義母が亡くなった。
義父は遠に亡くなった。
実父も遠に亡くなった。

子どもたちにとって祖父母と言われるのは実母だけになった。
小生も祖父母は、遠に亡くなったから、母だけになった。

順番とは言え、なんとなくそろそろか…という気になってしまう。

義母に最初に会ったのは、東京のはずれにある海辺の魔子様の実家だった。
覚えているのは、義父がちゃぶ台の前にすわり、シャコを剥いてくれた。それを義母は、勧めてくれた。
「ほげ、ほげ、たべな!」と言って…
魔子様が翻訳してくれた
「いっぱい食べてください」と言う意味らしい。
そうそう海苔も出てきた。
海苔は憧れの高級な食べ物だった。
それまでは焼き海苔しか、食べたことがなかった。
出された海苔は、生のりを煮たものだった。
三木のり平が宣伝をしていた「桃屋のえどむらさき」の薄味だった。
ご飯を何杯も食べることが出来た。
そしていつも行くと出前に寿司を取ってくれた。
この寿司が美味しかった。
さすがに下町とは言え海辺の町は魚が美味しかった。
今でも浅蜊が取れるという。
いつも料理は大皿で山盛り出てきた。
下町の家族が多い食卓の風景だった。

新婚生活をおくるのに東京駅から大阪まで新幹線で向かった。
一人で東京駅のホームで涙を拭いているのを思い出す。
長男が先に逝った。
大事に大事に残された株券を持っていた。
「早く売らないと紙くずになるよ」と言ったが、「思い出だ」と言って聞き入れなかった
JALの株券は、ゴミクズになった。
次男は、多忙な仕事で脳卒中に倒れた。
ずーっと仕事を続けながら援助をしていた。

家族思いの義母だった。
下町の両隣の家は、義父の兄弟だった。
両隣を親戚に囲まれ、さぞかし苦労が有っただろう

苦労をしながら働きづくめの人生だった。
大正から昭和一桁と言われる人の典型的な人生だったような気がする。
幸せとか…喜びとか…あったのだろうか…
そういえは怒った顔は見たことがない。

ただただ合掌

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