”しおちゃん”が来た。
お母さんと、一緒に。
「思い出の野菜畑のおうどんが、食べたい」と言って
しおちゃんは、お父さんとお母さんが盛岡に来たときに生まれた。
転勤族である。
生まれてから幼稚園までだったか…保育園だろうか…
盛岡にいて、北海道に渡り、また東北に戻ってきた。
元気な子だった。
店に入ってくるなり、縦横無尽に走り回っていた。
「たかい!たかい!」をしてあげると、いつもねだった。
「もう今は、レディだから…」とお母さんはいう。
こちらも。小学校6年生を持ち上げるほど力がない。
いや持ち上げたら腰が持たない
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22年も店をやっていると、さまざまな子どもたちがやってきて、さまざまな思い出がある。
盛岡にそのままいる人は、まだいいのだが…
転勤族にとっては、懐かしい思い出の場所となっているだろう!
そういえば岩大にかよって、全国に散らばっていった学生たち。
高校まで実家のある盛岡にいて、その後都会の学校へ出ていった子どもたち。
職場研修で、お店にグループできた子どもたち
沿岸から修学旅行代わりにやってきた中学校のグループ
買い物のお母さんに連れられてきた子ども
自転車に乗って友逹と、ソフトクリームを食べに来た子どもたち

環境学習に来た子どもたちに
「100円ショップは、いらないもの、そして石油製品で作っているから買いに行くな!」
水遊びをしている子に、理不尽な怒り方をしたり
土手の紫陽花を踏み散らかして自転車で降りてきた中学生たちに「どこの中学校だ」と怒鳴った。
たぶん、懐かしい思い出とともに、いろいろな嫌な思い出もあるだろう

そういえば自分も
10円玉を握りしめて何を買うか迷った駄菓子屋
じっとしているのがいやだったが、漫画を読むための床屋
雪が積もってスキーをした、なだらかな坂
子ども会で、スクリーンを張って野外映画をみた広場
半日かけておにぎりを持ってイナゴ取りに行った田んぼ
仙台の片隅だった町外れが、今は中心部になって跡形もない

店というのは単なる商品の売り買いだけではなく、
懐かしい思い出として、自分が育った歴史としても
あるのではないか?と思う
残っていかなければ…
盛岡に、いつまでもある実家として

認知症の89歳の母は、もうとうに無くなった実家に
「帰りたい。かわいがってくれた父に…」といつも言う