人品卑しからぬ初老の人が尋ねてきた
「花や野菜の苗は…まだ?」
ふと”家庭菜園か?”と思いながら
「まだまだですよ。それに昨年と引き続いて、今年は苗は予約販売となります」

 

「なんせDIYの店が、早出しして苗が殆ど売れません。
当店は農家から直に仕入れしているので、農家が植えるタイミングに苗が揃います。
そうすると、ほとんどの家庭菜園は植えてしまい、苗類が売れません。
せっかく自分が植えるために作った農家の余剰苗ですが、ロスになります。
本来ゴールデンウィーク明けに、果菜の苗は植えるのですが、
家庭菜園はゴールデンウィークの仕事が休みのときに植えてしまうのです。
それに合わせてDIYの店が、苗を揃えますから連休前に勝負は決まってしまいます」

今年も同じ事を言わないといけない

苗の販売は、以前は市場で行われていた。
八百屋が苗類を市場から購入して並べていた程度だった。
農家も、自家菜園用の苗は、苗を作っている野菜農家から購入していた。
苗の管理は結構手間隙がかかるので、数本の苗をつくるよりも買ったほうが効率的なのである。
と言っても苗半作(いい苗は収量の半分は保証されたようなものである)と言う言葉があるように、
良い苗を作っている農家に依頼したり、買ったりしていた。そしていい苗を見る目を持っていた。

ところが家庭菜園が大流行になって、どんどん苗が売れるようになると苗生産専用の農家が出てきた。
しかし、それでも適地適作で、その地域の植えられる時期に苗が並ぶように作っていた。
それがDIYの店が大々的に扱うようになって、変わった。
販売面積に合わせて苗を並べたのである。ようするに「売り場を埋める」と言う発想である。
そして他店よりも早く並べて”見せる”と言う販売手法である。
そのためには、そのためには南の地方で栽培した苗を早めに北で売る、と言う手法が取られた
いや南で売れ残ったものが、北へ持ってくると言う手法だったかもしれない
それ以上に海外で生産された苗もあった。
(土は輸入禁止だから、ロックウールなどの繊維に植え付けて芽出しをして輸入した)
とりあえず、他店よりも早く並べる競争である。
おかげでその土地の植え付け適期が、わからなくなってきた。
まして家庭菜園を始めようとする人々は、なにもわからずに苗を買い、植え始めた。
あっというまに家庭菜園は苗で埋まり、人々は満足した。

そしてクレームが始まる。
「植えたまま大きくならない」
「枯れた」
「腐った」
「霜に当たった」
一つづつ勉強して来年に生かされれば良いのだが…
翌年も同じことをする

 

農業に「となり農業」という侮蔑の言葉がある
ようするに「隣の農家が何をしているのか…それをみて真似をする農家である」
種を蒔いたら、翌日に種を播き、肥料をふったら、同じ肥料をまく。
隣に真似をされないように、中身は違う肥料袋を抱えて撒くという農家もいるぐらいである
自然とともに暮らすと言いながら、自然の中で作業体系までわからない農家もいる。
農家でさえそうなのだから、定年になって初めて農作業をして嬉しくてしょうがない
暇だから先に先に気はせって、どんどんはやくなって植物を見る目が疎かになってしまう

植物は地温が15℃以上にならないと生育しない
と言うと
ビニールを張って地温を高める。
キャップを被せる。
黒マルチを…とすぐ対応をする
しかし、それ以上に温度が下がったり上がったり雨風で対応ができなかったり
自然の中での作業は、思いつかないことが起きるのが当然である。

盛岡は15℃以上の気温(気温が地温に反映される)は5月の中旬ごろである。
その頃に植えれば十分なのだが…

早植えしても温度が上がるまでじっと植物は待つのである。
いや待っている間に「待ちグセ(?)」がついて、成長が滞る場合もある。

適期に植えるというのは昔からの言い伝えであり、今も生きている自然に中の生きる大切な言葉なのである
それを経済や科学は、「欲」という楽しみに、その言葉を踏み潰し、忘れさせてしまった。

 

人品卑しからぬ紳士は
「オタクの苗が良いから遠くから買い求めに来たのだが…」と言いながら
「きゅうりの苗は…いつごろ?」と聞く
「胡瓜は、5月末ですよ」
「そうかぁ〜、ジャーその頃」と言いながら
「何をしているのですか?」と聞くと
「造園屋だ、得意先から頼まれて買いに来た」と言う

造園という自然の仕事をしている人でも
野菜の植える時期は覚えていない

そんなものである