ちいさな野菜畑

ちいさな野菜畑ブログ

ほん…

上盛岡のさわやが、3月末で閉店するという
スケベ根性ではないが、スケベ根性だ。
本がなにか安くなっているかと、近くへ行ったときに寄った。
掘り出し物があった、「盛岡藩宝暦の飢饉とその資料」3800円とある。
だいぶカバーが日焼けしていた。
「100円にする」と言うのですぐ買った。
飢饉をどんな食べもので乗り切ったのか…ちょっと興味があった。

 

鍼医のそばのTUTAYAに行った。
あまり買わないが、中古本はしかたない。
ぱらぱらと「発酵関係」と「梅」と「麹関係」を買った。
中古本5冊で20%割引だという
後一冊探し出しても、時間と金の無駄だ。

 

家に戻ったら書籍郵便が届いていた。

昨年亡くなった前田正二アナウンサーの遺稿集だ。
読み始めたら止まらない。
まず最初に読みきらないと…

 

そうなんだ、
アクセントで悩んだ一生だった。
仙台弁のコンプレックスから、標準語と北上弁の混ざった少年時代、
そして商売の関西弁と…
そして憧れの盛岡弁を、話せるようになりたいと思いながら…

 

 

 

盛岡の春風


店を留守している間に、酒を置いていった若い友人がいる。
誰でも良い。
酒さえ置いていけば…

しかし、見慣れないラベルだ。
「御礼」と添え書きもついている。
読んでみると「五百万石」で作った酒だという。

酒米(酒造好適米)は、いろいろある。
そのうちで一番有名なのは、山田錦だ。
滝沢で武田哲君が作っているのは美山錦だ。
その他有名なのは、「五百万石」「出羽燦々」「雄町」と続くが岩手では作られていない。
その「五百万石」を田村和大くんが岩手で、震災の年から6年かけて作りこなしたという。

その他に「飯米」「酒米」ともに利用されている米もある。
石鳥谷で高橋亮介くんが作っているのは「亀の尾」である
西根で渡辺晴久君が作っているのは「陸羽132号」
米は適地適作でないと実らない
まして酒米と言う制約(大粒・心拍など)の多い稲は、岩手ではほとんど無理である。
山田錦の北限は、県南の一関だという

陸羽132にしても亀の尾にしても、以前は主に飯米として作られた。
飯米が自給できないのに、酒を作るなどというバカげたことはできないのである。
と一般的なことをいう。
実は隠れて作っていたのである。

まして岩手は日本三大杜氏の中で最大の杜氏集団南部杜氏のふるさとである。(越後杜氏・丹波杜氏)
岩手は厳しい寒さから酒米が作れず、まして冬の仕事が無いために全国に散らばって酒造りをしたものとおもわれる。
以前「岩手は有名な酒がない。いい酒などないだろう」と言う人がいた。
実は全国に散らばった南部杜氏は、各地の有名な蔵元に入って作りこんでいたのである。

その彼らが春になって帰ってきて米を作っていた。
そして、歳をとって出かけられなくなったら、隠れてどぶろくも…
また岩手には小さな酒蔵がいっぱいある。
そんな小さな酒蔵で作られた南部杜氏の自慢の酒は、量が少ないために全国区にはならないのである。

そんな岩手に新しい美酒が加わった。
 盛岡の新しい風 「平井六右衛門 盛流」(菊の司酒造 醸し手平井佑樹)

大ぶりのカクテルグラスに、長芋の糠漬けを添えて…

さわやかな春風の薫りがした。

多種多様な豊かな文化は、南部の持ち味だ

病院がない

盛岡市内を一望に見渡す病院に見舞いに行った。

「来週伺いますから…」と言われて、三週間、音沙汰がない知人だ。
久しぶりにかかってきた電話は
「いや〜脳内出血で倒れて…入院して、今はリハビリで…」と言う
驚いた。
”そんなことが有ったのか?”
と思いながら、とりあえず店の商品を持って見舞いに出かけた。

