最近、来ない人がいる。
あの人は今?と言うわけではないが
毎日のように来ていた人が来ないと、何故か気になる。
魔子様はあっけらかんとして
「来ないね…」と言うと、「すぐ来る」と言う
そういう時もある。

先日、「転勤なるかもしれない」
と挨拶をされた。
全国区の移動だから、当然店に時々来る訳にはいかない。
ひょっとして永遠の別れかもしれない
挨拶されるのはいい。
盛岡で、そういう関係を作れたと言うことである。
よく来て、何を食べるかもわかって、いつの間にか来なくなる人は
「そういう関係が、つくれなかった」と言う反省をしなければならない。

 

そんなことを考えると、街というのは変動が激しい。
いつの間にか…変わっている
周囲の団地もサラリーマンが多かった時代から定年夫婦になり、それが独りになり、子どもたちもあっという間に都会に出ていった。
そうこうしている間に、まわりに都会育ちの若者が多くなってきた。
なぜ?と思ったら両親が故郷に帰ったきたので一緒に…と言う。
若者のIターンは少ないが、中途でUターンで帰って来ている人が結構いるのかもしれない。
小生も一度帰ってきて、再度都会へ出て、再々度帰ったきた。人はWターンと言う。
「田舎は仕事がない」と言いながら「仕事は作るものだ」という発想になれば、働く場所は作れるものだ。

そう考えれば、地方の時代である。
若い人たちの卒業式のシーズンである。
アナウンサーはいつも言う。「残らないのですか?」
一様に「働く場所がないので…」
希望を持って都会に出ていくのだろうが…
都会とのつながりを持ちながら、田舎に帰って来ればいい
いざとなったら、半分都会で稼げばいい。出稼ぎのように…
旧来の出稼ぎでなくて、新しい発想の出稼ぎを…
自分の都合のいい金を、もらえるような働き場所は、都会でも無いのだ。

あの人混みの中で暮らすことを考えれば…
人間が人間らしく暮らしていくことができる場所は、都会には無い。

帰るタイミングを逃すと、高齢になってデパートの踊り場にたむろする老人集団になってしまう。