1台、大きめの圧力釜を購入した。
7.5合炊きだったのを、一升炊きを追加購入したのだ。

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羽釜でも三升炊きで”一升ごん合”炊いている。
やはり半分くらいの量を炊くのが一番美味しい。と言うか
無理なく炊けるような感じがする。

以前、品種の炊き比べをしたときに
各自が炊いて持ってくるということにした
有る人は、一升炊きに一升炊いてもってきた。
それはそれは、大変だった。

そういう意味で、まず道具を使いこなすと言うことを理解しなければ美味しさの追求は出来ない
7.5合炊きの圧力釜も、もう二年ぐらい使っているだろうか、相当使った。
一日三回炊いているから、年間で1000釜ぐらい炊いているだろう
一つの圧力釜で三回炊くと、4時間ぐらいかかる。
途中でいろいろな用事を挟むと、半日必要とする
昼食べに来た人に、持ち帰りの玄米を…と思っても昼過ぎに出来ては意味がない
それよりも、何によりも、バリエーションを増やしたいのである。

今炊いているのは、食事用の玄米と…持ち帰り用の玄米と…小豆を入れた赤飯と…三回炊いているが、
それに豆ご飯用の玄米、炊き込みご飯用…豆料理用…と、さまざまの活用方法がある
それを朝の早い段階で片付けるには、やはり二つは必要である

しかし、作ればいいというものではない。
作るということは楽しい。売るというのは難しい。
売らないと作れないのである。
多くの人は、作るのは難しいと思っているだろうが…
作るのは難しいが、楽しいのである。
そこには自分なりの創意工夫ができる。
だから農業は大変だ!大変だ!と思っている人が多いが
本当は農家は楽しいのである。
自然の中で自然とともに自分で創意工夫をして、どうしようもない天意のなかでモノができる
出来たものは失敗しても、天の恵みとして許される。
ただ問題は、それが金に替わる規格になっているか?ということである
ある農協の幹部が言ったという「農家に払っている金は、選別の手間賃である」
天の恵みで出来たものを農協の規格にそったものを選んでいるだけである。と言う
だから金にならない。
産直は、その農協の規格から逃れるので選ぶ率が高くなるので収入が多くなるのである
しかし、それによって農協の規格が有名無実となり、全体の相場が下がってくる。
自分で自分の首を絞めているようなものである。
まぁもっとも、人間の食べ物が高いというのが問題なのである。
「貧乏人は麦を食え」ではないが。まだ収入も少ない若い人が子どもを持つ。
そんな人達が安いものしか食べられないということが問題なのである
安いと言うのには様々な理由があるのだ(別に言う)

食べ物に値段の高低があって良いのか?

なんだか話がずれた
その圧力釜だが…
玄米が売れているなら良いのだが…
今まだ売れていない
一日の終りに、かならず残る
ただちょっと、さまざまな兆候が見えてきた

定食のご飯は「白米と玄米を選べます」と言うと「玄米を選択する人が断然多い
そして「オタクみたいに美味しく炊けないの?どうしているの?」
「オニギリ買ったけど美味しかった。残っているのなら全部買う」
「玄米ってこんなに美味しかったの?」
と語る人が、少なからずいる

そうなのだ、一回、食べてもらえばわかるのである。
売るのと同様、一回食べさせるのが大変なのである。
その美味しさが多くの人にわかったときに、一台では玄米を炊ききれない。
だから二台にした。