新しい病院は受付で「そのエレベーターで4階です」といわれ、
エレベーターに乗ったら病棟の前にインターフォンが有り
押すと、向こうの看護婦だろうか「何度ですか?」と聞いてくる。
何度も何も、何をどうすれば良いのだ?
と思って見渡すと体温計が置いてある。「測れ!」ということらしい
インフルエンザ対策のようである。

37度である。これでは断わられるか?と思いながら「37」と言うと
「嘘つけ!66だろう」と歳がバレた(泣)

 

そんな関所を通って病室へ行くと知人は元気にしていた。
三週間前に勤めていた学校で、頭がふらっとして気持ちが悪くなって、
「これはやばい」と救急車で緊急病院を指定していかせた!「医大へ行け」と
緊急センターでは血圧を下げて、出血を止める薬を飲んで3日でリハビリに退院したと言う

「なるほど、なるほど」と聞いていたが
一歩間違えると「死んでいた」と言う
「えっ?そんなに意識がはっきりして元気なのに…」

彼は普段から高めの血圧だが、薬をのむほどの高血圧というほどではない。
年相応の、ちょっと高めだという感じらしい。
それが、ちょっと脳の血管がきれて出血した。
誰にも有ることらしい。普通は自然に治るのだが
切れる場所によっては、やばいところがある。
そのときは一刻を争う。”医務室でゆっくりと休んでから…”などと言わないで
すぐ救急センターに駆け込んで手当をしてもらう。
手当といっても、血圧を下げるだけである。
たまたま彼は、救急車がすぐ来て、道が空いていて、病院が近くで、CTが空いていて、と良い条件が重なったという。
これが少し休んでから…とか、道が渋滞で…、病院をたらい回しにされて…、CTの順番待ちで…と、悪い条件が一つでも入っていたらどんなふうになっていたか、わからないと言う。

そんなものか…

人間の生死というものは、ほんのちょっとのことで決まるのである。
彼は、歯科医であるから、医学的知識は十二分に持っていたのである。

そんな彼が言う
「自分があたって言うのもなんだが…。ひとそれぞれ塩分感受性が違う。
一括りにして塩分6%というのも漬物文化を否定するようなものだ。
”岩手は脳卒中の死亡率が高いから塩分を減らせ”と言うが
脳卒中の発症率ではなく、死亡率が高いのである。
つまり近くに病院が無いと言うことなのだ!」と医療行政に携わった彼は言う。

適地適作

人品卑しからぬ初老の人が尋ねてきた
「花や野菜の苗は…まだ?」
ふと”家庭菜園か?”と思いながら
「まだまだですよ。それに昨年と引き続いて、今年は苗は予約販売となります」

 

「なんせDIYの店が、早出しして苗が殆ど売れません。
当店は農家から直に仕入れしているので、農家が植えるタイミングに苗が揃います。
そうすると、ほとんどの家庭菜園は植えてしまい、苗類が売れません。
せっかく自分が植えるために作った農家の余剰苗ですが、ロスになります。
本来ゴールデンウィーク明けに、果菜の苗は植えるのですが、
家庭菜園はゴールデンウィークの仕事が休みのときに植えてしまうのです。
それに合わせてDIYの店が、苗を揃えますから連休前に勝負は決まってしまいます」

今年も同じ事を言わないといけない

苗の販売は、以前は市場で行われていた。
八百屋が苗類を市場から購入して並べていた程度だった。
農家も、自家菜園用の苗は、苗を作っている野菜農家から購入していた。
苗の管理は結構手間隙がかかるので、数本の苗をつくるよりも買ったほうが効率的なのである。
と言っても苗半作(いい苗は収量の半分は保証されたようなものである)と言う言葉があるように、
良い苗を作っている農家に依頼したり、買ったりしていた。そしていい苗を見る目を持っていた。

