…サービスで…
つまり競争に打ち勝たないと物は売れない
競争に打ち勝つということは、競争に負ける人を作るということである。
他国や遠方の競争なら、負ける人は目に見えないが…
(目に見えないから良いということではない)
地域内流通
「売るためには、売らない」ということが必要であり、
足りない部分を補給する、知らない部分を教える、そんな程度のことである。

百花繚乱

クロッカスが咲き、水仙の蕾が膨らんだ!と思ったら
庭の草花が一斉に咲きだした。

いよいよ岩手は、百花繚乱の春を迎える

 

ちがう文化

岩豆腐のカツを弁当に入れた。
普通の木綿豆腐は、よくやる。
岩豆腐は、たまたまである。
というか、何かに使う必要があって買ったのだが…不要になった。
田楽茶屋の名物豆腐である。

田楽茶屋のタマさんは、山形村の出身である。
山形村と言うのは、山形県にあると想っていた。
岩手町が岩手県に有るように…
ところが岩手県と青森県の県境の山奥だという
山を降りれば八戸港のそばである。
(今は久慈市に併合され久慈市山形町になっているが…)

そんな山奥で岩豆腐を作っていたという。
固い豆腐である。
多分、しょっちゅう作るものではないので
日持ちがするように作ったのではないか?と思うのだが…

 

幼いころ母親に言っていた。
「豆腐は固いから嫌いだ!」
木綿豆腐の布目模様のところが少し固い
それを言っていたのだ。
家族の笑い話になっている。
ただ”栄養豆腐”は好きだった。
”栄養豆腐”は、転勤して歩いた東京・大阪と探したが、どこにもなかった。
帰郷して、帰ってくるときの楽しみだった。
”栄養豆腐”とは、袋に入った豆腐だった。
木綿の布目がない豆腐だ
今でこそ充填豆腐とか、さまざまな工夫をして、さまざまな品種があるが…
当時は木綿と絹ごし、しかなかった。
いや絹ごしも、無かったかもしれない。
木綿豆腐と栄養豆腐だけだった。
栄養豆腐の袋の先を切って、押し出して温かいご飯にたっぷりとのせ、醤油をかけ回す。
それをぐちゃぐちゃにかき混ぜて口の中に放り入れて食べるのである。
冷たいご飯でもよかった。

そんな栄養豆腐のイワレをタマさんが教えてくれた。
「あれはね。八戸の漁師が漁に行く前に、袋に入れた豆乳を魚を入れておく氷の槽に入れておいて、
魚が取れたときに船の上で袋を切って豆腐と一緒に煮込んで食べたのが始まりで
八戸の文化なの…」と言う

 

固い岩豆腐をつくっていた山形村と、すぐそばの八戸で豆乳の塊のようなやわらかい栄養豆腐
隣り合った地域でも、風土によってできる文化のちがい
違いを認め合う文化が、今の時代に必要なのだ。

 

タンイン

むくんでいる。
以前は、体全体がむくんでいた。
体重は三桁を超えていただろう。
それは、むくみじゃなくて「単なるデブだ。」と言う人もいる。
あたっているかもしれない。

6年前に食道を切除したために、食べものが入らない。
今まで食べ放題、飲み放題を生きがいとし、心の拠り所としていた生活から一変した
一挙に66kgまで減量した。ボクシング選手もこうはいくまい。

学生時代は、朝から晩までグランドを走り回った。
正確には午前中はグランドを…。午後は借金返済のために走り回った。
それでも70kgだった。

一年ほど前、10kg太った。
たった4日間で…
驚いて病院に行った。身体に水分が溜まっていると言われた。
「利尿剤を呑め」と言われた。
「この利尿剤は効く。効かない人もいるが、効かない人は死ぬ」
「効くか?効かないか?入院して確かめたい。」
と医者は言う。
その利尿剤は、劇的に効いた。
あっという間に70kgを割った。
医者は
「体重調整して72kgを超えたら利尿剤を飲むように…」と指示された。

三週間ほど前から72kgを超えた。
”やばい”と想ったが、利尿剤を飲むと頻尿になるというので飲まないようにしていた
メクラの鍼医も「少し待ったら…」とアキメクラの患者に言う
そのうちに75kgを超えた。
じわりじわりと増えていく。
息切れがしてきた。
足が棒のようにふくらんでむくんだ。
足首も、足も曲がらない。
おまけに借金でクビも曲がらない。

やばいか…と思った。
仕方なく利尿剤を呑んだ。
体重は減った。74kgだ。
しかし、それ以上減らない。
メクラの鍼医は「おかしい。おかしい」と言いながら治療をした。
ある晩、ハイボールを呑みながら口寂しくなって南部せんべいを口に入れた。
口中で粉々にして飲み込んだのだが…
その煎餅の粉が、気道に入ったようだ。
咳き込んで出そうとした。なかなか出ない。
寝ている間に出るだろうと眠った。
しかし、咳き込んで眠れない。
たまらないようになって、起き上がったとこへ体内から盛り上がってくるようなものを感じた。
おどろいて手のひらを広げて吐き出した。

茶碗いっぱいぐらいの透明のキラキラ光る液体だった。
粘性が有った。ネバネバしていた。
それが三回ぐらい続いた。
ようやく眠れた。

 

翌日メクラの鍼医に聞いた

「なんだ?」
「痰飲だろう!」と言う
「タンイン?」

東洋医学では体内に貯留する水分が出てくる症候だという
本当だろうか…

翌日、体重は72kgを割った。

売上が、三寒四温である。
ようするに、良かったり、寒かったり…(?)

