涙が止まらない本を読んだ
「はなちゃんのみそ汁」である
なぜか周りの人は「知ってる」「聞いたことがある」という人が多い
知らなかったのは、自分だけか…
知らない人にあらすじを教える
新聞記者と音楽の教師が、乳がんを患って告知された後、結婚をした。
抗癌剤の副作用で子どもは出来ないと言われていたのが、
子どもを授かり、死ぬ気で産んだ子に「はな」と名付けた。
乳がんと闘いながら子育てをし、子どもに何を残してあげたいか?
それが自分で生きていける、食べていける「料理」であった。
はなちゃんが作る食事は、通っていた高取保育園(福岡)の玄米和食が基本になっていた
そしてその子が5歳のときに母は旅立った。。
と言うあらすじである。
涙なくしては読めない本である。途中で幾度も文字が読めなくなった。
こんなに涙もろかったのか?と自覚した
ふと、ここ数ヶ月、いろいろと悩んでいることが、この本を読んで解決したようが気がする
いや解決というのは、おこがましい。
方向性が見えてきた、ということだろう
まわりにはがん患者が多い。
亡くなった人も多くいる
ガンを抱えて生きている人もいる
以前は脳卒中が一番多かった
ガンは三番目か四番目だったが。寿命が伸びてトップに躍り出てきた
なんせ人間の寿命は120歳。その時の死因はガンである。という説があるくらいだ
寿命が伸びた分だけ、がん患者が増えるのは自然増である。
しかし、それだけではない。
我々団塊の世代周辺は、核実験の影響をモロに受けている
そして添加物だらけの食事や、化学調味料などの不自然な食材、そして外食産業のわけのわからん海外の原材料の影響
つまりガンにならざるをえないものを多く体内に取り入れ、そして体の外からも浴びている。
細胞が変形するガンにならざるをえない
だから我々世代は、それを従容として受け入れざるを得ないのだが…
ただ、次の世代にそれを引き継いで良いのか?
原発にしてもチェルノブイリやスリーマイル、福島の経験がありながら
そして何よりも核廃棄物の無害化が見えない形で再稼働や新規設置に動くべきなのか…
それは次の世代の人達が決めることなのである
今我々はさまざまな実験をして、次の世代の判断材料となるべきでは無いか…
それが食についても言える
食べ物は20年経って身体に影響を与えるという
有機の農産物という触れ込みで店を開いて21年(1996年)になる
開店したころ多くの人が店にやってきた。
「アトピーの医者を知りませんか?」
「アトピーの人の食べ物は…」
そう考えると、その20年前アトピーである原因の食があった。
つまり1975年頃、昭和50年ごろである。
それ以前は外食産業があまりなく、食事は米飯が中心で野菜が主体だった。
東北大学の農学部が1975年頃の日本の食事が一番バランスが取れていた。
という研究発表がある。
昭和50年頃から日本人の食事が変化してきたのである
その蓄積が、今の寿命や病気に多大な影響を与えているのではないか…
それを子どもや孫に引き継いではいけない。
僕ら団塊の世代が体験してきた反省を、しっかりと次の世代に反映させないと…
と大きな問題意識を持ちながら自分の非力を悟って
こびる食堂のテーマを決めた
子どもや孫に食べさせたい食事
はなちゃん に対するコメント
高取幼稚園の食農教育、すばらしいですよねー。
7年くらい前に、園長さんらと東京での会合でお会いする機会がありました。
この本もいいですよ、お持ちですか?
「いのちをつくる愛情ごはん: 高取保育園の食育レシピ集」
amazonでも取り寄せられます。
文をまとめた森千鶴子はフリーライター&大学講師で、結城登美雄さんの弟子でもあります。
kawa-ussoさま
高取保育園の本、かき集めました。是非保育園の選択肢として地域に一つはこのような食育をしているところがほしいですね。岩手の食育の基地(基点/基店)を目指したいと思います。ご協力を…
事故大丈夫ですか❓
何かの予兆にならないようにこういう時はゆるめてゆるめていきましょう!
ふぁんさま
ありがとうございます。
ズボンのベルトは緩んでいるのですが…(笑)
コメントは停止中です。