ところが家庭菜園が大流行になって、どんどん苗が売れるようになると苗生産専用の農家が出てきた。
しかし、それでも適地適作で、その地域の植えられる時期に苗が並ぶように作っていた。
それがDIYの店が大々的に扱うようになって、変わった。
販売面積に合わせて苗を並べたのである。ようするに「売り場を埋める」と言う発想である。
そして他店よりも早く並べて”見せる”と言う販売手法である。
そのためには、そのためには南の地方で栽培した苗を早めに北で売る、と言う手法が取られた
いや南で売れ残ったものが、北へ持ってくると言う手法だったかもしれない
それ以上に海外で生産された苗もあった。
(土は輸入禁止だから、ロックウールなどの繊維に植え付けて芽出しをして輸入した)
とりあえず、他店よりも早く並べる競争である。
おかげでその土地の植え付け適期が、わからなくなってきた。
まして家庭菜園を始めようとする人々は、なにもわからずに苗を買い、植え始めた。
あっというまに家庭菜園は苗で埋まり、人々は満足した。

そしてクレームが始まる。
「植えたまま大きくならない」
「枯れた」
「腐った」
「霜に当たった」
一つづつ勉強して来年に生かされれば良いのだが…
翌年も同じことをする

 

農業に「となり農業」という侮蔑の言葉がある
ようするに「隣の農家が何をしているのか…それをみて真似をする農家である」
種を蒔いたら、翌日に種を播き、肥料をふったら、同じ肥料をまく。
隣に真似をされないように、中身は違う肥料袋を抱えて撒くという農家もいるぐらいである
自然とともに暮らすと言いながら、自然の中で作業体系までわからない農家もいる。
農家でさえそうなのだから、定年になって初めて農作業をして嬉しくてしょうがない
暇だから先に先に気はせって、どんどんはやくなって植物を見る目が疎かになってしまう

植物は地温が15℃以上にならないと生育しない
と言うと
ビニールを張って地温を高める。
キャップを被せる。
黒マルチを…とすぐ対応をする
しかし、それ以上に温度が下がったり上がったり雨風で対応ができなかったり
自然の中での作業は、思いつかないことが起きるのが当然である。

盛岡は15℃以上の気温(気温が地温に反映される)は5月の中旬ごろである。
その頃に植えれば十分なのだが…

早植えしても温度が上がるまでじっと植物は待つのである。
いや待っている間に「待ちグセ(?)」がついて、成長が滞る場合もある。

適期に植えるというのは昔からの言い伝えであり、今も生きている自然に中の生きる大切な言葉なのである
それを経済や科学は、「欲」という楽しみに、その言葉を踏み潰し、忘れさせてしまった。

 

人品卑しからぬ紳士は
「オタクの苗が良いから遠くから買い求めに来たのだが…」と言いながら
「きゅうりの苗は…いつごろ?」と聞く
「胡瓜は、5月末ですよ」
「そうかぁ〜、ジャーその頃」と言いながら
「何をしているのですか?」と聞くと
「造園屋だ、得意先から頼まれて買いに来た」と言う

造園という自然の仕事をしている人でも
野菜の植える時期は覚えていない

そんなものである

とろとろ

「沢庵ありませんか?」という客が、ちらほらいる。
3月末に沢庵が切れる。
大体が11月から売り出して2月までに売り切れるように塩の調整などをしている。

以前なら…
保存の自家用として夏までもあったが、酸っぱくなり酸味が勝つので、商品としてはせいぜい寒さが続く2月いっぱいだろう。
酸っぱくなった沢庵を切り刻んで茶漬け風に食べるのもいいものだ
いや、それ以上に、炒めて、さまざまな料理に利用できる。自家用なら…
それを売りにして出すのをためらわれるので、商品としての沢庵は3月末に完全に切れるのだが…
今年の沢庵は、昨年の秋雨の状況で種が流され大不作で、年明けから沢庵がない状態が続いた。