当たり前である。
「産直」と言うのは。端境期が有る。
岩手で言えば、岩手は夏野菜の産地である。
この位置づけは。都会から来た。
ようするに都市周辺で採れない時期に出荷できる野菜の品種が回ってくるのである。
暖かければ、なんでも栽培できると想っている人が多い。
「暖かければ…」が、「暑すぎれば…」と、度を越してしまう。
植物も人間と一緒で暑すぎるのは、閉口するのだ。
だから真夏日が何日も続く都市周辺は、夏用の野菜栽培に適していいない。
北関東や愛知周辺、西日本は、夏が農閑期なのである。
つまり、その野菜の栽培の順番が、「やませ(夏の寒い北東の風)」が吹く寒い岩手に回ってくるのである。
ところが栽培は「売れる野菜の品種」しか回ってこない。
つまり、農協が取りまとめだから、市場が欲しがる商品だけ栽培をしていた。。
「ほうれんそう」「ピーマン」「とまと」「なす」「きゃべつ」「だいこん」等々
20年前に当店が始まった当初、農家が品種を選定することはなかった。
ある程度決まった夏野菜の栽培のハジキ(規格から弾かれたB品)が、店に並んだ。

笑い話がある。
農家の集まりで役場の職員が「この小冊子をみれば、ほとんどの野菜が作れます」と言う言葉に
参加した農家がシーンとする中、ある農家が「補助金は、でねのすか?」と言うと
役場の職員が「ジャー補助金を出しましょう!」というと全員が手を上げたと言う
600円の小冊子に…
つまり百姓といいながら。百の物を作るのでなく、
農協の指導のもとに(農薬散布・肥料・定植の時期。収穫も…)ただ作業をしていたのである。
それは規格がきちんと決まっていたから、”指導のもとに栽培しないとできない”と思っていたのである。
だから農家の畑の片隅に規格外の野菜が野積みされ、腐らせて次作の堆肥になっていた。

 

それに風穴を開けたのが産直である。
直接売ることによって、さまざまなものが作れ、自分の畑で、独自の作業体系を作ることができた。
働くということは、自分で決めることができるということが一番の喜びである。
サラリーマンと違って、農業の喜びは、ここにあるのだ。
だから20年前から「これから農業だ!農業だ!農業が見直される」と小生は言い続けていたが
殆どの現行農家は、「朝早くから土日もない重労働と、僅かな収入」しかない仕事だと想っている。

ところがそんな中に新規就農者が、ポチポチ入ってきて、無人産直が有人産直になり、
リンゴや葡萄の贈答用産直が、日常の野菜を販売するように変わってきた。
それが規格外商品だったのが、売れるとわかって競って産直を設立し、道の駅、農協、行政とさまざまな経営形態が乱立してきた
その争いは商品の見栄えになって規格商品までならび、市場出荷と商品が変わらなくなってきた。

そして「旬」である
当然、地元の生産者がつくるものだから「旬」ものである。
同じ商品が並ぶ。当たり前である。
隣の家と違うものが並んでいたら、
「ハウス物か…」
「保存していたものか…」
「買ってきたものか…」

岩手の野菜の旬は、大雑把に言えば「夏」である。
細かく言えば果菜類は「夏」根菜類は「秋」である。
春は、種まきのシーズンで、収穫するものは何もない。
せいぜい春暖かくなったら収穫できる葉物をハウスに植えておく
また春一番に出る芽を食べるアスパラ。
そして雪解けとともに芽吹き出す山菜である。

これらは自然のままに栽培されるから規格が合わない
大きな流通ルートにのらない
今までは農家の自家用だったのが、産直ができたおかげで、貨幣と交換できるものとなってきた
そんなものしかない
あとは大きな産直が暖地の農協から仕入れる商品である

だから3月4月5月は売上が低迷する。
端境期である。

 

客も期待しない。
「産直だから…」と言って並んでいるものを確認しに来る。

そんなときに役場から弁当の注文があった。
「盛岡の野菜を使った美味しい弁当をお願いします」
知るべき人が、岩手の旬を知らない

ちらばる

「佑哉くん」である。
幼稚園に上がるという4月に引っ越していった。
そう来たときは、まだ、お母さんのお腹にいた。
ふたりとも盛岡の人ではない。

ここ盛岡へ転勤になって、初めて子供を授かり、生まれて育て移っていった。
色々有っただろう。
三人揃ってきたことも…
母親と二人で…父親と二人で
そういえば、おじいちゃんとも来たことも…
お父さんがアレルギーを発症したことも…
農園で初めて耕すことを覚えたことも…
食べものの大切さを知ったことも…
全部、盛岡で知ったという。
最後の食事は「こびる食堂」で食べたいと言う

そういえば、
まぁ〜君は、奈良で社会人になったという。
あいちゃんは、名古屋で幼稚園だという。
しおりちゃんは、おばあちゃんの鎌倉で中学生になるという。
いろいろな子どもたちが、野菜畑で出会って、散っていった。

種が散らばって広がるように…

 

月別アーカイブ : 2017年4月

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