野口誠一が死んだ。
もう一年になるらしい。
年末にりんごを贈ったら、礼状とともに奥さんから連絡があった。
「悪性リンパ腫で入院二ヶ月、2月18日だった。
知らせないようにと言う遺言で黙っていた
内々で法要を済ませた」と言う

野口誠一は、八起会の会長である。
八起会は倒産者の会である。
東京が本部である。

小生は会員だった。倒産経験者ではないが、「転ばぬ先の杖」である。
40代のときには、月に一回の八起会月例会に東京へ一生懸命通った。

衝撃的であった。
倒産者が涙を流して経験を語った。

有るときは、「来月の手形が落ちない」と切れそうな頭の経営者が吐いた。
翌月、その細身の若い切れそうな経営者は、いなかった。
「自殺した」と言う

親しげに声をかけてきた人がいた。
「岩手ですか…」「私は久慈の出身で、家族を捨てて逃げてきました」

体験発表で
「娘が口をきいてくれない」とビルの片隅でボイラーマンをやっている元経営者がいた。
「ヤクザに追われて名前を変えて逃げている」と言う小柄な元経営者もいた。

そんな人たちの単なるたまり場ではなく、再起の場だった。
七転び八起きで七回倒産しても八回立ち上がろう
(七回倒れたら七回立ち上げれば良いのでは…と言う茶々を入れる人もいる)
反省して再起を測ろうと言う場を野口誠一は作っていた
自身も、大学を卒業してすぐ起業し、何社も潰した経験を持つ
彼は、その経験談を語り、講演で稼ぎ、その金を八起会につぎ込んだ。
倒産者が集まってきても、誰一人金を持っていないからである。
全国各地に講演で回った。
盛岡にも来た。くれば必ず電話をくれた。
「飯をくおう」と言って
そしていつも言う
「失敗に学べ!成功した話は運だ。
失敗をした話をいっぱい聞け。その失敗をしなければ続く」

二年前に上野で会う機会があった。
彼は言った「仕事をやめちゃいけないよ」と伝法な東京の言葉で語った。
暑い夏だった。
汗を流しながら下谷神社にお参りした。

また一つ、巨星が消えた。

合掌!