そのせいだろうか…
ここへ来て「糠漬け」が売れている。
「沢庵がないか?」と言いながら試食して買わない客がほとんどだが、
試食して「おや?」と思いながら買っていく客。
のこっていたらまとめて買っていく客。
「東京のお袋の味だ」と言って買っていく客。
「こんな美味しいの家ではできない」と言う客。
「大根だけほしいのだが…」と言う客
「人参が絶品だ」と言う客

沢庵の代替品という位置づけだろうか
それとも糠漬けの味が評価されてきたのだろうか…
毎日毎日ぬか床をかき回し、塩を振り水分調整して、漬ける。
漬けてしまえば、半日でできる。
手軽のなのだが、匂いと日々の管理が面倒くさいのが難点である。

毎日毎日同じことをやるのは
「難しい」と言うのか…「飽きる」というのか…
そんな中、一番難しいのが水分である、
野菜からにじみ出てきた水分がすぐぬか床をトロトロにしてしまう。
これをなんとかしたい

だし昆布を入れ、豆を入れ、スポンジで給水して
なるべくぬか床に新しい糠を入れないで熟成させる方向で検討中である。

「糠漬け」は江戸の文化だが…
「玄米と糠漬け」という盛岡の新しい文化の創造のために

春がきた

「とうが立つ」と言う
「十が立つと、五は座るのか?」と言うオヤジギャグを一発

食用の草で花芽がすぎて、茎が固くなる事を言うらしい
茎のことを「薹(とう)」と言う。
五十過ぎた女性のことを(50にするか…40にするか…迷った)
「薹の立ったおばはん」というらしい。
一般には「盛の過ぎた女性」と言う意味らしい
私のまわりは”特殊”だから、そんな人はいない(断言)
みんな素敵に齢を重ねているお姉さまたちである。
(売上に響くから、ここ重要!)

 

その「薹」である。
春になれば「ふきのとう」である。
「蕨(わらび)や蕗(ふき)」と春の山菜の代表格に称せられるが
蕗は”薹”も、名前が売れている
ところが蕨(わらび)の「薹」は、聞いたことが無い。
何故だろう?考え始めたら眠れなくなってきた。
蕨に薹(「わらびとう」(花茎)は無いのだろうか…

ちなみにこちらの言葉で「蕗の薹」は「ばっけ」と言う
ネットでさがしてみたら、こんな文章を見つけた

引用 北のフィールドノートから…(http://snowmelt.exblog.jp/9955361/)
これらが何から由来するか。更科源蔵・光著のコタン生物記にはこうある。
「本州でもフキノトウのことをバッカイとかバッケイと呼ぶところがあるが、これは元来アイヌ語である。
パッカイ(破裂音筆者注)とは子供を背負うことで、フキノトウが雪の間から丸く花を背負うようにして出てくる姿に名づけたものである」とある。

そんな蕗の薹が、あちこちに出始めてきた。
それをこまめに摘んで石鳥谷の熊谷哲はパック詰にしてきた。

魔子さまは、その”春の苦味”を天ぷらに揚げ

久慈市山形町の短角考房北風土の短角牛を”春雨”とともに麻婆にし、
鹿児島の紫甘藷を”春巻”にした。

 

そして一品デザート
”さくら”のフィナンシェ」という焼き菓子を添えて

三寒四温の卒業式の弁当に
一足先に春が来た。

 

またひとつ

さわや書店が、閉店すると言う
「honyaクラブ」のメールで回ってきた。
そういえば近頃、足が遠のいている。
いや、いけば何冊か抱えて出てくるのだが…
読みきれないので、いかないようにしているというのが現状だ。
これ以上、トイレに籠る時間がない。(泣)

 

閉店するのは、上盛岡店だという
一番利用する店舗だ。
なんと言ったって、病院の直ぐそばである。
待ち時間が、ちょっとあると寄る。
待ち時間がなくても、時間を作って寄る。
そのたびに読みたい本が、どんどん積み上がる。
部屋の中は崩れかかった新刊の本と、読みかけの本が雑多である。

これ以上は、死ぬまで読みきれるか…と言う状況である。
そういえば中学の時に購入した本もある。高校のときも…
「本を買う」といえば、小遣いをくれた母親だった。
もういちど読み直したいと思っている本が、山ほど…

そんななかさわや上盛岡店が閉店するという。
もう近くには、三割東山堂しかない。
あそこは、レコードと漫画と週刊誌しかない。
読みたい本が、あまりない。
と言って、「駅前さわや」まで行くと駐車場代がかかる。
1000円の本を買うのに400円駐車場代にかかって、どうすんだ
ついつい元を取ろうとして5〜6冊まとめ買いをしてしまう
それならアマゾンのほうが…合理的だ。
しかし本という文化を、合理的経済発想で決めていいのか…
小心者は悩む。

 

そんなわけで上盛岡さわやに行った。
また一つ、ちいさな文化が消えるのを確かめに…

ふと財布を見ると1400円しか無い
これでは何も買えない!と思いながら、二冊読みたい本を見つけた。
ぎりぎりだ
と思って札束(?)をだして、サワヤのカードと一緒に出した。
カードはポイントが溜まっていた。
「59円です」と店員が笑いながら言った。

まだ買える(嬉々)

あの人は…

最近、来ない人がいる。
あの人は今?と言うわけではないが
毎日のように来ていた人が来ないと、何故か気になる。
魔子様はあっけらかんとして
「来ないね…」と言うと、「すぐ来る」と言う
そういう時もある。

先日、「転勤なるかもしれない」
と挨拶をされた。
全国区の移動だから、当然店に時々来る訳にはいかない。
ひょっとして永遠の別れかもしれない
挨拶されるのはいい。
盛岡で、そういう関係を作れたと言うことである。
よく来て、何を食べるかもわかって、いつの間にか来なくなる人は
「そういう関係が、つくれなかった」と言う反省をしなければならない。

 

そんなことを考えると、街というのは変動が激しい。
いつの間にか…変わっている
周囲の団地もサラリーマンが多かった時代から定年夫婦になり、それが独りになり、子どもたちもあっという間に都会に出ていった。
そうこうしている間に、まわりに都会育ちの若者が多くなってきた。
なぜ?と思ったら両親が故郷に帰ったきたので一緒に…と言う。
若者のIターンは少ないが、中途でUターンで帰って来ている人が結構いるのかもしれない。
小生も一度帰ってきて、再度都会へ出て、再々度帰ったきた。人はWターンと言う。
「田舎は仕事がない」と言いながら「仕事は作るものだ」という発想になれば、働く場所は作れるものだ。

そう考えれば、地方の時代である。
若い人たちの卒業式のシーズンである。
アナウンサーはいつも言う。「残らないのですか?」
一様に「働く場所がないので…」
希望を持って都会に出ていくのだろうが…
都会とのつながりを持ちながら、田舎に帰って来ればいい
いざとなったら、半分都会で稼げばいい。出稼ぎのように…
旧来の出稼ぎでなくて、新しい発想の出稼ぎを…
自分の都合のいい金を、もらえるような働き場所は、都会でも無いのだ。

あの人混みの中で暮らすことを考えれば…
人間が人間らしく暮らしていくことができる場所は、都会には無い。

帰るタイミングを逃すと、高齢になってデパートの踊り場にたむろする老人集団になってしまう。

6年前

『手術中は、動けないからね」と手術の説明をした医師は、言った
「咳をしたかったら、手を挙げて…トイレに行きたかったら手を挙げて…眼球に注射針を刺したままストップをしますから…」
と恐ろしげなことを言って…白内障の手術は
「3月11日午後3時から」と決まった。

昨年秋から、変な黒い蚊のようなものが飛ぶ。
本を読むと老眼鏡が曇っているのか、字がかすむというか、曇りガラスを通して字が見える
パソコンも、モニターが一分かすんで読めない。
呑みに行ったみかんやでmicannに「白内障だね」と言われて安心した
これが緑内障だったら偉いことだ
白内障は、簡単な手術で治ると聞いていた。

先日も佐藤政行の社長が「いやぁ白内障を手術すると感動するよ。わたしゃ15年ぐらい前で…。片目だけ、本当は両目をしないと行けないのだが…」
みんなが言う。白内障の手術は、社会が明るくなる。何でこんなのを早くしなかったのだ。社会はこんなに明るかったのだ。
その感動の白内障の手術を中央病院の4階眼科病棟で、3月11日午後3時に待っていた
「今日は、早く進行しているようだから、15分ぐらい早くなるかも…」
と言いながら看護婦は、ホウレン草に味の素をふるように何回も点眼薬を差していった。
「これは殺菌の…」「これは麻酔が入ってます…」

「そろそろ手術室から、お呼びが掛かるかもね」
「もうすこしで…」
「そろそろ…」

と言いながら、それは来た。
6人部屋の二人のベッドの携帯が鳴った
ピーピーピー「緊急地震速報」である

そして

ごお〜

横揺れの大きな揺れ
通りの方に大きく傾く建物。
そして、反対側に反動で大きく揺れる

長い。なが〜い。揺れ、ベッドにしがみつくモノ
看護婦が、病室に入ってこようとして、逆方向に持って行かれる

しばらく、それが続いただろうか?
揺れが少し落ち着き
一斉に、ベッドの脇のテレビをつけた
「震度6強」が見えた
震源地がなかなか表示されなくて、余震が続く

そのたびに看護婦達の叫び声と
眼科は小児科と一緒の病棟なので、子ども達の叫び声が混じる
以前入院していた時にも、地震があった。
看護婦は「震度7まで耐えられるように設計していますから…」と言い放った。
もう中央病院は、小生の庭である。なんでも知っている。

そのうちに「一部屋にテレビは一台にしてください。自家発電に切り替わりましたので…」
しかたなく、長老らしき人だろうか…隣は宮古の人だろうか…、
そのテレビを遠くから眺めていると…
なんだか川のようなものを家か船か…登ってくる。
「えっ〜なんだ、あの絵は…」
宮古から来ていると言う年寄りは、ぼつりと
「宮古だ」と言う

次から次へと衝撃的な映像を見たような気がするが…
とりあえず動転して、
”これは普通ではない、とりあえず病院を出ないと…”

そこへ眼科の医者が
「こういう状況では、手がぶれて手術ができませんので中止します」と
「外出していいですか?」「外出許可を出します。必ず戻って…」

人を受刑者みたいに…言う

とりあえず病院を出た地震から1時間も経っていただろうか?
病院の前の通りは薄暗く、街路灯も信号も、消えている

バイパスは信号がないので交差点は混雑。
工事中に落盤事故を起こしたという北山バイパスを、おそるおそるくぐって

ろくに飯を食っていない、と言うよりも飯が食えない身には、歩くのがふらふらでつらい
身体に力が入らない、足があがらない、前に行かない。

ようやく通じた電話で店から迎えに来て貰った。
真っ暗な店に着いたのは5時半だった。

6年前3月11日のブログをコピペした。
風化させないために…
自分にとっては、1.17の神戸の大震災は妹が、神戸に住んでいた。
3.11は、内陸であったが当事者であった。
この二つの自然災害は、風化しない。自身の問題として体験したことだから…

自身の問題となっていないとこに、風化はある。
原発の再稼働のように…
政治家は、自分の問題として想像することが求められる
多くの政治屋は、想像力が欠如している。

やめますか?減らしますか?

「牛肉が高騰している」という。
当店は野菜中心だから、牛肉は赤身の肉牛「短角牛」しか扱っていない。


その短角牛も「値段を上げたい」と短角考房北風土から言ってきた。

値段を上げるには

正当な理由が、なければ…
そしてその理由が、お客の理解を得られなければ…
ただ、地方経済は疲弊している。
そんな中、値段を上げることで購入が減り、
北風土との間を取り持つ小生とお客様の三者の関係が、壊れるようになると…

そんなことを話をした。
すこし、牛肉高騰の整理をしてみたい

そもそも牛肉を食べる習慣は、東北では最近のこと(ここ50年)である。
山形の米沢牛が有名であるが、学生時代、山形出身の同級生は
「すき焼きを、やろう」と言う言葉で「豚肉を買ってきた」と今でも笑い草である。
しかし、笑えない。
東北では当時、すき焼きは「豚肉」だったのだ。
久慈の山形村の短角農家に聞いても
「牛は商品だから…。
大地を守る会に”自分で作っているものを食べてみなければ…”と言われて
始めた食べたのが…昭和50年」と言う。

そもそも肉食自体が公になったのは明治からであり、
それまでは薬食いと言って、やむなく死んだ家畜を部落で隠れて食べていたのが民衆の食べ方であった。
だから肉食の歴史は、浅いと言わざるをえない。

その日本が、経済成長を遂げて牛肉が食べられるようになり、小生が就職した頃昭和40年代後半に「牛丼の吉野家」ができた。
当時、勤めていた商社は、吉野家に豪州産の牛肉を納品していたため
上司から「牛丼の消費拡大に務めるよう」といつも牛丼を食べていた。
その牛丼に使用した牛肉は、後から聞くと
「それまで食べられない肉(横隔膜)をうすくそぎ切りにする機械ができて、それを加工している肉だ」と言う
科学技術の進歩が食を変えたのである(?)

つまり牛肉の消費は経済成長と共にあったのだ。
今、中国の経済成長が著しい。
中国は豚肉食の文化なのだが、経済成長に伴って美味しい牛肉にシフトしている。
その中国に買い負けているのである。
そして牛肉の消費は、牛丼屋だけでなく、ハム屋や肉加工の職種が日本には様々ある。
扱い量は国産牛よりも、遥かに多いと言わざるをえない。
その扱い量が多い日本ハムなどの食肉加工メーカーは、企業存続のために原材料の確保に必死です。
その海外からの牛肉の仕入の増加と国産食肉加工メーカーの原材料確保、
それに輸出国アメリカの干ばつ、
そんな外的環境の変化と国内では生産現場の減少が拍車をかけて、牛肉の高騰が続いているのです。

牛肉は特殊な生産をしております。
「繁殖」と「肥育」に農家は別れます。
つまりメス牛に種付けをして子牛を産ませて販売する繁殖農家
その子牛を買って、育てて成牛として販売する肥育農家
これは生産現場が違う工程のために、一貫生産すると多大なコストと手間がかかるためです。
その子牛を生産する繁殖農家は、零細農家がほとんどです。
少数の母牛を飼って、子牛を採り販売している農家は、後継者難で、どんどん離農していきます

つまり世界では経済成長で買い負けし牛肉が不足し、国内では子牛の取り合いで高騰している。
というのが現実です。

この現象は、一時期上げ下げが有っても上げ基調は続くでしょう。
一番の問題は、エサが穀物だということです。
地球の人口が60億、あと30年後には90億となると言っております
つまり、こんどは穀物を牛と人間が取り合うことになるでしょう
そんな時に、人間を犠牲にして牛の餌を作るような事が許されるバズがありません。
それは国家ではなく、単なる金の亡者か、食糧を武器にした世界戦略としか考えられません

そうなると短絡的ですが、かんがえられることは牛肉を食べるのをやめる、少なくする。
他の肉に替える。肉を食べない。という選択です。
そんな時代が来るのか…

と思いながら…
そもそも肉食というのは日本は最近の出来事である。
と言って古くからの魚食も、買い負けし、沿岸漁業も衰退していると言う。
中長期で考えると、動物蛋白の補給は悲観的な見方ばかりになってしまうが…

今目先、値段は上がる(泣)
牛肉、食べるのやめますか…減らしますか…

月別アーカイブ : 2017年3月

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